●『セックス・スフィア』訳者あとがき(ハヤカワ文庫SF1992年6月刊)/大森 望




 いやあ、おもろかった。やっぱラッカーは最高やね、ほんまに。

 ってことで、この訳者あとがきにもあっさり幕を引いてしまいたいところだけど、編集者上がりの人間としては、ついつい時と場所をわきまえてしまうのが悪いクセ。本書はルーディ・ラッカーが八三年にエース・ブックスから刊行した長篇、Sex Sphereの全訳である――と、本扉裏のクレジット表示を見れば一目瞭然のことを書いてしまわないと、どうもおさまりが悪いわけで、以下、思いつくままに駄文を連ねる。ご用とお急ぎのかたは、本文を(もしくは本書を持ってレジへ)どうぞ。

 それにしても、ラッカーの長篇の邦訳は、これでもう七冊目。第二長篇のSpacetime Donuts(81)をのぞいてぜんぶ訳されたことになるわけで、わが国のSF市場では押しも押されもしない人気作家といっていいんじゃなかろうか(ついでにいうと、科学解説書も三冊訳されていて、この分野での人気も上々らしい)。

 日本で刊行された長篇の最初の二冊、『時空の支配者』と『空を飛んだ少年』は編集者として担当し、四冊目の『ウェットウェア』には解説を書き、ラッカーが来日すれば無理やり媒体を見つけてインタビューし……と熱狂的ラッカー・マニアを自認する訳者ではありますが、翻訳者としてラッカーに接するのはこれがはじめて。ただでさえ感慨深いところへもってきて、かかったお座敷が『セックス・スフィア』。『時空の支配者』と並んで、わたしがとくに愛好する、狂騒的ラッカー節大爆発のアナーキーSFじゃありませんか。ハヤカワ文庫SF史上はじめて、「セックス」なる単語を冠した作品を翻訳する栄誉までついて、まさに天国に昇ったような、至福の○ヵ月でありました。

 おっと、こんな個人的事情を書いている場合じゃない、冒頭の忠告にもかかわらずケツから先に読んでるヒマなあなたのために、ざっと内容を説明しとかなくちゃね。なにしろ題名が題名だから、純情なSFファン諸兄は、とんでもなくスケベな話じゃなかろうかと想像をたくましくされるかもしれませんが、心配はご無用。敏腕をもって鳴る本書担当編集者が、同僚に『セックス・スフィア』ってどんな話?」ときかれて吐いたセリフを引用すれば、この小説は、「球のかたちをしたおまんこがいてさあ、これを股のあいだに持ってって、ああ気持ちいい。どころがびっくり、このおまんこは異次元生物だったんだねえ、うん」
 というお話。まったくもって、簡にして要を得た説明ではないか。しかし、残念ながら、この小説をマスターベーションの用に供するにはかなりの想像力を必要とする。だいたい、ルーディ・ラッカーにまともなポルノが書けようはずもない。ラッカーにとっては、セックスも高次元生物も同レベル。フェラチオもヒルベルト空間も、「権威」にあかんべえするための、反体制的兵器なのである。


 さて。与えられたスペースにはまだたっぷり余裕があるから、ちょっとは解説めいたことも書いておこう。本書の主人公アルウィン・ビターは、名前が示すとおり、作者ルーディ・ラッカーことルドルフ・フォン・ビター・ラッカーの分身。本書の翌年に発表された長篇、『時空の支配者』には、科学的神秘主義第一教会を主宰する老物理学者として、未来のビター博士が登場するから、日本のラッカー・ファンにはすでにおなじみのキャラクターだろう。

 一方、著者によれば、『空を飛んだ少年』、『ホワイト・ライト』、『セックス・スフィア』の三冊は、この順番で、半自伝的長篇三部作を構成するのだとか。じっさい、『ソフトウェア』巻末解説の紹介をごらんいただければわかるとおり、ラトガーズ大学で博士号を取得、フンボルト基金を受けてハイデルベルク大学で二年間を過ごすという著者の略歴は、そのまアルウィンの経歴に重なる。(ちなみに、本物のラッカーは、ハイデルベルク滞在中、カントールの連続体仮説について研究するかわりに、それを題材にした処女長篇『ホワイトライト』を執筆していた。ま、しかし、「カントールの連続体仮説とは何か」が副題なんだから、ラッカーとしてはまじめに研究していたつもりかもしれない)。

