『ソーシャルワークの専門性について』

小山隆

<他の原稿もそうですが、印刷物と若干違うかもわかりません。「校正」段階での書き換えをフォローしきれていないかもわからないので。>
はじめに


ソーシャルワークが「専門職」であろうとする努力は、古くから続けられている。たとえば、1929年の”SOCIAL WORK YEAR BOOK”初版において、既に、”Social Work as a Profession”という項目が独立してたてられている。そして、この項目は「慈善・矯正に関わる仕事の専門職的精神と態度の萌芽は、”社会科学研究を促進し、特に社会科学を社会問題に適用する”ために1865年に設立されたアメリカ社会科学協会(American Social Science Association)の活動に、明らかに現れている」という記述から始まっている。(p.435)そして、その後もイヤーブックから、”Encyclopedia of Social Work ”と名前を変えて、最新版の19版(1994年)に至るまでこのテーマは扱われ続けている。(注1)
では、現時点においてソーシャルワークは専門職として確立されるに至ったのだろうか。この問いについては、否定的な回答が一般的なようである。例えば、保健・医療の専門職について論じた書物の中では、「初等教育教師、看護婦、ソーシャルワーカーなどの職業では、それらに従事するものたちの心のうちに、自分たちは通常のホワイトカラーやブルーカラーの労働者とは違った(しばしばそれよりは高等な)職業に携わっているという自負がありながらも、(一人前の専門職に比較すれば)短い訓練期間、社会的承認(威信)の低さ、専門化されていない知識体系、社会統制や監督に対する低い自立性などを『一人前』のものに格上げしたいという願望」がある(注2)と指摘されている。つまり、専門職志向の高い割には、実態との間にギャップがある職業として、ソーシャルワーカーは指摘されているわけである。
また、わが国の1996年初版の社会福祉に関する辞典でも、「専門職業化」の項目の中で、「(前略)ソーシャルワークにかんしていえば、未だ固有の科学をもつには至っておらず、専門職業化の途上にあるといわれる」(注3)と指摘されている。また、日本における社会福祉専門職研究のまとまった書である『社会福祉専門職性の研究』(1992年、川島書店)において、奥田いさよ氏も、「ソーシャルワークの専門職業としての成熟度にかんしては、まだまだ問題があるといわなければならない」(P65)としている。
これらの指摘に加えて、日本のソーシャルワーク実践について言えば、「日本では欧米に比較してソーシャルワークの機能が十分に発達しなかった」(注4)という議論が重ねられることになる。
本論ではソーシャルワーク(特に日本における)の専門職性を巡る状況について検討し、今後の社会福祉専門職の確立のための課題ついて考えていきたい。

ソーシャルワークという用語の示す範囲


ソーシャルワークとは何か、日本に現実に存在する職業の内どれが国際共通概念としてのソーシャルワーカーに相当するのか。この問いに答えなければ専門職としての成熟度について検討することもできない。しかしながら、この問題に答えることは難しい。そしてこの問いに明快に答えきれないことが、ソーシャルワーク実践のレベルの低さと関連させて論じられることがある。
そこで、ソーシャルワークの範囲を具体的に確定しようとする努力が関係者によって行われることになる。大きく分ければ、福祉職内での線引きと援助職間での線引きである。
第1の「福祉職内の線引き」とは、社会福祉専門職の内どれがソーシャルワークに相当し、どれがソーシャルワークではないのかという点についての境界の明確化である。例えば、施設の生活指導員や児童指導員はソーシャルワーカーに相当するのに対し、寮母や保母はケアワーカーだからソーシャルワーカーではないといった分類である。この線引きのためには、各福祉専門職の業務や課題をある程度比較することが必要になってくる。
第2の「援助職間での線引き」とは、医師や看護婦、弁護士、教師といった、他の援助専門職との比較の中でのソーシャルワーカーの業務範囲を明確化していこうとする努力である。病院における医師や看護婦とメディカルソーシャルワーカーの役割分担の検討がその代表的な例であろう。例えば、治療や看護はソーシャルワーカーの仕事ではないが、患者と家族・職場等社会との仲介や代弁といった機能はソーシャルワークの代表的機能であるといった考え方である。
そして、これらのソーシャルワークの範囲の明確化の努力は専門性を高めていくために当然重要であり今後とも継続されるべきだと思われる。しかし、一歩間違えば不毛の論議にもなりかねない。以下では、この福祉職内外とのソーシャルワークの領域確定の問題について検討していきたい。

