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最初の遺書

2000.11.30. 掲載
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これは、私の49歳の誕生日に、高校2年生になったばかりの息子圭に贈った、私からの遺書である。その時までに行ってきた子育ての、私の側からの総括で、これを息子に手渡すと「書くべきほどのことは書いた」という気持になり、息子から自由になった。その頃の状況は、歌と思い出9に書いておいた。この後、妻と二人で海外旅行に行く度に、二人が不慮の死を遂げた場合の対応の仕方を、遺書として息子宛てに書いてきたが、これは現在第4回目になっている。


圭に贈る

1985年4月16日 父

今日、私は49歳になった。40代最後の年である。人生50年として、締めくくりをしなければいけないと思っている。今、私の一番気にしていることは、お前のことである。そこで、これからお前に関する私の気持、考えを書いていこうと思う。もちろん、私の意見、考えを押付ける気持は毛頭ない。それに対する判断なり選択は、もちろん、お前自身がすることだ。しかし、お前のことをこの上なく大切に思っている親の気持として、読んで欲しい。と言っても、何も目新しいことを書くわけではない。これまで何回か話してきたことばかりだ。

話の筋道を大きく4つに分けて書いてみたい。その第1は、今後2年間のお前の過ごし方に関すること。第2は、高校卒業後のお前の進路に関すること。第3は、私自身の将来計画(お母さんの意見も同じだと思う)。最後は、お前がどのような人間であって欲しいか、また、どのような人間であって欲しくないかという私の希望である。


1.今後2年間の圭の生き方について

A.今後の2年間を、目標大学合格に向って専念しようと思うか?

もし、そう思うのなら、それを実現させるために、積極的に何らかの方法を考えたり試みたりしてはどうか?  また、過去にそれを試みてうまく行かなかったのであれば、その経験を生かすように努めてみてはどうか?

反対に、そうは思わないといとしたら、その理由として考えられるのは、例えば自分が怠惰で、意志が弱く、誘惑に負け易いとお前は言うかもしれない。しかし、私はお前がそれ程意思が弱い人間だとは思っていないし、訓練によって、誘惑にもだんだん強くなって行くものだと思っている。

また、音楽とか服装、頭髪のスタイルなどに関心を持つ方が、勉強に専念するよりも勉強の効率が上がるのだと言うのかもしれない。もちろん、私もある程度はそれを認める。自分の経験から言っても、頭を休める程度の音楽は、勉強の効率を高める効果があることを知っている。

しかし、その反面、音楽というものは、それにのめり込むと、麻薬のように魅せられてしまい、苦しい現実から逃避する対象になり易いことも、これまでしばしば自分も経験し、また見聞きしてきた。

そのようなことは、お前の場合にはないと言うのなら、それを具体的に示すことができるのか? それなら私も認識を改めよう。

勉強に専念しようと思わない理由が、勉強以外のことで人に目立ちたいからというのであれば、私には言うべき言葉がない。また、2年間も音楽とかオシャレを楽しむことを辛抱できないと言うのであれば、次に話をすすめたい。


B.今後の2年間の楽しみを極力減らして課題解決のために努力し、目標達成後に、
  2年間で味わえる楽しみの何倍もの楽しみを得ようとすることについて、
  お前はどのように思うか?

私は、今後の2年間で楽しむと言っても、第1に年齢制限(未成年)があり、第2に明星高校生であるという制限、第3に受験のための勉強時間を無視できないという時間的制限がある。また、受験という精神的 プレッシャー 、家族とくに両親、祖父母の共感を得られない、と言うより、むしろ非難と悲嘆の中で楽しまなければならないこと、経済的にも制約があることなど、ざっと数えてもこれくらいの制約が考えられる。

そのようなことが分らないお前だとは全く考えられないし、それを承知で楽しめるほどの図太い神経だとも、とうてい思えない。もし、楽しんだとしても、それは余りにも貧しく、哀れなものでしかあり得ないと私は思う。お前ももちろんそう思うだろう。

しかし、そのようなことは充分承知だが、それでも、この2年間という時間の中での楽しみは、何ものにも替えがたい貴重なものだとお前は言うのかもしれない。なるほど、そう言われればそれまでだが、私は同じ意味で、自分が定めた目標の大学合格という課題達成のために全力投球をする、つまり、青春のエネルギーの全てを注ぎ込むということができるのも、この2年間しかないと言いたい。そして、その方が、中途半端に楽しむことより有意義だと私は思う。

