21世紀の甲子園


 私が子供の頃、初めて手にした運動用具は野球のグラブでした。皮の匂いがうれしくて、磨き方を忠実に守り大事にしていましたね。
 当時、そんな女の子は圧倒的少数派でした。今思えば、テレビ局運動部に勤務していた父にキャッチボールからみっちりと仕込まれた私にとって、野球とそれを取り巻くスポーツの風景は、無意識のうちに今の仕事へ進むきっかけとなるコンパスのようなものだったのかもしれません。
 そんな少女時代から、私の夏休みは甲子園とともにありました。父が甲子園中継ために長く不在となり、私は普通の子供たちのような夏休みを過ごせませんでしたが、普通の子供たちとはまったく違う、特別なものを経験していました。父の出張に付いて、一日中、高校野球を見ていたのですから。
 今年も、昨年の史上最多4119校を上回る参加校が、「甲子園」、全国高校野球選手権大会を目指し、49代表は、21世紀初となる今年の大会に、新しい風を吹き込むべく鍛錬を積み重ねてきたことでしょう。
 21世紀最初の大会は、本当の意味で高校野球の、もしかすると日本のプロ野球の方向を見定めて行く上でも大きな意味を持っています。大会側もそれを意識し、昨年秋、スペースシャトルに搭乗した若田光一さんが宇宙に持参したボールで開幕試合の始球式を行い、さらには、日本に初めて野球を伝えたとされるアメリカ人数師、ホーレス・ウィルソン氏ゆかりの人物も招待しました。
 しかし21世紀最初の甲子園にとって大事なことは、取り巻く環境の激変と、それを認識し対応することにあるはずです。問題は彼らが目指すべき方向を照らしているはずの、未来の灯りの乏しさを認識することです。
 マリナーズのイチロー、メッツの新庄が日本球界を去って1年も経過していない中、日本プロ野球界は観客、視聴率の低下といったかつてない深刻な状況に立っています。私はプロ野球がメジャーに比べてつまらないとか、レベルが低いとは全く思いません。面白さは変わりません。それよりも、メジャー開拓者ともいえる野茂、大家(ともにレッドソックス)に始まり、マック鈴木(ブルーワーズ)、エンゼルスの長谷川、イチロー、新庄と、彼らの多くが夢であるはずの「甲子園」を経験せずに、別の夢の道を開拓している点に興味を持っています。高枚野球最高峰であるはずの場所が必ずしもプロへの登竜門にはならず、そこで完結してしまっている状態は、参加校が多くなっているからといって好影響をもたらしてはいません。人材の、時代との分離が進んでいるのです。
 高校野球を「教育」と呼びながら暴力行為などで辞退する学枚が後を絶たないこと、真夏の健康管理や投手の連投による肩の保護を最優先できないこと、また4月に決定したドラフト制度でも高枚生の逆指名権は見送られ、新設された、新人の自由競争制度(※注)も高枚生を除く、と決まるなど高校野球とそれを取り巻く環境は、様々な矛盾を解決できないでいます。21世紀最初の甲子園は同時に、今世紀最初に野球を考える問題提起の場です。
 お子さんが野球をやっている親御さんも多いでしょう。日本球界になくてメジャーにあるもの、逆にメジャーになくて日本にあるもの、これらを、甲子園と高校野球をきっかけにして見てみることに意義があると思います。いつの時代も変わらない、子供たちの野球への愛情を無駄にしないためにも。

※注)新人の自由競争制鹿:現行のドラフト制度から選手側からの逆指名枠を撒廃し、新たに設けられた制度。各球団が2人まで、自由に新人を獲得できるが、社会人、大学生に限られ、高枚生は除外されている。この獲得選手は、ドラフト会議前に発表され、ドラフト会議の対象外となる。

(Bene Bene 9月号より再録)

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