過去ログ2901番目から2950番目までの記事です。
たびたびすみません。 柏原藩というのが<かいばら>と読むことを教えてもらって、改めて辞書 (角川の日本史辞典)を引いてみましたら、次のように出ていました。 |1598(慶長3)年織田信長の弟信包が入封、3万6000石を領したが、3代信勝 |に嗣子なく1650(慶安3)年没収された。95(元禄8)織田信休が入封、2万 |石。以後廃藩置県に至る。 後ろの「近世大名配置表」を見ると、柏原藩のところに、 |元禄8・織田信休大和松山より入封2万石 とあります。 これって、高長が信休という名前に改名したということでしょうか??
徳姫というのだと思っていましたが、信長のつけた名前は「五徳」 なんですか??すごい名前だ。三男の信孝も「三七」という幼名だ ったというし、信長の感覚はなんとも(^^;)。 濃姫の幼名「帰蝶」なんて、ずいぶんいい名前ですよね。道三は いい感覚してると思います。
>有名な斎藤道三の娘(お濃、または帰蝶)とは別のひとです。信雄はそ >の吉乃の子どもではないか、と言っていましたが。 信忠・信雄・五徳(岡崎信康室)はみんな吉乃の産んだ子ですね。 有名なわりには実像が明らかでない濃姫よりも、実質的には信長の正室の座にあった といえる人です。濃姫は実際には輿入れしなかったという説もあります。
「お濃」じゃなくて「濃姫」でした。失礼しました。
さっそくありがとうございます。 ネットの知人が愛知に住んでいて、「武功夜話」という資料のことで市民講座 に行ったそうなのです。三楽さんならご存じだと思いますが、伊勢湾台風の時に たまたま発見されたものだそうで、そこに吉乃という信長の妻のことも出てくる らしい。有名な斎藤道三の娘(お濃、または帰蝶)とは別のひとです。信雄はそ の吉乃の子どもではないか、と言っていましたが。 みんな分家してるんですね。子孫がなくて取りつぶしになることをおそれての ことでしょうか。 ふふ、有名な人の子孫というのもたいへんでしょうねえ。私なんかその点気楽 です(笑)。 知人のサイトに武功夜話の市民講座レポートがありますので、ご紹介しておき ます。↓ http://plaza24.mbn.or.jp/~yukako/bukoyawa.htm
こんにちは、ぱぐさん。 >天童藩、柏原藩の織田氏が誰の子孫か どちらも織田信雄の子孫ではなかったでしょうか? 信雄の二男・信良が上野小幡藩を経て天童へ。三男・高長が大和松山を経て柏原へ。 現在の当主の名はたしか、織田信孝氏(爆)。怨念などの影響はないのでしょうか!?
お久しぶりです。ずいぶん前に一度書き込みしたことがあります。 ええと、織田氏の子孫では信長の次男信雄と弟有楽の家系が残ったということ は前から知っていたのですが、天童藩、柏原藩の織田氏が誰の子孫か教えていた だきたいのですが。 芝村藩、柳本藩(いずれも大和国)は有楽の息子たちということは判明してい ます。 よろしくお願いしますm(..)m。
三楽堂さんありがとうございました。 柳生十兵衛のライバルって・・・・(汗) 物凄かったんですね。 公家さんのイメージってやっぱりナヨナヨした感じだから驚きです。 大河ドラマとか時代劇とか、テレビに出てくると声一段上がってるし(笑) 大河ドラマといえば、葵徳川三代って真田幸村のいいところ潰してる様な気がするんですけど・・・
おひさしぶりです! >向井様 すでに友の会に入られたのですね。準備段階から、情報は入っていたのですが、 会費を払ってまで入る特典かなあと思って、上田の情報OBASANとしては、発信を 躊躇していました。今度から判断は、情報の受け手に任せて、上田のことを お知らせしようと思います。(反省) 23日は、暑い日でした。上田を脱出して真田町の菅平高原に避暑に行っていました。 真田太平記館は、8〜10月まで無休。10:00〜18:00まで開館しています。
