三井のロンドン絵日記(19)

番外編 今年はなんの年?

−2001年を待ってなんかいられない





 今年は「ウサギ年」だろうというのは、年賀状がいっぱい届く日本のお話でして、もちろん「十二支」を知らない英国ではとんとお目にかかりません(最近は、「オリエンタルブーム」で、建築会社なんかみんな「風水」で仕事をしているらしいのですが)。



 英国にあって間違いないのは、今年は「millenniumへのカウントダウンの年」だということです。新年の新聞記事やTV番組はもうこればっかしという感じです。

 もちろん、新年恒例の、半年先の「サマーホリディ」予約募集への、旅行社の一斉広告・CM、それに加えて、12年前にはほとんど記憶になかったのですが、「今年こそ、禁煙できる」、「あなたもできる大ダイエット!」といったたぐいの広告の多いこと。やはり、「一年の計は元旦にあり」なんでしょう。それにあわせて、TV番組なんかでも、やたらダイエット関係が目立ちます。でも、「三日坊主」に終わる可能性も大きそうですが。


 さて、困ったことに、この「millennium」というのは、日本語にはないんですね。いろいろさがして、「千年紀」などという記述も発見しました。でも、誰もそんなの聞いたことないでしょう?


 どこでどう間違ったのか、日本では「西暦」が定着させられてしまった際に、これと一緒に「世紀」という概念が入り、なぜかmillenniumは落っことしてきちゃったようです。もちろん、「西暦」というのは、キリスト生誕を基準にした、まさしくきわめて西欧的(東欧・スラブも入りますが)な観念です。もっとも現在では、実際の「キリスト生誕」は「BC7年からAD4年の間」という、かなり曖昧なものとされ、AD1年のこととするわけにもいかないようなのですが。

 世界をキリスト教イデオロギーで支配しようとする西欧社会の陰謀などという、危ない話はここではやめておきます。ともかく、いまでは多くの国が「西暦」を採用し、それで各国同じ暦を使えるので、グローバリゼーションの時代に何とか不便なくやっていられるとも言えることは否定できません。


 しかし、びっくりすることに、「世紀」(century)という言葉を、英国に来て以来ほとんど耳にしません。もちろん、いまが「20世紀」であることはなんの違いもないでしょうが、これは縁遠い概念なのです。

 そして、いまじゃあ「耳タコ」状態なのが、うえの「millennium」です。考えてみますと、確かにキリスト教では「千年王国」の思想はじめ、「1000」の単位での区切りこそが重要なのでして、「100」はそれほど問題じゃありません。それに、なんと言ったって、ホントに「この千年」が終わるんです。そして「次の千年」が来るんです。これは、十数代の世代のうちでも、一人にしか許されない、貴重な機会じゃないですか、ということになりましょうが。


 ですから、日本では常識化していた、「世紀末現象」だの、「来るべき21世紀は」といったことは全然話題にならないのです。それどころか、「環境汚染」「地球温暖化」「核戦争の危機」「エイズ感染の拡大」等々、日本ではみんな「世紀末」などといった冠詞のもとに括られていたことが、英国では「millenniumの終わり」に伴う事態として語られているのです。まったく、ところ変われば品変わるです。

 そのため英国では、今年でこの千年が終わり、西暦2000年から新しい、次のmillenniumが始まる、ということで、もうそれに備え、カウントダウンが始まっています。今年はそればっかし、となること必定です。


 2000年の幕開けに向けて、ロンドンはグリニッチ近くに、millennium dome をはじめとする、巨大な記念施設がいま建設中です。ロンドンだけじゃなくて、あちこちでいろいろやっています。へたな万博なみのカネと労力をかけ、一大記念事業が一斉に行われるというのです。そのためのTVコマーシャルも、新年から流されはじめました。「千年を一日に置き換えてみたら」、というものです。

