やっとこの部屋も新年を迎える形ができた。いよいよ2008年という年も終わる。おそらくこれほど大きく変化した年はなかった。風向きの変わり方によってはこれほどの変化が起きることがあるのだと、頭による理解ではなく、まさに体感させられた年だった。

 年初にとりあえずの手許金でまず国内株から始めてみた。海外株についてはETFと投資信託。5月の大島クルーズの時、**さんから「株、最悪」と聞いた時にはまだ笑っていられた。3月が底で持ち直して行くだろうと考えていたし、最終的には国内債券と海外債券をミックスしてポートフォリオを組めば、うまく補完しあってくれるだろうと思っていたせいもある。

 しかしリーマンブラザーズの破綻から後の落ち込みはすさまじいものだった。現在の我が家の含み損は400万ほど。まだ全体計画の半分以下の資金投入だし、60歳から69歳までの間の年金不足額を補う資金には影響しない(first decade 用資金は絶対に「投資」には回さない)からさほどの不安はない。もっとも10年を経過する間も落ち込みが続けば、おっとり構えている余裕はなくなるが・・・。

 多少のショックはあったが、試行的に「投資」に手を出してみたのはよかったと思っている。頭ではなく実際に体と心で受け止めた経験は貴重だった。投資用資金の全額を入れるものではないということもよく分かった。場の危険分散だけではなく、時の危険分散もまた不可欠であることも知ることができた。そういう点ではけっして気持ちはよくないが、よい年だったと思う。

 所沢ならば、そろそろ、安松神社に初詣に向かう人の足音と長源寺で打つ除夜の鐘が聞こえるころだ。こちらはいつもとは逆にかなり静かだ。さあ、いよいよ定年退職の年を迎える。(12/31/2008)

 なかなか片付けがすすまない。片づける途中での「ついで作業」が多いからだ。一番多いのは住所変更。インターネットでできるものは忘れないうちにと思うから、請求伝票やら、郵送物が出てくるたびに、パソコンに向かう。利用頻度の高いAMAZONやVISAなどは済んでいるが、定期刊行物のほとんどは未だに回送されてきている。JAF、図書、FACTA、ANA旅行積立クラブ、クラブオンカード、コスモカード、・・・実害のないものは放っておくとしても、ポイント交換の都合のあるものはやっておいた方がいいかもしれない。

 これだけ個人情報を振りまいているのだもの、いったいどんなルートでつかんだんだといぶかるようなダイレクトメールが引きも切らず来るわけだ。・・・と、思いつつ、それでもなお、こうしてせっせと住所変更をしていることの可笑しさよ。(12/30/2008)

 27日に始まったイスラエル空軍によるガザ空爆は死者が300人を超える大規模なものになっている。イスラエルがパレスチナ、就中、ガザに対して行ってきたことは、かつてヨーロッパ各国がユダヤ人に対して行ってきたことに重なる。彼らが持っていた土地と不動産を武力であるいは狡猾な手段で巻き上げ、人口数から考えれば明らかに狭い場所に彼らを押し込めるというやり方は、現在のイスラエル国民の先代、ないしは先々代が受けた仕打ちそのものといって差し支えない。

 なるほどユダヤ人は頭がいい。イスラエルがなぜこの時期に空爆をはじめたのかは明らかだ。オバマの選択できる幅をできる限り狭くするための既成事実を作ったわけだ。「どうだ、だからユダヤ人を根絶やしにしておけばよかったのさ」というヒトラーの哄笑が聞こえてきそうだ。(12/29/2008)

 **(上の息子)の誕生日祝いを桜台の焼き肉屋で。二日続きの肉で気がすすまなかったのだが、岩手の直営牧場直送というふれこみのステーキ肉のような焼き肉は格別だった。

 年末年始体制に入り、夕刊並みにうすくなった朝刊の経済面に「動乱-08年経済-」の第一回が載っている。その書き出しはこうだ。

 5月15日、米英の投資家が東京で記者会見を開き、日本の企業の問題点をいくつも指摘した。もっとも手厳しかったロンドンの投資ファンドのマネジャーが言った。
 「ブタの貯金箱のように、日本の会社にはありあまる現金がたまっている」
 そう、ついこの間まで、キャッシュをためこむ会社は、プロレスの悪役のようなものだった。意味のある投資に回せないなら配当で株主に返すべきだ、それもできない経営者は株式会社の何たるかを分かっていない、との批判が日本を席巻した。
 「現金こそ王様」
 しかし、金融危機で風景は一変した。資金は市場からいつでも安く調達できるものではなくなった。いまや合言葉は「キャッシュこそ王様」。なるべくたくさんの現金を手元に持つことが、各国の企業にとって死活問題になった。
 変転はほかにもある。金融機関や企業の価値をきちんと見るために、と広がった時価会計は、資産価格の下落が激しくなると、世界中で凍結に向かった。銀行から保険会社まで政府が支援する米国は、さながら金融社会主義だ。

 失われた十年からこちら、ここに登場するロンドンの投資ファンド・マネジャーのような言説がよく聞かれた。「だから日本はダメなんだ」と力説する新自由主義者のエコノミストたちがウヨウヨいて、したり顔で「会社は誰のものですか。株主のものですよ。株主には投資に見合ったリターンを得る権利があるんです」と説いていたっけ。「グローバル・スタンダードを理解しない企業にも困ったものだ、このままで行けば外国人投資家はどんどん日本から逃げて行く」とも言っていた。それだけではない、「民営化すれば、すべてがうまくゆく」とも言っていた。

 二昔ほど前、和製バブルが華やかだったころ、「いまどき投機をやらない経営者は無能のそしりを免れない」と宣ったヤツがいた。長谷川慶太郎という人物だ。彼のご託宣に乗せられて不動産投機に手を出して沈没した経営者は少なくなかった。バブル崩壊後、嘲笑の的となった長谷川は暫時沈黙した後にまたぞろ復活し、こんどはどう言ったか。「投資と投機は違う」、つまり聞き間違えた「信者」が悪いと言い抜けたのだ。

 「民営化」、「投機」、いずれのおまじないもオンリー・イエスタデーのこと。(12/28/2008)

 **(下の息子)も帰ってきた。夜は託送してくれた飛騨牛を家族4人で賞味。口の中でとけるような逸品。

 数日前の朝刊「オピニオン」欄。「日本の暮らし」と題するエッセー。筆者はニュージーランドの「ドミニオン・ポスト紙」と「朝日新聞」の交換記者として来ているレベッカ・パーマー。

 東京でまず驚いたのは、地下鉄の駅で階段を大あわてで駆け下り、ドアが閉まりかけた電車に必死で乗ろうとする通勤客たちだった。「どうしてあんなに急ぐのだろう」。次の電車は2、3分でくるのに・・・・・・。だが今ではずいぶん見方が変わった。次の電車が4分後と分かってホームでいらつく私。「そんなに待たなきゃいけないの」
 ニュージーランドでは、風が吹いても雨が降っても寒くても、15分遅れのバスを待って立ち続けていた私なのに。
 東京での3カ月。短い期間だが私の考え方を揺さぶるには十分な長さだった。せっかちになっただけでなく、便利さや質、気持ちよさや効率などへの期待がずっと増した。要するに、私はベストなものを、今すぐほしがるようになった。帰ったら苦労するだろうな、と分かっている。ニュージーランドは人口430万人でずっと人が少なく、静かで、ゆっくりしている。
 東京が懐かしくなるだろう。どこにもある自動販売機、24時間営業のコンビニ店、おしぼり、良質でおいしい食べ物や飲み物の選択のすばらしさ。でも、ぜいたくさと便利さにはコストがかかっている。自販機には電力が必要だし、過剰できれいな包装はゴミになる。世界各地から集められた食べ物はフード・マイルを積み上げる。
 ニュージーランドは水力発電の国。だから少雨で湖の水位が下がると役所は国民に省エネを呼びかける。浴槽ではなくシャワーにしてくれとか、洗濯は冷水でとか、部屋を出るときには電気を消し、暖房も節約を、などと。この冬は、地域ごとに電力の節約ぶりが発表された。
 東京のアパートの便座は3カ月間ずっと温かかった。ニュージーランドには温かい便座はないし、この気持ちよさはすばらしい。
 国では、ゴミになるのでたくさんのボトル飲料を買わないようにしてきたが、東京では毎日何本か買う。スーパーにはバッグ持参で行ったものだが、日本で毎年300億枚使われるレジ袋を私もためてしまった。
 日本は環境問題で何度も大きな壁を乗り越えてきた国だ。だが、私たちがベストを望む自分の欲望を制御できなければ、こうした努力だけでは限界があるかもしれない。私は日本の便利で快適な使い捨てスタイルにどっぷりつかってしまった。
 ニュージーランドの方が、環境に悪いこともある。たとえば公共交通に頼るよりは、やはり自家用車を愛する。1人しか乗っていない大型乗用車で大渋滞する通勤時の環境負荷は、1人あたりなら東京より高いに違いない。私たちのバスや電車が日本のように効率的で便利だったらいいのに。公共交通機関をもっと使いたくなるだろう。

 最近の子供は我慢が足りなくなったといわれる。でもそれは身近にいる大人たちを「学習」しただけのことかもしれない。

 最近の人は子供っぽくなったといわれる。それは「神様であるお客様」のご機嫌を取り結んで財布のひもをゆるめてもらうために、ひたすらその欲望に媚びているからのことだ。(12/27/2008)

 遅まきながら、やっと金融庁が新銀行東京に、元行員が犯した不正融資事件、その他の杜撰な融資案件に対するコンプライアンス体制、内部管理体制、審査体制などの業務改善計画を1カ月以内に作成・提出するようにとの命令を出した。

 新銀行東京なる銀行が石原銀行(石原知事の石原ブレーンによる石原ファミリーのための銀行)でなければ、とうの昔に出されていて当然の業務改善命令。

 金融庁の意図的怠慢が盗っ人どもに400億円もの追い銭をつけてやることになったのだ。誰のカネでもない東京都民の血税による負担。

 新銀行東京がどのようなパスを通って消滅するか、その時、石原慎太郎がどのような釈明をするか、それが潔いものか、それとも見苦しいものか、見届けよう。予言しておく、相当に見苦しいものになるだろう、と。楽しみなことだ。(12/26/2008)

 面白そうだと思いながら、買うのを忘れてそのままになっていた「新潮45」12月号の「知られざる素顔:『お騒がせ幕僚長』とM資金女詐欺師」の概要が、遅れて届いたFACTA1月号の田岡俊次のコラム「『軍略』探照灯」でわかった。

 それによると、田母神はあるパーティで紹介された「愛国的言辞」を弄する女性に惚れ込んで統合幕僚学校で講演をさせたのみならず、この女性のいう「米国の秘密資金4,800兆円を防衛産業に融資する。三菱重工・川崎重工・神戸製鋼はそれぞれ30兆円融資を受けた」という話をある防衛産業の社長に取り次いだということ。怪しんだこの社長は警察に通報し詐欺話は頓挫した。

 記事によると田岡は今月1日に外国人特派員協会が開いた田母神の講演会でこれを訊ねた。田母神は統合幕僚学校の講演に件の女詐欺師を招いたことも、防衛産業の社長を引き合わせるために同行したことも認めつつ、「意図的ではなかった」と言い訳した由。

 田岡はさらに続けて話題になった「論文」についてふれている。例の「日本は侵略国家ではない」という部分についての田岡の指摘は、北岡伸一が指摘していたことと同じ話だが、まさに田母神俊雄という人物の論理展開力の貧しさを突いている。

 「当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だったといわれる筋合いもない」と言うのには同意するが、後段では「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」とする。まるで「同級生と共に万引きをしたのに私だけが逮捕されたのは不当」と言いつつ「冤罪だ」と主張するようで、自分の論理矛盾に気付かない程度の知力か、と嘆かわしく感じた。

 つまりこういうことだ。たやすく詐欺師に引っかかる(それも典型的な「M資金」話)ていどの能力しか持たぬ人物が、自分の思い込みを綴った感想文が今回の「論文」だったということ。さらに田岡は末尾でこう書いている。

 戦時には敵の流す偽情報や、味方部隊からの誤った報告が乱れ飛ぶ。その中でどれが本当かを見分けるのが司令官の力量で、それにはバランス感覚と教養が必要だ。自分の思い込みに合う情報だけをつないで判断するようでは敗北は確実だ。高級指揮官の判断能力は兵力や装備以上に重大な戦力の要素であり、日露戦争の日本陸軍が遼陽、沙河、奉天の3大会戦で少数兵力で勝ったのは、司令官、参謀の判断力が相手より上だったことが大きい。兵員や装備はいざとなれば1年程でなんとかなろうし、法律、制度は数日で変えられるが、高級将校の能力はすぐに改善のしようがない。他国の将官との知恵比べに勝てる自衛隊の高級指揮官をいかにして確保するか、これは日本防衛の最大の課題だろう。

 まったく同感だ。少し話は違うが、前原誠司が民主党代表を務めていた時に「永田メール事件」というのがあった。この国の「防衛族」あるいは「ネットウヨク」には「情報のつまみ食い」癖、および目を覆うばかりの「情報分析能力の低さ」が共通している。(12/25/2008)

 京橋うすけぼーで忘年会。好例の秋の旅行をパスしたり、同期忘年会が出張と重なったりで、4人がそろうのは久しぶり。

 みんな歳をとったせいか、それぞれに語りたがり、話の焦点がさだまらないままにドリフトして行く。昔からの友人だから不信はないし、仕事の接点もないから利害のようなものが絡むことはない。それでも話と話の間にすきま風が吹き抜けるような感じがぬぐえない。コミュニケーションとは難しいものだと思ってしまったりする。友人なのに、だ。

 どうも4人というのは多過ぎるのかもしれない。

 それでも帰宅は11時過ぎ。(12/24/2008)

 定年退職をひかえて今年の年賀状は近年よりは少し多め。宛名の印刷と図案はプリンターを使うとしても、「ひとこと」くらいは手書きで通してきた。しかし今年は少し辛い。遅れるよりはということで、手書きしたものをスキャンして、それを印刷するという手段に出た。おかげでなんとか終了。

 NHK経営委員長に福山通運社長・小丸成洋が選出されたと朝刊に出ている。経営者出身のわりに受信料の値下げに不思議な執念を見せた(経営者がカネで譲る時にはそれなりの下心があるというのは常識)前任の古森重隆に比べるとまったく目立たない人のようだ。

 NHKの経営委員は任期切れの委員2人が参議院の不同意により再任されなかったため当面欠員になるとのこと。「経営委員」などといったところで財務的なことは無視して番組の中身に口を出したがる前委員長のような手合いでも務まるのならば、いっそのこと「経営委員」も国民から抽選で選んだらいいではないか。特に現下のような経済情勢ならば、ホームレス、雇い止めになった派遣社員などから抽選で選んでもいい。

 重大事犯の有罪・無罪、死刑を含む量刑までの決定に関わる裁判員を、法律知識の有無などを問わず無作為・抽選で選ぶという、じつにススんだ制度を実行しようとしている我が国だ。国営放送の経営委員を同様の考え方で選んでも問題はあるまい。もし低所得層が選任されたなら、彼らの方便の足しになるだけではない、古森某などよりははるかに公正にして貴重な経営が実現できるやもしれぬ。(12/23/2008)

 13日、トヨタの連月営業損益が「通期で4,200億、下期は赤字になる」と発表したニュースを書いたが、夜のニュースでは、下期の赤字は7,320億、上期の黒字5,820億を食いつぶし、通期マイナス1,500億になるとのこと。昨年度の通期営業損益は2兆2,700億だったというから、以下にすさまじい激変が起きているかということがよく分かる。

 夜のニュースからもうひとつ。大分工場での大量の派遣切りが報ぜられたキヤノンが宇都宮工場でも来年1月末で600人の派遣切りを通告するに際して、その補償金と一定期間の在寮を認めるための費用として派遣元の日研総業に1億円支払う由。キヤノン大分による契約と言い逃れをした際、「さすが日本経団連会長の会社だ、毅然として労務対策を断行する姿勢は立派だ」と絶賛されるものと思ったのに、マスコミの集中的報道に悪印象ばかりが広まったことに恐れをなしてのことかもしれない。(EOSのCMをみながら、「こんな、ヤツ? 欲しいって言ってたの? 買ってあげようか」というと、**(家内)、「うん、でも、キヤノンのはヤダな」。主婦層には容赦なく首切りをする会社は評判が悪いらしい)

 と、ここまで書いて、先月の奥田碩の「報復」発言の真意を読み違っていたことに気づいた。奥田がスポンサー降板による「報復」をちらつかせて牽制したのは厚労省に対する同情などではなかった。あの発言は、いずれ手をつけるであろう非正規社員切り、正規社員の大量解雇に際して、マスコミが「公正な」報道をするように予め厚労省報道をダミーに投げた「ビーンボール」だったのだ。

 うちの初代プリウスはそろそろ買い換え時だ。家庭での充電機能などが付加された三代目のプリウスをと思っていたが再検討した方がいいかもしれない。奥田のようなアンフェアな人間が関わる会社からは買わないようにするさ。「フェアトレード」の概念はもう少し拡張されて然るべきだ。(12/22/2008)

 **(家内)は仕事。**(息子)はラグビー。年賀状のレイアウトを決めてプリントアウト中。届いたばかりのBOSEのプレーヤーは素直な音でさっきからお気に入りのCDを何枚もかけている。

 経済状況は日を追って悪くなっているようで、便利な労働力調整機能はその威力を遺憾なく発揮している。ホンダの福井威夫社長はおとといインタビューに答えて、「円高がさらに進めば、正規雇用も危うい」と言った由。弊履のごとく棄てられる派遣社員の状況を目の当たりにするにいたって、さすがに明日は我が身かもしれぬという想像力が人々の中に行き渡り始めたようだ。

