メインページへ 09/11/13 更新
 昭和村のあいうえお 追補
    「ファクサイ」
    ある日、村のホームページに「ファクサイ」という単語が載っていた。
    この↓ように載っていたのです。
      159 2007/10/29 - 紅葉の状態はというと
      ファクサイ(白菜に聞こえますが・・・)の影響、あったようです。
      本日見回った際に、かなり落葉が見られました。
      が、見頃であることには変わりないようです。
     なんだろう?聞いたことが無い。
     村特有の気象現象を示す言い回しか。と勝手に思い込んでしまいました。
     某日に、ひょんなことから「ファクサイは台風の名前」であることを知りま した。つまり世界中の台風の共通の固有名詞であり、知ろうと思えば誰もが知 れる明白な言葉であったのです。  参考:(気象庁/台風の番号と名前)
     わたしには、季節と天候を相手にした生活者の感性が欠落していた。このこ とに思いが至らなかった。
     多くの都会人にとっても、台風を含めた気象現象は、傘をもって出掛けるか もたないで出掛けるかの判断材料でしか無くなっているのではないだろうか。
    (07/12/02)

    お恥ずかしい訂正を含めて、追補として随時掲載予定とします。
目次  
 07/12/02
 07/12/03
 08/06/28
 07/12/02
 07/12/02
 09/11/13
 07/12/02
 09/10/09
 08/08/04
 07/12/02
 08/02/19
 07/12/02
 07/12/02
 08/07/28
 09/08/14
 09/08/20
 07/12/06
 09/03/13
 09/10/09
 09/11/13
 08/05/29
 09/03/06
 09/08/14
【あ】
「赤」色について。
    07年11月18日のTBSテレビ、「文明を支える地底の銀」という番組(世界遺産: メキシコ)を見ていたら、鉱脈探しで「銀の鉱脈は土の下にあり」。 とのナレーション。
【あ】の付く地名。
    誤:赤坂山愛宕山は大芦の山。
    訂正:愛宕山は、大芦以外に佐倉と野尻にもありました。

    からむし織りの里から西方に見える小中津川の山も愛宕山です。08/07/22追加

    地名追加、 雨ケ沢荒田(佐倉、大芦)/ 荒板新屋敷下モ赤坂下赤柴山赤倉赤張沢山

    (07/12/02)

阿賀野川のこと。−−阿賀野川と阿賀川−−

目次へ

【い】
地名追加、
    いご彫場伊勢前井戸沢口一ノ渡戸一本木岩下(喰丸、両原、小野川にもありますね?)/ 岩茸山岩本(下中津川、野尻)/ 岩本山居所入五十里五十里田糸沢石荒畑石白山石仏(下中津川、小中津川)/ 入ノ沢(小野川、野尻)/ 入海入五十苅入後ノ沢入新田入沢口板宿

    (07/12/02)

五十嵐のルーツ
     新潟県三条市下田(旧南蒲原郡下田村)には、五十嵐神社があり、 五十嵐姓のルーツは11代天皇第8皇子、五十日足彦命(五十日帯日子王)イ カタラシヒコノミコトであるとの説明で、全国五十嵐会という組織もあるそう です。
     また、大芦のご出身の五十嵐文さんは、1995年に『わが昭和村』 というご本を書かれています。 その見出し(章名)にも五十嵐について書かれているであろう興味深い項目が あります。
      「地検帳と先祖」
      「大芦の歴史」
      「五十嵐の里 星氏も五十嵐だった」
      「先祖が来た道」
      「伊加良志神社」
      「五十嵐神社由緒」
      「延喜式神明帳と五十嵐小豊次」
      「桜井さんと下田村史」等。
    ほかの見出しも沢山、まだ現物のご本にはお目にかかれていません。

    (07/12/03)

五十嵐スエ子さん。
     2004年6月に(社)国土緑化推進機構による、「森の名手・名人100 人(2004年)」に選ばれています。その選定事由。
      森の伝承・文化/からむし織り
      古代、日本人は、からむし(苧麻)というイラクサ科の多年草を原料として、 衣服をつくっていた。
      氏は、その貴重な織り手の一人で、からむしから繊維を取り出し、糸に紡ぎ、 機を織る技術をもっている。

    (07/12/03)


目次へ

【う】
地名追加、
    姥懐姥林姥林山牛中背漆風上ノ宮沢上ノ山上山上村上村山上台(喰丸、大芦)/ 上谷地上平(下中津川、両原)/ 上盆梅木下モ

    (07/12/02)

または)のこと
    【ほ】の項で、「干場」の付く地名として、以下のように書いた。
      福島県内で「干場」の付く地名を探すと、郡山市に「稲干場」と「苧干場」が見つかる。 これは、対象物(稲と)が はっきりしているので、星との関係は無関係の関係。