 本書に登場するホィーリー・ウィリーが学生時代のラッカーの創造になるキャラクターかどうかは定かでないけれど、ご本人いわく、当時はアンダーグラウンド・コミックに傾倒して、自分でもマンガを描いていたそうだから、ま、似たようなことをしてたんでしょう(マンガ家ラッカーの片鱗は、本書序文のイラストに見ることができる。もっとたくさんラッカーの絵を見たい人は、本書の姉妹篇ともいうべきノンフィクション『四次元の冒険』を参照のこと)。妻1、娘2、息子1というラッカー家の家族構成も、アルウィンの家族構成そのままだし、イースターの時期かどうかはともかく、ラッカー一家がローマを訪ねたことがあるのもまちがいなさそう。したがって、『セックス・スフィア』ほとんど私小説といっていいかもしれない。「こんな私小説があるもんか!」と、すでに本文を読み終えたあなたがそう叫ぶのももっともだけど、退屈な現実をバネにしてとほうもなくぶっとんだ夢を紡ぐのラッカー流。ちなみに、主人公がしっちゃかめっちゃかにしちゃった現実世界に、奥さんの強力なイニシアチブで秩序が回復されるという本書の構成は、『時空の支配者』なんかにも共通するパターン。女は港、男は船、って趣きで、ラッカーの女性観は意外と古風かもしれない。


 ラッカーは、基本的にお話づくりの得意な作家ではない――というか、プロットなんかどうだっていいと思ってる節があって、『ソフトウェア』『ウェットウェア』の二部作をべつにすると、その長篇に、ストーリーらしいストーリーはほとんど発見できない。だから平気で、毎度おなじみのパターンを下敷きに使用する。『時空の支配者』は「四つのお願い」だし、『空を飛んだ少年』は「中国の五人兄弟」という具合で、この『セックス・スフィア』の場合は、作中でも引用されているとおり、エドウィン・アボットの『二次元の世界』が下敷き。古手のSFファンなら、たぶん一度は目を通したことがあるだろう古典中の古典だけど、講談社ブルーバックス版の邦訳は現在入手がむずかしいみたいだから、簡単に粗筋を要約すると――

 主人公は、二次元の平面世界フラットランドの平均的一市民。ある日、スクエア氏は、三次元世界からやってきたスフィア嬢にいざなわれて「高さ」のある世界に赴き、フラットランドを上からながめるという経験をする。しかし、高次の世界を見てしまった彼は、フラットランド社会の異端児として逮捕され、投獄されてしまう……。
 というわけで、本書の主人公、アルウィン・ビターの身にふりかかる事件は、そのままスクエア氏のそれに重なる。もっとも、三次元世界の秘密をパーティの席で暴露しただけで逮捕されるスクエア氏に対し、われらがアルウィンは、人類全体を無限次元世界へと導くべく大奮闘するわけで、本書は『二次元の世界』の牧歌的な雰囲気とは縁遠い作品に仕上がっている。

 エピグラフと、本文 ページに出てくる『二次元の世界』からの引用は、講談社ブルーバックス版の高木茂男氏の翻訳をそのまま使用させていただいた。ただし、序文に出てくるスクエア氏、スフィア嬢などの固有名詞表記は、『四次元の冒険』邦訳版からのいただき。同様に、エピグラフのもう片方、チャールズ・H・ヒントンの一文も、『四次元の冒険』に引用された長い抜粋の翻訳から孫引きしたもの。立ってるものは親でも使えの精神である。『二次元の世界』のアボットとちがって、ヒントンのほうは日本ではあまり知られていないので、『四次元の冒険』のラッカー自身の解説をもとに、若干の注釈をくわえる。

 チャールズ・ハワード・ヒントンは、一八五三年ロンドン生まれ。オックスフォード大学を卒業後、プリンストン大学数学科教授、ミネソタ大学数学科教授などを歴任、一九〇〇年にはワシントンDCに住居を移し、海軍天文台や特許庁につとめるかたわら、非常勤講師として大学で詩を教えた。一九〇七年、とあるパーティの席上、五十四歳の若さで急死。
「超幾何学に熱中したために大学の教師としてはさほどの成功をおさめなかった」(ジェレット・バージェス)というあたり、ラッカー自身を彷彿とさせるが、ヒントンのユニークさはそれにとどまらない。四次元を題材にした数々のエッセイやSF(『科学ロマンス』と題する二巻本にまとめられている)を発表したほか、八十一個の色つき立方体からなる、ルービック・キューブならぬヒントン・キューブを考案したり、プリンストン時代には、史上初の、カーブも投げられるピッチングマシンを発明したりしている。重婚で逮捕され、逃げるようにして日本にやってきて、横浜の中学校で教師をして食いつないだ経験もあるという。

