小田原評定・バックナンバー

過去ログ201番目から250番目までの記事です。


(250)信行&信澄親子  投稿者:ぺら  投稿日:06月07日(土)06時39分40秒

お久しぶりです。
この二人は柴田勝家となかなか関係が深い親子だわ〜、とつい乱入。(笑)
信行死後の信澄の扱いをみていると、信行謀殺は織田家中をまとめていく
ためにしかたなくやったことなんじゃないかな、などとも思っているんですが。
信澄にしても、さほど信長や勝家を恨んでいたような話って聞きませんよね。
(単に信長が恐かっただけ?(笑))
それにしても、勝家の関わりの深かった織田家の人って、みんな不幸な最期を
遂げているんですよね・・。


(249)その通り m(__)m  投稿者:向井佐平次  投稿日:06月06日(金)23時38分20秒

>親衛隊長の記述はたしかに読みにくい。が、それだけ熱がこもっ
>た、と解釈してやろうではないか。


私も夢中になるとこうなってしまいます。
言い方がきつくてすみません。
m(__)m


(248)津田信澄について  投稿者:纐纈城主  投稿日:06月06日(金)23時34分29秒

彼はイエズス会からは残虐非道、多聞院英俊からは一段の傑物
と言われた人物で、まあ、信長の一族の中では比較的骨のある
男であったようじゃ。

少年時代は柴田勝家、のちに日根野備中に育てられ、烏帽子親
には勝家がなった、といわれておる。

のちに本能寺の変に関連して織田信孝・丹羽長秀に殺されるが、
これは明智光秀の娘を娶っていた、ただそれだけの理由からであ
った。

津田信澄については、高橋直樹著「織田七郎兵衛」という作品が
ある。


(247)そうせい(笑)  投稿者:纐纈城主  投稿日:06月06日(金)23時27分09秒

実は毛利敬親はけっこう気に入っているのであった。

三楽堂から聞いたぞ。深草さんは早く参加するように!(笑)
女性も心強いであろう。

親衛隊長の記述はたしかに読みにくい。が、それだけ熱がこもっ
た、と解釈してやろうではないか。

わしも、某パソ通会議室で改行をまったくしなかったところ、女子
大生からたしなめられたことがあるぞよ。


(246)(-_-メ)  投稿者:向井佐平次  投稿日:06月06日(金)23時19分15秒

足利義輝親衛隊殿

めちゃくちゃ読みにくい〜

1、原稿用紙のように一行何文字とか決める必要はありません。
 適当なところで改行した方が見やすい場合があります。

2、空白行を入れると更に見やすくなります。

3、一行30字程度が理想。


よろしく


(245)Re:秋月殿  投稿者:足利義輝親衛隊  投稿日:06月06日(金)21時35分57秒

どうも。足利義輝親衛隊にござる。本日は、秋月杏子殿からの質問(?)に答えたく候。

まず、「一族みんな殺した」ということについてでござるが、秋月殿も訂正しておられるように、
そんなことはござらぬ。また、刃向かった本人も、全員殺されているというわけではござらぬ。
まだ信行付の家老であった、「権六」時代の柴田勝家にしても、異腹兄の織田信広(信長は織田家の三男で
あり、長男は前出の信広、次男は安房守(実名不詳)である。しかし、この次男の安房守については
よくわかっておらず、信長を織田家の次男とする説もある。)にしても、信長に反旗を翻し、戦い、負けているが、
信長はこれらを許しているのでござる。まあ、林秀貞(通勝)のように、十数年もあとにおとがめをくらった人物もいるが・・・

