ミニエッセイ

 [死別と癒し]

Written by 中原 憬
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「ミニエッセイ」で1〜10くらいです


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死別と癒しに関するとりとめのない短いエッセイです。
特定の宗教に拠ったものではありません。

2017.03.19 更新


癒しの広場



ラフマニノフ 交響曲第2番 第3楽章を聴きながらどうぞ






No.82 弱り切ったこころを支えるもの

愛する人を喪い、深い心の傷を負ったあなたには、
弱り切ったこころを支える支柱が必要です。

いまは、きっと何もする気が起きないことでしょう。

日々の生活に無気力になって、愛する人との思い出の世界や、
怠惰な眠りの世界に逃げ込むことが増えたかも知れません。

そのままだと、過去の惨めな失敗や自分の欠点を考えることが
多くなって、自分を傷つけ始めてしまいます。

私はあんな失敗をした、私はいつもダメだ、私は不幸だと
「私」のことばかり考えることは、鬱(うつ)の始まりです。

弱り切ったこころを強く支えるものは、自分ではない誰かを支える愛情です。

ほかでもないその人への愛情が、あなたにはあるはずです。
そう、まずその人が喜ぶことをしましょう。


[2017.03.19]


No.81 その人に掛ける言葉

あの世は、あるかも知れませんし、ないかも知れません。
でも、あなたはいつも心の中でたくさん話しかけていると思います。

その言葉が、恨み言や後悔ではなくその人を支える言葉になっているでしょうか。

私を助けて、私を迎えに来て、私は優しくなかった、私はあんな酷いことを言った
という言葉は「私」のことしか考えていない言葉です。

そうではなく、その人を思いやる言葉に置き替えてみましょう。
ごめんね、ありがとう、もう痛くない?元気にやっている?と。

温かい言葉を人に掛けると、あなた自身の心のつらさも緩和されます。

あなたが、優しい言葉を掛けることで、あの世があるのなら、
その人もあなたも、心穏やかに過すことができることでしょう。


[2017.03.19]


No.80 夜伽話(よとぎばなし)

かけがえのない愛する人と死別し、絶望の中で悶え苦しむ人の中には、
心の中で叫ぶように、こんなふうに願う人もいることでしょう。

−−−どうか、私の命を引き換えにしてもよいから、その人の命を
助けてあげてほしい、死なんてなかったことにしてほしい、と。

一体、どれだけ深い絆だったのでしょうか。

自分の命を犠牲にするとまで覚悟して願ったところで、実際には、
そんな奇跡は微塵も起こりそうもないことを私たちは知っています。

でも、こんなふうに空想してみてください。
奇跡はすでに起こっていると。

そのときにこの世に遺されていたのは、実はあなたではなくその人だったと。
そして、その人があなたを喪って深い絶望の中で悲しみを味わい
必死にあなたが生きている世界を、願って、願い尽くしたことで、
その想いが通じ、信じられないような奇跡が起こった世界。
それが、この世界だと。

その人にとっては、涙を流し尽くした果てに得られた奇跡。
心からの願いの叶った、ありがたい世界。

・・・もちろん、詮無い夜伽話(よとぎばなし)です。

ただ、もし立場が替わっていれば、あなたが無事に生きているこの世界は、
その人にとっては、嬉し涙が出るほど、望み尽くしたであろう
素晴らしい世界であることは、間違いないことだと思うのです。

そして、その人の願いはさらに続きがあるはずです。
その後のあなたの生き方に関して−−−。


[2016.10.08]


No.79 愛した人の胸の中に

もはや、その人の体は失われてしまったかも知れません。
あの世がないとしたら、その人の心も消えてしまったのかも知れません。

−−−死は、その人の体も心も一切合切を奪っていってしまったかのように見えます。

その人は、もうどこを探してもいないのでしょうか。

・・・いいえ、この世にまだ確実に残されているものがあります。
それは、あなたの心の中の、その人への無数の想いと思い出。

※     ※     ※

その人の不在は、あなたのこころにこんな疑問を繰り返し想起させます。

あの人は、どう考えていたのだろう
あの人は、どう感じていたのだろう

繰り返し、その人の人生を追体験しながら思考や感情を推し量ることで、
あなたはより深くその人となりを理解していきます。

混じりけのない懺悔(ざんげ)の涙を流しながら。
あるいは、かけがえのないものに寄せる優しい涙を流しながら。

あなたの心という材料で、その人の心の有様が形づくられていきます。

あの人なら、どう考えるだろう
あの人なら、どう感じるだろう

※     ※     ※

無数の想いと思い出を抱きしめながら偲ぶ(しのぶ)日々を過ごすうちに
やがて、あなたはその人ならどう考え、感じるかを
自然に想像できる自分に気づくでしょう。

あの人なら、こう慰めてくれるだろう
あの人なら、こう叱ってくれるだろう
あの人なら、こう誉めてくれるだろう
あの人なら、こう励ましてくれるだろう
あの人なら、こう労わって(いたわって)くれるだろう
あの人なら、こう泣いてくれるだろう
あの人なら、こう喜んでくれるだろう
あの人なら、こう笑ってくれるだろう

こうして、人は思われ尽くすことで新たないのちを得ていくのでしょう。
愛した人の胸の中に。


[2016.10.08]


No.78 遺影

不思議なことに、その人の遺影は、そのときどきで
違う表情を見せると思いませんか。

あなたが、どうしようもなく切ない悲しみにもがいているとき、
心配でたまらない表情をしている気がしませんか。

あなたが、心静かに二人の楽しい思い出を語りかけるとき、
そっと微笑んでいるような気がしませんか。

泣くのなら、その人の写真を見ながら泣くとよいと思います。
独りで泣くと、後ろ向きなことばかり考えてしまうものです。

一人ではなく、二人で泣いてください。
その人に愛する想いを伝えてください。

[2016.06.24]


No.77 恋すること、愛すること

先に逝ってしまった伴侶、恋人を思い続けること−−−。
それは、片思いなのか、両思いなのか。
会えないのは片思い。だけどあの世から思われているのなら両思い。

つらいことに、通じていた情けが深ければ深いほど、
悲しみや苦しみも、また深い。

でも、涙を流していても、恋をしていることは確か。人を愛して
いることは間違いない。人を思う気持ちは輝き続ける。

悲しくても、恋。苦しくても、愛。

[2016.05.22]


No.76 愛が入っているか、いないか

その人の生前の悲しみに思いを重ね、その人を愛すれば、魂は磨かれる。
しかし、自分の未来を憐み(あわれみ)、自分を蔑めば(さげすめば)、魂は傷つく。

同じことをしているようでも、大きな差がそこにはある。

他人の悲しみを思えば輝き、自分の悲しみを思えば曇る。
それが、その人のための涙と、自分のための涙の違い。

[2016.05.22]


No.75 最後の恋

人生に黄昏(たそがれ)が訪れたとき、もう新しい恋は不要と考える人がいます。
先に逝ってしまった伴侶、恋人を最後の相手と決めて、
その人を思い続ける−−−それが、最後の恋だと。

それも一つの生き方だと思う。

忘れていけないことは、その人生には宝物があったということ。

その人のことを愛した記憶が魂に刻み込まれているのだから、それは幸せ。
どんなに、輪郭はおぼろげになっても、その本質は失われることはないと思う。

体は老い、醜くなったとしても、魂は澄んでいき、
やがて体が滅んだあとでさえ、きっとその本質は残ると思う。

むしろ、耐え忍び続けた年月が、最後の恋を永遠の恋にするに違いない。

[2016.05.22]


No.74 自分の悲しみ、世の中の悲しみ

悲しいのだけど、寂しくない。
涙を流すのだけど、落ち込まない。

私の大切な人が自殺を遂げてから、もう30年以上経ちました。
当時、世界は凍てつき、その冷たさに絶望し、止めどなく涙を流しました。
こんなことの起こる世の中を厭い(いとい)ただ、死を望みました。

時は流れ、いまはもう普通に、むしろ穏やかに過ごしています。

その事実を思い出せば、悲しい。
でも、30年の歳月は、悲しみの質を変えました。
というよりも、自分の在り方が変わりました。

愛情は変わりません。より純粋にその人の幸せを思うようになりました。
忘れた訳ではありません。毎日心の中で語りかけます。
その人の魂はもはや私の一部であるかのようになっています。
生きているときよりも、密接といえるかも知れません。

