ICSB国際中小企業協議会第54回世界大会(ソウル)へ行ってきました (3)





 

 
6月22日

 
 いよいよICSB2009の開会です。
 
 例によって、参加者受付が会場内に大々的にオープン、相当数の韓国スタッフが並んで作業をすすめます。何千人も来るわけじゃないので、そんなには混乱しません。登録済み書類など求められて参加者リストを確認後(会費などは事前振込だから)、ネームプレートとなにやらチケットの束を渡され、「向こうで大会パックを貰ってください」と指示されました。それは広い会場ロビーに出店が出ているその一角というのはちと妙でしたが、手提げ袋に入った一式を配っていました。昔はこういったものがいやというほど重くて困ったものですが、いまは大会プログラムや出席者名簿などのほかはCD一枚、あとは観光案内とか次回大会のPRといったもので大いに軽量化し、手提げ袋で十分です。もちろんそれも以後使用に耐える、名入り布製の立派なものです。

 メルボルンICSBの際など、このCD一枚に収まった予稿集というのがかえって徒で、私はドライブ内蔵のPCを持っていかなかったので、現地で読むことができず困りましたが、こんどはCDのほかに予稿集に当たるものが入っておりました。かなり小さく印刷されているのでそんなに重くもありません。各発表1ページで文字通りアブストラクトだけなのですが、実はCDの方も大差ありませんでした。フルペーパーといったものはむしろweb上で公開する、そういった流れなのでしょう。

 
 なお、チケットの束には毎日のランチ、バンケットやディナーといった各行事のものが全部収まっていましたが、結局これらをチェックしたり、回収するようなことは一度もありませんでした。立派なものをつくっただけムダというか、拍子抜けというか、これならカネ払わなくてもタダ飯食べられるよな、というさもしい思いもしましたが、そんな人は大会参加者にはいないのでしょう。

 
 会場ではいろいろな人に再会をしましたが、面白いのはブライアン・ダンスビーおじさんも来ていたことです。今回は自らオルガナイズするコンファランスの宣伝のためだそうで、学会等とは別個にこういったものを開いて成功するのか、ちょっと心配にもなりました。おじさんは奥さん同伴で、「このあとニッポンに行くんだ」と喜んでいました。トーキョーからフジサンにも行くという計画に、わずかの日程でムチャじゃないですかと申しましたが、エージェントには人気の富士見物は定番コースらしいのです。もちろん麓に行くだけ、帰りは新幹線、これが売りなのでしょう。その後、ご夫婦アメリカの知人を訪ねるそうなので、まさに世界一周コースですな。

 


 グランドボールルームで開会式が行われます。基本的には円形のテーブルが多数置かれ、そこにそれぞれ気の向くままに着席するというかたちで、えらいさんなどを除いて「指定席」はありません。このテーブルが昼のランチ、さらに夜のディナーなどにもそのまま使われます。正面には段がしつらえられ、そこに関係者などが並びます。各テーブルには翻訳機が用意されており、英語と韓国語のスピーチがそれぞれ聞けるようになっています。メルボルンの際にはこういった用意はなく、「エイゴ帝国主義」の感がありましたが、韓国主催となるとそうもいかないのでしょう。ただ、韓国の参加者は英語のわかる人も多いので、あまり利用されているとは見えませんでした。逆に、韓国のえらいさんのうちにはあくまで韓国語でのスピーチというひともあり、その際にはみんなイヤホンを着けていました。











 
 開会式では、大会組織委員会であるICSB韓国の、Ji-Jong Chang会長のあいさつに続き、ICSB現会長の米国チャールズ・マシューズ氏(会長は一年任期でこの大会で交代することになっています)、KSMBA韓国中小企業庁のSuk-Woo Hong長官、韓国中小企業連盟のKi-Mun Kim会長と続き、ICSBの韓国開催の意義、とりわけ昨年来の世界不況の中、現状打開のための中小企業政策の重要性が強調され、金融支援など韓国政府として取り組んでいる政策も詳しく紹介されました。

 これに続いて井出亜夫氏が登壇しました。井出氏はISBC運営委員会を代表するという立場で招待されており、2005年のISBC・ICSB共催大会(ワシントン)以来、両者の連携が強まっていることを確認するとともに、今後さらなる協力が可能であることを述べながら、ISBCとしての活動と行事、本年秋のブリスベン会議、来年の台北会議の開催予定を紹介し、引き続きISBCの歴史と特長を生かしていくと締めくくりました。


