idle talk34i

三井の、なんのたしにもならないお話 その三十四

(2013.05オリジナル作成/2022.03追加/2024.03サーバー移行)



 
 
私のカメラ遍歴(その九) 番外びっくり話   OM-1、半世紀後に復活す!!


 
 今日、店をぷらぷら歩いていて、なんとOM-1を見つけてしまいました。

 
 私が初めて自分の銭で買ったカメラ、それがなんと半世紀近くたって復活です。
 
 て言っても、もちろん「一眼レフ」ではなく、「レンズ交換式デジカメ」でありまして、さすがに老舗カメラ屋さんの伝統を継ぐ立場となれば、「みらあれす」イチガンなどという意味不明の表現は避けております。カタログには、「マイクロフォーサーズ規格準拠レンズ交換式カメラ」と印されております。ま、形容として間違いではありませんな。


 

 もちろん、どうして「OM-1」なんだ、という疑問にはほとんど答えておりませんで、ただ間違いないのは、これが社名から来ているという点!!そうなんです、オリンパスはカメラ部門を切り離し、医療機器、産業用機器等のメーカーとして生き残りを図っております。切られたカメラ製造部門は別会社化され、日本産業パートナーズ出資の新会社に移管されました。その社名がなんと、「OMデジタルソリューションズ」なのです。つまり、一世を風靡したカメラの名称であるオーエムは、このようにして生き残ったのでした。「OLYMPUS」のブランドもそのまま移管されたのでしょう。
 ま、ソニーに吸収されそうという噂もそうはなりませんでした。天下のソニーだって、斜陽のデジカメビジネスなんか、今更拡大する意図あるはずもないでしょう。「ソニー」ブランドのデジカメは、今もそれなりに売れてもいるようですから。
 
 その第一号新製品なんだから「オーエムワン」、まわかりやすいネーミングですが、しっかし店先の売り方は明らかに、オールドファンの心根に訴えかけようという魂胆見え見えでした。オリンパス時代にも、みらあれすでじかめを「ペン」の名で大いに売ったのも事実なのですから。

 そして、OM社のプロモーションサイトも、完全に「半世紀前のパイオニアの蘇り」を押し出しております



 このように、まさにレガシー、過去の遺産で食おうという姿勢、あまりに後ろ向きなどとはあえて申しますまい。スマホに骨の髄まで浸かった今日日の若者が、今さらカメラなんか手に取るわけがないんですからね。ですから、私も半世紀前の記憶に戻り、温かい目で新生「オーエムワン」の門出を見守りたいと思います。

 え?買ってないんだから、「私の」カメラ遍歴じゃないだろって?それはそうですな。そして、今さらこれを買う気も可能性も100%ないですな。それより、いま手元にあるのを、どうしようかというところ。




OM-1といえば

 OM-1にちなんで、若干のうんちく話をたどると、有名なところでは、これもともとは「M-1」という名前で世に出たという出来事。ところが、これに世界のライカから文句が出ました。ライカは「M」シリーズで売っている、いちばん有名なのでは1954年発売のLeicaM3、これらと混同されるではないかと。まあ、M一文字だけでそんなクレームを言うとは、いま考えれば誠に大人げない気もしますが、オリンパスはおとなしく引き下がり、機種名にオリンパスのOをつけて、「OM-1」に変更をした次第です(ですから、M-1と記された初期機体には、天文学的なプレミアがつくそうな)。ライカの権威恐るべし、でした。ただ、後々はむしろ、このネーミングが成功した観もありますが。


 かくして世に出たオリンパスOMシリーズは爆発的にヒットしました。なにより、この小型軽量なボディに、一眼レフのフル機能を入れたということだけで、革命的だったわけです。当時、一眼レフカメラというのはきわめて先進的、技術の塊だったけれど、あれこれ盛り込み、ひたすら大きく、重くなる一方でもあったのです。もっとも、いちばん注目されたのは、OM-1のあとの、絞り優先自動露出のOM-2だったと言えるわけですが。

 この革命を成し遂げた、オリンパスの技術者米谷美久氏の物語は、まさに末代まで語り継がれる技術者魂の象徴となっております。私も若干引用させていただきました。もちろん、米谷氏の回顧講演記録はいつ読んでも面白いですね。





つぎへ