戻る


櫻井さん

130801
桜井さんからのレポートです。
まだずっと続けてくれています。
素晴らしいですね。
ある意味で葛藤し悩みながらそして学びながらのボランティアです。

@災地訪問の件
 5月10日〜12日まで、被災地に足を運びました。

 今回も十八成浜(くぐなり)地区ボランティアです。

 愛知ボランティアセンター主催です。
 今回は8回目です http://aichiborasen.org/(前回は大雪で引き返しました。)

 自分にできることは、現場を感じ そのことをいろんな方に伝えることだと感じています。
 あくまで現場からの僕の感じた、一面による情報であることのご理解もお願いします。


1.現状について
 ・参加者
  若手主体、大学生が多く、初めての方が多く参加されています。働き盛り社会人も若干名参加しています(以前に比べて減少)。
  
 ・課題点
  高台移転について、地元の方でまとまらないことを伺いました。一部の方が反対をしていることで進まないこと。
  実際にヒアリングした際に、反対している方も近くに見えて、気まずい思いをしました。その方もボランティアのもてなし等、一生懸命参加されて見え、ヒアリングした方も
  大切に接して見えます。また地元食堂で、偶然知り合った現地の方の話でも、土地の区画整理がまとまらず、女川、気仙沼等でも
  個々の所有者の思惑もありまとまっていないとのこと。仕事も石巻から気仙沼に通っているとのことです。(気仙沼?では住宅が建てられないとのこと。)
  東松島は、うまく復興が進んでいるとのことを伺いました。(実地確認をしていません)


 ・繋がりの大切さ
  2つのつながりの大切さを感じました。
  1つめは、ボランティアと現地の方の繋がり。
  →なかなか復興計画が進まないため、おもぐるしい面も感じました。精神的につらいときに、関心を示してくださる人との繋がりが大きな支えになっているように
    感じました。ボランティア団体も活動のマンネリを防ぐ意味でも、来週の活動から、「名画座」を始めます。男はつらいよで一緒に笑顔を共有しようとする取り組みです。


  2つめは、仮設住民同士のつながりの素晴らしさ。
  →今回も、心配り班という現地の方の仮設住宅、ご自宅を周り、「笑顔をとどけ」と「安否確認」をおこない、つながりを継続していくことです。
    仮設住宅の女性とお話しの際に、日中に隣の方が留守がちでありボランティアのスタッフが心配していたら、夜に明かりがついているか、生活しているかの確認を
     そっとされて見えることを伺いました。現地の方同士でのつながり 支え合いを感じることができとっても素敵なことであり嬉しく感じました。


2.今回の取組について
 前回同様に、より現地の方々と交流したく「心くばり」班で参加しました。
 「くぐなり食堂」(仮設住宅の談話室)に現地の方に集まっていただき、交流の場にしてもらいたいと、仮設住宅に来週のメニューを載ったチラシを配って歩くことが活動です。
 そこで、震災当時のお話を伺ったり、今困っていることを伺うことです。根底には、「安否確認」と「心と笑顔を届けること」でつながりを築いていくことです。

 継続的につながってきたことをまとめた、情報共有ファイルがあり、毎回の様子、食堂か弁当の配達等ヒアリング含め、情報が蓄積されたファイルが「心くばり」班に渡され
 その情報を参考に実際に一軒一軒訪問します。今回も2時間程度で仮設と一般住宅が訪問先でした。(30件くらい)

 今回で2回目の心配り班でした。
 正直、どこまで踏み込んでよいかわからず、大半が、表面的な付き合いに終始したようにも感じられました。
 訪問件数と、時間との兼ね合いもあるので、じっくり話し込めなかった面もありました。
 弁当確認のチェックを終えたうえで、話をしてくださる方とゆっくり接していくことが信頼関係を深めていくことにもなるのかと僕は感じています。
 家が残った方の所に立ち寄った際に、「私たちは良いから、家をなくされた仮設住宅の方にいっぱい弁当を渡してあげてください。」といわれたことが心に残りました。
 家が残ったことでの仮設住宅の方への後ろめたさというか、距離感を感じました。だからこそ、弁当をもらうのも申し訳ないと自責の念に駆られているのかと感じています。
 被災された方々のそれぞれの立場、状況が本当に複雑であることがあることを感じました。

 今回は食堂ではなく、現地の個人宅のおばあちゃんの所で昼食をご一緒させていただきました。
 震災のことでなく、これまでのことや、家族のこと等、とつとつと話して下さりました。
 手作りの漬物、わかめの惣菜、シラスのお浸し、自分の所で栽培した野菜、地元の海産物等心を込めて前日から調理してくださること、田舎のばあちゃんの所に遊びに
 行くようでした。
 不謹慎かもしれませんが、震災されたとかされてないとかでなく、温かいばあちゃんのもてなしに心がポカポカして、すごくその時間が温かく過ごせました。
 どんなところでも、「人との繋がり」がとても大きな支えになっているんだと僕は感じています。
 そんな優しいおばあちゃんの心の傷を垣間見る場面がありました。「津波後に体重が80キロから65キロに落ちたんだよ」といわれた時です。
 僕にはそのことがすごく心に刺さりました。こちらからは深くは突っ込まず流しましたが会話の中で言われたことです。
 それぞれが重荷を背負われ、気丈に生きていらっしゃることを痛感されられました。そんな中でも、ばあちゃんの優しさ、温かさが僕の心に残りました。

