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アルバム「結婚50周年」の制作

2019.06.06. 掲載
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はじめに

私は記録を残したい人間である。人生のほぼ全体について、キーワード的に「年譜」、ストーリー的に「運は時なり物語」を書いた。

1967年に経子と結婚し、2017年に結婚50周年(金婚)を迎えた。この51年間は私たちにとって一番幸せを感じた時間であった。

その期間を写真アルバムで記録に残したいと思い、制作を始めようとした時に、大腸がんが見つかり、手術を受けた。その時必死に願ったことは「この作品を完成させるまで4ヶ月の命が欲しい」だった。

ところが、実際に制作を終えたのは1年6ヶ月後であった。その強運にただただ感謝している。

「中之島のBOW」のサイトマップでは、1.「言葉」カテゴリのサブカテゴリ「生き方記録」と3.「映像」カテゴリのサブカテゴリ「アルバム」に配列した。

アルバム自体を公開することはできないが、アルバム制作の過程と内容の概略を記録に残すことにした。


アルバム制作方針

現在、写真(画像)の保存はフィルムベースではなく、ファイルベースの時代にいるのだから、写真を画像ファイルのスライドショー形式で編集し、汎用性のあるファイルとして保存する。

スライドショー作成ソフトはたくさんあるが、その中の株式会社ペガシス「TMPGEnc その場でスライドショー」を選んだ。その理由は、動画関連でこの会社のソフトを長く使ってきた経験から、この社のソフトを信頼しているからだ。

スライドショーについては、簡潔で分かりやすくを旨とし、動画やアニメーションを使わず、BGM、ナレーションを入れず、切り替え効果や音楽、効果音などは使わず、写真(画像)表示を中心として、字幕(テロップ)を活用する。


51年間の保存写真の中からアルバムに載せる写真を選択する


写真は、年度別撮影分(静止画)としてPCに保存しているものの中から選ぶ

妻の写真はないが、妻も私との関係を熟知している写真は選択できる

選んだ写真よりも、それをトリミングした写真の方が有用と判断した場合、そちらを選ぶ
トリミングのほとんどは、縦横比を、HD規格(ハイビジョン規格)と同じ 1920 x 1080 にしている

保存写真は全部で19,201枚、その中から選択した写真は5,919枚で、それが全体に占める割合は30%、選択した写真の年平均写真枚数は116枚である。


選択した写真を4グループに分ける

「TMPGEnc その場でスライドショー」は、32bitアプリケーションのため、使用可能なメモリは最大で4GBまでとなっている。

「TMPGEnc その場でスライドショー」 に画像を読み込み、編集すると、読み込まれた画像のサイズ・枚数・編集内容に応じてメモリが消費されていき、4GBに達するとメモリが開放されるまで遅延が発生したり、動作が不安定になるなどの現象が生じる。

対処方法としては、メモリの消費を抑える以外に方法がなく、読み込まれる画像のサイズを縮小するか、一度に読み込む枚数を減らす方法を選ばざるをえない。

画像はできるだけ大きく、画質の劣化はできるだけ少なくしたく思うことから、51年間の選択写真を4グループに分けることで、32bitアプリケーションの限界に対応した。


選択した写真に対応する字幕を作る

アルバム「結婚50年周年」の制作は、写真を簡潔にスライドショー形式で表示し、字幕説明をできるだけ多く付けることを目標にした。

ただし、乳幼児期の息子や孫たちの写真には、撮影時の年齢の字幕を付けることを重視し、それ以外の説明はできるだけ省いた。説明抜きの方が、先入観なくよく分かると思うからだ。

写真表示時間は原則としてデフォルト値(3秒)とするが、字幕の文字列が長い場合は、適宜延長し、最長6秒まで延長可とした。


作成したスライドショーをビデオファイルとして出力する

スライドショーは動画ではなく、静止画でもなく、疑似動画と分類されるべきだと考える。

4分割したアルバム「結婚50周年」のそれぞれについて、「TMPGEnc その場でスライドショー」を
使って、解像度がフルHD 16:9(1920x1080)の、PC再生向けビデオファイル(WMV)を出力する。

このPC再生向けビデオファイル(WMV)は疑似動画ファイルである。


スライドショーのマスターファイルを作る

マスターファイルとは、汎用性が高いファイルと定義すると、現在から当分「MP4ファイル」時代が続くと予想できる。

ビデオファイル「WMV」出力が完了すれば、「TMPGEnc Vido Mastering Works5」を使って、
「WMVファイル」を「MP4ファイル」に変換する。

