首相が欠いた“たしなみ”

    キャッチボール


 それこそ、お世辞というものである。
「一国の首相が満足にキャッチボールもできないなんて……。第一、(マウンドから)届かないから前に出たんでしょ、情けない」
 父にみっちりと野球をし込まれた私は、記者仲間二人に感想を聞いた。
「でも、元中日の三沢投手の指導で、特訓をしてたらしいですよ」
「ボールの握りからして変でしたからねえ。何十年ぶり、と言ってましたが」
 GW中、我らが小渕首相がメジャーリーグで始球式を行い、両国を代表するスポーツにふさわしい投球だった、とクリントン大統領が褒めた、と記事にはある。
 ほかの政治的成果は別としても、それだけはお世辞というものである。小渕首相の年代ならば、圧倒的に「キャッチボール世代」のはずではないだろうか。
 今では、街中でキャッチボールをする子供たちなど、皆無である。子供の人気スポーツでも、野球は首位の座をとうの昔にサッカーに明け渡している。
 グラブにボールが入り、バシっと響く音。革の匂(にお)い。子供の頃はどんな喧嘩(けんか)をしても、ボールを相手に投げさえすれば、仲直り出来た。
 キャッチボールはスポーツだが同時に、簡単で、しかも確かなコミュニケーションの手段である。キャッチボールで育った子供たちは、自然にそう教わって来たのではないか。

弟に導かれた兄

 丹波幹雄投手(24歳=ヤクルト)のプロ入りもまた、キャッチボールがきっかけだった。
「野球に悩んでいた弟に気分転換でもさせてやろうと、子供の頃以来のキャッチボールをしたんです」
 丹波は松坂大輔(西武)と同じ名門・横浜高校で将来を嘱望された投手だったがひじを痛めて退部。代わりに、横浜のエースに成長した弟・慎也君に甲子園の夢を託し、自分のグラブも処分してしまった。弟のスランプを見かねて気分転換を、と、夕方の公園で数年ぶりにボールを投げた。
「球がすごく伸びてるよ、まだやれるのになあ……」
 弟が笑いながらふともらした言葉が、なぜか、強く耳に残っていた。
 兄弟でポールを投げ合ったその2週間後、慎也君が急性心不全で亡くなった。
 悲しみのどん底で、遺品のグラブをはめた時、驚いた。まるで自分の物のように手に馴染(なじ)んだからだ。
 弟の夢と一度は諦(あきら)めた自分の夢。2つの夢を一瞬にしてつないだグラブをはめて、兄はひじの手術を決意し、そして名門のウィーンベースポールクラブに入った。そこでの投球が、偶然ヤクルト関係者の目に留まり、昨年、ドラフト最下位の8位で入団した。
 ゴールデンウィーク中、丹波がイースタンで初登板を果たし、巨人相手に4回を無失点に抑えた、と、小さな記事を見つけた。弟との最後のキャッチボールは、彼をどんな励ましより強く、支え続けるだろう。
 キャッチボールくらい、大人のたしなみとしてしっかりやろう。それが、スポーツ記者3人の結論である。いつなんどき、始球式に呼ばれるか分からない。
 そんなわけはないか。

(東京新聞・'99.5.11朝刊より再録)

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