中途半端な楽しみでも、今の楽しみの方が将来の楽しみより大切だと言うのなら、何をか言わんやである。それは動物と同じレベルである、ということに気づく日が、早く来ることをただ祈るばかりである。

また、音楽やヘアスタイル、オシャレなどを楽しむことなく、これからの2年間を過ごすくらいなら、生きていない方がましだともし思うのなら、この際、人生について真剣に考えて欲しい。楽しみのない生活は生きるに値しないと言うのであれば、世の中の大多数の人間は、そのような人生を送っていることになる。

人が生きる目標の一つが楽しむことであるということと、楽しんでいない生活は生きる値打ちがないということは、全く関係がないということは、賢明なお前には、言うまでもないことであろう。

また、楽しみと言うものを、今世間に流行っているものにとらわれてしまうのも、余りに受動的ではなかろうか?

受験勉強の中においても、人は楽しみを見出し、あるいは創り出していくことができると思う。与えられた既成の楽しみが、楽しみの唯一のものではなく、むしろ、自分で創り出す楽しみの方がより本質的であり、喜びも大きいと思うのだが、どうだろう? 異論もあるかと思うが、考えてみて欲しい。


C.学校とか私たち両親がお前に課する色々な制約とか希望が嫌で抗らいたくなる
  と言うのか?

学校については、頭髪検査とか服装とか、余りにも末梢的なことがらにこだわり過ぎだと私も思う。しかし、それと同時に、そのような末梢的なことがらに、お前もこだわり過ぎだとも思う。つまり、学校もお前も同じレベルに留まっていると言われても仕方がないのではないか?

物事を大きく分けて、自分にとってどうしても譲れない根本的なことと、どちらでも良い末梢的なこと、それらの中間的なことの3つに分けて捉える習慣が、判断を大きく誤らないためにも、思考の節約のためにも、有用であると思っている。

どうしても譲れない大切なものというのは、そんなに多くはないものだ。もちろん、個人差もあるが、例えば自分の命とか家族の命に相当するほどかけがえのないものと言えば、私の場合は、それは「誇り」であり、「生きる道を選ぶ自由」もそれに近いかもしれない。家庭も同じくらい大切だ。しかし、この建物、土地、あるいは財産などは決して根本的なものではない。

学校の頭髪検査とかヘアスタイルとか服装などは、私にとっては末梢的なことに思える。しかし、お前が「髪こそ命」と最重要に思うのなら、徹底的にそれを守ればよいと思う。私には理解に苦しむことであるが、致し方ない。また、命に次いで大事とまで思うのでなければ、いさぎよく放棄するのが良いと私は思う。

私たち両親の干渉、制約、希望がたまらなく嫌だと思うのか? そうだとしたら、さきほど書いた自分にとって譲れない大切なことがらであれば、徹底的にその大切なことを守れば良い。気持の余裕があれば、逆らうばかりでは逆効果になることがあり得ることも考え、自分の思いを理解してもらうように、何回も誠心誠意、私たちにぶつかってみてはどうか?

親というものは、我が子が何よりも大切なのだ。私たちも例外ではない。子供の真剣な願いは、できる限り理解しようと努めるとはっきり言える。しかし、それほど大切なことでなければ、余り目くじら立てて争うことでもあるまいと私は思う。


D.勉強しかできない人間になりたくないと思うのか?

それは結構なことだと思う。私もそのように思って、これまでの人生を過ごしてきた。しかし、間違わないで欲しい。勉強しかできない人間でも、勉強もできない人間よりは値打ちがある。少なくとも、勉強もできない人間より、勉強しかできない人間が劣ることはないということだ。勉強を続けるということが、そんなに生易しいことではないことは、お前もよく承知している通りだ。

自分の欲望をなだめすかし、誘惑の魔力から目をそむけ、耳をふさぎ、怠けたくなる気持に鞭を打ち、睡魔と戦い、思うように捗らないことに焦り、苛立ち、努力の結果がしばしば失敗に終ることを経験し、一時的には投げ出すことがあっても、すぐさま気を取り直して勉強に向かう。これは大変重要な人生の生き方の練習といえるだろう。

勉強はできる、勉強以外の趣味とかの面でも優れている、しかし思いやりがないとか、人間性で問題がある人間になりたくないと思うのか?

