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 この旅行記は長いです。お家で見ている方は、このページと、写真、注、を最初にロードしておけば、電話を切って読んでもらえるように、全部で3ページにまとめました。外部へのリンクは注ページにまとめてあるので、このページにはありません。



《行程表》

1日目 9/6 札幌〜成田〜サンフランシスコ〜。アメリカ周りで着いたら、次の日。
2日目 9/7 〜パリ。前に来たところをたどる。ホテルで冷汗。
3日目 9/8 パリ。アフリカン市場とパッサージュ巡り。
4日目 9/9 パリ。チョコに開眼。
5日目 9/10 パリ。ロンシャン競馬場で武さんを見る。
6日目 9/11 パリ〜デュッセルドルフ。友がアニキ。
7日目 9/12 デュッセル〜アムステルダム〜デュッセル。コーヒーショップは覗くだけ。
8日目 9/13 デュッセルドルフ〜ブリュッセル〜パリ。甘物づくし。
9,10日目 9/14,15 パリ〜サンフランシスコ〜成田〜札幌。



9月6日(水)
 サンフランシスコ空港で思いのほかトランジットの時間が空いた。
 crystal geyserと激甘チョコレートケーキの食べ残しを前にただなんとなく座っている。チャイナタウンや日本人街のある町らしく、人の顔も食堂のMenuも馴染みやすくて、離れすぎていないところだと思った。アメリカ人の人達も田舎くささが抜けない人が多いのもいい。空気が暖かくてさらっとしていて、いい感じのところだ。トランジット、シカゴにしないでこっちにしてよかった。アメリカにはあまり縁がなかったけど、今度、ここに旅行に来よう。
 3000円だけ両替したが、手数料が高くてぼられた気分。気分わるい。
 激甘チョコでコーティングしてあるちょっと塩気を加えてあるスポンジのケーキ。さすがアメリカーーー、の味つけと量だ。全部食べる度胸がないので残して帰ろう。機内食は控えよう。
 成田からの飛行機で空席ひとつおいて隣に座っていたお姉さんはかっこよかった。もう何年もアメリカにいるらしい。早くグリーンカード取れればいいね。
 サンフランシスコからパリのヒコーキでの隣人は穏和そうな植物っぽい雰囲気のアメリカ男が座っている。背はすごい高い。ヴェジタリアンらしく自分で持参したあやしい食べ物を食べている。トマトとなにやらピンク色の温野菜の混ぜ物をタッパーウエアに入れている。何か一応きいてみるが、聞いたことのない名前の食べ物だったのであきらめる。あーー、することない。出発前に買ったタミオの新刊も読んでしまったし、マンガも読んでしまった。早く読みたかったからといってマンガ持ってくるより、小説にするんだったーーー。
 アメリカ〜ヨーロッパ路線のUAは、座席が広くていい。コノシュワってわけではないのに、1列に2席だし、テーブルも肘掛けも内蔵式だから前に余裕たっぷり。楽ちん、らくちん。

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9月7日(木)
 シャルルドゴール空港に着くと、日にちがかわっていた。10:10ほぼ定刻に到着。
 アフリカ系のカラフルな衣服をまとった人がすごいたくさんいる。あまり見かけない航空会社の名前がたくさんあって楽しい。
 ◯iに行ってとりあえず一泊予約を入れてもらう。Familia hotelというところにする。そこに直行して荷物置いてすぐ町へ。