 年収が一千万にも届かないのに「構造改革」音頭に浮かれて、郵政選挙で自民党に票を投じた連中も遅からず我が身の愚かさを骨の髄から知ることだろう。二千年ほど前に「その為す所を知ら」ずして処刑に荷担した人々は愚かであったが、他人を処刑する手伝いをしたのだからまだしものこと。小泉自民を大勝させた彼らは自らを縊るのに荷担したのだからこれほどの愚行はまたとない。

 では奥谷禮子の言説に代表される使用者側優位の論理は「最小者の最大幸福」のために永続的に有効なのかというと、おそらくそんなことはない。たとえ再び好況を取り戻したとしても、トヨタなりキヤノンなりの工場に復帰した派遣工はもはやトヨティズムやセル生産方式に元の力を発揮することはないであろう。都合よく採用と解雇を繰り返すような不安定な契約関係にある者が単純労働力以上のものを提供するようなことは期待すべくもないからだ。つまりアメリカ型の「構造改革」は日本の力の源泉を破壊することはあっても、日本の優位性の向上には微塵も役立たないということだ。(12/21/2008)

 **(家内)・**(息子)と**鮨へ行く。鮨屋の主人は**(父)さんのことをよく憶えていた。「ししゃもを干してたんですよ、店の前でね。ちょうど**さんが通りかかって、こう、のぞき込むんですよ。そして旨そうだなって、おっしゃるもんだから、二・三本、差し上げたんです。そしたら、ただでもらっちゃ悪いからって、何回かお見えになって、出前もするようになって・・・」。**(父)さんらしい話だ。

 「かきのきさんに行かれる時、この前を必ずお通りになるんですよ。お見かけしなくなったなぁとは思ってましたけれど・・・、そうですか・・・、失礼いたしました」。お見かけしないも、なにも、もう三年になるぞ、と、思うのはこちらの勝手な感情。

 しかし・・・、つくづく思う。**(父)さんは人間が好きな人だった。オレは逆、基本的に人間が嫌いだ。冷たいわけではない。いや、たぶん一番心の深いところでは**(父)さんよりはオレの方がハートは温かいのだ。その温かさが仇になって、まず最初に、人が嫌いになってしまうのだと思っている。もし**(父)さんのようにまず人を好きになり、巧むことなく知り合いになる、そういう性格であれば、もう少しちがった会社生活を送ることができたのかもしれない。(12/20/2008)

 日銀も利下げ、0.2%下げて0.1%。なぜあえてゼロ金利を避けて0.1%にしたのだろう。0.1%にはどんな意味があるのだろう。0.1%という金利は最後のカードとして意味を持つのか、それとも日銀のメンツから来るものなのか。同時に発表された「コマーシャルペーパーの買い切り」とあわせて考えると、素人にはその意味は皆目分からない。(12/19/2008)

 午前中、大崎で全社技術開発フォーラム、午前中の「浙江大学における産学協同の現状」、「東大先端研における組織連携の仕組み」は可もなく不可もなく。いつぞやの講演同様、どうも東大の先生にはなめられているような気がしないでもない。

 午後は虎ノ門パストラルでECom(次世代電子取引推進協議会)セミナー。テーマは「時空間情報とバリューチェーン」。「宇宙測地技術の新展開」ということでICタグとの連携応用のようなものを期待していったのだが、相変わらずのコンシューマー向け「どうです便利でしょう、こんなこともできるんですよ」という内容。少しがっかり。

 いつものごとくリブロに寄り、文庫本を含めて7冊ほど。書棚が確保された意識から、最近はブレーキがかからない。バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」(すごいタイトルだ!)、半月ほど前の書評にあった高橋安幸「伝説のプロ野球選手に会いに行く」、ちょっと気になることがあってロールズの入門本として川本隆史「ロールズ―正義の原理―」、いささか遅まきにライシュ「暴走する資本主義」、防衛省の金遣いについての興味から太田述正「実名告発防衛省」、読み終えたばかりの「学問の下流化」に紹介されていた「落花は枝に還らずとも(上・下)」。

 たぶんこの正月休みはこれで大丈夫。いや膨大な積ん読本があるのだから半年や1年、いやいや2年くらいは絶対に困らないはずなのだが。(12/18/2008)

 ついにFRBはゼロ金利に踏み切った。

 FRBは初のゼロ金利実施にあたり、主要政策金利のFF(フェデラルファンド)金利の指標として0.00%~0.25%を新たに「目標圏」とし、即日実施した。下げ幅は事前の市場予想の0.50%幅を上回った。日米の政策金利が逆転するのは93年2月以来。
 金融危機から実体経済の悪化が深刻になってきた現状に対応した。ゼロ金利に続き、FRBは市場に大量の資金を供給する「量的緩和」を強める。FOMCの声明では、政府機関債や住宅ローン担保証券(MBS)などを大量に購入すると明記。景気への影響が強い長期金利を引き下げるため、長期国債の買い切りも検討するとした。実現すれば半世紀ぶりとされる。FRBの金融緩和は金利操作から資金供給増に移り、未踏の領域に入った。
 金融危機はやや和らいでいるが、米国経済は景気後退が1年前に始まっていたことが判明し、来年半ばまで続いて戦後最長となる恐れが強い。消費者物価が急落するなどデフレの様相も強まっている。
 FOMCは声明で、景気回復を促すために「すべての手段を用いる」と強調。経済を支える個人消費や企業の設備投資などが落ち込み、金融市場の混乱で貸し出し条件も厳しくなっているため、「FF金利は当分、特別に低い水準にとどまるだろう」と指摘し、ゼロ金利を長期的に続ける可能性を示した。

 ニューヨーク市場は前日比359ドル61セント上げて8,924ドル14セントで終わった。この上昇額がいつまで維持されるか、どれくらいで8,500ドルの水準に戻るか。戻るかどうかではない。戻るのに何日要し、その要因がどのようなもので素人にも見えるものかどうか、そのあたりで東京にまだまだ二番、三番の底があるかどうかの予想ができる。

 為替は早速88円台まで円高が進行した。輸出頼りの「後進国型経営」しかできない経営者が大きな顔をしていられるのもあとわずかになりつつある。彼らはいま必死に人員調整に励んでいる。それ以外に何も思いつかない経営者こそ、いの一番に馘首にすべき余剰人員なのだが。(12/17/2008)

 竹内まりやの「Denim」。なかなかいい曲が入っている。挨拶の締めくくりで、竹内は「このアルバムの12の歌の中に、どれかきっと、皆さんの今の気分に合うデニムが見つかることを願っています」と書いている。いま、気に入っているのはこれ。タイトルは「みんなひとり」。

荒んだ世界に あなたのような人が いることに感謝
夢が遠く見えて 肩落とす夜は 電話をさせてよ
恋人ともちがう 大切な心友(ともだち) 代わりのきかない私の相棒
みんなひとりぼっち 探し続けるのは 確かな絆とその証
誰かのひとことで 明日もがんばると 思えるなんてすてきさ

わかもなくふさぎ プチうつな自分が 嫌いになる日も
あなたの笑顔の 大きな力に 励まされるんだ
どんな強い人も 弱さを隠してる 外には出せない傷抱えながら
みんなひとりぼっち それを知るからなお あなたの大事さがわかるよ
心のかたすみで 気にかけてくれてる 恋よりも強い味方

ああ たまには私を ああ 頼ってもいいよ

 こうして歌詞を書き写すと気恥ずかしくて、いい歳の男が聴く曲ではないような気がするが、いくつになっても、こういう柔らかさは必要だよね・・・って、誰かにメールしようか。(12/16/2008)

 品質保証センターの忘年会。この手のおつきあいはこれが最後。まるきりアルコールを受け付けないわけではないが、「白眼現象(阮籍現象と呼び代えてもよい)」があるため、たいていの飲み会ではあまり飲まないことにしている。

 そういう意味からは飲み放題をつけるための時間制限性は大歓迎。順調に8時半過ぎには終了、二次会の声がかかるのを避けて帰宅。(12/15/2008)

 ハイビジョンの解像度は快感。ちょっと前に土曜ドラマで放送された「上海タイフーン」の再放送がBSハイビジョンであった。知っていて切り替えたのではなく、たまたま「サンデー・モーニング」が終わってからザッピングをしていて引っかかった。

 12時から1時の中休みを除いて5時まで。**(家内)は「これじゃ、一日つぶれる」と呟いて3時半ごろに買い物に出た。3時からはレコーダーに録画したものの、結局こちらは全6回分のラストまでみてしまった。黄琳という日本に出稼ぎに出た父を思う高校生を演じた林丹丹、目許が石井苗子に似ていてなかなかよかった。(12/14/2008)

 自動車産業の苦境はアメリカのビッグ3に留まらないようだ。先月、今年度の連結業績予想の営業利益が5,500億(68%ダウン)になると発表したトヨタも、きのう、通期で4,200億、下期は赤字になると発表した。短期間にこれほどの落ち込みが発生するとは誰も考えもしなかったことだろう。

 自動車産業の裾野は広い。自動車がへこむことは、まず鉄をはじめとする素材産業、そしていまや車はエレクトロニクスの固まりであるから電子部品・半導体産業の物量を押し下げる。当然の話、製造施設の更新サイクルの長期化により産業機械関係業界にも多大の影響が出る。負の波及効果は計り知れないダメージを日本経済に与える。

 しかしこれをすべてアメリカ発の金融危機によるものと考えることには疑問符がつく。既に数年くらい前から日本市場では軽自動車へのシフトが始まっていたし、なにより「実感なき好景気」のもとで自動車購買層の財布は傷んできていた。いまアメリカ国内を含めて世界中はビッグ3の経営者を「驕りの中での長期低落に気づかなかった愚か者」とあざけっているが、じつはトヨタを筆頭とする日本のメーカーも労働力を買いたたくことに熱心なあまり、自らの製品を購入するはずの中流層に報いることをしてこなかったという点でビッグ3の経営者と変わらない愚かさを発揮してきたのだ。景気が好調な時に購買能力と購買意欲を有する豊かな中流層を育てることなしに、自国の市場の安定的発展はないという当たり前のことを彼らは忘れていた。

 自動車産業のトップとそのOBにはいつのまにかビッグ3経営者に通ずる「驕りの心理」が生まれていたような気がする。その一例を記録しておく。先月12日、「厚生労働行政のあり方に関する懇談会」で奥田碩トヨタ自動車相談役はこんな発言をした。「あれだけ厚労省がたたかれるのは、ちょっと異常な話。わたしはマスコミに対して報復でもしてやろうかと思う。たとえばスポンサーを降りるとかね」。

 奥田碩は大トヨタがスポンサー契約をちらつかせれば、マスコミはおろか、人々まで平伏すると思っているらしい。歴史を持ち出すまでもなく「驕りの心理」がチラチラするころには既に衰退の坂をゆっくりと下り始めているものだ。奥田の傲慢な発言はプラス2兆円の営業利益がマイナスに転じようとする現在を予言するものだったのかもしれない。(12/13/2008)

 **さんを交えて**さん、**くんとひっそり飲むつもりが、同宿する***のメンバーを加えた診断員組を熊本工場品証部が接待する形になってしまった。「***」という民宿風の料理屋さん。田舎料理といえばそれまでなのだが、一品、一品、おいしい。アットホームな感じで非常によかった。・・・というのが、昨夜。

 朝霧の中をタクシーでホテルを出る。「ただ一面に立ちこめた牧場の朝の霧の海・・・」、**(祖母)さんがよく歌っていたなぁなどと思いつつ濃霧の中を工場に向かう。

 9時前からスタートして3時まで。2年前の11月操業開始なのできれい。静電対策が効を奏してようやく**%以上の良品率を達成できた由。心なしか、工場全体に静かな自信が感じられる。***から赴任したばかりの工場長はヨーロッパ出張中。操業が軌道に乗ったのと入れ違いに円高と世界的リセッションが訪れ、売る側に憂いというのはなんとも皮肉な話。

 しかし読んだばかりの「100年に一度の金融危機から資産を守る方法」によれば次の「バブル」は「環境バブル」だというから、躓きの石になるのではないかと懸念された太陽電池が会社を救うことになるのかもしれない。それにしてもうらやましいほどの環境。会社での余命がもう少しあれば手を挙げてでもここに来たかった。(12/12/2008)

 南関町のホテル。あした、熊本工場のQC診断。羽田13時25分発、福岡空港から高速バスで約1時間。福岡と熊本の県境を過ぎてすぐ。バス停からタクシーでチェックインしたのは5時少し過ぎ。

 工場との契約で素泊まり5,500円。小高い丘の上に建ったリゾートホテルなのでツインベッドに10畳の和室。独りで占有するのはもったいないくらい。

 九州は日の暮れるのが遅い。5時を回ってもまだ陽がある。重役並みのスケジュール。**くんと飲むため。窓を開けると、上ってきた道は霧の中に隠れて、大げさではなく水墨画のような光景。

 きのう、西日本は広い範囲が濃霧で関門海峡などは船舶の航行を禁止したとニュースが伝えていたが、まだその傾向は続いているのかもしれない。(12/11/2008)

 タイトルに引かれて買った竹内洋の「学問の下流化」。主に書評を中心にあちこちに書かれたものをいくつかの視点から編集したもの。非常に面白い。帰りの電車でいつもの悪い癖のつまみ食いをしているうちに思わず吹き出した箇所を書き写しておく。

 旧制高校卒業者や旧制専門学校卒業生たちが各界の指導者を退いたあたりから日本の指導者の資質が変わったようにおもえてならない。教養がじゃまをする、というフレーズもすっかり過去のものになってしまった。学者的教養人が意固地で自閉化するのと並行して、「ひけらかす」教養がないだけでなく「じゃまをする」教養もない臆面なき指導者が蔓延してはいないだろうか。エリートや指導者に求められているのは、なによりも「じゃまをする」教養だとおもうのである。

 各界の指導者と呼ばれる人々を直接には知らないが、「旧制高校卒業者が・・・」あるいは「旧制専門学校卒業生が・・・」ということによらず、最近は「じゃまをする教養」はもちろんのこととして、「ひけらかす教養」すら持ち合わせている人が格段に少なくなったことは間違いのない事実だ。そもそも、当節、「教養」という言葉が軽侮の対象になっていることはインターネットのいくつかのブログをみれば容易に見て取れる。(12/10/2008)

 朝日のサイトに首相の記者会見がほとんど録音そのままに紹介されている。この男のお粗末な現実認識がそのままに現れていて、ちょっと内省的な人ならば考え込んでしまう体のものだ。政府の雇用対策の狙いについて訊ねられての言。

 あのー、新たに政府、政府として、きちんとした雇用対策というものが、緊急の課題として、我々は検討すべきではないかと。なかんずく、いわゆる2次補正というようなことになってくると、年内の話でいきますと、少なくとも今、時間がいきなり短縮された方々に、3日で出ろとかいう話になると、そら県外からそこに来てる人たちもいますから、そういった意味では、そこの企業に対して、今後とも、少なくとも残っていられるようにさせてくれと。少なくとも直ちに年内に出ろというような話ではなくて、出ら、いられるようにしてもらいたい。少なくとも、それに関して、直ちに後に人が来るあてがないと思われますから、そういった意味ではしてもらいたい。また、借り上げ住宅の場合がありますから、その場合にも、いろいろなことを考えないけませんが、それに対しては、残してもらうというのを条件に、政府として補助、企業に対してしかるべき補助をするから、そちらも直ちにいうことはやめてもらいたいとか、雇用促進事業団っていうの、事業だっけ、雇用促進事業団の持ったところで、あれ、廃止になる予定のあれがありますから、あれ、確か1万2、3千戸あったと思ったな。それに対しては、新たに入居をしてもいい。また今出なくちゃいけないことになってる人たちは、いるようにしたらいい、入れるようにしたらいい、今入ってる人は直ちに出なくてもいい等々いろんな、あのー、個別のところを、各省いろいろ持っておられるところがあると思いますんで、そういったものを年内の雇用対策として考えたらどうだ、どうだという話をした。うーん、なんかいろいろ言いましたね。

 このとりとめのない話し方が、彼の頭の中そのものなのだろう。こんな「指示」でこの国は動かされているのだ。恐ろしい、本当に、恐ろしい。

 この記事の末尾のやりとりはこんな風になっている。

――総理、党内で若手中堅議員がいろいろな会合を開いておりまして、中には公然と総理の政権運営を批判する議員も出てきていますが、どのように受け止めてらっしゃいますか。

「あのー、正直申し上げて、僕はどういう話をされてんだか知りませんけど、そら総理に対する質問? 総裁に対する質問?」
――・・・・・・。

「そういうの、ちゃんとさっと答えきるようにしとかなきゃだめよ。ね、あのー、正直言って、総理に対する質問なんでしょう、今の場合は。おちょ、おちょくってるようでごめんなさいね。なんとなく総理と総裁の区別ついていない質問が最近多いから言っただけなんだけど、あのー、いろんな意見が出るのはいいことだと思ってますよ。正直な、正直申し上げて。あのー、そのなんか、いろいろな動きのマイナスの面ばっかりじゃありませんから。あなたの話聞いてると、すべてマイナスの面にしか聞こえませんけれども、がんばれという声も別にあったりしますから、僕はいいことだと思ってますけれどね。いいです」

 「夜郎自大」という言葉を思い出した。このバカ総理は一本取ったつもりで「おちょくっているようでごめん」などと独りご機嫌になっているが、記者が無言だったのは答えるほどのことではなかったから無言で総理の答えを促しただけのこと。