    よくみると、芋(いも)ではなく、苧(う)とあったのです。
    からむしのことではないですか!わたしのほうがイモでした。
    読みも調べてみました。苧干場(うほしば)です。郡山市内の住所です。どう して気づかなかったのだろう。昭和村にはなかったが、福島県内で「苧」の付 く住所があるのです。昔はどこにでもあったものでしょうから、他の地方にも 勿論あることでしょうが、調べきれない。
    ちなみに、下記は福島県内で「苧」の字付き住所で見つかったものです。
      郡山市:苧干場(うほしば)、苧浸場(おしてば)
      福島市:苧畑(おばたけ)
      耶麻郡北塩原村:苧畑沢(うばたさわ)、苧畑沢山(うばたさわやま)

    からむし織りの工程まで説明できる地名ですね。浸(して)は浸(した)すで すね(笑)。むかしの地名はやはりステキです。

    (08/06/28)

目次へ

【え】
地名追加、
    槐ノ木(大芦)。えんじゅ(ず)のき。

    (07/12/02)

目次へ

【お】
地名追加、
    於伊勢山於出口沖田荻窪大関大久保(大芦、野尻)/ 大妻山大山大出合大新田大沢(下中津川、大芦)/ 大谷地(下中津川、小野川)/ 大坪大土山

    (07/12/02)

目次へ

【か】
地名追加、
    賀久馬寒金観音平鍵金山上廻戸上岩下上向(喰丸、佐倉)/ 上三島上三百苅上松坂上新田(下中津川、松山)/ 上川原(佐倉、大芦)/ 上地区上日影上風下上木屋新田上林川原田(下中津川、喰丸、小野川)/ 川前(下中津川、小野川)/ 川谷貸安鍛治林風下(下中津川、喰丸)/ 風出屋

    (07/12/02)

賀久馬(カクマ)のこと
    カクマとは標準和名ではヤマドリゼンマイのことを言う。金属探鉱にも関連す る。
    2009年11月 9日 (月)のカンケブログにありました。
    (09/10/09)


目次へ

【き】
地名追加、
    久山霧久保木曽木曽下モ木曽山木置沢

    (07/12/02)

目次へ

【く】
地名追加、
    久九竜汲山苦辛原空田窪田熊ノ堂楜桃ケ下タ楜桃木平

    (07/12/02)


栗城永好さん。
    1931(昭和6)年生まれ、結社「沃野」に所属。2007(平成19)年12月ご逝去。
    昭和中学校校歌、松長小学校(会津若松)校歌を作詞。
    朝日新聞朝刊に連載されていた「折々のうた」には、06年7月14日に同氏 の短歌が採取されている。

     IT革命そんな革命あったのか知らず今日まで寝て過ごしたり

    (07/12/14)

クイナ山
    09年9月22日に菅家博昭氏に案内されたドライブで実際のクイナ山を見た。 クイナは鳥の名前と思っていたが、鳥の名前ではなく「喰丸の山」からきてい るという同氏の説をお聞きした。
    (09/10/09)

目次へ

【け】
地名追加、
    毛桃沢

    (07/12/02)
気多神社・由緒書等
    気多神社御由緒
    国道400号脇参道前・由緒書(撮影:08/07/19)
    気多神社正面
    気多神社正面(撮影:08/07/19)
    高遠石工作品
    灯篭・高遠石工作品(撮影:08/07/19)
(08/08/04)

目次へ

【こ】
地名追加、
    越田腰巻小屋小開小苅安小峠小林

    (07/12/02)

目次へ

【さ】
地名追加、
    猿館山妻神平坂ノ向坂下坂下タ三引山三松(松山、野尻)/ 三松山三百苅(下中津川、佐倉)/ 山神前(下中津川、大芦)/ 沢口沢田(大芦、野尻)/ 里沢

    (07/12/02)

目次へ

【し】
地名追加、
    下タ松坂下ノ上ノ山下モ向下廻戸下原下五十苅下向(喰丸、佐倉)/ 下向下切下向上切下根岸下三百苅下手原下新田(下中津川、松山、大芦)/ 下水泥下谷地下地区下遅沢下日影向下平下木屋新田四百苅(下中津川、小野川)/ 獅子伏(下中津川、小中津川)/ 菖蒲谷地新田(下中津川、喰丸、両原)/ 新田下モ清水清水尻白森山(大芦、両原)/ 白沢原白沢山白淵敷田重郎

    (07/12/02)


写真について。
    おまイの、しせ(出世)にわ、みなたまけました。
    にはじまる、野口英世の母シカの手紙に、
    さしんおみるト。
    の表現があることを見つけました。このさしんは勿論、写真の事です。
    とすると、福島県では「しゃ」を「さ」と発音するのは一般的な事なのでしょう。 それを奥会津出身のわたしが「刺身」と間違えるほうがおかしいですね。 これはわたし自身に訛りコンプレックスの裏返しがあったために「さ」を素直 に「しゃ」と聞かないでしまったのでしょう。ビールが出ていたのでついつい 「ツマミ」の方に気がいってしまったという情状酌量の点もありますが(笑)

    (08/02/19)