1)福祉職内の線引き

一例として、「社会福祉士及び介護福祉士法」の制定に伴う、社会福祉士資格について検討してみよう。同法では社会福祉士を、「福祉に関する相談に応じ、助言、その他の援助を行うこと」とし、介護福祉士を「入浴、排泄、食事その他の介護を行い、並びにその者及びその介護者に対して介護に関する指導を行うこと」としている(法2条)。そして、各法令や通知によって、具体的に関係する施設の種類や職種を定めている。例えば、福祉施設についていえば、概ね指導員系の職種が社会福祉士、寮母等といった職種が介護福祉士と関連づけられている。そこで、「相談・援助」を主とする社会福祉士がソーシャルワーカーを意味し、「介護・介護指導」を主とする介護福祉士がケアワーカーをイメージしているとされる。(注5)
では、社会福祉士をソーシャルワーカーとして良いだろうか。結論的にいえば、ソーシャルワーカーの中の一部分を社会福祉士が占めることがあるとしても、ソーシャルワーカー=社会福祉士ではあり得ないだろう。たとえば周知のように、従来、社会福祉実習が行われてきた現場の多くを福祉士養成制度は実習先と認定してこなかったという矛盾をこの養成制度はかかえており、このことは社会福祉士養成を日本におけるソーシャルワーカー養成制度と考えたときの矛盾点ともなってきた。(注6)たとえば、病院で働くソーシャルワーカーはソーシャルワーカーではないのか、実習先として認められた施設の職員はソーシャルワーカーで、認められていない施設の職員ははソーシャルワーカーではないのかという疑問が生じるのである。もちろんそのようなはずはないのであるが、少なくとも実習先として認められなかった施設・機関が、社会福祉士の養成の場として(より厳密には、実習の場として)、国によってふさわしいと考えられてはいないのではないか、という問いには答えることができていない。これは、実習先の認定範囲よりは相当広いが、実務経験の認定対象となっていない職種についても同様である。なお、社会福祉士資格はジェネリックソーシャルワーカーとしての資格であって、この資格をもつことがメディカルソーシャルワーカーや社会福祉協議会の専門職員等の必要条件ではあり得ても十分条件ではあり得ないという指摘がある。(注7)そしてこれは、整合性のある指摘ではあるが、そのことが当該施設・機関での社会福祉士の実習を認めないと言うことにはつながらないだろう。いずれにしろ社会福祉士とソーシャルワーカーをイコールとするわけにはいかないのは確かである。
議論はこれだけではない。保母や寮母をソーシャルワーカーと呼ぶかどうかについても、論者によって意見が分かれるところである。というよりも、保母や寮母はソーシャルワーカーではなくケアワーカーであるとして区別する考え方が一般的だろう。しかしこの件について言えば、ソーシャルワーカーという語を広義にとらえ、社会福祉専門職という意味で理解していくこともできるのではないだろうか。先ほどの議論でいうならば、社会福祉士だけでなく介護福祉士をも社会福祉専門職と考え、ある意味でソーシャルワーカーとしてとらえていく立場である。なぜなら、社会福祉学と異なる介護福祉学という定義をするならば、保育福祉学、養護福祉学、療護福祉学といった体系が独自に存在すべきであることになる。そうではなく、社会福祉学を前提とした上で、具体的な分野において諸実践の現実型が築かれていると考えられるからである。(注8)
ソーシャルワーカーを狭義にとらえ、介護や保育といった直接的な心身のケアを中心的な領域とする福祉分野の援助者をケアワーカーとして除くならば、日本においてソーシャルワーカーに相当する職種は何かという問題が出てくるのである。例えば、寮母、保母がケアワーカーであるなら、生活指導員、児童指導員はソーシャルワーカーといえるのだろうか。施設においては指導員も寮母、保母もある程度業務内容が重なっていることは周知のことである。(注9)実際指導員等も含めて施設職員を、ケアワーカーまたはレジデンシャルワーカーであるとし、ソーシャルワーカーから区別する考え方もある。しかし、こう考えたとき日本において純粋にソーシャルワーカーと呼ばれるべき職種は何になるのだろうか。広義のケア業務を含まない福祉専門職といえば、メディカルソーシャルワーカーや、社会福祉協議会の専門員、また福祉事務所等の公務員ワーカーなどが挙げられるだろう。しかし、これらのみをソーシャルワーカーと呼び、それら以外を非ソーシャルワーカーとするならば、日本における福祉専門職はほとんど国際的な用語としてのソーシャルワーカーと重ならないこととなる。また皮肉なことに、MSW、社協の二者は社会福祉士養成の実習先として認められておらず、一方公務員ワーカーはその採用形態や配置転換の頻繁さから必ずしも専門性の高くない現場ともされるのである。
いわゆる、アメリカ流の大学院を出てプライベートプラクティスを志向するというソーシャルワーカー像と、日本における福祉施設現場の指導員像は相当異なるだろう。そして、一方、保母や寮母といったケアワーカーと称される専門職も「相談・助言」に相当する業務を何らかの形で行っているといえるのではないだろうか。つまり日本においては、主たる業務内容は当然違うが福祉専門職として保持する力量、果たしうる業務等は一定程度重なるのではないかと思われるのである。。
これらのことを証明するには、各職種の業務分析等を通しての比較検討をする必要があるが、ここでは参考までに日米のワーカーの求人条件について手許の資料で検討してみたい。専門職には遂行を期待される職務があり必要とされる条件がある。その必要条件の中に資格と並んで学歴がある。資格は国によって大きな違いがあるが、学歴については概ね類似した体系になっているため比較等が容易だからである。

