1997年冬・欧州から

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それぞれの写真をクリックすると、大きい画像が見られます。


12月2日 世界中からアクセス・送信


 文明の利器のおかげで、世界中どこからでも送受信できるのです。ただし、国外のアクセスポイントをもたない私としては、国際電話代のつけが大いに気にはなりますが。

  オランダ国鉄の総2階建中距離列車



 オランダは、あまり寒くはなかった。ZoetermeerというところのEIM中小企業・経営研究所へ、昨日行ってきました。Den Haagの近くです。今年の『欧州中小企業白書』(出たばかり)をもらったけれど、どうするか?先方は日本との研究交流に大いに意欲的で、国際部長から相当つっこまれました。でも、日本の状況が「国際交流」にほど遠いのですから、何とこたえてよいやら。





  ゼーターミーアのEIM中小企業・経営研究所
    

EIM国際部のジャクリーン・スニーダース氏と 




 もちろん、「怪しげなところ」(Amsterdam名物)なんか行きませんでしたよ。そんな時間もなく、観光は一切なし(以前来たときには、Anne Frankの家へ行った。水上観光船にも乗った)。
楽しみは、食べるだけ、飲むだけ。



 今日は、ロンドンです。上から見たら、雪が降っているので仰天したけれど、田舎だけだったようです。

    ロンドンの夕刻                                   リージェント・ストリート


 でも、やっぱり寒い。クリスマス前ですから、買い物客でごった返しています。イギリスのあまりの物価高(円安・ポンド高のせい)にめげて、空港からは地下鉄に乗ったら、平日日中なのに混んでいること(昔からそうだけれど)。かの、Harrods 前で、買い物帰りがまたどっと乗り込んできました。

 今、やっとついたホテルで、くたびれて書いています。


 来るときの12時間のフライト中(これも満席だった)、4年生諸君の「卒論」を読んでいました。でも、ここまで来ちゃうと日本が遠くになって、今さら「学事」なんか忘れちゃうんですよねえ。 また、帰りのフライトで残りを読みましょう。


  おもちゃのデパートハムレイ前                                   映画館ヒポドロームのサンタ











12月3日 ロンドン円安・ポンド高事情


 物価高のロンドンですから、不景気の日本からの駐在員は30%も減ったとか(Financial Times Nov. 30, 1997)。代わりに増えているのは、「御遊学」の若者たち、それはたしかに実感できます。

 2日夕、観劇前にお定まりで、チャイナタウンで夕飯を食べていたら、何と人品よろしきニッポン企業のご一行様が大挙、予約していた宴会に集まってきました。みんなバーバリーやアクアスキュータムのコートに身を固め、お行儀よくネクタイを締め、そろって間の抜けたような童顔で、いかにも金融筋風です。今頃のことですから、「忘年会」兼、帰国組送別会かなんかでしょう。

 でも、この店、日本語メニューがあるのが特徴くらいで、全然「高級」じゃありません。およそ「社用」にふさわしくないところ(実際、noodle soup はまずかった)、これまでこの手の店で、日本企業ご一行様を見たことはありません。「社用」のみで食っていたJapanese Restaurantsじゃないんです。中華街の大衆店なんて、貧しきニッポンの大学教師たちが憂さ晴らしと情報交換に集まっていたくらいのものです。

 ああ、日本企業もここまで苦しくなったんだな、と痛感をしました。「社用」から「斜陽」へ、転落は早いものです。


オックスフォードストリートにもスーパーTESCO 

 ちなみに中華街の食料品店で見ても、高いこと、かつて海外生活のシンボルだったカリフォルニア産米「ニシキ」10kgが£20、つまり4000円以上で、これじゃあ割高という国内米市場と変わりません。英国生活楽じゃないはずです。

  ジム・カラン教授と      
 その夜のPalace Theatre、最前列の席を占めていたのは、ニッポンの女の子グループで、当地御遊学組か、観光旅行かはわかりませんが、相変わらず気前のいいこと。でも彼女らだけじゃなく、かなり高いな(£20〜30)、と思う各席が満席状態、そこに日本企業組の姿はなく、英国人やその他のみ、私の前に陣取ったグループは、一見インテリや学生風なのに、「見にきた」というより、茶化しに来たような雰囲気で、きわめて不愉快でした。ふだんの生活のうちのジョークの延長のつもりで、ふざけあったり、しゃべったりし続けるのです。そんなために高い入場料払うかよ、と言いたくなりましたが、これも劇場のロングラン維持策の一環で、団体様・パーティ用の販売があるようなのですから、そんなに金は払っておらず、見物はどうでもよかったのかも知れません。