 マッド・マセマティシャンを地でいくこの人物に、ラッカーは百年の歳月をこえて、ひとかたならぬ愛着を感じているらしく、みずからヒントンの四次元に関する論考を集めたエッセイ集、Speculations on the Fourth Dimentionを編纂している。なお、エピグラフの引用は、一八八五年に発表された『多次元』というタイトルのエッセイの一節。もう一方の『二次元の世界』の初版は一八八四年だから、百年前の著作からの引用がふたつ並んでいることになる。ラッカーらしい仁義の切りかた&かっこのつけかたというべきか。

 この訳者あとがきにも再三登場する『四次元の冒険』は、その『二次元の世界』刊行百周年を記念してラッカーが発表したノンフィクション。一応科学解説書の体裁はとっているものの、そこはラッカー、「頭の体操」式のパズルは山のように出てくるし、脚注がわりの無数の引用の原典は、ラッカー自身のSFはもちろん、ボルヘスやトム・ウルフ『クール・クールLSD交感テスト』、C・S・ルイス『ライオンと魔女』まで縦横無尽。『セックス・スフィア』の二大テーマ、セックスと高次元のうち、後者のほうに興味をお持ちになったかたには、ぜひご『四次元の冒険』一読をおすすめする(金子務監訳・竹内攻一訳/工作社/二八九〇円)。なおラッカーは、『セックス・スフィア』以前に、やはり『二次元の世界』にもとづいた短篇 Message Found in a Copy of Flatlandを書いている(The 53th Franz Kafkaに収録)。


 もうひとつ、『セックス・スフィア』の(とくに、ローマのパートの)下敷きに使われているのが、ダンテの『神曲』地獄篇。SFファンなら、ラリイ・ニーヴン&ジェリー・パーネルの『インフェルノ―SF地獄篇―』を思い出すかもしれないが、本書の場合はそれこまでストレートではなく、登場人物の名前に地獄篇のそれをだぶらせることで、イメージをふくらませている(テオ・アンゲロプスの「旅芸人の記録」みたいなもんですね。ちがうか)。

 アルウィンを誘拐するヴィルジリオは、『アエネイス』で知られる詩人ウェルギリウスのイタリア語読み(英語読みならヴァージル)。地獄篇では、ダンテを地獄へと導く案内人の大役をはたす。テロリスト・グループ〈グリーン・デス〉のリーダー、ベアトリーチェは、ダンテの理想の女性で、岩波文庫版『神曲』の、山川丙三郎氏の解説によれば、

「『神曲』中のベアトリーチェは『新生』のベアトリーチェのさらに理想化したる者にて神学の象徴なり、ダンテ、ウェルギリウスに導かれて地獄・浄火の両界をめぐれども、進んで天上に赴くに及びてはベアトリーチェに導かれざるをえず、これ霊界の機微にいたりては天啓によるにあらざれば覺得し難きを示せるなり」ということである。
 マッド・サイエンティスト、ラフカディオのラストネームに流用されているカロンは、三途の川(アケロンテ)の渡し守。マフィアの親分として登場するミノスは、ゼウスとエウロペのあいだに生まれた、クレタの王。名君の誉れ高く、死後はラダマントス、アイアコスとともに冥界の裁判官となった。どちらもギリシャ神話の登場人物で、『神曲』でも神話とおなじ役柄で登場する。

 本書の中に四ヶ所出てくるイタリア語の長ゼリフは、いずれも『神曲』地獄篇からの引用。聖書とちがって、平均的アメリカ人が一目見てピンとくるってもんでもないので、本文中では試訳をつけるにとどめたけれど、ついでだからこの場でその出典と背景を手短に説明する。

 まず三八ページ、ラフカディオのセリフは、地獄篇第三歌の八五〜八七行より。霊魂をアケロンテ川の対岸にわたすためにやっていたカロンが、ダンテたちに向かっていう言葉。いわばこれが、カロンのテーマソングで、アルウィンもイタリア語がわかったら、もうちょっと注意したかもしれない。おなじく、五五ページのセリフは、第三歌九一〜九二行より。死者の霊の中に生者ダンテを発見したカロンが、「これは死者を送る舟やで。生きとる人間はべつの道を行かんかい」といちゃもんをつける場面。原爆であの世に行くのではなく、セックス・スフィアに導かれてヒルベルト空間へ行け、ということでしょうか。原典にいう「べつの道、べつの舟」とは、テヴェレ河口から浄火の山に至るルートおよび天使の舟をさすという解釈と、たんに生者に難癖をつけているだけだという解釈のふた通りがあるらしい。

