マイクル・カンデル『図書室のドラゴン』(ハヤカワ文庫FT)訳者あとがき(1992年10月)


   訳者あとがき


大森 望  



 たとえば寝食を忘れて〈ドラゴンクエスト〉や〈ファイナルファンタジー〉をプレイしたことがある人なら、物語に没入する感覚はおなじみのはず。かつては小説や映画がその種の感覚の主たる供給源だったわけだけれど、没入のリアルさかげんに関しては、到底、ロールプレイング・ゲームの敵ではない。なにしろ、自分で名前をつけたキャラクターが思いどおりに画面を動いてくれるのだから、コンピュータRPGの世界では、「物語を生きる」という言葉が文字どおり現実のものとなる(テーブルトークRPGも事情はおなじ)。で、なんとか活字の世界でも、こういう没入感覚を再現しようと、大量のRPGリプレイや異世界ファンタジーが出版されているわけだけれど、なんかちょっと違うんじゃないかって気がしないでもない。ゲームっぽさ、RPGっぽさを小説にとりいれたところで、しょせん代用品になるだけのこと。本家本元の活字の小説には、もっとべつのアプローチがあっていいはずじゃありませんか。
 新鋭マイクル・カンデルの第二長編『図書室のドラゴン』In Between Dragons, 1990は、その回答のひとつといえるかもしれない。主人公シャーマンは、ふとしたきっかけから魔法の図書室にアクセスする能力を獲得、図書室の本を通じてさまざまな世界に出入りすることになる。ナイトの一員としてドラゴンと戦ったり、超能力者として異次元生物の侵略を撃退したり、司令官として異星の植民地を統率したり、時間線制御装置を監督する歴史学者として歴史への介入を監視したり……。これは、自分の部屋で、「ファンタシースター」や「ウィザードリー」や「マザー」や、いろんなタイプのRPGのカートリッジをとっかえひっかえハードに差し込んでプレイする感覚に似ていなくもないのだけれど、決定的なちがいは、本書の中のそれぞれの物語の展開が、RPG的なシナリオの予定調和とはまったく対極にあること。ここでは、RPGの(あるいは、大量生産異世界ファンタジーの)″お約束〓が徹底的に踏みにじられている。その無軌道ぶりは、善良なファンタジーファンが怒り狂い、この本を破り捨て火をつけて燃やしてしまうんじゃないかと心配になるくらいなのだが、そういう無茶苦茶をやってのけられる自由度こそ、小説というオールド・メディアが持つ武器のひとつではなかったか。
 ……といったような理屈はともかくとしても、毎度おなじみ異世界ファンタジーの(あるいはファンタジーRPGの)同工異曲ぶりにいいかげんうんざりしているすれっからしのファンタジー読者にとって、本書が一風変わったテイストと新鮮な驚きを与えてくれる″へんな本〓であることはまちがいない。では、この奇妙奇天烈なファンタジーを書いたマイク・カンデルとはいったいどういう人なのか。
 じつをいうと、これがよくわからない。一九八九年の九月に、「奇妙な侵略」Strange Invasionでデビュー。九〇年九月に本書、九二年四月に最新長編「キャプテン・ジャック・ゾディアック」Captain Jack Zodiacを発表。三長編ともペーパーバック・オリジナルとして、辣腕編集者として名高いルー・アロニカ率いる叢書、バンタム・スペクトラから刊行されている――と聞けば、海外SFおたくのお友だちなら、へーえ、スペクトラの出身なのね、と納得するはず。バンタム・スペクトラっていうは、生きのいい新人作家をばこばこ生み出してて、わが国の海外SFウォッチャーたちからいちばん注目を集めている叢書。よくいえばオリジナリティ豊か、悪くいうと妙ちきりんな小説が多いことでも知られているんですね。

 さて、その三冊の著書のカバー裏に載っている略歴を総合すると、マイク・カンデルは、化学者の妻、ふたりの息子とともに、ロングアイランドに在住。毎日ロングアイランド・レイルロードに乗って、マンハッタンのとある大手ハードバー出版社に通勤している。スタニスワフ・レムの翻訳者としても有名で、訳したレムの長編のうち二冊は全米図書賞にもノミネートされているとか。
 大多数の読者にとってはどうでもいいような情報だが、この経歴を見て、わたしはぽんとひざを打つわけである。私事にわたって恐縮なのだけれど、じつは訳者も、つい一年ほど前まで、とある老舗出版社でぐうたらな編集者として働く一方、翻訳業者との二足のワラジを履いていた。カンデルの小説が(線が細いとかダイナミックなドライブ感がないとかの欠点まで含めて)わかりすぎるくらいわかってしまう、心の琴線にビンビン響いてしまうのは、なるほどそういうことだったのね。
 つまりですね、出版社勤めなんぞしていると、毎日毎日仕事で本を読まなきゃいけないわけで、翻訳と兼業ともなれば、さらに外国語で書かれた小説までが読書範囲プラスされる。ゲップの出るほど小説を読んできた人間が、自分で小説を書くとどうなるか――ある意味でカンデルは、その典型的な例だといえなくもない。職業的経験がじゃまをするおかげで、「日の下に新しい小説なし」という強固なテーゼに立ち向かうドンキホーテ的確信は抱けないし、いまどき″大きな物語〓を語ろうとする蛮勇も発揮できない。かといって、ジャンル小説の定石は知りつくしているから、いまさら教科書どおりの無難な小説を書く気にもなれない。そこで、フォーミュラ・フィクションのお約束を踏まえたうえで、それを徹底的に茶化したり、ぎりぎりの境界線上で危うい綱渡りを演じてみせたりする――本書『図書室のドラゴン』も、たぶんそのようにして誕生した一冊じゃないかと思う。いきおい、メタファンタジー/メタSF的な色彩を帯びてしまい、物語の力強さを期待する読者は肩透かしを食わされてしまうのだが、その絶妙のはずしかたがカンデルという作家の魅力。個人的には、その人を食った創作姿勢がたいへんに気に入っているのである。

