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自殺をしない15の理由

All Written by Kei Nakahara

自殺は、反社会的な行為だから
自殺は、自分を対象にした殺人です。

自分の命だから、生きようが死のうが自由だ、と言う人もいます。
しかし、あなたの親に対しては、あなたはその親の子どもを殺すことになるし、あなたの子どもに対しては、その子の親を殺すことになるのです。

それは、愛する人が殺されてしまうという点で、犯罪的な行為であり、間違いなく人の道を外れた反社会的な行為に違いありません。

消えて無くなれないから
この世から消えてしまいたい・・・。
自殺をしたい訳ではない、ただもう生きているのがイヤで、消えて無くなりたい。そう、あなたは思っているのかも知れません。

しかし、あなたの人生は多くの人とつながって存在しているはずです。
あなたが死んだら、確かにあなたの命は消えてなくなるのかも知れません。しかし、自殺が周囲の人に与える精神的なダメージの強さは、それらの人の心を瀕死の重傷にしてしまうほどのものです。
消えてなくなるどころか、あなたの死は、突然に降ってくる爆弾のようなものです。その爆風は多くの人を傷つけることでしょう。

あなたを愛していた人は、一生、心の傷を抱えて生きていかなければなりません。

あなたを忘れることなんてできません。長い間、苦しんで、悲しみ抜いて、はじめて乗り越えることができるのです。いいえ、その後悔と絶望と悲しみを乗り越えられない人もいるでしょう。いまのあなたのように、ただ死を見つめる日々が訪れるのかも知れません。

命はそんなに軽く取り扱えるものではありません。あなたの命はあなた一人のものではありません。
消えて無くなる、なんてことはできないのです。

最も傷つく相手は、最もあなたを愛している人だから
だれかにあてつけに自殺しようと考えているあなた。

あなたが自殺すれば、あなたを愛している人ほど深く傷つくのです。
その人が、あなたのことを大切に思っていれば、いるほど、悲しみ、苦しむのです。
傷付く人は、あなたを軽んじて軽蔑するイヤな奴ではなく、あなたのことを心から純粋に愛している人なのです。

あなたを軽んじている人、あなたを軽蔑している人は、ちょっと驚くかも知れませんし、嫌な出来事が起こったと感じて顔をしかめるかも知れませんが、ただそれだけでしょう。

もし、愛する人を相手にあてつけの自殺をするなら、それはとてつもなく深い傷を相手に残すでしょう。あなたに持っている愛情の深さの分、相手は傷つくのです。

自殺は、あなたの愛する人だけにダメージを与えます。最も傷つく相手は、最もあなたを愛している人なのです。

あなたが人を裏切って騙す最期になるから
あなたは、人に騙されたのかも知れないし、裏切られたのかも知れない。
愛情や信頼を踏みにじられて、あなたは深く傷ついたことでしょう。
きっと、もう、何も信じられなくなり、こんな世の中に絶望したことでしょう。

しかし、あなたが自殺するという行為こそ、あなたの家族、恋人、友人を、あざむいて騙し、手ひどく裏切る行為ではないでしょうか?

あなたは周りの人に気がつかれないようにこっそりと死に場所を探すつもりですか?密かに死ぬ道具を手に入れるつもりですか?何気ない様子を見せておきながら、一方的にさようならを言うつもりですか?

それはあなたを愛してくれている人に対する、実に非情な裏切り行為ではないでしょうか?

あなたが騙されたり、裏切られたからといって、あなたも同じことをする理由はありません。
どうか、落ち着いてしっかりと考えてください。

希死願望がうつ病のせいかも知れないから
うつ病の場合、死にたくなるというのは、病気の症状です。
病気が治れば、死にたいという考えもなくなり、調子が良くなります。

風邪の場合、咳や熱が出たりするのは、病気の症状です。
病気が治れば、咳が止まり、平熱に戻り、調子が良くなります。

うつ病は、死にたくなってしまう病気なのです。それは、咳や熱と
同じように、元に戻せるし、そのための薬もあるし医者もいるのです。

病気のなすがままになってしまってはいけません。死にたいという自暴自棄な考えは、本来のあなたの考えではないかも知れないのです。あなた自身と健康を取り戻してください。