a.米国の場合
アメリカ合衆国で全国レベルの職業紹介を行っている、”America’s Job Bank”は、インターネット上にホームページをもち求人情報についての提供サービスを行っている(http://www.ajb.dni.us/)。本ホームページ上のJob Listというコーナーは、キーワードや分類コード等で希望職種を指定し、州別に該当職種の求人情報がわかり有資格者の場合は応募もオンラインでできるようになっている。
1997年1月6日時点で、キーワードをSocial Worker、Care Workerとして全州の検索をしたところ該当した情報はそれぞれ96件、47件であった。それぞれが必要としている教育年限は、表1の通りであった。

表1 求人職種と必要教育年限(米国)

不問


10
11
12
13
14
15
16
17
18

ソーシャルワーカー



43
24
22
96
ケアワーカー
16



24
47
(教育年数でなく、修士、学士を要求しているケースはそれぞれ、18年、16年に分類した)
これを見ると、ソーシャルワーカーは、4年制大学卒から修士課程修了に相当する16年から18年の学歴を必要とするものが90%を越えるのに対して、ケアワーカーは高校卒相当の学歴を要求されるケースが半数で、後の半数はそれ以下か学歴自体は全く問われない状況であることがわかる。

b.日本の場合
日本の場合は全国レベルでの求人情報という形ではないが、各都道府県福祉人材センターが、それぞれ福祉関連の職業についての求人情報を提供している。ここでは手許にある資料の中から必要学歴も明示しているデータをもとにチェックしてみた。(注10)

表2 求人職種と必要学歴(日本)

不問
高校卒
短大・
専門学校卒

大学卒

指導員・
ケースワーカー・
ソーシャルワーカ



11

介護職員・
寮母(父) ・
ケアワーカー

18
14
1


(短大卒と専門学校卒を区別している求人もあるが、便宜上統合した)

