• 北鎌は日本では一級のバリエーションルートである。単にルートが面白いだけではなく、最後に槍ヶ岳の山頂を踏んで終了する劇的な幕切れがあることも人気の理由である。岳人ならば一度はチャレンジしてほしいルートである。今回、北鎌の経験のある土屋さんをリーダに、中山さん、岡田さんというクライミングの経験豊かなメンバーと一緒に北鎌を目指すことにした。
  • 北鎌がバリエーションルートであることを意識し、夜行は避けて前日に松本駅前のビジネスホテルに宿泊した。翌朝、土屋さんに迎えに来てもらい、車で集合地の穂高駅に向かった。コンビニで食料を調達し、穂高駅前には時間ちょうどの8:00に着いた。すでに中山さんと岡田さんは到着しており、メンバー全員がそろった。車で中房温泉に向かった。
  • 登山口の中房温泉で、荷物を配分してから出発した。登山の最盛期とあって、登山道は行き違いで渋滞するほどだった。中学生の団体も下りてきてたため、待ち時間も長かった。冷たい水の得られる第一ベンチ、更に第二ベンチ、第三ベンチと進み、合戦小屋に着いた。中山さんが売店でスイカを買ってきてくれたのでみんなで食べた。冷たくておいしかった。合戦小屋からしばらく登ると森林限界を越え展望が開けてきた。うっすらとかかった雲の中から山頂方面が見えてきた。燕山荘が、ずいぶんと高いところに見えた。時々、燕岳が見えた。斜面にはコバイケイソウやニッコウキスゲが咲いていた。
  • 燕山荘前は大勢の登山者でにぎわっていた。ガスが晴れ、燕岳がよく見えた。昼食を食べた後、縦走路を大天井岳へと向かった。登山者はぐっと減った。コマクサやシャクナゲが咲いていた。切通岩を過ぎると分岐に着いた。一方は大天井岳に登る道、他方は巻いて大天井ヒュッテに行く道だった。予定では巻道を通り、貧乏沢を下って天井沢で幕営だった。しかし、時間的には大天井岳に行って大天荘前のテント場で宿泊しても丁度良かった。相談の結果、全員まだ余裕があるため、予定通り大天井ヒュッテを通り天井沢まで行くことにした。巻道を進んでいたとき先頭の土屋さんがなんでもないところでつまずいて転んでしまった。大天井ヒュッテまで行って傷の応急手当をした。膝下を切っていたが、傷は深くなかった。ただし後でわかったが肋骨にひびが入っていたとの事だった。ヒュッテ前には夕食前のひとときをくつろいでいる登山者が大勢いた。
  • 縦走路をそのまま少し進んだところに貧乏沢への下り口が有り、標識が立っていた。土屋さんを先頭に下り始めた。最初は、しっかりした踏み跡が着いていた。やがて石がごろごろした涸れた沢に出た。ルートがはっきりしなくなった。まっすぐ沢を下りていこうとすると浮石が多が多くて不安定だった。左手の藪の中を進むことにした。この後、しばらく藪を進んだり沢を進んだりした。藪を行くときはおおむね沢の左岸を進んだ。沢を半分近く下りると4人パーティが登ってきた。こんな時間に、しかも通常とは逆方向なので驚いた。聞くと「独標の手前で時間切れになったのとアクシデントがあったので引き返してきた」との事だった。見ると、一人の靴底がはがれていてテープで修理してあった。更に下っていくと雪渓があった。雪渓の横を通り、更に流れを左右に見ながら下って行った。やがて広い流れの天井沢に突き当たった。上流方向に曲がってすぐのところにツェルトが張られていて先着の登山者二人がいた。明日、北鎌を登るとのことだった。我々もこのツェルトの横に2張りテントを張った。テントの横には湧き水が流れていた。食事を作っているうちに暗くなった。懐中電灯を使いながら食事をし、お酒を飲んだ。この付近には我々しかいないと思うと、ずいぶん山奥まで来たものだと感慨深かった。
  • 翌朝はコマドリの鳴き声で目が覚めた。快晴だった。朝食が終わった頃、川下の方に10人ほどの団体が現れた。どうやら貧乏沢を今朝下りてきたガイドに連れられた団体のようだった。団体は天井沢の河原で休んでいた。隣のテントは先に出発していた。我々も団体に追いつかれないうちに出発した。北鎌沢に入る手前で水を補給した。全員、6-7リットルの水を持ち、ザックが重たくなった。北鎌沢に入ってしばらくすると水流は左右の二つに分かれていた。左側の方が水量が多かった。水量の少ない右股に入ると水は30分も登るとなくなってしまった。水がなくなる少し手前で手ぬぐいを水で浸し、頭にかぶった。とてもひんやりして気分が良かった。北鎌沢を休みながら登るうちに団体など数パーティに抜かれ、我々が最後尾になってしまった。やがて沢が二手に分かれていた。先頭の中山さんが右手に進もうとすると、最後尾にいた土屋さんから「ここは左が正しい」と声がかかった。前回、右に進んで行き詰まったとの事だった。土屋さんを先頭に左の沢を進んでいくと、やがて浮き石が多くなり歩きにくくなってきた。左手が崖で日陰になり涼しくなっているところで小休止した。回りにはニッコウキスゲがたくさん咲いていた。