暑中お見舞い申し上げます>all >#向井さん >友の会って何か特典があるんですか〜? あ、また、刀屋ですか? >HPのぞいてこよう・・・ ご指摘の通り、11時に刀屋でもりの普通とカモ煮を食べてきました。 いつもなら大盛りなんですが、帰りがけに福昇亭の焼きそばを夕飯代わりに 食べて帰ろうと思い、腹八分目にしました。 友の会の特典はHPを参考にしてください。 会員証は御意簡とく(字が変換できない)とあります。 ネット上からも入会の申し込みはできるようです。 私の場合は4月にこの記事を見つけ、 すぐにメールを送ったのですが、案内が届いたのが5月。 入会金振り込むよりも、近々行こうと思っていて 結局7月になってしまいました。 でも受付で入会申込書を提出したら名前ばれていました。 (^^;) 当日は、真っ先に刀屋行って別所の石湯で汗を流してから 池波正太郎真田太平記館でのんびりと過ごしていたわけですが、 あまりの暑さに、夕飯時まで我慢できず車に乗って帰ってきてしまいました。 ぁ、言い忘れましたが、 "『真田太平記』の舞台を歩く写真展"開催中です。 平成12年7月22日(土)〜平成12年9月3日(日) 池波正太郎氏の創作メモや参考にした資料なども展示されています。 この企画展を知って今回上田に訪れるのを1週間ずらしました。 次に行くのはもう少し涼しくなってからにします。
#水無月生まれさん いらっしゃいませ。当コーナー城代・三楽堂でございます。 片桐且元の喋り方が毎回気になります。ボリュームあげる人多いのでは? ついでながら、拙者以外の家人は全員、水無月生まれです。どうぞ、よろしゅう。 #向井さん 友の会って何か特典があるんですか〜? あ、また、刀屋ですか? HPのぞいてこよう・・・ #白蔵主さん それはたぶん烏丸光広のことでは?剣が強かったのはTVドラマ「柳生十兵衛」(正 式タイトル失念)で十兵衛のライバルだったからかな?。実際の光広は女たらしだ ったことは確かですが・・・あ、大河ドラマ見てるとどうもナヨナヨしている公卿 衆が出てきますが、いがいとスポーツマンが多いんですよ。 #主馬さん 結城秀康家中、わたしも興味あります。さながら外人部隊のようで、なかなか面白 い人物がいますよ。結城(越前松平)勢の活躍は『大日本史料』12-19編に詳しい (なんとまるまる1冊、5月7日に費やされています)です。夏の陣の陣立ても載 っているので、桜井武兵衛が出てくるかどうか今度時間があったら探しておきまし ょう。 #ぴえーるさん 吉川英治の『随筆宮本武蔵』に武蔵と沢庵の関係を考証した一文がありますよ。そ れによると直接的証拠はなく、武蔵と親交があった僧侶は京都妙心寺の愚堂和尚、 九州時代の大淵、春山らということです。
三楽堂さま、こんばんは。 本日、神奈川歴博にいって桜井文書、見てきました。 学芸員の方にも伺ってしまったのですが、歴博では戦国期の 文書のみの所蔵だそうです。しかしとても保存状態が良いとのこと。 感状もすごく綺麗でした(クリーニングしたと仰っていましたが) 個人的には結城秀康に仕えてからの文書があるかが知りたかったのですが 近世以降の文書は(他のところの所蔵ですが)あまり無いとのこと。 しかしこの感状は見る価値がありました。 ところで、のち「武兵衛」を名乗ると言うことは「肥前守」は北条氏から与えられた 官名であって、北条氏滅亡と共に無効なのかな、ということが少し気になります。 では、これにて失礼いたします。
長岡興長つながりで接点があったらいいな、と思う肥後八代の民であります。 沢庵と興長の交流はありましたし、武蔵は仕官のさい興長に世話になってるようなので、 その縁で出会う機会はなかったものかと。これだと老いてからの話になりますが。 荘林十兵衛父子の墓がある盛光寺に行ってきました。 しかしどこにあるのか分からず、探す時間もなかったので、後日改めて訪問予定。 そして次は松山主水の墓探しを……。
始めて書かせてもらいます。偶然ここを見つけたのですが、大変面白いです。これからも、ちょくちょくきます。 ところで、大河ドラマの片桐且元ってできすぎてませんか?
