大雑把な結論

ものを考える上で大事なのは「大ざっぱな結論を出す」ということである。もし「正しい結論」なんていうものが出てしまったら、それをそのとおりに実現しなくてはならなくなって大変である。大ざっぱな考えに基いていろいろ試行錯誤しているうちに思ったよりうまくいくと気分が良いけれど、正しい結論が先にあってそのとおりにやらなくてはいけないとしたら、何をやっても面白くない。

「どうすればいいのか」を考えていると、どうしても正しい結論を求めがちだ。正しい結論というのがあったとしても、それを実現してしまうと、その後はどうすればいいのかわからない。つまり、正しい結論と称するものは「どうすればいいのか」についての最終的な答ではない。そのことがわかっていないと、いつまでも正しい結論を求めて考え続けることになる。考えてばかりいると生活というものがオロソカになる。生活とは身体の世話である。身体の世話をしないと気分は良くならない。

「どうすればいいのか」という問題に対する正しい結論なんかどこにもないのだが、そういうことを考え始めた以上はとりあえず何か結論を出さないといつまでも考え続けてしまう。正しい結論の無い問題に対してとりあえずの結論を出すのは、考えるのを中断して生活に戻るためだ。とりあえずの結論だから大ざっぱでいい。自分で考えた大ざっぱな結論に基いて生活してみると、なかなか思ったとおりにはいかなかったり、思ったより面白いこともあるのがわかる。考えたとおりにいかないという経験によって、どうすればいいのかが分かってくるのだ。

大ざっぱな結論を出すのは、考えるのをやめるためだけではない。大ざっぱな結論というものを出そうとすると、そこには「正しさ」をあきらめた分だけ自分の希望が入ってくる。大ざっぱな結論とは、ある程度の正しさと少しの希望が混ざったものなのだ。でも、どこが正しさでどこが希望なのかは考えただけではわからない。その結論を自分の生活において実践してみると、自分の希望が何なのかがだんだん見えてくるはずだ。