これまでのすべての人生の喜び、悲しみは私自身に溶け込みました。

悲しみも、自分を作り上げる一つの材料だったと思えます。
すべては、なりたいようになるための出来事だと。

いまでも私は毎日泣いています。
でも、それは、世の中に溢れる悲しみに対して。

心の中に悲しみ尽くした過去があるから、
私の一部はいまでも悲しみそのものです。

でも、その冷たい部分があるからこそ、世の中の悲しみに
心を合わせ、熱く共感して涙を流せるようになりました。

合掌。

悲しいのだけど、寂しくない。
涙を流すのだけど、落ち込まない。

[2016.01.11]


No.73 悲しみの雨と嵐

遺された人の心の中には悲しみの雨が降り続けていることと思います。
大切な人を喪った日から、ずっと、永遠に続くかのように。

時折、雨が強く吹き荒び(すさび)、嵐となることもあるでしょう。
そんなときは、本当につらいと思います。
激しい雨風に打たれ、絶望と悲しみに心が冷え切り、
打ちひしがれてしまう日もあることでしょう。

人生でこんなつらいことがあるのかと思います。
いままで、暖かく陽のあたるところにいたのなら、なおさらです。
あの日に戻りたい、あの人に会いたい。
絶望の底で、涙はいくらでも流れ落ちることでしょう。

でも、いまはじっと嵐が過ぎ去るのを待ってください。
嵐のときに、自分の人生はこれが続くと悲観しないでください。

ずっと嵐が続くわけではありません。すべての状況は流転していきます。

やがて、風が弱くなって嵐ではなくなり、そして、ただの雨となります。
何事にも自然なサイクルがあります。

いつまでも続く雨もありません。

いまに、必ず明るい陽がさしてくるはずです。

[2015.12.05]


No.72 あなたがその人を幸せにする

その人のただ一つの願いは、あなたの幸せ。
だから、あなたがその人を幸せにすることができます。

離れていても、安心させることができるのです。
あなたが、その人の進む道を明るくすることができるのです。

流れ落ちる涙は、そのままにして、悲しみにすがりつかないようにして、
少しずつでも幸せに向かって歩いていきましょう。

いつか、二人の道が交わるその日まで。

[2015.10.18]


No.71 私も連れていってほしい

あなたが死んでしまって、こんなにも悲しい、
こんなにも、生きていくのがつらい。
どうか私も連れていってほしい。

こんなふうにすがりつかれても、その人は
どうしようもないのだと思います。

あなたの愛する人は死神ではないのだから。

それができるのなら、この世に一人もいなくなってしまいます。

かりに、できたとしても罪を犯すことになってしまうと思います。
あなたが、また誰かをこの世に遺すことになるのだから。

[2015.10.18]


No.70 悲しみの果てに

愛する人との死別による壮絶な悲しみ、苦しみは、
自己の存在の根幹を揺るがす出来事です。

人生が、絶望で真っ黒に塗りつぶされたときに、
何を心の支えに生きていけばよいのか。

何のために生き続けなければいけないのか、
愛する人を喪った人生に、いったい何の意味があるのか。

※     ※     ※

凍えるような悲しみの果てに、ひとつ気づくことがあります。

その人を思って流した涙のいちばん奥底に
美しい結晶が成長していることに。

きっと、あなたも泣きながら神に願ったことでしょう。
自分が代わりに死んでもいいから愛する人を生き返らせてほしいと。
あるいは、ありったけの感謝の気持ちや、
心の底からの謝罪の気持ちを持ったことでしょう。

このような純粋な思いを核にして、美しい結晶が育つことがあります。

−−−同じように、悲しみ苦しむ人がいたら助けてあげたい。
−−−人の命を救うために、医師になりたい、看護師になりたい。
−−−人の心を癒す音楽を創りたい、力づける文学を書きたい。

その輝きは、同じように人生の残酷な不条理にさらされている
人達を照らす光となります。

その人の優しさが、あなたを通して、この残酷で不条理な
世の中を良くする力になっていくでしょう。

それこそ、その人が遺してくれた本当の宝物です。




No.69 打ちのめされても

この世の残酷さ、不条理さに打ちのめされ
泥にまみれながら、ただ泣き暮らすことを望みますか。

それとも、立ち上がってこの世を良くするために闘いますか。

日々の人々の触れ合いの中の思いやりの力によって。
あるいは、音楽、文学、医学、法律−−−あらゆる芸術・文化の力によって。

残酷な世界ではなく、倒れた人に手を差し伸べる世界にするために。
不条理な世界ではなく、調和と平安に満ちた世界にするために。

残酷で不条理な世界を許さないために。




No.68 後悔と懺悔

あなたの悲しみを鏡写しにした悲嘆を抱えている人がいます。

高い空の上に。あるいはあなたの隣に。

※     ※     ※

[病気になんかなってごめんなさい。自分がもっと健康で、病気に
なんてならなければ、あなたと幸せでいられたのに・・・。]

[事故(事件)になんか遭ってごめんなさい。自分の不注意であなたの
ことを突然に悲しみのどん底に突き落としてしまった・・・。]

[自殺なんかしてごめんなさい。あなたがこんなに悲しむなんて
全然わからなかった。自分のことしか考えていなかった・・・。]

[災害で命を落としてしまってごめんなさい。自分があのとき、もっと
注意深く行動していれば、今でもあなたと一緒に居られたのに・・・。]

※     ※     ※

あなたの悲しみに沈む姿は、あの世で過ごしている人の
後悔と懺悔のもとになっていることでしょう。

あの世があるかは、わかりません。でも、もしあの世があるのなら、
その人は、愛するあなたをこんなにも悲しませてしまったという思いや
あなたの幸せな人生を台無しにしてしまったという思いに責任を感じて
とてもつらい日々を過ごしているのかも知れません。

死んでしまった自分にこそ、すべての原因、責任があると考え、あなたの分の
悲しみ、苦しみまでを背負ってしまっているかも知れません。

どうかその人を後悔と懺悔から救ってあげてください。
悲しみはどうにもならないかも知れませんが、せめて、
自分を責めないようにしてください。あなたが自分を責めれば、
その人もさらに自分を責めてしまうに違いありません。

少しずつでも、その人/あなたを幸せにしてあげてください。




No.67 この世で唯一正しいもの




狂ったこの世で狂うなら気は確かだ


〜シェークスピア

「リア王」より




この世は残酷です。神は無慈悲です。
そう、この世は狂っています。

この愛が分かたれて、愛する人が先に旅立ってしまうなんて。
人を純粋に愛する気持ちが、逆に深い苦しみを生み出すなんて。

あなたが身も世もなく悲しむのは無理のないことです。
あなたは純粋にその人を愛していたから。本当に愛していたから。

あなたの悲しみ、その涙こそ真実でしょう。
あなたの涙こそ。




No.66 さようならを言えなかった人に

突然の出来事が大切な人の命を奪ってしまった。
さようならの言葉も言えなかった・・・。

※     ※     ※

あの世があるのなら、その人はあなたのことを想っています。
あなたがその人のことを想っているように、その人もあなたのことを想っています。

さようならを言っていないのだから、あなたに心を残しているはずです。
さようならを言っていないのだから、また逢えるはずです。

−−−その人は先に、目的地に行かなければいけなかったようです。
時間が掛かっても、いまにあなたも、必ず同じところにいけますから、
どうか焦らずに、
いまは涙をたくさん流して、心の傷を癒してください。

永遠の旅路の中では、先に行ったり、行かれたりすることもあるのでしょう。
宿命の絆をもっている二人なら、きっとまた一緒になれます。
同じ痛みの心の傷、同じ悲しみの涙が、互いを引き寄せる
再会への目印となることでしょう。

別れている時間は、全体の時間に比べたら、
きっと、ほんの少しの間です。




No.65 無残な亡骸と対面した人に

般若心経の一節に、こんな意味の文言があるそうです。




あなたと宇宙は一つです
宇宙は一つづきですから
生じたということもなく
なくなるということもありません
きれいだとか 汚いだとかいうこともありません
増すことも無く 減ることもありません


