【11月15日(月)】


 毎日中学生新聞のコラムを書き、横溝賞二次の箱を開けて読み始める。最近朝型なので、夜は毎晩ワールドカップバレーを見てたり。嵐さえ映らなければもうちょっと見る気がするのだが。サッカー中継と違ってCMが異様に多いので、音を消し、本や原稿を読みながら見るのには最適。




【11月16日(火)】


 月刊アスキーのコラムを書き、家に帰って、明日のミステリーチャンネル年末特番座談会用の読書。
 読みかけで売り飛ばしていた(笑)サントリー・ミステリー大賞の高嶋哲夫『イントゥルーダー』を文教堂で買い直して最後まで読む。なにやってるんだか>自分。まあしかし途中でやめたのもわかる感じの小説でした。まあそれなりに面白いんだけど、いくらなんでもパターンすぎるでしょう。

 奥田英朗『最悪』は、『OUT』系のプロレタリア文学((C)中条省平)。鉄工所おやじの行動はさすがにちょっと無理があるし、銀行の描写はステロタイプに過ぎる気がするものの、その他のディテールはよく書けてて、文章にも勢いがあり、結末もまずまず。この手のクライムノベルとしてはわりといい線かも。チェンジオブペースがもうちょっとうまく行ってれば傑作だったのに。

 貴志祐介『青い炎』もディテールは抜群。しかし結局、非常にモラリスティックな小説なのだった。要するに現代版『罪と罰』ですか。第二の事件に関しては、明らかに犯行後のことをなにも考えてない気がする。第一の事件の影響がそれだけ大きいということが言いたいんだろうけど、「道がつく」って考えかたには思想的に反対なので、個人的にこのプロットは納得できませんね。主人公がじつはすげえいやなやつだった、というオチもありだと思うが。

 さらに、半分過ぎで止まっていた『沈黙の教室』を読みつつ寝る。




【11月17日(水)】


 10時に起きて『沈黙の教室』読了。百物語の話なんだから、これは「叙述ホラー」と言うべきでは。『ラスト・サマー』部分をもうちょっとふくらませてもよかった気がする。というか、前半が長すぎ。校長先生はいい味出してますが、大久保清と永田洋子(?)はどうか。
 これでミステリチャンネルの「Best Books」年末特番に上がってるベスト候補30冊はほぼ消化。未読は『てのひらの闇』と『文福茶釜』だけか。あと一日あれば読むんだけどしょうがない。

 というわけで、しばらくミストラルで仕事してから収録に出かける。会場はなんと、本郷の朝陽館本家(笑)。まさか仕事で朝陽館に来るとはね。
 大広間に撮影機材をセッティング、座布団にすわっての座談会。今回のメンバーは、レギュラーの香山二三郎、豊崎由美、茶木則雄に加えて、国内編が吉野仁、西上心太、大森望、海外編が吉野仁、村上貴史、杉江松恋。
 関口苑生がお休みでかわりに西上心太が入ったので、新本格系もベストテン圏内に数作送り込むことに成功。西澤保彦『黄金色の祈り』には吉野さんが乗ってくれたし、〈このミス〉よりは多少本格色が濃くなかったか。
『永遠の仔』『亡国のイージス』『白夜行』『最悪』は圧倒的に強く、上位と下位は最初から一目瞭然。予想通り、『柔らかな頬』をめぐって白熱したバトルが展開されましたが(否定派の茶木・西上組vs肯定派の豊崎・大森組)、5位に入るのがせいいっぱい。
 だいたい、『永遠の仔』なんかオレ以外全員が◎打ってて、オレひとりだけ無印。『亡国のイージス』も似たようなもんでした。面白いけど趣味に合わんとか、そういうことはないのか。まあ『イージス』は文句ないけどさ。