3.今後の展望
・復興のへの挑戦
 訪問先は、地元の方にとり砂浜が愛着があることが「キーワード」です。
 ビーチを復活させ、ひいては、若者、高齢者の「人があつまり、雇用が生まれること」の取組を地元の方とボランティア団体、行政とで共同して展開していくこと。
 →行政の立場になれば玉(お金)が有限であるので、効率、優先順位があることも致し方ないと思います。
  地元民の地元への愛着の想いとそれをくみ取るボランティア団体との活動を通して、行政へのアピールになり、情熱となっていっていると感じています。
  その想いと行政が応援しやすくするために、目に見える合理的な取組を掲げ、行政の力を借りやすくして、情熱と論理というかロジックとしても周りに納得してもらい
  論理も踏まえた、地元の方の心からの願いを実現するための挑戦だと感じています。
  地元の方の切なる思いが、ボランティア団体に伝わり、広がりを見せ、希望となりエネルギーとなり、行政にも働きかけていることを感じています。
  相手を思いやることが大きな力となり、うねりとなり、祈りとなり、実現のために皆で歩んでいることだと僕は感じています。



4現地の方のリーダのお話
 参加者へのメッセージとして、印象に残ったことを数点あげて僕の感じたレポートとさせていただきます。

 ・生きている限りは十字架を背負う。つらいとき、私たちの話を思い出してほしい。4重5重の苦しみの上でも前を向いて生きている人がいることを。
 ・危機感を持つこと大切。いざとなるとパニックになる。
 ・幸せとは自分のそばに当たり前の人がいること。
 ・生きている限り楽しまなきゃ面白くない。
 ・来てくれたから次回につながる。

 今回も、いろいろな方のお蔭で貴重な経験を積むことができ感謝をしています。
 季節の変わり目で体には負担となりますので、皆様お体を大切にしてください。


櫻井さんからの報告(5) 120823
一年半たっても、ずっと関わってくださっています。
素晴らしですね。

今回は、少し辛口というか、彼自身が現地で聞いたり感じたことを率直に語ってくれています。
誤解もあるかもわかりませんが、確かに「そうなのか」という思いで読ませていただきました。


七月の前半の報告です。すぐにメールいただいていたのですが、僕がホームページの更新を三ヶ月ほっておいたので今になりました。すみません。


小山先生

いつもお世話になりありがとうございます。

○被災地訪問の件
6日から8日まで、被災地に足を運びました。

今回も十八成浜(くぐなり)地区ボランティアです。

愛知ボランティアセンター主催です。
今回は5回目です http://aichiborasen.org/

自分にできることは、現場を感じ そのことをいろんな方に伝えることだと感じています。
あくまでヒアリングベースで、実地の裏付けはないので、偏った情報であるかもしれないことのご理解もお願いします。

1.現状について
・「繋がり」と「先の展望(希望)」を求めて見えること
 現地の方のお話を伺う中で、現状の先の見えない仮設住宅の暮らしは苦しくて、余裕がないことを伺いました。
 だから毎週来てくれるボランティアの方との交流が「繋がり」を感じ、支えになっていること。
 現在、高台移転の話が持ち上がっていますが、このことだけだは片手落ちだと感じます。生活の基盤の確立、働く環境つくりも併せて必要であることです。

・一部心無い業者の利権獲得
 復興の際に、地元業者の土建屋さんが利己的になり、お金儲けに走ったところが多く復興に目が向かずに、その結果、復興が遅れていること。
 3月頃から仕事が止まり重機がなくなっていること。
 →いろんな方のご好意を悪用して、銭儲けに走り、行政が地元業者の受注をストップさせたこと伺いました。
  重機のまた貸しでお金をもらうこと等。

・ボランティアの悪用
 ボランティアに手伝ってもらうことで、人件費をかけず作業して、その分を行政に労働したと提出してお金をもらう業者もいること。
 →営利目的にボランティアを使う人も出てきていること。

・復興予算が使えず、財源を戻していること
 行政もマニュアルがなく、どう利用していいかわからず、たらいまわしになっていること また現地の人もどうしていいかわからない方がおおいこと。

・復興事例
 女川地区の市長の独裁的な英断による開発
 地元民に対して、独裁的に高台に移転してもらい、そのうえで建物を壊し、街づくりを行っていること。
 原発マネーを支えに、漁業の復興含め、リーダーシップ発揮して取り組んで見えます。
 北海道に市長が訪れ、漁協に訪れ水揚げ場の交渉をされて見えるそうです。その際も、長靴はいて作業着で行き、同じ視点で向き合おうとされていることが、好感をもたれて見えます。
 その一方で石巻市長は、政府の高官が宮城の視察に作業着で訪れた際に、市長のみ背広で対応したことに対して、住民の気持ちを逆なでしていることも伺いました。
  
 地元民も強力なリーダーシップ(独裁的な面)を求めて見え、小沢さんの評価が高いことは、びっくりしました。
 いずれにせよ、強力なリーダーシップを求めて見えます。

2.ボランティア団体の取組(愛知ボランティアセンター)
・震災孤児の応援活動
 中長期的取り組みで、震災発生時にお母さんのおなかの中にいた赤ちゃんが高校を卒業する19年後まですべての震災孤児遺児を対象に応援活動を続けること。
 毎月500円を自動送金してもらい、毎年3月11日を目途に震災孤児遺児の方の銀行口座に応援金を贈る取組。
 →約1600人の震災孤児遺児の600人超に配布しています。

・現場でのボランティア活動
 直接声を届けたいこと。
 現地で孤立している人をささえたいこと。(仮設世帯に加えていろんな世帯を対象にしている)
 つらい思いを自ら語っていただくことで本人の気持ちに寄り添う取組。
 →これまでの信頼関係により、この団体の人だと話せると地元のリーダーの方の話。