 「東大って、学習院よりすげぇー大学なの?」と訊ねられたら、誰も面と向かって答えはしない。そう、そういう意味では、ここは「夜郎」を「野郎」と書いた方がぴったり来るかもしれない。いかにも、麻生にお似合いの国語力で・・・。(12/9/2008)

 帰るとすぐに**(家内)が暗い表情で「**(友人)さん、亡くなったんですって」と葉書を差し出した。そして言葉を継いで「****、やっぱり肺がんなんですって」と、パンチを立て続けに食らわせてくれた。

 葉書は**(友人)の細君から喪中欠礼。2月に亡くなっていた由。年賀状のやりとりだけになっていたから、何も知らなかった。**(友人)との卒業研究は思うような結果が得られず惨憺たるものだった。オレは「就職が決まっている以上、絶対に落とすわけはない」と玉砕主義をとったが、彼はしつこく「このデータからいえるだけのことはたとえ仮定であってもいいから全部書こう」と言い、発表会にはプレゼン用の模型まで作って臨んだ。

 卒業してからも、共に三鷹の**さんの茶道教室に通い、毎週木曜日には顔を合わせていた。当時、**(友人)は航空管制官をしており、緊迫の職場についていろいろ話を聴いたりした。教室をやめたのが、先生の引越だったか彼の転勤だったか、もう判然としないが数年の後、彼は**の工業高校の先生になり、以来、ついに直接会うことはなく年賀状のやりとりのみになっていた。

 病気か、事故か。在職中の死について、彼はどんな気持ちだったのだろう。こうして、一人、二人と、舞台から降りて行くのだと思うと、まだまだあると思っている残り時間が存外少なくなりつつあるのだということが実感させられる。(12/8/2008)

 朝毎読のサイトにあしたの朝刊のトップを飾るであろう記事が載っている。麻生内閣の支持率だ。

 一番支持率が高く出ているのは朝日だが、驚くなかれ22%、毎日と読売の結果は、21%と20.9%。先週の日経は31%だったが、その数字が「夢のような高支持率」に思えるほど。

 よほどのお人好しでも、「景気対策をしっかりやるために解散は見送る。政局より政策だ」と言っておきながら肝心の補正予算を先送りし、「来年だ、来年」などと逃げる男を信頼はできない。

 最終刊となった「月刊 現代」の新年号に北康利が麻生の祖父・吉田茂について書いていたが、麻生太郎にはこの血脈は一滴も引き継がれなかったようだ。暗愚の宰相・安倍晋三よりもはるかに早いメッキの剥げ方は尋常ではない。株価よりも急速に数値を下げたこのマンガ宰相がこれからどのように振る舞うか、じっくりウォッチさせていただこう。(12/7/2008)

 きのうと打って変わった好天。**(家内)と朝霞産業文化センターを会場にしている生協の販売会にゆく。「サライ」で評判というオーダーメイドの手袋を注文する。山羊の皮とかで、なんとも手触りがいい。新書サイズのブックカバーと帽子もオーダーしてしまった。

 **(家内)は手伝いがあるというので、池袋に出て本屋を覗く。話題の「CIA秘録」の上・下、これも彼の地ではベストセラーという「アメリカ大恐慌」の上・下、岩波新書の近刊で「ウィーン」、筑摩文庫「最後の幕臣 小栗上野介」に「百年の誤読」(なんと洒落た名前だ)、それにお気に入りの内田樹の一冊、「街場の教育論」。さすがに重い。「伝説のプロ野球選手に会いに行く」と「読んでいない本について堂々と語る方法」を探す気力がなくなり帰宅。

 楽天から「行政にみんなの声を届けます」とか、「行政にわたし達の意見を伝えます」とか題するメールが来ている。

 第一行は「【薬ネット規制:署名のお願い】薬がネットで買えなくなる!」とある。医薬品のネット販売禁止に反対するという内容のもの。指定のレスを返せば、反対署名が一丁できあがりというもくろみらしい。楽天にとっては収益に関わることだからだろう、じつにうるさく、しつこい。

 行政にわたし達の意見を伝えます!(2008/12/05)というタイトルのメールが来ました。
 わたしは、医薬品のネット販売禁止には、大賛成です。
 ですから、こんなメールは不愉快千万。
 さらにいえば、楽天という会社の勝手な事情に基づく、主張をおしつけるメールを送付することは、本来、楽天という会社の個人情報保護ポリシーに違反しているのではないかとも思います。
 こんな、不愉快なメールを何通も受け取るために、個人情報を開示しているわけではない。心得違いをするな。

 楽天は一度でも買い物をすると次から次と「ダイレクトメール」を送ってくる。拒否の画面の操作がわかりにくくしてあって、なかなか止めることができないようにしてある。さて、この件、個人情報保護法に違反していることは明らかだ。どんな応答があるか。「楽天」的に考えて、ダンマリの一手かな?(12/6/2008)

注)本日(2009/05/02)現在、楽天からは、この件に関する謝罪のメールも、釈明のメールも来ていません。

  まことにいい加減な会社です。

 頭痛がひどく、休暇を取った。来週の火曜日にも休暇を取らなくてはならないので、飛び石になる22日の休暇は取りにくくなった。もっとも、もうさしたる業務はないので、単に「よく休むね」と思われるのは避けたいというていどのことなのだが。

 夕刊の「人脈記」。占領期、GHQは漢字を廃してローマ字表記にしようというもくろみのもとに日本人の読み書き能力調査を命じた。それを担当した柴田武がきょうの「人」。

 日本語は漢字が多くてむずかしい。それが民主化を遅らせている。調査結果しだいで、ローマ字に変えてしまおう。そんな思惑があったらしい。   ・・・(中略)・・・
 柴田らがつくった漢字テストは今の小中学生が習うレベル。その年(1948年)の8月、全国で15歳から64歳の約1万7千人がテストを受けた。結果、読み書きできないとされた人はわずか2%。日本人は漢字がよく読めたのだ。
 柴田はペルゼルに呼び出される。「字が読めない人が非常に多いという風にやってくれなきゃ困るということだった。はっきりはいわないが」
 柴田は断った。「調査結果はねじ曲げられない」。ペルゼルは「そうだろうな」と無理押しはしなかった。ローマ字化はついえた。

 読み書きソロバンは江戸期から既に教育のインフラを形成してきた。ボトムの基礎的能力だけをとらえれば欧米各国に比べても遜色はない。

 つい最近まではそう信じてきたが、ひょっとするとこういう新年はもはや伝説になってしまったのかもしれない。内閣総理大臣たる者が公の場で「ふしゅう」、「みぞゆう」などという奇っ怪な読み方をするご時世になったのだから。

 いま一度、アメリカがこの国を占領して様々の「改革」を行うとしたら、きっと速攻でローマ字化を推進できるかもしれない。

 いや、だいたいのところ「てにをは」も怪しげな連中の多いこと。特に嗤えるのは自称「保守派」の日本語のひどいこと、ひどいこと。どこが「保守」で、なにを「保守」するつもりなのかとあきれること少なからず。いまならできる、「英語を国語に」。

§

 加藤周一が亡くなった。「カッパブックス」で、「読書術」。この組み合わせだけで長いこと読まず嫌いしていた。ムスさんに教えられて「夕陽妄語」を読み、「羊の歌」経由で「日本文学史序説」を読んだ。「山中人閒話」に始まる「夕陽妄語」だが、最近は少しパワーに欠けるような気がする。丸谷才一などはまだパワーがあるのにと思って調べてみたら、丸谷は6つほど年下だった。80を超えての6年は大きいのかもしれない。(12/5/2008)

 8月の暑い頃だった、森永卓郎が日経BPのサイトに「原油バブルは近いうちに必ず崩壊する」と題する記事を書いたとき、幾人かが「論理的な証明に乏しい」というコメントをつけていた。

 ちょっとばかり嗤ったのは端から「森永が嫌い」というだけで噛みついているとおぼしき自称「株屋」さんのブログだった。彼はおそらく自分では「論理的な反証」ができないからであろう、吉崎達彦の「溜池通信」を取り上げていた。

 さて、きょうあたりの原油価格に関する記事を読んで、あの「株屋」さんはどう感じているのだろう。

 ニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)で原油先物相場は3営業日続落。WTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)で期近の2009 年1月物は前日比2.32ドル安の1バレル46.96ドルで終えた。一時46.82ドルまで下落し、期近物では2005年5月以来約3年半ぶりの安値を付けた。7月に付けた最高値(147.27ドル)からの下落幅は100ドルを超えた。

 147ドルが47ドル。粗忽者の植字工が百の位の活字を広い損ねたわけではなさそうだ。

 そもそも「バブル」という現象が「論理的に証明」できるものかどうかと言われれば窮してしまうのではないか。ガルブレイスは「大暴落1929」でこう書いている。「不幸を予言する者はきらわれる」。(この本には、株価高騰を批判的に語った人、理論的に株価は恒久的に高原状態を維持することを説明した人、・・・様々なサイモン・ニューカムさんが紹介されている)。森永が「株屋」さんに嫌われたのはごく自然なことだったのかもしれない。

 それはそれとして論理的に石油価格を分析してくれた吉崎のレポートにこんなくだりがある。

 以下は、本誌がかねてから指摘している「アンラッキーセブンの法則」である。1 の位に7 がつく年には、なぜかきまって国際金融危機が発生する。そしてその後は、利下げが行われてバブルが発生する。ただし、バブルがどんな分野に飛び火するかは分かりにくい。そして1 の位がゼロになる年に、バブルは崩壊している。2 度あることが3 度ある、としたら、この資源バブルはあと2 年くらい続くことになる。

 吉崎が「2度あることは」と書いたのは「1987年のブラックマンデー、1990年に日本で株・不動産バブル崩壊」、「1997年のアジア通貨危機、アメリカでITバブル崩壊」を指している。だが、サブプライム危機の引き起こしたバブル崩壊は2010年まで待ってはくれなかった。たった2度ではやはり「法則」に昇華させるには無理があったのかもしれない。

 こうしてみると吉崎レポートも件の「株屋」さんが褒めちぎったほどに「論理的」でも「分析的」でもない。なにより「予言性」、「的中性」の点からいえば、いろいろの分析で目眩ましを施した吉崎は楽しませてはくれたけれど、ただそれだけのことだったことになる。(12/3/2008)

 ニューヨーク市場の寄りつきがいくらになっているかを確認して床に入るのが最近の習慣になった。サマータイムが終わったため、市場が開くのはこちらの11時半。

 昨夜は330ドルくらいの下げで始まっていた。目覚まし代わりのラジオのけさの第一声は「ニューヨーク市場が大きく下げました」というものだった。終値は8149ドル09セント、679ドル95セント(7.7%)の下落だったらしい。先週の感謝祭に同期した商戦は思ったほど落ち込まなかったとはいえ、市場の警戒心理の水準は確実に上がり、楽観と悲観がクルクルと入れ替わっているのがよく分かる。

 東証は8,000円を割り込んで7,863円69銭まで下がった。ニューヨークの下げをみて先週から入れていたTOPIX連動、ボベスパ、ロシア、JFE、それぞれの「洗い替え」のための買いは、昨夜の時点でキャンセルしていたのだが、張っていた金額までの下げはなく(TOPIX連動:843→802、ボベスパ:160→150、ロシア:74→69、JFE:2,320→2,120)、苦笑い。しかし今週は日本時間の今夜からあすにかけてビックスリーの再建プランが議会に提出され、週末にかけて公聴会が開かれる。その帰趨がどのようになるかによって、ここが「底」なのか、さらに幾度かの「下降」があるのか、考えたくはないが「底割れ」するのか、おそらく誰にも分からない。それは当たり前なのだ、未来は用意されているものではなく、今の時代を生きている者どもの思惑と行動により紡ぎ出されるのだから。(12/2/2008)

 日経のサイトのトップは麻生内閣の支持率。「支持する」はなんと一気に17%のダウンで31%。「支持しない」は19%のアップで62%。比較的与党支持値が高めに出る特徴を持つ日経の調査でこの数字というのはかなり衝撃的だ。

 首相にふさわしいのはという項目では麻生と小沢がともに17%で並んだ。先月の日経の調査では小沢16%に対して麻生は36%だった由。小沢の不人気は変わらないのに麻生の人気は半減、小沢並みになったわけだ。この衰えは尋常ではない。

 麻生のメッキの剥げっぷりは暗愚の宰相安倍に比べても早すぎる。トップダウンを印象付けようと自ら重要政策の発表を行いながら、自分で読み上げた内容の「解釈」をコロコロと変えて右往左往する様は平均以下の知能の人々にすら「総理大臣なんていっても俺よりバカなんじゃないか」という疑いを抱かせるに十分だ。

 もっとも、最近の風潮では「言い負ける」ということがないだけで「有能」とみなしてもらえるようだから、ペラペラとおもしろ可笑しく話ができれば、麻生ていどの「風袋」でも、十分に経営者で通り、政治家で通り、宰相でも通ってしまうのだろう。(12/1/2008)

 風呂上がりにニュースサイトを一覧していたらこんな記事。

見出し:麻生首相、書店で本を4冊購入
 麻生首相は30日午後、東京・八重洲の八重洲ブックセンター本店を訪れ、本を4冊購入した。首相が買ったのは「強い日本への発想」(日下公人、竹村健一、渡部昇一著)、「大暴落1929」(ガルブレイス著)、「人物で読む現代日本外交史」(佐道明広、小宮一夫、服部龍二編)、「日本はどれほどいい国か」(日下公人、高山正之著)。

 「人は本を選んでいるつもりだが、本に選ばれていると言えなくもない」と奥野健男が書いていたことを思い出した。そしてなるほどミゾユウの国語能力を有するほどの宰相の読書レベルはやはりこの程度のものだったかと、ひそかに独り嗤いしたところ。一国の宰相が衆目監視の中、入魂の選定をして選んだ本がこれとすれば、ほんに日本はいい国だ、呵々。

 今月発売の文藝春秋・12月号に、読書家52人の生涯の一冊という特集が載っている。その中で与謝野馨はカッツの「数学の歴史」を上げていた。たしかに「本は人を選んでいる」ようだ。(11/30/2008)

 きのうは党首討論があったらしい。タテマエ上「公正」を装うマスコミはそれなりの「討論」らしく報じてみせるが、「政局より政策」といいながら政策の裏付けとなる補正予算を出そうとしないのでは、何をどのように言い繕ったところで自分の行動が自分の言葉を裏切っている。したがって小泉並みの詭弁でも用いぬ限り首相がへこんで見えることは避けられない。しかし麻生にその知力があるはずもない。

 それより、ここ数日の話題は健康保険料の負担についての麻生の発言。「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」といかにも漢字が読めない首相らしい「お言葉」だが、いくらなんでも「保険制度」に関する知識がゼロというわけではあるまいと、経済諮問会議の議事録が出ているというのでダウンロードしてみた。嗤う対象は少しほかの箇所にあった。

 件の発言は「社会保障・税財政一体改革」に関する論議の末尾、議長として締めくくる場面に出てくる。

 67歳、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちらの方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ。だから、努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブがないといけない。予防するとごそっと減る。 病院をやっているから言うわけではないが、よく院長が言うのは、「今日ここに来ている患者は 600人ぐらい座っていると思うが、この人たちはここに来るのにタクシーで来ている。あの人はどこどこに住んでいる」と。みんな知っているわけである。あの人は、ここまで歩いて来られるはずである。歩いてくれたら、2週間したら病院に来る必要はないというわけである。その話は、最初に医療に関して不思議に思ったことであった。 それからかれこれ 30年ぐらい経つが、同じ疑問が残ったままなので、何かまじめにやっている者は、その分だけ医療費が少なくて済んでいることは確かだが、何かやる気にさせる方法がないだろうかと思う。

 この男、ほんとうに、頭が悪い。時も所も見境なく酒場談義で流していけるとでも思っているのだろうか。議長として締めくくりがこれでは議論はどうなったのか分からなくなってしまう。見かねたのか与謝野がそのあとを受けて、こう発言している。

 今日の議論を次のようにとりまとめたい。 第1に「中期プログラム」の位置づけと基本的な考え方については、民間議員ペーパーで大筋の合意がなされた。 第2に、社会保障については、安定財源確保の対象として優先すべき項目を特定するための考え方や、それぞれの項目についての必要費用の目安、さらに、安定強化を図っていく上で大枠となる3つの原則などについて、意見交換が行われた。この3つの原則に従って、今後、税制抜本改革や歳出規律の在り方の議論とも併せて検討を深めていくことで合意がなされた。

 あきらかに議長役を務めているのは与謝野だ。学習院と東大の違いといえばそれまでかもしれないが、いくらなんでもこれでは学習院大のOBは浮かばれまい。

 それにしても、たらたらしゃべって、へらへら笑って、何もまとめない総理大臣の給料をなんで税金で払うんだ、そう思う国民は多かろうよ。(11/29/2008)

 家が売れた。8時前に所沢へ行き、こちら立ち会いでリハウスの**さんから買い主へ重要事項説明。たっぷり2時間近く。聞いているだけに等しいのだが、けっこう疲れるものだ。

 売買代金は*****。引き渡しは来年1月30日。この経済状況下でよく売れたものだ。8月末の仲介委託契約から3カ月。再更新をするかどうか、かなり考えた。しばらくは売却を中止して、市況の回復を待とうかとも思った。売却したカネがなくとも、80歳までの資金がショートするわけではない。少しばかり**(上の息子)たちに残してやれるかどうか、それだけのことだから。それでももう一度は更新して来年2月まではがんばってみようかと思い直し、契約更新にすることに。その日、**さんが「じつは・・・」と言い出した時、最初はいい話とは思わず胸が騒いだ。「買いたいというお客様がきのう・・・」ということ。それでもまだ半信半疑のような気分だった。

