2003年6月16日

※無断転載を一切禁じます


サッカー

コンフェデレーションズ杯日本代表合宿3日目
(パリ郊外マルセルコーウェンスタジアム)
天候:晴れ、気温:26度、

 予選第一試合ニュージーランド戦を控え、2日間続いた午前、午後の練習から、この日は午後練習だけとなり、選手は半日のリフレッシュをし、調整段階に入った。ここまで2日間、捻挫のために別メニューで練習には参加しなかった服部年宏(磐田)も合流した。練習では、アップの後すぐに紅白戦が行われ、GK楢崎正剛(名古屋)、DF山田暢久(浦和)、坪井慶介(浦和)、宮本恒靖(G大阪)、三都主アレサンドロ(清水)、MF稲本潤一(フルハム)、遠藤保仁(G大阪)、中田英寿(パルマ)、中村俊輔(レッジーナ)、FW高原直泰(ハンブルガーSV)、大久保嘉人(C大阪)、もう一方はGK川口能活(ポーツマス)、DF名良橋晃(鹿島)、秋田豊(鹿島)、森岡隆三(清水)、服部、MF明神智和(柏)、中田浩二(鹿島)、奥大介(横浜FM)、小笠原満男(鹿島)、FW松井大輔(京都)、永井雄一郎(浦和)となった。
 この日の紅白戦では、大久保が切れのある動きから前半に1点(三都主から)、後半に1点を(中田から)を奪うなど、先発が予想されるニュージーランド戦にむけ、代表での存在感を確実なものとした。練習後には、ジーコ監督、中田英寿がインタビューを行い、ジーコ監督は「(日本から)日程がかなり厳しいこともあるので、選手の疲労度を考え、全部換える可能性もある」と、アルゼンチン戦から9人のメンバーを変えたのと同様、今後も「2プラトーン方式」で3試合、トーナメントを戦う方針を明らかにした。
 中田はテレビインタビューに応じ、「声を出すことも少しずつだが良くなっている。今大会は、順位が何位だとかではなく、真剣勝負の中で、自分たちの殻を破っていけるかが大切」と、ジーコ監督の掲げる「自由と責任のサッカー」を、本当の意味でどこまで実現できるかを、自らと日本代表の目標とすることした。
 当地での練習はこれが最後となり、17日は午後4時(日本時間17日午後11時)からサンドニで公式練習を行う。公式練習では、選手のインタビューがないため(監督のみ会見)以下が最新のコメントとなる。

ジーコ監督「今はスタッフを含め、全員が初戦をわくわくするような気持ちで待っているところだ。いい仕上がりになったと思う。パラグアイ戦は勝ちゲームだったし、大久保のゴールは絶対にオフサイドではない。あの試合のように、スペースを見つけながらいい動きが展開することを今回も期待できるし、そういう表現ができるようになった。
 今日の仕上げの紅白戦は、全体的に良かった。スタメンはすでに固まっているが、私は両方(A、B両チーム)のチームを一度にトレーニングすることによって、誰が出てもできるようにチームを作っているし、まだ最終決定はしていない。確かに日程は厳しいし、選手の疲労を考慮して、(3試合については)全部を換えていくこともある。大久保は、日本を世界に引き上げるFWになるかもしれない(素質を持っている)。裏に飛び出す速さ、1対1に挑む勇気、何よりも彼は非常に頭が良い。今後、自己管理にしっかり注意をして、さらに伸びてもらいたい」

大久保嘉人「(代表の初めてのゴール、ナイスゴール)いや、紅白戦ですから。今は、いけると思ったら、つかっけて行こう(飛び出して)と決めているんで。(練習を視察に来た釜本邦茂常務理事と何を話していたか、と聞かれ)大きく動け、と言われました。このゴールでは自信にはならないし、満足とかそういうのもない。ニュージーランドのビデオを見ましたが、体格が大きいですね、一瞬の隙をついて、スピードで飛び出すようにしたい。(サンドニは、フランスの聖地ですし、W杯の決勝の地、やはり思い入れはあるか、と聞かれ)グランドはどこでもいいです」