 この作風はなにも本書だけにかぎったことではなくて、これまでに発表された他の二作とも共通している。デビュー作の「奇妙な侵略」は、タイトルどおり、思いきり珍妙なエイリアン侵略SF。なにせ主人公のウォーリーくんは、神経障害のおかげで物心ついて以来幻覚に悩まされっぱなし。四六時中ラリってるようなもんで、ピンクの象と寝食をともにするがごとき毎日。その彼が、ある日、裏庭に着陸した宇宙船からの指令で地球の守護者に任命され、つぎからつぎへと襲ってくるエイリアン侵略者たちを撃退しなければならないハメに。しかも侵略してくる異星人っていうのが、ヒョータンツギみたいなやつにマクラメ編みみたいなやつ、はてはファイル・キャビネットそっくりなやつと、へんてこりんな種族ばかり。味方になってくれる謎の宇宙人から、彼ら相手に武力は役に立たない、心理学を使えとアドバイスされたウォーリーくん、熱帯に住む共産主義者の極楽鳥や、宿主絶滅の危機を憂慮するノミに援軍を頼んで、必死の戦いを開始する……。書評ではディック、ボルヘス、ヴォネガット、バーセルミあたりを引き合いに出してるものもあるくらいで、なんともいいようのないナンセンスな世界がくりひろげられる。
 最新作「キャプテン・ジャック・ゾディアック」では、この狂躁状態ぶりに、さらに拍車がかかっている。舞台は環境破壊や温室効果で絶滅の危機に瀕した近未来のアメリカ。ニューヨーク郊外のとある住宅地に住む人々を主人公にしたドタバタ・スラップスティク・コメディ――なんだけど、そのドタバタぶりが半端じゃない。のっけから第三次世界大戦が勃発、都心に核爆弾が投下されるものの、登場人物たちの主たる関心はゴミ清掃車のストライキ、という具合。一応主人公格のクリフォードの夢は、いとしのマーシャと再婚し、前妻とのあいだの子供ふたりをとりもどして、″正しい家庭〓を築くこと。ポルターガイストとなって結婚に反対するマーシャの亡き母親を説得するため、地下鉄に乗って冥府をたずねたかと思えば、宇宙士官候補生となって銀河のいずことも知れぬ星で日夜エイリアンと戦う息子を連れもどそうと空間転移ドラッグに挑戦する。
 一方、彼の隣人たちもそれなりに問題を抱えている。たとえば、ボブ。丹精こめた、完璧な美しさを誇る芝生が自慢なのに、こともあろうにその芝生が、オゾン層破壊と害虫駆除剤の相乗効果で、突然変異を起こしてしまう。手はじめに一家の飼い犬を食い殺した芝生は、家族にまで襲いかかってきた。こうして、妻を殺されたボブと芝生の生死をかけた戦いがはじまる(なにしろこの芝生、豪華客船やジャンボ・ジェットの中にまで、ボブを追ってやってくる執念深さなのである)。ほかにも、〈タコベル〉のメキシカン・ピザが大好物で、ピザを食べるたびに突然死をするジョー(何度も死ぬうちに、どんどん冥府のレベルを下降していくのだ)とか、ある日突然、スーパーパワーを獲得、マーベルコミックをむさぼり読み、息子の知恵を借りてコスチュームを製作、世の中の悪に挑む平凡な中年男バーニーとか、エイリアンと手を組んで無垢なティーンエージャーたちを誘拐、身の代金でひと儲けを企む空間転移ドラッグディーラー(これがタイトルのキャプテン・ジャック・ゾディアックその人だったりする)、常軌を逸したキャラクターたちがぞくぞくと登場、物語ははてしなくめちゃくちゃになっていくのだった……。
 偏愛してる小説なので、つい紹介長くなってしまったけれど、カンデルが確信犯だということは、これでご理解いただけたと思う。世の中広いんだから、こんなへんな話を書く人がひとりくらいいてもいい。こんなへんな話をもっと読みたいという奇特な人がいたら、ぜひ早川書房編集二課までお便りを。タガのはずれ具合はこの大森が保証します。

 さて、最後は、お世話になったみなさまにささやかな感謝をささげてピリオド。「ドラゴン・クエストX」の主人公をレベル99まで育てる合間にキュートな解説を書いてくださった三村美衣さま、お疲れさまでした。カンデルのカの字も知らなかった訳者に、「こういうへんな小説があるんですけど」とこのお仕事を与えてくれた、うら若き美貌の独身女性編集者、嘉藤景子さま、お世話になりました。憧れの坂田靖子さまにもカバーを描いていただけて、これ以上のしあわせはありません。そして、本書をお買い上げのみなさま、ほんとうにありがとうございました。オフビートな異世界冒険を存分に楽しんでいただけることを祈りつつ、再見!

一九九二年十月 大森望   




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