アテネ五輪期間中連載コラム

「天国の金井、谷口 アテネを一緒に走ろうな」


アテネ五輪
第17日
 一度、2人に夢で怒られたんだよ、と瀬古利彦監督に教えられたことがある。
「瀬古さん、何をやってんですか。しっかりしてくださいよ。諦めないでやらなきゃ」
 それがね、金井も谷口も、なぜかユニホームを着てるんだよ、と、監督は笑っていた。

 マラソンの国近友昭、油谷繁、諏訪利成の会見が行われた日、ともに挑む国近よりも、あるいは現役のときよりも、88年ソウル五輪出場以来16年ぶりに五輪マラソンに帰ってきた瀬古監督が緊張していた。

 90年8月22日、北海道・常呂(ところ)での合宿を終えバンで移動中、トラックと正面衝突し、SB陸上部だったロス五輪1万メートル位の金井 豊さん、マラソンで将来を嘱望された谷口伴之さん、そして、アシックスで帯同していた市来トレーナーらが亡くなった。

 ソウル五輪で引退し、監督就任2年目、中村清監督のもとで苦楽をともにした仲間を失い、その後も大器と期待された有望な選手がなかなか育たず、辞任が頭に浮かんだ弱気なころ、2人がなぜか夢にまで「走って」叱りに来た。国近の出場が決まり、金井、谷口両家族をアテネ五輪に招待した。

「同じ陸上部の後輩がアテネで走ることを、きっと喜んでいると思います」
 金井さんが亡くなって、弁当屋を繁盛させた博子さんはそう話し、ご主人の小さな写真を持参したという。記者として駆け出しだった私を、同い歳の谷口さんはよく励ましてくれた。「子供は女の子がいいよね、ピアノ弾いてもらって、後ろで紅茶を飲む」と笑っていたが、どんなに立派なお子さんになって、明日、沿道で声援するのだろう。油谷を指導する中国電力の坂口監督もまた、同じSB食品でともに神宮を走っていた人である。

 命日は海外合宿中だったが、監督も国近も墓参りは済ませて来た。
「16年もかかっちゃったけど……」監督は手を合わせた。
「アテネを一緒に走ろうな、頼むぞ」

 世界のレベルと比して男子の苦戦は明らかで、野口みずき、高橋尚子ら女子黄金時代は眩しい。しかし、宗兄弟、中山竹通、瀬古と、かつて世界を圧倒した日本男子の意地を、3人にはぜひ、マラソンのルーツで見せてほしい。金とは違う、いぶし銀の輝きというのもあるのだ。

(東京中日スポーツ・2004.8.29より再録)

※五輪開催期間中の金曜日は連載コラム「セブンアイ」として掲載されています。
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