それについても、結構なことだと思う。これまで何回も私は言って来たことだが、人間を単純に頭が良いと、普通と、頭が悪いの3段階に分け、性格も良い、普通、悪いに分けた場合、最も望ましいのは頭が良くて性格も良い人間かもしれないが、反対に最も望ましくないのは、頭が良くて性格の悪い人間であると私は昔から固く信じている。

しかし、ここで注意しなければいけないのは、性格が良いとか人間性が優れているなどということは、誰がどのような基準で評価し得るのかという問題である。観念的には、私も性格が良いとか悪いとか先ほど言ったけれど、実際には、それほど簡単に人間性を評価し得るものでないことを、この際はっきり分っておく必要がある。

自分の人間性を高めようと努めることは正しいが、自分の人間性の方が、他の誰かのそれよりも優れていると判断するのは誤りであり、傲慢なことだと私は思う。お前はそう思わないか? それと同様に、自分の優しさを公言する人間は、慈善事業家とか動物愛護協会の人たちの中に多いように感じているが、もちろん、私の偏見かもしれない。とにかく、都会人ではないことは確かだと私は思っている。

あるいは、勉強もでき、人間性にも優れているが、無趣味な人間になりたくないと思うなら、それも結構なことだと私は思う。私も、趣味は一般の人より多い方だと思うが、それは自分がしたいからであって、人間の値打ちとは関係ないことである。もちろん、アングルのバイオリンで、趣味を誉められるのは嬉しいことには違いない。しかし、それはあくまで余技であるから嬉しいのであって、本職は誉められる誉められないとは関係なく、力一杯努力するのが当然なのである。少なくともそれが本職のあるべき姿だと私は思っている。


E.大学入試ということが人生で最初の、そして最も強力に自分を鍛え得る機会である
  ことが、お前には分っているか?

大学入試制度の欠陥を挙げればいくらでもあるだろう。いつの世でも、どのような世界にも不合理はあり、不満を感じるとは思う。しかし、時代が悪い、世間が悪い、制度が悪いと文句ばかり言う人間を私は好まない。不合理を怒り、それを改めようと努めることは望ましいことだが、自分の努力をしないことの言い訳として、免罪符のように、それらの不合理を声高に叫ぶ人間を私は好きになれない。もちろん、お前がそのような種類の人間だとは全く思っていないのだが。

自分の置かれている状況の中で、主体的に、つまり自分の意思で目標を定め、その目標達成に向かって努力するということが、生きる上で最も大切な能力であると私は思っている。大学入試とは、まさに、その問題解決能力を身につけるための絶好の機会であると私は思う。

自分自身の過去を振り返ってみて、私の問題解決の方法のほとんどが、大学入試のための受験勉強の中で得られたものであることを知り、この大学入試という課題の重大性を強く感じているのだ。

自ら課したものであれ、他から課せられたものであれ、生きていく上では課題とタイムリミットがつきものである。それに対して、自ら考え、工夫し、与えられた条件の中で問題解決に向けて努力するのが、人間らしい生き方ではないだろうか? そして大学入試こそ、そのトレーニングとして、この上なく適していると私は把えているが、お前はそう思わないか?


F.楽しみたいという欲望を抑えて、大学合格のために勉強に全力を注ぐことは
  人間的ではないと思うか?

人間にはいろいろの欲望があるが、それ自身は悪でも善でもない。欲望は生命の活力源であることを考えると、むしろ善に近いのかもしれない。しかし、制御されない、暴走する過大な欲望は、ほとんどの場合、悪であると言っても言い過ぎではあるまい。この欲望を制御できるということが、人間の人間たる必要条件であると私は思う。この条件を欠くものは人間とは言えない。動物と同じである。そして、この欲望を制御する能力は、自然に備わっているものでなく、経験を積み、学習をして、身に付けていくものなのである。

その意味で、後2年足らずの期間、欲望を制御しつつ勉学に励むということは、むしろ人間的であるとさえ思う。


G.最後に、私が望ましく思っている今後2年間のお前の過ごし方について書いてみたい。

それは、お前が自分で選び定めた目標達成のため不断の努力をしている。時には誘惑に負け、失敗し、失望し、あるいは焦り、いらだつこともある。しかし、間もなくその状態から切り抜け、目標達成のための努力を続ける。試行錯誤をくり返しながらも、少しづつ成長していくお前を、私たち両親は信頼して見守っている。受験勉強中のお前にハラハラ気を使ったり、息をつめたようにして過ごすことをしないで、それぞれが、自分の仕事をしながら、暖かくお前を見守っている。結果を問うのではなく、その過程を大切にしたい。それが、私の望む今後2年間の生活である。もちろん、そのようにうまく行かなくても、何回でもその出発点に戻って、新たに挑戦しようではないか。