 有名なロンドンアンダーグラウンドのワンデイトラベルカードが、Zone 1-2のみので£3.2、つまり円にすれば700円近いのですから、都内よりはるかに高い実感です。




12月4日 英国の鉄道は今


 今日、Coventryへ行ったけれど、いきなり「電気動力線停止」で、列車はEuston 駅から動かず、えらい目にあいました。動いている線を乗り継いだりして、結局3時間近くを無駄にした。

 ヴァージントレイン(ドアはいまだ手動式)                         ワトフォードまで行って待ちぼうけの乗客たち



 Wembley(サッカーやロックコンサートで有名なスタジアムあり)付近で、進行中の列車の機関車が出火、消火作業のため動力線電源を切ったのだとか。

まあ、英国の鉄道では、こんなことは日常的なのです。しかも、今度来てみたら、BRの分割・民営化で、これらの列車はVirgin Trains となっていました。かのRichard Bransonはレコード屋を売ってから、航空会社に精を出し、さらに鉄道にも手を広げたわけです。でも、BR時代と何も変わっちゃいないのです。サービスは低下した、とも言われています。

 何も変わっていないのは、London のUnderground(地下道じゃないよ)も同様です。少し車両が新しくなってきたけれど、汚いこと、時間通りに走らないことは同じです。しかも、乗客は顕著に増え、朝晩はもう東京並みになりました。身動きとれない押し合いです。「降りる客優先!」(passengers out, first)、「閉まるドアから離れて下さい」(stand clear the doors, please)などという、聞き慣れないアナウンスもいつも流れています。いちいち駅名を車掌がアナウンスするなど、だいぶ「日本化」しました。でも、その乗客のラッシュに対する「熟練」ができていないので、乗降に手間取り、またドアが閉まらず、遅れをますます増やしているのです。


 それにしても、情けなくなるほど英国の物価は高い、それは円が安いから。例の「マクドナルド本位制」で計算すると、ハンバーガー一個が2ポンドくらい、それは円換算で400円以上になる(それどころか、500円近いかも)のですから、明らかに円が安すぎるのです。新聞広告で見たって、マネージャーの求人の年俸が£30,000位なんですから。

 なにしろ、今日あたり円は最安、ポンドの高さには英国の輸出産業が悲鳴を上げている状態なのですから(Fiancial Times)、こんな時に英国へ来たのは最悪の選択であったのでしょう。


  ウォーリック大学ビジネススクール                            中小企業センターのマーク・カウリング氏






 そんなわけで、Coventry往復はかなりくたびれました。



 Di(Diana)?もう話題にもなっていません。実弟の離婚慰謝料話の方が話題なくらい(それが一流紙のトップ記事だったりするので、かなりミーハーなのは同じです)。 あの、「国を挙げての大騒ぎ」がどこへ行っちゃったのか、まさしく「人の心は移ろいやすし」です。



12月5日 英国の大学・社会事情


 今日は、Waterloo 駅からのSE Network近郊線に乗り、ロンドン近郊のKingston upon Thames にある、Kingston University の、中小企業研究センターへ行って来ました。BR分割民営化で、この辺の路線は、バス会社に買われたのだそうです。

 ユーロスターの出るウォータールー駅                             ウォータールー駅もきれいになりました





 英国の「国鉄分割民営化」なるものは実に傑作で、元来ごく最近まで多くの民鉄路線からなり、ごちゃごちゃしていた鉄道をすべて国有化したのが、今再び元に戻っただけなのです。この国有化というもの自体訳の分からぬもので、ひとつの企業体に統合されても、路線も設備も駅も車両も、ほとんどそのままで、したがってかなりバラバラ、例を挙げれば、ロンドンから北へ向かう路線の駅だけでも、Liverpool Street、Kings Cross、St. Pancras、Euston、Marylebone、Paddingtonと数々ある状態なのです。それぞれが別の鉄道であった時代そのままなのです。なかでも、Kings CrossとSt. Pancrasはほんとに並んで建っており、Euston だって目と鼻の先です。もっとすごいのは、ロンドンから南の路線は第三レール集電式(一部の営団地下鉄線と同じ)の電化、北は架線式と、方式が全然違うままでした(Paddington発の路線なんかいまだ電化されてない)。むろん車両も全然違うわけです。つまり、統合されても規模の経済性を生かすとか、再編合理化するといったことが全然行われずに来たわけで、結局それがサッチャーリズムのもとで、元通りに戻ったというのが正しいのです。「鉄道先進国」の皮肉です。