目次へ

【す】
地名追加、
    砂子田砂田数道菅田(大芦、野尻)/ 炭焼沢鈴倉山
07年12月1日、【せ】の項で、住所(地名)の収集があまりにも貧弱でし た。
掲載済みの【あ】から【す】までの項に、追加収集した地名を追加しました。
判明する限りの同一地名分には集落名をつけました。
(07/12/02)

目次へ

【せ】
(せき)について
    堰には、ジャカゴやコンクリートを使用したいわゆる建造物としての堰と、川 底の石(岩)や材木とツタなどで作られていた工作物とでもいうべき堰があり ました。『会津学Vol.2』を読んでいたら、「堰上げ」という言葉を見つ けました。これはまさに季節工作物としての堰の事だと思います。

    堰の事ではありませんが、堰から流れる用水路(堀)があります。田舎からの 帰りのバスで景色を眺めていると、両原の集落を過ぎるあたりには、耕地整理 で広くなった田んぼがいくつかあります。その脇には堀が1本ではなく並行し て2本流れていました。棚田をまとめると、その上下の田んぼとの境界部分は 自ずと傾斜(段差)が大きくなることは否めません。堀から流入する水量も面 積比率で増加することになります。傾斜がきつくなる上に一枚あたりの水量が 増加すれば、堀の断面積も広くなり壁面及び叉路部分の強度も必要となる。そ れを緩和する為に堀が2本設置されて、おそらく各々の堀は奇数番目の田んぼ と偶数番目の田んぼを担当しているのかなという理屈を考えてみました。

    (08/07/28)

目次へ

【た】
のつく山について
    09年8月13日に、「趣味で山の名前を探して」いらっしゃるという会津若 松の方から、メールをいただきました。
      その中の、高井原山・高橋沢山・高倉山・滝ノ岐山・滝沢山・ 立裏山・田尻山、については、山名・位置について、未だ分かっておりません。
    Webで見つけた元情報をみると、以下の情報しかない。
    どのあたりかが分らない。(カッコ内は集落名)。
    高井原山(下中津川)、高橋沢山(下中津川)、高倉山(※1)、滝ノ岐山(両原)、 滝沢山(下中津川)、立裏山(両原)、田尻山(下中津川)
    (※1)は、集落名も不明。高舘山を転記ミスしたのかもしれません。
    どなたかご存知ないでしょうか。

    (09/08/14)

目次へ

【ち】
苧麻倶楽部

目次へ

【と/ど】
同一地名一覧

目次へ

【な】
鍋石

目次へ

【ね】
根堀場のこと


猫沢のこと
    「猫沢」の「猫」は、動物の猫ではなく、「根小屋」からきているらしい。

    (09/10/09)


目次へ

【ひ】
百苅(刈)について
    百刈とは概略、 田の面積を量る方法の一つ。刈り取った稲の一〇(一把は鎌の二手打) を一とし、その一〇〇倍の収穫ある田積。 年貢納高や小作料を知る規準として古くから用いられ、百刈の地積は約一反歩 とされたが、地方・時代によって異なる。 (小学館国語大辞典)とあります。一反歩といわれても殆どどのくらいの広さ かも見当がつかない。
     基本は、稲の株(というのかしらん)をむかしの鎌ではシャキ、シャキ、ギ ザのついた稲刈鎌ではジャリ、ジョリと2回切った分が一把(いちわ)、これ を十把(じっぱ)一からげとすると、一束(ひとたば)ということですね。た だ同じ辞書の別項の説明では、「六把を一束」という説明もある。ここでは計 算しやすく十把ですすめてみます。
     その上で、奈良時代の枡(ます)では一把で五合となると記述され現在の枡 では基準が違うので、ほぼ二合(約300グラム)とありました。
     とすると、一反歩でどれだけの米の量となるか。
     300グラム × 10 × 100 = 300キログラムです。
     では、一反歩の稲刈の作業量も考えてみます。
    1刈は、20手打ち * 15秒 = 300秒 ほぼ5分
    一反歩(百刈)では、5分 × 100 = 500分 ほぼ8時間強。つま り、ほぼ1人日の作業量となる!

     全く大雑(おおざっぱ)な説明ですね。

    (07/12/21)

     あまりの法螺噺(はなし)なので封印しておきました(笑)。信じないで下さい。

日落沢(ひおちざわ)について
    日落沢(ひおちざわ)とは、木賊平(とくさだいら)から見た命名。戦後の開 墾で入植した人びとはこの地を「ヒノデ(日の出)」と名づけた。
    これも09年9月22日にカンケさんに聞いた話。

    (09/11/13)


目次へ


【ほ】
星の祭りのこと
    柳田国男「遠野物語」112の条に星谷の説明として以下の記述もあり。
    ○星谷という地名も諸国にあり星を祭りしところなり。
    「遠野物語・山の人生」(岩波文庫:P.70)

    (08/05/29)

目次へ

【ま】
マッターホルン

目次へ

【や】
矢の原清水のこと

ヤマトンボのこと

目次へ



ホームページの掲載内容に関する問合せ、ご意見は、jin-san@japan.email.ne.jp までどうぞ。