表紙の言葉



看見的、看不見了。
夏風輕輕吹過、在瞬間消失無蹤、
記住的、遺忘了。
只留下一地微微晃動的迷離樹影……

見えていたものが、見えなくなってしまった。
風が、心の中を吹きぬけていき、
覚えていたことも、今はもう思い出せない。
ただ、霧がかかったような記憶の影が
かすかにゆれる……

幾米 『月亮忘記了』

アクセスカウンタ
170000〜199999

     

  • 台湾の絵本作家、幾米(ジミー)の『月亮忘記了』の中の一節。
    『君といたとき、いないとき』というタイトルで小学館から日本語訳も出ている。

  • 話は、ある男がアパートから月を見上げていて、突然、突風にあおられ、
    階段の手すりから落ちるところから始まる。

    靄が懸った記憶の中の風景のような場所で、夏の草原で、少年と月が出会う。
    少年と月との楽しい日々が続くが、月はだんだん大きくなっていき、
    少年の住むアパートの部屋では生活できなくなる。
    最後の楽しい時を過ごした後、月は少年から遠ざかり、どんどん空に上っていく。
    そして、別れの淋しさが胸に迫ってきたとき、記憶の靄が晴れて……

  • 台湾は繁字体なので、中国語を知らなくてもある程度内容が理解できる。
    しかし、字が読めなくても、絵から、このせつなさが伝わってくる。

    台湾ではかなり売れたようで、誰に話しても、たいてい話が通じる。
    これと同時期の作品『向左走、向右走(君のいる場所)』も、なかなかよい。

    ('03/01/05)


「おまえは疲れているんだよ。」
ぼくには彼のからだが一瞬ビクリと動くのが分った。
ぼくはもう一度言った。
「おまえはすごく疲れているんだよ。」

庄司 薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』

アクセスカウンタ
140000〜169999

     

  • 彼がもし今の時代の作家なら、毎日膨大な量の日記をWebで公開しているだろう。
    そう思って検索をかけてみたが、見つからなかった。
    もっとも、彼は既に筆を折ってしまい、もう二度とマスコミには現われないであろうことも、
    彼のエッセイ等から読みとれるので、彼が決してホームページを作らないであろうことは、
    最初から予測がついている。

  • 1937年生まれ、ということなので、今年65歳。
    青春の代名詞だった薫クンも、なんと年金をもらう歳になってしまった。
    しかも、自分の印税の貯金ではなく、おそらく中村紘子の収入で養ってもらっている状態だろう。
    結婚した時点で彼の人生は止まってしまったが、それは、

    二人はいつまでもなかよく平和にくらしました

    という、お伽噺のエンディングそのものかも知れない。

    ('02/05/21)


夜とひるとのあいだには、自然が眠っている時間がある。
その時間を見ることができるのは、早おきの人たちか、
夜どおし旅をつづける人たちだけだ。

フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』

アクセスカウンタ
120000〜139999

     

  • 昔に比べて夜が明るくなったので、12時ぐらいまで起きているというのは、
    普通の人にとってごくあたりまえのことになってしまった。
    それでも、夜中の3時〜4時という、まさに上に書いてあるような、夜とdaytime の間の時間帯は、
    標準的な時間帯での生活を営む人々
    (つまり、朝6〜9時頃に起きて、昼間を生活の中心となっているような一般的な人たち)
    にとっては、普段は寝ているだけの時間である。
    だから、たまにこの時間まで起きていて、かつ、屋外にいるような場合、
    そこで感じる夜の空気には特別なものを感じる。
    井上靖がエッセイでしばしば言及する『暁闇』に対する思いも、似たようなものかも知れない。

    ('01/12/14)


それをわれわれは不透明さということにたいする若干の
嫉妬の気持ちもあつて透明だといつたり溶けること
にたいする頑固な期待もあつて氷つていると
いつたりするだがそれがどんな反応を
期待することなのかじつは自分でもよくは
わかつていない

安東 次男『氷柱』

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105000〜119999

     

  • 詩集"CALENDRIER" の冒頭。
    この詩集は、12編の詩からなり、各詩のサブタイトルが1月〜12月となっている。
    詩とその月が直接的に結びつく訳ではないが、詩自体と月の名前(仏語表記)が
    それぞれ持つイメージが重なりあり、全体に深みを与えている。
    この趣向・表現形式はなかなか魅力的で、真似したくなる。

    それがどんな反応を期待することなのかじつは自分でもよくはわかつていない

    というフレーズがよい。

  • 安東次男は、最初は詩人・翻訳家として出発した。
    詩はシュールレアリズム調のものが多いが、当時主に翻訳していた、
    20世紀初頭のフランス・シュールレアリズム期の詩に影響を受けることが多い。
    その後、蕪村の評論から俳諧へと移って行き、次第に西洋からは遠ざかる。
    しかし『花づとめ』等を読んでみると、その美的感覚は生きている。
    (2002年4月9日死去)

    ('01/08/19)


『表紙の言葉』
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『枕草子*砂の本』 『表紙の言葉』
(アクセス数 200000〜)

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三島 久典