当然のことながら、ソーシャルワーカー、ケアワーカーという名称での求人は(皆無ではないが)ほとんどない。従って、ここでは仮に児童指導員、生活指導員、指導員をソーシャルワーカーに、介護職員、寮母(父)をケアワーカーに分類した。(もちろん数は少ないが、ケースワーカー、ソーシャルワーカー、ケアワーカーという名称での求人はそれぞれに分類している。また資格が前提となる保母職や、分類が困難な求人等は除いた。)
この表から分かることは、指導員系職種でも大学卒を前提とするケースは半数であり、逆に寮母系職種でも85%は高校卒以上、さらには約4割が短大・専門学校卒(14年教育相当)を前提としていることがわかる。
以上の結果からアメリカのソーシャルワーカーとケアワーカーの必要教育年数には相当大きな差がある(つまり、業務内容や責任の重さ等にも大きな差があると考えられる)のに対して、日本の指導員と寮母に要求される学歴レベルはある程度重なり合うことが分かる。厳密な証明にはなっていないが、学歴の重なり合いは業務内容や責任性の重なり合いともある程度関係しているといえるのではないだろうか。
つまり、既に述べたように国際共通語としてのソーシャルワーカーという言葉を非ケアワークといった意味をこめて使うならば、日本においては、福祉専門職という言葉を指すのにソーシャルワーカーという言葉を使うべきではないと言うことになるだろう。実際、日本の福祉施設等で働くワーカーが、外国の福祉関係者に自己紹介するときどう名乗って良いのか悩む、といった話はよく聞かれることである。
つまり、メディカルソーシャルワーカー等非施設系のワーカーに対してのみ以外は、ソーシャルワーカーという言葉を使うべきではないということにもなるだろう。「ソーシャルワーク」という言葉に固執せず、別な用語を用いるのならば、これも考えられる選択肢ではあろう。
しかし一方で、社会福祉系の大学等で実践家を養成するとき、我々はソーシャルワークという言葉を用いソーシャルワーカーを養成しようとしているのも事実である。つまり、ケアワークではないソーシャルワークといった排他的な独立性をソーシャルワークという言葉にもたせるのか、ソーシャルワーク「的」機能を主として果たす者をソーシャルワーカーと呼ぶといった、緩やかな定義をソーシャルワークという言葉にもたせるのかといった議論が必要になってくるのではないだろうか。
このことは、福祉職内での線引きだけでなく、次の他援助職との境界の画定の問題においても関係してくる。