さて、信行の息子、津田信澄についてでござるが、おそらく、信長は、信行を自らの考えで殺したことを、
非常に悔やんでいたでしょう。信行は、信長関連の書物には、主に「悪役」っぽい感じで描かれていますが、本当は、
かなり器量のある武将だったと、僕は思っています。ただ、その「器量」の形が、信長とは正反対の形だった故に、
信行は信長に殺されたのだと思います。信行は、今でいう「エリートタイプ」の武将です。現代に治すと、「慶應幼稚舎
→慶應大学付属小学校→灘中学・高校→東京大学法学部→大蔵省」といったところでしょうか(?)。
次男の信行がそんなエリート街道を歩んでいるというのに、叶D田カンパニーの御曹司である信長が、近所の暴走族の頭
である前田クンとかと一緒に、近所を夜な夜な暴走している・・・これじゃあ、信行が信長に対して叛意を抱くのも当然
といえます。そして、社内抗争を起こしたけど、エリートの信行率いる社員と、元族の頭である前田クン等がいる、
信長率いる社員との抗争じゃ、こりゃどう見ても勝ち目はない、ってことで信行方は負け、社長の座にははれて信長が
座ることとなり、信行は副社長に任じられた。しかし、信行のプライドがそれを許さなかった。早速、信行は自分の最も
信頼している専務の柴田勝家や林秀貞、美作守兄弟等に自分の謀反計画を打ち明ける。しかし、この前の戦の、信長の
自分に対する処遇に感動していた勝家は、(事実、勝家は信長から許されたあと、頭を丸め、信長に対して完全に服従
したという。)先の戦での信長達の非凡さも見抜けない信行を捨て、信長にこの事を密告した。そして、信長は仮病を
使い、信行を見舞いに来させ、殺してしまうのである。
このときの信長の心中は、非常に複雑だっただろう。二度までも自分に逆らった相手とはいえ、血を分けた自分の兄弟
である。また、文学に精通していて、礼法も身につけている弟は、朝廷などの他勢力との交渉にも、抜群の能力を発揮
したに違いない。できることなら、信長も殺したくはなかったであろう。しかし、事は急を要した。このころの尾張
国内は、まさに「食うか食われるか」という時代であった。そんなときに、家中で内紛などが起こっていたら、周りの
勢力がそれにつけ込み攻め込んでくるのは必至である。故に、信長も、織田家滅亡の原因とも成りかねない内紛を、
一刻も早く片づけたかった。その結果が、「信行謀殺」ということであったのだと、僕は思う。つまり、何故信澄を
殺さなかったかというと、信澄の堂々とした体躯や器量(性格は、きわめて温厚で、人徳もあったという。)もあった
だろうが、やはり、信澄に、若き日の信行を重ねてみていたのではなかろうか。
しかし、その信澄も、本能寺の変のどさくさに紛れ、四国征伐部隊隊長の神戸信孝と、参謀の丹羽長秀に急襲され、
父同様若くして無念の死を遂げる。

信澄の織田家中での地位は、まあ、中堅クラスといったところでしょうか。あくまで僕の独断ですけど。
ただ、一門衆としては、ちょっと低かったようです。やはり、信長の直系でないことと、「反逆者の息子」という
見られ方をされていたことから、こうなったんではないでしょうか?

(あっ、いつの間にか現代語調に戻ってる!!)

またまた大それた事をぶちかましてしまいました。本文の内容は、僕のうら覚えですので、
間違っているところが(かなり)あるかもしれません。すいません。また、一部ちょっと
かっとんじゃったたとえがありますが、気にしないでください。ではでは。


(244)Re:粋なのは  投稿者:Masa  投稿日:06月06日(金)12時19分09秒

纐纈城主さん、”たいてい俗人どもは3度断ってから、おもむろに王位に就くものじゃ。”とは、
ひょっとして、弟に7歩の詩を作らせた人のことですか?
#さぁ、誰でしょう・・・て、結構簡単かな?


(243)織田家ですか・・・  投稿者:加藤段蔵  投稿日:06月06日(金)07時16分34秒

織田家っていうと歌舞伎好きのうちとしては5月公演の
題目を思いだすな〜(ってことは、この月は見ていません)
題目名は『時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)』でした。なんとなく光秀を主役にしていると思います
その時は、江戸時代の規制により
織田信長は、小田春永
明智光秀は、武智光秀になっていました。

以上、そこそこ歌舞伎好きの段蔵でした。
・・・メールアドレス間違っていました。スイマセン・・・


(242)ちょっとちがうかも。  投稿者:秋月 杏子  投稿日:06月06日(金)05時14分17秒

あ、「一族みんな殺した」っていうところ、
「みんな」っていうのはちがってるかもしれませんね...。
ただ、なんか私は信長=残酷みたいに思ってるんで、信長が敵
の家族も家来もみーんな殺したように思ってしまうのでした。


(241)「織田家の話題」、といえば...  投稿者:秋月 杏子  投稿日:06月06日(金)05時02分32秒

私は、織田家の中では、「津田信澄」が気になります。
信長、ってはむかった人は一族みんな殺してるのに、どうして
信行の子の信澄は殺されなかったんでしょう??
それから、信澄は、織田家中でどんな存在だったんでしょう??


