「バロンの末裔/グランド・ベル・フォリー」 宝塚月組東京公演にて惜別!!男役・久世星佳 | ||
ワインはすでに何本目?という状態ですが、これも祝杯なのか別れの杯なのか。男役ののんちゃんとは泣いても笑ってもこの「バロンの末裔/グランド・ベル・フォリー」でお別れです。ファンの皆様十二分に堪能しましょうね。 | ||
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¢グランド・ベル・フォリー¢ どちらのショパンがお好み? 4月22日17時半公演以降のショパンはロンゲのかつらがありません。つまり地毛で出てきたわけでショートヘアのとても可愛いショパンで、サンドの方が凛々しくて、まさに男装のマダムと若いツバメ的な印象でした。 何よりショートヘアで前髪とサイドを垂らしているのんちゃんは中性的でとても美しかったです。 久世ファンにはこちらの方が好評です。天使の音楽を作曲する若い音楽家というイメージには今の方がいいでしょうね。やっぱり可愛いし。純粋で汚れを知らない魂の持ち主で早死にしそう、という感じは出ています。余談ですが俗世で生きられない純粋さと狂気を兼ね持つ芸術家ってのんちゃんにぴったりですよね。26日以降はロンゲだったり、ショートだったり。その上どちらでも少しずつ髪型が変わっていたりして、千穐楽まで毎回結構楽しみになりそうです。 このところののんちゃんのショパンの表情がとてもいいです。後ろからサンドの腰にすがりつく時の頼りなげな刹那的な表情なんて最高。 純粋で汚れを知らない清らかなショパンの曲と二人の美しい書簡を背景にして、あのデュエットダンスからはまさに青い薄絹のカーテンが揺れるような淡い色彩と底深い澄み切った冷たい泉のようなイメージが見えてきます。一種頽廃美も兼ね備えて。「カフェ・ド・パリ」であれだけ濃いダンスを見せる人が何という儚い美しさを魅せてくれるのか。 男役二人のダンスってもっと熱く濃いものを想像しがちですが、 これはショパンとサンドの幻影、のん&マミならではの淡彩美と言わせてもらいましょう!! | ||
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「バロンの末裔」の最近 最近は29,30日のさよならショーに備えてか、曲が全体的にテンポが早くなり、少々巻いている、といった感じです。 しかし、演技はすでに「演技」という域を越えてしまっています。 ジョージとミセス・サーティーズに「あなた達も」という時の声の優しさ。銀行の帰路でキャサリンに「わかるとも。だから...」という台詞。雉撃ちの丘の「こんなことになるんなら」など、何ということもない台詞が「台詞」ではなくなっている。 雉撃ちの丘で「今でも私を奪えてよ」というキャサリンを物凄く切なそうな表情で抱きしめる時もあります。 ひとつだけ、大劇場の時は千穐楽近くには旅立ちの場面でずっと後ろ向きで前まで進み、その表情はエドワードではなく、大劇場に別れを告げる久世星佳だったのですが、東宝では今のところエドワードのままです。 そして、エドワードは全てを浄化させているときもあるし、キャサリンへの想いを引きずったままの時もありますね。 キャサリンの「お手紙を下さい。私と、ローレンスに」という台詞は、確かに表情を見ていると全てを納得しているのではなく、それが二度と愛していると言えない最愛の人に言える精一杯の言葉なんだと判ります。 | ||
今日28日を観ながら、つくづく舞台って生モノだと思いました。 私としては意外と雉撃ちの丘より銀行帰りの道が好きなんですよ。あそこで「助けてくれて、ただそれだけ?」とキャサリンに言われたエドワードが、大劇ではキッと振り向いていたのが、東宝では「え? それってどういう意味?」という感じで首を傾げる。一瞬キャサリンの想いを判ったかもしれないが、結局はっきりと確認できないエドワード。「何が不幸で何が幸福か」という問いに「わかるとも、だから」と言うのも微妙なテンションでいいですね(大劇では怒鳴りすぎていたような)。 ローバックとブリンクリーが、やはり絶妙な味わいで。もう台詞があろうがなかろうが、場面場面で本当にその人物として存在している。イングリット・ボーグナインを見るローバックの目つきとか、「げ。この兄ちゃん何や恐いわ〜」てな感じでリチャードを避けるブリンクリーとか。 このままラストまで芝居というより世界を創ったまま突っ走ってもらいましょう。 | ||
