過去ログ151番目から200番目までの記事です。
ペンネーム、変えました。 「秋月 杏子」は、いつも使ってるペンネームなんですけど、 なぜか、小田原評定に初めてきた時は、実ニックネームを 使ってしまいました。でもやっぱり、パソコンの前に座ったときは、 ペンネームの方が落ち着くので、ペンネームを使うことにしました なんか、どーでもいい変な説明してしまいました。 気にしないでください。 私は実は(?)高校生です。 私よりも年下のひとがいたとは! ちょっとうれしいですけど。 さて、本題...(?) 今回も質問させてください。 「伊達騒動」について、教えてください。 昨日、国語の教科書に、時代小説みたいなのがあるのに 気付き、読んでいたら、「伊達騒動」に関連したストーリー だったので。 「伊達騒動」よりも、「真田紐で結んだ荷」、というフレーズが なんか嬉しかったような....(笑) それでは、また。 そーいえば、真田昌幸、順位おちてましたねえ。
投稿の不手際で2通同じ文章がいってしまいました。 この場を借りてお詫びいたします。 m(__)m
私の中学時代は一昔前。 真田太平記がNHKでオンエアされていたころは 読書を愛し、バスケットボールを追いかけていた毎日でした。 そのころパソコンなんかこれぽっちも興味持たなかったに〜 この世界に入るきっかけは高校のときクラスで友達同士の会話に "信長の野望がさ〜" が聞こえた瞬間 "何それ〜" からでした。 当時は全国版の出始めのときでした。 結局、歴史が好きでなかったらパソコンを始めなかったろうし ひいてはインターネットなんて考えられなかったろうな >加藤段蔵さんは光栄のゲームで知ったそうですが、 >私は、そのゲームの第4作で彼で統一したことがあります。 >#「足利義輝様、あなたが征夷大将軍でございます。」と家臣に言われているエンディングをみて、 >#「わしは元々征夷大将軍だ!」とパソコンに言い返した記憶がある。 戦国群雄伝では浪人が領主に雇ってくれといいに来たとき軍師がいると "優れもの"とかいってくれたりしましたよね。 足利義昭が来たとき "どこの馬の骨だかわかりません" と言われておまえっていったい…とつぶやいた記憶があります。 義昭以外にも今川氏真が来たときもこう言われた…
私の中学時代は一昔前。 真田太平記がNHKでオンエアされていたころは 読書を愛し、バスケットボールを追いかけていた毎日でした。 そのころパソコンなんかこれぽっちも興味持たなかったに〜 この世界に入るきっかけは高校のときクラスで友達同士の会話に "信長の野望がさ〜" が聞こえた瞬間 "何それ〜" からでした。 当時は全国版の出始めのときでした。 結局、歴史が好きでなかったらパソコンを始めなかったろうし ひいてはインターネットなんて考えられなかったろうな >加藤段蔵さんは光栄のゲームで知ったそうですが、 >私は、そのゲームの第4作で彼で統一したことがあります。 >#「足利義輝様、あなたが征夷大将軍でございます。」と家臣に言われているエンディングをみて、 >#「わしは元々征夷大将軍だ!」とパソコンに言い返した記憶がある。 戦国群雄伝では浪人が領主に雇ってくれといいに来たとき軍師がいると "優れもの"とかいってくれたりしましたよね。 足利義昭が来たとき "どこの馬の骨だかわかりません" と言われておまえっていったい…とつぶやいた記憶があります。 義昭以外にも今川氏真が来たときもこう言われた…
>三楽堂のおにーさんたら〜(笑) > >ひょっとして、いつもオン書き?>三楽堂おにーさま オン書きでないと、混乱するの。 ASAHIネットで新歴史会議室の準備と本の会議室にレスつけて、 Peopleで日本歴史館でおしゃべりして、そいでもってメールチェッ クしてランキングの修正を行って、ここへ来るから。 ま、インターネットは固定料金だから。
昨年の秋に行きましたあ! 白ヘビ・センターの前にあるお寺のような建物ですよね。 ホームページ、期待してます。
これを聞いたら、みずち三姉妹(ぺらさん・にゃぐさん・矢古女さん )たちがほっとかないぞお(笑)。 高校生はメールがきたけどねえ・・・。あと父親が介添えの小学生 ならば・・・。 ま、勉強に支障がない程度に楽しんでくださいね。 おーーーい、ぺらさんっ。ち・ゅ・う・が・く・せ・い、がいるよーー!