 まあ、このmillennium dome には残念ながらいろいろケチもついていまして、まず建設工事が間に合うかどうかが危ない、ドームはできても、足の便となるべき、地下鉄ジュビリーラインの延長工事が、ホントならもう完成しているはずなのに、いまだ工事中、かなり危ない、等々です。そもそもこんな大施設や記念イベントの資金がどこから出るのか、それも怪しい状態です。昨年末、辞任に追い込まれたピーター・マンデルソン貿易産業相は、このmillennium dome 事業の強力な推進者であったため、これも痛いと言われています。それに、ドームの中に作られる展示などについては、一方ではこのきわめてキリスト教的な観念が前提でありながら、「多元文化」の共存を国是とするにいたった現在の英国では、イスラム教やヒンズー教もみんな一緒という話になり、なんかややこしくなってきています。英国国教会もこの辺、痛し痒しの表情のようです。


 どうなるのかはそれこそみものですが、ともかくカウントダウンはもう始まっているのです。「millennium calender」というのが売っているのも、昨年末には目にしました。

 ですから、日本のように、「21世紀はいつからなのか」というような問題は誰も考えておりません。みなさん、2000年はまだ「21世紀」じゃないんですよ。多くの方々が誤解しているようですが(実は20世紀が始まる際にも、新聞などが間違って、1900年に「20世紀の幕開け」と書くというフライングをやっちゃった)、2001年こそが21世紀のスタートなんです(だから、A Space Odyssey なんです。もっとも、2001年になっても、月面基地も木星探査船もできそうにはないけれど)。

 ですから、マスコミやさんも旅行やさんも、今年はなし、来年末にはいよいよ「21世紀もの企画」だ、と考えておられるでしょう。でも、困ったことに、このように英国では、もう今年が一大イベントの年、今年末には2000年へのカウントダウンでわき返るのです。その一方、来年末が21世紀へのカウントダウンだろうが、なんていう話は、まったく聞かれません。そして、どう見たって、「2000年」というところで区切りをつけ、大騒ぎをやる、4桁カウンタの一番うえのとこまでがくるっと変わるというのは、やはりみものです。2000が2001にひとつ繰り上がるなんていうのはいかにも冴えません。

 もちろん、例の「2000年問題」も、millenniumあってこそです。これは当地では、「millennium bag」、じゃなかった、もとい、「millennium bug」と呼んでいます。新しい千年が来る、めでたいめでたいという話と、コンピュータが一斉にいかれて大混乱、へたをすれば銀行がみんなつぶれるかも知れない、核戦争になるかも知れないという空恐ろしい話とが、一緒にやってきてこそ、騒ぐ意味も大きいというものじゃないでしょうか。


 もっとも、厳密に考えてみれば、来年の2000年はまだ20世紀なのと同様、これはまだいまの1000年間に属するはず、次のmillenniumは2001年からじゃないのか、という疑問も出てきます。指折り数えてみれば、AD0年という年が(仮定のうえでも)ない以上、そうでないと、はじめのmillenniumは999年しかないことになり、計算が合いません。実際、そう主張しているひとも英国人のうちにはいるようです。でも、そういうむずかしいことはなし、ともかくカウンタが1999から2000に変わる、これがだいじだ、千年に一度の出来事だ、ということで、しゃにむになだれ込むようです。


 これはおそらく英国以外の、欧米社会はみんな同じでしょう(キリスト教文化を背景にする限り)。ですから、ぐずぐずしていると、日本の「21世紀ビジネス」はみんな取り残され、さあというときには気の抜けたサイダー(シャンパン?)状態になっている可能性大です。もう、「次のmillenniumを世界中で一番早く迎える」ための、ニュージーランド東方の島へのツアーの募集が始まっています。1999年12月31日23時59分59秒の正確なカウントダウンのための手引きが説かれています(このおかげで、私が現在住むテディントンは、英国中の話題の中心になりそうです。なぜかと言いますと、ドームもできるグリニッジにはもう「世界標準時」を発信する施設はありません。現在はこれは、テディントンにあるNational Physical Laboratory 国立物理研究所の英国標準時計にゆだねられているからです −我が家の家主氏は、このとなりにあるNational Chemistry 国立化学研究所に勤めているのですが、こっちはあんまり有名じゃないようです)


 そんなわけで、さあ今年はなんの年になるんだろと、今春には日本へ帰国予定の私には楽しみです。欧米に置いてきぼりをくっちゃえらいことだと、もうみんな、「2000年ビジネス」へ走り出していたりして。でも、その場合もやっぱり、millennium をどう訳すのか、困ったもんでしょうが。





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