ウディ・アレン日本未公開の短篇『罰』


『罰』(原題 "Penalty")は、『The Illustrated Woody Allen Reader』(Alfred A. Knopf, 1993)に掲載されている短篇である(ほとんどショートショートと言ってもいい程の短さだが)。ウディ・アレンの3つの短篇集には収録されておらず、執筆時期や原典は明らかではない。同書によれば、印刷物として出版されたのは同書が初めてだというから、ウディの草稿の形で残ってきたのかもしれない。同書はウディの映画や戯曲、短篇の抜粋をまとめたもので、映画のセリフについては一部ウディのプロダクションからシナリオを入手したりしており、その際にこれまで日の目を見ることのなかったこの作品が編集者の目に触れたのではないかと思われる。いずれにせよ、この短篇は日本では公開されていない。全文を以下に紹介する。(段落分けは筆者)


『罰』

 バルセロナの刑務所で、男とオウムが処刑を待っていた。
 2人とも翌日の朝に銃殺される予定だった。ファシスト政府への
破壊工作で有罪となったのだ。地下組織に軍隊の動きを知らせたのだ。
「今、何時だろう?」神経質そうに男が言った。
「なぜ、そんなことを聞くんだい?」オウムが聞いた。
「なぜだと?俺達は時間が気になるじゃないか、そうだろ?」
「わかったよ、わかったよ、そう怒るなって。そのオレンジをとって
くれないか?」
「こんな時によく食べていられるな」男が言った。
「おい、どうかしてるよ。いったい私にどうしろっていうんだい?
食事をあきらめろとでもいうのかい?」
「わかったよ、怒るなって。その時、アロヨが逃げるかわりに、
橋を爆破してさえいればな」
「ああ、そうだね。ところでオレンジをとってくれないか?それから
そうやって歩き回るのをやめてほしいんだけど。目が回りそうだ」
「私は死にたくない」男が壁をたたいて言った。
「『死ぬ』ってどういうこと?」オウムが聞いた。「『死』って何なの?」

「“『死ぬ』って何なの?”とは、どういう意味だ? どうかしてしまったのか?」
「私はオウムだよ」
「だから死ぬとはどういうことか知らないっていうのか?死ぬってことを?」
「間違ったことを言ったら訂正してくれ」鳥は思い切って言ってみた。
「目は閉じられ、あおむけに横たわり、苦しみは消えるってことかい?」
「近いな」怒りながら男は言った。
「そう悪くはなさそうだな」オウムが答えた。
男は説明しようとした。「ホセ、つまり死とは、すべてがおしまいって
ことなんだ。太陽の光を見ることも、音楽を聴くことも、笑ったりすることも
もうないんだ」
「そうなの?」オウムは明らかに戸惑いながら、その状況を理解しようとした。
「そうさ。なんでそんな顔つきをしてるんだい?お前が死がいいものだと
思うのか?」
「わからない」オウムが言った。
「おい、お前はオウムだってだけでなく、その最下層の10%に
入っているに違いないぞ」
「へえ?それは残念だね。だが少なくとも私は泣き虫じゃないぞ」
「牧師の言ってることがもし正しいのなら」男がつぶやいた。
「つまり、どういうことだい?」
「つまり、もし天国とか地獄とか、そういったものがあったら
どうかってことさ。もし私が永遠に罰っされることになったら、
どうなる?燃え盛る溶鉱炉で無限に焼かれることになったら?」
「焼く?何を焼くんだ?」オウムが聞いた。
「やれやれ、さぞお前は完璧にきれいな人生を過ごして
きたんだろうな?」男が言った。
「なあ、いったい何度説明しなきゃならないんだい?私は鳥だよ。
私にしてみれば、夜ってのは止まり木の上でバタバタしてるものなんだ」
「私に分かっているのは、死にたくないってことだ」
 男は今度は汗をかきはじめた。
「こっちに分かっているのは、頭痛がするから、オレンジのつぶが
ほしいってことだ」

