チュニジア観光王道旅行


●「チュニジアのイメージ」

チュニジアに興味をもったのはどうしてだったのか。最初にここだ!と思ったきっかけはちょっと思い出せない。チュニジアといえば、地中海の青を見下ろす岬の斜面に青いドア白い建物の典型的な写真が、ギリシアとかスペインの南側の町のいい雰囲気を連想させる。

以前からイスラム圏に行かねばという願望があったけど、なかなか一人でイスラム圏はきついかなと思っていたところに、なんだかソフトなイメージのイスラム国が目の前に現れたわけだ。それにプラスして歴史の交差点的にいろいろな国の通り道だった地域だから、ローマ遺跡や北アフリカの先住民であるベルベル人の穴居住宅やアラブ特有のメディナがあり、まさに歴史ロマンの国という観点も加わって、むちゃむちゃすてきなイメージができあがってしまった。

チュニジアはヨーロッパではメジャーな観光リゾート地で、そっち方面に住んでいた友人からもモロッコよりは女の子向きのすてきなところである、という噂もきいていた。実際、アフリカ第二の観光国だ。さて、一位はどこでしょう?わたしはエジプトかな、と思いましたが、それは不正解。なんと南アフリカだそうだ。日本人で南アフリカに旅行したという話はあんまり聞かない。日本人が大挙して行かないのに、アフリカ観光国第一位っていうのは、いかにヨーロピアンにとってメジャーで、たくさんの人が行っているのかが伺える。

日本では今年ようやく、地球の歩き方チュニジア編がでたばかりだったくらいだから、なかなか紙ベースの情報はなく、情報を集めようといろいろな人に言いふらしていたところ相方も現れて、二人旅となった。心強い。

が、この心強さのためちょっとしたいくつかのワナにはまるはめになったのだった。



●「東京-チュニス」

初アエロ。今回の旅行の際、かなり楽しみにしていたイベントのひとつだった。

ウワサにきいていた過激さは陰をひそめている。ウワサとは、ボロボロの機体の中に犬が走り回り、水滴が天井からしたたり、機内食は足りなくなったらそこで終わり、だとかいうありがたくないが興味をそそる伝説的なものである。

実際には、どっしりとした安心できるきれいな飛行機だし、機内食はうまいし、スリッパや靴べらなどが入ったアメニティセットをいただいたし、席のピッチも広い。ホクホクである。腕っぷしのよさそうなスチュワード率が高いので、なんかあったとき頼れそうだし。特に機内食では、なめこそうめんと、鰊の酢漬けと、花の形をしたクッキーがおいしかった。

チュニス着は23:30くらいだった。定刻だ。
向かうホテルはMAJESTIC HOTELという老舗で、どのガイドブックにものっているような、一流ではないが古くからあるからそれなりの情緒があるホテルだ。古いから値段もリーズナブル。ここに予約をお願いしておいた。

空港タクシー乗り場からタクシーに乗るべく交渉に入る。おっちゃんたちは、10DTだ、と言い張っている。いろいろなおっちゃんに聞いていくと、5DTでいいよ、というおっちゃんが出現したのでそれに乗る。ところが、走り出してちょっと経ったところで一人5DTだと言い出す。なんと卑怯な。あんたが5DTって言ったから乗ったんじゃん!!と怒っているとあっというまに到着。結構近い。おりるときにやっぱり10DTと言われたが、「しつこい!こっちは5DTだから乗ったんだ!警察行くか!」と意気込み、5DTだけわたしてホテルに行く。来チュそうそうかまされるところだったが、そうはいくか。約束をやぶるのはいけない。

MAJESTIC HOTELは、フランス統治時代の影を残すホテルだ。広い。でも、この古さで、調度品がよいわけでなし、50DT(約4,250円)はちょいと高いとこのときは思った(後ほど、あったかいシャワー付きのバスがついているからこんなもんだよな、と考えをかえた)。ここで就寝。

チュニスの夏の終わりの時期だろうか、九月下旬の日中は、暑い。アフリカ、というとイメージ的に、年柄年中乾燥していて暑い!というイメージがあるが(わたしだけ??)、ここは北アフリカで、緯度で言えば、東京よりも北にあたる。だいたい茨木くらいかな?地中海沿岸でもあるから、乾燥しているわけでもない。出発前に荷物の衣服のことを考えたとき、季節の変わり目で微妙な時期だから結構迷った。迷うきっかけになったのは、一枚の絵はがきだ。その写真では、オレンジ売りの少年が厚手のセーターを着込んで店の前でにっこり笑っていた。そのとき初めて、きちんとした冬があるんだ!!と気付いたのだった。

