子供を亡くした親の為に

光の届かない世界

中原 憬(Kei Nakahara)

ネガティブな情念の闇


子どもを亡くした親の場合、悲しみ以外に、後悔、無念、絶望、恐怖、怒り、憎しみ、怨み、妬み、劣等感、不安、焦燥などの暗い情念が、暗雲のように立ち込め、心の中に深い闇をつくり出してしまうことがあります。

これらの情念は、光を届きにくくします。悲しみと複雑に絡み合って、人をさらに暗く冷たい世界へと引きずり込んでいこうとします。

悲しみそのものは愛に近い存在なのですが、悲しみ以外のこれらのネガティブな情念は、人の心の一部を残酷な存在へと変えていくことがあります。

ネガティブな情念は、生贄(いけにえ)を求めるのです。これだけのことが起こったからには誰か、悪者が必要なのです。
誰かを攻撃し、傷つけなくてはいられなくするのです。

ときに、伴侶や、医療関係者や、実際に子どもの死に関わった人が攻撃対象になることもありますが、多くの場合、傷つける対象となるのは、自分自身です。残酷なまでに自分を傷つけ、貶め(おとしめ)ていくのです。

客観的に見ればほんのささいな自分の落ち度、あるいは何の落ち度がない場合でも、無理に理由をこじつけて、これでもかというくらいに自分を非難し、断罪し続けます。

自己嫌悪・自己否定によって、さらに心の闇は深くなります。
こうして、心が冷たく凍りついていくのです。

子どもを亡くした親の悲しみは、このネガティブな情念に作り出された闇によって、長く、過酷なものになりがちです。

自分の心を凍てついた世界から救い出さないと、次第に、身動きが取れなくなってしまうのです。


自責の苦しみ


多くの親は、強い自責の念に苛まれ(さいなまれ)続けています。

子どもの死に関して、過剰な自責の念を持ち、極めて深い心の傷を負っているケースが多いのです。どうして、あのときああしてあげられなかったのだろう、あのときこうしてしまったのだろう、と。

事故や自殺で亡くなれば、自分がもっと注意をしなかったからと自分を責め、病気で亡くなれば、自分がもっと丈夫な体に産まなかったからと自分を責めます。

遂には、自分の因縁が子どもに降りかかったのだろうか、自分がダメな親だから神様に取り上げられたのだろうか、自分がもっと苦しめばいいなどと、理不尽なほどに自分を鞭(むち)打ち続けます。

親が子を守る愛情の強さ、責任感の強さが、逆に親の心を縛り上げてしまうのです。

自分が幸せになってはいけない、という歪んだ(ゆがんだ)想いを持つこともあります。自罰への願いから自殺願望を持ってしまうこともあります。

自分や自分の人生に価値がないという誤った結論を導き出してしまいがちなのです。









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