 帰って来てからも一抹の不安があり買い主の****さん名で検索をかけてみた。*****の***科の先生らしい。ローン審査に引っかかることはなさそうだと一応は安心。それでも引き渡しまでは気は休まらないが、なんだか手を合わせてお礼を言いたい気持ち。(11/28/2008)

 インドのムンバイ(昔はボンベイと呼んでいた都市)で、現地時間の昨夜、日本時間のけさ未明、複数のホテル、駅舎で銃の乱射・手榴弾による同時多発テロが発生した。死者は日本人を含んで100名を超え、負傷者も300名を超えているとのこと。一部のホテルにはまだ犯人グループが立てこもり、事件は解決していない。

 犯行声明を出したのは「デカン・ムジャヒディン」。夕刊によると、「その名からイスラム過激派とみられるが、過去のテロでは聞かれなかった組織」であり、今回の犯行は「過去には例がなかった複数の場所での無差別発砲だ。外国人が頻繁に出入りする高級ホテルやレストランを狙い、米国人と英国人を人質に取ろうとしたことも、従来のテロとは違う」由。

 ブッシュの就任からほどなくしてあの911があり、ブッシュの退任が迫ったこの時期に英米人を狙ったテロが起きた。ブッシュはテロに魅入られた大統領と言えるが、見方を変えると「業績」と「テロ」が不可分に関係にあった大統領と言えなくもない。ブッシュはテロを呼吸して任期を過ごしたということ。(11/27/2008)

 朝刊に載った「SAPIO」の広告を見て「世紀末」という言葉が浮かんだ。

 広告はまず田中角栄の顔で貴重なスペースの半分を使い、「大特集:田中角栄は生きている。――景気対策、格差是正、対米外交、霞が関改革/そして宰相の品格まで――現代日本の混迷を解く鍵は、すべて36年前の『角栄総理』にあった。」という見出しの宣伝。これでスペースの80%だ。

 残りはやっといつもの調子で、「巨大な世界的バブル崩壊:GIGLOBUBU②(Gigantic Global Bubble Burstのことだそうだ・・・SAPIOの読者の頭で憶えきれるか?)金融テロとの戦い――「CDS5000兆円危機」破裂で世界に「クリスマス後の受難」が降り注ぐ」という見出しがあって、続いて小見出しが三つ。「クレジットカード・ネーション米国人の超借金まみれライフ」、「ウォン大暴落で借金国家に転落した韓国の土壇場」、「もはやマイナス金利が最後の一策だ」。大見出しのおどろおどろしさの割に小見出しが地味なのはSAPIO編集者の頭脳がチャチだからだろう。
そして署名記事が二つ。森永卓郎「国会議員のセンセイ方、カップ麺は400円でも170円でもなく88円です」、櫻井よしこ「『武士の娘』を読む:失われた明治人の価値観にふれる旅」。そしてさいごに「この国のどこかで:英霊が眠る靖国神社のかたわらで/美しく散った気高き慰安婦の魂を/蘇らせる語り部の女性がいた」。

 この四分五裂はもはや編集者に「お客様像」が見えていない、つまりウヨクマインドの人々もまた散り散りになりつつあることを示している。森永の起用は足下の現実を見て急に覚醒したウヨク・プロレタリアートにもチップをおこうとする編集部の気の迷いを想像させて微笑ましい。そして櫻井よしこのマンネリとキーワードの並べ替え(英霊・靖国・散華・慰安婦・蘇り・語り部)による記事の再利用。いくらウヨクがパープリンの集合体だとしても、そろそろ、げんなりするころではないか。

 つまり、やっと感覚の鈍いおバカさんたちにも10年遅れで「世紀末」が訪れたというわけだ。よかった、ほんとうによかったね。呵々。(11/26/2008)

 イギリスはきのう総額200億ポンド相当の景気対策を発表した。その中の125億ポンド分は付加価値税(朝刊は「消費税」と書いているが彼の国の「消費税」は我が国の消費税のように穴だらけのものではない)の税率を向こう一年間17.5%から15%に引き下げることで実現する由。125億ポンドは約1.8兆円というから、ちょうどほとんどすべての人が「景気対策としては役に立たない」と言っている定額給付金に要する金額とほぼ同額。

 朝刊にはこう書いてある。「ダーリング財務相は消費税の減税が『すべての人に恩恵があり、もっとも公正な手法だ』と指摘し、09年末まで続ける方針を示した。所得税額を割り引く一般的な減税では貯蓄に回る分が多くなる可能性があり、消費税を一時的に引き下げることで消費意欲を刺激する狙いがあるものとみられる」。

 先々週、書いた素人の思いつきはそれほどの筋の悪い思いつきではなかったようだ。MIXIでも珍しく賛同のコメントをもらっていたし・・・。もちろん、税率二桁代と一桁代では「減税」に関する『のりしろ』がちがいすぎるということはあるかもしれないが。(11/25/2008)

 朝刊5面に最高裁・法務省・日弁連の三者連名による裁判員制度の全面広告が載っている。これくらい訳の分からない話もない。どんな制度か分からないというのではない、なぜこんな制度なのかということが分からない。

 広告には「6人の裁判員と3人の裁判官が力をあわせて議論を尽くし、結論を導き出します。国民の感覚や視点を反映する新しい裁判。法律の専門家ではない、あなたの参加が求められています」とある。そしてこの制度に関するサイトのURL。

 そのサイトに掲載されている「Q&A」を読むと思わず嗤ってしまう。制度が導入されるのは「地方裁判所で行われる刑事裁判」だと書いてあるからだ。なんのことはない大騒ぎしたところで三審制の入り口にあたる第一審のみが対象、高裁から上はいままでどおりというのだ。

 さらに読み続けると猛烈な疑問が浮かんでくる。対象事件は「一定の重大な犯罪」、「例えば、殺人罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪、危険運転致死罪など」。たしかにこうしたマスコミでも大きく取り上げられるこれらの事件に対する国民の関心は高かろう。しかし、これらの犯罪の裁判とその他の軽微な犯罪の裁判とを比べるとしたら、はるかに後者の裁判を対象として制度導入するのが自然な考え方ではないか。なにしろいままで陪審制すら経験のない我が国で、かつ「国民の感覚や視点を反映」させるのが目的とするならば、刑事裁判ではなく、民事裁判や少年審判のようなものこそ、その目的により適っているとは考えるのが妥当だろう。

 あえて書けば、殺人、強盗、放火、誘拐などの事実認定は時に相当高度な論理操作を必要とするのではないかと思う。中には捜査手続きの正当性が問われる場面もあるだろう。富山の事件のようにプロの裁判官でさえ杜撰な捜査をした警察、すき間だらけの立証を恥とも思わなかった検察当局に易々と騙されて冤罪事件を作ることがある現在の状況下で、初めての裁判に臨む素人がその「感覚と視点を反映」させられる場合があるなどというのは期待するだけで無理というものではないか。

 なぜ軽微な犯罪(振り込め詐欺、耐震偽装、食品偽装、騒音・痴漢などの迷惑犯罪など)や民事裁判(不動産トラブル、環境被害、薬害問題など)を対象としないのか。こちらの方が間違いなく国民常識を活かした裁判というものが求められており、それが可能なはずだ。

 それよりももっと嗤ってしまうのが評議の後の多数決制だ。制限時間が来たら多数決で判決まで下すというお手軽さは「衆愚裁判」に近い。「はい、お時間で~す、評決しますぅ。賛成が多いようですねぇ、死刑になりま~す。よろしかったでしょうかぁ~」。極端に言えばこういうことだ。いまのこの国らしいファースト・フード型裁判。まあ、世の中の多数がそれに文句を言わないというのなら、是非もない。(11/24/2008)

 昨夜「厚生事務次官連続テロ事件」の犯人を名乗る男が警視庁に「出頭」。さいたま市の事件と中野区の事件の双方について具体的な話をしている由。

 男(小泉毅という由)は犯行の動機について「可愛がっていた犬を保健所に殺されたからだ」と供述しているというのだが、それは小学生のころ三十数年前のことだというから分からない。「そんなことって、ありか?」という話。

 これを「テロ」と呼ぶかどうかということになると、何もかも「テロ」のレッテルを貼って自分の存在をアピールしたがる佐々淳行のような人物以外は「?」マークをつけるだろう。

 「ABC殺人事件」を連想した我が推理は大外れだったことになる。まさか厚生事務次官ではなく、いずれかの夫人がターゲットだったということはあるまいから。(11/23/2008)

 夕刊に「新銀行東京70億円赤字」の見出し。期初に400億の公金をつぎ込んでおきながら、上期の決算で純損失は早くもこの水準。記事には、業務利益は29億、前年同期は11億の赤字であったから大幅に改善したと書いてあるが、収益は都の公共工事を受注した業者への貸し付け収益とのことだから、実力で稼いだカネとは言い難いようだ。

 反対面に山田泉の訃報が載っている。詳しく知っているわけではないし、その著書を読んだこともない。ただ、時折、「土曜ワイドラジオ東京」に登場する「ヤマちゃん」というやたらに明るいガン患者。訛りを隠さず、ストレートに性教育も語る。あしたの番組で永六輔はどんな伝え方をするのだろう。ちょうどその時間帯はラジオが聴けないはず。ちょっと残念。(11/21/2008)

 国立駅の工事が進行中。まず下り線の方から先に高架になる計画らしいが、なかなか切り替わらない。できれば、この線で通勤しているうちにと心待ちにしている。けさのように冷え込んだ天気のよい朝、電車から見える富士さんはことのほか美しい。

 いまではわずかに多摩川の鉄橋を渡る所あたりが唯一富士の見えるポイントになってしまった。勤め始めたころはまず武蔵小金井の跨線橋から見え、そして国分寺の切り通しを出て国立の駅に着くまでのわずかのあいだ、進行斜め左側に見えた。国立の南口から音大に向かう道の真正面には富士がでんと構えている。それが走る電車の中からも見えた。想い出の道の延長にそびえる富士は記憶の中のみの人を連想させる一滴のインクだった。

 そのうち国立駅周辺には大きな建物が建ち並び、電車の中から富士を見ることはできなくなった。何より工場から本社に転勤になり、冬の朝の富士とは縁が切れてしまった。ふたたび工場に戻り三鷹・立川間の高架工事の進捗を目にしてからは、完成した高架から見える富士を想像し始めた。できるならこの冬のうちに、それが適うことを祈っているのだが・・・。(11/20/2008)

 きのう、夕方、中野区上鷺宮で主婦が宅配便を装った男に主婦が刺される事件があった。

 きょう、また、午前中にはさいたま市南区別所で老夫婦の他殺死体が玄関口で見つかった。殺害された夫が厚生事務次官OB、襲われた主婦の夫も厚生事務次官OBだった。

 ふたつの事件の「共通性」が指摘されるや、昨夜からきょうにかけてのマスコミ報道は、あっという間に「テロ」一色で染まることになった。たったふたつの事件のひとつの共通性で・・・。

 クリスティの「ABC殺人事件」を思い出した。アンドーバーでアリス・アッシャー、ベクスヒルでベティー・バーナード、・・・。

 旧厚生省事務次官という共通性に目を奪われて、年金など厚生行政をめぐるテロ事件と決めつけることが犯人の狙いということも、論理的に考えられるだろうに。(11/19/2008)

 朝刊に「新潮45」12月号の広告が載っている。ちょっと興味を引く見出しがひとつ。「知られざる素顔:『お騒がせ幕僚長』とM資金女詐欺師」。

 秦郁彦あたりに「妄想史観」というレッテルを貼られてしまった前航空幕僚長(田母神俊雄という名前だそうだ)と「M資金」話の取り合わせがいかにもありそうでそそられる。ホテルの耐震偽装問題で危ない橋を渡っていたアパグループと懇意な幕僚長さんのことだから、ひょっとすると、いまや誰も引っかかる者のいない古典的な詐欺話にも一枚噛んでいるのかもしれない。

 日本シリーズと株価に気をとられていて、日記に書き損ねた件の幕僚長に関する話を彼が馘首になった時の記者会見の日(11月3日)、MIXIにアップしていたので書き写しておく。

 なんで、外国(中国大陸)に相応の軍隊(師団級の部隊)がいたんだい?
 問題の時代、中国は日本とのあいだに「安保条約」のようなものでも結んでいたのかな?
 「多国籍軍」が中国に駐留する国際情勢にあったのかな?
 蒋介石の当時の指示によるテロ対象は中共だよ。だから、蒋介石の目を覚まさせるために、張学良は西安事件を起こしたんだよ。
 独自の説は結構だが、トンデモ論は、まともな論議には耐えない。つまり、自分が見た夢は裏付けなしには夢にとどまる。そのていどの現実が見えないようでは、・・・、よかったね、戦わない軍隊、自衛隊で飯が食えて・・・、大嗤いだ、こりゃ。
 タモカミ・センセは、あまり長いこと、安保体制下でアメリカ軍の下請けをやらされて、外国軍が他国に師団レベルで駐留することが、あたりまえと思っちゃったのかな? バカだねぇ。(以下、略)

 サンケイを除けばマスコミ論調はかなり批判的だったが、「政府見解と違う」だの「シビリアンコントロールの危機」だのをいう以前に、このていどの情報処理能力しか持ち合わせていない低能児が航空幕僚長を務めていることこそが問題にされなければならないだろう。

 この虚け者が航空幕僚長になったのは2007年3月とのこと。愚かさにおいてはどっこいどっこいの安倍晋三が総理大臣を務めていた時に重なる。幕僚長の人選に関する仕組みは分からないが、最近のこの国はバカがバカを呼ぶようにできているらしい。(11/18/2008)

 こんな研修PRメールが規格協会から来た。タイトルは「"戦略的社内標準化"のすすめ」。

 "社内標準化"ときいて、「面倒な仕事だ!」と感じたり、「書類をいっぱいつくることだ!」と考えられているむきはないでしょうか?
 もしそういうことがあれば、考え方を180度変える必要があります。社内標準化は、激変する経営環境の中で、力を発揮する戦略性の高い"マネジメントツール"なのです。今こそ、時代に打ち勝つ"戦略的社内標準化"に取り組みましょう。
 "なぜ、戦略的社内標準化が必須なのでしょうか?"
 「品質か?コストか?」といった議論は、もはや過去のものです。「高品質で低コスト・短納期」を同時に満足させることが、メーカーにとって市場に参画できる要件になっています。一方、仕事の現場も大きく変化しています。「熟練度のバラツキが大きい、多様な人員構成の現場」、「急がれる技能伝承」、「グローバル生産の拡大」など課題が山積です。この難しい状況における経営運営に、戦略的社内標準化が欠かせなくなっています。
 「複雑で特殊な部材」、「その人にしかわからない"仕事のやり方"」、「わかりにくい規格や手順」は、経営のムダ・ロス、そして間違いや問題の「発生源」です。
 そうではなく、厳しい環境に対応できるよう、「汎用化・共通化した部材」、「シンプル化・見える化された仕事」、「その時点での最もよいやり方の共有化」、「手順に従ってだれでもが同じように一定レベルの仕事ができる」といった姿を実現する必要があります。戦略的社内標準化とは、経営視点でこうした姿を積極的に作っていくことなのです。
 ご賢察のように、これは何も新しいことではなく、もともと社内標準化が狙っている姿です。しかし、社内標準化の実態は、形としての標準書の整備や、外部からの要請に対応した標準化など、「受身の標準化」がまだまだ多いように感じています。経営視点で「社内標準化というもの意味・狙い・効用」をしっかり再認識することが出発点です。
 経営のムダをなくし、筋肉質のモノ・仕事・現場を実現するために、経営ツールである「社内標準化」の大きな力を活用しましょう。

 お説はごもっともでありどこにも間違いはない。しかしこのご時世に自分の仕事を「手順に従ってだれでもが同じように一定レベルの仕事ができる」ようにすることに協力する阿呆はいないだろう。「だれでもできる仕事」をする人など理想的なリストラ候補になってしまうのだから。

 現場の協力がないのなら、管理者が作ればよいと言いかねないのがこの手の「先生」だが、そういう「標準化」がどれくらいの混乱をもたらすことか。先生が帰ったあとは前よりも悪くなることさえ珍しくはない。先生のもたらす「改善」はせいぜい「千三つ」。ところが先生たちはその三つを針小棒大に発表し、ご自分たちの手柄にする。

 「芋の煮えたもご存じない」先生たちにかき回された現場は「先生たちが夢のあと」。(11/17/2008)

 熟睡。一年に何度も見ない仕合わせな夢からの目覚め。こういう朝をあと何回くらい迎えられるのだろうかなどと思ってしまう。

 このあいだ、TOPIX連動投信で試みた方法を他に適用した場合の検討をしてみる。先週末、東京は前日比223円75銭高で終わったが、その夜のニューヨークは400ドルくらいのレンジの中で乱高下したあげく337ドル94セント安で終わった。

 日本時間のけさ終了したG20(!)金融サミット後、各国首脳は異口同音に成果を語ったが、こういう時の「一致」は不安感の裏返しでしかないことが多い。アメリカがもっと率直に誤りを認め、それに対する直接的な措置をとろうとしない限り国際協調は難しいし、新興国も含めた本当の意味の協調体制はできないだろう。市場はおそらくこのサミットに大きな期待はしていないだろうから、今回の貧弱な成果などはいわゆる「織り込み済み」のはずだが、各国首脳に対する「警告」(「がつん」と一発)は発せられるのではないか。