 まず、ホテルからわりかし近いモスケに行ってみる。
 タイル張りの建物で左右対称の美しさ。丁度、モスケ内を説明してくれる人が一団を連れて出発するところだったのでついて行く。メンバーは、めがねをかけた真面目そうなおねえさんと、敬虔な信者のドレッド兄ちゃんと、おじい。の図書館とか、いろいろなところを見せてもらう。とにかくきれいなところだった。
 その後、Musee Picassoへ行く。前回に来たとき、本物のすごさを思い知らされた場所だ。No,7の部屋にあった画家とモデルの絵にねじ伏せらて、圧倒されて、もうとにかく感激というのか言い表わせないや、とにかくすごかった。そのNo,7の部屋に行くためにここに来たのだ。だが、事件現場であるその部屋に入っても心を動かそうとしている自分がいるだけだった。当時のわたしが感じたことを、24才になった今では感じられなくなったのだろうか。別な意味でかなりショックをうける。
 以前カーテンがかかっていた絵はなくなっていた。カーテンがかかっていること自体が作品なのだろうか、なら触らないほうがいいしな、でも中味気になるな、でも係員の人はなぜかわたしをじっと見ている、いなくなったら見てやろう、、、なんて思ってその辺りをウロウロしていたのになかなか係員の人は去らないし、通る人も誰も見ない。諦めて次に進んでみたもののかなり気になって引き返して係員に「見るぞ!」と宣言して見た絵だ。なくなっていたのなら見ておいてよかった。やりたいことは、やりたいときに我慢しちゃいかんのだ。ちなみに中に絵は、ミノタウルスや見たこともない化け物が女の人を殺したり八つ裂きにしている絵だった。思わず口があいてしばらく閉まらなかった絵だった。横で係員の人がフフンという感じでたっていた。その絵はその後どの画集を見てもない。あのカーテンは放送禁止的な意味合いがあったのだろうなあ、、、
 その後、ユダヤ人街に行く。ちょっと遅いお昼ごはんはJoeGorldenbergだ。以前、前を通ったとき興味はあったものの薄暗い店内に怖じけづいて入れなかったところだ。
 店の前の方がお惣菜屋になっていて、奥で食べれるようになっている。奥の感じはちょっと薄暗くってレオンにでてくるイタリア料理屋みたいな感じだ。おすすめを聞いて、2,3品みつくろってもらい定食状態にしてもらう。にしんのマリネ、タラマ、卵と何かを混ぜたサラダ、イモと玉ネギのマリネだ。にしんのマリネは油っぽすぎてかなりぐっと来る。にしんは生の半身がペロっと1枚だ。タラマ(たらことイモのサラダ)もおいしいんだけど塩っけが強すぎて、パンに塗って食べても限界がすぐやってきた。卵と何かを混ぜたサラダの何かはなんとわたしの大嫌いな玉ネギだった。マリネされたイモは結構イケた。お店のお姉さんはとても親切でうれしかったけど、かなり料理にぐっときてしまった。食いしん坊のわたしをここまでぐっとこさせるユダヤ料理って一体、、、。
 隣に座った人の様子をみると、メニューをじーーっと見て慎重に吟味している。来たものは何かの煮こごりっぽいものを四角くカットしたものにレモンを添えたものだった。とりあえず気になったので何か聞いてみる。"ケセクセ、ムシュー??"と聞いたら英語で、チキンのブロスみたいなの、という答えが返ってきた。おいしくないそうだ(やっぱり)。

 明日からのホテルを探しに行く。場所はレ・アールの辺りに焦点をしぼって何軒か部屋を見せてもらって、Hotel Sansonnetにする。340FF(1per/シャワー付)の部屋で2日、と頼むと2日目が1人部屋空いてないから2日とも2perバス付の部屋で料金は1per分でよい、と言う。やさしいおじいだ。
 今晩のホテルに戻る。どんどん暗くなるのに道に迷って帰れなくなる。迷って道を尋ねると、ことごとくアメリカ人旅行者。疲れてようやくたどり着くとホテルの兄さんが"コンニーーーチハ!サヨーーーーナラ!!"とか叫んじゃって、神経逆なでする。ここの部屋は狭くて、Metroから遠くて、ロの字型の建物の内側に窓がついていて、こわい絵がかかっている。これで370ffだった。
 ぐったりしていると、窓の外から男2人の声で日本語の会話が聞こえてくる。ああ、日本人が他にも泊っているのかー、ぐらいに思っていたら、ヘンな声が聞こえてきた。こんなことは初めてだぞ、と思い、窓から外を覗くとロの字の建物の丁度隣の辺の窓の方であやしいことが行われているのがちらりとかいまみれた。、、、ああ、ホモの都パリなのね、、、。
 部屋で食べたチェリーヨーグルトがおいしかった。

