表紙の言葉


 
テーブルの上に忘れられたコップ
廃墟すら消えそうで、砂漠の砂がすべてを侵略していく。
コップから奇跡の水があふれ、小川に広がっていく。

Remedios Varo
"Recetas contra las pesadillas"
より

アクセスカウンタ
29000〜29999

     

  • スペインの亡命女流シュールレアリスト画家、レメディオス・バロ 『夢魔のレシピ』より。
    文・絵とも、ロートレアモンの「ミシンとこうもり傘が手術台の上で出逢う」の雰囲気そのものである。

  • この砂を侵蝕していく水のヴィジョンは美しい。
    古ぼけた木の机の上に置かれた、やはり古いぼけた、厚手の少し緑がかったガラスのコップ。
    カメラは、それのみをずっと映している。
    やがて、水が少しずつ増えていき、コップからこぼれ落ち、机から滴り落ちる。
    机の下の水溜まりが徐々に大きくなり、ついには部屋からもあふれだし、
    カメラがロングになると、そこは、沙漠の真ん中のオアシス。
    タルコフスキーの映画にありそうな、そして、ガストン・バシュラールが引用しそうな、静かな風景。

    (『夢魔のレシピ』の詳細は、 工作舎のこちらのページ から見ることができます)

    ('99/07/20)

 
22. A Book of Motion

At its most complex level,
it explains how ideas chase one another in the memory
and where thought goes when it is finished with.

最も複雑な部分に至っては、
知識は記憶の中でどのようにお互いを追いかけるのか、
考えるのを止めた時、その考えはどこに行ってしまうのか、
ということについてまで、言及されている。

"Prospero's Books"より

アクセスカウンタ
28000〜28999

     

  • Peter Greenaway,"Prospero's Books"に出てくる24冊の本のうち、22番目『運動の本』についての解説からの一節。

    ('99/07/02)

 
  あなたはかなり個人主義の様です。
  自分は自分、人は人という割り切りがはっきりしていて人にクールな印象を与えます。
  友達関係もべたべたと付き合わずある程度距離を置いて付き合ってしまいます。
  そのせいか、周りの人にはどこかつかみ所のない人と思われているかもしれません。

  あなたは時々そんな自分をさみしいと思うでしょうが、さみしいのは皆同じです。
  人はみなさみしいのだ。あなたはいつかきっとそう悟る事でしょう。
  そして涙を流しますが、そのあなたの涙を誰も見る事はありません。

なぜならあなたは根っからの一匹狼だからです。

"ドラゴンクエストIII 性格診断"より

アクセスカウンタ
27000〜27999

     

  • スーパーファミコン版のDQ3のオープニングに簡単な性格診断があって、出た結果が2回やって2回ともこれ。
    「誰も見る事はありません」で一回画面が止まり、次の「なぜならあなたは根っからの一匹狼だからです」を見たときは、
    ひっくり返った。

  • 引用における主従の関係を考慮するならもう少し書かなければならないが、こればっかりは、これ以上どうしようもない。
    あえてへりくつをこねるなら、あくまでも性格が主であり、性格診断の結果はそれを文章化した、
    いくつかある表現の中の一つに過ぎない。だから主従関係は十分満たしている。

  • 今にして思い出したが、中学2年の時、深夜放送に投稿した時のペンネームがやはりLone Wolfだった。

    ('99/06/13)

 
天国、それは満たされた欲望のヴィジョンにすぎぬ。
天国、それは満たされた欲望のヴィジョンにすぎぬ。
天国、それは満たされた欲望のヴィジョンにすぎぬ。
天国、それは ………………………………………

Thomas Wentworth Woods
"Ultima Thule"
より

アクセスカウンタ
26000〜26999

     

  • 厳密に云うなら、引用したテキストは、"Ultima Thule" に関する創作ノートに書かれているものである。
    それは、ほぼ2頁に渡って繰り返され、最後の句は、まるでこれを書いた人が忍耐の限度に達してしまったかのように、
    インクのしみがとびちって乱れていた。