 いずれにしてもアメリカはこれから数年の間、CDSという地雷が埋まった地雷原を抜け出すことができないし、どれくらいの頻度かは誰にも分からないが地雷を踏んで即死する金融機関(ひょっとすると金融機関以外もあるかもしれない)が出るに違いない。ニューヨークは、その都度、ガラを経験し、常におびえる毎日が続くだろう。

 いまではニューヨークに対して強い相関を持つに至った東京は、そのたびごとにニューヨークをデフォルメした谷が訪れるに違いない。逆に言えば、現時点の相場よりもかなり高いポートフォリオをなるべく現在の価格水準に近づけるためには、このサイクルを的確に利用する必要がある。(11/16/2008)

 5時に目覚まし。5時47分の準急に乗り、腹具合が安定せず、便所に駆け込んだりして、なんとか八重洲のバス乗り場に着いたのは6時45分。既に**夫妻以外は全員集合していた。夫妻も遅れること5分で現れた。メンバーは**キャプテン、**、**、**、そして**夫妻の総勢7人。

 バスは7時に八重洲を出てアクアライン経由で木更津へ。8時過ぎには潮見のバス停に降り、買い物などしてから乗船。後部デッキで車座になって軽く朝食。9時前に出港。

 天気は雲間から、時折、日の射す高曇り。海は凪いでいて、寒くもなく暑くもなく、いい感じ。木更津を出てしばらくしたところで、突風を食らって帽子を海に献上。デイズニーランド近くまでいったところで猛烈な睡魔に襲われてキャビンに入り横になった。起こされた時には永代橋だった。川の方から岸辺の遊歩道を散策する人を見るというのは新鮮な体験。

 浜離宮を囲う堤の中でアンカリングして昼食。再び(といっても川に入った時は寝ていたのだが)レインボーブリッジをくぐって湾内に戻って、一路南下。風の塔を巻くようにして進み、ベイブリッジをくぐり、大桟橋を右手に山下公園、氷川丸とめぐってから木更津に戻った。横浜を出てからまた寝て、起こされた時は既にマリーナの中だった。本当によく寝た一日だった。

 八重洲でワイワイとにぎやかに鍋をつつき、9時近くまで談笑。楽しい一日だった。(11/15/2008)

 日経サイトにこんな記事。

見出し:「はんざつ」「みぞゆう」 首相、誤読連発
 麻生太郎首相は12日、母校の学習院大で開かれた日中青少年友好交流年閉幕式であいさつした際、日中両国首脳の「頻繁」な往来を「はんざつ」と読み違えた。中国・四川大地震に触れたところでも「未曽有」を「みぞゆう」と読んだ。
 首相は同日、首相官邸で記者団に誤読の多さを指摘されると「単なる読み間違い。もしくは勘違い」と釈明。首相は7日の参院本会議でも村山富市首相談話を「踏襲」と言うべきところを「ふしゅう」と答弁した。

 まあ学習院大学卒というのはこのていどなのかもしれないと思えば、さしたるニュースではない。

 それにしてもよせばいいのにバカな釈明をしたものだ。「頻繁」という言葉にはプラスイメージもマイナスイメージもないが、「はんざつ」という音から普通に浮かぶ「煩雑」という言葉にはどちらかというとマイナス・ネガティブイメージがある。スピーチの文脈は「いまだかつてなく日中間の往来が増加している」というところにあり、かつ、そのことを積極的に評価しようとするものであった。つまりプラス・ポジティブイメージを語る文脈の中ではこういう言葉は通常使われない。ということは「勘違い」ではなかろう。では「読み間違い」か。とすれば「頻」を「はん」、「繁」を「ざつ」と、ご丁寧にいちどきに二字も連続して読み間違えたのか、よほど母校・学習院に戻って緊張感が欠けていたのか。

 一方、「未曾有」、「踏襲」となると、これは誰かに書いてもらったものを意味も理解せずに棒読みして、国語力が横町のあんちゃんなみであることを露呈しただけのこととしか思えぬ。マンガの読み過ぎでおよそきちんとした読書などしたことがないのだろう。一国の宰相に教養人としての素養が認められないとは恥ずかしいことだが、まわりを見渡せば最近のこの国の平均はそんなものだと合点がゆく。

 ついでに書いておけば、このバカ総理のしゃべり方には特徴がある。語尾を妙に引っ張るのだ。「経済対策についてはァ~、中小企業への支援等を指示したところでありますがァ~」、こんな調子だ。これは事務方が用意したものを読み上げる時も、自説をそのままに述べる時も同じ。全体を把握して理解した後に、発声されるのではなく、「段落毎に部分読みしてから」、「とりあえず思い浮かんだことをしゃべってから」しか次のことを考えることができないという頭の悪さから来ているのに相違ない。ポジティブな文脈の中にネガティブな言葉を差し挟んでしまう「読み間違い」に気付かないのはそのためだ。

 「定額給付金」のウロウロぶりはそういう麻生の粗雑な頭の中をよく現していたと思う。(11/13/2008)

 相変わらず「定額給付金」問題でゴタゴタしている。きょうになってやっと政府・与党間で合意した内容は、一人あたり12,000円、65歳以上と18歳以下は8,000円をこれに加算。これだけだ。所得制限を設ける場合は課税所得が1,800万以上とするが、制限をするかしないかは各市町村が独自に判断してよいのだそうだ。

 バカもここまで来るとマンガだ。先ほど見たニュースでは総理は「地方分権でよろしいんではないですか」としゃべっていた。「アホか?」ではない「アホウだ!」、アホウ・タロー・ソーリ。

 もともとは経済対策のひとつとしての「景気刺激」策というのがふれこみだった。もっとも国民のほとんどは露骨な選挙対策だと思ったはずだ。その空気を読んだ与謝野が「高額所得者もいっしょというのはいかがなものか」といい、頭の悪い我が宰相は「そういう人はご辞退いただく」と応じ、議論はどんどんドリフトし始めた。

 こういうバカな「政策」に比べれば、もう少しはましな案がある。「消費税の一時停止」だ。

 「定額給付金」は全体で2兆円といわれている。国税庁の速報版によれば、昨年度の消費税による収入は還付その他を差し引くと7兆2,700億円弱。とすると、2兆円というのは約100日分の税収に相当する。つまり100日間、消費税ゼロにすることと等価ということだ。

 消費税がゼロになる期間、ものはかなり売れるだろう。景気は十分に刺激されるに違いない。たしかに一過性のものであることは間違いない、しかし定額給付金はそれ以上に一過性、ないしはブームさえ起こさないだろう。もちろん内税方式が定着した現在、相当の混乱も予想される、しかし定額給付金も混乱は必至といわれている。しかし約三分の一年、消費税がなかったあの時代に戻って、「低所得者に優しかった時代」を思い出すのは、本当の意味での税体系議論のためには悪くないような気がする。

 最大の懸念は消費税ゼロ解除後の反動が引き起こす消費の収縮だが、常々、消費税アップに熱心なマスコミや推進論者の皆さんは消費税率アップの影響期間はさほど長くないと力説されておられるから、元の税率に戻るなどというくらいのことはたいしたことではないに違いない。もしその影響が過大なものだとすれば、彼らが大嘘つきだったがよく分かるというものだ。やってみる価値はある。(11/12/2008)

 太田原工場で連絡会。午後の会議なので在来線でゆっくりと行くことにした。きょうのお供はガルブレイスの「大暴落1929」。こんなくだりがあった。

 仕事をしているときは、いろいろな理由から集まる必要が出てくる。指図を受ける、相手を説得する、手順について同意する、等々だ。仲間と一緒の方がよい考えが浮かぶとか、一人で考えるよりは楽しい、という理由もあるだろう。だが、仕事をするためでなく集まる理由というのも多々ある。話し相手を見つけるとか、一人の退屈を紛らわすとかいった理由である。ひとつ議長を務めてみたいから自分が仕切れる会議を招集してやろう、ということもあるかもしれない。さらに、やるべき仕事があるからではなくて、やるべき仕事をやっているという印象を与えるために開く会合というものもある。こうなると、何かをするために集まるのではなく、集まること自体が目的になる。

 きょうの連絡会はこれには該当しない。しかしわざわざ大田原まで行って会議をやる必然性に関しては少しばかり疑問があるなあと微苦笑しつつ、最近なにかと話題になることの多い80年ほど前の惨劇に関する記録を読むことができた。(11/11/2008)

 昨夜は会心のゲームだった、客観的に書けば、ライオンズ・ファンにとっては。ジャイアンツ・ファンにとってはショックの大きいゲームだったに違いない。

 先発はライオンズが西口、ジャイアンツは内海。初回、片岡が三遊間を抜くヒット、二盗を決め、内海の暴投で三進しながら栗山は三振、続く中島のショートゴロで本塁にスタートを切り、挟まれてアウト、続く中村が凡打してチャンスを逸したのに対し、ジャイアンツはツーベースの小笠原が三進した後に、西口の暴投で先制。2回には先頭の坂本にライナーでレフトスタンドにたたき込まれ、0-2。

 ライオンズは3回から石井に代わった。石井は明らかに第三戦の借りを返す意識で試合を立て直した。このまま石井で押すのがいいと思っていたら5回二死ランナーなしで渡辺は石井に代打ボカチカを立てた。絶対に間違いだと思った。**(家内)に「ここでボカチカがホームランを打ってもただそれだけだ。次の回も石井で三者凡退にとって片岡からの打順で・・・」と言っていたら、ボカチカはホームランを打ってしまった。5回からは涌井。涌井はパーフェクトだった。ジリジリする展開だった。

 おかしなことに気づいた。まわりの圧倒的ジャイアンツ・ファンが勝ったような気分でいることだった。3・4・5・6と三者凡退、坂本のホームラン以降、15人連続で討ち取られているというのに。どうやら彼らのほとんどは野球を知らないらしい。そろそろだろうと思った7回、一死から平尾がセンター前にライナー性のヒットを打ち、佐藤は四球を選んだ。そして石井義人。右中間のヒットをイメージしていた。しかし越智はこれを三振に退けた。(見逃し三振になった球は球審・谷がジャイアンツにプレゼントしたストライクだったと思う・・・思えばこのシリーズ、明らかな誤審がふたつ、細かなごまかしは十指を折る程度、すべてそれはWBC監督・原へのプレゼントだったのだろう)

 それでも7回は星野がまたジャイアンツを三者凡退に抑えた。後ろの席に座っているジャイアンツ・ファンはのんきな「解説」をやっている。こいつらバカじゃないかと思った。坂本のホームラン以来、誰一人として出塁していないのに勝った気分でいる。

 そして8回が始まった。越智の続投をまず嗤った。原はミスをしたと思った。はたして先頭の片岡が2球目死球を食らうと、そこからはあっという間だった。「来た・見た・勝った」というのはカエサルの名言だが、「走った・送った・還った」、たった3球。栗山への初球、片岡は易々と二盗を決めた。そして栗山への二球目、ファーストへ絶妙の送りバントが決まった。打席に入った中島への初球、サードゴロ。サードが捕球した時に片岡は三本間のほぼ真ん中に来ていた。まるでスクイズのようなプレーだった。「走って、送られて、生還した」。

 ジャイアンツ・ファン同様、ジャイアンツ・ベンチもこのリズムを切る知恵を、プロでありながら、持ち合わせていなかった。ある意味でこのことは責められないだろうが、同点の後、越智を続投させたのは完全なミスだった。越智はおそらくベンチの指示で中村を歩かせた。ネット裏の観客は上品だ。野次を飛ばす人はいない。しかしもう抑えが効かなくなっていた。この試合はじめて野次ってやった。「オチこめ、越智。野田を歩かせたら負けだぞ」。

 そんな野次が越智に聞こえたはずはないが、越智は野田にまで四球を与えた。ところがジャイアンツ・ベンチはそれでも動かなかった。越智以上に落ち込んでいたのかもしれない。平尾のセンター前へのゴロのヒットはもう必然の域に達していた。もちろんこれはただの結果論だ。なぜなら、9回表、ライオンズは赤田の三塁打でノーアウト三塁のチャンスをつぶし、一点差でその裏のジャイアンツには小笠原とラミレスの打席があったのだから。それにしても木村の代わりに阿部はなかったのだろうか。その阿部はラミレスの打席の時、ネクストバッターに立っていた。そしてラミレスのショート・ゴロのあともその場に立ち尽くすようにしていた。

 原をWBCの監督にしておいていいのかな、そう思わせるラストだった。(11/10/2008)

 きのう、夜のこと。ドームから帰ってきた**(上の息子)が、ひとしきり試合について語った後、「ところで、あしたの試合のチケットがあるとしたら、行く?」と切り出した。「君のチケットだろ」というと、「イヤ、別の席なんだけど、あるんだな、これが」。そして「どういう席だか、東京ドーム・座席表で検索してみてよ」とうるさい。22ゲート、25通路、4列、・・・、バックネット裏、本塁より若干三塁寄り、センターカメラから映りそうな場所だ。

 L-G対決、3勝3敗の日本シリーズの最終戦、おそらくこの国で見られる最上ランクの試合を、そんな席で見られるなどということは、あとせいぜい20年程度の残された時間の中ではないだろうとは思いつつ「**(上の息子)がそこで見ればいいじゃないか」、「いや、もう先輩と見る席は決まってるから」と言う。

 ・・・というわけで、きょうはこれから東京ドームへ。(11/9/2008)

 おととい、西武ドームで負けて、王手をかけられてしまったライオンズ、きょうは圧倒的ジャイアンツファンの前でシーズン最終戦を消化することになるのかと覚悟をしていた。しかし勝負事というのは本当に分からないものだ。

 初回、レフト・ラミレスの頭を越える(それほどの当たりには見えなかったが)平尾の三点二塁打での得点が、スタンドの優勝期待に煽られるジャイアンツの拙攻を招いた。こういうモードになるとジャイアンツというのは脆いチームなのだ。それにしても4回裏一死一・三塁からリリーフした岸はすばらしかった。さすがに中二日ということで8回、9回と一発同点のピンチがあったものの8回はラミレスをセカンドフライ、李を三振、9回は木村、鈴木を連続三振に仕留めて、逆王手をかけた。

 ヒーローインタビューを受けた岸は「・・・逆王手をかけられていましたから・・・」とのたもうた。オイオイ、岸クン、「逆王手」という言葉の使い方が違っているよ。(11/8/2008)

 麻生総理自らの発表でウケを狙った定額給付金の話が二転三転している。なにかというと「バラマキ」・「ザイゲン」の二語で責任ある与党の立場を主張してきた自民党がまさに「バラマキ」そのものをやるというのだから嗤いを通り越してあきれ果てた。

 はたして一部には「バラマキじゃないか」という指摘も上がったが、自民・公明の提案となれば、「この際、なにかをすることが大事だ」という声がしっかりと報道されて、さすがにポピュリズム時代のマスコミはたいしたものだと苦笑した。

 麻生は自信満々、「家族四人ならば6万円になる、どうだ」とふんぞり返ったが、「苦いこと言うのが私の仕事」と割り切っている与謝野経済財政担当相が「高額所得者も一律というのはおかしい」と至極当然の見解をテレビ討論の場で開陳した。

 6万円で一月食いつなごうという所帯もあれば、6万円ぐらいホテル・ラウンジの一回の支払いに蕩尽して差し支えない大臣さんもいる。そのくらいの想像力は誰にでもある。これがまさに「定額給付」なるもののいかがわしさそのものだ。

 足下からあまりにまっとうな指摘を受けて、自らの愚かさを知らされた形の麻生総理、最初は「それはその通りだが、どのように選別するかは技術的に難しい」と釈明した。あわてふためいた自民・公明両党も「高額所得者には受け取り辞退を促す」という、いかにもノータリンのバカどもが思いつきそうな愚かな付けたしに落としどころを求め、バカさ加減においては麻生とどっこいどっこいの中川昭一は「迅速性が大切だから、この方向で行きたい」とした。(どうもこの国の「タカ」は脳みその量が圧倒的に足りないらしい、もっとも頭が不自由だから、でかいもの・強いものこそ一番と思い込むのだろうが、呵々)

 ところが、正論家・与謝野馨はきょうの閣議後の記者会見で「高額所得者が受け取りを辞退するというのは制度ではなく、あり得ない」と語った由。ちょっと分かりにくい日本語だが、そもそも世事万端にわたって抜け目がないから高額所得者たり得る手合いが大多数であるとしたら、そんな連中が「私は高額所得者ですから、ご辞退申し上げます」などと言うものか。そんなことは他でもない自民党なり公明党の議員さん、自分の胸に手を当ててみれば分かるだろうに。

 バカな宰相と、心の卑しい議員連、与謝野よ、嫌になるだろう。

 そういえば平生「正論」を看板にしているクソ新聞、定額給付をなぜクソミソに叩かないのだ、「正論」を開陳するには絶好の場だというのに。それとも「正論」はタダの言葉のアヤか、呵々。

§

 筑紫哲也、逝く。肺がん、73歳。いまや絶滅に瀕している気骨ある報道人だった。(11/7/2008)

 よる10時からNHKでオンエアされた盲目の一家のドキュメンタリーを見ていて、きのうの朝のことを思い出した。

 電車が立川を過ぎたところで背後から声がした。「手すりはどこですか?」。振り向くと、白い杖を持っている。「こちらですよ」と手を取って7人掛けを4-3に区切る中間にある手すりを握らせてあげた。

 すると「出口はどちらですか?」と訊ねてきた。どうやら彼はドア脇の手すりにつかまりたかったようだった。

 「次、降りるんですか?」、「いえ、豊田です」、「豊田なら、僕と同じです、案内しますよ」、「ありがとうございます」。そんなやりとりをして豊田で降りた。

 彼がホームに立つところまで案内して手を離した。さほど急いでいるわけではないが、同じ人にずっとついてもらうのは少し気詰まりだろうと思ったからだ。

 通い慣れているのか、彼はスムーズに階段を上った。改札口に向けてUターンすべきところで、彼はさらに前に進もうとした。近くにいた人が、肩を叩き、改札口の方に向かせた。幾人もの人が彼を気にかけている・・・、世の中捨てたものではない。