(240)信長公ははで好き  投稿者:戦国野郎Aチーム  投稿日:06月06日(金)03時06分34秒

去年長浜に行ったときに(秀吉ブームのとき)、安土城の模型をみました。
長浜まで行ったのなら安土も行けただろと言われそうですが、時間の都合で行けませんでした。
こんな城を建築するなんて本当に信長公ははで好きなんだなあと思う今日この頃です。

#あとこの前書き込んだ内容に誤りがありましたのでここで訂正させていただきます。
 ×長寿丸→○千代寿丸
 毛利隆元は短命だったので長寿丸は違いますよね(苦笑)。


(239)真田ネタ・・・  投稿者:左衛門佐ともーか  投稿日:06月06日(金)00時32分51秒

左衛門佐ともーかでござりまする。
うー、特に新しい真田ネタがないので「話題提起」ができん・・・
「雑賀孫市ネタ」もニューヴァージョンがない・・・
やっぱ、拙者が話題提供して「迷作」をアップできるのは土日だけやね。


(238)話題提起は歓迎です  投稿者:三楽堂  投稿日:06月05日(木)21時26分52秒

BBSってのは、波があるから発言がぱたっととまってしまうことも
あるんですよね。こういうことは、パソ通とかで馴れてますからあ
まり気にしませんが・・・

織田家ですか。ついこの間、安土へ行って来ましたよ。城跡と復
元された天守閣(最上階部分)を観てきました。けっこうなシロモノ
でしたよ。復元天守とかって、興ざめすることが多いのだけれど、
あの安土城はすごいわ。

誰か観た方、いますか?

すごいといえば、みやげもの屋で売ってた「信長チョコ」も巨大で
あった(笑)。一人で食ったら鼻血の海に溺れそう・・・


(237)話題提起  投稿者:足利義輝親衛隊  投稿日:06月05日(木)19時24分12秒

どうもー。足利義輝親衛隊でーっす。

なんか、「小田原評定」の中で、皆さんが議論(?)する共通の話題がない
(と、思う。違ったらごめんくださいまし)ので、ひとつ、話題を提起してみることに
しました。その話題とはっ・・・

「織田家」

でございまするーっ!!

本来は、ここから、話題を提起したものとして、織田家に関して書かなければいけんのですが、
今は、ちょっと時間がないので、またあとで書きます。(つまり、話題だけ提起して逃げる。)
すいません。



(236)粋なのは  投稿者:纐纈城主  投稿日:06月04日(水)22時15分42秒

みんなが「隊長、隊長」と呼んでいても、変わらずに「親衛隊」と
署名しておくことじゃ。
しかし、たいてい俗人どもは3度断ってから、おもむろに王位に
就くものじゃ。
わしとて、すすめられもせずに、「城主」を名乗っておるぞ!。


(235)それもいいかも。でもなあ・・・(悩)  投稿者:足利義輝親衛隊  投稿日:06月04日(水)17時39分01秒

うーむ、私はどうも「隊長」と見られているようですな。
しかーし!!私は下っ端の隊員なのであーる。つまり、「隊長」などと呼ばれると、
ちょっと嬉しいのであーる。だから、「隊長」にしようかどうか、迷っている今日この頃なのであーる。
(確かに、「足利義輝親衛隊」を一番はじめに考えた(と、いうか、他の人は考えてない。)のは
私なので、「隊長」になってもいいのだが・・・)
・・・やっぱり、これからも「足利義輝親衛隊」のままでいくことにするのであーる。


(234)忘れられた管理人>纐纈城主  投稿者:三楽堂  投稿日:06月03日(火)19時39分35秒

まず、試行中というのは、この小田原評定だけ、戦国群像の他の
コーナーとは別(めりけん)のところにある、ということ。
そして、当初は身内のみで「おしゃべり」していただけなので、人
が集まらなかったら、「や〜めた」と片づけてしまえるよう、実験中
の意味で「試行中」という文字が冠せられているのです。
果たして、戦国の話題だけでBBSの長期運営が可能であろうか、
というのも疑問でありましたので。

それと、「纐纈城主」。本人になりかわって、お答えいたします。
これは「こうけつ」(あるいは、こうけち)と読みます。
血で染めた布の意味で、中国などの伝説に登場します。
日本では、国枝四郎の「神州纐纈城」という伝奇小説があります
ね。武田信玄や上杉謙信もちらりと登場します。一読されてみて
は?