    まず、私家版 "Ultima Thule" について、現存するテキストは以下の一節のみ。

    だが、地上に縛りつけられた目で天国を見てしまった者は、
    来世の天国の望みを捨てることになる
    ――なぜなら、そういう人は、心にうつるもののほかには
    何の現実もないことを知ってしまっているからである。

    創作ノートには、これに先立って、以下の節が出現する。

    あの河のむこうに……

    これは、引用はここで終わっているが、引用者のコメントによると、それは、以下のような光景を描写したものである。

    彼女は外の世界に目をむけ、そこでほとんど気を失った。
    まるで違う惑星の光景を眺めているようなのだ。
    丘や谷、大地、空、水がそこにあった。
    けれども、それらのものは、薄い透明なもやの中にふわふわと浮いているか、
    蜃気楼でしかありえない湖にうつしだされているように見えた。
    彼女の全身全霊は恍惚でうずいていた。天国とても、これほど美しくはあるまい。
    この幻の国に到達する道は彼女にはなかったが、
    それでも、自分は、その国を垣間見ることを許された一人の人間なのだというふうに感じられた。

  • "Ultima Thule" というタイトルについても、いくつかの引用がある。
    まず、 "Ultima Thule" とは「世界の極北」。
    それにくらべればオリンパスでさえ神々の田舎市のように見すぼらしく見え、
    ギリシャ神話の「楽土」イリジアムなどは詩人のための田舎クラブみたいに思われる、すばらしい土地。

  • ………… 種明かしをしよう。
    出典は、ジュディス・メリル編『年刊SF傑作選1』収録の、エリザベス・エメット『魅惑』
    (Elizabeth Emmett,"Enchantment") である。この中に上記の話が出てくる。
    最初にこれを読んだとき、そこに描写されている断片を元に、『 Ultima Thule 』という小説を書いてみようと思った。
    しかし、何度熟読しても、余りにも手がかりが無さ過ぎ、断念している。
    そのかわり、出現する語句については、いろいろ調べた。

    研究社『リーダーズ英和辞典 第2版』によると、

    Ultima Thule : 世界の果て、最果て、極北の地。極限、絶頂、はるかなる目標[理想]
    Olympus : ≪神々の住む≫天、高き所
    Elysium : 幸福の理想郷、楽土、至上の幸福

    また、引用者は、その Ultima Thule のヴィジョンについて、

    この世のうさを忘れさせる妙薬ネペンシよりも効き目の強いオゾン

    と語っているが、これは、

    nepenthe : 憂いを忘れさせる薬。消憂薬。≪たぶん阿片≫

    Ultima Thule 自体は、ゲーテの詩に『トゥーレの王』というのがある。
    また、クセジュ文庫、ルネ・テヴナン『伝説の国』によると、Ultima Thule 自体は漁師の間の古い言い伝えによるものだが、
    実際の場所は、シェトランド諸島、或いはフェローズ諸島ではないか、という学説があるらしい。

  • 極東の地に、ここまで深読みをする読者がいたとは、……

    ('99/05/26)

 
偶然は自分の意志とは関係なく存在しますが、
偶然の中から、いいものを引き出して、
それぞれの未来に結びつけるのは、
やっぱり、自分の意志だと思います。

小室みつ子
『ノイジー・ナイトに乾杯!』
より

アクセスカウンタ
25000〜25999

     

  • この人は、自分が考えていることを表現するのが好きで、 かつ、読者との対話が好きなので、
    (これは、彼女の著作のあとがきを読むとよくわかる)

    今の時代なら必ずホームページを持っているに違いない

    と思って、goo で検索をかけたところ、みごとヒットした。
    それにしても、本当にうれしい。
    (ホームページはこちら。)

  • この人については思い入れが強くて、今はあまり書けない。
    徐々に充実させていこうと思う。

    ('99/05/03)

 
思うに、勤勉さというのは、意に染まぬ苦行に耐える能力ではなく、
状況の如何に関わらずモチベーションを高く保つ能力であり、
とすれば、それは一種の才能ということになる。

小田嶋 隆

アクセスカウンタ
24000〜24999

     

  • もっと早くからホームページがあってもおかしくなかったが、実際に開設したのは去年。
    意外なことに、ほぼ毎日日記を更新している(URLはこちら)。
    それは、勤勉ということではなく、やはり彼は文を書くのが好きなのだろうと思う。