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9月8日(金)
 早く目覚める。7時前だ。ベットでボケボケして9時頃チェックアウト。
 出る時に鍵に戸惑っていたら、昨日の隣人の一人が部屋から出てきた。体育会系の体格のよいビジネスマン風の人だ。「どうかしましたか?」ときいてくるのでなかなか鍵がとれない旨を伝えると一緒に手伝ってくれる。すごく紳士的な人だ。人って見かけでは判断できない。
 おじいのホテルにチェックイン。一階が中華料理やになっていてそこの横の階段を上って2階がフロントになっている(ここの中華屋の料理は油ぎっていてまずそうだった)。テレビ付、広いバス付、部屋自体も広い。窓の外は通りに面している。昨日の所に比べると、大変良い。ただ、少々カギが弱そうな気がした。
 朝食は近くのパン屋で買ったキッシュロレーヌを、メトロに向かいながらもぐもぐする。
 今日はまず、モンマルトルに行く。ピカソ縁りのバトーラボワールを訪れるためだ。最寄り駅のAbbesses駅はとても小雨の似合う雰囲気のある駅だ。地図を見てその辺りに行くと、同じ名前のレストランがある。バトーラボワールは火事になってなくなったし、跡地にレストランがたっているのか、と思い、写真を何枚かとる。満足してあるいていると、ピカソの写真とか絵とかを飾ったウインドウを見つける。本当の跡地はここだった。すっかり罠にはまってしまった。さっきのレストランの写真って一体、、、
 サクレクール寺院に行く。そして、ぐるぐるの螺旋階段を上って、天辺へ。すごく疲れる。上は風が強くて、景色はきれいと言えばきれいだけど、この疲れを上回るうつくしさまでは行かなかった
 そこから、モンマルトルのあたりをぶらついてからアラブ街へ。有名な金のしずく通りに行く。いろいろな本に書いてあるほどたいしたことはないところだった。店が閉鎖されていたり、人気も活気もなかった。あるのはぽつんぽつんとカバン屋のみだった。でも、そこまでたどり着くまでのアフリカン市場街は結構わくわくした。見たことのないものがたくさんあった。肉屋では豚足グリルや何の皮かわかんないけど動物の皮はいだやつがぶらさがっていたり。鳥の皮みたいに食べるんだろうか。野菜屋では巨大なメロンに興味ひかれる。買うには大きすぎるので、赤紫っぽい色のでこぼこのある実を1個買う。またしてもケセクセと聞くとサボテンの実だという。おばちゃんが皮をむいてくれる。甘くてサボジラより少し水気があるかな、という味だった。Bon? と聞くので、一口目がまあまあおいしかったので、おいしいさ、とこたえると喜んでくれる。が、種が実の中じゅうにたくさんあって出したくてしかたないのに、食べろ、出すな、飲み込め、と言われる。一応飲み込むがだんだんつらくなってきて全部食べきれないので、店を出て残りを捨てる。
 TATIでは400円のブラウスを購入。あとは見物。
 
 次は少し南下して、パッサージュ巡りをする。これは今回楽しみにしていたイベントの一つだ。ものすごい豪華なところから、市場風なところまで、さまざまだ。
 パッサージュパノラマの辺りのカフェでお茶。クレームキャラメルとアイスコーヒーを頼む。ice cafe?? glace et cafe??と、何度も聞き返される。隣のテーブルのご家族もじっとこっちをみている。アイスコーヒーって概念、ひょっとしてなかったの??とあせる。が、コップにコーヒーと氷を入れて長いスプーンをさしてくれたヤツがでてきた。、、、おいしい。プリンはすだちが入ってかたくてあまりおいしくなかった。
 結構歩き回ったけどまだ明るいので、ラファイエット、モノプリ、プリズニックなどのデパートに行く。
 お惣菜屋さんで、エビとアラスカみたいなカニかまぼことパインのオーロラソース和え、シャンピニオンのトマトソースオレガノ風味、生ハム、シードル、グリーンサラダ購入。カフェオレカップとナイフ、フォーク、スプーン、仕上げにデザートの桃を買ってホテルへ。すごく歩きまわったので、ゲロしそうなくらい疲れてしばらく動けなくなる。
 お惣菜たちはおいしいものばかり。なのにどうして店でおいしいものにあたらないんだろう?!