その理由は、「WMVファイル」よりも「MP4ファイル」の方が汎用性が高いと考えられるからである。


アルバム「結婚50周年」の内容


その1 結婚1年目〜40年目(1967年〜2005年)(31歳〜69歳)の 39年間

この39年間は、勤務医あるいは開業医として、医業に従事した期間で、私の青年期から壮年期であった。

保存写真は全部で5,951枚、その中から選択した写真は1,598枚で、選択した写真の全体に占める割合は26%である。選択した写真の年平均写真枚数は40枚で、他のグループに比べて一桁少ない。

この期間の年平均写真枚数は少ないが、息子の写っている写真は220枚で、選択した写真の13%を占め、息子の誕生から14歳までの15年間に限ると、100%近くが息子の写真である。私たち夫婦にとって、彼は愛しく非常に大事な存在だったことを表していると思う。

結婚15年目(1982年)に父が亡くなった。享年71歳だった。

結婚21年目(1988年)から、息子が医大通学のため家を出て下宿生活を始めた。それに伴い、妻と二人で生きることを楽しむスタイルを作ってきた。

この期間の大きな出来事を列挙すると、結婚20年目(1987年)からパソコンの医療業務への活用、結婚25年目(1992年)に、1回目の海外旅行(イタリア)、結婚26年目(1993年)に、野村医院開院二十周年感謝の集いを持ち、「野村医院二十年史」を出版した。

結婚27年目(1994年)に、常務理事として交野市医師会設立に関わり、交野市医師会設立記念式典開催に注力した。結婚28年目(1995年)には、2回目の海外旅行(スペイン)をした。

結婚29年目(1996年)に、医師会パソコン同好会の世話人となり、野村医院や交野市医師会のホームページを開設し、会員のパソコン使用の普及に努めた。

結婚30年目(1997年)には、3回目の海外旅行(ドイツ・オーストリア)、結婚31年目(1998年)には長崎旅行と松江旅行、結婚33年目(2000年)には、4回目の海外旅行(ソウル)と5回目の海外旅行(パリ・ロンドン)がある。

結婚34年目(2001年)には、6回目の海外旅行(ハワイ)と7回目の海外旅行(エーゲ海)、結婚36年目(2003年)には8回目の海外旅行(イタリア)と息子夫婦の結婚披露宴、結婚38年目(2005年)には、9回目の海外旅行(台北)がある。


その2 結婚41年目〜43年目(2006年〜2008年)(70歳〜72歳)の3年間

この期間は、医業からリタイヤした最初の3年間で、しなければならないことが大幅に減り、したいことが存分にできるようになった期間である。

保存写真は全部で4,620枚、その中から選択した写真は1,499枚で、選択した写真の全体に占める割合は32%、選択した写真の年平均写真枚数は499枚で、4グループの中で最多である。

この期間の大きな出来事を挙げると、
結婚41年目(2006年)には、ブログ「エンジョイBOW」を開設、国内クルーズ(神戸・高知・別府)、尿が出なくなっての「緊急入院」がある。

結婚42年目(2007年)には、前立腺肥大症手術と10回目の海外旅行(100日間世界一周)をした。

結婚43年目(2008年)には、11回目の海外旅行(ウイーン・ベルリン)をした。 この年、授からないものと諦めていた孫が誕生し、孫と過ごす幸福を満喫する日が始まった。


その3 結婚44年目〜47年目(2009年〜2012年)(73歳〜76歳)の4年間

この期間の私は、体力・知力・気力の衰えをまだ知らず、孫と過ごせる幸せを存分に感じていた。

保存写真は全部で4,620枚、その中から選択した写真は1,499枚で、全体に占める割合は32%、選択した写真の年平均写真枚数は374枚で、4グループの中で2番目に多い。

この期間の大きな出来事を挙げると、
結婚44年目(2009年)の年初から、孫娘 哩央の写真を続けて多数表示し、12回目の海外旅行(北欧4カ国)、国内旅行(琵琶湖方面)、13回目の海外旅行(ハンガリー・オーストリア)の他は、成長する孫娘の写真が画面を占拠した。

結婚45年目(2010年)も、年初から孫娘 哩央が成長する姿を連続表示し、その合間に水の都大阪の「市内環状クルーズ」乗船記録、14回目の海外旅行(香港)、中之島バラ園鑑賞、創作ミュージカル「らくだのダンス」に私が出演した写真を表示した。

結婚46年目(2011年)も、年初から孫娘の写真で埋め尽くされ、その間隙に、国内旅行(冬の北海道)、15回目の海外旅行(南イタリア・古代ローマ遺跡)、国内旅行(九州・厳島)の写真が入る構成が定着したようだ。北野天満宮・仁和寺・晩秋の常寂光寺の紅葉見物でこの年は終わった。

結婚47年目(2012年)も、孫娘 哩央の写真で始まり、16回目の海外旅行(台中・台南)、17回目の海外旅行(スロベニア・クロアチア)、国内旅行(沖縄)、10月には2番目の孫娘 侑生 が生まれ、孫たちと過ごす楽しみがますます大きくなり、孫たちの写真で満ち溢れた。