2人はしばらく静かにしていた。男は食欲がまったくわかなかった。
少なくとも自分は善い行いのために死ぬのだと言い聞かせようとしたが、
気分は少しも軽くならなかった。彼はオウムにすまないと思った。
「お前はどうしてこの戦いに加わったんだい?」彼はオウムに聞いた。
「地下組織は、疑われることなく情報を伝達する方法を探していたんだ」
オウムが言った。「はじめはマイナ(訳注:ムク鳥の一種)を使うつもり
だったが、連中はあまり頼りにならなくてね。もっとも名かには何文字か
タイプができるのもいたけど」
「おまえはファシストを憎んでいたのか?」男が聞いた。
「ファシストを憎むだって?ロドリゲス、私はファシストが何かって
ことさえ知らないんだよ!私の受けた唯一の政治教育といえば、
『猫には近づくな』ぐらいのもんさ。分かったかい?」
「では、政治的な決意もないなら、なぜおまえは申し出を
断らなかったんだ?」
「私はペットだったんだ。いつからペットにも発言権が認められる
ようになったんだい?」
「ノーとは言えなかったのか?」
「冗談だろう。私はかごの中にいて、ぼんやり外を見るだけさ。
飼い主が私に決めたことを相談するっていうのかい?そいつは傑作だね!
こんな感じだろう。『なあ、この家を売ってロンドンへ引っ越そうと
思うんだが、ちょっとオウムに相談して、どう思うか聞いてみよう』」
 オウムは今やほとんどヒステリックだった。

 ロドリゲスは真剣になって言った。「おまえ次第で私たち2人は
助かるんだよ。分かるだろう?
「またその話しかい」オウムが退屈そうに言った。
「でも、もしおまえが連中の欲しがっている情報を話しさえすれば。
情報を持っているのはおまえだけなんだよ」
「私は決して情報をもらすなと命令されているんだよ」
「これは情報をもらすわけじゃない、ホセ。私たち2人の命がかかってるんだ」
「決して他の人にはしゃべるなって命令なんだ」オウムは機械のように言った。
「しかし連中の知りたがっているのは、ある日付なんだ。それで連中は
我々を釈放してくれるよ」
「私にはできない」
「くそったれ」男が怒って言った。「貴様のしっぽから、羽根を
全部むしりとってやる」ロドリゲスは小さな部屋の中で、
羽ばたきして逃げる鳥を追い回した。
「しゃべるもんか。そればかりか、地下組織に戻ったら、おまえが
私に言ったことを言いつけてやる」オウムは金切り声を上げた。
「この間抜け。このアホ。俺達はもう地下組織には戻ることはないんだよ。
そこがポイントだ。おまえだけが助かる鍵を握ってるんだ。人生とは何か、
理解できるか?死とは何か?時間がいかに貴重であるか?この間抜けは鳥め」
「よくわからないな」オウムはそう言って、楽しそうにオレンジのつぶを
むしゃむしゃ食べた。
「なぜこいつが犬ではないんだろう?」男はため息をついた。
「少なくともあいつらは忠実だ」
「そりゃ忠実だとも」オウムが言った。「だが、あいつらはしゃべれるかい?」
「それがどうした?」ロドリゲスはそう言うと、座りこんで両手で頭を抱えた。