〜柳澤 桂子による、般若心経の現代語訳

「生きて死ぬ智慧」より




仮にあなたの愛する人が、無残な姿になっていたとしても、
それは、あなたの愛する人の魂が体を脱ぎ捨てたものであり、
永遠の魂は、故郷に還っていったのだと思います。

魂が、宇宙と一つになっていったように、
体も、大地や海と一つになっていくのです。

きれいとか、汚いというのは、この世の基準です。

その人はきっといま、故郷で、あなたを想っているのです。

※     ※     ※

脱ぎ捨てたものを覚えられていては、その人も情けなく
思うはずです。痛々しいイメージも嫌でしょう。

どうかその人のいちばんの笑顔で、幸せな姿をイメージして
あげてください。それが供養になると思います。




No.64 あなたが助かってよかった

自然の猛威で、突然に奪われた命。
不条理で、残酷な出来事。

私が助かって、愛する人は助からなかった。

なぜ、自分が生き残って、その人が死ななければいけなかったのか。

もし、あのときああしていれば、いまでも一緒にいれたかも知れない。
もし、あのときこうしていなかったら、命を救えたかも知れない。

後悔と絶望の闇に沈んでいるあなたに伝えたいことは、
きっと、その人は、こう思っているということです。

−−−私はともかく、あなたが助かってよかった。
−−−あなたが助かってよかった。




No.63 セカンドベスト

願いはただひとつ、その人が生き返ること。
しかし、いくら神様にお願いしてもその人は帰ってこない。

残念なことに、どうにもならない。
いちばんの願いが叶わない。人生が思うようにならない。

どうしたら、いいのか。

神様を恨めばいいのか?
−−−いいえ。心の闇を増やすだけ。
気が狂えばいいのか?
−−−いいえ。生活の苦労を増やすだけ。
命を絶ってしまえばいいのか?
−−−いいえ。悲しみをさらに広げるだけ。

いちばんの願いが叶わないのなら、次善のこと、
セカンドベストなことをするしかない。

その人を大事に想い、供養しながら生きること。
その人の願うだろうことをすること。
自分が死んでしまったせいで、この人が悲しく惨めな人生を
送ることになってしまったと、思わせないように生きること。

−−−そう。幸せに生きること。

そして、この世に思い残すことなく寿命が尽きるまで生きたら、
その人に迎えにきてもらって褒めてもらうこと。




No.62 伝えたい言葉

私たちは、事あるごとに手を合わせてその人に語りかける
−−−元気でやっている?大丈夫?

あの世の大切な人のあれこれを心配している。
お腹は空いていないか、体の痛みはないか、と

それにしても、あの世の人たちと私たちの具合を
比べれば、どう考えても私たちの方が大丈夫ではない。
なにしろ、向こうはもう仏様だ。
これ以上、悪くなることは何もない。

しかし、こちらの世界では、精神的なダメージを受け、
深い悲しみから抜け出せずにもがき苦しんでいる人も多い。

あの世からは、とても見ていられないことだろう。

向こうの人こそ、この台詞を言いたいだろう。
−−−元気でやっている?大丈夫?




No.61 女性の涙

男性にとって、女性に泣かれることほど、弱ることはない。
自分のせいで、涙を流されてしまうと
男は居ても立ってもいられなくなる。

女性の涙に、男は強い罪悪感を覚える。

「男気」という言葉は、弱い者が苦しんでいるのを見のがせない
気性、という意味だが、この言葉の在りようとまさしく反対の情けない
状況を引き起こしていることになる。男として、心が挫ける。

自分が悪くて、心から愛する人を悲しませてしまうことほど、
つらい状況は、男性にとって存在しない。

守れなかった苦しみ。

悲しみから救ってあげたいし、抱きしめてあげたい。
幸せにしてあげたい。

それなのに、何もできない。

心から願うことは、ただ一つ。
どうか、いつまでも泣き続けないでほしい。
幸せになってほしい。




No.60 幸せへの願い

どうか幸せになってほしい。

自分はもう幸せにすることができないのだから、
どうか、自分のことを早く忘れて幸せになってほしい。
涙を流さないでいてほしい。

新しい幸せへの道を歩いていってほしい。
ほかの男性が幸せにするのでもかまわない。
笑顔でいてほしい。

会えないのは苦しく、夢で会いたいが、
いまは、夢にさえ出ない方が、
この人は幸せになれる。

一人で立ち上がって、歩いていけるよう
遠くからずっと見守っている。

どうか幸せになってほしい。
笑ってほしい。




No.59 出逢い

これだけの深い悲しみは、大きな愛が失われたから。
でも、もし、その人と出逢っていなかったら−−−。

その日、あなたが、未来の伴侶、恋人、友人と出逢わなかったら。
その日、あなたの親が、子づくりをしなかったら。
その日、あなたが、子づくりをしなかったら。

その人との、愛も死別もなかった。
その人との、喜びも悲しみもなかった。

感謝すべき、この出逢い。

あなたは、人生で、その人とだけ出逢うわけではない。
あなたの周りにいる人々とも、すべて出逢いから始まっている。
−−−まだ、終わっていない。

そして、これからも出逢う人々の可能性は無限に近い。
−−−まだ、始まっていない。




No.58 青い鳥

死別の体験をした多くの人たちは、自分の人生がそれまでとまったく別な
絶望と苦渋に満ちたものに変わってしまったと嘆きます。

本当は、私の人生にはもっと幸せな道が拓けていたはずだったのに、
人一倍、悲しみに満ちた不幸な人生になってしまったと。

最近、よく思うことは、最初から最後まで幸せな人生というものは
そもそもが幻想なのではないかということ。誰もが、思いどおりに
ならない四苦八苦の人生を送ることが真実なのではないかと−−−。

たとえば、いがみ合い軽蔑し合いながらも一生を共に過ごす
夫婦と、愛し合い、尊敬し合いながらも短い期間で分かたれた
夫婦には、同じ量の幸せがあったのではないかと思う。

生老病死−−−人生は、そもそも苦悩に満ちている。

年を重ねたおばちゃん達は口を揃えたように言う、
どの家も何かしら大変なことを抱えているものよ、と。
そう、きっとこれが真実。

最初から最後まで幸せな人生なんておそらく、ない。
それは、貧乏人であっても、金持ちであっても同じこと。
多く得れば、多く失う。少なく得れば、少なく失う。

思い通りにならない人生の中で、すべての人に同じだけ
用意された日常のささやかな幸せを見出せるか、
見出せないかが違うだけなのだと思う。




No.57 卒業

善い人ほど、早くこの世を卒業してしまうようです。

一生懸命に、不器用なほどまっすぐに努力する人。
お人よしで、損ばかりしている人。

背負わなくてもよい、人の苦労ばかり我が身に背負ってしまう人。
自分のことよりも、人のことをまず考えてしまう人。

何より、人に優しい人。

もしかしたら、彼らの不遇な人生こそ、もうこの俗世で修行を
重ねる必要がないと判断された証なのかも知れません。

*    *    *

一見すれば、無慈悲な出来事に打ちのめされて、
惨めに敗北したように見えるのかも知れません。

でも、実際には、神様から、もう合格点を取ったよと
温かく抱きとめられたのかも知れません。

こうして、善い人たちばかりが、早く神の許に召されていくのかも知れません。




No.56 ある物語

こんなふうに考えてみるのもよいかも知れません。

その子が事故や災害や病気などで夭折したのは、
あの世で生まれる前にすべて神さまと相談して決めたこと。

それは、この世で同じ目に遭う子どもが少しでも減るように。
病気の治療法の研究が少しでも進んだり、
事故の予防や減災方法が開発されたりするように。
同じ悲しい思いをする子どもの親たちが、もう出ないように。

そして、あなたとどれだけ深い愛情でつながっていたかを周囲が知ることで、
この世の親たちの我が子への慈しみと愛情が深まるように。

その子は、そんな役割を神さまと約束してきたのかも知れません。
それは、天使の仕事なのです。

すべての出来事に意味があるというのなら−−−。
この悲しみに意味があるというのなら−−−。




No.55 人の子である限り

きっと、人の子である限り、どの道を歩いても親にまつわる不幸はある。

−−−まだ子どもの頃に、親と死に別れれば、
親の愛情を受けられず苦難の多い環境で育つので不幸。
(もし、親の愛情を受けなくても平気な子どもでいれば、それはそれで人として不幸)

−−−大人になってから、親と死に別れれば、
まだ共に過ごせたのにと死別の悲哀を味わうので不幸。
(もし、親と死に別れても平気な人間になっていれば、それはそれで人として不幸)

−−−老人になってから、親と死に別れれば、
衰え弱っていく親の介護をする苦労を重ねるので不幸。
(もし、衰えていく親が気にならない人間になっていれば、それはそれで人として不幸)


どれだけ自分で、これらの不幸を相殺する分の幸せをつくり出すかが
人生の問題だと思う。黙ってじっとしていては不幸しかやってこない。
(何もしなければ、不幸になるのは当たり前)




