ペルージャ時代が懐かしい。などと書いたら、中田は怒るだろうか。
10日、移籍後初めてローマに入り11日から取材をするためクラブに向かったが、未だに中田の「姿」が確認できないという思わぬ壁が立ちはだかっている。
ローマでは練習は午前10時半から、2部練習の際は午後3時30分からとなる。10時半にクラブに到着しても開門されておらず、ローマの地元記者も日本人記者もすべて緑色の高い自動扉が重い音をたてて開門されるまで、新聞を読んだり、コーヒーをすすったりしながら待っていなくてはならない。
いざ門が開くと、今度はこんじまりとしたクラブハウス内に入れてもらえるが、ここから練習グラウンドを遠くに見下ろすことのできるテラスまで、クラブのスタッフに引率されながらみなぞろぞろと歩かねばならない。
そしていざテラスに立って、「あれえ、きょうも中田いない、大丈夫なのかな」と心配する間もなく15分ほどで、「グラッチェ!!」とかなり迫力のある声がかかる。さあ、クラブハウス内に戻ってくださいという、少しも「グラッチェ」ではない合図なのだが、それでまたズラリと並んでクラブハウスに戻らされる。
結局すべての練習は非公開に等しく、午後には、選手がグラウンドに入る前に記者全員がクラブの敷地内から出る。この日の午後の練習でも、中田が参加した、と広報には説明を受けたが、見ていないので確認はできない。
中田が自らの力でステップアップをはかり、ここまでたどり着いたのだからこれはステータスの一部なのだ。
強豪クラブでは、イタリアに限らずどこでも当然の取材システムである。
クラブハウスの前には、報道陣から中が見えないように白い壁と植え込みが作られている。中田が一体どういうクラブにいるのか、それを知らされるような壁の高さでもある。
平塚の大神の河川敷で、あるいはペルージャの金網越しに、「元気?」などと声をかけ、彼の楽しそうな顔を見ながら取材ができた頃が、少しだけ懐かしい。
懐かしいなどと書いたら、中田は笑うだろうか。