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エーゲ海クルーズ

パトモス島

2001.09.01. 掲載
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午後3時過ぎにパトモス島のスカラ港に到着した。ここは小さな島だが、聖ヨハネがこの島で黙示録を書き、11世紀に彼を記念して設立された修道院はギリシャ正教界の中心地で、エーゲ海のエルサレムといわれているそうだ。

ギリシャにはユネスコの「世界遺産リスト」に登録されたところが16件あるが、このパトモス島の神学者聖ヨハネ修道院と黙示録の洞窟の歴史地区もその一つである。今回の旅では、最初に訪れたアテネのアクロポリスと、明日訪れる予定の中世都市ロードスの3件の世界遺産をこの目で見ることができた。

この島はAD16世紀から20世紀の初めまでオスマントルコの支配下にあり、その後はイタリアに占領され、ギリシャに統合されたのは1948年とのことである。

ヨハネが黙示録を書いた洞窟

この港も小さくて船は1隻しか着岸できない。予定ではテンダー・ボートで上陸することになっていたが、ここでも一番乗りをしたオリンピック・カウンテス号が接岸した。そこからバスで山の中腹にある聖ヨハネ黙示録の洞窟へ向かう。

バスを降りて、この洞窟へ入るために並んでいると「時計落としてますよ〜!」の声が何度かするが、落とし主は名乗り出ない。時計を落すなんてドジな奴がいるもんだと思っていると、小さな声で「私です」と赤い顔をしているのは誰でもない私の配偶者なのだ。恥ずかしくて名乗りづらかったと言うが、やはり似た者夫婦、ドジ夫婦である。これで大きな顔ができると私は大喜び。パパラッチKENZOもさすがにこのスナップは遠慮したようだ。(ドジ#6)


67)同じデジカメで狙うものは何だ? by KENZO


68)聖ヨハネ黙示録の洞窟への入り口だった

聖ヨハネはAD95年に、エフェソスでキリストの教えを広めたかどでドミティアヌス帝によってこの島へ追放されたが、97年に皇帝が亡くなるとエフェソスに戻り、そこで高齢で没したと言われている。彼はこの洞窟で神の声を聞き、黙示録を書いたと言われていて、洞窟の天井には神の声によって裂けたという3つの割れ目がある。

ギリシャの現地ガイドは、この洞窟に入ると自分は身震いがしてくると真剣な顔で話したが、私たち夫婦はそのように胸うたれることはなかった。イタリアのアッシジの地下小聖堂で受けた畏敬の気持、バチカンの聖ピエトロ寺院にあるミケランジェロのピエタ像を見たときの感動にはほど遠かった。現地ガイドの話は学術的で納得することが多かったが、唯一の例外がここだった。


69)洞窟は長い階段を下った所に by KENZO

バスの中でのハプニング

洞窟を出てバスに乗り、山の頂上にある聖ヨハネ修道院に向かうバスの中での話。洞窟に行く時に乗ったバスに4〜5個の忘れ物があり、こちらのバスに届けられていた。私たちのギリシャの現地ガイドが、バスには荷物を残さないようにとマイクで話したとたん、「そんなことは降りる前に注意してくれないと困るじゃないか」と刺すような怒声が私のすぐ横から響いた。見るとその男は私と同じくらいの年恰好で、まわりには似たような夫婦連れが座っている。

楽しい気分はその一言で吹っ飛んでしまった。30秒くらい間が空いて、責められた現地ガイドはていねいに謝り、何もなかったかのように、これから行く聖ヨハネ修道院について説明を続けた。しかし、収まらないのは私たちだ。彼女は私たち16名のツアーの専属ガイドで私たちに説明をしている。彼らには現地ガイドは居らず、お相伴で聞かせてもらっているというのに、何と言うブチコワシをするのだ。バスには50名以上の日本人乗客がいて、私たちは一番奥の席に追いやられていた。そのため説明もよく聞こえずにいたので一層不愉快になった。(ハプニング#5)


70)修道院まで登って行く途中の道路 by KENZO


71)蛸の一夜干し、ビールの肴に絶好 by KENZO

聖ヨハネ修道院

11世紀末に聖ヨハネを記念して建てられた修道院で、砦のような城壁に囲まれている。中に入ると、庭から階段、円天井、アーケードなどが集まり、ビザンチン様式で飾られている。また、隣接する資料館では修道院の貴重な品々が展示されていて、その一つにエル・グレコが書いた宗教画もあった。ビザンチン風に描かれたこの絵は、よく知っているグレコの絵とは思えないもので、私の好みではない。