  • その日記の、ごく、初期に書かれていた言葉。
    最近の雑誌の連載等では少しキレ味が落ちているが、それでも、まだこのような言葉が出て来るということは、
    まだ、才能のストックがあるのだろう。
    シニカルさが身上の彼にしてはめずらしく座右の銘にしておきたいような言葉。
    ちょうど、この時期、新人に送る言葉にふさわしいと思う。

    しかし、やはり、『我が心はICにあらず』『安全太郎の夜』の頃が懐かしい。

  • そして、Web上で見た場合、似たような多くのページの中に埋没してしまっているのが、残念である。

    ('99/04/10)

 
ウィンザー城には感心したが、テムズ川とロースト・
ビーフの味はさほどよい印象ではなかった。
古い造りの橋を渡りながら眼下に眺めたテムズ川は
ゴミの浮く少々汚れた川という記憶が強く、
ロースト・ビーフはシンプルな味という以外は
取り立てて印象に残らなかった。

徳仁親王
『テムズとともに 英国の二年間』
より

アクセスカウンタ
23000〜23999

     

  • ロースト・ビーフの味をこれ程的確に表現した文章を見たことが無い。夏目漱石も為し得なかった快挙である。
    だからテムズ川も、この表現が示すように、川幅の狭い、薄汚れた川なのだろうと思っていた。

  • 日本の河川は一般に川底が浅いので、水量もそれ程多くないし、その流れに対して圧倒的な迫力を感じることもない。
    それ故、Tower Bridge の傍のホテルから眼下にテムズ川を眼にしたとき、そのあまりの水量と、
    船が引っ切り無しに航行していることに驚いた。日本ではまず見られない光景である。

  • 最初にこの本を読んだ時に、「テムズ川の交通史」というテーマに何の魅力も感じなかったが、
    実物を見た今、何故このテーマを選んだのかがよくわかる。冒頭の文章にも愛が感じられる。
    "The Thames as Highway" という論文を是非とも読んでみたい。

  • 自分の出張報告も、このような格調高い文章にすればよかった ……

    ('99/03/17)

 
少女は眼であり、少女は心そのものだ。
少女の歌声は胎児のように艶やかで、
その言葉は老人の沈黙であり、僕の記憶の手引きであった。
僕は慌ててポケットの中の言葉を草むらに捨てた。
それらを踏みつけた時、
蝉の脱殻や枯葉を踏みしめた時の笑顔が僕に甦った――

円里 至
『空耳の丘にて』
より

アクセスカウンタ
22000〜22999

     

  • 正確に云うなら、タイトルは不明。初出の雑誌名が『View』である。
    「円里 至」は「まどかりいたる」と読む。一部に熱狂的ファンを持つ詩人。

  • 更に正確を期すなら、「円里 至」という詩人は実在しない。
    これは、遊佐未森『空耳見聞録(Ilmilione Harmonia)』の中の
    『雲に咲く花(The Invisible Flowers)』の中に出てくる一節。
    煙草が切れて、夜中、pubに出向いたとき、偶然、彼が敬愛する作家知念利春の息子、知念理路に出会う。
    理路自身も文学関係の各賞を総ナメにする、新進気鋭の作家である。
    その作家が自分の著作物、数号前の雑誌のエッセイの中のジョークに至るまで暗記しており、
    さらに、或る詩に対する感想は、書いている本人以上の理解力を示している。
    にもかかわらず、彼は自分の才能に嫉妬している、と云う。
    そして、冒頭の詩を暗唱して見せる。

  • 街はずれの空地に存在する、「機械」という名で呼ばれながら、実際はどのような機構で動作しているのか皆目不明の
    (というよりも、ほとんど魔法によって動いているとしか思えない)ガジェット群、
    音楽家、芸術家と、圧倒的な読書量を誇る読書人、これらから構成される遊佐未森の小説。
    アルバム3枚目までの、彼女が一番彼女らしかった頃の、彼女の小説のモチーフは、
    ますむらひろし井辻朱美の Flavor と、驚く程よく似ている。

    ('99/02/19)