『柔らかな頬』論争では、茶木則雄が、
「作中の幻視は、物語のレベルでは説明できない。説明できないことが起きるのはエンターテインメントではない。ミステリーはエンターテインメントである。したがって『柔らかな頬』はミステリーではない」
 という驚天動地の三段論法を展開。
「『柔らかな頬』を本格だと思って読んでるのは大森さんぐらいですよ」と貫井徳郎に指摘されたのは事実ですが(『毒入りチョコレート事件』の変奏曲だと思って喜んでいたらしい>オレ)、エンターテインメントじゃないからミステリーじゃないとわ。具体例を挙げて反問したんですが、茶木定義によると、『ドグラ・マグラ』も『匣の中の失楽』もミステリーじゃないそうです。うーん、これだけ聞くと、茶木さんの小説の読み方に関しては我孫子武丸説を支持したくなってくるね。
 大森の場合は、中学校のときに、筒井康隆の「ヤマザキ」(「説明は何もないのじゃ」ってやつ)を読んで以来、小説の中ではなにが起きてもOKだと思ってるんですが、そうか、「ヤマザキ」も『柔らかな頬』も、きっと梅原克文言うところの「メタ言語小説」で、大衆娯楽小説じゃないんだな。そう言えばそんな気もする(笑)。

 海外編は、ベスト30で上がった基礎リストの本の中にさえ、読んでるものがゼロ(笑)。おかげで話を聞いてるとどれもすごく面白そうでしたね。読むとそんなに面白いわけないのはわかってるんだけどさ。とくに杉江松恋の『フィルス』絶賛の弁(これは実験的本格です。サダナムシの一人称に必然性があります、とか)。杉江松恋の本格観は、じつはオレの本格観にかなり近いかも。あー。だからやっぱり色物なのか>オレ。

 5時間にわたる収録(放映は12月中旬から)がすんだあとは、朝陽館の和室で旅館の食事。いや、まさか本郷の旅館でこんな食事をする日が来ようとは(笑)。

 二次会は近所の〈魚民〉。ミステリチャンネルS野編集長と、河出書房S田女史の人物評で異様に盛り上がる。あと、U城@宝島社と杉江松恋の禁断の恋について。あたたかい目で見守りたいという結論でした。
 そうそう、杉江松恋と言えば、かつて茶木さんが自宅に悪戯電話をかけ、奥さんに向かって、「こちらは××警察の○○ですが。おたくのご主人が、痴漢の現行犯で逮捕されて、いまこちらで拘留されてるんですが……」
 とギャグのつもりで言ったところ、すっかり信じ込んだ奥さんは無言で泣き出してしまい、なだめるのに苦労したというエピソードが披露され、これは信じやすい奥さんが悪いのか、「痴漢で逮捕」が冗談と受けとめられない杉江松恋の生活態度が悪いのかという議論になったんだけど、もちろんいちばん悪いのは茶木則雄で、それから二年間、杉江妻は茶木則雄を許さなかったそうですが、もっと長く許さない人がいるのも当然であろう。いや、ヒトのことは言えませんが。

 あとはなんだっけ。我孫子武丸の最近の文庫解説についてもいろいろ言いたい人がいるらしい。あ、茶木さんじゃなくて主に逆密室方面ですね(茶木さんは他人の解説なんか読んでない)。まあ我孫子さんはいろんな人の文庫解説についていろいろ言ったので、いろんな人からいろいろ言われても当然か。わたしは読んでないのでノーコメント。「軽ハードボイルド」という用語の使い方がまちがってるとかなんとか。勉強になるなあ。
 それともうひとつ、

 余談だが、印象として、ハードボイルド・冒険小説のファン、評論家を名乗る人々が本格ミステリをあまり読まないのに対し、本格ミステリファン・評論家は広義のミステリ全体をカバーする傾向にあるようだ。身も蓋もない言い方をあえてするなら、本格ミステリファンにはおたくが多く、勉強家で頭も良い、ということになろうか。

 という我孫子発言(e-NOVELS掲載の『e-NOVELSへの道』Vol.2より。どうでもいいけど、ここはフレーム内のURLを直接たたいても飛べない仕様らしい。なぜ?)も話題になってました。「ハードボイルド・冒険小説のファン、評論家を名乗る人々」と、「本格ミステリファン・評論家」が対置されているのがポイントらしい。なるほど。