どうせ人はいずれ死ぬのだから
何も焦って自分から死ななくても、いずれ人は必ず死んでしまいます。
そう、人はせいぜい生きても100年そこそこです。短いものです。
何のためにわざわざ、いますぐに痛い思いをしなければいけないのでしょう?
放っておいても、その時がくれば、嫌でも死ぬのです。

プライドを守るために、今死ぬのですか?
いいえ、本当のプライドは死ぬことでは守れません。
どこか間違えているはずですよ。よく考えて見てください。

人は変わるから
あなたの年齢はいくつですか?
あなたは10年前は自殺についてどう考えていましたか?
同じ?
では、20年前は?30年前は?40年前は・・・?
自殺なんて微塵も考えていなかった頃を思い出してください。

人は、長い人生の中で、いろいろと考えが変わるものです。

いろいろな出来事が今までの人生にあったでしょう?
当時はよしとしていても、いまから考えれば、あれは大失敗だったということもあったでしょう?

これからあなたがしたいと考えていることは、その最たるものに
なるのかも知れません。

あとで振り返れば、ああ、あのとき自殺を考えるほど思い詰めて
いたんだよなぁ。死ななくて良かった、と安堵の息をつく自分が
未来にはいるかも知れないのです。


自殺は目的ではなく、手段だから
自殺そのものは、ただの手段であって、最終的な目的ではありません。
たとえば、最終的な目的というものは、借金の苦しみから逃れるため、誰かに当てつけるため、病苦から逃れるため、失敗続きの人生から逃れるため、といずれも、自殺というものは手段でしかないのです。

ここで考えてほしいのは、その結果を手にするための手段は、必ずしも自殺でなくてもよいということです。

ほかの方法が必ずあるということです。
まず、あなたが本当にほしいものが何かを見定めてください。あなたの本当の目的を見つけてください。

きちんと目的と向き合うことで、新しい人生がはじまるかも知れませんよ。自殺まで考えるあなたが手にしたい目的とは何ですか?

あなたの本当の願望は何ですか?

後追い自殺をすると、先に逝った人達に会えないかも知れないから
人は強い感情を抱いたまま死ぬと、その残存した想念が妨げとなり、成仏できないという話があります。
いわゆる、幽霊や怨念と呼ばれる存在です。

霊感の強い人にはそういった存在が日常的にあちこちで視認できるというのもよく聞く話です。 武士(もののふ)の姿の幽霊もいるということですから、死後、何百年も彷徨い(さまよい)続け、どろどろとした想念を持ち続けるということになってしまうのかも知れません。

もし、先に逝った人が天国にいるのなら、あなたが後追い自殺すると同じところに行けないかも知れません。

世の中で最も残酷な行為だから
あなたは、死んでこの苦しみから逃れられるのかも知れません。
すべては覚悟の上で、思い通りに計画的に死ぬつもりかも知れません。

でも、遺族は心の準備のないまま突然に、変わり果てたあなたの亡骸と対面させられます。
その精神的なショックは、計り知れないものです。

世の中に、これ以上残酷な出来事はないのではないでしょうか。

仲間がこの世にはいるから
あなたの苦しみと同じ苦しみを持っている人は、この世には必ずいます。
ただし、あの世にいる保証は全くありません。

苦しみを分かち合えるとき、人は心の荷を降ろせるでしょう。
ちょっと勇気を出してインターネットで仲間を探してみませんか?