72)城壁がこの島を見下ろしている by KENZO

これもエーゲ海の風景

世界文化遺産に指定されている聖ヨハネ修道院や黙示録の洞窟にはいささか失望したが、ここから眺めるエーゲ海の風景には、心をなごませるしみじみとした美しさを感じた。ここは派手で猥雑なミコノス島の対極にある島だった。クルーズを終えた今、一番心に残る風景はと言えば、この修道院のある山の中腹から眺めたパトモス島が思い浮かぶが、妻も同じようだ。


73)修道院から見た停泊中のオ・カウンテス号


74)スカラの街や島の大部分の景色が見える


75)遅れて入港したクルーズ船が沖合に停泊

胴巻きをゴミ箱の上に置き忘れていた!

船に戻って洗面所に入った妻が大声で私を呼ぶ。指差す先は洗面所の下の左隅にある足踏み式のゴミ箱の上だ。そこにはくたびれた胴巻きがあった。9年前に初めて海外旅行をして以来、現金とパスポートをこれに入れて常に携行してきた。今回乗船した時にパスポートは船に預けたが、現金のほとんどをここに収めてある。メッシュ製だから中身はまる見えだ。急いで数えてみるが、1枚も欠けていない。

私たちがパトモス島へ上陸するためキャビンを出ると入れ違いにボーイが部屋に入ったのを覚えている。部屋は整えられ、このゴミ箱の中も捨てられているというのに、胴巻きは残り、全く手をつけられていない。これを知ったとき、もう感動してしまい「すごいなあ」を妻と二人で連発するばかりだった。「スゴイ伯爵夫人が、スゴイスゴイ、スゴイ伯爵夫人になった、スゴイ!」 これは私が感嘆した時に使う最大限の誉め言葉であるが、これまでに使ったのは数回だけだ。

伯爵夫人がスゴイことはよく分かった。しかし、そのことを教える原因を作った者が、どうしようもないドジであることもまた証明されたのだから大変だ。彼の弁明を聞こう。

自分は快眠、快食、快○を特技としているが、ここで腹一杯食べ、普段は室内に閉じこもって運動をしない身が観光で動きまわるため、快○は絶好調、下船の前には必ず腰を掛けたくなる。この日も腰を掛けると、目の前のゴミ箱に目が留まり、大切な胴巻きを汚さないために、しばしの間ここに置かせてもらうことにしたのだと言う。それはそれで良い、しかし、そのことを忘れてその場を離れたのは、大ドジ以外の何ものでもあるまい。

このことを聞いたある人は、「それは老化現象だから気をつけて上げなさい」と妻に忠告したそうだ。これでWHO公認の老人は痴呆の始まりの疑いまで持たれてしまった。やれやれ、、、(ドジ#7)


76)胴巻きを置き忘れたゴミ箱とその周辺

グリーク・ナイト

今夜はグリークナイト、ギリ シャ国旗の青と白をどこかに付けた服を着てダイニング・ルームで夕食をとった。現地ガイドは色鮮やかな青のワンピースを着ていて、黒い肌にその青がよく似合っていた。彼女は昼間のバスの中でのハプニングについて私たちに何度も詫びた。大阪人の私たちツアーの連中と何日か生活をともにするうちに、すっかりそのペースに慣れ、あのような人がいることを忘れてしまっていたと謝るのだ。それはプロとしての反省なのだろうが、私たちはあの男の非礼を非難した。

とりわけ私はバスの中で一番あの男の近くにいたので「あの男の顔を見たが、あのような顔をしているからあのような言葉が出るのか、あのようなことを絶えず言っているからあのような顔になるのか、そういう疑問を持たせる顔の男だった」と話して鬱憤をはらした。

夕食が終るとグリーク・ナイト・ショーがあり、ギリシャの民族舞踊やギリシャの音楽などを存分に楽しんだ。


77)ギリシャの民族舞踊


78)ブズキによるギリシャ音楽の演奏 by KENZO

午後8時前にパトモス島を出航し、オリンピック・カウンテス号はロードス島に向け、113海里(96km)を航行中である。

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