1998/3/1

原子力飛行機(NB−36H)について

 核推進システムを飛行機に塔載する前の運用試験が目的で、推進、シールド、放射線の電気系統と部品への影響の調査等のために、低出力の原子炉を搭載した実験機としてコンベアB−36Hを改造してつくられました。

(写真 B-36 PEACEMAKER  by Wayne Wachsmuth  squadron/signal publications 1997 pー33より)

 1951年3月、空軍と原子力委員会(AEC)はGE社と核ターボジェットエンジンの開発契約を交わしています。「核ターボジェットエンジン」とは何か?下に引用した本に情報がのっています。

世界の珍飛行機図鑑

西村直紀 著

グリーンアロー出版社

1997年 刊

原子力爆撃機を目ざした巨人機(pー136)

 1940年代後半のアメリカはまさに原子力全盛の時代だった。最強の兵器と考えられていた核兵器はもちろんのこと原子力潜水艦、原子力空母、原子力商船、原子力ロケット、原子力機関車と動くものは何でも原子力で動かそうとした時代だった。もちろん原子力飛行機だって夢ではないと思われていた。軍艦にとって原子力は燃料補給がほぼ無限で、それなりのメリットがある。もしも-これを航空機に利用すれば、無限の航続距離が保証されるはずだった。原理はこうなる。まず空気は圧縮され原子炉に導かれる。原子炉は制御棒で反応を抑制されながらも華氏2500度の高温を発し、この高温で加熱された空気は、高温のガスとなりノズルから吹き出すというもの。この「原子力ターボジェット・エンジン、P‐1」(注ー1)は、ジェネラル・エレクトリック社が開発することになった。ただし問題があった。

 空気が二次冷却水に代わり、熱交換機で加熱された高温高圧の空気がジェット・エンジンに吹き込まれ、ジェット燃料を燃焼させる。通常のジェット・エンジンと異なるのは、圧縮に要するジエット燃料が不要なことで、長い航続距離が期待できた。二次冷却水は、昨今の原子力発電所の事故でも分かるように汚染されていると考えるのが普通。二次冷却水に当たる汚れた排気を空気中に撒き散らしながら墜落の危険と背中合わせで飛行する原子力推進の戦略爆撃機は別の意味で最終兵器であったかも知れない。

 まずはコンベアB−36H大型爆撃機を改造し胴体内に推進力としては使わないもののPー1原子炉を搭載し、乗員にとっては死活問題の放射線防御シールドのテストを行うことになった。実験機NBー36Hは、当時米空軍が保有する最大の爆撃機である。乗貫は機首のシールドされたカプセルに収まりその重量は鉛とゴムを素材としたため11トンに達した。乗り降りは頂部のハッチから行うが、このハッチも強固なシールドのため人力で開けることは不可能で特別な機械を使うことになった。消防車、緊急事態には原子炉を吊り上げるクレーン車、牽引車とすべて特製で、放射線から乗員を守るシールドが厳重に施されていた。

 NB−36Hの飛行試験は1955年9月にはじまり1957年3月まで、合計47回の飛行が行われたが、これが大がかりで、NB‐36HにBー50爆撃機1察随伴し空中の放射線を測定、さらにC‐119輸送機l機が随伴し、もしもNBー36Hが墜落した場合、搭乗する完全武装の兵士が現場に降下し墜落地点を封鎖する段取りになっていた。飛行のたびごとに着陸後、NBー36Hは、フォートワース工場内に掘られた特製ピットの上に運ばれ爆弾倉ドアからPー1原子炉を降ろし、検査され地上で試運転された。米空軍、原子力委員会、NACA(NASAの前身)は、NBー36Hで得たデータをもとに原子力エンジンで飛行するX‐6実験機を製作、WS(ウエポン・システム)ー125Aに発展させる計画だったが196l年に全計画が破棄されてしまった。

(参考文献・サイト)

音速突破 半世紀(ミリタリーエアクラフト1月号別冊 デルタ出版 刊 1998年 発行 P-36コンベア X−6 pー42)*注ー1

ジェット機時代(奥宮正武 著(株)朝日ソノラマ 1982年 刊 pー183)

Aircraft Nuclear Propulsion - Introduction

NB-36H Flying Nuclear Reactor Testbed(Joe Baugher's American Military Aircraft Encyclopedia )


つづく