No.54 時間の流れ

数年が経ち、十数年が経ち・・・。
あれほど愛した人なのに、あれほど激しく悲しんだ出来事なのに、
もう、ぼんやりとしか顔が思い出せない−−−。
もう、ぼんやりとしか声が思い出せない−−−。

あれほど、悔しく、無念だったのに、
もう、簡単には涙が流れ落ちない−−−。

*    *    *

時間の流れは無情にも大切な人の記憶を容赦なく奪っていきます。
これは、決してあなたが薄情であるわけではなく、誰にでも起こることです。

あなたには、貴重な思い出が日々失われていくことへの
不安と焦りがあるかも知れません。

でも、その代わりに、時間の流れはその人との再会の日を
一日ずつ近づけてくれているのです。
止まることなく確実に。

もしかしたら、それは、再会の歓びが最も大きくなるように
仕組まれていることなのかも知れません。




No.53 存在と本質

雨の日にできた水たまりは、太陽に照らされ、やがて消える。
しかし、実際には消えてなくなったわけではなく、
目に見えない水蒸気になって空に戻っていっている。

水は、地上では他の物質と混じり合い最も低いところに溜まる存在だが、
蒸発するときには、不純物のない水そのものに立ち返る。

−−−純粋な存在となり、高い空に舞い上がる。

空に還れば、雲となって世界中を旅する。
海に還れば、海全体で一つの存在となる。
水たまりの水が知らない世界が、そこにはある。

人の存在も、水たまりのようなものかな。
ある日、天から地上におちてくる。
無垢な魂を持った存在として。

この地上で苦しみや悩みに縛られた日々を過ごすが、
空に昇るときには、すべての苦しみや煩悩を捨て去って、
本質的な存在に立ち返る。

−−−仏となって、天に還っていく。

人智のおよばない世界が、そこにはある。

姿は変わっても、本質は失われない。
すべては巡りゆく、ひとつの季節に過ぎない。




No.52 空っぽの世界の中心で

あなたにとってこの世界は、もはや何の意味もなくなって
しまった空っぽの世界なのかも知れません。
自分の命より大切と感じられるものを失ってしまったときから。

絶望の苦しみが、すべてを凍り尽くすような世界の中心で
あなたは心に深い傷を負って、血の涙を流し続けている。

*    *    *

ただ、この絶望の世界でも、あなたが見出せるものが一つあります。

心の中を覗いてください。あなたが願うことは、一つだけのはず。
自分の存在を賭けてでも、願っていることは何ですか。

そして、そう望むことこそあなたの本質であることに気づいてください。

たとえ、あなたが、人生に対する重大な疑問を持ち始めたとしても、
たとえ、この世界の本質が残酷な苦しみであったとしても、
あなたの存在の本質は揺るぐことはありません。

*    *    *

あなたから見れば、この世界の中心にあなたはいます。
そして、あなたの本質は溢れるばかりの愛です。

空っぽの世界を見てしまったあなたこそ、この世界に意味の
あるものを創り出していくことができるのかも知れません。

あなたが、悲しみ、苦しんだ分だけ。


−−−出口を探すことはありませんよ。




No.51 永遠の愛の成就

自然界で最高の硬度を持つダイヤモンドは、
その美しい輝きから永遠の愛の象徴とされます。

ダイヤモンドは地球内部の高熱と高圧によってできる炭素の結晶です。
高熱によって不純物を除かれ、高圧によって硬く鍛えられます。

*    *    *

もしかしたら、あなたのこの耐え難い悲しみと苦しみは、
永遠の愛を成就するための試練なのかも知れません。

この悲しみが、二人の愛を純化させ、輝きを与えるとしたら−−−。
この苦しみが、二人の絆を堅く、確実なものにするとしたら−−−。

あなたのその人を想う気持ちの美しさ、強さは、生前よりも
さらに一層増しているのではないでしょうか?
在るべき愛について、心の底から壮絶に願っているはずです。

*    *    *

すべての愛が永遠となる訳ではないのでしょう。

たとえようもない深い悲しみ、苦しみに耐え抜いた魂だけが
永遠に続く輝きを得るのでしょう。それこそが、祝福です。
神や天使がいるのなら、きっとその愛のゆくえを見守っています。

この世で体験してきた悲しみや苦しみという影は、天命を終えたときに、
すべてが、同じだけの喜びと幸せという光へと転変するのでしょう。

*    *    *

あなたが、いつの日か運命の大切な人と再びめぐりあい、
溢れる歓喜のうちに、永遠の愛が成就しますように。




No.50 涙を流す時間

悲しむことは、不幸でしょうか。
涙を流す時間は、不毛でしょうか。
−−−そうではないと思います。

あなたが純粋に人のことを想って、悲しみ、涙を流した時間は、
決して人生で無駄な時間とはならないでしょう。

あなたが流した涙は、冷たい涙ではなく、温かい涙だったのですから。

*     *     *

切ないほどに胸が締め付けられると同時に、溢れ出す愛おしさに心が
満たされるという体験。それは、紛れもない愛情の中にいる時間です。

その人のことを魂で愛していると感じられる、この涙の時間にこそ、
純化された、魂と魂の触れ合いがあるのかも知れません。

温かい涙は、きっと天国のあの人との絆になることでしょう。

*     *     *

生きることは、不幸でしょうか。
涙を流す時間は、不毛でしょうか。
−−−そうではないと思います。




No.49 悲しみと不幸

死別してから10年、20年という単位の時間が流れてから、
初めてわかる感覚というものがあります。

それは、悲しいのだけど、幸せという気持ちです。
非常に微妙な感覚なので、悲しみが痛みを伴う間は、
痛みに隠れて気づかないものだと思います。

これと似た感覚として、例えば、冬の澄んだ星空を見上げたときに、
その星空の美しさに、切なくて涙をこぼすときの気持ちがあります。

例えば、高い山の頂に登り、遥かに連なる山々や深い緑を眺めたときに、
切なくて涙をこぼすときの気持ちがあります。

どこかで、すべてとつながっていると感じられると
そう思うのかも知れません。

−−−本当は、独りではないと思うときに。




No.48 地獄の季節を渡りきるために

形あるものは、時間の流れの中ですべて滅びます。
それならば、きっとこの世界の本質は、形のないものなのでしょう。

*     *     *

過去に実体はありません。
それは、すべて思い出の中、人の心の中にあります。

未来に実体はありません。
それは、すべて計画の中、人の心の中にあります。

実在するのは、現在(いま)、ここにあるものだけです。

現在(いま)のあなたは、
幸せな過去も見れますし、不幸せな過去も見れます。
現在(いま)のあなたは、
幸せな未来も見れますし、不幸せな未来も見れます。

*     *     *

−−−この地獄の季節を渡りきるためには、
不幸せな夢を、幸せな夢で覆ってしまうことです。

その人との大切な思い出と、その人といつか再開できる夢で
こころを覆ってしまうことです。

そして、現実でのささやかな幸せの芽を探しましょう。




No.47 心の窓を開けて

いつまでも続く悲しみを乗り越えるためには、
心の窓を開けることが大切です。

澱んだ空気のままでいると、やがて悲しい気持ちに
戻って、繰り返し悲しいことを考えてしまいがちです。

自分のことをつまらない人間だと考えたり、狭い範囲で物事を
判断しがちになったり、とにかく小さくなってしまいがちです。

いつまでも悲しいときには、心の窓を大きく開けて、
新しい風や光を心の中に取り入れてください。

それは、きっとあなたの好きなものの形をしているはずです。

例えば、新しいCD、昔買っていた雑誌、道端の小さな花、
下りたことのない駅の商店街、初めてのレストラン、
心を和ませるペット、青い空に浮かぶ雲、海の遥かな水平線、
通信販売のカタログ、新型の携帯電話、十八番のカラオケ、
他愛のないおしゃべり、泣ける映画、昔の仲間への手紙、
自転車での遠乗り、お洒落な服のお店、可愛い生活雑貨、
額に入れた絵、庭に植える季節の花、おいしいケーキ作り、
誰かへの贈り物、好きなアーティストのコンサート・・・。

当たり前の日常の楽しみを、あなたの好きなものを、
再び見つけ出してみませんか。

ただし、自分がうつ状態であると思うときには、無理は
しないようにしてください。今はそういう時期なのです。
心の中の潮が満ちてくるまで、心をそっと静かに
休ませてあげてください。




