メインページへ |
09/12/27
更新(初版 09/09/25) |
![]() 2009年9月19日〜22日のスナップ集 2009年9月19日 ![]() ![]()
田島駅にて。昭和村大好きのウスイさんは ■右■ 昭和館庭にて。以前に昭和館にお泊りになられていた栃木県のきのこの 先生のお弟子さん達。そうとは知らずに、《栃木ナンバー》で警戒してしまう。 失礼しました。先生はお亡くなりになられたとのご挨拶にご来訪された。雨が 降らないのできのこが出ないとの話。熊の話、ハクビシンの話から、栃木県は 猪被害が多いとの話。 ![]() 川向こうの田圃。稗の刈取り作業。水の入り難かった場所に稗が繁茂した。左側奥(画像外)は、 先日の沢の氾濫で石とカヤなどが流れ込んだ。 |
2009年9月20日![]() ![]()
■右■ キミエ姉の家の庭の見事な朝顔。大輪の水色の朝顔は田島駅前にもあっ た。村内でもところどころで見かける。 ![]() ![]()
■右■ 下中津川にて。朝の散歩。蔵の屋号(家紋)を気に掛けてみる。高舘山登山口近くには 「宝岳」という屋号あり。単なる駄洒落ではないはずとみた。大芦には山崎に「愛」という家 紋の蔵があります。便乗、便乗! ![]() ![]()
下中津川。庭の古木と祠。柿の木だと思う。←桜らしい。 同級生(故人)の生家。中 学生時代はよく泊りこんで遊んだ。家は旅館の作りで、昔は旅籠でもあった。 ■右■ 下中津川阿久戸。二十三夜石碑。二十三夜石碑も村内各所にあるらしい。小中津川 でも見かける。 ![]() ![]()
下中津川阿久戸。道路から見える平地に杉の木があれば、殆どそこには 鳥居と石か木造の祠(ほこら)がある。 ■右■ 下中津川駐在所前。鮫川村ご出身の舟木氏の溶接所工場。無動力の水揚げカラクリ と太陽電池を使用した電飾のディスプレイ。溶接作品が並ぶ。昭和村には溶接 屋がいないので、移り住んだという。ヘンな人だがとても楽しい人である。村内各所にあ る風車の作品も同氏の作。イベントのときには、映像撮影者として活躍されている。 この近くには、大きな瓢箪のなっている畑と道脇に大きな木製工作物の置物が並ぶドッ キリする場所がある。写真映りが悪かったので画像は省略。太い木の丸太1本をチェーン ソーで彫り出して彫像を作るのだという。大蝦蟇蛙(がまがえる)など、不気味だがどこ か愛嬌のある彫像が並ぶ。 ![]() ![]()
舟木式無動力水揚げ装置。手前の赤いポンプではなく、溜水漕の奥の縦長の筒と水 底のトラップのような鉄製装置で揚水する。手押しのポンプとも違う、水圧をバネ仕掛け で叩き続けることにより、水を持ち上げるのだという。機械部分には油さしなども不要。 20年間メンテナンス不要で稼動しつづける。これだけのカラクリで、高さ8メートルま で揚水出来るという。1気圧で水は10メートルまで揚げられるので、この装置は0.8 気圧仕様とのこと。この説明ではよく判らないかも知れないが、書いている本人も判る説 明が出来ないのである。 ■右■下中津川阿久戸。一里塚。 ![]() ![]() 下中津川。杉があれば神社がある・その2・その3 ![]() ![]()
小中津川、広次さん宅の庭。日が出るのを見計らって乾燥させる。きのこ、豆類、 ジュウネン、雑穀などなど。 ■右■ 昭和館・裏の池。カエルがポチャンと音をだす。池に小さな土くれを投げると、若 い鯉が飛びついてくる。古参の鯉は引っ掛からない。水辺に赤とんぼのつがい、糸トンボ もいる、時々オニヤンマ。シオカラトンボを見なかったのは季節のせいか。 ![]() ![]()
小中津川気多神社階段下の矢の原清水。今回は蛇口をひねっても水が出なかった。 元栓が止められているのかも知れない。 ■右■ 「クマ石」のある田圃は、一面の蕎麦畑になっていた。「クマ石」の名前は勝手に 呼称しているだけで、今回も本当の名前を聞きそびれたまま。 ![]() ![]()