まあ、とにかく、チュニジアに到着して二日目、最初にしたことは、Informationに行って地図をGETすることだった。チュニス、チュニジア、チュニスのメディナそれぞれの地図や、バス、列車の時刻表がそこにはおいてある。とりあえず、のクセで、Informationに行ったものの、地図さえもらってしまえばほかにとりたてて聞くこともない。

それから南バスステーションへ行く。ここは南方面へ向うバスのステーションだ。行き先と時間が一覧表になって掲示されている。その表のなかから、次の目的地のドゥーズ(DOUZ)方面の時間を確かめる。丁度よい時間帯のがなかったから、ちょっと行き過ぎたナフタ(NAFTA)という町迄行ってみることにする。チケットを先に購入。夜行だから、今日の日中これからどこか行ける。



●「シディ・ブ・サイド」

チュニス近郊にある、シディ・ブ・サイド(SIDI BOU SAID)へ行くことにする。

とにかく観光名所で人が多くてつかれた。残念だが、一番の感想はそれになってしまう。

路地に入ったり、坂から見た海は確かにきれい。とってもフォトジェニックだ。パリの古い町並みが法で守られているように、ここも建物は白い壁で青いドアで、、、というようなことが法律で定められているんだそうだ。行った時間がお昼位の丁度悪い時間だったのかも知れない、観光バスが乗り付けていてヨ−ロピアン観光客で道が埋まっている。ここに行くならば、朝か夕方がいい、ということを後ほどきいた。もうちょっと早くきいておきたかった。暑さと人込みにすっかりやられてしまった。



●「チュニスのメディナ」

けだるい気分のまま、チュニス市内に戻り、メディナに向かう。メディナとは、旧市街のことだ。道が入り組んでいて迷子になりそうなくらい。チュニスのInfometionには、御親切にもメディナだけの地図が置いてあり、それを活用して歩くことにする。

まん中を通るメインストリートは民族衣装や、太鼓、置き物系の土産ものを売る店が軒を連ね、ヒマな店の売り手たちが「コンニーチハ」「ジャポン?」などとうるさいくらいに声をかけてくる。メインストリートからちょっと右の方に道をそれて屋根付きの薄暗い小路に入っていくと、日用雑貨を売る店が現れ、生地屋なんかも現れだした。薄暗い、といっても怪しいわけではなく、そういうところなのだ。そしてその道が光の当たる場所で終わりになり、外に広がる広場に面してカフェやらパン屋なんかが立ち並び、カフェがわたしたちを呼び寄せるのだった。もう、カフェらないとやってられないくらい暑い。

カフェではきいていたとおり、男の社交が繰り広げられていた。シーシャ(水たばこ)のチューブをくわえながらトランプに興じている一団があったり、世話ばなしを延々としているおじいたちがいたり、碁のようなオセロのようなゲームをしている二人の男に群がっている男たちの一団があったり。とにかく、仕事はどうしたんだ、と聞きたくなる光景だ。

ここで、飲むのはミントティーだ。インドといえばチャイ、パリといえばカフェ、中国といえばウーロン茶、チュニジアと言えばミントティーだ。小さめの厚手のガラスコップに甘くて清涼感がある渋いティーがいれられて、そこに生のミントの葉が浮かべてある。ミントの青臭さが鼻孔をくすぐる。ものすごーい甘さが脳を刺激する。市場の中で中国の緑茶の箱が売られているのを見て不思議に思っていたが、どうやらこのミントティーにつかわれているティーはそれだった。

チュニジアに着いてからまだ一日も経っていないのに、ものすごく長い時間が経過したようなけだるい空気がわたしたちを覆っていた。窓際の風通しのよい席でだらけているこの時が、その長い時間のなかでようやくおとずれた安らぎの時のように感じられた。


市場の風景。
黄色いのはメロン。果肉は白い。
その手前の緑はピーマン大のとうがらし。
カフェを出て、メディナ探索を続行する。食品の市場が現れてきた。暑い(何回も言っているが、)なかで生肉を見るのは結構キた。八百屋や果物屋には決まった種類の食品しかない。とにかく品数が少ない。八百屋で見かけるのはきゅうりとトマトとかぼちゃとタマネギとじゃがいもくらいだ。果物屋では、メロンとザクロとりんごとなしくらい。品数が少ないのは、時期がそういう時期だった、ということと、場所がメディナだったから、らしい。もっとリッチなお店に行くと、もっと品数はあるそうだ。

一般の道路には、道の名前の看板がフランスの様に掲げてある。例の青地に白い文字で緑で縁取られているあれだ。でもさすがにメディナの中の一つひとつの道に掲げているはずもなく、ちょっと道に迷ってしまった。