なんかここに書き込むのずいぶん久しぶりだなぁ。 お父さんから聞いた話。 烏丸〜って公家さんが凄い剣の使い手だって聞いたのですが、 肝心の名前をお父さんがド忘れしててどうしてもわかりません。 すっごく気になる! やっぱり公家となると、人斬るときとかも 「返り討ちにしてくれるでおじゃる!」とかいうのかな?う〜ん・・・
今朝、あまりの暑さに目が覚めそのまま車に飛び乗って上田まで行って来ました。 2月に野沢温泉にスキーに行った帰りに寄って以来5ヶ月ぶり。 池波正太郎真田太平記館友の会に入会してきました。 http://www.city.ueda.nagano.jp/shokoka/ikenami2/tomonokai.html あと、図録が出ていたのでこれも買ってしまった。 来館者ノートに明日の大河の真田幸村の活躍に期待するって書いてあった。 期待を裏切らなければいいけど…>西郷幸村
古書の値段表示は店によっていろいろです。スーパーのような値札シールが貼って あったり、お店の名前入りのシールが表紙裏に貼ってあったり、価格を書いた腰帯 を巻いていたり、あるいはカゴの中に押し込んで「このワゴンの中の本、どれでも ○○円」とか・・・ もっとも多いのは、表紙裏か最後のページのすみっこに店主がエンピツで走り書き しているもの。同じ本でも店によって当然違うので、ワクワクしながら見ます。欲 しい本はたいていこちらの希望価格より1ケタ多いんだけどね。 それから値段交渉はほとんどその余地なし、と考えておいたほうがいいでしょう。 古書は売り物とはいいながら、店主の蔵書的性格が濃く、基本的にはプロである店 主がつけた「言い値」で買うのがマナーです。 もちろん高額な本(ン万円とかン十万円とか)をいくつか購入する場合は、総体と してまけてもらえる可能性もあります。たとえば毛利関連で有名なマツノ書店は一 定価格以上だと送料をサービスしてもらえます。 買わなくても、店をのぞくだけで「こういう本が世の中にあるのか〜」と勉強にな ります。店主(無口で見かけ偏屈そうな人が多い)の眼が気になるのであれば「目 録ありますか」とか、値段に気づかないふりして聞いちゃいましょう(ひょっとし たら安くしてくれるかも!?)。 客がじぶん一人という時は、逆に店主と話すチャンスです。話題がない時は注文の 仕方とか基本的なことを聞いちゃいましょう。わたしはすぐにそばによってくる電 機店・パソコンショップの店員(カタログに書いてあるようなことを解説し出す) のほうがよっぽどイヤですが・・・ ウッ、古書の話になると長くなってしまう・・・(^^;
某デパートで古書・古本フェアをやってたのでちょっと見てきました。 とにかくたくさん本があったのですが、古い本のほとんどにお値段が ついてないんですね。 これって値段は交渉するってことですか? それとも非売品??(だったら置くなよ) 古本屋ってあんまり行ったことないのでよくわかんないです。
>後藤又兵衛も木村重成も、キャストロールで2人とか4人で、出てくるような扱い(TT) 勝永のかわりに塙団右衛門がはいっていたような・・・大名格5人衆・・・ 又兵衛は関ケ原の合戦の折に登場した役者さんとおなじ人でしょうか・・・? 黒田長政との確執の末、入城したいきさつがわからないと唐突に思ってしまう人も 多いのでは? 関ケ原の時のように夏休み特別企画「総括大坂の陣」をやってほしかったけど・・・。 >秀吉に恩を感じていなかったのでは?と思うのです。 NAYAさんのおしゃるように、外様大名やかつての織田家の同僚から見れば、秀 吉は畏れられこそすれ、尊敬されることはなかったのでは? ※あ、角川映画『戦国自衛隊』が8/25、DVDで発売されるそうです。 ヒョウキンな長尾景虎が見られます。
>貴重な情報をありがとうございました。ここを覗いていなかったら絶対 >知ることはなかったと思います。 そういっていただけると嬉しいです。いつもいつも興味のわく話題ばかりでもない とは思いますが、これからも折にふれてのぞいていただけたらと思います。 桜井武兵衛が肥前守である、というのは『戦国遺文―後北条氏編』の人物索引を参 照しました。また、「桜井武兵衛覚書」は『群馬県史』に収録されています。
三楽堂さま、お答えありがとうございました。 神奈川歴博に文書が寄贈されたんですね。 とにかく近い内に行ってみることにします。 >朱印状とはいえ、知行などの約束ではなく、「今度の籠城中、今日に至るまで踞詰 >候事、神妙の至りに候、よって件の如し」という内容です。感状の一種でしょうか。 織田秀信も稲葉山でこのような感状をだしたという逸話を思い出します。 このあいだ、「生命を保証したものでしょうか」と質問しましたが、 この文書がとりもなおさず忠義を尽くした人物である、という証明のようなものですね。 また、桜井肥前守=武兵衛とは予想外でした。 武兵衛の父親あたりの人物かなぁ…とは思ったのですが。 貴重な情報をありがとうございました。ここを覗いていなかったら絶対 知ることはなかったと思います。
豊臣方の主要武将は、みんな端役扱いでした。 幸村だけは、西郷輝彦さんという大物俳優がキャスティングされてますが、 後藤又兵衛も木村重成も、キャストロールで2人とか4人で、出てくるような扱い(TT) 治房はエラそうに仕切っているし、 治長の陣羽織はカッコ良いいのが使われていたりしたので、余計にムカつきました(^^;) あんな派手な若々しい格好は、二重アゴで40半ばのジジイではなく、重成にさせればいいんです! ・・・こちららの趣旨からずれて、すみません(^^;) しかし、ムカつきながらも、こういうドラマを見ていると、いろいろ考えてしまいます。 「島津も伊達も福島も黒田も、豊臣恩顧の大名は誰も味方しておらぬ」 という秀頼の台詞がありましたが、江戸に留め置かれた正則はともかく、 他の三家は時勢ということの他に、 秀吉に恩を感じていなかったのでは?と思うのです。 徳川幕府に従っているのも、秀吉に従うのも、お家存続の為ですが、 秀吉に従うのは、幕府に従う以上に屈辱だったのではないでしょうか。 なぜなら三家とも、その地域では代々続く名家です。 そういう大名家からすれば、まさに秀吉は成り上がり者。 豊臣家からすれば、「所領を安堵し、大切にした」となりますが、 名家大名からすれば、 「あんなヤツに、好き勝手に我が家の土地をいじられた」という印象が強く、 豊臣家にも、何の情も持っていなかったのでは?
