フィリップ・K・ディック『ザップ・ガン』(創元SF文庫)訳者あとがき


   訳者あとがき


大森 望  



 お待たせしました。創元推理文庫のフィリップ・K・ディック第二弾、その名も『ザップ・ガン』! オリジナルは、一九六三年に発表された、ディック 番めのSF長編で、この本はそのぴっかぴかの新訳というわけなんだな。
 あっと驚く設定、奔るアイデア、めくるめくガジェット、息もつかせぬストーリー・テリング、波瀾万丈の展開、これぞサイエンス・フィクション! てなもんだが、それにしてもディックさん、この作品について、ろくなことをいっていない。「前半分はなにが書いてあるかさっぱりわからん」だって? 死んだ人の悪口はいいたくないが、翻訳する人の身にもなれっつうの。できの悪い子ほどかわいいということわざを、アメリカ人は知らないのかね。親がこんなだから子どもがぐれちゃうんだよ。
 とはいえ、わたしには昔から、作者が嫌っている作品を好むという悪いくせがある。作者がインタビューに答えて、「どこか致命的におかしいところがある」と語っているベスターの『コンピュータ・コネクション』が大好きで、こっちのほうが『虎よ、虎よ!』よりおもしろいと放言して伊藤典夫先生の顰蹙をかったこともある。ヴォネガットでも、本人がA、B、C、Dの四段階評価でCしかつけていない『チャンピオンたちの朝食』がいちばんのお気に入りで卒論まで書いている。オールタイム・ベストの三位以内にはかならず入れることにしている『エンパイア・スター』だって、ディレイニーが自分で高く評価しているとは思えない。
 つまり、作者ごときになにをいわれたって動じるわたしではないのだ。だっておもしろいんだもん。だから、わたしにかかれば、この『ザップ・ガン』も爆笑の大傑作!読まずに死ねるか、ばかやろう!なのである。これほどの作品を未訳のまま二十年以上もほったらかしにしてあった日本のSF状況の貧しさを非難したりもしちゃうのだ。訳者のいうことなんか信用できないという疑り深い人がいるかもしれないが、ブルージェイ版の解説を書いているマクシム・ジャクボフスキーだって高く評価しているぞ(これをあたりまえだといってはいけない。グレッグプレス版『宇宙の操り人形』の序文を書いたウォルハイムは口をきわめてその本をののしっているんだから)。
 もっともディックがこの小説を気に入っていない理由はよおくわかる。なんたってこの作品、どこから見てもSFとしかいいようがないし、ほんとは主流文学を書きたかったのに、いくら書いてもだあれも買ってくれないから、泣く泣くSF書いてたディックにとっては、おれの本領はこんなもんじゃない、てな気持ちがあったんでしょう。見せかけの現実というディック的テーマはもちろん明確に出ているし、読者をぐいぐいひっぱっていくテクニックも抜群、ではあるにしても、たしかにチープな印象は否めない。あらすじだけしゃべっても、かたぎの人や偉い文芸評論家の人は鼻もひっかけてくんないでしょうね。
 プロット・ラインは完全に三流パルプ小説、ストーリーはいきあたりばったり、伏線のつもりで書いていた話がどっかに消えちゃったり、忘れていた登場人物のことを突然思い出して一章追加したり、まあ、数あるディック作品のなかでもこんだけしっちゃかめっちゃかなのは珍しい、それはそうなんだけど、しかしまた、そこがおもしろいとこでもある。じつはわたし、そういうディックこそが好きなのだ。主流文学なんか読みかけてはいつも途中でぶん投げちゃうし、『高い城の男』とか『ティモシー・アーチャーの転生』とかって好きじゃないもん。なんてったってディックはSF作家なのだ。たんなるSF作家ではなく、SFの構造を借りてシュールリアリスティックなビジョンを描きつつうんぬんかんぬんとか、SFというジャンルの掟にしたがおうとしないなどなどというごたくは聞きたくない。
 むかし、フィリップ・K・ディックというすんげえSF作家がいて、すんげえおもしろいSFをいっぱい書いたんだぜ、うそだと思うならこいつを読んでみなよ――というのが正解なのだ。だってさあ、兵器ファッション・デザイナーなんて考えつけるバカな作家がほかにいますかっての。それこそ、ぼくが愛してやまないディック――バカなアイデアをこれでもかこれでもかって小説の中にぶちこんで、そいつを武器に現実を日夜戦いつづける生涯一SF作家のディックなのだ。『ユービック』とかだって、おもしろいのはさ、現実の崩壊をとめる薬がスプレーになってカンカンにはいってるって、そういうセンスじゃない? 図式化しちゃうことで失われてく部分のほうがだいじなんじゃないか、と生涯一SFファンであるわたしは思います。