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9月9日(土)
 朝9時頃、「今日はぜえっったい、中華!」と決心して、Republicへ向かう。8番線Republic駅で降りて、坂を下りながらのんびりうろうろする。店の系統とか人を見るとここは中国とかアラブ系の人達が住む町のようだ。何の宣伝かわからない看板とか、何の店なのかわからないショーケースとかいろいろあって見ていてあきない。あやしげなアラブの店で、あやしげなうさぎと、犬と、象の本を買う。店の前には、方位磁石がついたペルシャじゅうたんが売っていた。
 本を買ったときに、財布の中を見たら、FFが少なくなっていることに気付く。両替しなければ、、、でも、両替所があっても土曜なのでやっていないところばかりだ。坂道の石畳で歩調が早まり疲れる。中国系のところなら開いているんじゃないか、という予想どおり、漢字書いてある系の看板が集まっているところに行ってみると、やっていた。両替して、中華のお店を探す。だけど妥当なところが見つからない。タイ米のにおいぷーんの店ばかりだ。敬遠して、サンドニ、レ・アールの方に行ってみることにする。庶民的なパサージュがここらにはあるから、それを見物しながら南下する。地図をみて、Passageとあるから行ってみると、屋根がない普通の通りだったりするところもある。跡地なんだろうか。インド人商店街なんかはそこそこ開いていたけど、アラブ系のパッサージュ・ケールなんかはほとんどお休みだった。サンドニの北の方なんかは全然人気がない。しかし、南下していくと、いましたいました、巨乳ねえさんたちが。どーやって、何を食べたら、あんなんになれるんだ??たしかに体も太いけど、体の割合に反しているぞ。すごいもんをみてしまった。
 結構歩いたのに、中華のお店は見つからない。ようやくあった!!と思って入った店は、ベトナム料理屋だった。Menu49FF、セルフサービスだから一人でも入りやすい。学生が多い。もやしとエビとセロリとタマネギとピーナッツのサラダ、黄色い麺にココナッツカレー風味の鶏肉煮をかけてくれたやつと、ヨーグルトとコーラ。あっさりしていて、お腹いっぱいで大満足。炭水化物系じゃない野菜がたくさんでおいしかった。おいしければお腹いっぱいでも食べれちゃうんだ。
 おもしろそうな本はないか、と、サマリテーヌの本屋に足を運ぶ。いろいろ見ていたら、チョコミシュランがでていた。正確に言うとミシュランから出ている訳ではないけど、フランス中のショコラティエをかなりな数網羅している。その中で、パリの4つチョコ印と3つチョコ印をチェックして、行けそうなところをCafe Mabillonでチェック。Christian Constantに行く。ここの店構えは、店の手前側がお惣菜屋みたいな感じで、奥にチョコのガラスケースがある。知らなければ通りすぎてしまうような穴場っぽい雰囲気の店だった。
 帰りに歩いて迷っているときに偶然Verro-Dodatに出くわす。土曜なのでここも閉まっている店ばかりで、残念だ。ウインドウの中を見て、雰囲気に浸る。人形やさん、革やさん、歴史が染み込んだパサージュだ。薄暗い市松模様の床の通路をてらすのは天井の裸電球だ。本屋、宝飾品屋、人形屋(ドヌーブの行きつけらしい)、楽器屋なんかが並ぶ。革やさんのお財布がどうにも気に入った。高いけどすごくいい。ほしーい、でも、店はあいてないし。
 そんなこんなで、また、帰り迷いながら帰る。迷っていると、またサンドニ通りのsexshopのいっぱいあるあたりに迷いこんでしまう。セーヌ川を起点に考えようと、川へ向かう。出たところは、ボザール橋のあたりだった。この橋は、ポンヌフの隣の橋だ。ここから見るポンヌフは実に美しい。しばらく見とれる。アフリカンの太鼓をを叩いているお兄ちゃんたちがいたり、楽器を演奏している人がいたり、飽きないでたむろしている人達が多い。一緒になってたむろする。時間を忘れてかなりな時間いたと思っていたのに、時計を見ると20分くらいしか経っていない。
 近くなので、ルーブルを見に行く。外観だけ。中は中途半端に見るのがもったいないので、今度機会が来るまでおあずけとする。建物だけでも満足するような、すばらしい石の彫刻がほどこされた巨大な建物だ。こんなに他人の国のすごいものに感銘受けちゃったりしてるのに、自分の国のこと知らなすぎるなあ。
 歩きたおして、疲れたので、帰る。ホテルの近くのカフェで日記を書く。Perrierを頼んだときに、斜め後ろに座っていた高校生っぽい男の子たちにクスクス笑われる。そんなにおかしいか、わたしのrは。今日は晴れて気持ちのいい日だった。時計を見たら、止まっていた。ボザール橋で見たときから止まっていたらしい。
 部屋に帰って、Christian Constantsのチョコを食してみる。甘みは抑えてある苦味が全面的にでた小洒落た感じのチョコだ。チョコのおいしさってこういうものか、そうか、そうだったのか、という感じ。