からむし工芸博物館ロビーにて。機織の女性が、織った糸の目を数えて いるのか、織済み横糸を戻しているのか、じっとしているのを見た来館者が人形と間違えた。 ■右■ からむし工芸博物館内。秋の企画展「苧麻と型染め−会津が産んだハレ着−」のブースの一画。 ![]() ![]()
織姫交流館・山内善次さんにブドウ蔓の組み方を教わる来館者。 《追記》織姫交流館の軒下では、苧麻倶楽部の直売所が開店中。 殆ど売切れ、店番の女性の方とお話をすると、大芦の方であった。お住まいはのおよその場所(山崎)は判ったが、お名前がわからない。 サンボウダケのパックを購入。懐かしい味である。サンボウダケは、22日の小野川の直売所でも販売していた。 《追記》後日に孝雄さんのブログで、店番の方は五十嵐由美さんと判明する。その節はご応接をありがとうございました(^^; ■右■ 小中津川・六角堂。広次さんについて行く。笹が生い茂り、カヤが背丈 ほど。元の道は見えない。 2009年9月21日 ![]() ![]()
■右■小中津川佐倉間。カラスではない、 ![]() ![]()
からむし織の里前道路際。蔦が絡んで、なんだか動物か怪獣に見えませんか(笑)。 ムーミン型の切り株に続く、ミニスポットにお薦めします。 ■右■ 旧喰丸小学校前。近所の人が水場で洗い物をしていた。挨拶をして立ち 入り禁止ではないことを確認して入る。喰丸小学校校歌の碑がある。喰丸小学 校校歌は、栗城永好さん(作詞)と皆川郁夫さん(作曲)の作品である事を知る。 ![]() ![]()
旧喰丸小学校玄関前。「昭和村民俗資料館」の看板と、小学校内を開放した喰 丸文化祭の時の挨拶文が貼られていた。 ■右■ 喰丸・熊野神社。階段傍まで歩いていくと、近所の人にいぶかしげに見 られた。散歩中ですとご挨拶をして、登る。社(やしろ)の右には手水場あり、 苔むした樋から湧き水が流れている。柄杓もきちんと置いてある。 ![]() ![]()
喰丸・熊野神社。石段を見下ろす。石段もしっかりしている。石段の脇 は、杉木立と栃の木。石段には、栃の実がこぼれ落ちている。 ■右■ 喰丸。おそらく朝しか見られない風景か。天空高く浮かんだ館腰山がそ びえる。 ![]() ![]()
わざわざ迎えに来てくださった孝雄さんの車で大芦へ。森の駅のキノコ狩りが 出来るキノコ園。ヨウイチさんはせっせと炭焼き窯作り。 草加市(交流事業)の子供たちのための体験窯を準備中とか。キノコ園の奥は焼物の「三 笑窯」の作業所がある。織姫交流館では「三笑窯」の製品(カップ、皿など)を販売して いた。線描の幾何学模様はプリミティブだがモダンな感じがした。 ■右■ 佐藤孝雄氏宅にて。手淹れのコーヒー とケーキをいただきながら、過去にNHK(仙台)が放映した「雪の墓標」を見る。 登場される方々の数名は顔と名前の一致する。が、殆ど故人となられたとのこと。 撮影ロケのエピソードなどもお聞きする。 そのあと、孝雄さんの蕎麦打ちを見学。この写真は、最初の沸かしたお湯をかけて掻き混 ぜるところ。間違ったふりして手に掛けて「あっちっち!」などとはならない、奥様の浩 子さんと息のあった作業。孝雄さん一人では絶対に出来ないね(笑)。 ![]() ![]()
蕎麦切り風景。浩子さんは様子を見ながら下地つくりと、キノコ、野菜の天ぷらを 揚げる。出来上がった蕎麦は、美味しくいただいた。蕎麦粉は孝雄さんの師匠から入手し たものとか。仄かな香りを感じた。盤上で蕎麦をこねる場面も撮影したが、写真をご覧の 方が、腰の入れ方(姿勢)で練熟度を判断する可能性があるので掲載しないことにした。 はい、綺麗に薄く平らに盤一杯に広がりましたよ。 ■右■ 孝雄さんと浩子さん。途中で卓球の練習から帰ってきた泉ちゃんも写せばよかった。 ![]() ![]()