 
 ICSBとISBCの関係というのはなかなかややこしいものがあり、それぞれの設立の経緯や歴史、独自の性格や機能などを持っていますから、単純に「一緒に」とはいかないものでもあります。ただ、3年前のメルボルンICSBに私が日本中小企業国際協議会からの派遣として参った際にも、あくまで日本とICSBの今後の関係を私は取り上げて懇談の場を持ったのですが、ISBCとの関係も当然話題になり、ICSB運営委員会の方からも、「ミスターイデの意見はどうなの?」という声もありました。井出氏はそういったビッグネームなのです。

 現在、両者の運営委員会に英国アルスター大学のケン・オニール教授(昨秋のベルファストISBE大会の組織委員長)が出ていて、井出氏とも連絡を取りながら、連携につとめていますので、そうした経緯から今回、井出氏のICSBへの招待ということになったのでしょう。またその点では、私がメルボルンICSBに出てきて、うえのような懇談の場も持ち、ICSB大会のようすを含め、そうした情報を井出氏はじめ日本中小企業国際協議会に持ち帰ったことも、何かプラスの意味があったように思えます。

 
 井出氏や前述の前田氏のほか、今回のソウルICSBへの日本からの参加者はどうかと、参加者名簿を見ると、すでに参加の予定を伝えてくれていた岡室博之氏(一橋大学、日本中小企業学会理事)のほかに、何人かの名前があります。日本中小企業学会会員である小竹暢隆氏(名古屋工業大学)、高橋信弘氏(大阪市立大学)、土屋隆一郎氏(立命館アジア太平洋大学)、ビクトリヤ・カン氏(一橋大学)といった人たちが出席し、発表を行いました。このほかに、小竹氏の「弟子」である社会人院生の人たちも発表をしています。高橋徳行氏も含めると10数人になります。「お隣」からとしてはある程度面目も立ったというところでしょう。まあ、私のように自分で発表をするでもない、それでやってくるのは「物好き」に属することになりましょうが、私の役目はそれ以外にもあると、納得させています。また、日本中小企業学会「会報」での、このICSBソウル大会の「案内」を見て、参加を申請したという声もあったので、幾ばくかなりとも貢献もできたというところでしょう。


 
 開会式ののちには、そのまま全体会第一パネルセッションですが、ありがちながら進行は遅れ気味です。これは「中小企業と企業家精神の世界的トレンド」と題し、ICSB元会長でもあるジョージ・ソロモン氏(米国ジョージワシントン大学)が司会で、コロンビア、プエルトリコ、米国、イタリア、オーストラリアといった各大陸の研究者らが、世界金融危機をはさんでの中小企業の動向や政策展開、また中小企業研究の経験などを語り、時間の関係もあってちょっと散漫でした。ジョージ・ソロモン氏は元米国SBAの幹部でもあって、この分野の「大物」の一人と申せましょう。

 
 コーヒーブレークを挟んで開かれた全体会第二パネルセッションは「GEM研究のインプリケーション」と題し、そのまま前日の政策フォーラムにつながるようなものでした。米国バブソン大学のドナ・ケリー氏が司会、チリ、韓国、米国、中国といった各国からのパネリストがGEMの展開とその意義を語るというかたちでしたが、いずれも各国などでGEMの活動を担っている人たち、予定討論者は前日のルイス・スチーブンソン氏なので、前日のように論点明確な議論白熱というよりは、GEMの紹介と啓蒙普及、そしてGEMの今後の発展をPRするような場であったのは避けられないところでした。このうちで中国清華大学のJian Gao教授はGEM中国のリーダーということで、中国での企業家研究がこうした国際ネットワークの元で急展開していることを印象づけました。


 
 これらの全体会の運営で問題があったと思うのは、それぞれのスピーチにあわせ、会場正面壇上の両サイドにプロジェクターで大画面が映されるようになっているのですが、スピーカーの姿などはどうでもよくても、その内容に即したppt画面などが写される際、聞いている方からはよく見えて便利でも、壇上のほかのスピーカーらには全然見えないことでした。それで「議論しろ」などと言われても困るでしょう。壇上向けの小画面などなんで用意しないのか、結局3日間もそのままで、そのつど壇上の皆さんが何となく困惑したまま、立ちすくんでいるのが印象に残ってしまいました。




 全体会会場がそのまま昼食の場となり、なかなかの料理が運ばれ、和やかな歓談の場となりました。そのつど、スポンサー関係などのあいさつもあるのは例によってですが、今回のソウルICSBには韓国中小企業連盟のほか、KSMBA韓国中小企業庁、KOSBI韓国中小企業研究院、韓国信用保証基金、技術基金など、公的機関の力の入れようも目立っていました。大会自体の開催の主力は、財源でも人力でもどうやらKOSBIのようです(ICSB韓国の代表Ji Jong-Chang氏は、KOSBI院長でもある)。もっともこれらの料理がお隣のインターコンチネンタルホテルのものではないのがちょっと奇妙ですが、韓国の人の話だと、インターコンチホテルとコンベンションセンターとは「企業グループが違う」のだそうです。