以上が、今後2年間のお前の生き方に対する私の考えである。初めにも書いたように、この私の考えをお前がどれくらい取り入れてくれるか、全く取り入れない場合も含めて、お前の自由であり、また、理解し難い点を問い質してくれても良い。とにかく、今後2年間を、私がとても重要に思っていることを分って欲しくて書いたのだ。それでは、次に移ろう。


2.高校卒業後の圭の進路あるいは生き方について

A.高校卒業後のお前の進路について

もし、特に自分が進みたい道があれば、よく考え、私たち両親とも相談して、最終的にはお前自身が選べば良い。どこの大学でも、どの学部でも、あるいは大学以外の道でも、もしお前がよく考えて選んだのなら、私たちはそれを良しとしなければならないと思っている。

もし、特に今希望がなければ、少なくとも理科系か文科系かを決める必要はあるだろう。今日の話では(4月11日)、どうも理科系に決めたようだが、それはそれで良かったと思っている。私がこれまで見てきたお前は、文科系の才能もあるが、やはり理科系の人間ではないかと思う。

医学部へ行くか、その他の学部に行くかは、先にも言ったように、もちろん、お前が決めることである。お前が医師になることを望む私たちの気持は、全体の70%くらいのもの。だから、親の希望などプレッシャーとして感じる必要は全く無い。

お前が医学部を選ぶ場合の私の参考意見を書いてみると、まず第1に医師という職業は人の命を助け、病気の苦しみを軽くするという職業であり、選んで悪い職業ではないと思う。それに、経済的にも、世の中の中流程度の収入は得られるだろう。3番目に、私が医師であるから、先輩として助言することができる。また、医学の範囲は広いから、6年間の医学部の生活の中で、自分に適した専門を選び得る。つまり、大学卒業後の進路決定までに余裕があるということ。その他にも、もし開業しようと思えば、私の後を継いでもよいことなどが、お前が医学部を選んだ場合の利点であろう。それに、お前は人の気持が良く分る方だし、人間に関心が強いことも医師に向いていると思う。

しかし、医師という職業は、努力しなければいけない時には努力できなければならないし、自分の欲望を抑えなければならない時には、それを抑えることができるということが必要条件である。それを承知で、医学部を選ぶのなら、私たちはその選択をこの上なく嬉しく思う。精神的成長の著しい圭のことだから、必ずや、先に言った医師の必要条件を満たすように成長するだろうと信じている。

B.高校卒業後の経済的援助について

高校を卒業するまで子供を養育するのは親の義務である。しかし、卒業後は必ずしもそうではない。話を簡単にするため、まずお前が国公立の医学部に進んだ場合は、学生である間は、世間の平均のだいたい50%増し程度の経済的援助はしよう。卒業後も、所得が充分得られるようになるまでは、経済的に援助しよう。

また、医学部以外の国公立、あるいは関学、同志社クラスの私学に進んだ場合は、世間並みの30%増し程度の援助はしよう。ただし、卒業とともに、一応援助は打切りと思っていて欲しい。それ以外の大学へ進学の場合は、世間並みの援助と思ってもらってよい。大学に行かないと言うのなら、それは経済的にも自立しようと言うことであろうから、経済的援助は必要なかろう。

ただし、例え医学部へ進んだとしても、レジャーランドへ行く積りで、遊ぶことだけが目的で大学へ行くというのなら、残念ながら、私には、そのような学資を出す気持は持っていない。

C.高校卒業後のお前の生き方について

高校を卒業すれば、大人として、精神的にも経済的にも自立できるように努めていかなければならない段階に上ったことになる。私たちも親子関係は変わらないが、お前を大人として処遇するつもりだ。

将来どのような生き方をするのかは、お前が決めることだが、私としては、どのような状況に置かれても、自分の力で生きて行って欲しく思う。その上で、他人に与えた喜びの総量が、他人に与えた悲しみのそれを少しでも上回るように生きて欲しい。その結果が、お前に充足感を与えるとしたら素晴らしいことだと思っている。


3.私自身の将来計画


一番初めに書いたように、今日から私は49歳になる。昭和20年頃までは、日本人の平均寿命はそれくらいであった。そのことを思うと、今、自分が人生の節目に居ることを痛感する。私はいつの頃からか、節目、区切りを大切に思うようになった。出会いと別れ、始めと終わり、いずれも人生につきものだが、私は別れとか終わりの方をより大切にしたい。