(233)ところで三楽堂さん。  投稿者:足利義輝親衛隊  投稿日:06月03日(火)17時58分02秒

こんちはー。足利義輝親衛隊でーっす。

ところで三楽堂さん、この「小田原評定」の前についている「試行中」というのはなんぞや?
ぜひお教え願いたいでござる。

あと、この2つ下の「・・城主」殿の「・・」の部分をお教えくだされ。字がわからない
のでござるよ。あ、あと、読み方も、でござるよ。にんにん。(by 忍者はっとり君)


(232)親衛隊!?  投稿者:流れ公方(福田 康啓)  投稿日:06月03日(火)15時37分52秒

我が兄義輝の親衛隊となっ!
うむうむ、、、頑張ってくれたまえ!
間違っても三好、松永の輩には負けぬよう!>隊長殿


(231)じ、じゆうよんてん?  投稿者:纐纈城主  投稿日:06月03日(火)02時07分40秒

親衛隊、要するに「おっかけじゃな」
そなたは流れ公方の兄を「おっかけ」している、と。合点が参った
ぞ。

ただ、余の疑念を抱くところは、「足利義輝親衛隊」とは団体のよ
うであるということじゃ。三楽堂はそれで「親衛隊長」としたのであ
ろう。追従のうまいあやつのことじゃ、相違あるまい。


(230)いやだなあ、三楽堂さんったら!もう!  投稿者:足利義輝親衛隊  投稿日:06月02日(月)17時33分16秒

どうも。足利義輝親衛隊です。三楽堂さん、「親衛隊長」ではありませんよー。もう、
そんなに偉くないんだから!

試験の結果・・・ですか?・・・いやー、・・・ははは・・・悪かったですばい!!!
特に、英作文なんか、14点でした!!はははははははははははははははははははははは・・・・・・。
・・・やばいです。勉強しなきゃ。では!


(229)ふー・あー・ゆー  投稿者:流れ公方(福田 康啓)  投稿日:06月02日(月)07時57分44秒

どうも!
流れ公方とは足利義昭のことですよ。
義昭が主人公に小説に「流れ公方」というのがありまして
そこからハンドルをいただいたわけです。


(228)補足:タコ坊主  投稿者:三楽堂  投稿日:06月02日(月)07時02分54秒

その大法師とタコの大群の守備範囲は岸和田周辺だったのでし
ょうか?
大坂夏の陣に現われ、家康や諸大名をなぎ倒し、豊臣家を救っ
てくれたら面白かったのに。


(227)大蛸に乗ったタコ坊主  投稿者:三楽堂  投稿日:06月02日(月)06時59分27秒

>と思われたその時、再び大蛸に乗った大法師が現れ、
>無数の蛸を引き連れ、雑賀衆を片っ端からシバき挙げた。
>即ち、叩きのめして、岸和田の危機を救ったという伝説が
>あります。

ひょえーーー、それは初耳。それってやっぱり明石のほうから
来たのでしょうかね?
あそこらは蛸が多く棲息していると聞きましたが。

うーむ、蛸の異常発生があった場合、自然界のバランスがどう
崩れるのか考えたら、面白いかもしれませんね。


(226)人間存在におけるタコ・・???  投稿者:左衛門佐ともーか  投稿日:06月02日(月)01時30分58秒

皆様こんちわ、左衛門佐ともーかにござりまする。

今日は、再び車に乗って岸和田城に行ってきました。
とは言っても岸和田城を見たわけではなく、その近くにある
通称「蛸地蔵」と呼ばれる天性寺へ行ってきました。
というのも、雑賀衆との関連がある所だからです。