 それでも、Waterloo 駅は非常にきれいになりました。知られているように、ここがEurostar英仏海峡トンネル列車の始発駅になったため、大改装されて、以前の薄暗い駅が、すっかり明るい、開放的な感じになりました。Eurostarにも一度乗ってみたいものですが、果たしてこれでフランスへ行こうという物好きがどれだけいますことか。経営的には、いまだ生死の境をさまよっているようです。トンネル工事には莫大な金がかかっていますから(この工事は実際には日本のゼネコンの技術だったんだけれど)。

 サウスイーストネットワークの通勤電車                              キングストン駅



 Waterloo 駅を出て、30分足らずの通勤電車でKingston に着きます。駅からはタクシーを拾えという話しでしたが、タクシーの姿なんか見あたらず、やむなく、バスに乗りました。幸い、新しいバスターミナルができていて、分かりやすくなっていました。




 Kingston 大学は以前にも来たことがあります。ここのKingston Business School 付属の中小企業研究センター前所長は、旧知のJim Curran教授です。現所長のRobert Blackburn 氏は活躍中の若手という印象ですが、以前会ったときとほとんど変わっていません。

 同大学(もとはPolytechnic)は、現在成長中で、あちこち新築工事です。英国の大学は、Polytechnic の改称でずいぶん数が増えました。どこも財政難で大変ですが、それだけに、お金になるビジネス・スクール、またそこでの調査研究というのが大きな稼ぎ頭で、これはWarwickでも、Kingston でも同じです。「伝統を誇る」Cambridge やOxford も同じことを始めたというのはよく知られています。

 そのCambridgeにも中小企業研究センターができたということの方が、ニッポンではよく知られています。なにせ日本人は権威に弱いですから。でも、私は以前その母体であるDepartment of Applied Economics の「訪問研究員」であったこともありますし、そこをベースにさせてもらって調査もやりました。それにもかかわらず、以来不義理をしているせいもありますが、今回は訪問見送り、次の機会は自分なりに、「見せられるもの」を持参してから、と考えています。Cambridge に限らず、今度の旅でどこを訪れても、それを痛感させられます。「英語で書かれたもの」がなくちゃ、話しができません。

 以前、一年半の「在外研究」から戻った際に、そう決意をしたはずなのですが、いつの間にやら、変わり映えしない毎日です。今さらながら反省させられます。


 キングストン大学でカラン教授と


 Curran教授(今はすでにretire しており、客員扱いで来ている)から、11月にBelfastであった「英国中小企業政策・研究学会」(ISBA主催)のフルペーパーコピー集をもらってしまいました。何と二冊あわせて、厚さが20cm近くもあり、あまりの重さに、手に持っただけでよろめきそうです。最新の研究動向を知る上で間違いなく貴重なものなのですが、これをどうやって持って帰ろうかと、深刻に悩みます。

 英国では現在、Whitaker氏の新著が好感を持って受けとめられているようです。私も10年前に会ったことがありますが、飄々とした好漢で、日本語が達者、当時「横綱目前」で負け続けた若島津に「みずえちゃん可哀想」なんて言っていました。それは別として、その達者な日本語能力を大いに生かし、日本の企業の実態から、中小企業研究の流れ・現在の動向までも積極的かつ公平に取り入れた著作が注目を集めたわけです。英語で書かれた「secondary source」依存の「日本研究」の限界に、欧米研究者がいらついていたところですから。

 彼に限らず、最近は日本人以上に達者に日本語をこなす欧米研究者が増えています。私の知る範囲だけでも何人もいます。こうなると、もう「日本語の障壁」に頼っているやり方のボロは見えてきましょう。NECだって、「あとは下るだけ」の企業じゃ困るので、ここで思い切って、新規格を先取りし、打って出たくらいですから、ニッポンの研究者も旧態依然じゃだめなこと必定です。今さらながらの言い方ですが、自分自身がこのていたらくですから、反省のほかありません。


