ロバート・A・ハインライン『ラモックス』(創元SF文庫)訳者あとがき


   訳者あとがき


大森 望  



 本書は、ロバート・A・ハインラインが一九五二年に発表したThe Star beastの全訳です。のっけから私事で恐縮ですが、この本はぼくにとって特別な意味を持っています。いまは亡き福島正実氏の翻訳で岩崎書店から出ていた「宇宙怪獣ラモックス」に出会ったのはぼくがまだ小学生だったとき。SFに目覚めてかたっぱしから読みあさっていた時期ですが、そのなかでもこの本は「ものすごく面白かったSF」として強烈な印象を残し、
それ以来、「ラモックス」の名前はぼくの記憶にしっかりと根をおろしていたのです。以来二十年近くを首までどっぷりSFにつかって過ごしているぼくにとって、いわば原点といってもいいかもしれません。というわけで、東京創元社で本書の刊行を計画していることを聞いて、一も二もなく飛びついて、あとさきもかえりみず、やらしてくれえ!と叫んだしだい。
 大々々先輩にあたる福島氏の翻訳はじつにすばらしいもので、今回十数年ぶりに読み返してみてもほとんど古びていないのには驚きましたが、もともと児童書として出版されたため、枚数の制限があったのか、全体の約半分の抄訳です。もっともそれに気がついたのは原書を読んでみてからのことで、それまでは、多少子ども向きにやさしくしてはあっても、そんなに大きな省略はないと思っていたので、あらためてその抄訳術(?)のみごとさに感服したものです。
 ハインラインのジュヴナイルは、「レッド・プラネット」の解説で高橋良平氏も書いておられるとおり、少年少女を主人公にしている、という程度の意味で、「子どもが読んでも面白い本」ではあっても、「子どものための本」ではありません。ぼく自身、子どものころにいくら興奮して読んだ本とはいっても、いま読んでも面白いかな、と一抹の不安をいだいてはいたのですが、まったくの杞憂でした。いままでいちばん訳していて楽しかった本であり、また、翻訳しながら何度も吹き出してしまい、英語を見ながら笑うとはこの人どっかおかしいんじゃないかと同居人の冷たい視線を浴びたりもしましたが、ほんとにおもしろいんだからしかたない。
 それともうひとつ驚いたのが、本書の隠れたヒーローがキク氏であった、ということです。子どものころ抄訳判で読んだときにはまったく記憶に残らなかったキャラクターなのですが、中盤以降は完全にジョン・トマスくんを食う勢い。宙務省次官という、官僚トップの座にあるが、旧友の公報担当特別補佐官と組んで無能な長官をしめあげるくだりなどまさに絶品。大統領やら長官やらが重要な役割を果たすことはあっても、次官がこれほど活躍するSFというのは空前絶後ではないでしょうか。能吏という言葉がぴったりのキク氏、趣味といえばクリケット観戦くらいのかたぶつで、与えられた仕事をてきぱきとこなしていく、およそヒーローとは縁遠いタイプの人物なのですが、ハインラインはそれをじつに人間味たっぷりに生き生きと描き出しています。
 カーティス・スミス編の「二〇世紀SF作家事典」のハインラインの項目では、ジュヴナイル作品として唯一この「ラモックス ザ・スター・ビースト」をとりあげ、「はじめてのSFとの出会いにもっともふさわしい一冊」と評し、絶賛しています。訳者のひいき目とのそしりを恐れずにいえば、本書はハインラインの数あるSFの中でも五本の指にはいる傑作ではないかと思います。
 最後になりましたが、翻訳にあたっては、トーレン・スミス氏に多くのご教示をいただきました。また、福島正実氏のすぐれた訳業が過去になければ、この本との出会いもなかったでしょう。





top | link | board | other days | books