 ところが彼は少しもたついた。改札口まで手を引いてあげた方がいいかと、手を取ろうとした時、「・・・点字ブロックの方がいいんです、先に行って下さい」と彼は言った。

 健常者は最短距離を歩く方ことを当然としている。しかし盲人にとってはそれは「当然」ではない。最小限の補助と最大限の自己努力という組み合わせの方が彼らにとっては心地がいいらしい。そういう点でハンディキャップを持っている人の方が、手前勝手なくせになにかと他人の配慮を期待している多くの健常者より遙かに凛々しい人間なのかもしれないと思いながら工場の門をくぐったのだった。(11/6/2008)

 定時のチャイムとほぼ同時にシステムの電源を落とし、40分発の電車に飛び乗った。それでも西武球場前の駅に着いたのは18時38分。既に試合は始まり、すさまじい歓声が聞こえてきた。**(上の息子)が取ってくれた席はかなりホーム寄りだったため、徐々に高くなるほぼてっぺんまで登らなくてはならない。着席したのは結局45分。

 三塁側、サードベースよりは本塁寄り、前から8列目。まわりは全国各地どこでもウジのようにわいてくるジャイアンツファンばかり。一塁側だとあまりエキサイトすることはないのに、こういうシチュエーションだと妙にエキサイトしてしまう。生まれつき反骨の血が流れているのか、それとも、ただのアマノジャクなのか。やがて、**(上の息子)、**(家内)と順に到着。

 先発はライオンズが岸、ジャイアンツがグライシンガー。遠目にはさして威力のある球とも思えぬ岸をジャイアンツが打ちあぐねているうちに、グライシンガーが実力を発揮、中村に連続ツーランをくらい、5-0のワンサイドで終わってしまった。ひとつ負け越しているわけだから、楽勝というのは望むところだが、ほとんどドキドキしないゲームというのもつまらないものだ。

 もう一つの「試合」もそういう意味ではドキドキしないものだった。アメリカ、大統領選のことだ。オバマが圧勝した。あわせて行われた上下両院の議員選挙も民主党が圧勝に近い勝利。共和党はサル大統領の「惨憺たる業績」と心中した格好。

 「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」という本が話題になっているそうだが、そういうアメリカ人の代表のようなペイリンおばさんを、いくらその手のマニア雑誌のご所望とはいえ、「草の根保守の女神ペイリンが流れを変えた」と持ち上げてみせたらしい中岡望先生、どんな釈明をするのか、少しばかり興味がある。なかったことのように口をぬぐうとしたら、売文屋としても失格。(11/5/2008)

 そろそろアメリカ大統領選の投票が始まる。ブッシュとは違うと主張しながら、なおも共和党伝統の小さな政府を主張し(そもそも戦争という事業は「大きな政府」によってしかなされない「大事業」のはずで、その意味で共和党の主張は最初から論理破綻しているのだが)市場原理主義を野放しにしようとするマケインが勝つのか、中産階級の消滅という現実を前にレーガノミックスというブードゥーエコノミックスを否定しようとしているオバマが勝つのか、あしたの今ごろには結果が出ているはず。

 世論調査などの予測は圧倒的にオバマ優勢ということだが、最近、彼の地では繰り返し繰り返し「ブラッドリー効果」という言葉が流布されるようになった由。

 対面で行われる世論調査では「自分は差別主義者ではない」というタテマエで対応し、投票用紙に記入する段階になると「ニグロなんかに当選させたくない」というホンネが現れるという白人が相当数いて、これによりマケインが事前の予想をひっくり返すかもしれないというわけ。底の浅い「ペイリン旋風」が一過性で終わり、ウォール街のつまずきが尋常のものではないと分かったあたりから、このブラッドリー効果がことさらに強調されるようになった。

 大統領選挙のみならず、最近のアメリカの選挙では投票機や集計システムが共和党有利に手を加えられているという「ウワサ」が絶えない。2000年のフロリダの茶番劇はブッシュの弟、ジェブ・ブッシュの差し金により起きたものだというのはおそらく間違いのないところだろう。

 いま懸念しているのは今回も共和党が選挙への不正操作を試みている、あるいは試みようとしているのではないかということ。事前調査の成り行きと著しく異なる結果が出た時に、いまや詐欺師の異名になり果てたリパブリカンどもはしたり顔でこういうのだ、「フフフ、これがブラッドリー効果だ」と。

 こんな悪夢の起きないことを祈る。(11/4/2008)

 午前中、階段突き当たりのもの入れを整理。**(弟)の写真用機材がごっそり。引き伸ばし機とか乾燥機、暗室用のライト。印画紙用の箱からは撮りためた写真が出てきた。

 東原中学の写真もある。同じ女の子の写真が何枚も入っている。修学旅行の時と思われるものの他に証明書にでも使いそうな写真もある。頼まれて撮ったものか。この子も既に50を越え、早ければお孫さんもいるのかもしれない。それとも、時の流れは非情だから、**(弟)同様、亡くなっていることだってある。箱から出てきた写真はすべて在りし日の断面ということになる。

 昼前に**(上の息子)に廃棄品を処分場まで運んでもらった。「クリーン・センターに右折するところから行列だった」とのこと。リサイクル希望にした写真用機材は「検討します」という返事だった由。いまどき銀塩カメラを使って自分で現像したり、引き伸ばしをする人などいないのかもしれない。

 **(家内)は物置の片付けにチャレンジ。昔の車のスノータイヤと園芸用品を残してほぼ空にできた。これで残りは一階のみになった。もっともまだ手のついていない引っ越し荷物が数える気にならないほどあるのだが・・・。午後にもう一度クリーン・センターを一往復。(11/3/2008)

 きのうは和久井の好投、後藤・中島の二発でライオンズが初戦を制した。ただ「快勝」だったかというと必ずしもそういう印象ではない。

 連勝を期して、**(息子)がとってくれたチケットで東京ドームに乗り込んだのだが、延長戦の匂いが漂う9回裏、ラミレスのサヨナラホームランを食らって負けた。連夜の先制点を中島の逆転ツーランでひっくり返したものの、そのあとはキッチリと押さえ込まれて盛り上がらない試合だった。

 「地合が悪い」という言葉があるが、何となくそんな感じの一・二戦。それにしても、よく遊ぶ家族になったものだ。(11/2/2008)

 今週、水曜、日本時間では木曜未明、FRB政策金利の誘導目標を0.5%下げて年率1.0%にした。そして日銀はきのう0.2%下げて0.3%にした。ゼロ金利から0.25%ずつ引き上げてきた経過から考えると、0.2%というのはどこか意地になっている日銀の姿勢が見えるようで可笑しい。0.05という数字に「ゼロ金利」復帰までにあと2度(0.15%×2)という意思を見るか、あと3度(0.1%×3)という意思を見るか、どっちだろう。素人目にもこれがただの後追いに見えるというのでは、効果は既に限定的なのではないか。しかし、昨夜からけさのニューヨーク市場も続伸しているから、いま940円で張っているTOPIX連動投信の週内の回収が期待できるかもしれない。

 さてそろそろ日本シリーズ第一戦が始まる。(11/1/2008)

 夕刊二面のふたつの記事。ひとつの見出しは「北朝鮮拉致巡り日本など決議案」、もうひとつの見出しは「日本は死刑廃止検討を/国連人権委改めて勧告/慰安婦問題にも言及」。それぞれの記事を書き写しておく。

 【ニューヨーク=松下佳世】日本と欧州連合(EU)各国などは30日、北朝鮮の人権状況に「非常に深刻な懸念」を示し、拉致問題の早期解決を求める決議案を国連総会第3委員会(人権)に提出した。北朝鮮に対する同様の人権非難決議は3年連続で採択されており、今年も賛成多数で採択される見込みだ。

 【パリ=飯竹恒一】国連規約人権委員会は30日、日本の人権状況に関して問題の改善勧告を含む「最終見解」を公表した。日本政府に対し、死刑制度については「(国内の)世論調査に関係なく死刑制度の廃止を検討すべきだ」と勧告。扱いが注目されていた従軍慰安婦問題では「法的責任を認め、謝罪するべきだ」として、「決着済み」とする日本政府の主張を退けた。
 対日審査・最終見解は98年の前回以来10年ぶり。
 最終見解は、死刑制度について日本政府が存続の根拠として「世論の支持」を主張し続けていることに対し「政府は国民に廃止が望ましいことを知らせるべきだ」と指摘した。死刑制度に関しては前回の最終見解でも廃止に向けた勧告が出たが、国際的な死刑廃止機運の高まりを受けて表現は厳しさを増した。
 慰安婦問題は、前回は最終見解に盛り込まれなかったが、今回は言及。「生存している慰安婦に十分な補償をするための法的、行政的なすみやかな措置」を求めた。昨年、米国下院で日本政府に公式謝罪を求める決議が採択されるなど、国際的な批判の高まりを背景にした指摘とみられる。
 最終見解は代用監獄制度に対しても廃止を勧告した。死刑制度や慰安婦問題に関して日本政府は、審査段階の質疑で国内状況を説明して理解を求めたが説得力に欠けたとみられる。対日審査は5回目。勧告に法的拘束力はない。

 人権嫌いの言説が声高に語られる最近のこの国の状勢では、死刑制度は存続、従軍慰安婦には頬被りというのが「常識」だ。ということは北朝鮮の蛮行については口頭で「返せ・戻せ」とはいうけれど、「拉致は人権問題」ということになるとあまり強いことは言えない・・・と、このあたりが「常識」の線なのだろうか。やれやれ、たいした国だ。(10/31/2008)

 朝刊三面の「経済危機の行方」、きょうはエマニュエル・トッド。大見出しが「いまや米国は問題もたらす存在」。

 要約するとこんなことになる。資本主義が唯一の現実的制度であることは間違いがないが、セルフコントロールを失った資本主義は最悪のものだ。アメリカ的な自己中心、自己愛ばかりの資本主義がグローバルに広がったことが問題。現在の状況を脱するために、欧州、北米、極東といったエリアごとに保護主義圏(彼はあえてこの評判の悪い言葉を使っている)を構築し、まずそれぞれの地域経済を再構築することだ。それぞれの域内での内需を拡大し自立を図ることが重要。「中国の輸出総額は国内総生産の40%に相当する規模だ。これは日本や韓国をまねた結果で、明らかに不自然だ。輸出によって13億人を養おうとしても、国際市場が回転しなくなったらどうなるのか。このままでは中国は崩壊しかねない。ただ中国にはもっと違った道がある。経済の構造を10年から15年かけて内需指向に転換すれば、大きな改善が見込まれる」。「中国は自分の畑をまず耕すべきだろう」。

 世界に厄災しかもたらさなくなったアメリカに対するトッドの見方は厳しい。「米国の将来について、私は悲観的だ。米経済の土台は非常にもろい。それは単に貿易収支の問題を超えている。たとえば技術者や科学者の育成で、米国は欧州やアジア各国にはるかに後れをとっている。経済を引っ張るのは弁護士でなく技術者だ」。最後のフレーズにわが意を得たと思う者は多かろう。

 ひたすら「アメリカでは・・・」を繰り返してきたこの国の浅薄な英語屋(通訳のことを指しているのではないアメリカを「翻訳して」あたかも自分の哲学・アイデアであるかのように語る輩のことだ)たちはいまでもアメリカ賛歌を歌っている。安全保障をお題目に属国に甘んずることを外交だの軍事の要諦と信じ込んでいる売国者どももごまんといる。

 談話の結びはこうなっている。「危機に対して各国の政府が無力だったのは、ウルトラリベラリズムの発想しかなく政治が経済に対して受け身だったからだ。事態を予言する経済学者もいたが無視された。解決策は複雑ではない。ほかのエコノミストたちがそれを考えようとしなかったのは、考えないことで給料をもらっていたからだ。今回の危機で、そんな連中の高慢さも最初に破壊された」。

 考えないことで給料をもらっているエコノミストというくだりを読んで、いの一番に浮かんだのは竹中平蔵の顔だった。(10/30/2008)

 底値からワンテンポ遅れた形で、きょう、TOPIX連動投信を840円で1,180口、買った。1,180口と刻んだのは手数料ランクのため。

 底値で買うことは難しいとしても700円台で変えなかったのは勇気がなかったから。百万レベルに留めたのは最悪このままホールドになってもいいという前提でしか勝負できないから。

 どこまで上がったところを狙うかは相場次第。さて思惑どおりしばしの戻りがあるか。つかの間の晴れ間を期待しているところ。

 そうだ、きょうはいとぢゅんの命日だった。きのうは**(弟)の命日だったし。こうして、だんだんに、そこここの日が、身内や友人や知人の忌日で埋め尽くされてゆくんだろうな。(10/29/2008)

 明治記念館で「IPAフォーラム2008」。主に人材育成に関する講演を聴講。せめてセンターに異動する最初のミッションに関係することの一部くらいはまとめて卒業したいと思ってのことだが、川辺に導いても水を飲んでくれるかどうか・・・。言い訳なのだが。

 リブロをブラブラ。堀口大學の「月下の一群」。講談社文芸文庫は高いからなぁと思いつつ、パラパラめくっていたら、「あの詩」に行き当たった。題は「落葉」。作者はルミ・ド・グウルモン。

シモオン、木の葉の散つた森へ行かう。
落葉は苔と石と小径を被うてゐる。

シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?

落葉の色はやさしく、姿はさびしい、
落葉は果敢なく捨てられて、土の上にゐる!

シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?

夕べ、落葉のすがたはさびしい、
風に吹き散らされると、落葉はやさしく叫ぶ!

シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?

倚りそへ、われ等も何時かは、哀れな落葉であらう。
倚りそへ、もう夜が来た、さうして風が身にしみる。

シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?

 この詩は「薔薇色の贄」というエロ小説で知った。赤い箱に銀色の装丁。ある私立学園一の美少女が高利貸しの狒々爺に嫁ぐ。狒々爺にはサドの気があり、美少女には過酷な運命が待っているといういかにもの設定なのだが、ただのエロ小説とは言えぬ香り高さが漂うものだった。

 その中にこの「シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を」というリフレインを含むこの詩があった。作者は八巻令というペンネーム。小説全体の描写にはもちろんエロ小説として必要なものはきちんとあるのだが、この詩はなかなかのレベルだし、どこかから引いてきたものだとしても作者はどんな人だろうと思わせた。

 八巻令は数多くのペンネームを使い分けた人で一番よく知られているペンネームが千草忠夫。既に10年以上も前に亡くなっている。伝え聞いた話では北陸のある中都市で女子校の教師を務めながら執筆したとのこと。「八巻令」というペンネームが「やまき・れい」だとすれば、日本アルプスの峰々を遠望しながらつけたものかもしれない、「やま・きれい」。私生活を秘して黙々と書き続けた人物はどんな人だったのだろう。(10/28/2008)

 先週末の予想どおり東証はきょうさらに下がった。終値は7,141円27銭。バブル後の最安値記録(03年4月末の由)、これは82年10月7日の7,114円64銭以来、おおげさに書くならば四半世紀分が吹っ飛んだということ。

 TOPIX連動投信は一気に800円を割って770円。ここ半月検討している短期の買い・売りによるポートフォリオ改善には絶好の機会と頭では考えるものの、とてもその心臓は持ち合わせていない。それでもボベスパ連動、RTS連動、JFEあたりでシミュレーションをしてみる、このいぢましき小心。

 WBC監督に原辰徳。意地汚い星野が固辞せざるを得なかったのは当然としても、日本シリーズ優勝監督が就任するのが一番いいという王の意見はどうなったのか。詮ずるところ、読売グループ・ナベツネとしてはスポットライトをよそに当てるのはイヤということなのだろう。ところで、もし、原が日本一を逃したらどうなるのか。楽しみなことだ。(10/27/2008)

 引っ越しのバタバタの中で未だに出てこないものがいくつかある。

 所沢に引っ越したのは84年の春頃だった。35の歳になるまでに、小樽から名古屋、名古屋市内で一回、名古屋から東京、東京から札幌、札幌から名古屋、名古屋から中野の学生寮、学生寮から下井草、下井草から新座、新座の建て替えで仮住まい、仮住まいから新座、新座から所沢と11回も引っ越しを繰り返した。平均すると3年に1回。それがここ二十数年の間、建て替えの時を除いては一度も居所を変えなかったわけ。引っ越し下手になってしまったのも無理はない、か。

 本だけは・・・のはずが、箱ごと出てこないものもある。本棚にあったものはナンバーリングした箱に順に詰めたから問題なかったが、座机の周りにあったものと天井裏に上げてあったものがダメ。いまの状況に重なるところがあって、ここに書き写そうと思っていた本が見あたらない。ムキになって探しても出てこないのは、別にこういうシチュエーションに限るわけではない。

 陽水の歌にあるように「探すのをやめた時、見つかることもよくある話」で、さっき出てきた。リディア・フレムの「親の家を片づけながら」。ところがいったいどこが書き写したいところだったか、こんどはそれが見つからない。皮肉な話というか、記憶の蒸発が早くなったことに愕然。(・・・というよりは、ネットにアップ、つまり「観客」を意識しているためにこんなことになるのだ)(10/26/2008)