 とはいえ、慣れない人にはとっつきの悪い話ではあるので、ここらで本書の設定をちきんと説明しておく親切さも、営業的には必要かもしれない。だいたいディックって人は、サイバーパンクに多大なる影響を与えただけあって、世界の説明ってのをほとんどしないし、やたらに造語が多いからね。で、これから若干くわしく、この本の設定を説明します。本文を読む前によけいな予備知識を与えられたくないかたは、つぎの一行あきまで飛ばしてください。

 時は二〇〇五年の近未来。原書発表から 年を経たいまではすっかりパラレル・ワールドのできごとになっちゃったけど、この世界では、第二次大戦での核兵器使用をターニング・ポイントに、際限のない軍拡競争に終止符を打つべく、東西両陣営のあいだで〈プラウシェア条約〉というのがひそかに結ばれた。大量殺戮兵器ではなく、殺傷能力の限定された兵器の開発にしのぎを削ろう、ということになったわけ。その花形が、兵器ファッション・デザイナーと呼ばれる人々(のっけからぶっとびです)。本書のラーズ・パウダードライは、西側陣営の兵器ファッション・デザイナー。トランスと呼ばれる状態になり、超次元空間に意識を遊離させ、そこから新型兵器のスケッチをとってくる、そういう特殊能力があって、兵器霊媒などと呼ばれている。で、そのスケッチをもとに、デザイン・エンジニアリング会社がプロト・タイプを建造する。ところが、この兵器、じっさいに使用されることはない。東西両陣営のなれあいでありまして、デモンストレーション場面は撮影されて全世界のお茶の間に流されるんだけど、殺傷能力はゼロ。そのかわり、安全無害な新製品へと、その技術だけが転用されるということになっている。その転用を、プラウシェアと呼んでいるわけです。 プラウシェアというのは鋤って意味で、聖書の中に、剣をたたいて鋤に変えよといったようなフレーズがあって、そこから転じて、軍事技術を他の目的に転用することを意味する動詞としてもちいられることもあるらしい。NASAの技術が産んだゲイラ・カイト!とか、そのたぐいね(悩んだ末に、意味のほうをとって、「改鋳」というあんまりおさまりのよくない訳語をあてました)。で、そのプラウシェアに携わるのが、民間からコンピュータによって選出された、コンコモディティーなる六人の人々。これはたぶん、コンシューマーズ・コモディティの略だと思われます。直訳すれば消費日用品、意訳すれば消費者モニターですね、早い話。つまり、西側の消費者代表として、もっとも典型的な消費者として、この部品は冷蔵庫にすれば?とか勝手なことをいうと、それがすばらしい先進技術で新製品となる、こういうしだいで、大多数の一般大衆=パーサップスは、こうした兵器によって自分たちの安全が守られていると信じて平和に暮らし、内実を知るのは、「コグ」と呼ばれる一部エリートだけ。ディック作品を彩る現実の二重性が、単純な形ではあるものの、この作品の舞台設定となっています。地下壕の連中は地上で戦争がつづいてると思ってるのに、じつはそんなのとっくのむかしに終わっていた、っていう『最後から二番目の真実』と似た設定なのね。
 この安定した世界に、いきなり殴りこんできたのがエイリアンの衛星。まやかしの兵器デザインばかりを生産することに不満を抱いていたわれらが主人公、ラーズ・パウダードライは、今度は、エイリアンを撃退する究極の兵器「ザップ・ガン」のスケッチを手に入れることを要求される……。