出ましたね。 買ったらいよいよマジで身体壊すかも知れない(笑)のだけど 家臣団辞典みたいのが入っているみたいで、気になるなあ(^^;) そうそう、「信長の野望・天翔記」では、矢を折るイベントは、 輝元と両川がやってました(笑)
三楽堂のおにーさんたら〜(笑) ひょっとして、いつもオン書き?>三楽堂おにーさま
25日の真田十勇士の詳細、感服いたしました。きっちりプリントしておきます。ああこんなに遅くなってしまって汗顔の至りです。 みなさんほんとに頻繁にメールを出されるので、ちょっと見ないとどんどんページが進んでいくんですね。 反応のにぶいTOHNOでした〜。
これはびっくりした。 いつ頃から歴史に興味持ってるんですかねぇ。 ちなみに僕は、小学校3年頃ですかね。 親に西村博物館(現 岩国歴史美術館)に3ヶ月に一度ぐらい連れていってもらって いつも川中島合戦図を30分ぐらい見てたのを覚えています。 そこは、夏休みになると、鎧を着せてもらえるので、 3〜4回着たことがあります。 皆さんも機会があったら行ってみてはどうでしょうか。 場所は、岩国城行きロープウェイのすぐ近くです。 そのうちそこのHPを作成するので完成したらお知らせしたいと思います。(只今、協議中)
足利義輝ですか。 足利将軍家の中では、一番好きですね。 彼はかなり剣術ができたそうですね。 #確か塚原卜伝でしたっけ?あれ、上泉信綱のような気も・・・。 松永久秀に殺害されたときもかなり抵抗したらしいですね。 加藤段蔵さんは光栄のゲームで知ったそうですが、 私は、そのゲームの第4作で彼で統一したことがあります。 #「足利義輝様、あなたが征夷大将軍でございます。」と家臣に言われているエンディングをみて、 #「わしは元々征夷大将軍だ!」とパソコンに言い返した記憶がある。 でも、彼についてはあまり良く知りませんね。 #家に資料はあるのだが、読んでいない。 ##親が、熱心に愛読しているため手が出せない。
武将おたくのまるしゃん。 はじめまして、飛び加藤こと加藤段蔵です。 義輝の存在を知ったのは、光栄のゲームでした(おそすぎだ・・・) それから、白土三平の漫画『忍者武芸帳』にでていました。 その時の殺陣はかっこいいって印象をもっています。 たくさんの刀をさして戦うところ。 また詳しく読んで報告します。では。 散・・・・
どうも。まるしゃんです。三楽堂さんからのお返事に書いてあった真田家関係の映画や テレビのことですが、一つも知りませんでした。(^^; やはり、まだまだ勉強不足のようです。 ところで、三楽堂さんは >このページ見てくれたり、人気投票してくる人って、けっこう大学生の方が多いですね。 と書いておられたのですが、すいません・・・あの・・・私・・・学生は学生なんですけど・・・ 実は・・・中学生なんです・・・。 いままで、偉そうに意見を言いまくっていたことをここにお詫びいたします。 すいましぇんでしたーーーっ。(恐縮&反省) 閑話休題。 今日は、試験1日目でした。代数と古文だったのですが、もうだめです。再起不能です。さようなら・・・。 閑話休題2。 ちなみに、私は毛利家では吉川元春、元長父子が好きです。皆さんの意見を見ていると、吉川家というのは、 皆さんに好かれるようです。(違ったらごめんなさい。) あと、皆さんの中で、「足利義輝が好きだーっ!」という人はいませんか?いたら、メールもしくは小田原評定に その旨を書いていただけると嬉しいです。僕は熱狂的な足利義輝ファンなもので・・・ 明日の試験は3科目もあるので大変です。さあ、勉強せねば!!