2)援助職間の線引き

ソーシャルワークを他の援助専門職と比較し、その固有性を見いだそうとする努力は、ソーシャルワーク研究が最も力を注いできたことのひとつだろう。そして、論者によって力点の置き所は違うが、概ねこれがソーシャルワークの重要な機能だといういくつかのポイントについてはコンセンサスが得られる状況にあると思われる。
例えば、「他の専門職業が独自の視点から狭く、深くという専門分業制度の視点によって見逃されがちな、『全体としての人間』というholisticな視点をもつということである。」(注11)という指摘は、多くの論者によって指摘されている。また、「人権の視点をもつこと」(アドボカシー機能)、「社会関係の調整をメインにすること」(メディエート機能)等も、ソーシャルワークを他の援助専門職と区別するときに典型的にあげられる機能である。
しかし、ここであげられる機能がソーシャルワーカーが遂行すべき重要な機能であることは間違いないが、そのことと他の援助専門職がこれらの機能を行使しないということとは別なのである。
例えばわれわれは、キュアに関わる看護職に対して、ケアに焦点を当てる寮母等福祉職という説明の仕方をするが、看護学のあるテキストでは、次のような記述がある。(注12)
「統一体としての人間を身体的、精神的、社会的、霊的存在としてとらえれば、社会の中で生活し生きている対象へのケアは、人間として共通のニーズと一人一人が異なる反応を示すというニーズに対応したケアが求められる。」(p133)
「21世紀の看護の重要な概念はヒューマンケアリングであるといわれている。」(p138)
「ケアリングにおいては間主観性(Intersubjectivity)と相互関連性(Interconnectedness)が重視され、道徳や倫理をふまえた人間への関与の仕方に従来のキュアを越えた新しい概念が示されている。」(p140)
ここには、人間を部分としてでなく、全体としてみるという視点や、個別化の視点等福祉が従来強調してきているものが含まれている。
また、平成8年版の『看護白書』(日本看護協会)には、「新たな高齢者介護制度と看護の役割−在宅ケアを中心に」(島内節)という論文がある。そこには、「便利で親切で質の高いケアがどこまで提供できるか。それは単に看護技術の良さのみでは耐えられず、アセスメント、ケアプラン、教育相談能力、チームワーク、ケアマネジメント、ケア評価能力が問われ、一連の家庭における患者・家族、多様な職種との円滑な対人関係を含んだ社会対応力も必要とされる。」という記述がある.さらに、同白書には、高崎絹子「老人の人権とアドボカシー(権利擁護)−老人虐待の実態調査を通して考える」という論文があり、「4.看護職に求められるアドボカシーの意識とマネジメント能力」という項目がたてられている。
看護という語をそのまま、福祉または介護という語に変えても通じる文脈といえそうである。。つまり、アドボカシー、マネージメント等も充分に看護学等の中に取り込まれているのであり、ソーシャルワークまたは社会福祉専門職の専門的機能として語ることはできても、そのことで他専門職との排他的独立性を証明することはできないのである。
既に述べた、いわゆるケアワーカーといえどもソーシャルワーク機能は果たすし、ソーシャルワーカーといえどもケアを一切行わないわけではないという福祉職内の事実と並んで、ソーシャルワーカーが重要としてきた機能を看護婦等も重要視しているという援助職間の事実もあるのである。

3)ソーシャルワーク概念の位置づけ

これまで本章において、ソーシャルワークという言葉を厳密に福祉職内の特定の職種に当てはめることの困難さを指摘し、更にソーシャルワークまたは福祉専門職が他の援助専門職に対して絶対的な排他的固有性をもつことに疑問を呈した。
しかしこのことは、福祉専門職または、ソーシャルワークが専門性をもつというとを否定しようというのではもちろんない。専門性を論じるということは、その専門職の独自性や固有性を論じることであるが、それは排他的な関係とは限らず、相対的な関係なのではないかということなのである。
ソーシャルワークの専門性を考えるに当たって、以下の指摘が参考になると思われる。
他国間の比較は、慎重を要する作業であって、本書においてたまたま「りんご」と「オレンジ」が「果物」に属しているからといって、読者はX国の、「りんご」とY国の「オレンジ」を比較しようとする誘惑を警戒しなくてはならない。(p.3)
『欧米福祉専門職の開発−ソーシャルワーク教育の国際比較−』(注13)の中での、ソーシャルワーク専門職の国際比較をするに当たっての編者の指摘である。
その上で編者は、以下のような点を指摘している。(pp.3−4)
・「ソーシャルワーク」という概念の中にアイルランドやイギリスでは「青少年健全育成」の概念は含まれないが、旧西ドイツでは含まれる。
・旧西ドイツの「教師」「老人介護士」やフランスの「保母」「幼稚園教諭」は、高等教育ではなく中等教育を前提としているが、ソーシャルワーカーと数えて良いのか。
・スイスの「教護」等はソーシャルワーカーか教育者か
この指摘のように、ヨーロッパ各国でもソーシャルワークの範囲・境界をどこに引くかについては相当異なっている。当然ここでいう教師や保母といった言葉は訳語であり、日本における教師や保母等と完全に一致するものではないが、ソーシャルワークという概念の含む内容が国によって教育や司法等隣接領域との関係で、相当広狭があることは間違いないだろう。
実際、International Association of Schools of Social Work の加盟校は、1995年のディレクトリーで85カ国、千数百校にも及んでいる。このように多様な国の学校が上記にあけだような範疇上の相違を抱えながらも、確かに、Schools of Social Workという範疇に属していることを考えると、「りんご」も「オレンジ」も「バナナ」も、「果物」であるという視点に立ち、「果物」=「ソーシャルワーク」(日本的には社会福祉専門職と呼ぶべきかもしれない。)の定義についてその成立条件を、検討していくことがソーシャルワーク研究においては重要であるということになりそうであ
つまり、社会福祉職間の違いに焦点を当てることで、ソーシャルワークという排他的な範疇を見つけだすというアプローチをとらず、緩やかといえども現に存在する実体としての社会福祉職が専門職としての条件を満たしているかという視点で研究を進めていく必要があるのである。そして、他援助職との関係においても排他的な独立性を求めるというよりは、他職種と結果的に重なる点があるにしろ、社会福祉学の視点から考えたとき必要な援助機能について考えていくという立場が一層必要になってくるのではないだろうか。