はるか建武の昔、岸和田沖に大蛸に乗った大法師が現れたの
ですが、長い間人々はこれを信用しませんでした。
で、時代は流れて天正12年。
小出秀政守る岸和田城を雑賀衆が攻め立てます。
圧倒的な鉄砲攻撃により攻め立てられ、岸和田城も落城か
と思われたその時、再び大蛸に乗った大法師が現れ、
無数の蛸を引き連れ、雑賀衆を片っ端からシバき挙げた。
即ち、叩きのめして、岸和田の危機を救ったという伝説が
あります。
ほんまかいな???
しかしながら、天性寺にはその旨を書いた石碑が立ってました。
まあ、「大凧に乗った仮面の忍者白影」ならわからんでも
無いのですが、大蛸に乗った坊さん・・・となると。

イメージしただけで笑えてしまいます。
でも、この伝説、あながち嘘ともいいきれません。
と、いうのも、岸和田沖に雑賀衆の大軍が迫ったが、
その時に岸和田湾に蛸が異常発生して、雑賀衆の舟での
進軍を不可能にした。
となれば、あながち「嘘やんけえ」と捉えることも
できません。
しかし、「大蛸に乗った・・・」というだけでも
大きなタコヤキを連想してしまうのは私だけでしょうか?

それでは

真田ファン拡大の為の伝道師ではあるが、たまに雑賀孫市や竹中半兵衛や
豊臣”大和大納言”秀長ファンにも変身する左衛門佐ともーかでした。


(225)元就、辛抱のとき  投稿者:戦国野郎Aチーム  投稿日:06月02日(月)00時01分20秒

大河ドラマ観ました。
1元就、尼子詮久(漢字これでいいんでしたっけ?)と兄弟の契りを交わす。←実話?
2可愛(えの)を宍戸隆家に嫁がせる。
3三本の矢
4長男の長寿丸を山口(大内家)へ人質として送る。

これだけのエピソードを一話に収めてしまうのはNHKならでは。この辺をもっと詳しく
やってもらいたいものですね。
とはいっても毎週楽しみにしています。それではまた。


(224)親衛隊長殿!?  投稿者:三楽堂  投稿日:06月01日(日)22時24分49秒

けっこうキレてそうなメールを頂戴しましたが、試験の出来、悪か
ったんですか?
まあ、人間、いい時も悪い時もありますから。

ところで足利義輝というと、わたしが想起するのは、剣に強いとい
うことと、謙信に洛中洛外図を贈ろうとしたエピソード。実際は絵
の完成前に死んでしまったので、当時、上杉との関係修復を望
んでいた信長によって越後へ贈られました。
ついでながら、千葉県佐倉の歴史民俗博物館にはかっこいい「
義輝肖像画」が収蔵されています。

参考文献

『流浪の戦国貴族・近衛前久』谷口研語・中公新書
『謎とき洛中洛外図』黒田日出男・岩波新書


(223)ハンドルネーム変更のお知らせ  投稿者:足利義輝親衛隊  投稿日:06月01日(日)22時08分00秒

こんちは。「武将おたくのまるしゃん」改め、「足利義輝親衛隊」です。
戦国関係のサイトでは、こっちの名前を使っているので、統一することにしました。
今後とも、よろしくお願いします。>All


(222)ふー、あー、ゆー。(Who are you)  投稿者:武将おたくのまるしゃん  投稿日:06月01日(日)21時30分44秒

流れ公方殿、初めまして。まるしゃんと申します。よろしくおねがいします。

ところで、「流れ公方」という名は、誰をイメージしているのですか?

今川氏真?近衛前久?上杉憲政?顕如?足利義輝?足利義栄?足利義晴?足利義昭?・・・

一部、該当しない人物がいたことをお詫びいたします・・・。
(すいません。なにぶん暇なもんで・・・)


(221)今回はビデオ撮りじゃ。  投稿者:三楽堂  投稿日:06月01日(日)09時54分53秒

おそらく「三本の矢」の映像としてはテレビではじめてになるので
はなかろうか。虚実は別として、そういう意味で記念碑的な映像
になるかも。

黒沢明の映画「乱」では三男が無理矢理三本まとめて折っちゃう
が(笑)。


(220)いらっしゃいませ、流れ公方様  投稿者:三楽堂  投稿日:06月01日(日)09時51分26秒

下天はグラフィックもきれいでしたね。軍勢と軍勢がぶつかりあう
様など、まるで毛虫が二匹、ともぐいをしているような感じでした。

で、退却のタイミングを逸すると、血が飛び散ったりして。
あのゲームの長篠の合戦の再現は素晴らしかったし、信玄・謙信
の牽制なども、後方の北条氏に攻撃を依頼すると、退却していく
など、なかなか凝ってました。