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¢筋金入りの久世ファンの方から感想をいただきました¢ ¢大劇場といちばん変わったなと思うのは、前半、エドちゃんがどんどん次男っぽくなっている、精神的に子供っぽく、自分への苛立ちや屈折度が強くなっていること。そのため、大劇場の最初の頃は、エドワードはキャサリンより5、6歳は年上に見えていたのに、いまや(キャサリンが年齢を上げているせいもありますが)、同級生で精神年齢はキャサリンが上・・というように見えているのが、とても面白い。 のんちゃんは多分、それほど彼の屈折やコンプレックスを意識して表現はしていないと思うのですが、新公を見ると、いかにそれが見えない「バロン」はつまらないかが、よく分かりました。 なので、その苛立ち(モヤモヤ)が本当に解消されているのかどうか、大劇以上にみんな気になっているんじゃないでしょうか。しかし「日替わり」なんですよね、まったくこれが。
で、もう一つ、12日を見て、感じたこと。エドちゃんもキャサリンも「普通の人」なんだなあ、ということです。想いのぶつけ方も、断ち切り方も、スパっとしていないところが。通常の宝塚なら、彼らは優等生のヒーローとヒロインですから、「想いを耐え切って昇華し切る美学」へと話が流れていくと思うのですが、このバロンは「最後でもなお耐えきれない」ところが垣間見えるのが面白いし、久世&風花ならではだし、東京で出てきた深みではないでしょうか(「兄は知らない」という台詞が、東京ですごくいいなあ、と思った私)。 | ||
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¢そうなんです!!!!と言いたい。まさに久世ファンならこう思うわって感想をありがとう。 「銀の狼」特集でもどうかよろしく!あ、でも、兄に知られず繋がっていたいというキャサリンとエドワードなのでしょうが、ローレンスはきっとそれを判ってしまうと思うんですね、私は。 そしてそれでも彼はキャサリンを愛し続けるんです。彼こそは貴族であり、エドワードやキャサリンとはまた違った強さを持っているのかもしれません。ローレンスが貴族であるが故に、キャサリンもエドワードも自分達の想いを断ち切らずにいながら、泥沼にならずに別れていけるのではないか、とも思うんです。 ローレンスは失くなってしまったロケットのことも、自分の知らない蒼い石の指輪もきっと生涯キャサリンに一言も問うことはないでしょうね。 「二度と迷わないよ」というローレンスも、そこで計り知れない決心をしたんだと思います。だっていい笑顔でしょ、彼も。 | ||
| では、観劇感激した他の久世ファンからのお便りです。> ¢「雉撃ちの場面を『メロドラマとして観て泣ける〜』って人がわからない。そりゃ、普通の宝塚ではあそこは叶わぬ恋に身を焦がす名場面なんでしょうが、あそこは自分自身と向き合い、自分の中の人間としての弱さやずるさを噛み締めて、二人が一歩を踏み出していく場面なんで、その演技の凄さにぞくっとしますが、そういう風には泣けないです」 そうそう。この作品自体決して恋愛ドラマじゃないしね。あそこは自分達の想いを互いに知り得たものの、自身の中の弱さや醜さをも悟り葛藤し、心に決着をつけなければと無理矢理抱きあっていた体を激しくふりほどくって感じですか。
¢「エドワードが大劇で観た時と全然違うというか。演技に深みが増しているし、情感の現われ方がはっきりしているというか。表情もムラより厳しい事が多いです
し。今思えばムラではあっさりめだったような」 う〜ん。最初はあんまり大人にしなくて、最後のテラスから旅立ちにひとまわり大きくなったエドワードになるってのはいかがでしょうか |
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え〜、ここで久世ファンからのお願い。(と言ってもこのHPを覗くのはほとんど全員久世ファンですね) 最後はエドワードが、キャサリンと故郷に別れを告げて去っていくところで幕、ですね。問題は拍手をするタイミング。エドワードが銀橋を渡った後、もう一度キャサリンの方を向いて笑ってそれから前を向いて歩き出す。そこで拍手をしていただけたら、と。そこまではいくら緞帳が降りかかってもあのエドワードの表情を追って欲しいと、久世ファンなら思いませんか? 一緒に観るご友人がいらっしゃったらそのようにお願いして下さいね。最後のあの笑顔を見なくっちゃダメなのよって。 | ||
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「グランド・ベル・フォリー」は、まず大劇場と変わったところと言うとあの「蒼き薔薇の想い出」がなくなったこと。あと、照明が変わった。これでNICE!!と思ったのは「ル・ジャズ」の場面。「ショパン幻影」では緑と紫というのがちょっと妖しい雰囲気過ぎていただけないが。 しかし、「ル・ジャズ」はゆうこちゃんの独壇場だ。コケティッシュでダイナミックなダンス。城華阿月ちゃんの色っぽいダンスとじゅり(樹里咲穂)ちゃんのキレのいいダンスとともにこの場面をかっさらってしまっている。白城あやかという娘役が退団した現時点では、あれだけの男役を従えて「私が主役!」と一場面を任せられる娘役は風花舞だけだろうと思う。 それから今回、じゅりちゃんのダンスがめっちゃくちゃ格好いいっ!! 特に最近は鬼気迫るものがあります。キレ&スピード感もますます凄い。どうしちゃったんですか? 「ル・ジャズ」でも「夜のタブラオ」でも彼女が出ると視線は釘付け状態。やっぱり彼女はのんちゃんがトップになってから一番の成長株です。「ル・ジャズ」の歌はじゅりちゃんでも聴きたかったと思うし。後はどうしても「Non-STOP!!」&「銀ちゃん」組に目がいってしまう。 | ||
