キングストン便り
キングストンはロンドン南西にあり、ウォータールー駅から電車で25分ほど、日本の感覚で言えば東京近郊の町です。元来サリー州(Surrey)に属しているのですが、大ロンドン都(GLC)設置の際に編入され、キングストンアポンテムズ区(Royal Borough of Kingston upon Thames)となっています。ミセスサッチャーが「労働党つぶし」の一環としてGLCを廃止してしまったのち、この辺の立場は宙ぶらりんのようにも思えますが、現労働党政権はGLCの事実上の復活をめざしているので、またキングストンの存在もはっきりするのでしょう。
ちなみに、私の住んでいるテディントン(Teddington)はリッチモンドアポンテムズ区(Borough of Richmond upon Thames)に属しています。ここは郵便管区ではミドルセックス(Middlesex)に属するのですが、現在この州は実在していません。州(County)というのは微妙な存在で、実在している(議会と行政府がある)ところと、もうないところがあるようです。安元先生のいるエセックス(Essex)は、私も以前調査でよく行きましたが、この州はれっきとして実在しています。ミドルセックス州はGLCにすべて編入されてしまったので、行政単位としてはもう実在しないわけです。同じように、キングストンも郵便では依然サリー州と書かれています。
ややこしい件であるだけに、日本から行った人の多くは今もってこの辺の事情をよく知らないようです。
それはさておき、キングストンは名前にRoyal と冠するくらいで、長い歴史を誇りとしています。古い市場町であったようで、その存在を王権から勅許されたわけです。今も中世的な市の立つ広場がありますが、そのまわりには「大型店」が立ち並び、一大商業中心地になっています。John Lewis(ロンドン)、Bentalls(地元)といったデパート、またおなじみのMarks & Spencer、J.Sainsbury、C&A などの店もあり、Bentalls は大規模なショッピングモールを作っていて、多くの店が入居しています。
一方また、キングストンには大規模な工場も多くありました。一番有名なのは、ホーカー航空機の大工場で、その後BAeの工場となったのですが、今度来てみたら、工場は閉鎖されて影も形もありません。工場は減る一方のようで、それに代わって住宅がどんどん建っています。航空機工場跡も集合住宅になっています。ロンドンまでの通勤には手頃な距離ですから、近郊ベッドタウン化するのは当然でもあります。
私はテディントンの近くのバス停からバスに乗り、10分ほどでキングストンのセンターに着きます。そこでバスを乗り換え、やはり10分ほどで大学のあるキングストンヒルに着きます。ですから、歩く時間を入れても30分くらいで行かれる計算ですが、そこはバスのこと、たっぷりと待たされて結局1時間くらいかかる場合もあります。
キングストン大学は、メインキャンパスは町中のペンリンロード(ペンギンロードじゃない)というところなのですが、ごたぶんに漏れずあちこちに分かれていて、「タコ足化」しています。学生の便宜のため、各キャンパス間を大学の名が書かれたスクールバスが回っているので、これに乗れればただで行けるはずなのですが、残念ながらまだその幸運に浴していません。かなり頻繁に走っていて、タウンセンターも回っているのですが。
この大学は元来はポリテクニックでした。その辺も日本ではよく理解されず、「専門学校のようなもの」などとも誤解されていました。「高等技芸学校」なんて、わけの分からない訳もありました。しかし、ポリテクニックというのは日本の基準で言えば、もともと明らかに「大学」だったのです。「学制改革」になぞらえれば、旧制大学がそのまま「University」として居座った一方で、「新制大学」が多数作られたものの、University の名を用いることを長く許されなかったというところです。ポリテクニックはそれぞれ学位を出すことを認められ、また博士課程に至る各コースをどんどん設置してきたので、明らかに「大学」です。ただ、どちらかといえば、旧態依然、「アカデミズムの城」であり、哲学や宗教や歴史に重きを置いてきたUniversity に比べ、工学や実学を重点にしてきたという経緯は認められそうです。
以前から私は、この英国の「ノミナリズム」(名目尊重主義)を奇妙に思ってきました。University の名がないばかりに、多くの国からの留学生(とりわけ日本)は、ポリテクニックを避ける傾向が認められたからです。日本の大学で、ポリテクニックと「交換協定」を結んだところはまずなかったでしょう。そんなにUniveristy の名にこだわるのは滑稽にさえ見えていたのですが、それも英国で、既存の「大学」以外がUniveirsity を名乗るのを長く認めずに来たせいです。最近の日本のように、「大学」の粗製濫造(失礼)が続くのとは天と地ほどの違いです。