・町をどうしたら再生できるかの取組
 雇用も視野に入れたうえでの復興計画の提案
 →現状では皆が全く動けておらず、このままでは先が見えず復興がとん挫する可能性があるため、「地元」「行政」「ボランティア」含めて復興プランを行政に提案して成功事例を作る取組「十八成浜ビーチプラン」。


3.現地の方のお話
・高台移転の経緯
 高台移転費用     12億 期間2年半 予算は国負担
 埋め立て(現状の場所)24億 期間4年半 予算は市町村

 高台移転だと所有している土地(底地)を7割で買取ること。
 収入のめどが立たないため、また経済合理性から、地元の方も高台移転でまとまったとのこと。(背に腹は代えられぬ)
 
・現地の代表の方のお話し
 ボランティアの傾聴の役割
 当事者同士だと傷のなめ合いになってしまい、そんなことはしたくないこと。そのいっぽうで話を聞いてほしいこと。
 →全く知らない人に話すことは不安であるが、愛知ボランティアには安心して話せること。(これまでの信頼関係だと思います)

 相手が言おうとしていることを同じ目線で聞くこと
 とある県警の上から目線でのあるべき論の押しつけに対しての反発と拒否。
 被災された方の所に、一方的に土足で上がりこみ撮影して、その後インタビューをしようとしていた取材班。
 →被災者の心をなおざりにして、机上の理論使命感で行動している方がおり、受け入れられなかったこと。

 9月の東海地方の台風で助けに行けず、泣いたこと。
 →一年前は余所のことが、今は宮城よりも愛着あること。

 これまでの経験(震災について)いきなりは話せない。
 →心の準備がいること 思い出すことは正直つらいことですが、今後に備えてほしいからこそ 話してくださること。

 「笑顔の大切さと命かけた経験を無駄にしないでください。夢希望を持ち周りを大切にしてほしい。来てくれてありがとう。」と最後に締めていただきました。

以上。今回のボランティア活動を通して感じたことでした。
繰り返しになりますが、多面的に見ていないことも事実なんで、あくまで参考になれば幸いです。

津波跡地に目を向けると緑が目をだしています。
被災された方々の心にも希望という緑が再び目を出すことを祈りたいです。


くれぐれもお体を大切にしてください。

いつもありがとうございます。

櫻井彰人


櫻井さんからの報告(4) 120404
櫻井さんの第四弾です。謙虚で誠実な人柄のあふれるメッセージです。
全面的に彼の活動に敬意を評しながら、一言だけ僕から加えたのは、

反省や学びはとても大切です。
そして、配慮しながらも、疑問もつことも悪くはないんだよ。
ここからも何かが展開していくしね。

というものです。


小山先生

いつもお世話になりありがとうございます。

30日から1日(4月)まで、被災地に足を運びました。

今回も十八成浜(くぐなり)地区ボランティアです。

愛知ボランティアセンター主催です。
今回は4回目です http://aichiborasen.org/

自分にできることは、現場を感じ そのことをいろんな方にもちろん杉山さん含めて伝えることだと感じています。
加えて、被災された方の前向きな姿から、自分自身の励みになっていることもあります。

あらためて感じることは、現地の方は「繋がり」を求めて見え、その関係が大きな支えになっていることです。

また自分たちが(現地の方)いっぱいいっぱいでも「風化させぬため」に、想いを率直に話してくださることです。

「風化させない」とは、「被災者のことを忘れてほしくないこと」もありますが、それ以上に「今後来るであろう大地震で、今回の身をもって体験された教訓を生かしてほしいこと
つまりは同じような大惨事をできるだけ最小限にしてほしい」とのおもいやりのこもった風化をさせないことです。

本当につらくて身をえぐられるような出来事であろうし、余裕ないにもかかわらず、現地に来たボランティアを思いやってくださること本当に感謝です。

現場での簡単なかたづけ(がれき撤去)(以前に比べて、大きなものはなく、軽作業中心です。)も意味があります。
1つは、そこで生活して見えた方の想いを、割れた茶碗、生活用品の破片等をとおして感じてほしいこと。単に瓦礫でなく生活の思いのこもったものであることを。
2つめにボランティア参加者から 班長を決めて、参加者で協力し合い活動すること。
将来の現場で活躍できる人材を育成してくださっていることも含まれています。

そんな心配りが本当に有難いです。

話変わりますが、最近のボランティア参加者の中には、本来の目的から外れて参加する方も(学校の単位取得、観光的)みえるみたいで、現地の方の心を逆なですることもあるみたいです。

僕も今回、班長に指名していただきながら、現地の方に失礼なことをしてしまいました。
参加者の必須持ち物として長靴が記載されていたのですが、勝手な判断で使わないだろうとして持っていきませんでした。
「ボランティアは遊びでない」と注意をうけ反省です。
以前の経験を踏まえて、使わないだろうと緩んだ気持ちが、今回のケースにつながり、他の参加者の方、ご好意の当事者の方に迷惑をかけてしまいました。
僕の軽はずみな行動で、せっかくのボランティア団体の方参加者の方が築き上げてきた信頼関係を壊しかねない行為、本当に反省です。
今後の糧として、ご好意で指名してくださった方の想いにこたえられるようにします。

また、今回帰宅してから感じたことで、リーダー含めて(被災地)一部の方の同じ顔ぶれであることに対して、違和感というか物足りなさを感じていました。
なぜ、ほかの被災された方の顔が見えないのだろって。