昔の平均寿命の年齢を終えようとしているということは、死ぬ確率もそれだけ高くなったということである。このあたりで、自分の死んだ時のことを考えておかなければ、突然死ぬようなことが起こった場合、死に際して私はそのことを深く悔いるだろう。

今、私が最もしておきたいことは、お前の生き方に対する私の考えを、はっきりした形で伝えておきたいということである。私の考えをお前が受け入れるか入れないかは別である。今は受け入れてもらえるところが少ないかもしれないし、将来も変わらないか、むしろ、より少なくなるかもしれないとは思う。それでも構わない。とにかく、私の考えを伝えておかなければ、死に際に後悔するだろうと思うのである。なぜかは分らないし、知ろうとも思わないが、それが今の私の最大の欲求であることだけは間違いがない。そのようなわけで、これを書いているのである。

次に、早い時期にしておきたく思っていることは、私が死んだ場合の対処の仕方である。これは毎年、あるいは状況が変わるたびに書き換えていく必要があろう。それを、私の誕生日ごとに行っていくつもりだ。当分の間は、これはお母さんに遺すことになる。しかし、いつの日か、お前にも書き遺すようになるだろう。

次は、私が死なないまでも、大病をしたり、大きな事故にあったりで、生きているだけで精一杯という状況に置かれるようなことがあった場合の対処の仕方である。これも、当分の間はお母さん宛てであるのは致し方あるまい。それと同時に、対処が実際に実行できるように準備をしておく必要があり、これもやっていきたく思っている。以上のことをし終えた上で、私自身の将来の計画を実現させて行きたいものだと思っている。

まず、医師としての将来計画は、今後10年間は現在と同じか、少し落としたペースで診療を続けて行こうと思っている。マンネリを避け、新しいこともできるだけ取り入れて行くチャレンジ精神をできるだけ失いたくない。それと同時に、これまでの診療のまとめも並行的に行いたい。それは自分のためでもあり、患者さんにも還元できるところがあると思うし、医学にも少しは貢献できるかもしれないと思うからである。

そうは言っても、現在の体力、特に記憶力と視力の衰えを思うと、果たして現在のペースで診療を続けられるか、いささかの不安はある。しかし、それは年の功、知恵を働かせ、なんとかやっていけるような気もするのである。

もし、誤診が多くなったり、医療事故を起こすようになったりで、医師としての能力が低下するようになれば、自分の能力に応じた範囲に診療を縮小し、患者さんに迷惑をかけないようにするつもりである。また、それすらも危ないと思われたら、いさぎよく医師を止めようと思っている。

将来お前が私の後を継ぐようなことがなければ、野村医院は私一代限りで終ることになるが、それも良いのではないかと思っている。むしろ、その方が良いのかもしれないと思ったりもしている。

次は、この家(建物と土地)のことである。私がこの家を経済的にも肉体的にも維持できる間は、この家で生活したいと思っている。それができなくなれば、ここを売り払い、便利なマンションに移りたい。そのマンションでの生活もできないほど肉体が衰えれば、その状態でも生きたいかどうかは別として、有料の老人ホームの類に入ろうと思っている。

次は、私が働けなくなってからの生活費などについての将来計画を書いてみたい。もし、収入がなくなり、貯金類も底をつけば、この家土地を処分し、全財産が無くなるまで、それで食いつないで行くより仕方がないと思っている。お前に経済的援助を求める気持は全くない。

思えば、昭和42年の暮、結婚して中古のスバル360を買った時、貯金は零であった。昭和46年7月、阪大を辞める時、ローレルを買い、これまた貯金零となった。それからお母さんと二人でまともに働いて、現在の土地と建物といくらかの貯金という財産を手に入れたのである。零から出発したのだから、零に戻るのも致し方あるまい。

最後に、したいが、しなければならないことではない問題について書こう。これは結局、趣味的なことがらと言えるだろう。音楽とか絵画とか本来の趣味的なものはもちろん、例えば、診療に関係していることがらでも、患者教育用のプリントを作るとか、診療データの整理とかいったことがらは、是非やらなければならないということはないという点で趣味的問題と言うべきだろう。

私には、そのような問題が非常にたくさんある。それらを、少しづつ、ある時は並行的に、あるいは集中的、重点的にやっていきたく思っている。もちろん、全部が満足にやれるわけではなく、限られた時間であるから、無駄な時間を少なくし、それでも時間がなければ、しなければならないことを2〜3割減らしてでも、自分のしたいことを少しづつやっていきたいものだと思っている。

お前が大学に入った年から、それをスタートさせるつもりで、それまでは準備期間にしようと思っている。準備も結構忙しいことと予想される。お互いに頑張ろうではないか!