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9月10日(日)
 午前中、ノートルダムとサントシャペルに費やす。
 日曜の朝なので、どちらもミサを行っていた。ノートルダムは改修工事を行っていて、写真、いいのが撮れなかった。そういえば来るといつも工事をしている。していないときはないのだろうか。
 サントシャペル礼拝堂は裁判所の敷地内にある。入口がわかりづらいことこの上なし。建物の中に入ってすぐに持ち物チェックがある。空港並みのきびしさで、金属探知機でのチェックと、荷物のX線チェックがある。ここの教会は何が有名かというと、バラ窓と呼ばれる美しいステンドグラスだ。前に見ている祐子ちゃんからの話しだと、この世のものとは思えないほどだそうで、目を潤ませて語っていた彼女の姿が忘れられない。で、実際どうだったか。本当に心洗われる美しい場所だった。しばらく座ってぼーーっと見入る。下の階からはミサの歌声が聞こえてくる。こんな美しい場所が自分ちの近くにあれば毎週通っちゃうなあ。
 rue de buciで昼食。本日のmenuがもうないそうで、イモのフライと、ガチガチのステーキとグリーンサラダしかなかった。最悪バカまず。
 その後、少し古本屋とか紙やさんとかあるあたりをうろついた後、Duex Magotでホットチョコレートを飲む。すごい甘いのに砂糖が2ヶもついてくる。・・・おいしい。
 そして、念願のロンシャン競馬場へ向かう。今日は、偶然にも武豊がダンスパートナーに騎乗し、ヴェルメイユ賞という、4才牝馬のG1レースに挑戦する日なのだ。ロンシャン競馬場はブーローニュの森の中にある。森の中でさんざん迷う。道を歩いている人に道をきいても、ことごとくウソというか適当なことを教えられて、2時間近く迷う。現場に到着すると、5分前にレースが終わり4位に散っていたところだった。もーー、なんのために来たのさ!と悔しくなってしまう。だけどダンスパートナーは元々そんなに好きな馬ではないし、次以降のレースにも武さんは騎乗するようなので、持ち直す。パリに住む日本人の人達がパラパラ見に来ているようで、料理人のたまごの人と、デザイナーのたまごの人と、そこに遊びに来ているいとこの人と知り合う。わざわざこれを見にやってきたと思いこまれて、大層めずらしがられる。戦績はぜんぜんで、とうとう一つもあたらなかった。
 終わると、結構いい時間になっていて、晩ご飯を一緒にすることにする。中華を食べれなかった話をすると、「L'Italienneの方に中華街がある」とのことで、そっち方面に移動。
 日常雑貨屋とか、中華のお店がたくさんあるところだ。店の客層が中国人の家族連れが多そうな店に入ることにする。
 鯛の生姜風味醤油味煮、もやしの炒めもの、ヤングコーンの海老の炒めもの、炒飯、などなどを頼む。鯛には白髪ネギがたっぷりかかっていておいしかった。魚ではヒラメと鯛どちらかを選べたが、ご当地ではヒラメの方が倍近くの値段だった。たくさんで中華食べるのは楽しい。
 最後にデザートに杏仁豆腐を食べたかったのになくて、なんとなく感じが似ている"豆腐花"というのを頼む。料理人のたまごの人は、店の人にきいてなにやらかわかった風でニヤニヤしていたが、ほかの人たちは全員わからないまま。わたしも、デザートだけど熱いものだ、ということだけはわかったがそこまで。その場にいたうちの一番のヤラレキャラの桜井くんが頼むことになる。きたものは、茶色い八つ橋の匂いの熱い汁に、薄切りの豆腐がプカプカ浮いているという代物だった。結構、キツい。
 おしゃべりをしていたら、すっかり暗くなって、10時30近くになってしまう。これからお仕事に行く人もいる。その他の人達に送ってもらうことになり、メトロに向かう。道すがら、歌を高らかに歌いながらミュージカルのように駆けてくる男女などがいたりした(ちょっと目がいっちゃってる感じ)。ここはあまり、いい治安のところではないのか。
 ホテル前でなんとなくお互い口々に、またね、と言う。またね、ってもうないんじゃない?と誰かが言ったことで、ものすごいブルーになる。本当にそうかもしれないけど、思い知らされてかなりさびしくなって、部屋に戻って寝る。