大谷吉継の特集ですね。個人で特集組まれることが少ないだろ うから、これも貴重な文献になると思い、ひさびさに買いました。 もちろん、娘婿の幸村や昌幸もちょいと出てきます。 吉継は遠祖が伝説的美男子在原業平だとすると、長野業正とも 同族になるのだな。
これはビデオで見かけたのだけれど、『真田風雲録』という映画。 佐助が錦ちゃんで才蔵(お霧)が渡辺美佐子(笑)。 由利鎌之助がミッキー・カーチス(フェンシングとか使うの)
もうすぐ「A」から「P」へ行けなくなってしまうので、ダイレクトに おしゃべりする時はここを使ってくださいな。 矢古女さんからも「IDはタダなんだから持っとけ」と言われてお るのですが、まだ取ってないの(笑) ところで舟木一夫の役は「ただの人」なのかっ ドラマ・リハビリテーションの一環か、それとも視聴者サービスか。 もしや西郷輝彦が出たから御三家を出そう、などという企みを抱 いておるのでは!?>NHK
年齢の話はやめましょ。 うかつなことをばらしてはいけませんよ〜。>三ちゃん 書いてはいないときでも、毎日、ちゃんと読んでいるんだから。(笑) (ふっ、いいわねえ、みんな若くって。 そうよ、どうせ私は『毛利元就』に舟木一夫が出てくるのを楽しみに 待っているような、おばはんよ。(笑)) さて、去年の大河『秀吉』の話題が出ていたようですが、やっぱり去年の 配役は中尾彬の柴田勝家につきるな、私は・・。(涙)
皆様こんちわ、左衛門佐ともーかにござりまする。 しかし映画「真田幸村の謀略」には、まいった。 何しろ、幸村が伊達正宗よろしく片目なんだもんなあ・・・ しかも、幸村役が松方裕樹・・・せめて草刈正雄にしてほしかった・・・ でもって十勇士の配役が・・・まあ、「完全娯楽作品」だから、しゃあないか。 今、必死になって見てる「真田太平記」とは、えらい違いのような気がする。 まあ、めちゃくちゃ辛辣な表現をすれば、「真田幸村の謀略」は 「真田太平記」に比べて「予算」の面でスケールが全く大きい。 とゆーことくらいでしょうか。 先日「真田幸村の謀略」をレンタルビデオで借りて、 「借りるんじゃなかった・・・」と深いため息をもらしたのは 自分だけでしょうか??? ちなみに三好伊三は真田裕之でした。 やっぱり幸村は草刈正雄で、昌幸は丹波哲郎で、幸隆は橋爪淳で・・・ 信之役の渡瀬恒彦もよかったなあ。 でも向井佐助が毛利元就だった・・・ それでは 真田ファン拡大の為の伝道師ではあるが、たまに雑賀孫市や竹中半兵衛や 豊臣”大和大納言”秀長ファンにも変身する左衛門佐ともーかでした。
>呼びましたかあ? びっくりした。年齢の話はナシ、ナシ!
妄想年代記(戦国群像HP参照)に登場する人々の中では一番 若いと思います。だって、レギュラーメンバー全員足したら、加賀 前田家の百万石を軽く凌駕してしまいますもの。 でも、女性の年は伏せておきましょうね(笑)。 『真田幸村の謀略』の猿飛佐助はあおい輝彦でしたね。最後に 幸村が家康を討ち、その首が宙に吹っ飛ぶシーンが話題にな りました。
ゆっくりご返事したいけど、HPのファイルのアップロードでパニクって おります(^^;) Masaさん、HPに訪ねて下さいまして、ありがとうございます(^^) 今後ともよろしく。
彼女も吉川元春にいれこんでますね。HP見れば一目瞭然です が。 >隆元の死後、元春が家督を継いでいれば、毛利家が天下を取っ >ていただろうと思うくらいです。 >彼が元就の血を一番良く受け継いでいたのではと思います。 元春への最大の賛辞でしょう。黒田如水のすすめた鯉さえ食わ なけりゃ・・・。
>毛利元就が好きかどうか、というまるしゃんさんのお尋ねなので、 >答えにはなりませんが・・・。そうですね、毛利一族の中で特に好 >きなのは吉川広家と毛利秀元ですね。 この二人ですか。広家は関ヶ原で毛利家を救うために家康と内通 したのはすごいと思いましたね。 #その後の毛利家の吉川家に対する態度が僕は気に入らん。 秀元は確か吉川家ともめてますね。 岩国城(周防国)を作った吉川家に対し、一国一城制で城が作れ ない秀元が、輝元に抗議し岩国城を壊したという話を聞いたこがある。 僕は毛利一族の中では、吉川元春と、元長の親子が好きですね。 隆元の死後、元春が家督を継いでいれば、毛利家が天下を取っ ていただろうと思うくらいです。 彼が元就の血を一番良く受け継いでいたのではと思います。
あれって確か、三好伊佐入道が女みたいな人が演じてたやつですか? あまり良く覚えていませんが、最後に、残った真田十勇士が、 家康の本陣に突撃して、家康の首をとったのを記憶しています。 ビデオで見たんでタイトル覚えていません。 #しかも見たのが小学校の5年のときかな? >このページ見てくれたり、人気投票してくる人って、けっこう大学生の方が多いですね。メールの尾っぽが「ac.jp」になってたり。 >と、いうことは纐纈城主、三楽堂、それに妄想年代記のメンバー >たちより「けっこう」若いですね。 ひょっとしてこのメンバーで一番若いのって僕ですか? 最近、学研が出している「異・戦国志」にはまってしまった。 この2週間で、1〜9巻を読破。 本代が以上に高くついてるような気が。(計¥7、000以上)