  • 小休止後、再び沢を詰めて行った。浮き石がますます多くなり、先頭の土屋さんから時々「ラック!」と大きな声がかかり、石の崩れる音がした。一度は直径10cmもある岩が3m位横の草むらの中を音もなく通り過ぎて行って肝を冷やした。沢はますます細くなり、ついに灌木帯に入ってしまった。どうやらルートを間違えたらしい。先頭の土屋さんは、足場の不安定な登りに疲れた様子だった。中山さんが右手にトラバースできないか灌木をかき分けて進んで行った。灌木の向こうに見えなくなってしばらくすると「行けそうだ」との声がかかった。灌木帯の急斜面を木につかまりながら中山さんを先頭にトラバースした。灌木帯を抜けると草付きの斜面になった。下は相変わらず浮き石が多かった。斜面を登り、再び灌木が多くなった来たところで小休止した。高度計では後50mで稜線に出るはずが、上を見るとまだまだ草付きの斜面が続いているように見えた。右手の小さな尾根の向こうにどうもコルらしい地形が見える。相談の結果、そこに違いないとの結論になった。確実に行くことを考えて、やや下り気味にトラバースすることにした。やや急な斜面で、草をつかみながらトラバースした。ニッコウキスゲがあちこちで咲いていたが、楽しんでいる余裕はなかった。それどころか時々ニッコウキスゲの茎をつかんでトラバースするほどだった。トラバースし終わって涸れた沢に出ると、ちょうど下から登ってくる単独行がいた。「ここで正しいか」と聞くと「99%正しい」との答えだった。ようやくほっとした。上に登っていくと沢はすぐになくなり凹凸の多い岩場になった。足場がしっかりして登りやすかった。岩を登り終わると、草原の間にしっかりとした踏み跡が有った。ニッコウキスゲが多かった。わずかの登りでコルに着いた。ザックを投げ出して休んだ。ここまでに水を1.5リットル消費していた。すぐ後から単独行者も到着した。単独行者に先に行ってもらい、ゆっくり休んだ。
  • ここからは、いよいよ本当の北鎌尾根の登りだった。ところどころにダケカンバの茂る尾根を踏み跡に従って登っていった。暑さのため20分登っては10分休むペースで進んだ。2回目に休んだところでは、すぐ前を行く単独行が見えた。単独行は右の踏み跡をダケカンバの方に登って行った。土屋さんの話では単独行の行ったダケカンバの方よりも中央の稜線伝いの方が登りやすいとのことだった。休憩後、土屋さんの経験に従い、中央稜線を登った。登り切ったところで振り返ると、なるほどダケカンバの方は最後が急で登りにくそうだった。前を見ると、険しい稜線が続いていた。稜線の先には独標が大きくそびえていた。恐らくこの付近が天狗の腰掛けと呼ばれるところだろうと思った。単独行がこちらを振り返りながら登って行くのが見えた。小休止の後、更に険しい稜線を進んで行った。時々三点確保をする必要があった。少し広いコルが有ったので再び休んだ。単独行は少し先を登っていた。こちらは暑さで全員疲れていた。重い腰を上げて次のコルまで来ると10mほど下に雪渓が見えた。雪渓を見たとたん進む気力を失い、今日はこのコルまでとした。
  • 雪渓の雪を取ってきてウイスキーに入れ飲んだ。これほどうまいウイスキーはなかった。気分が良くなったところで昼寝した。中山さんはシュリンゲで確保しながら岩陰の涼しいところで寝ていた。夕方、涼しくなるまでゆっくり休んだ。日が傾き始めた頃、ようやく元気を取り戻し、フリーズドドライの夕食を食べた。このコルは畳2つ位のスペースしかなかった。テントは一張りしか張れなかった。2-3人用テントに4人入って寝た。
  • 翌朝、4:08に起床した。テントをたたみ場所を作ってから朝食を食べた。快晴だった。水晶岳や鷲羽岳が西側に見えた。朝食も食べ終わる頃、ヘリコプターが飛んできた。北鎌尾根の横を行ったり来たりしていた。遭難者でも探しているように思えた。我々の50m位横でしばらくホバリングしていたが探している人とは違うと判断したらしく、やがて尾根に沿って上に行ってしまった。ヘリコプターはその後、何度か北鎌尾根の横を行ったり来たりしていた。