 午前2時までえんえん業界話で盛り上がり、さあ帰ろうという段になって、「じゃあ2時間だけやろうか」とメンツを集めはじめる茶木則雄。そんなことをしている場合ですか。横溝賞もホラー大賞も終わってないのは茶木さんだけですよ。角川の人だってこの日記読んでるのに。とか言っても、
「いや、今日は体調悪くて、家に帰っても仕事にならないから」と強引に豊崎由美を勧誘し、本郷の雀荘を求めて歩き出したことは記録にとどめておきたい。屋台のラーメン屋のおっちゃんに、
「ねえ、このへんでまだやってる雀荘ない?」とたずねる茶木則雄。
 おっちゃんの第一声は、
「何人いるの? 足りないなら着いてくよ」
 いや、あの四人いるのでだいじょうぶです。と場所だけ聞いて雀荘へ。メンツは茶木、豊崎、大森にミステリチャンネル制作のS我さん。豊崎由美の強硬な主張で子供レートでしたが、豊崎さんは結局とんとん黒字の三着。大森は最後の一戦でトップ逃げ切り、茶木則雄に勝利。S我さんのひとり沈みでした。




【11月18日(木)】


《鳩よ!》(マガジンハウス)のリニューアル第二号、「名探偵たちの90年代」特集をようやく購入。
 千街晶之の「京極以後」総括原稿を先に読んでおけば《このミス》原稿のネタになったのに。惜しいことである。拡散方向と収縮方向の両ベクトルを指摘するという基本線はモロかぶり。まあしかし、千街原稿は批評サイドの反応が中心なので、内容的にはそれほどかぶってませんでした。
 それより驚いたのが、末國義己の原稿、「〈ヤングアダルト〉という現象 キャラクターと物語受容、その変容をめぐって」。この原稿の冒頭には、
現在、隆盛を極めるYAは、菊地秀行の〈吸血鬼ハンター〉シリーズ(八三〜、朝日ソノラマ)が、過激な描写で、従来の少年・少女小説、アニメのノベライズといった累計を破ったことから始まる。

 と書いてあるんですが、〈D〉がヤングアダルトの嚆矢だという説はどこから出てきたんでしょう。ふつうは、高千穂遥〈クラッシャージョウ〉シリーズの第一巻、『連帯惑星ピザンの危機』(朝日ソノラマ、77年11月)に起源を求めるのでは。
 だいたいDの頃には、もうとっくにコバルトのヤングアダルト路線もスタートしてるわけで、なぜ菊地なのかがよくわからない。そりゃ、赤川次郎の〈吸血鬼はお年ごろ〉シリーズ(81年11月〜)に、「過激な描写」はなかったかもしれないが(笑)。だいたい菊地の中でも『魔界都市 新宿』のほうがはやいし、それを言うなら夢枕獏『幻獣少年キマイラ』だってあるのに(有里さんの和製ファンタジー関連年表 テスト版とか参照)。
 もっともこの原稿の中では「ヤングアダルト」という言葉が定義されていないので(「YAがもたらした最も重要なこと」は、「物語とイラストをパッケージにして商品化したこと」という記述はある)、オレの考えるヤングアダルトとは別のものを指しているのかもしれないが。
 この原稿では、SFアニメの影響もファンタジーRPGの影響も一切触れられていないので、そもそも、大森が知っているのとはべつの世界のヤングアダルトの話のようだ。
『活字倶楽部』の読者投稿や新本格系同人誌のイラストに触れて、
これらが、YAのイラストと酷似しているのは、おそらく、キャラクターを具象的に把握したいという欲望が、YAに端を発しているからとみるのが妥当であろう。

