<研究室の風景、教授が机に座って話し出す>
やあ、みなさん、私の研究室へようこそ。
今夜もこの時間で歴史とは何たるものかを理解した者のみが味わえる喜びを皆さんにも感じ取って頂くことを期待します。
さて、今夜は普段から皆さんがごく身近に接しておられる、ハンバーガーの歴史についてお話してみたいと思います。
ハンバーガーの歴史とは、すなわち強大な権力によって君臨しているマクドナルドに対して、ロッテリア、モスバーガー、ウエンディーズの諸勢力がいかにその市民権を訴えていくかの歴史であります。
ちょっと、こちらを。
こちらは1988年7月、マクドナルドのサンキューセットに対して、ロッテリアがサンパチトリオによって半期を翻した7月革命を表した物です。
ハンバーガーの歴史とは、こうした革命の歴史であることをお話ししましょう。

<本編始まる>
「近世ハンバーガー革命史」

人類は、いつの頃からハンバーガーという食べ物を口にするようになったのだろう。今に残るある言い伝えによれば、人類で一番最初にハンバーガーを口にしたのはアダムとイブであったという。
そもそも、それまで人類は歩きながら物を食べるという不作法な行為を神から堅く禁じられていた。
しかし、アダムとイブはその神の教えに背き、歩行者の園というところで禁断のハンバーガーを歩きながら食べたのであった。
それ以来、人類は永久にその罪を背負い続けることになったという。

その言い伝えの地と言われている東京銀座。今日、ティファニーが存在する銀座三越のこの地にマクドナルド王朝は誕生した。今から19年も前のことである。
マクドナルド王朝の誕生をきっかけにハンバーガーは全土に広がり、その所々にそれぞれの主義・思想をもったハンバーガー政党が結成されていくことなる。
まず、1972年、日本橋高島屋にロッテリア党が結成される。ロッテリア党はマクドナルド王朝と似通った政策を掲げつつ、果ては政権打倒を狙っていた。
同年、都心から遠く離れた成増という地にモスバーガー党が産声を上げる。
モスバーガー党は、以後も、このような遠隔地に的を絞った活動を続けて行くがその真価が現れるまではかなり長い時間を要するのであった。
それから遅れること5年、サントリー家の後ろだてにより、ファーストキッチン党が結成される。結成地は池袋東部デパートの地下であった。
そしてさらに遅れること3年、マクドナルド王朝発祥の地、銀座でウエンディーズ党が結成される。こうして1980年まで主なハンバーガー政党は顔を揃えたのであった。

ハンバーガーの歴史、それはマクドナルド王朝のハンバーガーといかに差別化し、独自のハンバーガーの市民権を獲得していくかという過程に他ならない。
しかし、1970年代のおいてはマクドナルド王朝の権力は絶大で、それぞれの党はその追随に精一杯の状態であった。何故マクドナルド王朝はそれだけの権力を持ち得たのであろうか。
その答えがここにある。マクドカルタ。大憲章とも呼ばれるこの法典には門外不出とされたハンバーガーの作り方、そして売り方の全てがまとめられている。
その一節をのぞいてみよう。
第一条、作ってから10分経過したハンバーガーは即座に処分せよ。もしそれを口にする店員があらば、断罪に処す。
第二条、ウエイトレスは注文を受けたらすぐに客に背を向け、商品を集めることで客に支払いをする準備の時間を与えよ。
第三条、アルバイト間の、特に高校生同士の恋愛をここに堅く禁ずる。
こうした厳しい掟はおよそ2万5千にも及び、このマクドカルタを柱にマクドナルド王朝はその独裁を確固たるものにしていくのであった。

しかし、1970年代後半、ハンバーガー民主化の目がようやく芽生え始めた。それはロッテリア党のある商品がきっかけであった。ハンバーガー民主化、その第一歩とは・・・エビバーガーの発表であった。1977年2月マクドナルド王朝の存在を全く感じさせない自由な発想のハンバーガーが誕生したのである。
こうした地味ながらも民意をとらえた政策を打ち出したロッテリア党は、後にマクドナルド王朝を脅かすほどに成長するのであった。
しかし、ロッテリア党の政策はエビバーガー以降、マクドナルド王朝のそれに似かより独自性を失っていく。その事実は民主化を求めていた他の政党の反発を招き、もっと個性のあるハンバーガーを、という機運が一気に高まった。

この時期、その民主化に重要な役割を演じた男がいた。ファーストキッチン党活動家、ハジメ=ド=ハナ。マクドナルド王朝とは全く違うハンバーガー、ベーコンエッグバーガーを手に、道行く人にこう訴えたのである。「ベーコンエッグバーガー、食べたいって言って下さい」と。
一方、モスバーガー党もこの時期、独自のハンバーガー政策を展開していた。
テリヤキバーガーを全面に押し出し、和風ハンバーガー政策を進めていたのである。
このようにロッテリア党の急成長に反発して起こった各党の動きを「ロッテルミドールの反動」という。

このころから、ハンバーガーにはその作り方をもって対立する2つの理論が生まれていた。まずその一つはマクドナルドやロッテリアが採用した、思想家デカルトのハンバーガー理論である
この理論は訪れる客を想定し、あらかじめ店に作り置きしたハンバーガーを販売するという物でこうした考え方をハンバーガー演繹法という。
この演繹法を用いることで客の待ち時間は最小限に短縮され、ファーストフードの目手である効率化が見事に達成される。しかしその反面、客の「ビッグマックを下さい」という注文に対し、「フィレオフィッシュなら今すぐございますが」という客の意志とは関係のない結論が導き出されるおそれがある。
こうした演繹法に対し、モスバーガー、ウエンディーズはその対局に当たるフランシスベーコンの帰納法を採用していたのである。
この理論とは、客にまずハンバーガーの中身を注文させ、その注文を聞いてから、ハンバーガーの作成に取りかかるという物で、すなわちこれがハンバーガー帰納法である。帰納法を採用したウエンディーズの場合、作りたてのハンバーガーを口に出来、トマトの追加も可能となる。しかしこの理論では効率の悪さが伴い、客は想像以上の待ち時間を強いられる。これは売り手にも痛手となり、後にウエンディーズもマクドナルドと同じ演繹法に歩み寄るのであった。

1980年以降、マクドナルドは、ダブルバーガー政策、夏場シェイク政策と次々と新たな政策を打ち出していく。また1982年にはハンバーガーの世界にとどまらず、外食界の頂点にまで上り詰める。このような1980年から1985年の6年間をマクドナルド黄金時代と呼ぶ。

<再び研究室。アイテムの並べられたショーケースの前に教授>
ここで我々が忘れてならないのは、ハンバーガーの歴史に大きな1ページを刻みながら、それ以後、姿を消していったかつての勇者の存在です。これは1985年夏、登場したスイカシェイクである。その夏には大きな話題をさらいましたが、スイカと言うよりはスイカの皮の味がするということで1年で消えていったのであります。
そしてこれは1986年にトロピカルブームに載って登場した、パイナップルチーズバーガー。すき焼きビーフバーガーのシメジ、エノキ、長ネギ、シラタキはハンバーガー史上まれに見る武器となりました。
ともかく彼ら勇者の活躍を心に留めておくことこそ、彼らへの最大の賛辞なのである。

<CM前のクイズ>
基礎力を確かめよう、のコーナーです。
設問。次の単語のうち、2つ目の節にアクセントがあるものを1つだけ指摘せよ。
1.Big-Mac
2.Chicken-nugget
3.egg-muffin
4.Dom-dom-burger
5.Mc-do-naid's
6.Bacon-egg-Burger

<CMへ>
前半終了

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