とりあえず、大きく変わった「想い出のカフェ・ド・パリ」 回想部分はちょっと「ヒート・ウェーブ」の「コットンクラブ」を彷彿とさせるが、ご本人はそう言われて「あ、そうね」だけだった、お茶会で。思い入れが深いのはファンの方のようで。 振付はコットンクラブ&椅子はグランドホテルのイメージで、歌い方は銀ちゃんかと思わせる、ではファンはたまりませんわ。 では、あの場面を最初から私個人の発想で解説しよう。 元は「カフェ・ド・パリ」のショースターだったピエールは戦場で爆風か何かに吹き飛ばされて、腰かどこかを負傷しもう二度と舞台に立てない体になった。が、心は想い出を捨てきれず気がつくとパリのあの街角に来ていた。そこで、一瞬かつての仲間達の幻を見る。そう、すれ違うジャン達もすでにピエールの中の幻想。そして、記憶の中からあのスターとして輝いていた舞台が蘇る。というわけだ。 そこから始まるショーの豪華なこと。まず、ゆうこちゃんとたれ(星野瞳)ちゃんに地声で歌わせる迫力。ずらっと並ぶじゅりちゃん&さおた(高翔)くん達ダンサーの格好良さ。 たれちゃんの「恋の火遊び苦手なのよ」この一声と視線で客は完全にノックアウトです、カルメン先生。 そしてスターの登場。椅子を使っての振付と群舞の迫力は3階席から見るとよく判る。娘役さんが椅子を引いてきて踊り、それから男役に替わる。だんだん人数が増え、舞台全体であのヒート・ウェーブのような振りを踊ると壮観だ。歌はちょっと小林旭入っているけど、のんちゃん以外の誰が唄える!?ってもんよ。 「想い出のカフェ・ド・パリ」2曲のオリジナルはパトリシア・カース。 あそこの場面で、まゆ(大峯麻友)さん&るんぱ(真山葉瑠)ちゃん、マリエ(美郷真也)さん達が本っっ当に嬉しそうに踊っているのを見た瞬間、そしてあれだけ男くさい久世星佳はもう観られないと思った瞬間、私は涙が出た。あの場面、最高!!に好きです。 男役がのんちゃんを中心に上手と下手に別れて椅子を使って踊る箇所で、下手側(高翔、樹里、美郷、まほろば、後一人どなたでしたっけ? 誰か教えて)の男役さんのダンスがめちゃくちゃ色っぽくって濃い。おまけに足を組むポーズまで見事に揃っていて、その雰囲気がまさにのんちゃん色。さすがに芝居の巧いのが揃っているせいだろうか。上手の水くん、タラ(祐輝薫)ちゃん達もきれいな踊りなのだが、どうしても視線が左にいってしまうのは私だけだろうか。 下手の皆さん、特に樹里、高翔、美郷の腰の入り方がもう、絶対にのんちゃんなのよ〜! おまけにじゅりちゃんは指をならす振りの時にスナップが効いていて凄いっす。 とにかく、おいしいこの場面で惜しむらくは、のんちゃんの衣裳の生地がよすぎるのか、パンツがしわになるし、どうものびにくい生地のようでのんちゃんは足を開けたり上げたりしにくそうだ。本来ならもっときれいに足から体のラインを見せる人なのに。せっかくの振付なのだから、良い生地使わなくても踊りやすいストレッチのきく生地にしてくれ! | ||
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¢「踊りにくい生地の白のきらきら衣裳にするぐらいなら、普通の黒のタキシードでいい。のんちゃんほど、黒のパンツが似合う人はいません!!!」というご意見いただきました。 そうなんだよね。本当にのんちゃんは黒のパンツとか燕尾服とかタキシードが似合うのだ。あの振付ならタキシードで思い切り腰入れて踊る姿を見たかったかも。
¢「あそこでこうちゃんがワンフレーズ歌うのは、じゅりちゃんに歌って欲しい」というご意見が。
「グランド・ベル・フォリー」でのその他ご意見は
¢「上級生も使ったラインダンスとかに人を取らずに「パリ・ド・ヌイ」にもう少し人数が欲しいところです」 そうそう、のんちゃんは手の先から足まですごく綺麗な線を描くんですよ。2番手になったぐらいから体のラインの見せ方がとても巧くなりました。それと上げた足を下ろす場所が的確なんです。だからポーズが美しいんですね。それから、相手役さんの瞳をいつも見つめてますよね。本当に眼をそらさない、あれって相手の娘役さんにとっては嬉しいことでしょう。だからのんちゃんと組むと娘役さんはいつもとても美しくなれるんです | ||
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