それは、僕の一方的な想いであり、相手を思いやることができていないことに気づきました。
被災された方の心の痛みはとてつもなく深いこと。それでもリーダーの方含めた一部の方々が、ボランティアに合ってくださっているんだと。
だからこそ、僕の希望を押し付けるのでなく、相手が大変で余裕がないのにもかかわらず温かく接してくださること。
もし、もっと僕が知りたいのであれば、相手が口を開いてくれるまで待つこと大切だし、ゆっくり時間をかける必要があることだと気づきました。

「泣くのは心のマイナスを溶かす。笑顔が先に進める」って現地の方の言葉が心にしみました。

ボランティアに参加させていただいて感じたことです。

あくまで、僕が感じたことであって見当違いなこともあるかもしれませんが参考になればうれしいです。

季節の変わり目で、まだまだ寒い日もありますのでくれぐれもお体を大切にしてください。

いつもありがとうございます。


櫻井彰人





櫻井さんからの報告(3) 111221

櫻井さんからの第三弾のメールいただきました。
今までを大切にしながらもなにか今後に向けて考える必要が出てきているのですね。

被災地の件
16日から18日まで 被災地に足を運びました
今回も十八成浜(くぐなり)地区ボランティア愛知ボランティアセンター主催です
今回は3回目です http://aichiborasen.org/

1.「繋がり」が改めて大切なことだと実感しました

 ボランティア団体が繰り返し繰り返し 継続して 寄り添い 信頼関係を築かれてこられたからこそ 被災された方々も心を開かれて その結果信頼関係が築かれていること

 そのことが前提にあるからこそ 単発での参加者に対しても温かく接していただけること感じました 

 現状のボランティアの在り方で

 「ハード面の取組(がれき撤去等)」も大切なことですが そのことに加えて「ソフト面(心のふれあい つながり)」が大切だと感じました
  単にがれきを撤去するのでなく被災された方に寄り添い 想いを共有して 時にはぶつかりもして 一緒に歩むこと 繰り返し繰り返し つながることが被災された方々の大きな支えになっていること

 そのことが今後のボランティアや行政等、被災者の方との在り方で大切なことになってくるんではと感じています

 心の触れ合いをへてお互いに本音で語れ 絆が生まれていくことで お互いが歩み寄りともに歩み始めることです

2.ボランティアする側 される側 両者の思いやりの大切さを感じることできました

・ボランティア側は 現地に足を運び そのうえでニーズを把握することの大切さ 
 それがあるからこそ 本当に被災者にとり何が必要なことがわかり 寄り添えること
 (具体的には仮設住宅では 棚の規制等があり 勝手に取り付けたりできないこと 住宅の内部の配置がうまくできておらず 住みにくいこと またテレビの供給も 42インチで 部屋にはデカすぎること等)
 本来必要なところに物資がいかず 被災地以外で不足して 被災地では実際にはだぶついていたこと(現場を把握せず 対応したことでの不手際)
 
 今後の課題として 適材適所に輸送できるように 現場の情報を的確につかめる生きた情報を 震災発生後できるだけ早く つかめるような つながり 体制を気づくこと課題だと思います
 ただ 今回のケースは、大震災ということで日本中、大混乱しており 致し方ないこと思いますが 今後 発生するであろう東海地震等含め 準備 心がけは大切なことだと思います
 また 各人が被災者のためにと思いとった行動自体は 大切なことだと思っています

・被災者の側での 思いやり
 自分たちのことでいっぱいにもかかわらず ボランティアの参加者に実体験を語ってくださり 今後起こるであろう 東海大地震に対しての備えとして  実際の経験談に基づいた助言をしてくださること
 (自分の住んでいるところの把握し 津波来た際に逃げるすべを複数考えておくこと パニックにならないこと 決断力が大切なこと→周りに流され その方向に逃げたことで多数亡くなる 周りに惑わされないことが大切であること等)

 「ここに来たからには幸せになってほしい 納得した人生を送ってほしい」
  納得するまでが苦しいが お互いに(ボランティア 現地の方々)が幸せになる競争をしましょう
  お互いに頑張ろうというメッセージと 僕たちに対する思いやりだと感じました

3.被災者の方々の言葉で印象に残ったこと列挙します

 ・真心たのしみにしてるからよろしく
  ボランティアの方がお金使って 来ようとしてくれたこと 顔見世に来てくれたことがうれしい
  ボランティアに来た方ががれきをかたしているときに 「これって生活の一部だよな」ってつぶやいたこが本当にうれしかった
  →物でなく 各人の生活してきた想いに 目を向けられていることの大切さ 相手の背景 想いに目を向けることの大切さだと感じます

 ・今までは(仮設住宅に移る前)は仮設受託に移ることが支えになっていたが 今は仮設住宅の後のことが不安
  →短期の目標を設定され 励みにされて見えたことがうかがわれ そのことのもろさを垣間見た感じです だからこそ繰り返し継続して関心を示す
   ボランティアの存在が支えになっているんだと

 ・落ち込むときもある 大切なことは 微笑み 楽しい思いをください
  →つながることで 大きな支えになっているんだと感じます ボランティアでハードだけでなく ソフトの面 心のケアの大切さを感じます(ケアというよりふれあいでしょうか)

 ・がれき撤去だけが ボランティアでない 現地の人のやってほしいことをするのがボランティア
  →心のつながりを求めて見えることだと 感じています

 ・本当の復興は 当事者が笑顔になること
  →ハード面での復興でなく 当事者の心に目を向けて見えること ボランティアの方に対して大切な示唆だと感じます
  お互いに話し合うことで 被災地がわかるんだと