 ちょっととんで一一五ページの、オラーリがジュリアに向かっていう言葉は、やはり第三歌九五、九六行のダンテのセリフ。さっきのカロンの、「舟がちゃうやろ」発言を受けて、ダンテが、「んなこというたかて、上のほうで決まっとることやさかい、ごちゃごちゃぬかすな」と強引に押しとおす場面。意志が「かならず実行されるところ」というのは天国の意味。決意のひるみかけたジュリアに、金の亡者オラーリが、「これも神様の思し召しなんだから」と説得しているわけである。

 八一ページのラフカディオのセリフは、地獄篇第五歌四〜六行目。第二獄にいる冥界の法官ミノスは仏教的にいえば地獄の閻魔様。長い尻尾を体に巻きつけ、その巻きつけた回数で、やってきた魂を第何獄へ送るかを宣告するというへんなやつ。「身のこなしによってしかるべい場所へ送る」というのはそういう意味ね。コロセウムの地下で待ち受けていて、アルウィンのいちばん儲かる売り先を考えるマフィアの親玉にはぴったりのネーミングと申せましょう。
(なお、引用箇所の試訳にあたっては、前述・岩波文庫版の山川丙三郎訳のほか、集英社版の平川祐広訳、角川書店版の●●●●訳を参照しました)。


 ふーっ、本筋とはあんまり関係のない『神曲』の話がすっかり長くなってしまった。ボロが出ないうちに(もう遅いか)、『セックス・スフィア』関連の話は幕にして、ルーディ・ラッカーの近況など。

 といっても、『空洞地球』以降、長篇SFは出版されていない。現時点での最新刊は、ラッカーの全短篇と詩・エッセイを収録したTransreal!(WCSブックス、一九九一年)。大判ソフトカバー五三四ページの大冊で、全体は四部構成。第一部は、処女詩集のLight Fuse and Get Awayを、第二部は第一短篇集のThe 57th Franz Kafkaを、それぞれまるごとおさめてある。第三部が新作短篇のパートで、邦訳もある「第三インター記念碑」など、八四年から九〇年までにラッカーが発表した全短篇一五篇を収録。第四部は自選エッセイ編で、かの有名な「サイバーパンクってなんだろう?」など全十一篇。さらにおまけとして、頭にはロバート・シェクリイ(!)の序文、ケツには各篇に対する著者自注(全二十四ページ)がつくといういたりつくせりのコレクターズ・アイテムである。

 しかし、なんといっても日本の読者の目を引くのは、巻末の書き下ろしエッセイ、Tripto Japanだろう。これは、一九九〇年五月、青山TEPIAで開催された、〈サイバースペース:仮想現実の創造――ヒューマン・マシン・インターフェースの未来〉と題する通産省後援の国際シンポジウムにゲストとして招かれ、来日したさいの日本滞在日記。早川書房の地下のフレンチ・レストランがべらぼうにうまかったというほほえましい話や(この食事のあとおこなわれた黒丸尚氏によるラッカー・インタビューは、SFマガジン九一年九月号に掲載されている)、パチンコ屋で七百円使って二千二百円勝った話、竹邑光裕氏と芝浦GOLDに赴いた話、黒丸尚夫妻と蒲田の小料理屋で食事をした話などなど、二十ページ以上にわたってぎっしり盛り込まれた日本体験はまさに圧巻。パチンコ屋の店員に連れられてどこともしれぬ路地を歩き、やっとのことで景品交換所へたどりつくエピソードなんか抱腹絶倒だし、ついでに黒丸氏とその奥様とのなれそめまでわかってしまうというたいへんな大作エッセイなのである。くわしく紹介できないのがかえすがえすも残念です。

 あと、現物はまだ入手していないけど、もう一冊(というか〇・五冊というか)、九一年二月にオーシャン・ヴューから刊行された新作がある。タイトルは、All the Visions: A Novel of the Sixties/Space Baltic。これはいったいなにかというと、ラッカー書き下ろしの自伝的長編と、アンセルム・ホローの詩集をカップリングしたオリジナル・アンソロジー(?)。スラッシュでつながれた長い題名のうち、前半がラッカーの作品。長編とはいっても一二五ページしかないから、長めの中編というところか。ラッカーおたくを自称しながらうっかり見逃していたとは恥ずかしい話で、はやく読んでみたいものである(情けない)。