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9月11日(月)
 パリで朝寝坊。なんか優雅な気分になる。
 ブルージュに行く予定を変更して、たいちゃんの待つデュッセルドルフにまっすぐ向かうことにする。列車の時刻表を確認すると、16:36発のに乗れば22:24に着くらしいのでそれにする。

 ほぼ定刻でデュッセルドルフに着くが、たいちゃんがなかなか来ない。待っているうちに、ヘンなおやじに声をかけられたり、酔っ払っているおやじにドイツ語(おっかない)で叫ばれたり、ムカムカする。たいちゃんが来たのは23:30くらいだった。会ったらムカムカはどうでもよくなっていた。
 たいちゃんの部屋までタクシーに乗る。ドイツ語で運転手と会話しているたいちゃんを見て、おおおーー、と羨望のまなざし。たいちゃん、すごくなったもんだ。ドイツ語って何をきいてもわからない。
 彼女の住む部屋は、一階が大家のうちで、二階が4部屋あり、たいちゃんの他に3人のドイツ人の女の子たちが暮らしている。部屋の広さは15,6畳はある広い部屋で、重厚な家具もついていて1か月30,000円位だそうだ。安い!!と驚いたが、それでも外国人価格らしく、他の部屋のドイツ人たちは20,000円位しか払っていないという。部屋の広さと、家賃の安さと、天井の高さの他にもいいことはある。シャワーで使うタオル類は全部大家が用意してくれて、洗濯をしてくれるらしい。いいなあ。
 デュッセルドルフの地ビール、ALTOを飲ませてもらう。さっぱりしていて苦味もなくておいしい。ビールあまりいけるクチではないのに、おかわりしてしまう。話もはずみ、気付いたら夜明け。話の流れから、明日の昼間はアムステルダムに日帰りで行ってみることにする。

