※無断転載を一切禁じます サッカー J1 1stステージ第9節
国立競技場には、同カードとしては95年以来となる5万人のファンが詰め掛けて、中村のラストゲームに目を凝らしていた。湿度は80%にも達するような悪条件の中、中村のマイクによる挨拶では涙ぐむファンの姿もある。 移籍決定までの時間が短く、まだ名前を絞り込んで交渉を詰めていたわけではなかっただけに、レッジーナの名前自体、本人にとっても驚きを伴うものだったという。レッジーナからは誠意を示すかのように直々にフロントが来日、後には引けないような状態の中で「朝までに考える」、そういう切迫した判断を中村はした。 「チームメイト、チーム関係者、サポーターの力あっての移籍だと思っている。自分一人での移籍だとは思っていない」 マイクの前で、苦手であろう挨拶をしたが、本当はセレモニーなどやりたくはないはずだ。そういえば中田英寿は気がついたら、もう現地で会見をしていた。以前、Jリーグでプレーするある外国選手に「たかが移籍だろう。移籍のたびにセレモニーなんてやっていたら、海外じゃ試合にならないね」と笑って言われたことがある。以後、Jリーグから海外に行く選手がみな、セレモニーなしに出発するそのときこそ、リーグは本当の意味で変化を遂げているかもしれないと思うようになった。 実際のところ、中田のように「決めたら」後ろは一切振り向かない、そういった頑強な意思を、セレモニーをしないことによって示す者もいれば、鈴木隆行(ゲンク)のように、自らの気持ちに踏ん切りをつけるかのように発表とほぼ同時に出発する者もいる。そして、この日の中村のように、おそらく「ファンに」意思を伝えるために、照れくさい選択をあえてする者もいるだろう。 どちらにしても、「セレモニー」は望まれているわけだ。 しかしこの日、新聞の片隅に見つけた記事に、強く心を奪われた。中村のラストげームについての記述の下、10行ほどの長さである。
ロリ監督には「石塚は心技体がそろっていない。一緒にプレーをすることは今後もありえない」と、いわば戦力外通告を受けた。ヴェルディとの契約は、Jリーグの統一契約にのっとり、来年1月31日まで続行するが、行き先を何とかJリーグでと奔走したフロントの意向に反して、結局、石塚へのオファーは1件もなかった。 自分への現実的な評価を直視したとき、見えたのは一体どんな風景だったのだろう。もう後がない、と明確な判定を下されたとき聞こえたのは、一体どんな声だったのだろう。 京都・山城で高校選手権準優勝を果たしプロ入りした当時、メディアは一風変わった風貌で、大人をなめたような受け答えをする石塚をずいぶんともてはやしたものだった。持ち上げたり、下げたり、苦しいこともあったはずだ。 「根はどうしようもなくまじめな男なのに、口下手なんです。うまく気持ちを伝えられない、そんなところがある」 チームの広報を担当する勝澤氏はそう話す。 今回は、夫人、2歳の娘を置いても、テストを受ける、と自ら決断し、友人に頼んだという。ペルージャは、中田のローマへの移籍後、ネガティブな情報が多く取りざたされているが、石塚はツテを頼って、自らテスト出場へこぎつけた。この夏28歳になる選手、何も後ろ盾を持たない選手のチャレンジが、気持ちだけではどうにもならないことは、石塚が誰よりわかっているはずだ。まして、EU外の外国選手獲得は1人までと、セリエAが新規約を決定したばかりである。 かつて、そして今も、超高校級と絶賛され、サッカー界で「天才」と形容されたことのある2人の「現在(いま)」はあまりにも対照的である。しかしそんな昔話に興味を抱くことは馬鹿げている。 石塚がたった一人でペルージャまでたどりつくには、頼りになるのは地図しかない。ミラノから乗り換えたか、ローマからバスか、どのみち「出迎え」などいるはずもないから、どれほど心細く、不安だろう。 中村は今日、出発する。 「不安は多少あるし、感傷的にならないわけではなかったけれど、でも次、次って向いていかないとダメだと思うし。うまくいかないことがあっても、結果を出して、必要と思われるようにならなくては」 記者たちへの話は短かった。 石塚は、合格しない限り、チームへの公式な連絡は一切ないだろうという。ともに、前進すること、後ろは振り向かないことを決めた点で、同じであると思いたい。追い続ける夢や、目標だけには、値段がつけられないのだと信じたい。地図のほかに2人が頼りにするものがあるとすれば、今はまだ静かに眠っている「自分」だけである。 ナカムラ、ガンバレ。イシヅカ、フンバレ。
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