 あとは読んでのお楽しみ。それにしても、こうした設定と発端からはおよそ想像もつかない展開で物語は進んでいくんですねえ。ディック自身もおそらくこういう展開は予想していなかったことは、とってつけたような最後の一章や、いつのまにか消えてしまうキャラクターに如実にあらわれております。

 フィリップ・K・ディック・ソサイエティが出しているP・K・Dニューズレターに掲載された、スコット・メレディスからディックに当てた手紙によれば、もともとこの小説は、「ザップ・ガン」なるタイトルで、昔日のコミック・ブック風の冒険SFを書いてほしいという依頼が先にあり、それにあわせて執筆されたもの。エージェントからの要請でディック自身が書いたシノプシスというのも、同紙に掲載されているんだけど、なんとまあ、こいつはコミックブック・アーティストかなんかが主人公で、じっさいに執筆された『ザップ・ガン』とおなじなのはタイトルだけという代物。ディックという人は、とにかくいくらでもアイディアが湧いてくる人だったんすねえ。

  ページで、〈オーヴィルくん〉が引用するドイツ語のフレーズは、オペラとプロレスにくわしいご近所の十人寺倉正太郎氏にご教示いただいたところによると、ワーグナーの楽劇「ジークフリート」の有名な一節で「おれには兄弟もない、姉妹もない、母も父もない……」うんぬんという箇所なのだとか。もっとも、ディックの書いた原文はワーグナーの書いた部分とは微妙に違ってて、作者の思い違いなのかどうか、一致しないので、あえてそのままカタカナで表記しておきました。

 はじめてディックを訳してみて思ったのは、いろんな作品にやたら共通するものがあること。したがって、訳語の選定にあたっては、諸先輩方、とくに浅倉久志氏のご訳業をおおいに参考とさせていただきました。よく知られているのは、集合住宅という訳語を初出にあてた「コナプト」、これはコンドミニアム・アパートメントの略で、ディック作品には頻出するターム。それからホメオペイプというやつ、これは、『ユービック』の中では電送新聞という訳語が当てられてます。ただ、本書の場合、どこを読んでも電送式だってことは読者にはわからないので、あえて最初だけ恒常新聞という訳にしました。だってアメリカ人に聞いても、イメージわかないっていうんだもん。高校の生物の授業で習った覚えのある「ホメオスタシス」なんて単語も聞いたことないってんだから。あと通貨単位の「ポスクレッド」ってのもあります。それから、クエスタ・レイの葉巻(ほんとはケスタ・レイみたい)とか、郵便袋形のポーチとか、あるわあるわ、小道具のたぐいはけっこう共通するんですわ。だれかコンコーダンスをつくってくれないかしら。いちばん驚いたのは、 ページに出てくるジーン・ハーローのセリフ。参考に、と読んだ『去年を待ちながら』になんとそっくりおなじフレーズが出てくるではありませんか。さすがはペーパーバック・ライター、やることがちがう。
 あんまりうだうだ書いてるとまじめな人に怒られそうなので(もう遅いって)、そろそろこのへんで訳者あとがきはおひらきにしよう。つづいてすぐに、「ディック自作を語る 一九六七〜一九八二がはじまりますので、そちらもごひいきに。

 最後に、スペシャル・サンクスのコーナーです。まず、翻訳についていろいろとご相談に乗っていただいたばかりか、「ディック、自作を語る」やこのあとがきのために、貴重な資料をたくさん貸してくださった浅倉久志さま。たいへんありがとうございました。それから、毎度毎度英語を教えてくれるデイヴィッド・ルイスさん並びにトーレン・スミスさん、どーもでした。サンリオSF文庫廃刊ととともにディックの企画をまとめて通し、わたしにこの本の翻訳をまわしてくれた小浜徹也くん、お世話になりました。この本(と『去年を待ちながら』)が売れれば、コハマくんも企画が通しやすくなり、まだ東京創元社が版権をとってないサンリオ絶版本や、ぼちぼち残りが少なくなってきたディック未訳作品についても、文庫化の道が開けるかもしれません。そこんとこ、よろしく。




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