たとえば、かりにあなたが精神科の病院の入院歴を心の負い目としている(もちろんそんな必要は全くありませんが)とするなら、同じ精神科に入院したことのある人に対してならば、負い目を感じないでしょう。

人はいろいろなことで負い目を感じます。
病気、借金、リストラ、容姿、障がい、ひきこもり、アルコール中毒、薬物依存、肥満、体臭、独身・・・
人間ならば、悩みがない人はいません。

仲間はこの世にいます。あの世にはいません。

本当に大切なものを忘れているから
借金でお金がないから死んで生命保険金を得ようとするあなた。
お金を出すだけの父親なら、若い娘と援助交際をしている「パパ」となんら変わりはないですよ。
相手の心を見ず、お金を出すことだけしか考えていない父親なら。
最も大切なものはお金ではなく、家族の絆ではないですか?

リストラで家族を養えないから死のうとするあなた。
人が病に伏し、余命が長くないと知るとき、こんなことを言う人が多いそうです。
「もっと家族と過ごしたかった」と。誰も「もっと会社で働きたかった」という人はいないそうです。
あなたがこれまで一生懸命働いてきたのは、大切な家族のためではなかったのですか?
それともあなたのプライドですか?あなたの世間体ですか?

あなたの大切な家族を悲しませ、自らその絆を断ち切るなんて馬鹿げていませんか?
お金を遺すことがあなたの誠意ですか?お金が第一なのですか?

あなたにとって、本当に大切なものは何ですか?

世の中は醜い分だけ美しいから
あなたにふさわしい世界は、この世界ではなかったのかも知れません。 何かの間違いで、こんな世の中に堕ちてしまったのかも知れません。 あなたが住みたい世界は、悲しい出来事が起こったり、自分勝手な人間がいる薄汚れた醜い世界ではなく、もっと美しく気高く、愛と優しさに満ちた世界なのでしょう。

でも、この世の中は、醜いものがある分、同じだけ美しいものがあるのです。
それは、いわば、コインの表と裏であり不可分なものです。
醜いものがあるから、美しいものがあるのです。
光があるから、影があるのです。

醜いものばかりを見てきたのなら、美しいものを探してみませんか。
醜いものと美しいものの違いが分かるあなたになら、きっと見つかります。

二度と仲直りすることのできない訣別だから
死にたいと考えている人が実際に自殺するのは、多くの場合、信頼している人と感情的ないさかいを起こしたときです。 直接的なきっかけは、叱られたとか、口ゲンカしたとかというケースが多いものです。

どんなに信頼している人との間でも、口ゲンカのひとつやふたつするのです。相手を叱るというのは、相手のことを本当に考えている人間しかしないものです。

でも、そのときに、自殺願望を抱えた人達は自殺という最終手段を選んでしまうのです。
自分が理解されていないと悲しくなって、もう死にたいと死んでしまうのです。

それは、二度と仲直りのすることのできない、訣別になってしまいます。
残された人は、すさまじいショックを受けます。
自殺での別れというものは、残された者にとっては、最悪の別れです。

それは、絶交であり、訣別であり、裏切りであり、最も強烈な拒否です。あらゆる拒否の中でも取り返しのつかない最大の拒否です。

残された者は、ひどく傷つき、見捨てられたと思い込みます。
あなたは、その日、叱られて傷ついて、死にたくなっただけだったのかも知れません。そんな気持は一週間もすれば、元に戻ります。

しかし、残された人は一生十字架を背負って生きていかなければならなくなります。

愛されなくても、愛することができるから
あなたは孤独で誰からも愛されていないと感じているのかも知れません。
淋しさで凍えてしまいそうなのかも知れません。

でも、愛されなくても、あなたは愛することができます。
−−−誰でも。

愛されることが、果実を手渡されることだとしたら、愛することは、自ら種を蒔いて水をやるようなことです。世話と忍耐は必要ですが、いまに必ず芽が出ることでしょう。

芽はやがて葉を広げ、茎を伸ばし、ついには立派な果実に実ることでしょう。
そのとき、あなたが誰かに果実を手渡すことができるようになります。

そのとき、与えることの喜びは、与えられることの喜びよりも深い満足をもたらしてくれることであることに、あなたは気づくでしょう。 人を愛することは素晴らしい体験です。
愛することを始めれば、あなたの心には安らぎが戻ってくるはずです。







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世の中から、自殺で遺されて悲しむ人がいなくなりますように



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