 ・あんたたちこんければ半分以上ノイローゼになってる
  →ともに歩むことで 心のケアにつながっていること だからこそ 一緒にいるだけでも大きな支えにつながること

 ・寝ても覚めてもがれきの山で夢も希望も見れなかったが 愛知ボランティアの方が一つ一つ片すことできれいになり 希望が見え始めた

 ・津波を対向車が教えてくれ そのお蔭で飲み込まれずにすんだ 

 ・いまだから笑って言えること 災害は忘れたころにやってくる

 ・ボランティアは肉体労働でない
  →場所によっては 労働物として接している地域もあるみたいです お互いに大切に思いやれる関係ができているからこその発言だと感じます

 ・大変だけど かわいそうでない 一人ひとり 人生歩いてきている プライドを持っている
  →人間対人間の付き合いを求めて見え 現状を受け入れ卑下することなく 前を向かれて見えるからこその発言だと思います

4.その他感じたこと
 ・町再開発の提案
  写真の大学が 町の再開発プランを提案していますが 一方的に押し付けるような感じになってしまい 被災者の方から反発を招いています
  また 被災者側でも 利害関係等もあるのか 復興方法について まとまりがつかないみたいです
  →大学側の行為もとても素敵なことだと思いますが まずは 地元の方とじっくり向き合いそのうえで提案できたらさらによかったのではないかと思います
   
 ・地元住民の不和
  具体的なことはわかりませんが あることをヒアリングしました

 ・写真の大きな木
  海岸線近くにあり 今回の津波にもかかわらず 残った木です おんこの木だそうです その方の親父さんが植えた思い出の木です
  →今回 一本残った松が枯れてしまった(新聞)みたいですが いたるところに この木のように思い入れのあるものが多数残っていること
   そのことは 希望につながると個人的に感じています

 ・余震の時の対応(震災発生後数ヶ月時)
  震度5が発生して 津波を懸念して 住民の方がすぐに避難されたそうですが 2名の方は 避難されなかったそうです
  →そのことは 暗い面の一面を垣間見た気がします 本人に会っていないので理由はわかりませんが 絶望に打ちひしがれて見えるのではと思い 心が痛いです

 ・仮設住宅の住民の移転について
  今までいた避難所から仮設住宅に移る際 ばらばらになる地域もあり 僕の入った地域の方は ばらけずに 一か所に集まったから ボランティアとのきずなも維持できた
  珍しいケースだと伺いました ハードとともに ソフト面の ケアが大切だと感じます
  
 ・義援金 見舞金?について
  100万円と 石巻から60万円くらい お金が被災者の方に行き届いたみたいです(ヒアリングベース)

以上

見当違いのこともあると思いますし このボランティア団体の活動を通しての感想であるので 視野が狭い面もあるかもしれませんが僕が足を運び 見聞き感じたことです

人は本当にはかなくもろくもありますが その一方で 皆がつどい ともに歩むことで大きな力にもなり だからこそ前に進めるんだと 現地に足を運び感じました

加えて 各人が 自分の立場で 被災者の方々に関心を持ち続け そのうえで できることをしていくことが大切なんだと感じています

それぞれの立場により 考えも違ってくると思いますし 課題事項も多数あると思いますが 今自分なりに感じたことをメールさせていただきました

・「ハード」から「ソフト」の面のケアに 切り替わっていく必要があること

今後の大切なことだと感じています

寒さが一段と厳しくなってきてますので くれぐれもお体大切にしてください

いつもありがとうございます

櫻井彰人




櫻井さんからの報告(2) 110919

下でもご紹介した櫻井さんからの第二弾の情報です。前回の現地入りから3カ月ぶりに改めて入られました。
そして、感じたこと伝えてくれました。ありがとう。

「君たちが来てくれたことで90%役目はたしてくれた 残り10%で現場を手伝ってほしい」という御話。
僕もそう思います。
また、ボランティアでも縄張り意識があること。本当ですね。阪神淡路の時もありました。これは頑張ろうという意識と絡まり合ってしまいがちですから、完全には否定するの難しいかもね。その代わりそれをなんとかプラスのエネルギーにいかせていけるいいのですけれどね。

櫻井さん
いずれにせよいい勉強しましたね。
情報ありがとう。



小山先生

16日から18日まで 被災地に足を運びました

今回は十八成浜(くぐなり)地区ボランティア
愛知ボランティアセンター主催です
今回は2回目ですが たまたま代表が 僕の中高の先輩で その母校の先生をしています
http://aichiborasen.org/

今回参加させていただき 改めて感じたこと 「人は人により傷つきもするも その一方で大きな支えになること」
繰り返し 繰り返し継続して 行くことで 人は「つながりを感じ」「そのことが生きる希望になっていくこと」を感じました

そのこと前提で 課題というか 今後の展開として
1.心のケア つながり 
2.行政 国等の物質的な対応
の必要感じます

1について 
・ボランティアと地元の方のつながりの大切さ 
被災された方々は先が真っ暗で 一人でいると絶望感でさいなまれること だからこそ繰り返し繰り返し関心を示し継続的に人とのつながりが必要です
その一つがボランティアとの交流 現地の統括的な役割の方とお話しさせていただき言われたことですが「君たちが来てくれたことで90%役目はたしてくれた 残り10%で現場を手伝ってほしい」
「それは がれき撤去することだけでなく 現地の人と話をして接してくれることが本当にたいせつなことなんだ」と「愛知から一日のために 28時間(片道14時間)かけてきてくれる行為が本当にうれしい
その気持ちがあり そのおまけ的に 手伝ってもらうこと あまり一方的に手伝いをお願いしてしまうとボランティアの方が再度きたくなくなりつながりが途絶えるから」と本当に こちらのことを思いやってくださり接してくださります。(カッコの文章本人の正確な言葉ではなく 記憶で整理しました)