4.どのような人間になって欲しいか、どのような人間になって欲しくないか


最後の項目を書くにあたって、お前が生まれた時に書いた日記をもう一度取り出してみた。昭和43年11月21日木曜日午後2時16分、お前は新香里病院で生まれた。私はその時、学会発表の準備で忙しくしていたため、午後11時過ぎに、お前に初めて会うことができた。日記はその年の12月8日に書き始めている。その中でお前をどのような子に育てたいかを、次のように書いている。「一人で、どんな環境に放り出されてもやっていける強い子供、そして、少しでも他人の幸せに役立つ子(少なくとも他人を不幸にさせない子)に育てたい」「そして心の大きな人に育てたい」

いま、何年か振りで自分の書いたものを読み、まさにその通りだと、今も思う。私たちが果たしてそのように育ててきたかを振り返ってみると、常にそうであったとは決して言えないと思う。しかし、今、それを言っても仕方がない。それに、これからは、私たちがお前を教育できる可能性は少ないだろう。もうお前は、自分で自分を鍛え、自分を作り上げていくべき年齢にまで成長したと私は思う。私たちが至らなかった点は諦め、これからは、自分から主体的に自分を作り上げていって欲しい。

私が望んでいるお前の生き方は、先の日記に書いたことと同じであるが、もう少し具体的に書いてみると、 その第1は、自立できる人間になること。つまり、自分の考えを持ち、自分の頭で判断し、他人をあてにせず、最後に頼れるのは自分しかいないということを体得すること。

第2は、ある課題に取り組むことを自分で決めたなら、その解決に向かって努力を続けられる人間になること。

第3は、自ら課題を求め、その目標達成(問題解決)のために努力する過程の中に、喜びを感じる人間になること。

第4は、失敗から学び、失敗から立ち直り、何回も挑戦できる強い意思を養って欲しい。

第5は、自分のやり方で自分の生活を楽しむことができる人間になること。

第6は、他人の悲しみを分ろうとし、少しでも他人の幸せに役立ち得る人間になること。

最後に、自分なりの生きる目標とか、生きる価値の基本をいつの日にか見出し、1回限りの人生を悔いなく生きて欲しい。

以上7つに分けて書いたが、これはお前が生まれた時に日記に書いたこととほとんど同じであり、お前がどのように生きて欲しいかという私の望みである。

それに対して、お前がどのような人間になって欲しくないかと言えば、それは先に書いたことの反対で、自分の考えを持たず、自分で判断せず、自分で努力せず、他人をあてにし、他人を利用し、うまく行かなければ他人のせいとし、社会が悪いと暴れ、裏切られたと怒り、一つの課題に取り組んでも直ぐに投げ出し、就職しても長続きせず、努力することを馬鹿らしく思い、気ままに、享楽的に快楽を求めて生きていく。

そのようなことが続けられるわけがないので、他人を騙し、ギャンブルに一攫千金を夢見み、根無し草のよう、あるいはヤクザのように生きて行かざるを得ない。それも不可能となると、自暴自棄になり、罪を犯すか、自ら命を断たざるを得ない。

失敗を何回くり返しても、そこから学ぶことをせず、あるいは、少しの失敗で簡単にギブアップし、逃避してしまうような人間。

そして、世間と同じ楽しみしか知らず、今の流行に浮き身をやつし、自分本位で、他人の喜びや悲しみに鈍感で、他人の不幸に寄与することがあっても、他人の幸せに役立つことがほとんどないという人間。そういう人間には絶対になって欲しくないと願っている。

もちろん、お前がそのような人間になるとは全く思いもしていないし、そうでなくて、私が望んでいる生き方をしてくれるものと信じているが、しめくくりとして、私の気持を書いた次第である。

以上、4つの項目に分けて、お前に伝えておきたい私の考え、気持を書いてきた。それを受け入れる、受け入れないは、全くお前の自由である。このような内容の文をお前に贈るのは、これが最初で最後にしたい。

もしも、私が近い将来に死ぬことがあれば、この文はお前に対する私の遺書だと思ってくれてよい。そのつもりでこれを書いて来た。そして、私の49歳の誕生日を記念して、この文をお前に贈る。1985年4月16日 望

(1985.4.16.記)


<2000.11.30.>

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