No.46 悲しみの中毒性

「悲劇のヒロイン」という言葉に象徴されているように、
悲しみには人の理性を酔わせる中毒性があります。

自分なんて生まれてこなければ良かったとか、
自分の人生は周りの誰よりも不幸であるとか、
そう思うようになったら注意しないといけません。

中毒の初期症状が表れています。

自分の過去の失敗とか、自分の過去の不幸とか、
自分の運勢の悪さとか、自分の体の欠点とか、とにかく、
自分のことばかりを考えるようになってしまうのです。

これは、愛する人を悼む気持ちとは別物です。
自分の人生が思うようにならないことに対する嘆きです。

このような自己憐憫は、甘い味のする毒です。
たまにならよいのですが、癖にならないように注意が必要です。
努力しなくなり、そして、死にたくなってしまうのです。

悲しみに溺れてしまわないようにすることは大切です。




No.45 心の傷がふさがっても

心の傷がふさがっても、その痛みの記憶から、
歩き出そうとしない人もいます。

「アルプスの少女ハイジ」のクララのように。

大切なことは、自分で立つということです。

寄り掛かる人がいなくなってしまったからといって、
自分の人生を狭くしてしまっては、故人も悲しむでしょう。




No.44 心の傷の痛み

突然に愛する者を喪ったとき、その悲しみは、まるで、自分の心が
引きちぎられてしまったかのような鋭い痛みを伴うものです。

目から流れ落ちているのは涙ではなく、心の傷から
流れ落ちている血なのかと思うほどです。

それは、いままでの人生で体験したことのないような想像を絶する
痛みで、まるで拷問を受けているかのように思うかも知れません。

1分が1時間にも感じられ、歯をくいしばって耐えることだけが
すべての、苦痛に満ちた時間なのかも知れません。

死別に直面したとき、このような傷のあまりの痛みに
心の底からの絶望感を味わう人は多いと思います。

この痛みは、あらゆるものを圧倒し、人生そのものをずっと先まで
蝕み、崩壊させていくように感じられます。そして、この痛みが
ずっと続くのではという強い不安が多くの人を打ちのめします。
もう、生きていけないと悲しみの底でつぶやく人も沢山います。

しかし、この痛みはずっと続くわけではありません。

それは丁度、身体の傷の痛みと似ていると思うのです。
たとえば、骨折したり、創傷を負ったり、火傷したりした
ときには、叫び声を上げたくなるほど痛いものです。
1分が1時間にも感じられるような、痛みの絶頂期があるものです。

ただ、その身体の傷の痛みは時間が経つに連れ、治まってきたはずです。
身体には人智の及ばないような巧妙な再生の働きがあります。
そのときは絶叫するほどのひどい痛みだったけど、いまは
もう何ともないという体験は一度や二度はあると思います。

誰もが、この心の痛みがずっと続くのではと絶望に駆られる
ものですが、そんなことは決してないのです。

多くの人が、心の痛みは時間が癒してくれたといいます。
悲しみは、時間が癒してくれるものなのです。

少しずつ、少しずつ、気づかないほどゆっくりと。
心にも人智の及ばないような巧妙な再生の働きがあるのです。

身体の傷が治るように、やがて心の傷も治ります。
絶望にしがみつかないかぎり。




No.43 死別と怒り

(このエッセイは、ミニエッセイ[恨みと赦し]に移動しました)



No.42 悲しみを消す薬

もし、悲しみを永遠に消し去る薬があったとしたら、
あなたは飲みますか?

もう、その人のことを思い出してもケロッとして
全然、悲しくなくなる薬があったとしたら。

もはや、その薬さえ飲めば、あなたはほかの出来事に
関心が移り、その人のことを悼むことはありません。
涙を流すことはありません。
毎日、へらへらと笑って過ごします。

*    *    *

あなたは、悲しみたいのではないでしょうか?
あなたは、その人のために涙を流したいのではないでしょうか?

どれだけ愛していたか、想いの丈を天に向かって叫ぶために。
全身で感じるその人の不在と、心の空隙を埋めるために。

魂を凍り付かせる吹雪の中で、いのちを震わすために。
この世の理不尽さに対して、抗議するために。

その人の大切さを誰かに伝えるために。
その人の存在を魂に刻み込むために。

この愛の深さを証明するために。
その人に想いを伝えるために。




No.41 悲しみへの向き合い方

最近気づいたことですが、悲しみへの対処の仕方は、その人の
普段の悩みへの対処の仕方と似ていると思います。

私の場合、壁にぶつかったときは、考えて、考えて、考えて、
いちばんよい解決方法を見出すまで悩み抜くタイプです。

そして、それと同じように、私の悲しみは、すみずみまで悲しみ
尽くすような長期間にわたる悲しみ方だったのです。

*    *    *

あなたは、悩みがあったときにいつもどのように向き合いますか?

もし、あなたが長期間悲しみから逃れられないというのなら、
あなたは、きっと何事も悩み抜くタイプなのでしょう。
それが悪いわけではありません。
悲しみ尽くした分、やがてきれいに晴れ上がることでしょう。

もし、あなたが現実逃避ばかりして悲しみに向き合っていないというのなら
あなたは、きっと悩みと適切な距離を置けるタイプなのでしょう。
それが悪いわけではありません。
自分の気持ちを量りながら、立ち直ることができるのでしょう。

*    *    *

どれだけ、どのように悲しむに向き合うかは
他の誰でもなく、あなた自身が決めるものです。
というよりも、あなたはあなたらしい悲しみ方しかできないはずです。

ただ、自分の気持ちに正直でいてください。
先が見えなくなるときもあるかも知れません。
そんなときは、心を静かにさせて自分の気持ちを見つめ直してください。

自分にウソさえつかなければ、道は拓けると思います。




No.40 二人の人を愛すること その1

恋人や伴侶との死別のあと、新しい異性との出会いは
後ろめたい複雑な感情をもたらすことがあります。

まるで自分が浮気をしているような、裏切ったような
気持ちになることがあるかも知れません。
唯一無二のものとして大事にしていたものを踏みにじって
しまったような気持ちになることがあるかも知れません。

でも、そういう感情を乗り越えてでも、人は幸せに
なるべきだと思うのです。特に女性は。

あなたの愛したその人も、あなたを幸せにしたかったはずです。
きっと、あなたの幸せを応援してくれるはずです。

かりに、そんな出来た人ではなかった、あの世でやきもちを
焼くに違いないというタイプの人だったとしても、その人が、
あなたの、この悲しみ、苦しみをすべて知っていたとしたら、
それでも、その人は、新しい恋愛に反対するでしょうか?

きっと、許してくれるはずです。




No.39 二人の人を愛すること その2

よく、恋は奪うもの、愛は与えるものといいます。

ひとは一人しか愛してはいけないものなのでしょうか?
いいえ、そんなことはないでしょう。子供が二人いれば、
二人とも同じように愛するように努力しますよね。

それが与えるものであるかぎり、奪わないものであるかぎり、
何も問題はないと思います。

その人も、この人も、あなたの幸せを願っているのだから。

どうか、歩き出して幸せを見つけてください。




No.38 一体どこにいるの

愛するあの人は、いま、一体どこにいるのでしょう?

お墓の下にいるのでしょうか?
仏壇の中にいるのでしょうか?
それとも、普段持ち歩いている遺影に身を重ねているのでしょうか?
まさか、まだ亡くなった現場にいるのでしょうか・・・?
無事に天国に行けたのでしょうか?

遺族は、あちこちに語りかけます。

私は思うのです。
その人は、どこでもなく私たちの心の中にいると。

そして、天国とは、雲の上、空高くにあるのではなく、
誰かが誰かを想う優しい心の中こそ、天国なのだと。

だから、もし、私たちの心の中が恨みや憎しみで溢れてしまって
いるのなら、その人はちょっと居場所に困るのかも知れません。

こんな言葉があります。
「会うことは目で愛し合うこと、会わずにいることは魂で愛し合うこと。」

死んでしまっても、愛し合うことはできると思います。
魂が不滅ならば。
きっと、話ができないだけです。




No.37 死後の世界は存在するか

(このエッセイは、ミニエッセイ[あの世とこの世]に移動しました)




No.36 自殺で遺された人の割合

自殺というものはあまり大っぴらにはされません。
事故や病気で亡くなったことにして、家族やごく親しい人達
だけで真相を秘めてしまうこともめずらしくはありません。

自殺で遺された遺族は、普通と違う死に方で愛する人を亡くした
という一種の後ろめたさを持ちがちになりやすいものです。

しかし、実際には、公式な統計上でさえ、自殺は6番目に多い
死因となっています。(1)悪性新生物(がん)、(2)心疾患、
(3)脳血管疾患、(4)肺炎、(5)不慮の事故の次の多さです。
平成15年人口動態統計年計(概数)の概況[2004/6/10]厚生労働省HPより