宮本恒靖「今年一番大事な試合になる。時間帯によってプレスをかける場合、引いている時間と戦い方を換えていくことが重要。(DFだけの居残り練習があったが)ボールの出し方に気をつけてくれという指示があった。坪井は人に強いという長所があるので、それを活かしてあげられるようにしたい。守備の連携では、アレックスの上がった位置をどうカバーするかが一番重要なところになるので、そこは山田さんの(右サイド)絞りを頼りにしています。ニュージーランドはロングボールだけ、という印象ではありませんね」

中田英寿一問一答
──コンディションは
中田 暑さもあり、練習(内容)も上げてきているので、ちょっと疲れ気味ではあります。

──チームリーダーとして声を出し、細かな指示をしているようですが、チームの状態はいかがでしょう
中田 (チームの状態とは)今日ですか? ここまでですか。

──ここまでです
中田 初日から皆上がっているように感じているし、今日はできるだけ(練習中に自分は)声を出さないようにして、どのくらいやっていけるかなと思っていたが、声は随分出ていたし、皆が意識するようにはなっている。まあ、なってくれないとダメですが。

──監督の言う自由と責任というサッカーはできそうですか
中田 まあ、駆け足で、というわけではありませんが、少しずつ良くはなっている。みな、声を出すことにそれほど慣れていないし、これからまだ徐々に時間をかけてやっていければいい。

──ある外国人が、日本人は教えられたことはできるが、自分で考えて行動することが苦手だと言っていました。これをどう思われますか
中田 そのままですね。ジーコも言うように、それが変わらない限りは、ジーコの言っているサッカーはできないし、日本のサッカーもこれ以上、上に行くことはない。(自分が話しているのは)リーダーとしてとか言う話しではなくて、強いていえば、今までやってきたことからどういう風にすればいいかを伝えているだけです。

──パラグアイ戦からここまでは
中田 今までの日本チームは良くも悪くもまとまってしまっていた。パラグアイ戦でもバランスが非常によくても、点を取れる匂いがしなかった。そういう点を、いかに打破するかが今大会のテーマになる。自分で考え、それを行動に映すのが苦手なのが、僕たちであるわけで、今後はこれをいつやるかでしょう。

──HPでも、自分が行くべきかそれともしないほうがいいのか悩んでいると書いてましたが
中田 勝手にやることでしょう。とにかく時間はかかります。まあ、このチームはまとめるのが大変だ、というくらいのほうが(もっと主張のある選手が激突したほうがいい、という意味)チーム力が向上するのかもしれません。

──今大会の目標 
中田 個人的には、ゴールにどれくらい絡めるかが課題で、これはチームも僕個人も同じ。今回、順位がどうこうじゃない。どれだけ今の日本チームが、真剣勝負の中で「殻」を破っていけるかだと思う。

──若手へのアドバイスは
中田 周りに気を使わず、いかに遠慮をしないで自分を表現するかです。そうやっていくことが、さらにチーム力を向上させると思うので。

──ジーコサッカーとは
中田 (しばらく考えて)難しいですね、次(の機会)にしてください。


「ストライカー談義」

 モンタティエールでは最後の練習となった16日、釜本常務理事が練習を訪れ、選手を激励した。中でも、スタンドにいる記者たちから大きな笑いが起きたのは、釜本氏と大久保の2ショットだった。2人は紅白戦のハーフタイム、メインスタンドに背中を向けながら話をし始めた。
 ところが、大久保、大器の証明か、どうにも構わないのか、最初からそんな意識はないのか、釜本氏が話している間も、ウォータークーラーにドカッと大また開きで座ってひざに両肘をついたまま、半身で話しを聞いている。釜本氏のほうが、偶然だが脚を揃えて話すものだから、どう見ても大久保の方が「偉そう」に見える。釜本氏が、大きなアクションで、動き方を「伝授」しているように見えるが、軽くうなずくだけ。
 もちろん、こうした光景に、「釜本さんが来たのに礼儀が」などと誰も思っていないし、伝説のストライカーが新鋭に技を伝授なんて、時代がかったことも考えていないだろう。しかし、長嶋茂雄がもしグラウンドに来たら、松井秀喜はクーラーボックスに大また開きで座ったまま、帽子も取らず半身で話しを聞いているだろうか、と想像すると、またも、みな笑い出すのだ。