継続的につながることで お互いに 衝突も含め 本音で接することで「信頼関係」が生まれます
そのことが 被災された方々の張りつめた心の励みにもなり 人は一人でないと感じることにつながり 希望を持たれていくのだと現場でのお話しを伺い 足を運び感じました

また安定的な収入ということでは 仕事を持つこと 雇用が大切なことだと感じます

2については
・町の再生について

・土砂やがれき(車 船等)の撤去の問題 私有地とその他の場所の費用負担について
・インフラについて 個人宅等は後回しになりがちなこと

等が挙げられます

「町の再生について」
再生案に対してもいろいろな考えが 被災者にもあり 行政の案もありまとまりきらないこと
今回のケースで言うと 海岸沿いの町で 地盤沈下により 海岸の浜が海に沈みました そのため その場所を埋め立てて公園にする案 はたまた 埋め立てず 民家を山側に下げる案等があるみたいです(こちらだと地権関係が複雑だそうです)
→専門家の意見を聞きたいとの声もあります

「土砂 がれきの撤去の問題」
私有地に船とかが流されてそのままだと その撤去の負担が自己負担になり 行政は関与できないことがあるみたいです
一般の道路等のがれき等は 行政が撤去してくれるみたいです
→今回活動の一つとして 神社の参拝路を掃除しましたが 行政側では 大型の重機が入りきらないところなんで ボランティアに依頼してくださいと言われたとのことです

「インフラについて」
優先順位で致し方ないことですが 個人宅の修理等(ガス 水道等)は後回しになりがちで 壊れていないご自宅の方に 助けてもらっているのが実情です

「その他」のこととして
ボランティアでも縄張り意識があり 各県ごとの活動で 横のつながりが希薄であるみたいです
地元の方とのつながりがなく がれき撤去等に終始する団体もあること
→絆を深めたうえでの活動が大切なことだと感じました 理念を持ちそのうえで ボランティア 地元の方でともに歩み、作り上げていく活動が求められると思います
 うまくいっている事例から 各団体が学び そのうえで 組織的に 一緒に作り上げていく活動になること大切だと感じます
 その際にはそこの指導者的な人が メンツや沽券にこだわらずに 謙虚に学べるかが大切なことだと思います
 各団体間で情報交換でお互いを高められたらいいんかなって

僕がボランティアから帰ってきて 一人になると とてつもなくさみしく感じました
 団体行動することで 気づかぬうちの安心感もあるのかなって
だからこそ 急に一人になると 反動があるのかと思いました そのことは被災された方にも当てはまるのではないかと感じ だからこそ 繰り返し繰り返し 交流をすることがさみしさ 孤独感を持たれないことになるのかなって
 
現地の方に言われたり見たりして印象に残ったこととして・がれき撤去する際にも 単にモノとしてみるのでなく それぞれの生活があったことを感じて がれきをかたしてほしいこと
 暮らして見えた方々の想いを感じて仕事するのは大切ですね

・都会に娘たちがおり こっち来いよと呼ばれるけど 今住んでる場所を離れたくないと 全然知らないところで今までのつながり(人、環境)が切れること 新たな環境に慣れることを 敬遠されてみえることを高齢者の方に伺いました 絆という面では 現地の方とともに昼食をとった際 前者のおばあちゃんは親切に話してくださりましたが 別の男性の方は ほとんど僕らには口を利かれず 昼食後 現地の人に 食事を持って帰りなよといわれた際には その方には 少し語る感じでした
 心を閉ざされて見えても やっぱり 現地の方同士のきずなを感じる場面でした
 僕も立ち入りすぎないように心がけ また少しづつ 時間をかけてその方に笑顔が戻る日が来ることを祈りたいです

・現地の方が今回のボランティアのスタッフを叱ること つまり一緒に歩んできたことで信頼関係が生まれ スタッフを地元からも育てようとして 一緒に歩まれる姿勢 そしてスタッフも そのことを理解して ますます一緒懸命活動されることがひしひしと感じます
 その絆のお蔭で 僕たち参加者に対して 地元の方の大半が親切に接してくださります
 帰りの場面で 地元の方が 「行ってらっしゃい」という 関係が印象に残りました 


僕のつたない考えであり感想ですので 見当はずれのこともあるかもしれませんが 思ったことお伝えします

最も大切なことは「つながっていること」くさいですけど「愛情」「相手を思いやること」だと感じます そのうえでの物質的な対応が生きてくるとそれは直接間接問わず 各人がそれぞれ自分の持ち場で最善を尽くすことなんかなって

そんなこと感じました(今の時点で)

まだまだ暑い日が続きますので くれぐれも 皆様お体大切にしてください

いつもありがとうございます

櫻井彰人





櫻井さんからの報告 110622

メール友達(?)になった櫻井さんから頂きました。
とても大切なことを体験されています。
メールで頂いた文章なので一部句読点を入れたり、一部固有名詞を外したりの最小限の修正を小山の方で入れさせてもらいましたが基本的には頂いた文章のままです。
櫻井さん、ありがとう。


6月3から5日で被災地に足を運びました。
僕の場合は役に立つというよりも現場をまずは感じたいこと、そしてそのうえで何ができるかを模索しようと思い行動に移しました。