また、厚生労働省の研究班が、普通の地方都市をサンプル的に調査
した結果によると、50〜60代で、家族、友人、知人ら親しい人の自殺を
体験した人は24.7%もいるそうです。4人に1人は親しい人の
自殺を経験したことがあるという驚愕すべき調査結果が出ています。
「身近で自殺」25%体験 佐久市で住民意識調査[2004/5/26]信濃毎日新聞より

私が、かつて自殺で愛する人を亡くしたとき、それこそ何万人に一人の特殊な
恐ろしい出来事で遺されたものだと感じ、苦しんでいたものです。
しかし、実際には、悲しいかないまの日本では自殺はありふれた死因であり、
4人に1人が遺された経験のある、ごく身近な死の形だというのです。

これらの数値は、いまの日本人が置かれている心の危機を示していて、
本当に心が痛む数値です。何かが間違っています。

ここで愛する人を自殺で亡くして苦しんでいる人に伝えたいことは、
自殺という悲しみを背負っているのは、あなた一人ではないということです。

特別な出来事を引き起こしたという罪悪感、疎外感、恥などの
世間的なものは背中から下ろしましょう。
決して特別ではないのです。




No.35 悲しみの期間

何年経ったら、いつになったらこの悲しみが消えるのか−−−。

私自身が愛する人を亡くし、何年で涙が出なくなって、その後
何年で悲しみが消えたかは、このホームページには書いて
ありませんし、今後も書かないようにしようと思っています。

それは、人によってまったく異なるからです。
一晩で立ち直る人もいれば、十年以上悲しみ続ける人もいます。

もし、私が何年悲しみ続けたか書けば、同じだけ涙を流し続け
なければならないような気になる人もいるかも知れません。

悲しみは、あなたが悲しみたい分、悲しめばよいのです。
あなたの人生ですから、あなたが選ぶべきです。

ただ、自分の人生の主人公でいてほしいとは思います。
自分の人生は、愛する人の死のせいで、台無し、というように、
何かのせいにしないで生きてほしいと思います。
もちろん、自分のせいにすることもありません。

何かのせいにして悲しむことは、不当に悲しみの沼に
長く居続ける結果になると思います。

涙を流す以上、純粋な涙を流してほしいのです。
私に言わせれば、それが「喪の作業」です。

それが、悲しみに出遭っても、涙を何年も流し続けても、
自分の人生を見失わない方法ではないかと思います。




No.34 恨みや怒りや憎しみの鎮め方−−その1

(このエッセイは、ミニエッセイ[恨みと赦し]に移動しました)



No.33 恨みや怒りや憎しみの鎮め方−−その2

(このエッセイは、ミニエッセイ[恨みと赦し]に移動しました)



No.32 恨みや怒りや憎しみの鎮め方−−その3

(このエッセイは、ミニエッセイ[恨みと赦し]に移動しました)



No.31 恨みや怒りや憎しみの鎮め方−−その4

(このエッセイは、ミニエッセイ[恨みと赦し]に移動しました)



No.30 あまりに深い心の傷に対して

母親がかわいい盛りの子供を突然に亡くした場合など、
遺された人があまりに深い心の傷を負ってしまったとき、
強力な支援が、緊急に必要となるケースがあります。

私が考えるに、そのような場合の強力な支援は二つあります。


ひとつの方法は、いわば外側からその人を支えるものです。
それは、精神科医、心療内科医、カウンセラーなどの専門家に
医学的、心理学的な対処を求めるという方法です。

医師は、医療技術の知識と経験を基に、精神安定剤などの
投薬などをして、心の安定を図ってくれることでしょう。
カウンセラーは、心理学に裏づけされた相談テクニックで
その人に寄り添って、温かく支えてくれることでしょう。


もうひとつの方法は、いわば内側からその人を支えるものです。
それは、死がすべての終わりではなく、新たな旅立ちであり、
死後の世界があり、先に逝った人たちにも、やがて必ず
再会できるという死生観を提示するというものです。

科学的なものではないのですが、場合によってはその「物語」が
一生その人を支え続ける精神的な支柱になることもあります。

古来から、宗教は多くの人の心の救いとなってきました。
ずばり、何かの宗教を信じてもらうことも構わないのですが、
昨今では、宗教とは距離をおいたポジションで死後の世界について
詳細に説明している良書が多く出版されるようになってきています。
実際、そのような書籍を読んで、心の安定と生きがいを
取り戻したという声を聞くことは非常に多くあります。


もちろん、どちらの対処をとったところで、
悲しみが消えてなくなるわけではありません。
しかし、前者は暗闇の絶望と不安を軽減する役割を果たし、
後者は暗闇の中の一筋の光になることがあるのです。




No.29 男性の悲しみ方

男は、常に勝たなくてはいけないように教育されている。
男にとって、泣くことは負けを認めることと感じる行為だ。

男は、つらくても感情を人前で出さないように教育されている。
特に、社会人にもなれば家庭を背負うことで、不条理に遭ったり、
ストレスに耐えることに慣られて、生きてきている。

このため、例えば、子供の死などに男親が直面した場合、
妻が身も世もなく泣き崩れていくのを見て、自分がここで
しっかりしなければと思ってしまう。泣いたら負けだと思う。
だから、涙を見せないようにする。気丈に振舞う。

自分が我慢して泣かなければ、妻もいまに泣かなくなると思う。
自分まで泣いたら、家庭が崩れてしまうと思う。
悲しみに打ち勝つことで、対処しようとするのだ。
妻のため、家族のために、悲しみを押し殺してしまう。
こうして悲しみ方が分からなくなる場合さえ珍しくない。

ところが、妻は、子を亡くしたのにどうしてそれほど泣きも
わめきもしないのか不思議で仕方なく、夫を理解できない。
一緒に共感して泣いて欲しいのに、それが叶わず、
悲しみを分かち合うことができないと思う。
次第に距離を感じ、不満を抱え、孤独感を深める。

こうして、子供を亡くした後、離婚してしまうケースがある。
残念なことだ。

どうか、お互いの悲しみ方の差違というものを
理解し合ってほしいと思う。
こんなときにこそ、支えあって、絆を深め合ってほしい。
二人とも、同じ心の傷と悲しみを抱えているのだから。

お互いを支え合う、仲の良いパパとママでいてほしい。




No.28 涙

人前で泣いたことはなかった。
自分のために泣いた涙は、一滴もなかった。

でも、その人のために泣いた涙は、川になると思うぐらい流した。

いまは、あれだけ涙を流したのだからもう十分と、思う。




No.27 涙の果てに

慟哭といわれるような、ひどい悲しみのとき、
きりがないように幾らでも涙が流れ続ける。

かつて、三昼夜ほど続けて泣いた事があった。
そのくらい続けて涙を流すと、涙が枯れることを知った。
涙が、本当に出てこなくなる。

涙が枯れたときに、不思議な心の静寂の世界があった。

単に、感情が麻痺したのか、すべてを吐き出し終えたのか。
とても穏やかで安らかな気持になったことを覚えている。
感覚が研ぎ澄まされ、ただ在ることを感じていた。

そのときに、聴いた音楽は本当に美しく感じた。

涙の果ての、時間もないような世界での出来事。




No.26 陽はまた昇る

愛する人が死んでも、陽はまた昇り、地球は周り続ける。
愛する人が死んでも、普段どおりTVは流れ続ける。
愛する人が死んでも、空は青く、鳥はさえずる。

そのときに、私の愛する人が死んだというのに。
そのときに、私の世界は足元から崩れ去ってしまったというのに。

たった一人のかけがえのない愛する人の命が失われたというのに。
私の魂は、闇に閉ざされてしまい、凍りついてしまったというのに。

あの人がいない、この世界なんてもう意味がないのに。
私の生きている意味はもうなくなってしまったのに。

なぜ、陽はまた昇り、地球は周り続けるのだろう?
なぜ、私は生き続けるのだろう?