英国もようやくこれに気づいたのか、英国の貴重な「純国産」輸出産業の奨励には「ノミナリズム」にこだわるべきでないとなったのか、90年代になって、ポリテクニックもUniversityを名乗ることが認められるようになりました。日本の「相互銀行」のごとく、すべて「○○ユニバーシティ」に華麗な変身を遂げました。おかげで、よくわかんない名前も増えましたが。たとえば、「セントラルロンドンポリテクニック」は、「ウェストミンスター大学」(!)を名乗りました。「ウェストロンドンポリテクニック」は「テームズバリー大学」を称し、「シティポリテクニック」は「ロンドンギルドホール大学」という、もっとわからない名前になりました。「オックスフォードブルクス大学」(旧オックスフォードポリテクニック)なんていうニアミス気味のもあります。日本でも耳にしそうです。「キングストンポリテクニック」がそのまま「キングストン大学」になったなんていうのは、可愛いうちです。
さて、そのキングストン大学のうち、このキングストンヒルキャンパスには、Business SchoolやLaw School(法学科)、School of Education(教育学科) を含むFaculty of Business(経営学部)、Faculty of Design(デザイン学部)の一部であるSchool of Music音楽学科、Faculty of Healthcare Sciences(保健学部)の一部のSchool of Nursery保育学科といったところが存在します。私もまだ全体をよく知らないのですが、「大学」を名乗る前から、当然ながら多くの分野を擁する総合大学でした。Faculty of Human Science(人文学部)に属する経済学関係は、理工学関係とともにメインキャンパスのようです。なお、サリー州には「サリー大学」もありますが、こちらはギルフォード(Guildford)がメインキャンパスです。ただ、現在その一部となっており、教員養成課程などを持っているセントメリーカレッジは、我が家のすぐそば、ストロベリーヒル(苺が丘?)にあります。
キングストンヒルはその名の通り、町中をはずれた丘で、広大なリッチモンドパークに隣接し、大きな豪邸などもある、いわゆる「閑静な住宅地」です。大学のキャンパスももとは大きな屋敷の跡であったそうです。丘の中腹にあって、眼下に広がるのは緑ばかり、誠に「環境絶佳」ですが、ちょっと不便でもあります。ですから、やたらに大きな駐車ビルや駐車場を持っています。それから、前記のようにスクールバスです。
ポリテクニックは「新制大学」であるだけに、もともとあまりお金持ちではありません。日本人はやたらにオックスブリッジやロンドン大学に行きたがるので(私も前回はそれらに草鞋を脱いだのだが)、それでもって、英国の大学はなんて豊かなんだと感心をしてしまいがちです。確かに、長い歴史を誇るオックスブリッジなんて言うのは、大学自体がものすごい地主であり、物持ちなのです。ケンブリッジ大学はその土地を「有効活用」して、「ケンブリッジサイエンスパーク」なんていうのを作ってしまったわけです。でも、そういうところは「旧制大学」のうちでもごく一部で、多くは近年財政難経営難に苦しんできました。「倒産」した大学さえありました。ポリテクニックはまだ資金集めがうまいなどとも言われましたが、そんなに楽じゃありません。
キングストン大学も財政的にはなかなか大変と見えます。このキングストンヒルキャンパスには、約2000人(だか4000人だったか)の学生が在籍しているといいますから、日本の大学に比べてゆとりがあるとはもはや言えません。広いキャンパスでも、建物は丘の斜面にかけてひしめき合っていて、あまり整然とした印象ではありません。相当にボロい建物も少なくなく、戦時中のカマボコ兵舎のようなものを、いまだ学生のパブとして使っています。
ただ、その中でも近年建てられている新築の建物は、もっぱら教室棟や学生寮、図書館(ここではlearning resources centre学習資料センターと言っている)で、その分教員などのスタッフは、古い建物に居場所を構えて我慢をしている印象です。私が在籍しているSBRCも、本館であるケンリー・ハウスという、以前からあった屋敷の建物を改築した部分とおぼしきところの一隅にひっそりと存在しています。日本の今の大学の水準から見ても、かなり寂しい感じですが、結局それだけ、金を払う学生のための施設を優先するという姿勢にも見えます。
学生寮を重視するのは、英国の大学の伝統です。本来、自宅から通学するという発想はありません。ただ、このキングストンヒルのなかで学生寮が重視されているといっても、そこに入れるのは全体の1〜2割くらいのようです。あとの学生の多くは、市内外に下宿先を得ているわけで、ですから「住居斡旋」(accommodation service)はきわめて重要な機能になっています。
学生食堂は一カ所しかありませんが、まあ学生数に比べて順当なところでしょう。そのほかに、いつもあいている「カフェ」と称する軽食堂があり、また前記のように学生用パブがあります。この辺はどこの大学でも似たようなものです。教職員スタッフ用の食堂は学生食堂のうえにあり、あまり大したものではありません。ただ、くつろげる場所です。