その4 結婚47年〜51年(2013年〜2017年)(77歳〜81歳)の5年間

この5年間は、壮年期から老年期への移行を実感した期間だった。

保存写真は全部で4,010枚、その中から選択した写真は1,323枚で、全体に占める割合は32%、選択した写真の年平均写真枚数は264枚で、4グループの中では少ない方から2番目である。これは、私の体力、知力、気力の低下と相関しているようだ。

この期間の大きな出来事を挙げると、
結婚47年目(2013年)は、私の甥 野村真一君と大西浩二君の結婚披露宴、新フェスティバルホールのこけら落とし公演であるフェニーチェ歌劇場「オテロ」の観劇、18回目の海外旅行(スイス)、孫娘哩央・侑生の写真、水都大阪フェスティバルなどがある。この年から、年末年始を息子一家と北海道洞爺湖のウインザーホテルで過ごすことになった。

結婚48年目(2014年)は、19回目の海外旅行(モスクワ・エルミタージュ)、北浜周辺の景観、息子一家の撮影会、佐渡裕指揮 ケルン放送交響楽団演奏の ベートーヴェン交響曲第9番を鑑賞し、年末年始を息子一家と一緒に北海道洞爺湖のウインザーホテルで過ごした。

結婚49年目(2015年)は、大川沿いの桜、哩央の小学校入学、20回目の海外旅行(ケルン・オランダ・ベルギー)、天の川伝説 2015年、哩央の「猫バス」制作、21回目の海外旅行(秋のスペイン)、哩央・侑生の七五三、3番目の男孫 壮 の誕生、弟を見守る孫娘二人の写真、哩央・侑生の撮影会で終わった。

結婚50年目(2016年)は、ハートリー合唱団コンサート、男孫 壮 の宮参り、私のコーラス退団、22回目の海外旅行(ポーランド)、畏友濱田辰巳君の水墨画個展、サイト開設20周年、「サイト中之島のBOW」をオフラインで表示するDVDの制作、兵馬俑鑑賞、ボンポアン撮影会(哩央8歳・侑生4歳1ヶ月・壮1歳)、哩央が家族全員の名前を書いた正月用御箸で終わった。

結婚51年目(2017年)は、正月を北海道ルスツで息子一家と過ごし、4月には81歳の誕生日を孫たちに祝ってもらい、ただ一人の弟 義 の訪問を受けた。6月には23回目の海外旅行(ハンガリー・スロバキア・オーストリア・チェコ)に行き、11月に結婚50周年(金婚)を迎えることができた。


まとめ

1.アルバム「結婚50周年」の制作 を、カテゴリ 生き方記録 と、カテゴリ アルバム に配列した。

2.息子が生まれた翌年(結婚2年目)から14歳(結婚16年目)になる迄の写真のほとんどは息子が
  対象だった。私たち夫婦にとって、彼は愛しく、かけがえのない存在だったことを思い出す。

3.最初の孫が生まれた結婚43年目から結婚50周年までの間、孫たちの写真がアルバムの多くの
  場所を占めた。

4.柳田國男によって見出された日本人の生活スタイルは、儀礼や祭、年中行事などの「非日常」を表す
  「ハレ」と、普段の生活「日常」を表す「ケ」で成り立っている。

5.写真を撮る、撮られる状況の多くは、私たち世代の場合、「ハレ」つまり「非日常」であった。
  私は海外旅行などの「ハレ」を存分に楽しんできたので、「ハレ」の写真が多いのは当然であろう。

6.しかし、しみじと幸せを感じるのは「日常的」な状況にいる時だという思いが強い。夕食時に、ビー
  ルを飲みながら、思い浮かぶことを妻と話し合ったり、孫たちが遊びに夢中になっているのを眺めて
  いる時などがその一つである。

7.孫が生まれた翌年(結婚44年目)からは、日常状態の孫たちの写真がアルバムに満ち溢れている。
  遊びに熱中している孫を、嬉しく眺めている私たちは、アルバムには載らないが、確かにそこに
  居る。孫は、祖父母に幸せを与えてくれる、ありがたい存在だとつくづく思う。

8.「長寿の時代、夫婦揃って過ごす幸せを大切に感じます」と手紙に記した畏友の気持ちに同感する。
  彼は脳死状態から回復した過去を持ち、「もうけの人生」を懸命に生きている。

9.この、アルバム「結婚50周年」は、83歳まで生きてきた中で、一番苦労した作品だと思う。
  もうこの類の苦労は、低下した体力、知力、気力から考えて、できないかもしれない。それでも、
  できることは、生きている限り続けているだろうと思う。


<2019.6.6.>

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