おひさしぶりです、主馬さん。越前松平氏のご指摘、ごもっとも。直政のほうでし たね、出雲へいったのは。 >うちも朝日新聞なのですが、ひょっとして神奈川版の記事でしょうか? これは「かながわ文化」のページでした。 いきさつというほど詳しくは出ていないのですが、今年になって所蔵者から神奈川 県立歴史博物館へ寄贈されたようです。文書の内容は朱印状がおされてはいますが、 いわゆる虎の印判ではなく解読不明な判(これっきり!?)がおされています。お そらく降服後なので虎の印判使用を遠慮したのではないかと学芸員の方が書いてお られます。紙もうすくて小さくて、氏直がありあわせの紙でも入手して家臣に与え たものでしょうか。哀れをさそいます。 朱印状とはいえ、知行などの約束ではなく、「今度の籠城中、今日に至るまで踞詰 候事、神妙の至りに候、よって件の如し」という内容です。感状の一種でしょうか。 この桜井肥前守は武兵衛といって「覚書」をのこしています。越前にうつってから の戦功(大坂の陣のことでしょうね)も書いています。 ところで、こういう地方版の記事とかはHP上で入手できると便利ですよねー。 地方新聞とかは主要記事をそのままのっけてますけど。
三楽堂さま、ご無沙汰いたしております。 以前お邪魔いたしました主馬でございます。 今回、少し伺いたいことがありまして書き込みさせていただきます。 >神奈川県立博物館で今月中展示公開されているそうです。 >(本日の朝日新聞朝刊より) うちも朝日新聞なのですが、ひょっとして神奈川版の記事でしょうか? こちらには無かったようなので… それでですね、この文書公開は、どのようないきさつで、ということは 記事には載っていませんでしたでしょうか? 桜井さんが文書を寄贈した記念とかなのでしょうか? ところで、 >秀康没後はその子・忠昌に従って松江へ移ったのでしょうか・・・ 秀康没後に嫡男忠直に仕えて、その配流後に松平直政に従って松本→松江 というルートだと思われます。 忠昌は常陸下妻→信濃川中島→越後高田→北ノ庄(のち福井、本家相続)です。 細かいところで申し訳ないのですが。 この朱印状は何を保証したものなのですか?まさか知行地ということは あり得ないでしょうし。生命ですか? ではこれにて失礼いたします。
>三楽堂さん そうですね。タイトルと著者は必須ですね。 こうなったら講談社文庫を片っ端から調べてみます。
小田原開城後、籠城した家臣桜井肥前守にあてた朱印状が神奈川県立博物館で今月 中展示公開されているそうです。(本日の朝日新聞朝刊より) 桜井氏は結城→北庄→松江と移動したらしいことから、おそらく結城秀康に従い、 秀康没後はその子・忠昌に従って松江へ移ったのでしょうか・・・ この書状は、氏直が高野山に追放される数日前に桜井肥前守に与えたものだそうで す。
オンラインで買い物をしたのはこれがはじめてです。HPを見て電話するというの はありましたが・・・ 今回、古書店から入手したのは『藩制成立史の綜合研究―米沢藩―』です。もう1 冊は入手できませんでした。送料は別途かかりましたが、往復の交通費を考えれば やはりありがたいサービスです。 今回購入した本は都内の図書館へ行って閲覧を申し込んだことがあるのですが、1 回目は「製本中(かがり糸がほぐれたのか?)」、2回目は「他館へ貸出中」とい うことで、「ようやく会えた〜。フーン、こんなツラしとったんかいな」という思 いです。
>以上の情報を元にこの文庫本のタイトルと出版社、筆者がわかりますでしょうか? 実は本日も職場で著者の一部しかわからない得体のしれない本(歴史本ではありま せん)を探してくれという依頼が来ました。幸い、「これみたい」という本が見つ かりましたが、どうも書誌事項という情報が軽視されすぎているみたいですねー。 以前には表紙の色とか大きさを言いたてる依頼者がおりましたが、これも困り者です。 とりあえず講談社文庫っぽいのならば、講談社の目録をすべて調べるしかないので はないでしょうか?