一回目にプレイした時などは、手の平に汗かいてたのを覚えてる。


(219)下天!?  投稿者:流れ公方(福田 康啓)  投稿日:06月01日(日)00時45分44秒

三楽堂さんのおっしゃるとおり!
「下天」は面白かった!
はまりにはまって「下天2」もかなりやりました。
同じ会社のソフトで「戦乱」と言うソフトがありますが、
あれも相当はまったなぁ、、、、
今はDOS-Vマシンですが、未だに上記のソフトは手元に置いています。
WIN版で出ないかなぁ、、、、


(218)毛利元就ゲーム  投稿者:三楽堂  投稿日:05月31日(土)07時56分58秒

時間がなくてなかなかできないのだけれど、面白そうですね。
「光栄」からリンクをたどって、ここへ遊びにきてくれる方も多いで
す。光栄のページには毛利関連リンクがありますので。戦国群像
のリンク(待庵・電脳楽市)に掲げてある「三矢の誓い」のロゴも、
光栄からいただいたものです。

個人的には、他社の「下天」というゲームの戦闘場面が気に入っ
ており、信長の野望のカラー、下天の戦闘画面、天下統一(シ
ステムソフト)の戦闘ルーチン(兵力と編成値)の融合が実現でき
れば、と思いますが。

いまだに実家のPC98(DOS+外付けHDD20MB!)には天下統一というゲームが入っており、時々動かしています。
今度、Win版が出ましたが、あまり変更内容はないみたいですね。


(217)よかった!  投稿者:秋月 杏子  投稿日:05月31日(土)06時43分41秒

ほっ、メールアドレスちゃんと入った!
良かったよかった。

PS.矢古女さん、覚えててくださったんですか?(感涙)
       


(216)初心者の恥。  投稿者:秋月 杏子  投稿日:05月31日(土)06時30分53秒

メールアドレスの入れ方、わかりました。
私が変なやり方してたんです。
今さっき、気付きました。
あー、恥ずかしい。
初心者はいろいろと大変(?)です......


(215)アル中ならぬパソ中か  投稿者:三楽堂  投稿日:05月30日(金)22時27分06秒

そういう矢古女さんもJavaスクリプトでますますキレまくっている
ようで。
いよいよ、三本の矢も近づいてきたことですし、大いにHP期待し
ておりますです。

マジでネット中毒って、増えているらしいよ。ゲームのやりすぎに
も御用心!


(214)まとめレスで申し訳ない  投稿者:矢古女  投稿日:05月30日(金)21時33分48秒

秋月さん、こんにちは(^^)
「元春アンケート」の力作、こんどHPにアップさせて下さいね(笑)

Masaさん、お答えいただきありがとうございます。
まだ買ってませんけど。
ゲームといえば、吉川元春は重宝します(笑)
強いし、裏切らないし。いつだったか、宇喜多直家に、大軍持ったまま
裏切られました(涙)
(覇王伝)

最後に三楽堂おにーさん、パソ通中毒(笑)には気をつけてね。
ではでは。


(213)にしむら美術館  投稿者:三楽堂  投稿日:05月30日(金)13時05分39秒

>昨年の秋に行きましたあ!
>ひょっとして、信玄・謙信展の時ですか?