このキャンパスの最大の欠点は、ものを買う場所が乏しいことです。食料品(特にカップ麺)・菓子・飲み物や文具・日用品などを売っている学生組合(student guild)の売店が寮の下にあり、またカフェの一角でも似たようなものを少々売っていますが、どちらも大したものではなく、特に書籍・雑誌などを売っているところがありません。本部キャンパスにはあるらしいのですが。住宅地の中でなにもないところなので、これは少々困ります(話しによると、ちょっと歩いていったところにAsda のスーパーがあって(実際には「ちょっと」じゃなかった。歩いて行ったら25分くらいかかる)、寮生はそこに買い物に行くとか)。学生売店では、一部80p. のFinancial Times を20p.で買えるというサービスがあるのですが、肝心の新聞が今日も来ていませんでした。
結局、キングストン市の中心の店を利用しないと、不便を来します。幸い、Bentall Centre の中にあるDillons の書店は非常に規模が大きく、大部分の書物が揃います。また、W.H.Smith で、文具・事務用品も事足り、もちろん雑誌も何でもあります。本部キャンパス近くのDillons 店は「ユニバーシティブックショップ」を称しています。まあ、町全体を活用しようと考えれば、それも可かもしれません。ロンドンのど真ん中に位置しながら、大きな書店(以前はEconomist Bookshopだったけれど、いまはやはりDillons、もっともEconomist Bookshopはシティの中にまだある)が建物の中にあったLSEなどとはそこが違います。
キングストン大学ビジネススクール中小企業研究センター(Small Business Research Centre, Kingston University Business School)は、約10年ほど前に、英国の中小企業ブームに乗って、知人であるジェームス・カラン教授(Professor James Curran)が設立したものです。英国社会科学研究委員会(ESRC)の基金を得、またミッドランド銀行などの支援のもとに作られたもので、研究を大学の重要な仕事の一つとし、しかもその財源は外部の基金や寄付、委託研究などに依存するという伝統を反映しています。学生から取った授業料で研究費も、という発想は元来ありません。また、近年は多くの大学が、教育と研究の分離をいっそうすすめる結果となっており、教育機関としてのFaculty やSchool、研究機関としてのResearch CentreやResearch Unit、あるいはLaboratory といった役割分担ははっきりしてきている印象です(ちなみに、古いカレッジに依拠してきたオックスブリッジなどの大学では、そのカレッジは「学寮+人格教育指導」の場、といったかたちになり、専門教育はFaculty、さらにResearch Centre などの研究機関といった、三階建て構造になりつつあります。それにもかかわらず、今もって「カレッジ」を英国の大学の特色などと思いこんでいる方々が日本に少なくないのは、こまったものです)。日本の大学も否応なくそれに近づきつつある印象ですが、その前提として、「世の中」から評価され、ゼニが寄せられる「研究」ができるのかどうか、そこがまず問題でしょう。ちなみに、キングストン大学でも、Kingston University Enterprise Ltd. といった、「産学協同」のための窓口「企業体」が置かれています。
英国では、この10年あまりの中小企業(研究)ブームで、中小企業研究機関を設ける大学がいくつも現れました。一番ふるいのはダラム大学中小企業センター(Small Business Centre, Durham University Business School)で、資金の乏しいころに、企業家養成教育やコンサルティングなどさまざま手がけてきた実績があります。一方最近では、やはりESRCの資金を得て作られた、ウォーリック大学中小企業研究センター(Centre for Small and Medium Sized Enterprises Warwick Business School)、ケンブリッジ大学中小企業研究センターがあります。前者は、この分野で著名なストレィ教授(Professor D.J.Storey)を招いて作られたもので、現在EUの第23総局が支援する欧州中小企業研究ネットワーク(ENSR)の英国参加機関になっています。後者はケンブリッジ大学の応用経済学部(Department of Applied Economics)を主体に置かれたもので、どちらかといえば統計分析などの方法中心で、「実態調査」重視ではないものの、なにせケンブリッジの知名度と、洗練された研究のまとめ方のスタイルで、日本では「図ぬけて」知られています。ただし、「金の切れ目」とともに、現在では大学全体のなかのESRC Centre for Business Research に統合された模様です。
