●ラッカー、TVゲームを語る――RRインタビュー《ED》バージョン(1993年)/大森 望




 ルドルフ・フォン・ビター・ラッカーこと、ルーディ・ラッカー。哲学者ゲーデルの曾々孫にして数学者、世界の最先端を疾走するSF作家にして一級の科学解説者、そしてコンピュータ・プログラマ。作品ののほとんどが邦訳され、80年代のウィリアム・ギブスンに匹敵する世界的な注目を集める男。

 いまいちばんホットなコンピュータ文化誌MONDO2000の常連寄稿者となっていることもあって、じっさい日本でのラッカー人気は驚くばかり。ご本人も「いやーアメリカじゃ無名だけど、日本に行くとみんなちやほやしてくれて気分がいいなあ(笑)」というくらいのもんで、池袋で開催されたサイン会にも大勢の熱狂的ファンがつめかけた。

 もっとも、おたくに好かれるという特性は洋の東西を問わないらしく、その後サンフランシスコの世界SF大会で会ったときも、アメリカ人コンピュータ・ナーズやロック・キッズに囲まれていたものだが、作品から想像されるキャラクターとは正反対に、現実世界のラッカーは温厚な紳士(ただし非公式な場になると、道を歩きながらいきなりマリファナをふかす一面もある)。東京国際美術館「人工生命の美学」展での講演など、現代の若き哲学者のムードさえ漂っていた。

 今回のインタビューは、忙しいスケジュールの合間を縫い、本誌編集部の人々を交えて、投宿先の品川東武ホテルで行なわれた。当日が13日の金曜日だっただけあって、のっけから波乱含み。 取材意図の簡単な説明のあと、 編集部からの最初の質問ということで、「TVゲーム文化についてどう考えるか?」とたずねられたラッカー、いきなり「正直いって、TVゲームはサイテーだと思うね」

 一週間後にサンフランシスコで会って、先日はどうもとあいさつしたら、「SONYの人たち、ぼくがTVゲーム嫌いだっていったら茫然としてたね」とにやにや笑ってたくらいで、つくづく食えないおっさんなのである。

 以下、TVゲームにまつわる質疑を中心に、スペースの許すかぎりインタビューの内容を再録する。


 子どもたちはたしかにTVゲームと――つまりデジタルなリアリティとダイレクトな関係を結んでると思う。ただ、個人的にはTVゲームってのはあんまり好きじゃない。貧弱でお粗末だし、リアリティのレベルが非常に低い。もちろん、究極の夢としては、ヴァーチャル・リアリティTVゲームがあるわけだけど、いまの段階では問題が多い。

 第一の問題はグラフィック。ほとんどのTVゲームが、あらかじめ記録されたビットマップを使用している。カオス理論やセル・オートマトンを使った計算でリアルタイムに描画させたってろくにコストはかからないのに、いまのTVゲームでは、いつもおなじドラゴンがおなじ洞窟から出てくる(笑)。

 第二に、敵をハントして殺すことが中心になっている点。性差別/人種差別主義的な要素を持ってるゲームが多いしね。

 正直いって、TVゲームはサイテーだと思う(笑)。嫌いだよ。

――じゃあ「テトリス」なんかはどうです?

 あれはいいゲームだね。暴力とは無縁だし、知的パズルとして楽しめる。じっさい3次元版のテトリスもあるし、4次元版のテトリスも可能だと思うよ(笑)。そしたらゲームを通してハイパースペースに触れることができるようになるわけだ(笑)。

―― シム・シリーズなんかは?

「シムシティ」や「シムライフ」もいいゲームだと思う。「シムライフ」を書いたプログラマは、サンノゼ州立大学でぼくの学生だった男でね。もともとアップル用のコンピュータ・チップを設計してたんだけど、ぼくのセルラー・オートマタの講座をとって、人工生命の勉強をしたんだ。

 一般的にいって、TVゲームは人工生命の概念をもちこめばもっと面白くなる。ぼくが夢見るTVゲームは、サイバースペース・インターフェイスを持ち、ゲームの中で人工生命が動きまわるタイプのものだな。

――しかし、あなたは"Pac-Man"という爆笑の短編も書いてますし、 昔はTVゲーム・フリークだったのでは(笑)。

 TVゲームが出たばかりのことは面白いと思ったさ。「パックマン」には3カ月くらいハマって、一週間であの短編を書いた。でも、TVゲームはそれ以来変わってない。ぼくは変わった(笑)。そういうこと。

――TVゲームが現代において一種の文化的ドラッグとして機能している、という考えかたもありますが。

 ドラッグは、周囲の世界の本質に、あるいは自分自身の精神の働きに、注意を向けさせる効果がある。TVゲームはある特定のプログラムに対してだけ、注意を要求する。つまり、ドラッグは人間を自由にするが、TVゲームは人間を牢獄に閉じこめる(笑)。

 ま、TVゲームにドラッグみたいな中毒性があるのはたしかだね。うちの子どもを見てても、何日も何日もずーっと「スーパーマリオ」をやりつづけてたから(笑)。それを見てて気がついたんだ、TVゲームってのはじつに退屈なもんだって。(笑)

――じゃ、父親になったせいでTVゲームが嫌いになったのかも(笑)。

 うん、かもしれない(笑)。もっとも、ネットワークを使うゲームが増えれば面白くなる可能性はある。カリフォルニアのフライトシミュレーション・ゲームはワークステーションを使ってて、全国各地のいろんな相手とゲームが楽しめる。

 でもやっぱり、TVゲームのリアリティは気に入らないな。TVゲームの現実は画一的で、固定的な構造に支配されてるし、生命が欠けている。TVゲームのリアリティがほんとうにリアルになるためには、つねに変化しつづけ、進化するものでないと。

――「CA Lab」のようなソフトは、ご自分ではどうお考えですか?

 なにかをよりよく理解したり考えたりするための道具――化学実験セットみたいなものかな。もうひとつは一種のインタラクティブ・アートだね。ユーザーが美しいパターンを生み出すことのできる双方向のアート。

 すくなくともぼくに関するかぎり、世界の見方に大きな影響を与えてくれるよ。セルラー・オートマタやカオス、人工生命のつくりだす模様をじっと見つめていると、ものの見方が変化してくるのがわかる。

――ゲーム的な側面はありませんか?

 ゴールがないという意味でいわゆるゲームとはちがう。もちろん、人工生命やセルラー・オートマタを利用したパズル的なゲームをつくることも可能だけど。

――TVゲーム文化の将来についてはいかがでしょう? ハードウェアも急速に進歩していますが、やっぱりだめ?(笑)

 たしかに魅力的ではあるね、CD―ROMを利用したグラフィックとか、コンピューティングによるバーチャル・リアリティあるいはサイバースペースの実現とか。

 でもやっぱり他人のつくった世界より自分の世界で遊ぶほうがいい。自分でプログラムを組むようになると、どうしたって他人のつくったゲームは退屈に思えてくる。その意では、インターメディア・ゲームが面白いんじゃないかな。ビジュアル・ベーシックのような簡単な言語を使ってちいさなプログラムを自分でつくり、そのプログラムに命令して、ゲームの中でいろんなことをやらせる。プログラミングとゲームの中間のようなものができるはずだ。

――ラッカーさんでも面白いと思えるソフトが出てくる可能性は?

 それはないね(笑)。ぼくはハッカーだから、もう他人のソフトじゃ満足できないのさ。




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