 


 午後はコンベンションセンター内の各会場にわかれて分科会となります。その後の第二日、第三日とあわせれば、のべ66分科会、それぞれでの発表者がだいたい4組ですので、全体での発表は相当数になります。もっとも個別発表の場だけではなく、「ワークショップ」形式で、基調スピーカーのほかに特に発表者を予定してない自由討論の場もかなりありますので、合計260本にもなるわけではありません。






 
 想像されることですが、各分科会の出席者数もかなりの偏りがあり、発表者と司会者のほかは数名なんていう場もあります。それぞれの分科会にはそれなりのタイトルがつけられていますが、ワークショップなどでなければ、各発表者それぞれの研究主題を無理にまとめるので、ちょっと場違いなのも当然生じます。思いつくままに拾ってみれば、「ニューベンチャークリエイションと中小企業の成長」、「企業家精神と経済発展」、「発展途上・移行経済と小企業」、「中小企業のイノベーション」、「技術・知識集約型企業家精神」、「社会的企業家精神」、「中小企業金融」、「ネットワーク、連携とアウトソーシング」、「企業家精神と公共政策」、「女性、エスニックマイノリティ、移民の企業家精神」、「大企業と中小企業の関係」、などがあります。

 今回は「ニューベンチャー」とか、「大企業との関係」など、韓国らしい枠組み設定という傾向も見られます(当然ながら、韓国からの発表者が相当数を占める)し、できるだけ同じタイトルでの分科会継続という整理もうかがえます。ただ、その一方で「その他の中小企業関連の課題」なんていうのもかなりあって、苦心のほど察せられます。

 
 がっかりさせられるのは、プログラムに記された発表予定者が来ず、そのままオミットとなる例が相当あったことです。ひどいところでは4組の予定者が実際には1組だけ、なんていう分科会もありました。これはどういうことなのか、エントリーした段階では出席発表のつもりだったのが、経済事情などからのちに断念したという不幸な事態なのか、この世界不況下にはそれも考えられなくはないでしょう。ただ、どうもそれだけではなく、はじめから大会に参加して発表をするのは無理と承知のうえ、ペーパーを送ってレフェリーのゴーサインを貰う、プログラムに氏名とタイトルが記載される、それを目的としていたのではないかという疑念も生じます。それだけでも「実績」の証拠にはなりましょうし。
 こうした国際的会議ともなると、各国からの参加には旅費はじめ大きな負担であることは避けられません。若手の研究者の個人での参加は至難のことです。ですから各国持ち回りで、自国や近辺での開催が大きなチャンスとなる、それが望ましいわけですが、いつもそういった機会が身近にあるわけではない以上、このような事態もいくらでも生じる可能性がありましょう。


 
 私は日本からの参加者の発表や知人の発表など中心に、また興味ある題名の発表のあるところなど、各分科会を回ってみました。それぞれの中身にはここで深入りしませんが、限られた時間の中で十分に内容を語るのは相変わらず難しいことと感じます。言葉の壁をとりあえず度外視しても、自然科学的な領域のように、ごく限られた研究分野・対象と課題、非常に制度化・緻密化のすすんだ研究方法と結果評価手順が定まっている世界と違い、ともかく背景となる社会状況などの説明と理解をえるだけで、そして自分の研究の問題意識を示すだけで、大いに時間をとられる恐れがあるでしょう。中小企業研究はいくら国際化普遍化しつつあるといっても、これは容易ならざるところです。

 そうしたなか、岡室氏の発表は、国際共同研究ということもあり、また計量的比較の方法を十分経験蓄積したうえの発表でもあったので、余計なことに時間もとられず、短い時間のうちに要を得たものであり、さすがの感でした。








 







 
 夕刻5時過ぎまで各分科会が続き、その夜はオプションのディナーです。会場前からバスが出て、ウォーカーヒルのシェラトンが会場になります。これがなんと野外パーティ形式、土曜日のような雨でなくてよかったな、と思いました。芝生にテーブル・イスが並べられ、まわりに焼き肉などの屋台が並びます。さすが一流の焼き肉で味も高級です。ウォーカーヒルからは漢江も望め、さわやかな風が吹き抜け、実に気分爽快、韓国の皆さんらとの懇談も盛り上がり、ビールとワインがいくらでもすすみました。





 
 ディナー終了後には、韓国の郭会長が用意された二次会に、井出氏、前田氏、さらに高橋信弘氏まで巻き込んでなだれ込み、これまた大いに盛り上がって、ホテル帰館はついに0時を回りました。本当に長い一日でした。皆さんお疲れ様でした。


 
 






























(4)に続く