 と末國くんは書いてますが、全然妥当じゃないでしょう。同人誌文化の出発点はYAじゃなくてアニメだし、あえて影響関係で言うなら、アニメ→パロディ小説→(似た雰囲気の)オリジナル小説(=ヤングアダルト)→小説パロディ同人誌ってことになるのでは――と書くとたちまち無数の例外を思いついちゃうね。こうじゃない流れもたくさんあるので。
 いずれにしても、小説同人系のイラストとYAのイラストが似てるのは、「キャラクターを具象的に把握したいという欲望が、YAに端を発しているから」ではなく、両者がおなじおたく文化に属しているからでしょう。

 さらに驚くのは、
YAは、ファンタジーと総称されていても、その実体は、異世界、ミステリ、超能力、ホラー、SF、学園、青春、恋愛……、が自在に〈リミックス〉され、どのジャンルにも属さない、まさにYA的としか呼べない、不思議な作品(ジャンル)世界を構築している。【強調は引用者】

 というくだり。だれがファンタジーと総称しましたか?
  これはですね、一般向けの本で言うと、「エンターテインメントは、ミステリーと総称されていても、その実体は、異世界、ミステリ、超能力、ホラー、SF、学園、青春、恋愛……、が自在に〈リミックス〉され、どのジャンルにも属さない、まさにエンターテインメント的としか呼べない、不思議な作品(ジャンル)世界を構築している」というのと同じ。いや、違うか。大人向けエンターテインメントをミステリーと総称する人はたしかに存在するが、ヤングアダルトはみんなファンタジーだと思ってる人はまずいないと思う。
 ヤングアダルトにもSFがあり、ファンタジーがあり、ミステリーがあり、ホラーがある。もちろんリミックスもあるが、大人向けよりむしろジャンル意識は強いだろう(ファンタジーだと思ってたらSFで落ちるタイプの作品はわりとありますが)。

 前にも書いたとおり、大森的理解では、「マンガ、アニメ、ゲームに代表されるおたく文化を背景に、同一の教養を共有している(精神的)同世代読者に向かって書く」というのがヤングアダルトの本質。作者と読者の距離が近いとか、投稿が多いとか、パロディが出やすいとか、イラストと不可分とか、そういう諸特徴はすべて同じひとつの根っこから生まれたものだと思うのだが(ヤングアダルト定義に関しては、Alisato's 本買い日記に反応あり。一応賛同していただけたようでよかったよかった。)。

 ヤングアダルト史を総括する原稿ではなく、YAがミステリに与えた影響が中心なので、あんまり言ってもしょうがないけど、タイトルを挙げている数少ない作品についても疑問が多い。菊地秀行の次に出てくるのが〈ハイスクール・オーラバスター〉と〈炎の蜃気楼〉(どっちもコバルト)で、まあこれはいいとしても(バランス的にはやや問題)、そのあと出てくるのは、およそ典型的なYAではない〈十二国記〉と〈ブギーポップ〉。これでは共通項の抽出のやりかたが無理やりに見えるのもいたしかたない。
 私見では、〈ブギーポップ〉はYAの先鋭で、〈十二国記〉は……別格(笑)。というのは逃げですが、ヤングアダルトの中にうまく位置づけるのは難しいでしょう。

 千街原稿についても疑問はあるが、覚えていたらまた今度。

 ところで、笠井潔がこの号の座談会中で、柳美里『ゴールドラッシュ』を典型例として、サイコキラーに人間を見るタイプのサイコサスペンスを批判して、「古典的な意味での小説的リアリティがあるだけ、解体された現在のリアリティには欠けてしまう」と言ってるんですが、『永遠の仔』に大森が感じた不満も結局そこに集約されるかも。だからあんなにいちいち理由があったりしないんだってば。いや、ほんとはあるのかもしれないが、『永遠の仔』的な「もっともらしい理由」にもはやリアリティを感じられないという。
 しかしあの文脈でなら、大石圭『死者の体温』に言及してほしい。笠井理論向けの小説なのに。

 というわけで明日から京都です。綾辻名人は四派対抗麻雀@京フェスを企んでいるらしいが、合宿ではたしてそんなヒマがあるのか。まあSF勢はオレが出なくても、いくらでもメンバーはいるだろう。


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