こんにちは。 佐々木小次郎の生国についての話なんですが、以前、福井市内の一乗谷遺跡を訪ね たとき、小次郎修行の滝(だったかな?)がある、と案内の人から説明を受けまし た。 私は小次郎の生国を知らなかったので、「小次郎は越前で修行したんですかぁ」と 言ったところ、その人は「小次郎は越前の出身なんです…」と、そんなことも知ら んのかいとでも言いたげに、いやあな顔をされてしまいました。 福井の人は、小次郎を郷土出身の剣豪だと信じておられるようです。
かなりのごぶさたです。 久しぶりに来ていきなりの質問で申し訳ありませんが、わかれば教えて下さい。 5月頃の話ですが、銀座の福家書店で歴史物文庫(講談社だったような) のコーナーがあり、1冊の本に目が止まりました。 武田家の家紋が表紙の本で、内容は信玄→勝頼に家督継承した後の武田家の話です。 二代目は駄目だとか、武田家を現在の会社に置き換えてみると??だとかいう話が主です。 (すごく抽象的な表現ですみません。パラパラとページをめくって読んだ程度なので) でも今度買えばいいや、とその日は帰ってしまいました。(これが間違いの元) 後日再度その書店に行きましたがその本はなく、肝心のタイトルを忘れたため 店員に聞けず、今日に至っています。 以上の情報を元にこの文庫本のタイトルと出版社、筆者がわかりますでしょうか?
>ところで、今更な疑問でしょうが、家康は豊臣を潰す気があったか? 当初は一大名として存続させるつもりであったと思います。理想をいえば秀忠に将軍 職を譲り、その膝下へ豊臣氏をひれふさせたかったのではないでしょうか。 ところが秀忠がイマイチ不安なのと、老いからくるアセリが、ああしたエゲツない方 広寺鐘銘事件をおこしたのではないか、と。 福島氏や加藤氏の改易も、秀忠の時代になってからですからね。NAYAさんのおっしゃ るように、豊臣氏改易かもしくは養子送り込みによって懐柔するなどが考えられます が、豊臣氏についても、しがらみのない時代への宿題であったかもしれません。 ちなみに「方広寺鐘銘」に関する林道春など当時の五山の漢文解釈は文法的にも誤り があります。まあ、この時のバチがあたったのかどうかは知りませんが、道春は大切 にしていた蔵書を火事で失い、ショックで死んでしまうわけです。
大野治長があそこから出てくるのは、妖しげなカンケイ云々以前に「マヌケ」なだけ。 フツー淀殿より先に治長に話をもっていくんじゃないだろうか。 あそこの場面は、大蔵卿と治長が話している部屋のとなりでキヌズレの音がして、寝 乱れ髪がはみ出ているのがいい。わたしが演出家だったらそうするな。 でも2人とも四十なかばのはずだから、この演出はボツだな。関ケ原の頃までならば なんとか・・・だって、実年齢知っちゃうとそそられないんだもの。
>向井佐平次様 公然の仲というところではないでしょうか。>「そは真・・・。」のくだり。 大蔵卿も、いきなり真夜中に伺った淀殿の部屋から、 息子が出てきたのに驚かなかったですし。 前にも北政所と家康とが、やけに馴れ合っている雰囲気のシーンもいありましたし、 ジェームズ三木ってゴシップ好きなのですね。 でも、私が気になったのは木村重成が、修理より全然年上に見える事でした。 重成くらいは、史実と合った年格好にしてほしかった・・・。 ところで、今更な疑問でしょうが、家康は豊臣を潰す気があったか? (つい考えたくなるんです。お許し下さい^^;) 私が思うには、自分の2代後くらいで、潰す気だったのではないかと。 大坂の陣時点で、豊臣を潰すメリットが無いように思うんです。 幕府が軌道に乗り始めたばかりで、諸大名に反感をもたれるような事は する気は無かったのではないかと。 家康が得ようとしたのは「我が天下」ではなく、「我が家の天下」なのだから、 今自分はどこまでやって、どれを子孫にやらせるか? 大坂の陣時点では秀吉時代を知る大名が多いし、まだ徳川幕府というものに権威がない。 皆、「時勢だから」で従っているだけ。 だが、幕府が安定するであろう3代目くらいで行えば、 もう、秀吉時代を知る者はいないし、逆に幕府の権威が高まる。 もちろん、それまでに秀吉の威光を削いでゆく作業も行う。 そして、秀頼の子は表向きは病死させればいいし。 ・・・と、つたない考えではありますが、こんなふうに思っています。
久々の登場です。 昨日の放送で気になったのは大野治長が淀殿の背後から出てきたところ。 何か意図があってああいう登場をさせたのでしょうか・・・
「葵」放送もいよいよ大坂の陣で、前回はみごとに「真田幸村どの、脱出に成功!」 の報に諸将はどっと湧いて、みごとに焦らしてくれました。 雑誌の特集も学研「歴史群像」の真田三代、PHP「歴史街道」の総力特集大坂の 陣(東西両軍諸将番付もあり)とにぎやかなこと。来月には学研から歴史群像シリ ーズ『真田幸村』も発売されます。