あ、別の時だったと思います。川中島合戦図が3種類揃った大坂
城の「戦国の50人展」は図録がありますが、岩国でも開催された
んですね。

>実はあれ、僕が企画して美術館のほうが実行してくれたんです。
>僕が紀州本川中島合戦図が見たかったので、相談したら、
>半年後ぐらいに「今度やりますよ」といわれたんでとてもうれしか>ったです。

あの美術館は個人で建てたものだから、利用者の声をきちんと
ひろってくれますね。ホームページも期待しております。


(212)試験二週間前。  投稿者:秋月 杏子  投稿日:05月30日(金)05時50分38秒

「樅の木は残った」、っていうのは、聞いた事はありましたが、
実際のストーリーは知りませんでした。
伊達騒動と関係していたんですか。

土曜日だけ行ってる、日本語学校にある
図書室にあるかな?あさって探してみます。

まるしゃんさん、試験の話はやめましょうよ。
私は再来週あります..........。
年に2回しか試験がないかわり、
試験範囲が広くてよわってます。
勉強しなくては。(ためいき、はあ。)


(211)樅の木は残った  投稿者:向井佐平次  投稿日:05月29日(木)23時49分45秒

>歌舞伎では「銘木先代萩」などが有名で、原田甲斐は忍術を使う
>大悪人。伊達騒動を扱った小説としては、なんといっても山本周
>五郎の名作「樅の木は残った」(新潮文庫)でしょう。

7年ぐらい前でしょうか。
正月の新春時代劇スペシャルで"樅の木は残った"やっていました。
主演、里見浩太朗

伊達62万石8千人の命運を握り原田甲斐いかに生きるかがテーマでした。


(210)だめだ、こりゃ。  投稿者:武将おたくのまるしゃん  投稿日:05月29日(木)15時53分58秒

今日、試験(←これはもう、手の施しようのないほどに死にました。)の帰りに
「少年マガジン」を買い、電車の中で読んでいたのですが、連載されている
「TENKA FUBU 信長」という漫画、もう、いっちゃってます。(笑)
前からけっこういっちゃってたのですが、今回はすごいです。足利義昭が、あれほど
「兄(私の大好きな義輝です。)の敵」といって嫌っていた松永久秀の話を信用して、
あろう事か、信長に自分への服従を要求する、というストーリーなのですが・・・

この漫画では、桶狭間の合戦の時に、既に信長は「天下布武」の旗を使っているんですよ。
岐阜の沢彦和尚の立場がない・・・

まあ、漫画としてはなかなか面白いですけど・・・

PS:いやー、それにしても今日の試験は死にました。
   今日は、幾何と物理と英文法の三科目だったのですが、物理と英文法は40点を
   切っているんじゃないでしょうか。うわー、やっばー。(^^;


(209)毛利元就 〜誓いの三矢〜  投稿者:Masa  投稿日:05月29日(木)15時04分25秒

発売日に買いました。
とても面白いです。コンピュータの思考も結構賢くて苦戦します。
矢古女さんが言ってた「毛利家臣団辞典」ですが
登場する人間の絵の下に三行程度の説明が載っているだけです。
#国司、飯田等は”毛利家家臣”としか載っていない。
#全部で、24人くらいだったかな。

今、大内が尼子に攻め込んで退却するところです。
#元就が妙玖を嫁にもらう話をしに小倉山城に行くと、
#市に「種子島作成書」「短銃作成所」が売ってあった・・・。
##家臣団と話をして市に行かなければならないが、
##誰とも話さずに市に行くと、イベントが発生せずにそのまま買い物ができる。
みなさんもやってみては。


(208)Re:にしむら博物館  投稿者:Masa  投稿日:05月29日(木)14時53分31秒

>昨年の秋に行きましたあ!
ひょっとして、信玄・謙信展の時ですか?

実はあれ、僕が企画して美術館のほうが実行してくれたんです。
僕が紀州本川中島合戦図が見たかったので、相談したら、
半年後ぐらいに「今度やりますよ」といわれたんでとてもうれしかったです。
丁度、上杉神社のイベントと重なったために、上杉側の資料が複製品等になってましたが、なかなかものがそろってたのではと思いました。
#国宝とかがたくさんあって警備が大変だからということで、
#信虎の肖像等は複製品しかかしてくれなかったそうです。


(207)馬の骨〜  投稿者:纐纈城主  投稿日:05月29日(木)09時25分19秒

>足利義昭が来たとき
>
>"どこの馬の骨だかわかりません"
>
>と言われておまえっていったい…とつぶやいた記憶があります。

痩せても枯れても「将軍」なのにのう。
パラメータの「能力」で見ずに、所持金とか(~_~メ)の良さとか、雰囲気で判断すると面白いのにのう。

しかし、中学や高校からインターネットを使っておるとは・・・
隔世の感があるが。わしは中学の頃はベーゴマ(笑)
それにしても、


(206)しかも「樅の木」の原田甲斐は  投稿者:三楽堂  投稿日:05月29日(木)08時19分26秒

ロリコン(笑)。
大河ドラマ(去年だかとつぜん総集編をやった)では、原田甲斐が
平幹二郎なんですが、伊達兵部一派に父母を殺され、口がきけ
なくなってしまった少女(若き日の吉永さゆり)をかこい、もとい、
かくまうのです。

伊達兵部は佐藤慶でした。悪そうでしょ?