「大久保には、もっと大きな動きをした方がいい。引いてダメなら、もっと前に出て動かなくはスペースができてこない、と話しをした」
 釜本氏は練習の後、後姿の対談をそう解説した。中田とも芝に寝転びながらかなり話しこんでおり、こちらは中田の話しの聞き役に回ったそうだ。
「みんなもっと監督の意図していることを理解して、アピールをしていかないといけないし、積極的にああしたい、こうしたい、と意思を伝達していかないと、お互いの気持ちも意思も通じないと、中田と話をしていた。もちろん最初からアイコンタクトができるわけではないのだから、(そういう努力がいる)まあ普段は試合に追われているが、今回のように3、4日一緒にいれば、気持ちも伝わるようになるし、我も出てくるだろう」

 釜本氏はトルシエ監督時代、「今の選手たちは、自分たちの頃に比べると、非常に物わかりがいい。僕らのほうが、もっともっと聞き分けが悪くて、自己主張ばかりしていたよ」と、中田の言うポジティブな「我」の足りなさを指摘していただけに、初日の練習で「声が出ていない」と怒ったことなど、主将の意図は理解したようだ。
 そうして再び、大久保の2ゴールについて。「練習でできないことは、試合になればできます、というわけではないから(練習で100%できるようでなければならないという意味)。ま、2点目はオフサイドだな」
 ストライカーはストライカーに厳しい。


「あれから……」

 HPへの日ごろのご支援に厚く感謝いたします。うっとおしい梅雨を脱出し、パリの快晴の下、原稿を書いています。
 14日に日本を出て、今、パリ13区、パリ内では最大の中華街にあるアパートメントホテルに宿泊しながら代表の取材をしています。代表が宿泊、練習を行っているのは、シャルル・ド・ゴール空港からさらに北へ20キロほどの所で、ゴルフ場、ポロ会場まで隣接する高級リゾート地です。最新の情報を日本へと送らなければならないスポーツ紙、一般紙のメディアは、同じアパートメントホテルから代表の練習会場まで2時間近くかけて毎日往復しているのです。距離は大体70キロ弱ですから、東京から鹿島と思っていただければいいでしょうか。そして、練習を愛するジーコ監督のお陰で練習開始が朝10時。60人ほどのご一行様は、大型バス2台に分譲して、朝8時に、遠足のようにホテルを出発しなくてはなりません。遠足なら着けば楽しいのですが、着いてから楽しくありませんからねえ。さらに悪いことに、現地には「高級リゾート地」しかありませんから、午前と午後の間、時間をつぶすこともできないので、またバスで戻って、パリで昼食をしてタッチ&ゴー! 鹿島を一日2往復することを想像していただければ、今、日本のメディアと私が送っている生活がどれほど、素敵なものか想像していただけると思います(笑)。
 ここに7時間の時差が加わるわけですから、スポーツ新の記者、夕刊記者、夕刊を抱える一般紙記者のみなさんの「アウェーぶり」もわかると思います。記者が「1行」を書くために費やす時間と労力はほとんど馬鹿らしいの限りで、コスト削減とは正反対の時代に逆行した行為であります。記事を書くとは、まったく容易ではありません。

 2日連続でこの「荒行」を終えたせいか、今、16日午後の練習に向かうバスの中でこれを書いていますが、バスは静まりかえっています。みなさんヘロヘロで眠りこけていますんで。
 私も、いつものことながら、こうした日々の新聞と同じサイクルの取材に、雑誌や新聞連載などもあり、もうドタバタです。時差ボケがないのは、感じている時間がないからでしょうね。今に始まったことではなりませんが、つくづく「原稿より健康」だと思いますね。本末転倒ですけれど。