  • この日は、すぐに核心部を通るとのことでヘルメットを付けて出発した。20分も登ると独標のコルに着いた。ここはテントが2-3張り張れそうな感じがした。次の岩場は右側を巻いて行った。ちょうど独標の基部に相当するところだった。崖の中央をトラバースするような感じだった。オダマキがたくさん咲いていた。独標への登りはロッククライミングの要領で三点確保をしながら登った。登り切ると独標に着いた。独標からは険しい尾根の先に槍ヶ岳の穂先が見えた。順番に記念撮影をした。
  • 独標から先は更に険しい岩場が続いていた。三点確保をしながら慎重に進んだ。次の休憩を小さい鞍部でとった。黄色いスミレが咲いていた。険しい道が続きルートの選択が難しくなった。崖の斜面をトラバースして行くと前方にオーバーハングが有った。オーバーハングの下を通るか、それとも上に登って尾根を通るか迷った。土屋さんが、最初オーバーハングの下を通ろうとしたが、途中で通った記憶がないとの事で引き返して来た。そこで上に登ったが、今度は登った先がガレ場なっていたため危険だった。結局、最初に行こうとしたオーバーハングの下を通ることにした。通過後、躊躇する我々をしり目に、中山さんが上に上がれそうだと岩場を登って行った。30mほどの岩場を登り切り、我々に「大丈夫だ」と声をかけてくれた。登り着いた岩の上は足場がしっかりしていて、なるほど大丈夫だと思った。20分も進むと今度は尾根が落ち込んでいる箇所に出た。土屋さんはまっすぐ下りていった。やがて下からガラガラと足の動きに連れて岩が崩れる音がした。「大丈夫ですか」と声をかけた。「行けそうにない」との事で別のルートにする事にした。今度は中山さんを先頭に右下のルートに変更した。下ったところには、空中に身を投げ出すような感じで岩をトラバースするところがあった。ロッククライミングをしている感じがした。次の小鞍部からの登りは直径5mm位の小石の多い場所で、足元が崩れやすかった。四つん這いで登った。登り切ったところで中山さんがサイドザックを拾った。先行者のものらしく中に草履が入っていた。このルートに草履は荷物になるだけなので、少しでも荷物を軽くしようと思った先行者が置いていったものだと思った。岩場を行きつ戻りつしているうちにいつの間にか4人の先頭になり、右下がりの斜面をトラバースする岩場に出た。左手の岩がもろく、手をかける先からぼろぼろとはがれた。手をかけるごとに確認しながら進んで行った。こんなところを先頭で行くのはとても緊張した。次の小ピークに着いて、ほっとして振り返った。ごつごつした岩だらけで、いったいどこを通ってきたのか分からないほどだった。よくもこんなところを通ってきたものだとあらためて思った。
  • さしもの北鎌尾根も北鎌平に近づくころには少しずつ歩きやすくなってきた。北鎌平からは尾根の右寄りを進んだ。時々錆びた缶詰の空き缶がころがっていた。このあたりでビバークした人も多いのかと思った。煙突状に狭くなった岩場(チムニー)を順番に登ると山頂はもう間近だった。近づく山頂に喜びがこみ上げてきた。最後の小さなテラスで先行の中山さんが待っていた。「あそこが山頂だ」と言って先を譲ってくれた。一登りで記念写真の撮影で忙しい登山者の大勢いる山頂に着いた。ガスが出始めていたせいもあり、あらぬ方向から登ってきた我々に気付いた登山者はわずかだった。
  • 山頂から槍ヶ岳山荘まで渋滞する登山者の列に従ってゆっくり下った。岩がしっかりしていると、ずいぶん歩きやすいと思った。山荘で北鎌を制覇した喜びに浸りながらカレーライスを食べた。水俣乗越を通って、西岳まで行った。ヒュッテ西岳の小屋番に「北鎌でレスキューがあったでしょう」と言われた。50代の単独行との事だった。多分、我々の少し先を歩いていた単独行と思った。「確かに何度も振り向いていて自信がなさそうだった」と思い出しながら言い合った。テントを設営した後、夕日の当たるテント場から槍ヶ岳をながめて感慨にふけった。
  • 最終日も晴天だった。西岳から燕山荘までの間、北鎌尾根と尾根まで登る沢ルートがよく見えた。「あのあたりで間違えたのだな」と思った。燕山荘ではカレーライスを食べ、ビールを飲んだ。中房温泉で入浴して帰った。