(205)伊達騒動は  投稿者:三楽堂  投稿日:05月29日(木)08時09分53秒

別名:寛文事件。
伊達家三代藩主綱宗が「不行跡」のかどで幕府から逼塞させら
れ、かわって幼君亀千代が藩主の座に就く。これを後見して藩の
実権を握ったのが、政宗の第十男兵部宗勝、田村右京、原田甲
斐の面々。ついには亀千代毒殺未遂事件まで起き、兵部一派に
対抗する伊達安芸らが幕府へ訴え出る。
評定の場で原田甲斐が伊達安芸にいきなり斬りつけ、甲斐自身
も幕府の手で慙死してしまう。幕府は伊達安芸側の主張をみとめ
て、兵部らを配流、原田家を改易に処して、仙台62万石の安泰を
決めたのでした。この事件の影には伊達家を狙い撃ちにした大老
酒井忠清の陰謀があったと言われています。

歌舞伎では「銘木先代萩」などが有名で、原田甲斐は忍術を使う
大悪人。伊達騒動を扱った小説としては、なんといっても山本周
五郎の名作「樅の木は残った」(新潮文庫)でしょう。わたし、大好
きです。ここでは、原田甲斐は伊達兵部に挑み、味方を裏切りつ
つ、孤軍奮闘する忠臣なのです。実際、甲斐は慈悲深い領主で
改易になった後も、領民の手で墓を守られているのです。

伊達兵部は一貫して悪党ですが、最近の研究では単純に善悪の
色分けではなく、時代遅れとなった専制的君主(伊達綱宗)と藩政
に重きを置く重臣一派との対立、という図式で語られています。

伊達藩はこのあと、亀千代(綱村)も隠居に追い込まれ、中興の英主と呼ばれる伊達吉村の登場によって安定いたします。


(204)おばさん、ショック〜!  投稿者:ぺら  投稿日:05月29日(木)08時07分04秒

>おーーーい、ぺらさんっ。ち・ゅ・う・が・く・せ・い、がいるよーー!

わ、若い・・。
うちの息子どもとあんまり差がないやんけ・・。
私、『新平家物語』も『国盗り物語』も生で見たんですけれど・・。


(203)KUROさん、もとい秋月さん  投稿者:三楽堂  投稿日:05月29日(木)07時50分29秒

メールでおっしゃってましたが、(いいですよね、書いても?)
外国住まいなんですかあ。

ちなみに、この小田原評定は「とつくに(外国のことらしい)のめ
りけん」に設置してあるんだ、と管理人・纐纈城主から聞いたこ
とがあります。


(202)足利義輝  投稿者:加藤段蔵  投稿日:05月29日(木)07時14分30秒

やっぱり
白土三平の漫画『忍者武芸帳』にでてきました。
少しばかり史実とちがう人によって暗殺?されました
彼は塚原卜伝から剣術を伝授?してまらったらしいです。
あたり一面に刀を差して、人の脂などで切れなくなった刀を
つぎつぎに取り換えて戦うところは、すごかった(漫画の中で・・・)
この模様は、忍者武芸帳の4巻(文庫)にあります。

それでは、歴史と忍者(漫画も)と歌舞伎をこよなく愛している
段蔵でした。
散・・・・・


(201)伊達騒動  投稿者:加藤段蔵  投稿日:05月29日(木)07時02分55秒

段蔵です。
伊達騒動って有名なお家騒動ではなかったでしょうか?
結構有名らしいのですが僕は詳しくは知りません。
ただ、知っていることはこの事件は、あっというまに歌舞伎で
演じられたってことぐらいしかしりません。

歴史と歌舞伎を愛する段蔵でした。
では。散


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