  買い物客でごった返すロンドンの町中                              ピカデリーサーカスで


 Kingston を出て、ロンドンの街を少しぶらつき、物価の高さ、情けないほどの円の安さをまたも痛感、以前は航空券をこっちで買って使うと大幅お得、だから日本へ郵送する奴がいて問題にもなった、という時代がありました。ところがいま、こっちの「ジャパンセンター」で見ると、日本往復が800ポンド以上、つまり18万円位するので、全然お得じゃありません。もちろん乗り継ぎ便でもうちょっと安いのもありますが、こうなったら、日本で買った切符を送って貰った方が良さそうです。



 ブランドで有名、夜のボンドストリート                              シンプソンのイルミネーション




 ホテルへ戻って、ニュースを見たら、Basildon (10年前、調査で行ったことがある)の病院から、生まれて3時間の子が連れ去られたという事件で大騒ぎでした。昔は、英国のメディアは「社会ネタ」に対する関心が薄かった(センセーショナルな事件は、タブロイド紙が盛んに取り上げていたが)のですが、近ごろはそうでもないようです。この事件は事が事でもあり、病院前からの中継、相次ぐ警察の記者会見に続いて、警察が公開した、病院の防犯ビデオに写っていた容疑者の女性の映像と、似顔絵が放映されていました。確かに大騒ぎです。

 翌朝、暗い中TVをつけると、未明のうちに容疑者宅が捜索され、連れ去られたベビーは無事保護され、容疑者も逮捕されたという報道でまた中継です。写真などの公表で、警察に寄せられた情報提供電話約200件のうちから、容疑者が割り出されたということで、会見する所長も鼻高々でした。

 似たような事件は日本でもありますが、英国では確かに、犯罪にはより厳しく、また市民の協力で犯罪を摘発、という社会の風潮は強まっていると感じさせます。



12月6日 今日は休み・戦争と国家

 今日は休日ということで、といってもすぐには自由というわけにいかず、抱え込んだペーパーや印刷物の類を郵送で送り返してしまう作業にかかりました。何せ、運ぶだけでもいやになりそうな重さです。今まで、当地に来るたびに使ってきた手ですが、今回は重さ以上に、円安がのしかかってきます。

 案の定、Trafalger Square 横の郵便局で、箱も買い、詰めて出したら、郵送料は何と67.95ポンドでした。今のレートでは、15,000円近くになります。冗談じゃないという感じですが、この荷物を抱えて飛行機に乗る気力と勇気がない以上、やむを得ません。ちなみに、しばしば誤解されいますが、もう「航空便」と「船便」の差はほとんどないのです。この重さの場合、船便でも56.50ポンドで、差はわずかに12ポンド足らず、つまり2700円くらいなのです。それだけ航空輸送が安くなってしまったのです。

 今は、航空便・船便という言い方も使われません。英国では、単純に「standard」「economy」としてしか区別をしません。他の欧州諸国では、日本を含め、SALというシステムもあるのですが(一部地上輸送で、また集まった段階で定期便で運ぶという航空便で、割安)、なぜか英国はこれに参加していないので、以前この局で「SALで」と言ったら、「そりゃ何だ?」と聞き返されてしまいました。


 ともかくもこの大仕事を片づけ、さあ今日は何をしようかと考えて、今まで行ったことのないImperial War Museum へ行くことにしました。以前、Colindale のRAF MuseumにはLondon Yaohan のついでに行ったことがあるのですが。

 何せ「戦争博物館」です。案の定、ドイツのV2、V1から、ヤクトパンサー、さらにもちろん英国のMarkW、チャーチルタンク、ランカスターなど並んでいます。以下、ある意味ではひたすら、武器と、軍服と、勲章と、戦時の品々の羅列です。でもそれだけかと思えば、ともかく、戦争にかかわる事実を努めて公平に並べてあるとも感じられました。

    帝国戦争博物館                                 ロンドンを襲ったV-1と、スピットファイアと



 英国にとってこの200年間は戦争の時代だったのだとも思わせますが、では、今や平和の時代になったのか、米英の「敵」がなくなり、Anglo Saxon の世界支配復活万歳なのか、そうでもない、きわめて困難な状況をある意味では率直に示しています。「凶悪なテロリスト」が別の立場からは「自由の戦士」とされる現代、これを率直に認めないと、現代の英国の直面する事態は語れません。第一、「イスラエル建国」は、イルグンの英国宿舎ホテル爆破という、空前の凶悪なテロによって行われたことが、おのずと示されているくらいです。

