なぜ、ホームページを?

 ほんの少し前まで、自分でホームページを持とうなどとは、考えていませんでした。ホームページの開設は、ネットサーフィンの途中であるホームページを見たことから始まりました。

 それは、なんの変哲もないよく見かける「ホーム」ホームページ。「***さんのお家です」とか、「***家にようこそ」とかいう他愛もないもの。あえて言えば、「多少の毒がある]とか、「辛口コラム」とかの気負ったタイトルが目立つかなァという程度。ご本人はホームページが「週刊新潮」に取り上げられたことが自慢のようで、事実それなりの参照回数を獲得しているもののようでした。

予断を持たずに、自分の眼で内容を確認したい人は、ここをクリック
(いつのまにか、なくなってしまいました)

 そのホームページには「憲法を考える」と題する主張が、いくつかに分けて出ていました。

 内容は、おおよそ

  1. 現行憲法はアメリカからの押しつけ憲法であり、制定過程にいくつかの疑義がある
  2. 明治という時代はもっと評価されていい時代であり、帝国憲法もそれなりの内容を持っていた
  3. すべてをぶち壊したのは「統帥権」を悪用した軍部である
  4. 軍事力は必要だ

というもの。どうやら、まだ、全体は完成していないものらしく、予想される「(1と4あたりを根拠に)だから、現行憲法は改正すべきだ」という結論部はありませんでした。

 現行憲法に対するわたしの考えは、別に書く予定ですが、そのホームページの所論で気になったことがあったのでした。

 それは

  1. 冒頭でかなり派手な事実誤認をしていること
  2. 史料の原典を確認せずに孫引きに頼っているらしいこと

の2点でした。そのホームページに書かれていることの間違いは明白なのです。

 考えられるケースは2つです。

   A.本人が完全に事実を誤認している場合

   B.ウソを承知で強弁している場合

 Bの場合は、一般的に、何をいってもムダです。なぜなら、自分の意見を押し通すためなら何でもするつもりなのですから・・・。こういう人にとっては、真実はもちろん、事実など何ほどの価値もないのです。こういう輩(やから)がいることは迷惑なことですが、これも世の中というものです。

 さて、このホームページの作者はどちらなのだろうか。続く所論全体を読んでみると、ある意味で若い人らしい匂いがしないでもないのです。ものごとを考えてゆく際の基本的センスは、お世辞にもいいとはいえないのですが、逆に、そのたどたどしさが、素人っぽいひたむきさと解釈してあげられなくもない。いったいどうしたものか。わたしは、しばし考え込んでしまいました。

 結局、いちばん目についた2か所と、少しばかりずるいなァと感じた1か所を指摘するメールを送りました、おせっかいを承知で・・・。

 メールの返事はすぐに来ました。少しぎこちないところはあるものの、自分は他人の意見を受けつけない人間ではないとした上で、指摘事項についてはまったく知らなかったこと、原典資料については目を通していないこと、参考文献があれば紹介して欲しいことなどが、書かれていました。

 お人好しのわたしは、さっそく比較的読みやすいものを2冊、紹介して差し上げました。そして期待しました。間違い箇所は、ほどなく修正されるか、少し確認に手間取るとすれば、その間当該のノートはメンテナンスのためにリンクから外され、間違いデータの垂れ流しはなくなるだろうと。それは97年11月29日のことでした。

 しかし、一ヶ月たっても、二ヶ月たっても、問題の箇所は、修正されませんでした。

 指摘事項は、別のノート

   現行憲法の成立過程について

   いわゆる「押しつけ憲法論」について

に書きますが、わたしは、意見・主張の内容に対して、異をたてたのではありません。その主張を支える客観的な事実記載に誤りがあるから、そこを修正すべきだと指摘しただけです。

 間違った事実認識のもとに組み立てられた意見・主張は、仮にその結論が誤っていないとしても、それに続く課題の解決に役立つ確率は非常に低いでしょう。むしろ、結論が誤らないのは単なる僥倖にすぎず、多くの場合、誤ったデータは、論議を紛糾させたり、その意見の主張者の信用を損ねたりすることの方が多いと考えるべきでしょう。

 インターネットは公器です。その公器を使って「誤った事実」と知った後も、それを流し続け、恬然として恥じないホームページがあるのなら、「ウソはウソ」、「誤りは誤り」と指摘するホームページも必要だろう。神ならぬ身なれば、自らも無知の仲間に入る可能性なしとせずとも。

 ホームページを持とうかなァ・・・。それは、こんなことから始まったのでした。

<この項終わり>

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