3000どころか、わたしの周囲で数千〜1万程度もってる人が何人かいますから(^^; きっと読書家の末席にも連なれないのではないでしょうか・・・ ただ歴史関連というと、買い始めたのがここ5、6年のことですから。それまでは 文学部出身だもんですから、近現代文学系がわらわらと・・・ といいつつ、勤務の帰りに本屋で『海東諸国記』(岩波文庫より重版!)ほか1冊 を購入してしまいました。 あ、でも本を買おうかどうしようか迷ったら、買ってしまったほうがいいですよ。 電気製品とかは先にいっていくらでも入手できますが、本の場合はいつお目にかか れるかわかりませんから。
さ、3000! @▽@うはあ〜、やっぱすごいです。 教えてくださってアリガトウございます。 でも、ホントすごいです。大学教授みたいですね。 前に大学の恩師の山のような本を見ながらこれ全部読むんですか?と聞いたら、 全部読む本なんてあまりないよといわれたのを思い出します。
おはようございます、長尾っぽさん。 >なんか、いつも本を買っていらっしゃるみたいですから。 う〜む。なんかいつも本買ってますね、わたし(-_-)(一応自覚はしてる) 数えたことはないんですが、今、住んでいるアパートでは薄型本棚×1、カラーボ ックス×2しかなく、1段あたりの冊数を単純計算していくと600〜700冊と いうところでしょうか・・・実家のほうには3000くらいあるかもしれないけど。 史料関連以外は売っぱらったり、寄贈したりしているので流動的ですが。 ネットの仲間が以前、大挙してアパートへ遊びに来た時には「なんだよ、これだけ?」 と言われてしまいました。京極堂のように本に埋もれた部屋を想像してたようです。 たぶん冊数としては仲間内でいちばん少ないと思います。 それでもわりに本を買ってくるというのは、車を持たない、ゲームをしない、とい うのが書籍代を潤沢にしている要因なのかな?
三楽堂さんて、どれくらい書物を持ってらっしゃるんですか? 古書でもまんがでもなんでもぜ〜んぶで何冊くらいあるのかなあって。 実はすごい気になってたんですよ。 なんか、いつも本を買っていらっしゃるみたいですから。 もし差し支えなかったら教えてください。
まずは信玄から。LEONEさん、おひさしぶりです。 >結局三条夫人を武家風に変えてしまった武田家に憎しみを転嫁させたのが、 >信玄に向かっての謀反なのだと私は理解したですが、いかがでしょうか。 それが自然でしょうねえ・・・。八重はけっこう、多面性を有した役柄でしたよね。 どうも話の流れを忘れてしまって、短絡的なものの見かたをしてしまいました。 小川真由美は今回の「葵−徳川三代」の淀どのよりもよかったです。 次に謙信。前の書き込みにある「ネットによる史料発注」の顛末です。 結果は1勝1敗。「売り切れました」という無情のメールを頂戴いたしました。 釣り落した魚は大きいと言いますが、注文前は躊躇していたにもかかわらず、無性 に悔しくなってくるから不思議です。もう1件は「つばつけ」ました。現在、状態 などをメールで確認しております。
ここに書き込むのはお久しぶりです。 >三楽堂様 >でもその割には三条夫人と八重は最期まで固い絆で結ばれていましたよね。片方が >武家側にいってしまうとはいうのはちょっと納得いかんなあ(笑) >だんだん気持が離れていって、最期にお互い敵対してしまうというのならわかるが。 八重にとって三条夫人は絶対に冒すべからずの存在なので、 敵対することはないのだと思います。 結局三条夫人を武家風に変えてしまった武田家に憎しみを転嫁させたのが、 信玄に向かっての謀反なのだと私は理解したですが、いかがでしょうか。 三条夫人も八重の気持ちが分かっていたから、死ぬ間際まで信玄に許しを 乞うたのだと思います。 人間表面的には変わっても、仲々割り切れない感情もあるというところでしょうか・・・ 私も本放送の時は八重という人物の情の強さには、ちょっと嫌な感じさえ持っていたのですが、 今回見たときはむしろ憐憫の情さえ感じてしまいました。 歳取ると物の見方も変わるのですかね(苦笑) それにしてもあの公家メーク、紺野美沙子さんのは可愛いって感じましたけど、 小川真由美さんのはホントに怖かった。 特に草むらからのぞいてるシーンなんかは絶品、下手なホラーよか背筋が凍りました。 それだけ小川さんの演技があるのだと思いますが。
>「八重は武家を見下している。対して、三条夫人は次第に馴染んでいった」 >というのを表す為の演出です。 でもその割には三条夫人と八重は最期まで固い絆で結ばれていましたよね。片方が 武家側にいってしまうとはいうのはちょっと納得いかんなあ(笑) だんだん気持が離れていって、最期にお互い敵対してしまうというのならわかるが。 >村上弘明さんと同じ事務所の相築彰子さんという方です。 うっひょお〜。今度、タレント名鑑で調べてみよう。載ってないかもな・・・ 今回はじめてネットで古書を注文してみました。もちろん上杉氏関連です。 複数のお店から価格と状態を勘案して選ぶんですが・・・やはり店頭で選ぶのと違 って勇気が要ります。無事にGETできたらこの場へ書きこみます。 ※「その時歴史が動いた」を見てましたが、もはや感想なし・・・