 それだけでなく、第二次大戦中に、英国からドイツ占領下の大陸に送り込まれ、「抵抗運動」を支援し、運なくとらえられ、処刑された工作員たちへの勲章が飾られる一方で、ドイツから英国本土への潜入を図った「スパイたち」の一覧には、何の感情もなく、「処刑(首くくり)」としか記されていない、この事実だけでも、あまりに一面的なみかたをここでも免れないことを、おのずと示していると言わねばなりません。それは、第二次大戦後の各国の「独立運動」弾圧に投入された英国軍、さらにベトナム戦争などの記述になると、もう混迷の極みになっています。

 それでもなお、この英国にして、ここまで書いているという観はします。「冷戦の勝利」を絶賛するのではなく、「その後」の世界の困難をそのまま描いているのも事実です。ましてや、北アイルランド戦争については、きわめて微妙な扱いになっています。たとえニッポンについて、ヒロシマ・ナガサキの原爆の惨禍を示しながらも、それで戦争は終わったとし、また一方で、泰緬鉄道建設などでの日本軍の英人捕虜虐待への展示が多々掲げられているとしても。

 でもここにもないものは、「戦争は大量殺人である」ということの率直冷厳な表現です。死者たちの言葉が掲げられ、第一次・第二次世界大戦の戦死者総数が示され、そして、戦場で、収容所で、処刑台での死者たちの姿が写された写真などがあっても、その「死」の姿がどのようなものなのか、ほとんど現れません。きれいに塗られて輝いている、「技術の粋」としての兵器の重々しさと、砲弾に曝された西部戦線の塹壕や、空爆下のロンドンの姿を「実感」させるしかけの「場」は用意されていようとも、そこにひとりの死者もないのです(戦場での「死」の姿を、そのままに語ったものとして、E.M.レマルクの『西部戦線異状なし』を挙げられましょう)。

 『ニューズ・ウイーク 日本版』なる「雑誌」(それとも、CIAのプロパガンダ誌?)を、来るときの機内で読んでいる女性がいました。そこには、「サダム・フセインを殺すのは正しいかどうか?」なる見出しが踊っていました。どうやら頭に血がのぼっているアメリカ人たちは、自分たちが世界の処刑人であることを誇りにしているようです。世界先進国で唯一、「武装の自由」「人殺しの自由」を公認している「国」だけのことはあります。でも、その「処刑」は少なくとも、この博物館にさえ展示されている、「湾岸戦争で直撃弾を受けた戦車の、イラク兵の黒こげの死体」を直視してからにして下さい。あなた達の「神」は、気に入らない、危険な奴はこの手でぶっ殺してやるという「契約」を「アメリカ人」には下さったのでしょうか?あえて言えば、それこそが「テロリズムの思想」です。


 そんな思いを抱いて帰ったホテルのTVでは、「69th Royal Variety Show」というのをやっていました。お笑いと歌と踊りのショーを、女王陛下夫妻のご臨席のもとに繰り広げるという公演機会の中継で、その名の通り、伝統を誇っているようです。でも、中身はあんまり面白くなく、「お笑い」の方は、どこかの国の「シロート芸」レベルとは別ですが、いかにも古くさく、お粗末なもの、かのEnyaの出演もありましたが、全体としてレベルが高いとはとうてい言えませんでした。

 こんな「ショー」に、伝統に応じておつきあいをするElizabeth Uも気の毒です。昨年のクリスマス、女王はTVメッセージで、「今年は最悪の年だった」と語ったことで話題になりましたが、今年こそ、どう見たって最悪です。まさしく王室存亡の危機です。

 でも、既報のように、Di への関心は一挙に薄れた観を否定できません。今も、観光客向けの書店などでは、Diの写真集などが飾られていますが、驚くほど、彼女の存在についての扱いは全体としてlow profile です。新聞の扱いも、Di を登録商標化して、メディアの言及を避けようとしとしているなど、王室や周囲への批判がまた表に出てきています。飽きやすいと言うより、もともと王室と国民の関心のかかわりはそんなものだったと言うべきかもしれません。少なくとも間違いなく、このクリスマスの話題の外です。

 まあ常識でしょうが、英国の知識人・中産階級では、Royal Family への関心は禁句です。



12月7日 帰国前・英国通信事情と傾くニッポンのプレゼンス

 英国のホテルから日本のアクセスポイント(KOMAnetを含む)につなぎ、ページを読んだり、掲示板に書き込んだり、自分のページを追加・更新したりしてきましたら、チェックアウトの時の勘定書はなんとウン万円(今の超円安・ポンド高もあり)、高い授業料になりました。