印象に残ったこと数点。

1つめは ボランティア同士の支え合い。
今回は南三陸町の小泉浜ボランティアセンターに向かい、がれき撤去の手伝いをさせていただきました。
その前に 南三陸町防災対策センターで黙とう。
そこにはたくさんの献花が供えてありましたが、それは各人の被災されたまた亡くなられた方々への敬意の現れですが、その一方でそのままにしておくと、花が腐敗して異臭を放つことになっています。
ですので、今回参加したボランティアの団体の方たちがバスに古くなった献花を持って帰る行動をされて見え素敵なことだと感じました。その場に訪れる方のために 一歩先の行動をされて見えました。

2つめは行きのことですが、これまで名古屋のボランティアに積極的に参加している高校生が見えました。
友人に誘われたのが縁みたいです(多分)。
その友人が現地のボランティアに参加することになり、その高校生も参加しようとして両親を説得するのですが、両親は猛反対。
「自分のこともできない人が現地いってどうすんの」的なことを言われて見えたみたいです。
それでも あきらめきれず被災された方々の役に立ちたいと思う一心。
熱心な気持ちが高校生を突き動かし当日行動に移されました。
携帯を切り荷物を準備して現地ボランティアに参加しました。
あわてた両親はかんかんになり、ボランティアセンターに連絡を取り、お怒りとともに高校生を連れ戻すといわれ娘さんとも電話のやり取りがあったように思います。(詳細はわかりません)
出発していたので途中のサービスエリアで引き取ることになりました。
そのサービスエリアで 代表に僕は話しかけていたので 一部終始を見ていました。
説得ができずその旨を代表に報告に来た際、泣きじゃくって見え、そして周りの方に迷惑をおかけして申し訳ないから参加された方に謝りたいといい本当に反省 していました。

ここで 二つの素敵なことを感じました。

一つは ボランティア団体と参加された方の優しさ。
代表は叱ることなく彼女のとった行動をほめ将来貴重な経験になると彼女の思いを大切にされて見え、また他のスタッフ・参加者も彼女に寄り添って見えました
そして今回の行動に対しての反省点も、事前に対応することで手を打つこともできたんだよって、それ以上に彼女の熱い思いをほめてみえました。
かなり待たされた面もありますが、彼女の思い熱意が痛いほどわかるから(事情を知らない方は待つことに対して不快だったかもしれませんが)温かい雰囲気につつまれこちらが励まされました。

二つ目はその女子高生。
何とか被災者の役に立ちたいと思いとった行動力相手のためを思うからこそ、自分のことを顧みずとった行動だと思います。
また、今回多数の方に迷惑をかけたと反省して参加者のバスに出向き(4台)涙ながらに謝罪されたこと、本当に素敵なことだと感じました。
その一生懸命さが伝わり、心が温かくなりました。

親御さんの立場も子供が大切だからこそとった行動であり、親子間のベクトルがうまく同じ方向を持ててなかったことであってどちらが良い悪いでないと僕は思います。

3つめは被災された方の涙。
今回訪れたところは 自衛隊、行政の手の入らないところの個人宅のがれき撤去でした。
そこの住民の方のひとりの家の広場を活動拠点とさせていただいていました。
作業も中盤となり 休憩した際ですが おばちゃんと隣になったさいぽつりぽつりと話してくださりました。
・被災当初は 訳が分からなくて ただただ茫然としてしまい 涙が出なくなり感情がなくなっていたこと。
・行政、自衛隊の支援が入らずがれき撤去しようにも人手が足りず途方に暮れて見えたこと。
 それが全国からボランティアの方が訪れ一生懸命がれき撤去やその他いろいろなことで支援をされることでその方の 凍りついた心が徐々に徐々に溶け始め再び希望のともしびがつき始めて見えたのだと思いますが、他面身内を亡くしいまだ悲嘆して見える方も多数見えます。
「最近になって涙が出るようになったんだよ。いろいろな方の支えが本当にうれしくてありがたくて。」と本当につらくてまだまだ大変なのにそのことを含め優しい表情で涙されたこと僕の心に焼き付いています。

これもボランティア団体の方が、繰り返し繰り返し相手に寄り添い行動されるからこその変化だと思います。

またバスの途中で、ダンボールで「全国の皆さん応援ありがとうございます」ってメッセージが道路わきに飾ってあって心に響きました。

直接間接問わず、被災された方々へ各人がそれぞれの立場で応援したい気持ちが被災された方に伝わっているんだなって言葉足らずでうまく表現でききれず申し訳ないですが 参考になれば幸いです。






第一弾110503
同志社福祉の3回生近松さんからのメールです。(五月二日深夜時点)
彼女は全国大学生協連の主催のボランティア派遣でこの4月末からのゴルデンウィークの間、宮城県に入ってくれています。
ワーク中の人に悪いなと思いながらご機嫌伺いのメールを送りましたら以下の返信が来ました。
ご本人の許可を得て掲載しますが、そもそも僕個人宛に頂いたメッセージですので不特定の皆さんにあてた文章にはなっていないことはお許しを。でも、素敵なメッセージになっていると思います。

ご無沙汰しています!
仕事に慣れるので精一杯で,連絡出来ていませんでした,すみません。
私は今,いわゆる泥かきのような力仕事をしている訳ではなくて(希望調査の段階で,力仕事を避けました。),七ヶ浜国際村避難所でボランティアをしています。
私の被災した後輩がちょうど避難しているところだったので,ちょうど良く再会出来ました(^^)

被災した子どもたちや高齢者と話したり戯れたりしますが,それぞれ,様々な表現方法に代えながら(あるときは私たちへの「暴言」であったり,軽い暴力であったり,無視であったり,とにかくノンバーバルな表現方法も何でも),津波の悲惨さを物語ってくれます。確かにいわゆる「ボランティア」らしいボランティアではないですが,毎日実りのある生活を送っています。