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9月12日(火)
 朝、ゆっくりして、レーズンの入ったおいしいパンとALTOで朝食。旅行だと思うと、朝からビールも飲めちゃう。
 ケーキと炭酸水を買って、列車に乗る。駅売りのケーキもパリではこんなんだったけど、ドイツではこうだ。カラーが出ているなあ。アムスまでの車窓からの景色は、十勝とかそっち方面の北海道のようで、外国にいる感じがうすい。写真を撮って友達にみせても、え、ここ北海道?とたぶん言うだろう。
 アムステルダムの印象は、え、ここが国一番の町なの?という感じだった。きれいでもなく、きたなくもない。とりあえず、運河巡りをすれば町の感じがわかると思い、船に乗る。水は小樽の運河と同じくらい汚いと思った。その船の中にいた日本人と少しの時間お茶する。ものすごい勢いで喋ってくる。あいずちを打つ暇もない。cafeを出た後も、ずっと一緒に来るくせに、危ないやらなんやら説教してくるので邪魔くさくなって夕食一緒にする約束をして、それまでの間解放してもらうこととする。
 地図を持たず人気の多いところを選んで、散策する。とくにどこを見たい!という願望さえなければ、それで十分な広さの町だ。メインストリート、ショッピング街、ダム広場、coffee shopやかざり窓。麻薬解禁の国だけあって、意思のない目をしたあやしい人を結構見る。若いはずなのに、髪がボサボサでしわがたくさんの女の人とか。
 いまひとつ、coffeeshopとcafeの違いが判然とせず、コーヒーが飲みたいのに、違うところに手招きされて入ってしまう。また一つみたことのない世界をかいま見る。
 ダム広場では力いっぱいなーんちゃってポーズをしている像があった。近くで見たかったが、黒人のジャンキーと思われる人達の溜まり場と化していて、大声出して威嚇しているヤツがいたりしてこわかったので、遠巻きにシャッターを押してヒャーーーっと戻ってくる。
 土産屋には、さすがアムステルダム、の、ヌードの絵葉書とかライターとかがたくさん売っている。お菓子屋の店先でさえこうだった。
 その後、先ほどの日本人の方と、画家のおじいと、OLさんと待ち合わせ場所に集まり、オランダ料理を食べに行く。
 肉(鶏、牛、豚の肉片がばらばらと混合)と豆とザワークラウトとイモをごちゃっと炒め煮した感じのやつと、輪ぎりイモのフライ、豆と人参を煮たもの、空豆を煮たもの、いんげんを煮たものと、とにかく豆とイモと肉だらけ。量以外は派手なところもなく、食べれればいいさ、といった感じの印象がぬぐえない料理だ。地味な感じが町の印象と重なる。後はひかないおいしさだった。
 夜の車窓の外は、一般ご家庭の明りが間接照明なことを抜かせば、やっぱり北海道だった。
 デュッセルについて、たいちゃんとまちあわせして、cafeにALTOを飲みに行く。駅周辺にはあやしい人物がたくさんだ。うつろな目で、お金か薬かなんかを要求してくる。わたしはすっかりビビってしまうがたいちゃんはすごく強い。「こわがると、寄ってくるからこわがっちゃだめさ」って言うけど、こわいものはこわい!たのもしいなあ、アニキー。
 cafeでの生ALTOも格別だ。にがみがなくて、さわやかな甘みがあって、すっきり軽くて、あんなにビールをたくさん飲んだのは生まれて初めてだ。ビールがおいしい、と思ったのもこれが初めてだ。ドイツはビールとはこれ真実也。
 ビール飲みに来るだけでも価値あるよ。

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9月13日(水)
 滞りなく、帰り支度が済み、変な気分。
 8時に一回起きて、頭も重かったし、ブリュッセルは行けないだろう、と結論し、たいちゃんと駅でゆっくりお茶をする。
 別れ際もさばさばしていて、小樽から札幌に帰るような別れ方だった。いる場所が違っても感じたり考えたりすることが似ている友達がいて、うれしかった。
 ライン川を見に、ケルンに行くつもりで列車にのる。が、ブリュッセル行きの丁度よい繋ぎがケルンであったので、飛び乗る。3時間くらいあれば、ムール貝食べてお茶して、チョコ買えるだろう。