 今年は少し暑いそうですが、代表が到着してからここ数日は天気もよく、カップ戦期間中もお天気には恵まれそうです。
 あの時の6月も、本当にいい天気に恵まれました。
 こうして長い滞在、パリだけではなく、リヨンにも移動をするような欧州での大会は、98年W杯以来になります。選手に聞きますと、やはり親善試合でフランスと対戦しても、滞在は5日ほどでしたから、今回の2週間は特別なものだと言います。
 私はフリーランスになった翌年で、HPを立ち上げたのもW杯期間中でした。アジア予選から全試合に同行し、W杯では日本代表とともに、リヨンから1時間ほどの「エクスレバン」に1か月近く滞在したことを思い出します。5年も前のことですが、あの大会を思いだすのは、なぜか懐かしいという感じがしません。どうしてか、選手を見ていると、過去のことではなく、今生かしているからだとわかります。

「しっかり滞在するのは5年ぶりだね」
 15日午後の練習後、楢崎とこんな話しをました。
「本当ですよね。もう5年ですからねえ、ほんと早いですよ。あの頃はまだハタチそこそこでしょう。今思うとね、若かった」
「どういう意味で」
「全部」
 といってお互い吹き出しました。
 彼はあの時、先発が不動だった川口能活のサブとして、それでも「若さ」などから連想される身勝手や、自己主張には背中を向けて、黙々と練習を重ねていました。川口が試合を始めたと同時に、彼は3試合でアップを始め、結局出番はなくても、「仕事」を100%やり抜いた、と思います。5年経って、またFIFAの大会にフランスに戻った今、楢崎は不動という表現では正確ではないかもしれませんが、代表のレギュラーとして定着しています。
 あの時の自分にはしっかり答えを出す、と98年W杯後話していましたが、出した答えとともにここに戻ってきたことを、誰より自分が理解しているに違いありません。

 服部も、あの時は一度もラインをまたぐことなく終わりましたが、またここに、今度はピッチに立つ可能性を持って帰ってきました。今は捻挫のために全体練習を3日休んでいましたが、彼には焦りは全くなかったでしょう。なぜなら、こういうときこそ、あの1か月、サブだけで心と体の準備をしなくてはならなかったことが「生きる」からに違いないからです。
 名良橋は、代表としてカムバックを果たした上でまた戻ってきた一人です。
 アルゼンチン戦では、とても重い話をしてくれました。
「日本が本当の意味で初めて世界を相手にした試合がフランスのW杯で、アルゼンチンはその相手だった。昨年、自分が代表落ちで迎えたW杯前、彼らに練習試合で1−5とコテンパンにたたかれ、また目が覚めた。アルゼンチンと試合をしたり、フランスへ行けることも、自分に初心を取り戻してくれる」
 あの時、代表チームには予選の途中から加入しながら堂々と実績を積んだ中田は、すでにチームの主将になっています。

 楢崎、川口、秋田、名良橋、服部、中田英寿の6人のW杯出場選手と、大久保のように才能にあふれた若手、5年の間に海外移籍をした稲本、高原、中村のような選手、帰化した三都主、率いるのはブラジル人ジーコ、とチームの状態はまだパレットに絵の具がちりばめられた様子と似ています。現時点で、色はまだバラバラで、苦戦を強いられていることは間違いありません。
 けれども97年のオマーンでのアジア予選から、加茂監督が率いて、中田英寿が加わり、予選で本当のがけっぷちに立ち、岡田監督が交代し、散らばりかけたチームがまた再生してフランスまでたどりついた何万キロのプロセスを見ていたライターとして、私もまた、楢崎や名良橋の言う「あの時のこと」を忘れないで、大会取材をしたいと思っています。
 私にとって「あのフランス」とは、彼らの言うような初心といったレベルの高い話ではありません。誰もが、「もうだめだ」「もう代表にもW杯にもお別れを」と書いた予選、彼らだけは諦めなかったという事実、そして「机上の空論」ではない目前の現実を戦い抜いて、あの時のフランスにいたのだという原点です。選手と違って、5年前の自分と今の自分を比較しても、何の向上もないことが悲しいですが。

 さて、まさに75分をかけて、今バスが練習場に到着しました。あと1時間近く、目の前のスタンドで飲み物とアイスを買って、代表を待つことにしましょう。
 皆様の健康を、パリ、よりかなり離れたモンタティエールでお祈りして。

スポーツライター 増島みどり



読者のみなさまへ
スポーツライブラリー建設へのご協力のお願い


BEFORE LATEST NEXT