*    *    *

望んでも、望まなくても、陽はまた昇る。
日は巡り、月日は流れる。

望んでも、望まなくても、ひとは時に流されていく。
涙も、流れて消えていく。




No.25 悲しみから逃れる方法について その1

(このエッセイは、ミニエッセイ[恨みと赦し]に移動しました)



No.24 悲しみから逃れる方法について その2

(このエッセイは、ミニエッセイ[恨みと赦し]に移動しました)



No.23 悲しみの解放 その1

感情は、形のないある種のエネルギーと考えると理解しやすい。

感情は、似た感情と結びつく。
悲しみの場合は、結びつくと、その一部が解放される。

たとえば、よく知られた例として、悲しいときに悲哀に満ちた
音楽を聴くと気が晴れることが知られている。

また、同じ境遇の人の文章を読むと、自分一人がこのような
想いをしているのではない、と励まされた気持になる。

同じ境遇で同じ悲しみを持つ友人と感情を分かち合えれば、
悲しみの解消に最も役立つだろう。

誰も自分の感情を理解してくれないと、孤立して悲しみを
心の中に溜め込んでしまうのは最もよくない。




No.22 悲しみの解放 その2

悲しみという感情は、悲しみを形にすることで解消していく。
感情というエネルギーは、形を得ることで消えていく。

感情を芸術に昇華させることは、理想的な方法に違いない。
特に、宙ぶらりんの思いは、言葉にすることで心が静まる。

たとえば、故人を偲ぶHPを創ると、胸の内を吐露できると
同時に同じ境遇の人と出会える可能性ができる。こんな体験を
したのは自分独りではないということが実感できると思う。

たとえば、故人の生涯記をまとめると、制作過程ではかえって
悲しみが増すが、故人を忘れまいという無意識の葛藤を避けられ、
完成後は、いつでも会えるという安心感を抱くことができる。

たとえば、故人の作品を本やCDや写真集にまとめると、
故人の遺志を果たせたという達成感を得ることができる。
その人が創り出した世界をこの世に体現させることができる。

たとえば、悲しみを詠うことは、感情を声に出すことで
強いカタルシスを得ることができると思う。胸の中に溢れた
行き処のない言葉達を解放してやることができる。




No.21 自分を弱らせないために

愛する人の死が悲しくて泣くこと自体は、自分を弱くはしない。
泣くことは罪ではない。

しかし、自分が可哀想と思って泣くことは、自分を弱くしてしまう。

したこと、しなかったことを後悔すること自体は、自分を弱くはしない。
後悔は自省につながる。

しかし、自分に罪悪感を持つことは、自分を弱くしてしまう。




No.20 悲しみの色

同じ悲しみにもさまざまな色がある。

絶望の気持ちのときは、ただ黒く塗りつぶされている。
思慕の気持ちのときは、暖色で、色が濃い。
孤独の気持ちのときは、寒色で、色が薄い。
不安の気持ちのときは、薄黒く、原色の色が細く混じっている。
閉塞の気持ちのときは、さまざまな色が入り混じって濁っている。

そして、弔いの気持ちのときは、透明で、蒼い。




No.19 時間の流れの後に

指折り数えてみれば、もう20年という歳月が流れ去った。
15歳のときから、もう20年。

未来を閉ざされた絶望の暗闇と、凍えるような冷たい悲しみの中で、
ただ死を希い(こいねがい)ながら茫然自失としていたのは、
もう、遠い過去のこと。

ただし、愛する人がこの世にいないという事実を忘れた訳ではないし、
立ち直ったといっても、昔のままの自分に戻ったという訳でもない。
心にも体にも、傷痕は残っている。

身動きもできないような絶望の重さ、
生命力を根こそぎにされるような悲しみのあまりの冷たさ。
この世ではないどこかに逃げ出したいほどの、心の痛み。
一日をやり過ごすことさえ、つらく、大儀だった。
川になるほどの、涙を、流し続けた。

日々、背負ったものの重みに耐えながらも、それが日常生活となり、
いつの間にやら、すべては、遥か後ろに流れていった。
そして、通り過ぎたすべては、私の魂に刻まれていった。

この体験はその過酷さゆえ、多くのものを私から奪い、
同時に、多くのものを私にもたらした。

もう、20年。振り返れば、なんと時の流れは早いものか。

いまは生きていてよかったとつくづく思うし、
少しでも長生きしたいと願っている。




No.18 動機

自分が死別の悲しみに沈む人のためにせっせと活動しているのは、
実は、ちょっとした動機がある。

もちろん、人々の悲しみや苦しみが、ほんの少しでも癒される
ことに対する喜び、自分が人様の役に立てる満足、というのは、
人生の甘い果実のごとく、この上ないものだ。

が、私がこころ密かに期待していることは、この行為によって、
あの世で過ごす私の大切な人が、喜んだり、感謝されたり、
祝福されたりして、幸せになれるんじゃないかいうこと。




No.17 傷を深くしない為に 1

愛する人との死別は、人生で最も過酷な体験といえる。
心が凍りつくような悲しみの中、先が見えない暗闇を必死に、
前に前にと歩き続けなければいけない。

そんなとき、女性は、その淋しさと不安に耐え切れず、
ただ温もりや安らぎを求め、自分を抱きとめてくれる
男性を求めてしまうことがある。

ほんの少しのぬくもりをもらえるだけで、嬉しいのだ。
心の傷の痛みを麻痺させる愛情が欲しいのだ。

こうして、愛する人を亡くした後すぐに、不倫や再婚に
走ってしまう女性が多いような気がする。

一般的に、非日常的な精神状態で結ばれた関係はすぐに破綻
するといわれる。傷ついて、孤独で、不安で、凍えそうな心
というのは、とても日常的な精神状態とは言えない。

遺された人の感情は、上がったり、下がったり非常に不安定で、
前に、前にとそればかりを考えて視野が狭くなりがちだ。
失ったはずのものが取り戻せるという思いが反動として
一気に弾けてしまうことがある。

もちろん、幸せになれれば良いのだが、このように死別の直後に
恋愛に陥ったケースでは、私の知るかぎりでは、成功例が少ない。
新たな恋愛の破局を向かえ、さらに傷を深くしてしまう。

喪に服する期間というものは、このような過ちが起きないよう
にするために重要な役割を持っているのではないかと思う。

個人的な意見を言えば、愛する人と死別した後、
一年間は恋愛から距離をおくべきだと思う。
同情を愛情と勘違いしてしまいやすい。

嵐の中にいるときには、人生の重大な決定をしないことが賢明。




No.16 傷を深くしない為に 2

人が不幸に見舞われるとき、周りの人はその人の苦境をなんとか
してあげたいと思い、その人を宗教に勧誘することがある。

あるいは、自ら、神仏に救いを求めて入信することもある。
自分の心の支えが必要だったからかも知れないし、
手の届かないところに行ってしまった愛する人が、いま、
幸せであるように願いたいという想いからかも知れない。

いずれにしろ、死別をきっかけとして宗教に入る人は多い。
なにしろ、死者が、過去の人間として扱われない場所が、
唯一、宗教の場だけなのだ。

もちろん、宗教はそのような人のために開かれたものであり、
極端に言えば、死んだ人を弔い、死後の人々とつながるために
宗教が形成されてきたものといっても過言ではないと思う。

この世の不条理である死別の悲しみに嘆き苦しむ人々を
救うために、宗教は人々を導く役割を担っているはずだ。

ただし、悪質な宗教、いわゆるカルト系の宗教にだけは
どうか十分に注意をしてほしい。

彼らは心に隙のある人を探している。




No.15 涙を流す意味

涙を流すことで、少しずつ心の傷が癒されていき、心が護られる。

もし、適切な時期に十分に涙を流さなかったのなら、
心の中にしこりがのこってしまうと思う。

悲しみに向き合わず、悲しみを心のすみに追いやって
しまうのはよくない。心の傷がきちんと治らない。

悲しみを持った人には、十分に泣かせてあげられる環境を
つくってあげることが大切(それが喪の本来の意味だと思う)。

悲しみに対しては、泣くのが自然のあり方。
それしか、できないけど。




No.14 人が天寿を全うするならば

もし、人が天寿を全うするならば、祖父母、両親、
おじとおばの全員を見送らなければいけない。

可愛がってくれた祖父母、慈しみ育ててくれた両親。
世話を焼いてくれたおじとおば−−−。

上の世代の人達は皆、先に逝ってしまう。

そして、人生の後半にもさしかかると、同世代である
伴侶、兄弟や友人達が欠け始める。
同世代の人達の半分は、先に逝ってしまうことになる。

人生は無常なり。




No.13 人生の晩秋に

人は年齢を重ねると感受性がにぶくなり、惚けてくる。
現実の認識があいまいになり、思考力が低下してくる。

それは、時には死への恐怖を和らげてくれる。
それは、時には愛する人との死別の悲しみを軽減してくれる。

自然の摂理によるものなら、人はゆっくりと死に向かう。




No.12 突然の死

急病、自殺、事故、災害などで、突然に愛する人の死に直面した場合、
呆然として、涙が出ないこともあります。

死という事実が急には受け入れられないのです。

特に、若い人の場合、死というものの事実がなかなか実感できません。
そんなものは、いままでの人生にはなかったものなのです。
死というものは、TVや映画のドラマの中のものだったのです。