ソーシャルワークの専門職度について

ソーシャルワークという専門職について考えるときに、その固有性について明らかにしていこうとするアプローチとともに、現に存在するソーシャルワーク実践がとの程度社会的認知を受けているのか、そして、それはなぜかについて検討していくことも重要であろう。ここでは、福祉職に就く者自体が自らの専門性をどのようにとらえているのかという自己評価の側面と、他専門職者や一般社会からどのように受け止められているのかという他者評価について考えてみたい。

1)福祉職内の自己評価

社会福祉関連職員を調査対象としてきた秋山智久氏の一連の調査によれば、「今日のわが国の社会福祉専門職は、どの程度の段階にあると思いますか。【医師・弁護士を完成専門職とする】」という問いに対して、1985年時点(注14)で、「すでに専門職として成熟している」という答えが2.0%、「完成専門職に近づいている途中である」が17.9%であるのに対して、「専門職としてはかなり未熟である」が69.1%、「社会福祉の仕事はそもそも専門職ではない」が7.0%となっている。
そして、1995年調査(注15)でも、0.7%、24.3%、69.6%、3.6%となっている。(注16)この結果から見て1980年代から90年代を通じて、社会福祉専門職員が自らのことを、既に専門職といって良い状況かそれに近いと認識している者は、2割程度に留まっていることが分かる。
さらに、1995年の秋山調査では、各種専門職の成熟度を問うために、「専門性が完全に確立されていると思われる職種を10点とし、全く確立していない職種を0点として、以下の6種類の職種それぞれの確立程度にあなたのイメージで得点をつけて下さい。」と問い、具体的な職種として「医師」「社会福祉士」「介護福祉士」「臨床心理士」「理学療法士」「保健婦」をあげている。これに対して、社会福祉関連職員の回答は次のような平均点になっている。医師が10点満点中9.6点を獲得しているのをはじめとして、保健婦(8.4)、理学療法士(7.9)、臨床心理士(6.2)、介護福祉士(4.2、)社会福祉士(4.2)といった結果である。
つまり、福祉関係者自らが福祉関係資格に際だって低い評価を与えているのである。国家資格としての「社会福祉士」「介護福祉士」資格ですら、医師の44%〜理学療法士の53%といった、概ね医療専門職の5割程度の専門性の確立度であると、社会福祉関係職員自ら意識しているということになるのである。(注17)
このように見ると、社会福祉専門職化の努力は古くから行われながら、現実には医療職等他の援助専門職と比べ、専門職度が格段に低いことを自他共に認めていると言うことになりそうである。