 **(家内)、**(息子)と**(弟)の墓参り。**(息子)はこういうことは欠かさない。同じ歳頃、自分はどうだったかと振り返ってみると、頭が下がる思いがする。それが嬉しく、ちょうど月末の土曜だったと思い出して、児玉畜産に寄りステーキ肉を買った。小一万の買い物だったが、夜にはこちらの分までペロリと平らげて平然としている。

 もう5年になる。**(弟)が使っていた部屋にパソコンを置き、本棚から法律関係の蔵書と法律時報・判例時報・ゼミ資料・ノートの類をすべて追い出して、本道楽が集めたまとまりのない雑書を収めた。「許せよ」と小さく呟いてみたが心の片隅の疚しさは去らない。それは本のことだけではないことが自分でよく分かっているからだ。墓参りはそんな気持ちを落ち着かせるためでもある。

 いいか、できるなら年に一・二度、夜を徹して、読んだ本のことやあれこれと考えていることを語り合いたかったんだぞ。親より先に逝くからオレはえらい迷惑を被った。偏食するからだ、バカ野郎。(10/25/2008)

 東証急落。終値7,649円8銭。8,000円割れは5年5カ月ぶりの由。

 TOPIX連動投信は安値818円をつけて、終値が821円。これは高値で構成されたポートフォリオを改善するチャンスなのかもしれないが、これほどの急落を見ると、買う勇気はわいてこないものだ。

 気を取り直して、ニューヨーク市場はけさ三日ぶりに上昇して終わっていたっけと思い、トレンドグラフを見ると、寄りつきから急落している。あしたの朝、成り行きを見て週明けの対応を考えることにしよう。それにしても、こうなると「面白い」を通り越して「怖い」というのが正直なところ。

 本棚の組み立て。計画ではこれを終えると主だった積ん読本はすべてこの部屋に置ける。半年ほど先にひかえた「毎日が日曜日」状態が待ち遠しい気分。(10/24/2008)

 中岡望が「草の根保守の女神」と持ち上げたペイリンにちょっとしたスキャンダル。アラスカ州知事時代の昨年秋、ニューヨーク出張に同行した娘の費用を公費から支出していた由。まあ、このていどの公私混同はよくある話なのだろうが、副大統領候補の指名を受けた共和党大会とそれ以降の衣装代とアクセサリー代、15万ドル相当を共和党に負担させていたとなるとひとことくらいは書きたくなる。

 「わたしはどこにでもいるサッカーママ」だとか、「ワシントンのエリートではない」とかいうことが売りならばジーパン・トレーナーで選挙活動をすればよかろう。なんのことはない、他人のカネで着飾ることができるなら、あれでもこれでもなんでもやってしまうというのでは、「どこにでもいる自制のきかない普通以下のオンナ」ということではないか。

 あわてて出した共和党選対本部の釈明もありきたりで嗤わせる、「選挙が終了したら慈善事業に寄付することになっている」というのだから。「草の根保守」などとことさらにいうから「平凡な人の非凡な知恵」かと想像したが、とんだ買い被りだったようだ。(10/23/2008)

 朝刊に「空港阻む立ち木」の見出しで、来年3月予定の静岡空港の開港が遅れるのではないかという記事が載っている。

 お茶畑の真ん中に石川嘉延知事が反対を押し切って建設した「赤字廃港必至」の静岡空港。開港期限を守るためには11月1日までには国交省の完成検査を受けなければならないのだが、滑走路の西方延長線上に航空法の制限を超える立ち木があるため当初設計の滑走路のままでは検査を受けることができないことが、先月になって分かったのだそうだ。

 通常ならば、立ち木を伐採すればよいのだが、この立ち木、空港建設反対派の地主の所有地にあるため県当局としては頭を下げるわけにはゆかず、滑走路を設計値の2500mから短縮する方向で検討している由。なぜこんなバカなことが起きたのか、理由を問われた知事は「木が成長して伸びたからだ」と答えた由。さすがに「すべてに杜撰な計画であったからだ」とは言えなかったのだろう。この時代遅れの開発主義者の知事がメンツだけにこだわって建設した空港だけのことはある。

 記事には滑走路の短縮のために誘導灯その他の施設の追加工事が必要になり、完成検査がかなり延びることになるとしか書いていないが滑走路の短縮がもたらす影響は甚大。離発着する航空機が小型機に限定されることは痛かろう。もともと静岡空港の利用者見積は設置許可申請時には年178万人、2000年には121~128万人、根強い反対を押し切って強制収容を始めた頃には106万人と、バナナのたたき売りもびっくりの一大ディスカウントをしてきた。これで小型機運航しかできぬとなれば年間数十万人を確保することも難しくなろう。

 お茶畑の中の無駄遣い空港が閑古鳥の鳴き声とともに廃港になった暁には、静岡県民は石川とその一族に特別課税でもして銅像なり「顕罰碑」でも作り、永く愚昧公・石川嘉延の罪責を記念したらよかろう。(10/22/2008)

 川崎工場で火力統括部プラント試験課のPMS監査。

 おそらく川崎工場もきょうが最後になるはず。プラント試験課は昔の技術棟の2階。入社して間もない頃、設計室にいた頃はずいぶん通った。ソフト部隊が川崎にいたからだ。

 翌日の打合せ分のシーケンスを書き上げる頃には、複写室はとうに閉まっていてコピーは自分でとることが多かった。100ページていどでも3部、4部となると、かなりの重量になる。とくに湿式のコピー(リコピーといった)は生乾きの状態ではずっしりと重かった。それを鞄やら紙袋に入れて通った。

 南武線はまだチョコレート色の古い車両でドアは片開き、車両中央にはポールが立っていた。川崎駅前からバス利用というのはいまも変わらないが、ずっしり重いシーケンスをもってラッシュ時のバスに乗るのはちょっとした労働であった。

 こうして思い出してみると、それなりに必死に仕事をしていたんだなぁと思わぬでもない。

 南側の敷地の一部を売却した関係で技術棟は往事の半分になってしまった。技術部門でまだ川崎工場にいるのは発電プラントだけ。したがってかつての「技術センター」の面影は残っていない。大げさに言えば廃墟のような感じの旧技術棟には子会社とほとんど会社にいることのない試験部隊だけがいる。いささか暗めの建物はよけいに暗いような印象を受けた。(10/21/2008)

 中国の第3四半期の成長率が9%に落ち込み、通年では10%を割るのではないかというのが夜のニュース。すべての災厄は中国を震源地とするとしたい中国嫌いの人々は、楽しそうに「北京オリンピックが終われば、バブル経済が破綻し中国経済は崩壊する」と「予言」し続けてきた。

 皮肉なことにバブルがはじけて深刻な事態に直面したのはアメリカだった。大半のエコノミストはアメリカにかかりきりになり、嫌中派の人々にとってはまことに残念なことに、関心は中国経済からそれてしまった。しかしまさにそのアメリカ経済の変調(「変調」などという生やさしいものではないような気がするが)こそが中国経済のつまずきになることは間違いない。

 蓋然性の高いシナリオは、不動産バブル崩壊を引き金とする中国経済の壊滅的な「自己」崩壊という嫌中派が大好きなものではなく、世界的なリセッションの中で中国もともどもに不況になるというものだろう。(なぜ嫌中派がバブル崩壊にこだわるかといえば、それならば中国単独であるからだ。つまり中国にコミットした企業のみが痛い目に遭うということが彼らの琴線に触れるというわけ)

 中国の広範な大衆が安定的な購買層になってくれることは不況の谷を深くしないことにつながるわけだから、一部のイデオロギー信奉者を除いては世界不況の中でも中国がプレイヤーとしてとどまってくれることを願うに違いない。とすると、新自由主義者の詭弁に似た鄧小平の「豊かになれるものから豊かになり、貧しいものを引き上げてくれればよい」という言葉がどのていどの真実味を発揮するか、共産党中央がどのていどの経済運営能力をもっているのか、そのあたりが気になる。(10/20/2008)

 朝刊に面白い心理学実験の結果が出ている。

 電子メールを使った場合、手書きの文書に比べてうそをつく傾向が約1・5倍になったことが米リーハイ大(ペンシルベニア州)などのチームの実験でわかった。うそがばれた場合、手書きの文書は責任が問われやすいなどと感じるためらしい。米経営管理学会で発表した。
 ネット社会は実社会に比べ相互不信などが起きやすいとされる。こうした現象を探るため、チームはこんな実験をした。
 経営学大学院のクラスで、院生48人に仮想的な「賞金」としてそれぞれ89㌦(約9千円)を渡し、別の人と2分割するように指示。院生には「相手は、あなたがもらった額は5㌦から100㌦の間ということしか知らない」と伝えた。
 院生は「私は何ドルもらったので、あなたの分け前は何ドル」という内容の連絡を電子メールまたはペンと紙で行った。賞金の分け方でうそをつく院生は多く、特に電子メールの場合の確率は92%。ペンと紙の場合の64%を大きく上回った。また、前者が「自分がもらった」とする金額の平均は56㌦で、相手に渡すことにした金額は平均29㌦。後者の同67㌦、同34㌦に比べて「過少申告のずるさ」が目立つ結果だった。
 チームのリューバ・ベルキン助教は「電子メールはうそをつきやすくなるだけでなく、うそのつき方がひどくなる傾向もある。職場での電子メールによるコミュニケーションでは、仲間同士の信頼関係が大事だ」と指摘する。

 日本人が「恥の文化」であるのに対し、欧米人は「罪の文化」であると言われていた。日本人は「人に対してどうであるか」を行動判断の基礎におくが、欧米人は「神に対してどうであるか」ということが行動を決めているというような話だった。そうだとすれば、電子メールであろうと、ペーパーメールであろうとこれほどの偏りはないはずだ。

 この実験結果を「人為的なバーチャル環境に対する場合と、神が創造した(少なくとも人間が作ったものではない)環境に対する場合では意識が違うのだ」と見る方が正しいのか、それとも、「もはやアメリカ人、特に経営学を専門とするような人はマモンを神としているのだ」と見る方が正しいのか、にわかには判断ができそうもない。どうだろう、この実験、アメリカ以外の国々でもやってみては。(10/19/2008)

 先週末、8,276円43銭をつけた東証はハッピー・マンデー明けの14日9,447円57銭と一気に1,171円14銭も上がった。今週のTOPIX連動投信は14日には先週末よりちょうど100円上がり961円、翌15日976円まで上がってから、翌日は100円下がって876円、そしてきのうは909円に戻した。

 小幡績の「すべての経済はバブルに通じる」が教えるところによれば、バブル崩壊は一直線に進むのではない。行きつ戻りつ、いわば呼吸をしながら進むのだ。先月からの株価の下落で当分は「塩漬け」、もう冬眠するしかないと思ったが、ここは少し考え直した方がいいかもしれない。

 基本的に現在の経済の変調はサブプライムローン証券をトリガーにしたCDS(Credit Default Swap)の「暴れ」に対する深刻な「怯え」が引き起こした信用収縮にある。田中宇によれば、リーマンブラザーズが遺したジャンク債の清算手続きは今月10日に行われた。その日のニューヨーク市場がダウ7,800ドルから8,800ドルのレンジで上下し8,451ドル19セントで終わったということは、リーマン債の清算額がそこそこの線で片付いたからかもしれない。

 アメリカはこれから一、二年の間は常にCDSの暴れに怯え、ニューヨーク市場は短時間に大きく揺さぶられることになるだろう。小幡が書くところの「もっとも揺さぶりに弱い市場」である東京はそれに強く相関するに違いない。しかも基本的に日本企業のファンダメンタルが痛んでいないとすれば、これはある意味で絶好機かもしれない。

 所沢の家はなかなか売れそうにない。最悪は税金を払い続けてホールド状態を続けざるを得ないだろうが、とりあえずファースト・ディケードとセカンド・ディケードまでの資金はなんとかなるから、最長20年のスパンで考えればよい。10年の間にはいまの状況よりはましな時が来るだろう。つまりセカンド・ディケード分が余裕資金だ。この範囲で少し「塩漬け」ポートフォリオの「味」を改善してみようか。(10/18/2008)

 昨夜、たまっていた日録のホームページ掲載を行った。9月22日から29日分。カバーページに先月27日の中山辞任の記事を選んだ。この辞任は選挙区事情からマスコミネタになりたいための高等戦術だろうという推測だった。ところが中山は大臣の辞任だけではなく、次の総選挙にも出馬しないと宣言した。「へぇー」と思いながらも、「引退と言わないところがクサイね」と思っていた。だからきのうになって不出馬撤回の意向というニュースが流れた時は、「やっぱり、ね。それにしてもクサイ芝居だ。いくら宮崎の選挙民でもこれほどの田舎芝居にはついて行けないだろう」とあきれた。

 しかしあきれるのは早すぎた。きょう華々しく「不出馬撤回」記者会見をやるつもりで上京したら、選対委員長の古賀から冷たくされて、「シュン」。すごすごとけさの朝の便で宮崎に帰り、地元で「『不出馬撤回』撤回」会見をやった。未練たらたらの様子で「事務所には『頑張って下さい』という電話・FAXが入っているんです」と「『不出馬撤回』撤回」撤回の口ぶりだった由。

 中山さんよ、そういうウジウジぶりの方が日教組なんぞよりははるかに教育によろしくないのでは。あんたの「不出馬宣言」を真に受けて東国原知事なんぞ、代議士転進に色気を示して大いに男を下げてしまったじゃないか。(出馬話に涎を垂らした東国原、抗議メールの多さに慌てて否定する醜態を演じた)(10/17/2008)

 科学技術振興機構の「Science Portal」のハイライトのコーナーに益川敏英が10日に行った記者会見での言葉が掲載されている。彼は記者にこう語りかけている。「皆さんに考えてほしいことがある。日本人のノーベル賞受賞は増えている。しかし、われわれの仕事は30年前の話。現時点の日本の学問状況が評価されるのは、20、30年後になる。現在の状況がこれでいいのか、ということが大きな問題だ。文部科学大臣に会ったときに2つのことを話した」。

 ふたつのことというのは、「今の試験制度」と「上流の大切さ」だ。ひとつは大学入試にマークシートによる択一方式が猖獗を極めているために、受験をクリアする人間が考えなくなっているということ。もうひとつは基礎研究が冷遇されている現状を危惧するものだ。

 益川は前者について「一生懸命勉強させればさせるほど、教育汚染がひどくなるという状況になっている」、後者について「ノーベル賞を受賞したから万々歳では困る。それは、20年、30年前の評価であって、今の科学行政、研究体制がどうかの結果が出るのは20年先、30年先だ。そのことをもっとよく理解してほしい」と言っている。

 直感的に言っていまから20年、30年後のこの国の状況は暗いと思う。単純に年間の発表論文数で評価し、短期間にそこそこの結果を出すことばかりを求め、地味な基礎研究はもとより人文系の研究などにカネをかけることはないという「構造改革」が浸透しつつある。研究費の配分に見識を持って偏りをつけるというような「人物」は少なくなりつつある。

 それはどこか形と色つやの良い野菜・果物のみが集荷され、それ以外は廃棄されるか、畑に放置される光景によく似ている。ひたすら相手にあわせることばかりに汲々とした、均一な品質の規格品、工業製品の理想が他の分野の理想であるかどうかは別の話であるのに。単一の見方しか許容できない視野の狭い輩が分不相応に大きな顔をしているのだから嗤わせる。(10/16/2008)

 朝刊に北朝鮮テロ指定解除に関する政府・外務省のドタバタ劇に関する記事が載っている。

見出し:韓国は1日前に米から通告
小見出し:検証 対北朝鮮テロ指定解除
 米政府による北朝鮮のテロ支援国家指定解除は、日本政府の不意を突いた。日本にとって、同盟国・米国への信頼が揺らぐ一方、政府の情報分析の甘さも際立つ結果となった。
 「根も葉もない報道だ」「きょう解除されたら、だまされたということだ」
 11日夜、米政府が数時間後にテロ指定解除を発表するとの報道が米メディアで一斉に流されても、外務省幹部らはきっぱりと否定していた。米国が早晩、テロ指定解除に踏み切ることは織り込み済みだったが、米国は解除前に「必ず最後の仁義を切ってくる」(外務省幹部)との確信があったからだ。
 しかし、米国務省の会見によれば、ブッシュ大統領が指定解除を決めたのは10日午後(現地時間)。中曽根外相がライス国務長官との電話で、「さらに確認すべき点が残っている」と、日本の立場を念押しした直後だった。その後も米国からの連絡はなく、日本政府は11日夜の時点でも「大統領が最終判断していない」 (外務省幹部)。同日の解除はないとみて、中曽根外相もその夜は自宅で待機していた。
 一方、韓国大統領府幹部は14日、10日夜には米国から解除通告を受けていたことを明らかにした。この事前通告を受け、外交通商省は米国の発表を待って韓国の立場を発表する準備まで進めていた。大統領府幹部によると、3日までの訪朝を終えたヒル米国務次官補は、ソウルで韓国政府関係者らに訪朝結果を伝えた際、「日本政府への説明は予定していなかったから、日本から(斎木昭隆アジア大洋州局長がソウルまで)来た」と語ったという。
 米紙などは、拉致問題に加え、核計画の検証でも厳しい姿勢の日本のせいで解除が遅れているとの見方を伝えていた。11月4日の大統領選までに6者協議を再び軌道に乗せたい米政府内の勢力が、情報を遮断して日本の反発を封じようとした可能性もある。
 日本は完全に「蚊帳の外」に置かれたが、河村官房長官は14日の記者会見でも「(指定解除の)最終決定は大統領、総理聞でやることになっていたと思う。(日米の)連携が疎遠であったとかいうことは当てはまらない」と、日米の連携にほころびが出たとの見方を否定するのに懸命だった。
 首相周辺の1人は言う。「バッターボックスに入って打つ準備をしていたところへ、まだ体勢が整わぬままバッとボールを投げられた感じだ。普通なら審判がタイムしてくれるが、タイムがかからなかった」
 拉致問題への理解が深く、ライス国務長官、ヒル国務次官補らより北朝鮮への態度が厳しいと見られていたブッシュ大統領が、解除にストップをかけるとの期待が裏切られたとの思いだ。
 首相周辺からは「こういうことを目の当たりにすると、日本外交もたいしたことないと思うね。信じられない」と自嘲の声も出た。自民党の閣僚経験者は「中曽根外相は(電話会談で)ライス長官とじっくり話した時、(指定解除を)拒否できたと思いこんだ。そんなに甘くない」と外相の対応を批判している。