暑さでうだってメディナで迷うなんて異国情緒たっぷりじゃんっ!、なんて思っていたら本格的にどこにいるのかわかんなくなっていた。最初はほんのちょっと道をそれてしまっただけだったのに。困っているとおばちゃんが助け舟をだしてくれた。どうやらすでにメディナの外にでてしまっていたようだった。

夕食はカルカッソンというフランスの地名が店の名前の、チュニジア料理屋で。ここはやっぱり定番の、クスクス(COUS COUS)とチュニジアンサラダをオーダー。クスクスというのは、セモリナ粉というスパゲッティの原料と同じ粉をつぶ状にして蒸したものに汁をかける、マグレブ地域で主に食されている食べ物である。マグレブというのは、モロッコ、アルジェリア、チュニジアの三国で、旧宗主国フランスからみて「日の沈む場所」を意味する地域だ。

ここでは、骨付き羊肉、人参、芋、タマネギ、蕪(大根?)がごろごろ乗っかったクスクスが供され、味はクセのないトマト味でチョイ辛だった。この「材料がごろごろ乗っている」というのは、チュニジアのクスクスの特徴である。地元の人はこれにハリサという辛みそ(唐辛子のピュレーにスパイスを練り合わせたもの)を混ぜ合わせてもっと辛くして食べるのだろう。チュニジアンサラダは、きゅうりとタマネギとトマトの賽の目切りにオリーブ、トレビュス、くし切りの卵が添えてある。味は酢とオリーブオイルであっさり味付け。塩分がほしい。

初チュニジア料理は半分くらい残してしまった。クスクスは、つぶが多いわりに汁気が少なく、すぐに汁がかかっている部分がなくなってしまった。つぶつぶだけでは食べる気になれず。旅行へ来て初めての食事が、こんな無感動だというのも初めてだ。おいしいわけでもなく、まずいわけでもない。お腹が一応満たされたところで食事が終わる、楽しみの要素のない、生き物本来の食事のようだった。



●「夜行バス」

今夜は夜行バスに乗って、ナフタへ向かう。まず、預けた荷物をとりにホテルへ。 その後、タクシーを探しながら暗くなった道路を歩く。全くつかまらない。結構な距離を歩いたのに空車が見つからないから、ホテルで呼んでもらうことにする。ホテルへ戻る道々、ヘンな男(複数)がなんのかんの言ってくる。うるさいし、結構たちが悪い。最後の最後まで一人のヘンな男がついてきて気持ち悪かった。ホテルまであと半丁ぐらいのところではあはあ言い出したので、いよいよもって気味悪くなり、ふたりして走って逃げた。このような状況を相方は「女旅人の宿命」(うーん、ハードボイルド)と言ったが、全くそのとおりだ、今回はその宿命を1/2にできて本当によかった。

夜行バスには、ツーリストはいなかった。地元の人たちが、自分の実家に帰るのに利用しているような雰囲気だ。途中の名前もよくわからない、寂しい道端で一人下りていったりする。

1:30頃目覚めると、砂漠の中の道を走っていた。それを過ぎるとところどころに、皿に置かれたブロッコリーと元気のよいパセリの様なシルエットが見える。後で気付いたが、それらはどうやらオリーブの木だったようだ。

満月で月の光がものすごい強くて、夜なのに木陰ができている。とても清潔な光景だった。窓を眺めながら眠りにおちる。


Hotel Neptus
オアシスの際に建っているホテル。
日本の国旗はない。
4:30頃ナフタ到着。月明かりで明るいものの、夜明けはまだまだのようだ。

ホテルはバスステーションから比較的近くてリーズナブルなホテル・アビブにしようとしていたが、バスは町の中を点々と停まっていて、一体何処がバスステーションなのかわからない状態で、最後の地点まで来てしまった。

そこはナフタの外れに近い場所で、バスに同乗していた人が勤めているというHOTEL NEPTUSの近くであることが判明する。同乗していたその人がいうには、とてもいいホテルである、ということだし(そりゃそうだ)、真っ暗なこの道をどこかに行けるわけでもないので、そこのホテルに決定する。見た目やたらにゴージャスな砂漠の宮殿だかモスクのような(そこらへんの見分けがつかんよ)ホテルだ。




カルカッソン  Restaurant Carcassone  8,AVENUE DE CARTHAGE - TUNIS  12:00-15:00 , 18:00-22:00  MUNUが安い。

MAJESTIC HOTEL  36, AVENUE DE PARIS - TUNIS TEL:332,666 FAX:336,908 ★★★ ツインバスシャワー付き1部屋40DT プールもあるでよ。



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