私としては、ケンブリッジのDAEには以前滞在したこともあり、あそこのマーシャル・ライブラリーなど魅力的な場もあるのですが、「ケンブリッジに籠もって」書物と資料に埋まるというのも嬉しくなく、また町自体が「退屈な場」でもありますゆえ、敬遠しました。以来いろいろ不義理をしてきた後ろめたさもあります。また、ダラムはあまりに遠いし、知人もいないので、論外(もっとも今年の英国中小企業・政策研究学会はここで開かれるので、行くつもり)。ウォーリックには昨年末に寄りましたが、設備などは立派でも、あんまり「歓迎」の様子でもなかったし、ストレィ教授は気むずかしいことで知られてますし、何よりえらく不便な場所にある大学で、これも敬遠。
さて、キングストン大学の中小企業センターは、96年にカラン教授が退職し、所長をロバート・ブラックバーン氏(Dr. Robert Blackburn)に譲りました。ロバートは、長くカラン教授の右腕をつとめてきた英才ですが、何せまだ40そこそこの若さ(彼はストロベリーヒルに住んでいて、毎日自転車で通ってきています)で、それでこのセンターを切り盛りしていくのは容易ならざるところです。今、6人の専任研究員を置き、そのほかに「リサーチスチューデント」(日本流に言えば、オーバードクターレベルで、博士論文をまとめるかたわら、実務的な研究作業にも従事している)が数人かかわっていますが、それぞれ「食っていける」だけの研究委託や寄付金集めだけでも大変なことは、十分想像が可能です。まして、研究員たちもあまり歳も違わず、まあ当然一筋縄ではいかない連中たちばかり、そのうえもちろんビジネススクールでの講義や学生指導もあるのですから、ベテランだって参るような負担でしょう(もっとも、スタッフの一人が「授業をやる時間が多くて大変」とこぼしていたので、ロバートから「日本の大学じゃどのくらいなんだ?」と早速に聞かれました。「1週13時間以上」と答えたら、「13時間!それなのに××は『週10時間もある』なんて文句を言っているんだ」と一笑に付していましたが)。今、彼はProfessor にもなりましたが、それまでは若手のReaderの身で、学内の運営会議にも出ていたわけです。
いまでこそ、英国の大学でもProfessor は珍しくなくなりました。わたくしの知人はいまやみんなProfessor です。でも、ちょっと前まで、Professor というのは実に名誉ある肩書き、Universityの名同様に貴重なものだったのです。研究上・教育上の確固たる業績と、相当の行政手腕プラス「金集めのツテ・能力」が要求され、日本の位で言えば「学部長」クラスでした。一般には「年功序列」で、lecturer、senior lecturer、reader と行くもの、それが日本での「講師・助教授・教授」にあたると見て差し支えなかったのです。今は、日本並みとまではいきませんが、professor もアメリカ並みくらいにインフレになりました。
それでも、英国の大学の中で、研究センターを維持していくのはかなりの難問です。これまでは、カラン教授の人柄と手腕で維持できてきた観がありますが、それを若いロバートが引き継いだのは、相当のプレッシャーでしょう。ですから、彼のいつもの気の遣いようなど相当のもの、みんなに声をかけたり、ジョークを言ったり、あちこち電話をかけまくったり、さながらニッポンの企業社会での課長並みです(教授昇進前は、もじゃもじゃのアフロ調の髪型だったのに、今じゃあ短く刈って、サラリーマン的な雰囲気になりました。彼はただでさえ「若づくり」で、学生風にしか見えなかったのです)。でも、ジム・カランが現れると、すでに退職した「名誉教授」の身でも、雰囲気が一変するのがよくわかります。ここの研究員や事務職員はいわば彼が育ててきた人間たちなのですから。そして、やっぱりロバートは頭が上がらない印象です。
ロバートの努力にもかかわらず、このセンターの先行きが明るいわけじゃないので、センターの研究スタッフのうちでも「脱出」の機会を待っているのがみんなです。私の隣にいるスチュワートは、入れ替わりに、この4月いっぱいで退職し、世論調査で知られるNOPに入る予定、どう見ても、ほかの連中はそれを少々うらやましく眺めている様子です。
私は、そうした彼らの懸命の働きぶりを横目でにらみながら、あれこれタテヨコに情報収集につとめ、これから「足で稼ぐ」調査研究をどう進めるか、考えていこうと思っています。もちろん、キングストンはその足がかり、英国内はもちろん、欧州にわたって「駆け回ら」なくちゃあ、来た甲斐がありません。
それはともあれ、12年のタイムギャップはほとんどないものの、今度こそ、「日常困らない」とか、「一応アカデミックな話しができる」といったレベルを超えて、これからにも備え、英国のnative speakerたちのふだんの話しにそのまま入っていけるくらいの「会話力」を持ちたいと願っているのですが、やはり容易じゃありません。ただでさえ、早いし、発音不明瞭だし、独自の表現や俗語・流行語が乱発されるし、おまけにさまざまなローカルアクセント(方言)が飛び交っています。外国人向けに、ゆっくりと、分かりやすい表現で、明瞭に話してくれるといった「期待」をいつまでも持っていてはダメです。しかも、話題はいくらでも飛びます。
当方の耳が悪いのか、もう歳なのか、とあきらめたくもなりますが、めげていてはこれ以上の向上は望めないでしょう。まったくもって、容易ならざるところです。
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