2)福祉職外からの専門性評価

では、本当にソーシャルワークは専門職として未確立なのだろうか。ここでは、日本の社会学関係者が1955年から継続的に全国レベルで実施している、SSM調査の結果を基に社会において、福祉専門職がどうとらえられているかについて検討してみる。
SSM調査のSSMとは、Social Stratification and Social Mobility の略で、「社会階層と社会移動」全国調査ともいわれるもので、1955年から10年ごとに行われている。その中で、「職業の社会的評価」が一つの大きなテーマになっており、「職業の威信スコア」の測定が行われている。具体的には職業をリスト化しそれぞれの社会的評価について「最も高い」から「最も低い」の5段階での評定を求め、その後100点満点に換算している。第3回のSSM調査研究プロジェクトの一環である、『日本の階層構造』(注18)では、289の職業についての威信スコアを載せている。(pp.499−503)
この一覧から援助専門職に関連しそうなものを選び、スコア順に並べてみると次のようになる。
裁判官、検察官、弁護士87.3 大学教員83.5 医師82.7 歯科医師 82.7 公認会計士、税理士73.0 その他の法務従事者70.3 薬剤師65.4 小学校教員62.9 中学校教員62.9 高校教員62.9 盲・ろう・養護学校教員62.9 その他の教員62.9 社会福祉事業専門職員62.9 その他の医療保健技術者61.3 宗教家58.7 助産婦52.8 保健婦52.8 栄養士52.8 看護婦・看護士52.8 あん摩・はり・きゅう師、柔道整復師52.8 幼稚園教員50.5 保母50.5
そして、289の職業全体のスコアからすると、社会福祉事業専門職員の62.9というポイントは21位に位置している。これをみると、福祉専門職が決して社会的評価が低いわけではないことが明らかになる。というよりは、看護婦、保健婦等よりも高く、相当高い位置にあるということがいえそうである。
実際、このSSM調査の結果をもとに、既出の『保健・医療における専門職』の3章「今日の看護職の専門職水準」(小板橋喜久代)では、次のようなコメントをしている。(P.68)
「このランキングの順位及び得点から見て、今日、専門職と公認されていると思われる職業はスコアにおいて70以上を獲得しており(法曹関係、大学教授、医師、高級官僚、公認会計士)また、ほぼ専門職性を獲得したと思われる職業はスコア60〜70の範囲にあり(科学研究者、建築家等技術者、薬剤師、ソーシャルワーカー、小中高等学校教員、芸術家)、よってスコア50〜60の範囲にとどまる看護職、保母、自衛官、通信士等は専門職性を十分に獲得し得ていないと思われる。」
つまり、看護系専門職が専門職性が低いのに対してソーシャルワークはほぼ専門性が確立されているという指摘が、社会調査の結果とそれに基づく看護専門職側からされているのである。
ただし、このSSMの威信スコアは専門職研究において引用されることがしばしばあるが、単純に全面的に採用することはできない。例えば、看護婦と保健婦が完全に同一スコアであるのは医療関係者側の自己評価としてはあり得ないだろうし、小学校教員から高校教員までが完全に同一スコアであることは、教育関係者にとってはあり得ないだろう。実は、本調査では「289の職業小項目を<ママ>のうち、人々によく知られている82の職業のみを評定させ、その威信スコアを他の類似した職業にも与えている。しかし、このように付与された職業威信スコアが、実際にその職業を評定した場合と一致するか否かは検証されていない」のである。(注19)そして、ここでの62.9というスコアは、「小学校の教諭(先生)」という職業に対して与えられたものである。しかしいいかえるならば、(検証されていないとはいえ)SSM調査の主体が全国調査の処理に当たって、社会福祉事業専門職員を教職相当と判断したのであり、そしてそのスコアが60点代であったことは事実である。ある意味では、社会一般の評価がそこにあるともいえそうである。