よんどころなくて、世継ぎに孫を立てる時はとにかく’嫡’とする・・・といったところでしょうか。 世継ぎが無かった場合の苦肉の策ですね。 しかし、それを思うと御三家を定めた家康は、すごいなと思います。 天下を「我が手に」ではなく、「我が家に」という発想ですよね。 考えてみれば、今だけでなく、自分が死んだ後の世も、 自分の家が、天下を維持していく、という考えを持ったのは、家康だけではないでしょうか。 ところで、こちらでは質問するばかりな私ですが、 過去ログを拝見したら、知っているものがあったので、レスさせて頂きます。 >「武田信玄」での公家メークについて 三条夫人が初回だけだったのに対し、八重が最後まで公家メークだったのは 「八重は武家を見下している。対して、三条夫人は次第に馴染んでいった」 というのを表す為の演出です。 紺野美沙子さんも小川真由美さんもこのメークの為に、 ご自身の眉を脱色していたそうです。 >高坂弾正の彼女「しの」役の人 村上弘明さんと同じ事務所の相築彰子さんという方です。 以上、2つとも、本放送当時のTV誌に掲載されていました。 しかし・・・何故、こんな事ばかり、よく憶えてるんだろ???(^^;) ちなみに、現在の事。 相築さんが今も、村上さんと同じ事務所なのか。 「武田信玄」以外に、何に出演したのかはわかりません。
どうもです、NAYAさん。 嫡孫とはなかなか鋭いご指摘ですね。言われて気づきました。 よくよく考えれば「嫡子」とは「本妻の産んだ子」で「嫡孫」は「嫡子の本妻が産 んだ長男」ですからねえ。 信玄の嫡子は三条氏の産んだ義信ですから、勝頼は当然、庶子なわけです。その庶 子である勝頼の子が嫡孫とは、「え?」としか言い様がないのですが。 ただし『継嗣令集解』には「孫をもって嫡とした場合は、その孫が嫡孫であろうが 庶孫であろうが嫡孫と呼ぶ」という意味のことが載っています。 信玄が勝頼の子・信勝を後継者に定め、成人するまでは勝頼が「つなぎ」になると いう意味合いでしたら、まさに「信勝が嫡孫」ということもおかしくなくなるわけ でして・・・その証拠(?)に勝頼には武田の通字「信」が授けられておりません。 はんぶん、わたしの想像ですけど、ドラマ作者がそこまで考えただろうか(^^;
昨日の「武田信玄」で、勝頼が躑躅崎の館にやってきました。 その時、家臣達が彼を迎えるにあたって、 その扱いについて話し合っているシーンがあり、 「すじを申さば、信勝様が嫡孫にあたられる」と言っていました。 それが、どうにもわかりません。 庶子である勝頼が、嫡男と言えないのはわかります。 ですが、その嫡流でない勝頼の、そのまた息子が 信玄から見て’嫡孫’とされるというのは、なぜなのでしょうか? 嫡男の嫡男、というのならわかるのですが。 >三楽堂様 以前、こちらで紹介されていた「戦国大名の日常生活」、読み終えました。 なんだか、信玄も勝頼も、とても人間臭くて親しみを憶えました。 また、今までの大名、その家臣、領民に対するイメージも だいぶ、変わりました。 良書を紹介して頂き、ありがとうございました。 >いずれにしても今回の「葵」では大蔵卿局はホンの端役ですが その扱いが、ちょっと気になっています。 しかし・・・大蔵卿の出番を多くすると 「乳母と淀殿が、同じ年格好???」と酷評、 または楽しんでしまう視聴者がいるから、端役にしたのかも?(なんてね^^;) ところで、誠に稚拙ではありますがHPを運営しております。 私が気のむくまま、思い付いた事を載せているページですが、 ドラマの部分で「葵徳川三代」を、載せています。 現在休止中ですが、大坂の陣が始まるので、また再開しようと思ってます。 また、ノンジャンルのBBSもありますが、 そこは今や、「武田信玄」レビューと化しております。(^^;) あくまで、ドラマをベースにした感想ではありますが これらのドラマを楽しんでいると言う方、よろしければご覧になって下さい。 http://homepage1.nifty.com/naya/
#秋山如雪さん 鬼一法眼は『義経記』に登場する陰陽師です。京都一条堀川に住み、六韜三略を 秘蔵してましたが、源義経が閲覧を申しこんでも法眼は許可しません。そこで義 経は法眼の娘を男女の契りを結び、これを利用して六韜三略を書写してしまうの です。のちに法眼のはなしは人形浄瑠璃にもなって、兵法師範・吉岡鬼一法眼の名 で登場します。たぶんここらへんで吉岡憲法の伝承が混入して来たものと思われま す。 >それと、すでに誰かが質問しているかもしれませんが、大河ドラマ「葵徳川三 >代」に出てきた秀忠の側室お静の子って初代会津藩主の保科正之でしょうか? 保科正之ですね。ちらっと穴山梅雪夫人(見性院)のことが語られていましたが。 #前髪の惣三郎さん ちょっと前まで馬渕晴子と鰐淵晴子を混同していた三楽堂です。 馬渕晴子は富士真奈美、小林千登勢とともに「NHK三人娘」だったんですねえ。 いずれも専属からフリーになりましたが、またまた舞い戻っているというか、NH Kへの出演が多いです。 公卿衆とかも「いかにも公卿顔」な俳優さんが選ばれてませんか?