 ブリュッセルに着いて、パリまでのTGVの予約をして、荷物を預けて町へくりだす。ロッカーはテロ防止の意味からか、全部封鎖されていて、手荷物預かり所に預ける。
 のんびりしたい町の雰囲気だ。さっそく、ムール貝を食べにお店があるあたりを探す。Rue des Bouchersのあたりにはムール貝のお店が林立している。ご家族が和気藹々とおいしそうに外で食べている店にする。1人用にしては大きめのキャセロールに山ほど入ったムール貝のワイン蒸し(セロリとたまねぎと香草入り)とペリエ。激ウマ!!つけあわせのポテトフライも山ほど出てくる。
 その後はチョコ屋巡り。グラン・プラスのあたりに集中してあるので、ふらふら歩いていると、あった!あそこにも!という感じで見つかるので、手あたり次第に購入。もちろん、ベルギーワッフルと小便小僧も忘れちゃいない。小便小僧は"世界三大がっくり"のうわさ通りだった。小便娘も見る。
 この行程で2時間。のんびりする気になればいくらでもできるけど、もういいや、と駅に引き返す。
 パリの北駅に着いてから、電話でCDG空港内のホテル"cocoon"に予約を入れる。明日は朝一での出発だ。コクーンに着くと、わたしの前に並んでいた予約なしの人が、あなたで最後の部屋、と言われていた。予約しておいてよかった。9時過ぎで、バーガーキングくらいしか開いていない。となりに座ったイギリス人が喋りかけてくるから、できない英語一生懸命がんばってこたえたのに、君の英語は全然分からないよ、かなんか言われて立ち去られる。非常にむかつく。おまえは日本語喋れないくせに!!

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9月14日(木)
 身支度をして、7時にカウンターへ行くと人がずらーっと並んでいた。みんな不機嫌そうだ。受付がはじまり、わたしの番になったとき初めて知ったのだが、ヒコーキが遅れているらしい。、ということはサンフランシスコで乗り継ぎができないということか。それは困る。
 「パリに泊るかサンフランシスコに泊るか」と迫られるが、大事なビジネスが国にあるから戻れなかった困る、なんて言ってみたりする。うそくさ。
 するとエアフランスの直行便ビジネスクラスに乗っけてもらえることになる。やった。それに振り分けられた日本人の女性の方3人と朝食をとる。かなり朝からテンション高く盛り上がる。(空港で見た欧米人が「わがまま」と下手な字で書かれたTシャツを着ていた、とかそんなん)免税店ではGODIVAのチョコのバーゲンをしていたので、まんまと購入。鞄の中はチョコだらけ。あとCD-ROMを何枚か買って、ヒコーキへ。
 さすがエアフランスのビジネスクラスだけあって、食事がフルコース、ワインもおいしいし、メインは5種類のなかから選べる。舌ビラメのソテーとかホロホロ鶏のなんとか酒風味とか、なんだかすごい。デザートの前に、何種類ものチーズがトレーに乗って出てきて、好きなものを選べたりして。隣の人とシャンパン飲み放題状態に陥りかなり楽しくなる。
 映画は"Until Sunrides"だった。話しの筋はウィーンへ向かう列車の中で、仏女と米男が知り合い、恋におちて、1日を過ごし、半年後にまた会う約束をして別れる、という、いかにもフランスっぽい演劇のような要素が強い内容の映画だった。旅先でちょっとした恋をしてしまった人には共感できる内容の物語だった。シャンパンのせいもあり、あの二人は本当に会うだろうか半年後、会ってほしいなあ、なんてヘンに感情移入してしまった。そんななか具合が悪くなってくるので寝る。
 着いたら15日の朝の7時頃。と、いうことは12時間、空港待ち!?疲れてどこにも行けないので、本当に12時間空港で過ごす。半分以上寝ていた。あとは、この次行った時に泊りたいホテルのことを考えたりしていた。

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