憲法改正のすすめ−見直しの基本的な考え方−

 結論から書くと、現行憲法は見直しの上、然るべき改正をはかる段階に来ているというのが、わたしの考え方です。

 ただ、わたしの考え方は、憲法改正というと、馬鹿の一つおぼえのように「戦争放棄」の条項のみを取り上げる人々とは、少しばかり違っているかも知れません。

 余談になりますが、「古典的な護憲派」あるいは「古典的な改憲派」とでも呼ぶべき人々が、いまも、わずかながらいて、この人たちの関心は、ほとんど「戦争放棄」の条項のみか、「天皇」の条項あたりにしかないようです。

 彼らの議論は、つきつめると現行憲法を捨てて帝国憲法に戻すべきか否かという、恐ろしく時代錯誤的かつ愚かしい論議に帰着します。そんな話は、棺桶に片足を突っ込んだ方たち(これは年齢をさしたものではありません。年齢は若くても自分が生まれるはるか前の時代に自分をおいてしまって、そこから動こうとしない「頭の不自由な、精神的に死にかけている人」も含まれます)にお任せしておきましょう。

 「戦争放棄」や「天皇」などを後回しにしてでも、急ぐべき憲法の見直し項目があるというのがわたしの考えです。その見直しの項目とは、

  1. 時代変化に対応した基本的人権と環境保護について
  2. 地方自治を含めた立法・行政制度の仕組みについて
  3. 憲法の定期的なチェックを前提にした改正手続きについて

の3つです。

 詳しいことはノートを改めたいと思いますが、おおよそのポイントは以下の通りです。

  1. 時代変化に対応した基本的人権と環境保護について

    「国家権力に対抗する個人の権利保護」という人間社会のみを視野においた発想

    から

    「自然環境・個人、国家間の責任・義務」という生態系全体を視野においた発想
    ここでいう個人には、現在生あるもののみではなく、これから生まれてくるわたしたちの子孫も含みます
     このような発想の転換のもとに、権利・義務の個別条項を見直したり、新設することが必要でしょう。

     また、国境を越えた人の交流が進みつつある状況を考慮するならば、外国人の権利・義務に関する規定も。当然、必要になるでしょう。

  2. 地方自治を含めた立法・行政制度の仕組みについて

     より身近な民主制の確立と強化という目標を明確にした上で、

    など、疲労のめだつ我が国の諸制度を活性化するために、根本的な論議をすることが必要でしょう。

     わたしは、ここにあげた例のすべての実現を支持しているわけではありません。しかし、いろいろ提案されているこれらのアイデアのひとつひとつの採否は、もっと真剣に議論されて然るべきものだと思います。

  3. 憲法の定期的なチェックを前提にした改正手続きについて

     これは、上記のふたつに比べると、形式的なものという印象があるかも知れません。こういう項目よりは、「戦争放棄」や「天皇制」の方が、優先度は高いという意見も出そうです。

     しかし、成立して50年近くになる憲法がまったく修正の手を入れられることなく続いて、現実との乖離の故に神棚にまつられている現状を考えると、定期的メンテナンスの手が行き届くような制度的な保証は絶対に必要だというのが、わたしの考えです。
§

 さて、憲法改正というと、こればっかりという定食メニュー、「戦争放棄」と「天皇制」が残りました。

 現行憲法の見直し対象に、第9条「戦争放棄」が含まれることは当然だと思いますが、わたしは、日本という国の地理的、経済的特性を考慮するならば、軍事的なプレゼンスを規定する条項の優先度、緊急性は、さほど高くないと考えます。

 天皇制についても同様です。一部のマスコミに憲法問題というと好んで天皇制をクローズアップするところがありますが、それは彼らにとっての主観的、心情的関心事であって、客観的に優先度の高い問題ではありません。

 このふたつは、いわゆるイデオロギー的な対立が常に絡む問題です。「神学論争」などと名づける人もいます。理詰めに考えるならば、防衛問題は「何から何をどれくらいのコストで守るのか」につきるわけですし、天皇は所詮「虫垂突起」や「親不知(歯)」のようなものですから、さほどの難問ではないのです。

 しかし、こういうものにセンシティブで、かつ過剰に感情的になるという困った人たちがいて、なんやかんやとうるさい・・・、あるいは不毛な感情的対立を招く・・・、こういうことならば、このふたつは棚上げして、先にあげた優先度、緊急性の高い事柄について議論を先行させてはどうかというのが、わたしからの提案です。

<この項終わり>

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