 日の出の5分前に牧師が房に来て、囚人たちに最後の祈りをあげたいかと聞いた。
「私は無神論者だ」男が言った。
「最後の祈り?」オウムが言った。「どういう意味だい?」
「こいつの言うことに耳を貸さないで下さい、神父さん」男が言った。
「こいつときたら、まったく頭がガチガチなんです」
 牧師は去り、ほどなく2人は庭へ引き出された。男は目隠しをされ、
彼とオウムは壁を背にして立たされた。
「なんで目にそんな間抜けな布切れを巻いているんだい?」銃殺隊が
ライフルをかまえると同時にオウムが聞いた。
「おい、もう話し掛けないでくれ。俺達には何一つ通じ合うものはない。
おまえたちは決して自己を認識することができない。大いなる疑問を
抱くことも、理解することもない。私はより深く考え、より深遠で、
あらゆる面でおまえより道徳的、精神的、知的に優れている。
私は人として死ぬ。おまえはけだものとして死ぬんだ」
 その時、引き金が引かれる直前に、オウムは空へはばたいて無事に逃げた。
銃声が聞こえ、男は処刑された。
「おまえの言うことはおそらく正しいだろう」オウムは眼下に向かって叫んだ。
「けれど、少なくとも私は空を飛べるんだ。こういう状況では、これは役に立つぞ」

              ―おわり―



 舞台は、フランコ・ファシスト政権下のスペイン。破壊工作に加わったかどで翌朝には銃殺される予定の男とオウムが、「死とは何か」をめぐって不条理かつ不毛な議論を繰り広げるという、寓意と風刺に満ちた寓話である。男は必死になってオウムに「死」についてわからせようとするが、オウムとの議論はまったく噛み合わない。しかし男にしても実際に「死とは何か」がわかっているわけではない。「死んだ後に地獄で焼かれたらどうしよう」と悩む男に、死んで肉体が滅びたのにこのうえ「何を焼かれる」というのかとオウムに矛盾を突かれている。一方でオウムも、組織の秘密をもらせば助けてもらえるという男の誘惑に、「組織に帰ったら、おまえが密告をそそのかしたことをばらす」と、「死を」信じないが故の矛盾に陥っている。やがて2人は銃殺隊の前に立たされるが、皮肉な結末が待っている。

 ウディの作品としては、ギャグはほとんど見られないものの、「死とは何か」というウディの哲学的命題をうまく寓話に織込んでおり、カフカを思わせる出来栄えである。「死」を主題にしたウディ作品はほかにも、戯曲『死』(原題 "Death")や『死神のノック』(原題 "Death Knocks")や映画『愛と死』(原題 "Love and Death")など数多い。『死』は、夜の街を徘徊する謎の殺人鬼(死のメタファー)の正体を追い求める人々の巻き起こす騒動と、その陰で着実に犠牲者を殺していく殺人鬼が描かれ、とるに足らぬつまらないことで右往左往する人間の愚かさと、忘れた頃に訪れる死の存在を寓意的にコメディに織込んだ佳作である。後にウディ自身も『影と霧』として映画化しているが、可笑しさと哲学性のミックスした佳作となっている。『死神のノック』は、ベルイマンの『第七の封印』みたいな死神が犠牲者とトランプ・ゲームをやって、すっからかんにされたうえに犠牲者の命を奪えないという戯曲だが、哲学や風刺は影をひそめ、どたばたのギャグが中心である。初期の傑作コメディ『愛と死』(ウディ自身もお気に入りのひとつ)は、ナポレオン暗殺を企てたとして処刑される前夜のある男(ウディ)の回想という形をとっていて、短篇『罰』とシチュエーションが似ている。『愛と死』の冒頭、ウディは独房の中でつぶやく。「なんでこんなことになってしまったのだろう。犯してもいない罪のために処刑されるだなんて。もちろん人間はすべて同じことではないか。すべての人間が犯していない罪のために、やがては処刑される運命にあるのではないか?」このセリフの中に、ウディが一貫して訴えてきた「死」の不条理さと救済の不在が凝縮されていると言える。ウディはそれらを嘆きつつ、人間に残された道は人生を楽しく有意義に過ごすことだと訴え続けているのだ。ただしウディ自身はインタビュー等で、自分は無快楽症(Anhedonia)で、何をしても心から楽しいと思ったことはなく、仕事が生きがいの仕事人間だなどと語っている。或いはそれが、ウディにとって「死」から逃れるやり方なのだろう。


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99年4月18日作成