お久しぶりです。 「葵」で大蔵卿局役として馬淵晴子さんが出演しておりますが、私の記憶に誤りがなければ、「真田太平記」の時も馬淵晴子さんが同じ大蔵卿局を演じていたと思います。 NHKは前回の演技がよほど気に入って、再度配役したのでしょうか? 単なる偶然でしょうかねえ? いずれにしても今回の「葵」では大蔵卿局はホンの端役ですが、真田太平記の時は淀殿側近の女重鎮として登場回数も多く、かなり気性の激しい役どころだったと記憶しております。
昨日の大河ドラマ「葵徳川三代」、皆さんご覧になりましたか? せっかく1612年の巌流島の決闘の話が出てきそうだったのに、中村梅雀の 黄門様にあっさりと「関係ない!」と否定されてしまい、ちょっとショックでし た。 やっぱり武蔵はどうでもいい脇役なんですね、あのドラマじゃ。 それじゃ、どうして関ヶ原の合戦には出したんでしょうか? うーん、NHK の意図がどうにも私にはわかりません・・・。
お久しぶりです。宮本武蔵のライバルシリーズ、おもしろいです。これから楽し みにしていますので、是非がんばってシリーズを完成させてください。 ところで、あそこに出てきた「鬼一法眼」というのはどういう人物ですか? 以前、どこかで聞いた覚えがあるのですが、確か平安くらいの人でしたよね? 違いましたか? なんか某マンガで確か出していましたが、実際の鬼一法眼につい てご存知でしたら、ほんのちょっとでも構いませんので、教えて下さい。 それと、すでに誰かが質問しているかもしれませんが、大河ドラマ「葵徳川三 代」に出てきた秀忠の側室お静の子って初代会津藩主の保科正之でしょうか? 違っていたら、将来だれかご存知ならお教え願いませんか? どうもあの子が 気になるので。 大河では本多と大久保の対立が描かれましたね? 来週からはいよいよ大坂の 陣になりそうなのでちょっと期待しています。
先日、マツノ書店さんと相互リンクをかわしました。詳細は「待庵」を。 そして本日、マツノ通信5が送られてきました。 今回は『陰徳太平記』の復刻です。しかも購入者には現在島根県の短大で編纂中の 人名・地名・件名索引の購入権が得られるとか。中国地方の戦国史研究家には垂涎 のニュースではないでしょうか。 ●『陰徳太平記』全2巻、限定300部、2万円。 ●『安西軍策』全1巻、限定300部、6千円。 ●『防長古器考』全3巻、先着10名、5万円。
安藤さん、再訪ありがとうございます。 ここのHPの持主の纐纈城主(最近放り出してどこ行ったやら)もビデオ所持して いたんですが、ビジターに貸したきり、返却されなかったとのことです。 そんなわけで仲間内でそういうトラブルがあった手前、「ネット上での貸し借り」 には慎重になってしまうわたしです。 けれど、ご紹介のHPによる商品化は難しいのではないでしょうか。 「存在しないもの」を商品化するのならわかりますが、版権はNHKにあるでしょ うし。 NHKは池波正太郎追悼として「真田太平記」総集編を放映したくらいですから、 コンテンツは持っているわけです。(昔のNHKは保存管理が杜撰だったようで・・・) むしろ、NHKのほうが商品化近道、という感じがします。 昔と違ってコンテンツはビジネスになるということに気づいているようですし。 とはいえ、今更ビデオで出してもらいたくはなく、やっぱりDVDによる商品化が いいですね。わたし自身は映像にさほど関心があるわけでもないのであとは値段次 第かな。