 でも、英国の町中のpay phone では、日本のように情報端末付なんていうのもありませんしね。pay phoneでは、クレジットカードの使えるやつが一般化しています。これもある意味では便利なのですが。

 だいたいインターネットというのは文字通り、どこかのネットワークの端末からつなぐという発想がベースのようで、ニッポンのように、自分のPCをダイヤルアップでつなぐなどという酔狂な使い方はあまりないようです。PCはクリスマス商戦の目玉のひとつになっていますが、WEBブラウザを売り物という訳じゃありません。ちなみに、ワンセット£1,000以下のPCが目玉商品ですが、この場合、プリンタは「おまけ」というのが一般的な売り方です。日本語を使わないプリンタはもともとえらく安いのです。

 そのネットワークでも、大学や研究機関で見た限りでは、まだ使っているのがWIN3.1であったり、NTで動かしていて、こんどWIN95に切り変えたところであったりし、またえらく通信スピードものろかったりしています。LANなどの導入が早かったので、かえって今の流れに乗りきれていない観もありました。


 ケータイ(もちろんmobile phoneと言う)の方は今が旬、持ち歩く人間が増えています。今回、上にあるように、私自身Coventry へ行くときにいきなり列車が動かず、こういうときにはケータイが大活躍していて、私は甚だ手不足を感じました。

 英国のケータイは、キャリアが4社ありますが、売り物は主に、さまざまな安さのサービス、それから大陸はもちろん、米国でも使えるといった共通性です。情報端末としての接続可能性も機能に入っていますが、まだあまり重視はされていません。もちろん、ケータイとPCをつないで、などという日本のCMみたいな光景はありません。

 英国ではケータイが増えているといっても、当然ですが、学生で持ち歩いているのはまったく見ません。英国の学生は貧乏ですから。それから、オランダではケータイはほとんど見ませんでした。以前、イタリアで週末の列車から一斉にケータイをかけている光景を見ましたので、国による違いもありましょう。


 幾分くたびれて乗った帰りの飛行機は、相変わらずニッポンの団体客の皆様方がいっぱい、円安にもめげず、免税品を買いまくっています。機内でまで行列して買うとは、驚きです。

 私はもうあまりの高さに驚いて、何も買う気がしませんでした。それでもありすぎるほどあったHeathrow空港での待ち時間に、デューティーフリーショップを覗くと、たしかにそんなに高いという気はしません。かつての「通好み」土産品であったGlenmorangie の1リットルボトルが£22くらい、あまり変わっていないのです。やっぱりお買い得ではありましょう。もっともこのディスディラーも大いに商売気が出て、「○年もの」からさらに樽の種類まで変えたものを並べ、なかには750mlで£50くらいなんていうのもあります。「スコッチは高けりゃ買う」ニッポンの観光客向きであります。この会社、TVコマーシャルまで流しています。そのおかげで、やっぱり正しい発音は「グレンモランジ」であると知りました(「グレンモーレンジ」「モランジュ」など諸説あった)。

 Regent StreetのFotnum & Masonは隣のビルまで買い取って拡張中でしたし、まだまだニッポン観光客御用達の商売は好調です。だったらこのポンド高なんとかならんのか、と言いたくなります。

 帰国前、日曜日のBrent Cross Shopping Centre も覗いてみました。もう大にぎわい、みんなクリスマス用の買い物を山と買い込んでいます。「日曜営業(禁止)法」時代の姿はもはや想像できません。景気がよいおかげで、着ているものもよくなったし、町中走る新車が増えたし、食い物にこだわるmiddle class も増えたそうですし。結局、慎ましやか、衣食にはこだわらずという過去の英国ライフ像というのは、多分に「懐が寂しかったから」ためという観がします。

 以前、私の知人はニッポンに来て、「日本人はなんでこんなに白い車が好きなんだ?」と尋ねていました。当時はたしかにそう思いましたが、今、ロンドンを走っている車では目立って白系統が増えています。汚れが目立つ車ですから、丁寧に手入れしている、そうしたゆとりが出てきたということなのでしょう。

 おおもと倒産後のYaohan Londonは、アジア系の企業に買収されたそうです。これからはニッポンよりもアジア、まあそういう趨勢はロンドンでもとどめがたいものでしょう。現代はスコットランドへの工場進出を中断しているそうですが。




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