初日はただただ呆然と町の様子を眺めることしか出来ず,人間の非力さを感じました。しかし,これから復興してゆこうとする住民の力が,そこにはあります。

色々と教えられることばかりです。仙台の方(私は高齢者が好きなので,よく高齢者に話しかけるのですが)にとって,大きな津波の被害は初めてではないことも知りました。昭和35年に,チリ津波があったらしく,そこでも津波の脅威を感じておられたようです。ただ,今回の津波はチリ津波の比ではなく,身近にも多くの知り合いが亡くなったようで,各々が悲哀を含んだ雰囲気を醸しています。

これまで社会福祉を勉強していて,今回の活動に活かされたことはかなりあります。(これまで頭でっかちになっていたのかもしれないですが。)
ただ,今回参加した大学生の中に(ちなみに同志社は4人),ふだん福祉を勉強,または福祉と強く関わっている人は私しかいません。しかし,みんなの熱意はひしひしと感じられます。社会福祉だけでなく,様々な学問の見方から考えて,切磋琢磨出来ている感じがします。

今のところはこんな感じです。疲れていて,うまく文章になっていなくてすみません。



 萩原さんからの報告110614


同志社福祉の大学院マスター二年の萩原さんからのメールです。
大学卒業後、医療ソーシャルワーカーを数年しておられて、同志社の大学院に入って来てくれた仲間です。
日本医療社会福祉協会(いわゆるMSW協会の正式名称)の派遣で現地に入ってこられました。

個人的に素敵なメールをくれたので、HPで紹介させてほしいとお願いしたら、快く了解してくれました。最初にホームページを見てくれる皆さんへのメッセージまでつけて再送してくれました。

感謝!!!

そもそもが僕宛にくれたメールですので、専門職として考えさせられたことや自分を振り返ったメールになっています。
ソーシャルワークの在り方について悩みながら現地に関わった、先輩/後輩の文章を読んでみてください。

同志社大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻前期博士課程2年、萩原有美と申します。6月5日〜10日の間、所属しております日本医療社会福協会からの派遣を受け、宮城県石巻市にある福祉避難所で医療ソーシャルワーカーとしてボランティア活動に携わってまいりました。稚拙な文章ですが、私の見たこと、感じたことをお伝えしたいと思います。

 福祉避難所では、介護を要する高齢者を中心に受け入れています。一般避難所と比較すると、空間的にも余裕があり、また石巻市立病院のスタッフも常駐しており、手厚い体制です。しかし、その分、震災から三カ月が経過し、被災者が施設化し、本来ならば自分でできることまで人にしてもらいたい「依存・要求型」の雰囲気になっていました。ボランティアがすることと、しないことの見極めが難しいと感じました。70名前後の方が避難されていて、津波の被害に遭った市立石巻病院のソーシャルワーカーさんをサポートする立場での活動でした。仮設住宅に当選された方も少しずつ増えてきており、ここからいよいよ地域へ戻ること、地域での生活を支えること、地域のネットワークを創ることが重要な課題にあがっており、ソーシャルワークのすべてを動員する必要性があると感じました。

 お話したいことは、たくさんありますが、まだ整理がついていません。昨夜帰路の新幹線に乗った途端、理由のわからない涙がとめどなく溢れてきました。昨日はその理由を理解できなかったのですが、一日経過し今少し整理して考えてみると、あまりにも業務が膨大で限られた時間で対応できることに限りがあったので、焦りと不全感に押しつぶされそうになっていたこと、日本医療社会福祉協会のボランティアスタッフが3〜7日位のスパンで入れ替わっているのですが、引継ぎが不十分なため、取りこぼしていることが多く、さらに、限られたオリエンテーションだけで、いきなり現場のスピード感についていかなければならかったこと、一緒に活動した他の方は、現場で働いている方で、その方々と自分を比べ、自分の力量の低さを感じ愕然としたこと、とにかく悔しかったなどが理由の一部です。残ったものは、無力感と不全感です。現場で責任者を務めておられる超ベテランワーカーさんには、「災害ボランティアにやりがいを求めるな」と言われました。そういうものなんですね。行ってみてよくわかりました。

 それから、津波の被害を受けた地区にも足を運びました。やはり、言葉がうまく見つかりませんでした。腐った猫のエサと硫黄が混ざり合ったような臭いがしました。さまざまな生活用品が持ち主を失って、泥に半分埋まりながら散乱していました。子供の写真、恐竜のおもちゃ、高校の参考書、ももひき、扇風機のカバー、鍋のふた、ラップにくるまれたピンクに変色したおにぎり。ここで生活していた人はどこへ消えてしまったのだろう・・・と考えると、不気味な気持ちがしました。時間がとまっているような、異様な光景でした。

 私だけではなく、現地から戻ると虚無感に襲われたり、突然熱を出すボランティアスタッフがいるそうです。それくらい、現地の状況が異常で、緊張感が高いんです。私は、熱は出ませんでしたが、まだフワフワした感じがします。新幹線の中で、3月に被災地支援に行ったPSWをしている友人にメールを送ったところ、「今回の体験を整理しないと二次災害になる」と指摘され、その通りだと思いました。もう少し時間が必要だと感じています。けれど、現地に赴き、活動に携われたことは本当に良かったです。行かないとわからない、見てみないとわからない、話してみないとわからない、触れてみないとわからない、嗅いでみないとわからない、食べてみないとわからない。とにかく五感を使わないとわからない。被災地支援に限らず、ソーシャルワークはそこから始まるのだと改めて身をもって感じました。