おわりに

ソーシャルワークが専門職といえるかどうかについての議論は従来から否定的な論調を基本として、どのように克服すべきかという形で展開されてきた。また、日本の社会福祉職がソーシャルワークであるかどうかについても比較的厳密に判定しようとする傾向がある。しかし本論で展開したように、必ずしも専門職論をリジッドに考えるべきではないのではなかろうか。アメリカ等外国における福祉専門職と日本でいう福祉専門職はその歴史性や現状のシステムの違いから、異なりをもっていて当然なのである。しかし一方で両者を、全く異なるものとして論議を切り離してしまうこともまた間違いだろう。明らかに、ソーシャルワークという共通の概念が存在するのである。
そして、ソーシャルワークの専門性が低いという議論についても客観的な課題と自己評価の低さとの区別をつける必要があるだろう。ある意味で、社会福祉職者が専門職、ソーシャルワーカーとしての自覚を持ち、自己評価をあげていこうというプロセスが必要になってくるのではないだろうか。
「現在では、ある職業が専門職かどうかの議論よりも、どのように専門職への変化を成し遂げているのか、すなわち専門職に関する研究は、専門性について究明することこそ重要であることが認識されてきたのである。『専門職』概念は理念型として考えられ、現実の職業は専門職と非専門職との連続体上のどこかに位置づけられる。」(注20)
という指摘を意識し、「専門職か否か」でなく、「専門職化」のプロセスにあるソーシャルワークについて検討していく必要があるだろう。




注1 最近版では、専門職に関わるテーマはSocial Work Profession、 Ethics and Valuesをはじめとする複数の独立項目へと、拡大して論じられている。
注2 保健・医療社会学研究会編 『保健・医療における専門職』垣内出版1983年 p17
注3 日本社会福祉実践理論学会編 『社会福祉基本用語辞典』川島書店1996年 
注4 古瀬・前田監修 『老人介護マンパワー政策の国際比較』中央法規 1992年 p.4
注5 例えば、前出の『社会福祉基本用語辞典』では、「社会福祉士」の説明の中に「専門的知識と技術を用いて相談援助を行う福祉専門職(ソーシャルワーカー)の国家資格」という記述が見られる。
注6 1997年度より、福祉士制度に関わる実習先の範囲が拡大されることになった。まだ、実習先は羅列的制限的であり、ここで論じている問題への完全な答えではない。(たとえば、県レベルの社会福祉協議会や病院での実習は認められていない。)しかし、一連の議論への対応としては歓迎すべきことと思われる。
注7京極高宣著 『日本の社会福祉士制度』中央法規出版 1992年 
注8 この議論は、保育学や介護福祉学という概念が実体として存在していることを否定するわけでは全くない。ただ、社会福祉学とは別な体系と誤解されることには慎重でなければならないということである。
注9 勿論、重なってはいても一緒ではなく、各職種間に「主たる業務」に差があることは事実である。というよりも、そのことこそ専門職化を進めるに当たっては大切であると考えられる。
注10 奈良県社会福祉人材センターの1996年8月と11月の「福祉就職説明会」時に配付された資料
注11 黒川昭登 「倫理綱領・倫理問題・養成訓練について」JASW『会報』第31号 1992 『ソーシャルワーカー』3号より
注12 小田正枝、山本富士江編 『看護学序説』1996年廣川書店
注13 ハンス・ヨハン・ブラウンズ、デービッド・クレーマー編著、古瀬、京極監訳 全国社会福祉協議会1987年
注14 『社会福祉専門職者の実践と意識に関する調査』(財)社会福祉研究所発行、1986年8月20日
注15 『社会福祉従事者の実践と意識に関する全国調査』大阪市立大学社会福祉学研究室発行 1996年8月1日
注16 85年年調査と同一質問であるが、【 】内の完成専門職についての記述は略されている。
注17 厳密に言えば、この調査は資格と職種が一致していない「福祉士」については問題が残る。福祉専門職の評価が低いのか、両福祉士資格の評価が低いのかがはっきりしないからである。しかし、前述の「成熟度」調査の項目と重ね合わせて考えると、やはり福祉職全体への自己評価の低さととることができるのではなかろうか。
注18 富永健一編 東京大学出版1979年
注19 同上 p.442
注20市川昭午編 『教師=専門職論の再検討』 教育開発研究所1986年 P.125

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