私のときも、悲しむというよりは、いきなりに混沌の世界に
放り込まれたようで、ただ混乱するばかりでした。
心にはガラスの破片まみれになったような痛みがありましたが、
当初、涙はそれほど流れませんでした。
(周囲から、私は冷たい人間と思われたようです)

突然の死の場合は、悲しみは遅れてやってきます。
私の悲しみがもっとも深かったのは、半年程経った頃でした。
(周囲から、もう気持ちの整理が付いたろうと思われる頃でした)




No.11 一周忌

愛する人を亡くした者にとって、一周忌は特別な意味を持ちます。
その日付は、心に深く焼き付けられた数字です。

重い荷物を背負って歩く者が無意識に道標を探すように、
その日付を目印にして、歯をくいしばって歩くのです。

そのため、一周忌の弔いを終えてしまうと、糸の切れた
凧のように人生の目標を見失ってしまう場合があります。

どうか、周りにいる皆さん、一周忌とその後の数週間を
しっかりと支えてあげてください。

ここまで歩いてきたのだけど、やはり、まだ歩き続けなければ
ならないと思い、悲しみが深くなる人がいるのです。

何か、故人の意志を継がせるようなことがないか考えて、
それをその人と共に始めることなどがいいと思います。
もちろん、ただの旅行でも。一緒にいてあげてください。




No.10 自分と他人、過去と未来

それは、重い荷物を背負って歩くようなもの。
正しい背負い方をしないと、心に余計な負担がかかってしまう。


たとえば、悲しみを心の片隅に押し殺して、常に明るく振舞うことは、
まるで、重いのに、重くないと自分を誤魔化すことだと思う。

   張りつめたものが切れて、いまにガクンと疲れてしまうから、
   あまり未来を見すぎないで。あまり他人を見すぎないで。
   自分の心の奥をのぞいてみて。本当の自分の気持ちを見て。

たとえば、自分は、なんて可哀想なんだろうと考え続けることは、
まるで、実際の重さより重く感じて、立ち尽くすことに似ている。

   歩いて行かないと、いまに心が寒さに弱っていってしまうから、
   あまり過去を見すぎないで。あまり自分を見すぎないで。
   人の心の暖かさ、自然の美しさなどを見つけて。周囲を見て。


適度に、自分を見て、周囲を見て。未来を見て、過去を見て。
心に負担を掛けすぎないように、なにごともバランスよく、ね。




No.9 生と死

死とは一体何?

なぜ、すべての人にこんな無慈悲な運命が待っているのか?

死について考えることは、結局、生について考えることになる。
生がなければ、死がないからだ。それは光と影。

生とは何?人生とは何?
そんなごく当たり前のことが、誰にも分からない。

宗教が答えを与えようとするが、世の中に宗教は
ごまんとあってそれぞれに答えが異なる。

人によって答えが異なるというのが、答えなのか。
人は、信じたい答えを選ぶことしかできないのか。

もしかしたら、人の生き方によって、
生と死の意味自体が変わるのだろうか?

いや、まてよ、それは当たり前のことか。




No.8 死別と悲しみ

人によっては、死は、悲しみでなく、歓びだという。

このような不条理な牢獄から、天の輝く世界へとようやく 帰っていったという。

あるいは、天に召されて、神や天使と共に過ごしているという。

そして、死後の世界でやがて再会できる日が待っているという。
永遠に、魂の伴侶は別れることはないのだと。


人によっては、生は、歓びではなく、悲しみだという。

苦痛に満ちた耐えがたい体験だという。
特に、愛する人を亡くした人達は、
当初はそのようにしか人生を考えられない。


死別は、生と死の価値観を180度ひっくり返すことを求められる。
死を意味のあるものに、無意味になった生を意味のあるものに。

生も死も、その意味を見出すのは、自分の考え方次第だ。




No.7 立ち直るための「物語」

人が死別の絶望から立ち直るためには、「物語」が必要だという。

「物語」とは、例えば子供から、死んだお父さんはどこにいるの?と
聞かれたときに、母親が、夜空に輝くお星様になったのよ、
いつも私達を見守っていてくれるのよ、などと聞かせるお話のことだ。

もし、人が死んで、灰になって、それですべてお終いでは、救われない。
そんなはずはない。それでは悲し過ぎる。
この人生にはもっと意味があるはずだ。

「物語」はそのような、人々の願いが込められたものだ。
「100の言葉」も多くの物語を含んでいる。

一般に「物語」は非科学的な側面をもっていると同時に、
感情を揺さぶり、魂の底に響くようなインパクトも持っている。




No.6 「物語」不在の時代

古今東西を問わず「物語」の多くは宗教から提供されている。
魂の存在、天国や死後の世界の存在、生まれ変わり・・・。
宗教が人々の心の拠りどころとして、人生の指針を与えてきた。

しかし、今の日本では宗教的なものが拒絶される傾向が強い。

結果、人々は心の拠りどころを失い、「物語」に触れることも
少なくなり、現実的な目に見える価値観ばかりに埋没していく。

科学的な判断に拠れば、死後の世界が存在するはずもない。
死とは、心臓の停止、脳波の消失などの一連の身体機能の停止だ。
それらの停止は、すなわち人格の消失とされる。

それでは、あまりに悲し過ぎる。
人は納得できない。
心のやり場がない。

魂の拠りどころがないというのは不幸なことだと思う。

このHPでは、宗教には敬して近寄らずの姿勢で、
「物語」や立ち直るための情報を提供できればと思う。




No.5 感想文1

「100の言葉」の感想文の中には、公開しても良いと書いて
あっても公開することをためらうものが、時折届く。

立ち直る気がない、あるいは死にたいと書いてあるもの。
言葉には力がある。自暴自棄な言葉を載せる訳にはいかない。
長い人生の流れの中で、人は嫌でも変化していく。
言葉に人生を縛られて生きていってほしくはない。

あとは、自殺を誘発する可能性があるもの。その感想を読むと、
死ねばそんなにも悲しんでくれ、思い続けてもらえるものだと、
読んだ人に思わせてしまうもの。

そういう感想が届いたときは、私の胸の内に収めてしまう。
ごめんね。




No.4 感想文2

時折、「悲劇のヒロイン」的なメールをもらうこともある
自分の悲しみこそ本物で、自分の絶望こそ真の絶望だと言う。

実は、私もかつて自分のことをそう思っていた・・・。
人生の中で、こんなにも悲しみ、涙を流した人間は、
ほかにいないのではないか、と。

過去の自分を見ているみたいで、胸がきゅうとする。




No.3 特別な運命ではなく

すべての絆には遅かれ、早かれ死別が訪れる。
そして、どちらかが遺される。

死別によって分かたれない絆はこの世の中に存在しない。




No.2 悲しみと孤独

同情する人達は、大方、無理解からくる無神経な慰めをする。
同情しない人達は、他人の不幸に昂揚し、乱暴な慰めをする。

傷をえぐられる思いを重ねる内に、見えない壁の存在や、
人の絆の脆さを感じ、さらに孤立し、絶望を深める。

その人の気持ちを理解できるであろう人は、
同じ心の片割れを持つ、当の死んでしまった人だけだ。
−−−いまや、魂が求めてやまない特別な相手だ。

その人なら、理解してくれるはず。

しかし、もうその人とは話すこともできない。見ることもできない。

こうして、悲しみと孤独はお互いを引き寄せる。




No.1 伝えられないものを

死別の悲しみが、心に与える冷たさをどう表現したらよいのだろう?
死別の苦しみが、心に与えるつらさをどう表現したらよいのだろう?
その絶望の深さをどう表現したらよいのだろう?

極限の苦しみ、極限の悲しみ、果てしのない絶望−−−−これらは、
言葉で表現することができない。他人に説明することができない。
愛する人を失った人達は、周りの人にその気持ちを伝えることができない。
なぜなら、言葉で説明できる範囲を越えているから。
それは、体験でしか理解してもらえないものだから。

どこにも行き場のない、感情。言葉にできない、想い。
ときに、人はそれを自分の命を絶つことで理解してもらおうとさえ、する。

私は、それらをほんの少しでも、言葉で捉えることができたならと願う。
愛する人を亡くした人は、皆、同じような
悲しみ、苦しみ、絶望を背負っていることを伝えたい。

あなたひとりだけではないと。






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