_________   大聖人の御生涯の略年表   __________
「楽しい!年表の月日のおぼえ方」

 「ぶんこぶんぶんぶん」なんてもう言わせない!
任用試験向けに「年表の月日のおぼえ方」を作ってまとめてみました。
果てしなく広くて深い学会末端に伝わる民間伝承をもとに、良質の物を選りすぐり、さらにオリジナルを加えて作成しました。(もっといいのがあったら、教えてほしい!)

西暦中心です。(やっぱ、こうでなくちゃ!) これで、もう安心、年表なんか怖くない!。。。といいんですけど。どうかお役に立ちますように!
(なお、「も」の字は慣習上、「6」の数字に当てはめて読みます。)


前半重要項目


ふつーに生まれた大聖人。名前は善日麿(ぜんにち)。
1222年  216日 ( 大聖人御生誕 )
( 注: 善日麿とは大聖人の幼い時の名前である。)

布教開始で、『地湧にござる。』『世には立宗宣言。』
1253年  4 28日 ( 立宗宣言 )
( 注: 立宗宣言 より怒涛の布教の開始がなされた。 )

返事が、ひとつもォ、ないもん、立正安国論。
1260年  716日 ( 立正安国論提出 )
( 注: 大聖人は幕府に『立正安国論』を提出したが、返事は無かった。)



法難シリーズ( 4つの法難の頭文字をとって、『まいこたちさ(舞妓達さ)』
と順番を覚える。注:ちの字は無視する。 )

1 もォー! 返事が、矢になった、まつばがやつ。
  12608 27日 ( 松葉ケ谷の法難 )
( 注:立正安国論の返事は来ず、かわりに松葉ケ谷で突然、襲撃を受けた。)

2 もひとつ、ごーいんにながされた、伊豆流罪。
  1261年  512日 ( 伊豆流罪 )
( 注: 今度は幕府は伊豆に流した。)

3 もーよい! いちいちいちいちはらたつ、こまつばら。
  1264年  1111日 ( 小松原の法難 )
( 注:それから故郷の近く小松原でも襲撃された。)

4 んてたち!くいにのこるっち、たつのくち。
  1271年  912日 ( 竜の口の法難 )
( 注:今度は法をまげて公けに死刑に処そうとした。 )

5 んてたち!、とうとうながした、さどるざい。
  1271年  10 10日 ( 佐渡流罪 )
( 注: 最後には佐渡に流した。 )

6 佐渡、魔無し佐渡(さっど)去る。
  1274年 313日( 佐渡の一谷を出発 )
( 注:命を狙われていたが、天候が良かったため、予想外に早く出発できた。 )



後半重要項目

1 金竜(こんりゅう)、自由に鳴く。『自由がついに!』
  1279  10 12日 ( 大御本尊の御建立 )
( 注:『金竜』は『建立』にかけている。 )

2 集まった弟子らは、一つ屋尊い身
  1282  1013日( 大聖人御遷化 )
( 注: 大聖人が亡くなった時、地方から弟子旦那らが集まり誓い合った。 )

3 日興上人のあとは、になった
  1333年 2 7日 (日興上人御遷化 )
( 注:日興上人のあとには、人材の山ができ、大河になったという意味。
大聖人が生まれてから111年後とおぼえよう。 )


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