からむし工芸博物館にて。突然の訪問に平田さんが驚いてくれた。昨日展示を観覧 した証拠の事象をお伝えする。平田さんは、きゃっと叫んで展示室に入り、事務所に戻っ てなにやらごそごそした後、紙を取り出して、再び展示室に入ったのであった。 ■右■ 昭和館居間。お彼岸でいらっしゃった親戚の方との茶のみ話。外光が映る板場(いたば)は夏 の景色でもある。 2009年9月22日 ![]() ![]()
朝の散歩。気多神社からあぜ道を通ると、初好さんが緑色の瓢箪を水槽 に浸けていらっしゃった。丸く浮かんだところは西洋梨の実の色のようで、み ずみずしくて、なんだか美味しそうな色をしている。瓢箪の上に穴を開けるの ではなく、底から開けてみたとのこと。去年の瓢箪を「2つ持ってけー」とお っしゃる。瓢箪を2つもぶら下げて散歩をしたら、近所の人に怪しまれるので 1つだけいただいた。 ■右■ 折橋、鈴木新一郎さんがベランダにいらっしゃった。2階にあがってお茶を いただく。昭和館の父ちゃん(故束原宗司氏)とのからむしにまつわる思い出 話とエピソードなどをお聞きした。奥様を以前からどこかでお見かけしている はずと思ったら、奥様は中学校時代の先生(長谷川先生)の奥様とご姉妹なのであっ た。どうりで、本当に似ていらっしゃいますよね。 ![]() ![]()
ご多忙中の博昭さんが、時間をさいて下さった。スバル・フォレスタ(車)で、 喰丸トンネルから博士峠を越えて美里(高田)町域まで、小野川、大岐、柳沢 を通って小中津川に戻る。 これは、「Be Greenコース」と呼びましょう。 ■右■ 博士峠には旧道が二つあることや、その歴史話から、伊達政宗の奥会津 侵攻の話。博昭さんはきちんと年代を確認する。『新訂 会津歴史年表』か? 車内に歴史の辞書まで携帯しているのである。わたしが、「ちょうど最近放映 中の天地人の頃の事ですか?」などと的外れな質問をしてしまったのがいけな いのだが(笑)。覚えられないので書いておこう。時は1589年(天正十七 年)、関が原の役(1600年(慶長五年))の10年余り前の事である。 ![]() ![]()
・ ・ ・ (6)山の神の依り木−−知らない山を伐採するときには神の依りそうな木にヨキを入れてみて試す。ヨキがポロリと落ちる木は神様の木である。 ・ ・ ・ このようにして伐採を忌まれ、免れた樹木は、年月を経ていよい よ異様になり、神座・神木として天寿を全うすることになる。こう した樹木を中心として山の神・峠の神・庚申(こうしん)などの森 が形成される場合があった。「聖樹と森の間」ともいうべき数本の 樹木の集合が、小さな聖域を形成する場合が以外に多いのである。 野本寛一氏「神と自然の景観論」(講談社学術文庫)より。 《第三章 聖樹の風景と伝承》伐ってはいけない樹、P.191〜P.194 定点観察中のブナの木。ブナの木に来る来訪者を観察している。来訪者とは、熊、蝉、カ タツムリなどなど。 「そこまで熊がきて逃げた事がある」「これは熊の糞の跡ですね」。そんな話を聞きながら、 近くでカサッ、カサッと音がするのである。どんぐりが落ちて枯葉にあたる音であった。 ![]() ![]()
博士峠・旧道(古道)傍にある岩座(いわくら)。大岩(山の神)の神社。以前はその上 に祠(ほこら)もあったという。右にブナの木、左に水ナラの木。 ■右■ 水芭蕉としらかばの杜のそば。小野川の人たちが開いた一日だけの直売所。 茹でトウモロコシを買ってむしゃむしゃ食べながらドライブ。 ![]() ![]()
■右■大岐、菅家氏のカスミ草選別と染めの作業場。 ![]() ![]()
大岐、菅家氏の作業場内。仕掛けはカスミ草だけではない。TV撮影クル ーが見逃したモノが下げてあるのである。 ■右■柳沢峠のカヤボッチ。 ![]() ![]()
■右■帰りの電車内。乗客に鬼怒川からの接続のことを尋ねられ、「特急は満 席なので乗れません、とにかくこのまま新栃木まで乗っていってください!」。 同じ質問と同じ説明に飽きてしまった車掌。 |