 話は変わるけど、作家業とサンノゼ州立大でのパートタイム講師業のかたわら、ラッカーは八八年から、CADソフトで有名な大手コンピュータ・ソフトハウスのオートデスク社で、プログラミングの仕事にも携わっている。肩書きはMathenaut。数学者と宇宙飛行士を合成したこの言葉は、ノーマン・ケイガンの名作「数理飛行士」からのいただきで、来日したときにもらった名刺にもちゃんとそう刷りこんであったのには笑った。会社勤めとはいっても、「ぼくはハッカーだから、主に在宅勤務で、出社するのは二週間に一回くらい」だそうである。

 ラッカーがプログラムした最初のソフトは、その名もCA Lab: Rudy Rucker's Cellular Automata Laboratory。これは、フォン・ノイマンの考案したセル・オートマトンが各種条件下で実験できるソフト。セル・オートマトンをちゃんと説明するのはめんどくさいけど、要するに一定のルールのもとに自己増殖していくセルのことだと思えばいい。自己増殖するロボットが存在可能だってことを証明するためのツールとしてフォン・ノイマンが考えだしたもので、『ソフトウェア』『ウェットウェア』を書いたラッカーにとって、セル・オートマトンはまさにうってつけの素材だったというわけ。

 二本めが、新潮文庫に邦訳のあるジェイムズ・グリックの『カオス』をもとにした、James Greick's Chaos: The Software。SFファンにはクラークの『グランド・バンクスの幻影』ですっかりおなじみになった、擬似フラクタルやマンデルブロ集合で遊べるソフトウェア・トーイ。もちろんグラフィック・ツールとしても使用可能で、前記Transreal! のカバーや本文挿し絵(?)は、すべてこれを使ってラッカー自身が描いたもの。PC/AT互換機用のソフトだが、最近はDOS/VのおかげでPC人口も増えていることだし、ハードをお持ちのかたは一度おためしあれ。定価は両方とも五九・九五ドル。グラフィックは前者がVGA、後者がEGA、VGAに対応。以上二タイトルのほか、インターフェイスに一種のデータグローブを使い、両目に装着する小型スクリーンに映る3D物体をリアルタイムで動かして、ヴァーチャル・リアリティ環境を実現するソフト、Autodesk Cyberspace Developer's Kitの開発にも携わったようだ。

 ところで、サンノゼ州立大では、一年間C言語を教えるコースを受け持っていたというラッカーだが、これにも傑作なエピソードがある。じつはラッカー自身、それまでC言語はまるでやっていなかったのである。本人いわく、
「プログラムやるなら勉強しといたほうがいいんだけど、ひとりだとやる気がしないから、先にC言語のクラスを持つことにしたのさ。そうなりゃいやでも勉強するから(笑)。学生の苦労がよくわかるよ」


 いかにもラッカーらしい逸話でオチがついたところで、そろそろ、このとっちらかったあとがきにもケリをつけるときが来たようだ。では最後に、スペシャル・サンクスのコーナーを。数学・物理学関係の記述に関しては、京都大学理学部大学院数学科博士課程の志村弘之氏に、イタリア語関係の記述に関しては、カルヴィーノの翻訳者としてもご活躍中の大先輩、京都大学助教授の和田忠彦氏に、英語関係の記述に関しては、日本マンガの英訳ビジネスに携わる、スタジオ・プロテウス代表のトーレン・スミス氏に、それぞれお世話になった。こちらから一方的に疑問点をうかがっただけなので、ミスがあった場合には当然、すべて訳者の責任であります。また、このすばらしく楽しい長篇を翻訳する機会を与えてくれたばかりか、じつに簡潔にストーリーを要約してくださった早川書房編集二課の村山裕氏には最大級の感謝を。あとは読者のみなさまがこのキュートな小説を気に入ってくださることを祈って、長すぎたあとがきにエンドマークを。最後までごゆっくりご観賞ください。


【ルーディ・ラッカー小説作品リスト】
1 White Light,or, What is Cantor's Continuum Problem? (1980) 『ホワイト・ライト』ハヤカワ文庫SF
2 Spacetime Donuts (1981)
3 Software (1982) 『ソフトウェア』ハヤカワ文庫SF
4 The 57th Franz Kafka (1983) 短篇集
5 The Sex Sphere (1983) 本書
6 Master of Space and Time (1984) 『時空の支配者』新潮文庫
7 The Secret of Life (1985) 『空を飛んだ少年』新潮文庫
8 Mathenauts: Tales of Mathematical Wonder (1987) 数学SFアンソロジー、編著
9 Wetware (1989) 『ウェットウェア』ハヤカワ文庫SF
10 The Hollow Earth (1990) 『空洞地球』ハヤカワ文庫SF
11 All the Visions (1990)
12 Transreal! (1991)
 ノンフィクションについては、『ソフトウェア』巻末リストを参照されたい。





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