10月21日


ペルージャより

 なかなか時間が取れずにのびのびになっていたペルージャ取材がようやく実現することになりました。
 20日、パリ経由でローマに到着し、ローマからテルミニ駅という中央駅に移動。そこから在来線に乗って、ペルージャに入りました。日本を出発したのは、19日の午後21時で、こちらに入ったのは、20日の午後4時ころでしたから、ほぼ丸一日、もちろん飛行機と電車の乗り継ぎはあまりよくはありませんでしたが、なかなか長い旅となってしまいました。
 ローマ発の直行便を利用するとはいえ、これと同じことを中田はパルマ戦直後に行い、そのまま試合をしようというのですから(28日エジプト)、そのタフな肉体と、それ以上にメンタルの強さに驚かされます。
 取材の目的は、12月に出版する単行本『フランスW杯全証言』のためです。できればここに1週間滞在し、スポーツ新聞とはまた違った、普段の中田英寿選手(21)とペルージャの日々の練習について書けたら、と思っています。初日は、まずは現地の紹介から。

 21日午前10時、午後3時、ともに2時間ずつの練習。午前はサイドから中にボールを入れてのシュート練習と30分の紅白戦。午後は、個人のシュート練習を30分行い、あとはすべてフィジカルトレーニング。現在の日本代表とは逆の、どちらかといえばブラジル式のサーキットトレーニングで、ジャンプ、ダッシュ、回転、コンタクト、すべてを織り交ぜたメニューだった。トレーナーによると、22日が練習試合のためこうしたフィジカルで一度刺激を入れ、試合でさらに疲労させ、また金曜日からじっくりと上げて日曜日に持って行く、という話だった。
 レナト・クーリスタジアムの横にある3面の練習ピッチは、小高い丘に囲まれていて、四方から風が吹き込む構造になっている。いわば浅い盆地のようで、彼の故郷・山梨に、地形も気候もどことなく似ている。この日の気温は日中で16度、北風がかなり強く、6時半頃の日没間際になると、コートなしでグラウンドにいるのはちょっと無理である。ここ2日くらいで気温が下がったという。写真でもお見せできれば一番なのだが、囲んだ丘の中腹には白壁とレンガ造りの街並が見上げることができて、古い教会の鐘が1時間ごとに街中に鳴り響いている(テレビの飲料水のCMでは上から見下ろしているが、あの光景を下から見ると思ってください)。こういうところに中田が、日本人がいるのだ、日本人が名前を呼ばれて尊敬を集めプレーをしているのだ、と思うと、不思議な感覚だった。

 中田はこの日、午前のシュート練習と紅白戦約2時間を終えると、グラウンドに最後まで残り、ストレッチを入念に行った。トレーナーとも通訳なしでずっと談笑をしていた。ピッチを出る時には、地元のおじさんサポーターたちに、「ナカアタ」と、アに強いアクセント置く発音で声をかけられ、拍手まで起きる。中田もこれに笑顔で応じて話す。彼のイタリア語は、ほぼ完璧である。日常会話のレベルでは、もうない。
「ほんといいところでしょう。のんびりするにはね」と、4か月ぶりに会ったこちらを握手で迎えてくれた。
 日本代表のこと、エジプト戦の帰国日程のこと、それとトルシエ監督の厳しさについても「本当?」と聞いてきた。ほとんどは本当で、中でも彼にとって重要な(?)「コンビニ」にまつわる情報を与えた。福島合宿ではコンビニでの買い物の中身チェックをした話をすると、噴き出した。「うーん、ピッチの上の厳しさとかサッカー観って何も心配してないけど、コンビニがだめ? じゃあ、オレ日本に帰る楽しみないよお。ペルージャと日本の違いって、コンビニがあるかないかだけだもんなあ」とジョークと飛ばしていた。

 練習では、何と、カスタニェル監督の携帯電話が鳴りだし、監督は留守電に変えるでも切るでもなく、ポケットからこれを取り出して20分も話している。その間、選手がシュート練習を行うゴールには背を向けたまま。ベネチア戦のあとに、チームではもっともキャリアのあったトバリエリがガウチ会長に反論したために解雇を言い渡され、さらに新しい戦力としてペレイラが加入、午前中に契約をするという。中田は「監督が携帯? うん、きっとゴタゴタで話しているんじゃないかな。毎日何かが起きてるしね、別に何とも…」と平然としたものだった。「セリエAスタンダード」に慣れたのだろう。
 チームメイトとは練習中にも雑談し、彼らが中田の背中におんぶをしてふざけたり、練習のコーンでいたずらしたり…こういう日常を過ごしているせいか、中田は日本にいた頃よりもリラックスし、より集中してサッカーに臨んでいるようだ。
「チームはね、ちょっとまあ、いろいろとあるけど、でもそんなことを今言っても仕方ないし。がんばるだけだよ」
 22日は、毎週行われる地元アマクラブとの練習試合で、定例会見は金曜日になる。

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