 
洞窟のイマージュが休息の想像力に依存しており、
他方、迷宮のイマージュが、困難な運動、
苦悩にみちた運動の想像力に依存しているのだ、
と言いうることが、出来るのである。

洞窟というものは、無限に夢みる隠れ場である。
それは、保護された休息、平穏な休息の夢に直接的な意味をもたらす。
ひとたび神秘と恐怖のある境界をとおりすぎれば、
洞穴の中に入る夢想家は、
そこで生きることができるだろうと感ずるものである。

バシュラール
『大地と休息の夢想』
より

アクセスカウンタ
21000〜21999

     

  • 子供の頃、私は寝付きの悪い子供だった。
    睡眠へと移行する不連続の瞬間が気になってしょうがなかった、ということもある。
    そのことも、一つの要因となり、毎晩いろんなことを考えていた。
    ふとんに入った瞬間に考えていたことを出発点として連想が繋がっていき、
    1〜2時間もたつと、最初に考えていたこととは、ほとんど繋がりのない内容を考えている。
    そこで、何故、今自分はこのようなことを考えているのか、と気がつき、連想を逆に辿っていく。
    そして、そもそもの出発点に到達し、そろそろ寝るか、という気になる。
    今風に云うなら、記憶連鎖の中を、ネットサーフィンしていたようなものだ。

  • 人間の感覚認識の8割方は視覚に頼っている。
    だから、視覚が利かないような環境に置かれた場合、通常より、想像力が働くことになる。
    CPUの8割が、いきなり、感覚受容から解放されてしまうのだから。

  • 昔、LPを買ってきたときは、必ず、部屋を暗くして、ヘッドホンで聞いていた。
    これも、視覚を使わないで、聴覚だけに集中したかったからである。
    昔の家、クロス張りでない壁に囲まれた部屋は、電気を消すと、本当に暗くなった。

  • 今、このような環境は望めない。また、自分の想像力も、このように流れてくれない。
    外部から与えてくれるもののみを求めるようになってしまった。

    ('99/01/28)

 
「アントンは何町に住んでいるの? 覚えている?」
「砲兵隊通り、5階、右側」と、点子はいいました。
「番地は?」
「180÷5」と、点子はいいました。
「なぜ36とそのまま覚えておかないの?」と、アンダハト嬢がたずねました。
「この方が覚えがいいの」

Erich Kaestner
『 Puenktchen und anton 』
より

アクセスカウンタ
20000〜20999

     

  • ケストナー『点子ちゃんとアントン』より。
    こんなセリフを吐くのは、

    • フィービー(『ライ麦畠でつかまえて』)
    • クラリッサ(『恐怖の7日間』)
    • ルイーゼ(点子の本名)

    の3人だけである。

  • 小学3年か4年のとき、よくある「子供に読ませたい本」というリストの中に、このタイトルを見つけた。
    「フランダースの犬」とか著名なものが並ぶ中、この作品だけはタイトルも作者も聞いたことがなかった。
    放課後、学校の2階の階段の横のロビーになっているような場所でこの本を探して、
    (そこは、図書室を教室に変更した反動から、臨時で本棚が置いてあって、実質上の図書室として機能している場所だった)、
    最初に開いたページに書いてあったのがこの場面。
    他の生徒があばれまわっている中で、2時間程かけて、その場でそのまま読み通した。
    まわりの雑音が気にならないほど何かに没頭した、生まれてはじめての経験だった。
    (それから、この本に関しては「耳すま」のような想い出もあるのだが、今は書かない)

  • この話には、各章の終わりにその章の教訓が書かれている。
    当然、考えさせられるような名言も多い。

    そういう言葉を差し置いて、何故、「表紙の言葉」として、これを選んだのか?

    と、一瞬たりとも疑問を抱いた貴方。
    あなたは、まちがいなくアンダハト嬢の側に属している。

    そして、私はそのことについて「不幸にして」とか「残念ながら」等の修飾を冠するつもりはない。
    それは、そのように人のことを理解することが、この本を読んだ者の義務だから。

    ('99/01/07)


『表紙の言葉』
(アクセス数 10000〜19999)
『枕草子*砂の本』 『表紙の言葉』
(アクセス数 30000〜39999)

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三島 久典