アドリブ

アドリブ(ad lib)というのは「表現方法を演奏者の自由に任せる」という意味の音楽用語で、要するに即興演奏のことだが、即興とは「その場の思い付き」である。つまり新しいアイデアを次々に思い付き続けるのがアドリブだ。僕は過去にいろんな楽器を練習したが、最終的にはアドリブで演奏できるようになるのが夢だった。楽器でアドリブをやるのは無理だったが、今は日常生活でアドリブができるようになればいいなあと思っている。

思い付きを試してみてうまくいったら「予想外にうまくいった」という感じがして気分がいい。アドリブは予想外の結果を生み出すためのやり方だ。物事を計画どおりにやろうとすると「うまくいかなかったらどうしよう」という不安がつきまとうし、それでうまくいったとしてもホッとするだけである。計画どおりにうまくいくことよりも、その場の思い付きがうまくいく方がヨロコビは大きい。思い付きがうまくいかなかったとしても、計画どおりにやるよりも経験の幅は広がる。

思い付きで自由にやってよろしい、というと制約が無くてラクそうだが、自由だからといって同じことを繰り返していたのではアドリブにならない。アドリブの大変なところは「絶え間なく思い付き続けなくてはならない」ことだ。絶え間なく思い付き続けるのは簡単ではない。いろんなことを次々に思い付くにはどうすればいいのだろうか。

思い付きというのは過去の経験を「その場の状況」に結びつけることだから、思い付きの素は自分の経験である。いろんなことを次々に思い付けるようになるには、失敗も含めてとにかく経験を増やせばいいはずだ。でもそれだけではない。子どもは大人に比べると経験の量は圧倒的に少ないが、放っておくといろんなことを思い付く。

子どもがいろんなことを思い付くのは大人より頭の中が自由だからだ。大人は「どうするべきか?」と考えるから思い付かないが、子どもは「こうやりたい!」と思い付く。「どうするべきか」は自分の経験と関係ないが、「こうやりたい」という思い付きは自分の経験から生まれるものである。

アドリブで生きられるようになりたい、と僕は思う。今はみんな「どうすればいいのか」が判らなくて困っている時代だ。どうすればいいのか判らないのは「こうするべきだ」という「誰かが書いた楽譜」みたいな価値観が崩れてしまったからである。そういう時代を生き延びるにはアドリブで生きる能力が必要なのだ。