 なにかというと「反日」「親日」のレッテルを貼って世の中を色眼鏡で見る、ちょっとおバカなブログがある。右翼マインドの連中の「知識」と「能力」の水準、「ものの見方(というよりは論理展開力)」と「心象風景」が読み取れるのでごくたまに覗いている。12日付の記事(タイトルは「米、北のテロ支援国指定を解除」、いつもの攻撃的かつ主観的なとは打って変わってまるで新聞の見出し)は取り散らかって、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような書きざま。いささか気の毒になった。

 「なかったことにする」にはバツが悪いので、それらしいことを書こうとしたのだろうが、「彼」にとっては「欧州の天地は複雑怪奇」という「迷言」で歴史に残る笑い物となった平沼騏一郎の気分で、お得意の「反日」「親日」の弾を撃ちたくともそれも適わず、お粗末な「知識」と「センス」を露呈してしまったのだろう。そういう日には書かなければいいのに、可哀想に。

 拉致問題をアメリカに頼って解決しようなどというおよそ藪睨みの発想をするから、こんなていたらくになるのだということ、それしかないのに。(10/15/2008)

 おととい、買ってきたPLCの性能測定。所沢は最初ひかり電話にはしていなかったので、回線終端装置+ひかり電話ユニットの構成だった。こちらは同時申し込みをしてしまった関係からか、自動的に一体型装置がセットされている。本来こういう機器構成については施主に対して十分な説明をした上で選択させるのがスジだろうに。

 この構成の難点は無線LANを使うためにはルータをカスケード接続しなければならないこと。(既に、無線LANカードを持っている場合、それを捨てて低速の旧規格品のNTT指定品をわざわざ月額使用料を払って使うことは、常識的にはしないだろう)

 回線速度を計測してみた。一体装置のLAN端子直結では下り受信速度54Mbps(これは相当早いほうに属するはず)、上り送信速度11Mbpsだが、二階書斎のPLCターミナルでは上り下りとも13Mbpsだった。日常使用にあたってはどうということはないが、もう少しなんとかならないかと思う。しかし電灯線の配線距離を考えると致し方ないところかもしれない。

 あとひとつちょっと残念なのはふたつのLANポートを使ったチーミング機能のメリットがほとんどでないこと。

 先週末、8,200円台まで下げた東京市場は、アメリカ当局の公的資金投入を好感した海外市場での上げを追いかけて、きょうは一気に1,200円近くも上げて9,447円57銭で終わった。少し考えた方がいいかもしれない。(10/14/2008)

 おとといからきのうの朝にかけてのもう一つのニュースはアメリカが北朝鮮に対するテロ指定解除を行ったこと。

 引っ越し騒ぎで記憶が曖昧だが、先日の麻生総理の「質問型所信表明演説」で、彼は従来の国連中心主義からアメリカ同盟優先へと外交方針の転換を果たすという「宣言」をしたばかりのはず。

 ところが、その麻生にテロ指定解除の「事前通告」がもたらされたのはアメリカ政府が正式発表する、ほんの30分前のことだったという。G7会合でワシントンにいた中川財務相兼金融相、ライス国務長官に「テロ指定解除は認められない」と語りかけたが、彼女は取り合いもしなかった由。いくら中川でもアルコールの匂いをプンプンさせて囁き、ために「酔っぱらいの戯言」と思われたなどということはあるまいが、ライスにしてみれば「拉致問題」と「核問題」を天秤にかけることができると考えること自体が出来損ないのジョークに思えた可能性は否定できない。まともに考えればそれはあたりまえの話で、そんなことも分からない奴はただのバカでしかない。

 それにしても30分前の10分間の電話通告で済むと値踏みされた我が政府。もういい加減につまらない片思いから脱却すべきだろう。ちょっと前の雑誌「諸君」に中西輝政の「『ブッシュの裏切り』にどう報いるか」と題する雑文のタイトルが載っていた。そのタイトルを見ていわゆる「サンケイ文化人」の女々しい言葉遣いに憐れみを覚えたものだ。「こんなにあなたのことを思って尽くしてあげているのに、あなたはわたしを裏切ったのね」。これが彼らのメンタリティなのだ。「常任理事国に推薦してくれる思っていたのに裏切ったのね」、「従軍慰安婦ぐらいのこと許してくれると思っていたのに裏切ったのね」、「中国なんかよりはわたしのことが大切だって言ってくれると信じてたのに裏切ったのね」、・・・、そして「拉致問題で北朝鮮をとっちめてくれる思っていたのに裏切ったのね」という感じ。

 ああ、うっとうしい。女の何が嫌いといって、こういう恨みがましい口ぶりが大嫌いというのはあらゆる男に共通することだと思っていたが、どうやらこの国で国士を気取りたがる連中ほど、こういう醜女根性から脱していないというのはじつに可笑しい現実。(10/13/2008)

 きのう、ロサンゼルス銃撃事件の三浦和義が移送先のロス市警本部留置場で「自殺」したというニュースが報ぜられた。三浦は現地時間10日早朝に拘留中のサイパンからロサンゼルスに移送され、現地到着後、同じ10日午前11時から15分ほどロサンゼルス総領事館の領事と接見した。そしてよる10時頃に留置場内で自殺したのだという。

 MIXIにこんな記事を書いた。

「What's up ?」
「Seven Up ・・・なんちゃって」
「うまくやったのかい?」
「世の中で一番安心して殺せる場所だからね、ハハハ」
「変な内部告発者はいないだろうね」
「いるわけがない」
「それにしても、よくやるね、共謀罪での有罪が・・・」
「そうじゃない、そもそも、あんたは殺人罪で死刑にできなきゃ、アピール効果はゼロだと言ったじゃないか」
「ゼロだなんて言ってないさ、共謀罪が役に立つと分かれば、バカな大衆は共謀罪ウェルカムになるさ」
「・・・まあ、いい」
「それにしても、あいつもバカだね。殺人罪については一事不再理で起訴無効、共謀罪は日本にはないから有効と聞いて、殺人罪の訴追がないと知っただけで、あっさりと『それなら行きましょう』と言いやがったんだろ」
「フフフ、まさか我々のハラが、共謀罪の審理なんて、しんどくて長い手続きにはないとは思いもしなかったんだろうよ・・・。それにひとつだけ司法取引を持ちかけてやったんだ」
「どんな?」
「詳しくはあんたにも言えないが、共謀罪はカウンターパンチみたいなもんだとほのめかしてやったんだよ」
「そうか、あくどいね、あんたも。まあ、あいつは自分のことしか眼中になかった。我々の狙いが、全然違うところにあるとは気がつかなかったんだな」
「所詮、ただの犯罪者だからな」
「オイオイ、推定無罪があんたの国の伝統じゃないのか?」
「そんなのははるか昔の話だ。いや、カンガルー・コートは我々の伝統だよ。そんなことより、あんたの方、ちゃんと手を打ってくれてるんだろうな」
「任せておけよ、英語でやられる裁判に絶望的になったんだろうとか、もう若くないというあきらめがあったとか、テキトーにしゃべるコメンテーターはたくさん確保したよ」
「ちょっと、心許ないコメントだが、まあ、そんなもんだな、あんたの国のレベルにあわせるなら・・・、じゃ、奴を心理的に追い込んだという、共謀罪にカンパイ」
「目的のためなら、謀殺もいとわない、暗黒国家にカンパイ」

 もちろんただの想像。しかし三浦が自殺したというよりは謀殺されたという方が「疑惑の銃弾」劇の幕切れにはふさわしいだろう。そもそも確たる証拠もなしに、週刊文春の安倍隆典なる記者(彼はその後ジャーナリストの「看板」を下ろすことになった)が妄想をたくましくして事件にしたてあげ、それを「観衆」がおもしろがるだけおもしろがったというのがこの事件の唯一の真実だったのだから・・・。

 留置した容疑者が自殺するというのは当局にとってはこの上ない失態であろうにロス市警はずいぶんおおらかに対応しているこれは彼我の違いというよりは、もっと大きな失態を隠蔽できたという安堵感のせいという気がしてならない。(10/12/2008)

 結局ニューヨークの終値は8,451ドル19セントだった。しかし時間内には7,800ドルから8,800ドルの間を揺れ動くというすさまじい相場だったらしい。

 現在の我が家の含み損は***万程度になっている。もともと株に金を入れる以上、ある程度の変動幅は覚悟しているし、予定する年金収入の10年分の補填費については手をつけていないから、さほどの不安は感じていないものの、やはり心穏やかでないことはたしか。

 なにより、来年3月からの本格的な分散ポリシーについて、少し疑問が出てきた。海外・国内の株・債券へ4分割という意味はあるのかということ。まず株。東京市場とニューヨーク市場はほとんど同期しているように見える。きのう時点でTOPIX連動投信は861円(10月1日:1,126円)、これに対して海外株として選定したMSCIコクサイ連動投信は7,739円(9,258円)、ロシア株式指数連動投信は95円(146円)、ブラジル株式指数連動投信は172円(284円)となっている。すさまじい「激動の嵐」に見舞われたこの10日間、国内株の76%に対して、ブラジル60%、ロシア65%、MSCIコクサイ84%では、卵を別カゴに入れたような効果は発揮していないのではないかということ。

 3月の全面運用までのつもりで試行的に始めた株のセグメントに関する限り、ボラティリティ改善のための「分散」は理解できるが、どういうカテゴリーにどのような比率で分散するのか、収益の確定はどのように行えばよいのか分からない。(10/11/2008)

 やっと、出勤。乗り換えは2回になったものの、駅までの距離は近いし接続もいいので通勤時間はほとんど変わらない。なるほど所沢の家に買い手がつかないのはこういうことかと納得。

 この二週間、出勤日10日で全休4回、半休2回。つまり稼働率50%。しばらくは休めない、仕事は暇になりつつあるとしても。

 きょう東証の終値は8,276円43銭。始まったばかりのニューヨークは8,000ドルを割りそうな感じで始まっている。引っ越し作業などなくいつものようにウォッチできたなら、最近の経済ニュースの推移とそれを語るエコノミストの言葉を、ちょっと前に読み終えた小幡績「すべての経済はバブルに通じる」照らし合わせれば、ずいぶん楽しめたことだろう。いささか残念な気がする。(10/10/2008)

 また休暇を取って8時前に所沢へ。既にハウス・クリーニングの作業者が二人ほど。家の中は何もない状態になっているということ、午前中には庭に山積みになっている廃棄物の袋も処分場に運ぶことを伝えると安心したような顔をしていた。どうにか三往復ですべて片付けた。

 昼前に新座に戻る頃、どっと眠気が襲ってきた。綱渡りだったが、どうにか業者との約束どおりには進めることができた。

 この二日間のうちに、ニューヨーク市場も東京市場も暴落、ともに9,000台の数字(ダウが9,000ドル台になると日経平均は9,000円台、どんな計算になっているのか、素人には不思議な感じ)をつけるに至り、ノーベル物理学賞と化学賞が日本人から選ばれた。物理学賞は南部陽一郎、小林誠、益川敏英、化学賞は下村脩、マーティン・チャルフィー、ロジャー・チェン、各々三氏。

 なにかひどく記憶に残りそうな今回の引っ越しになった。(10/9/2008)

 引っ越し。通常の引っ越しならば新座への搬入で一段落のはずだったが、空いた家のハウス・クリーニングを依頼している。こんどの土曜日から体育の日までの三連休前に間に合わせようと考えたため。しかし、いかにも無理なスケジュールだった。

 廃棄するものが各部屋に散在している。とくに**(下の息子)の部屋はめちゃくちゃ。完全に徹夜ペースと真っ暗な気持ちで声も出ずに黙々と廃棄品を分別しながら袋に放り込み始めたところに**(上の息子)が来てくれた。救われた。ありがたさに涙が出て来た。

 積み忘れ品を**(上の息子)が新座に二往復し、すべての部屋から廃棄品を庭に出し終わったのは2時過ぎ。

 疲労困憊、なのに目が冴えて眠れず。モバイルノートをハンドキャリーにしたのはいいが、ネットワークがつながらないパソコン相手ではまさに「所在無し」。(10/8/2008)

 午後、半休。ニューヨーク市場が1万ドルの大台を割り込んだ。東京市場も1万円割れ寸前のところまでいった由。引っ越し騒ぎで株・外貨、それどころではないのが恨めしいが、かえって幸いかもしれないという気も。ノートに手書き。ちょっとした字も書けなくなっていることにガクゼン。(10/7/2008)

 休暇を取った。「何でまたこんなにものがあるんだろう」、新座の片付けをしながら、**(家内)と文句を言いあってきたのだが、何のことはない、我々もほとんど同じ状況にあったということが分かってきた。

 ちょっと身の回りを見回せば、そのことは簡単に分かっていたはずなのに・・・、とも思った。

 「捨てる生活」、いや、「買わない、持たない生活」、そして大量に届く紙媒体を随時整理し、周期的に捨てることを心がけよう・・・、と、ここまで書いて思い当たった。そうだった、試験の直前になると、いつも思ったものだ、「毎日、毎日、その日に学んだことをその日のうちにきちんと頭の中に整理し直そう、もらったプリント・書き留めたノートの内容は綴じ込んだり、記録したということに満足して、『あとで』などと考えず、その日のうちに内容を理解して、消化しよう。この試験が終わったら、そうしよう」と。でも、毎回・毎回、そういう後悔をしながら試験準備をしてきたのだった。

 オレは死ぬまでこんなことを繰り返すのだろうか、・・・、そうだろうな。きのうまでできなかったことが、あしたからはできるようになるわけはない。(10/6/2008)

 やっと本来の引っ越し準備。ほとんど進まない。原因は**(下の息子)の部屋。連休に帰ってきて、ほとんど何もしないで帰るのを咎めなかったことを後悔。疲れた。

 「学校に行った。**くんたちと遊んで、風呂に入って、寝た」と書いて、「これは日記じゃない。人間には精神生活というものがあるだろう」と**先生に怒られたっけ。

 脈絡もなくこんなことを思い出すのは・・・、やっぱり、疲れている。(10/5/2008)

 朝から新座で最後の仕上げ。**(家内)共々、疲労の極。やっと二階の三部屋をクリアにした。それでも**(父)さんの部屋のつり棚と階段の突き当たりのもの入れは手がつけられなかった。

 **(父)さんの部屋の書棚には**(弟)の本と講義ノートがごっそり。ほとんどのものは一瞥で捨てた。それでも修論の原稿とおぼしき紙束だけは取り分けた。表紙がないが章立てを見る限り環境基準に関する法的な考察らしい。ワープロが出る前のことで手書き。随所に挿入の吹き出しや削除の線が引かれている。来年、毎日が日曜日になったら、清書してみよう。

 うっかり関連の原稿を捨てていなければよいのだが。心配になってきた。いや、提出したものならば、早稲田の図書館なり学部の施設には保存されているはずだろう・・・。(10/4/2008)

 しばらくHPメンテが滞っている。来週はおそらくPCの前に座る時間もなくなるだろう。そこで久しぶりのメンテ。

 背後に厳しい視線・・・、と、思うとなかなか集中できない。自分でも何を書きたかったのか、よく分からない短文の積み重ねのような日がある。ある意味、日記らしい日記とも言えるけれど・・・。

 東証、終値、10,938円14銭。ニューヨークは現時点では上げて寄りついた。下院が「安定化法案」をどう扱うのかによっては、週明けの東京はさらに下げるかもしれない。(10/3/2008)

 アメリカ上院は下院がおととい(9月29日)否決した「緊急経済安定化法案」を賛成75-反対24で可決した由。この法案がどのていど有効なものかについては相当に疑問があるといわれている。しかし現下のような状況では経済の八割は心理によって動かされているわけだから、多少おバカな法案でもないよりはましということが重要なはず。市場はそれほど賢いものではないのだ。

 さて今晩からあすにかけてのニューヨーク市場がどのように推移することか。悪酔いしたプレイヤーがどんなダンスを踊るのか、以前ならば高処の見物意識だったが、少しばかり買い物をしている身には多少ドキドキ気分。(10/2/2008)

 **(上の息子)が休暇を取って自分の荷物の片付けに来る。午後、半休を取った。リビングの書棚の本から箱詰めを開始。ピアノの置いてあった場所に積み上げる。本は格別に重いのでスモールサイズの箱にしてくれとのこと。あっという間に18箱になったのは驚き。「30から40箱くらい」という業者見積りはやはり正しかったのかもしれない。重労働。意外に時間がかかるものだと実感。

 息抜きに眺めていた朝刊の広告に大嗤い。それは諸君11月号の広告。中岡望「草の根保守の女神ペイリンが流れを変えた」、草野徹「ブッシュ政権vs米メディア泥沼八年戦争の禍根」、名越健郎「グルジア侵攻はプーチン院政へのクーデターだ」。疲れているからクダクダとは書かない。それにしても、わざわざ自分が目の利かぬアキメクラだと宣伝することもなかろうに。呵々。(10/1/2008)

直前の滴水録へ


 玄関へ戻る