百万一心の帽子は特注のやつです。 おそらくどこにも売ってないでしょう。 左衛門佐ともーかさん 「豊臣秀長〜偉大なる補佐役〜」 ^^^^^^^^^^^^^ ある補佐役の生涯(一生だったかな?)の間違いですよ。 確かに彼は偉大なる補佐役でしたけどね。 #彼がいなければ豊臣の天下もなかったと私は思っている。 ちょっと茶々入れでした。 #左衛門佐ともーかさん気を悪くしましたらすみません。
知っているものが・・・三楽堂さん >ちなみに、次の真田モノを知ってますか? >NHK人形劇の「真田十勇士」 >NHK時代劇の「風神の門」 >劇場映画『真田幸村の謀略』 真ん中を除いては、なんとなくしっています。 人形劇は、見たことないのですが、漫画の方(石ノ森章太郎画、1〜3巻しかもっていない)や小説の方を見たことがあります。 映画の方は、深夜のテレビで見た記憶があります たしか佐助があおい輝彦だったような・・・。 十勇士だとテレビで12チャンの時代劇に記憶が・・・ 佐助ー森田健作がよかった。 では、散
よかった(笑)。 というか、フツーの役者じゃギラギラした竹中秀吉に食われちゃう でしょう? サイコーだったのは、影武者との一人二役で、影武者が無理矢理 メシを食わされ太らされている場面。ホクロが目印でしたね。 期待はずれだったのは、三方が原の脱糞シーンがなかったこと と、当初は予定されていた光秀=天海が登場しなかったこと。 ラストもいただけませんでしたね。
>どうも。まるしゃんです。試験勉強をしていて、気がついたら眠っ >ていました。それで、こんな時間に書いているのですが・・・はっ >きりいってやばいです。(笑&焦) それって、ほんとにやばいのでは(笑)? どうぞ、勉強してくださいまし。 このページ見てくれたり、人気投票してくる人って、けっこう大学生の方が多いですね。メールの尾っぽが「ac.jp」になってたり。 と、いうことは纐纈城主、三楽堂、それに妄想年代記のメンバー たちより「けっこう」若いですね。 ちなみに、次の真田モノを知ってますか? NHK人形劇の「真田十勇士」 NHK時代劇の「風神の門」 劇場映画『真田幸村の謀略』 なんか自ら墓穴掘ってる気が・・・
>僕なんか、ここに居ていいのかって考えてしまいます。 ぜんぜんかまいません。「戦国時代」に興味がある、それだけで けっこうです。 わたしも草の者を使役しているんですけど、段蔵どのも情報通 ですね、雑賀党のページなんてあるんですか。 白土三平は『カムイ伝』を大学時代に読んではまりました。今、 『忍者武芸帳』を新装文庫版で揃えようかと思ってます。
はじめまして 飛びの加藤こと加藤段蔵です 初めての参加です、よろしくお願いします。 さて、あいさつはここまでとして・・・ みなさんすごいですね。知識の多さ 僕なんか、ここに居ていいのかって考えてしまいます。 一様、ぼくは忍者関係とやや架空気味の歴史人物が好きです (もちろん真田十勇士も好きです) 白土三平の忍者漫画から歴史に興味を持ちはじめました。 今回は自己紹介程度で終わりにします。 みなさんこれからよろしくお願いします。 あっ待庵に名前のあった友岡 浩さん 孫一のページ見つけたのでここに記しときます。 http://www.snet.or.jp/tm270921/saikasyu/saikatou.html です。知っていたらスイマセン。 では。散・・・
どうも。まるしゃんです。試験勉強をしていて、気がついたら眠っていました。それで、こんな時間に 書いているのですが・・・はっきりいってやばいです。(笑&焦) 皆様の貴重なご意見、読ませていただきました。どうも、有り難う御座いました。
まいど、普段は真田狂の左衛門佐ともーかです。 うーむ、前回の大河ドラマ「秀吉」に関しては、徳川家康役の西村雅彦は 個人的には「当たり」だと思ったんですけど。 何しろ「何を考えているか全く分からない不気味な家康を演じてみよう」という 西村氏のコメントがあったんですが、まさにその通り。 「不気味な悪役」家康を演じていてくれて、感激したものでした。 それと、あとは、かの豊臣大納言秀長様を大々的に取り上げてくれた事でしょう。 高島政伸が「ハマリ」だったような気がします。 ところが、前回の秀吉は原作が堺屋太一ということもあり、なにしろテーマが 「織田株式会社での秀吉が出世していく過程」と「偉大なる補佐役、秀長の ピックアップ」「明智光秀の汚名排除」でしたので、過去の大河ドラマとは 趣が異なっておりました。 まあ、原作が「秀吉」「豊臣秀長〜偉大なる補佐役〜」「鬼と人と」の 3作もあるんですから・・・・ しかしやはり、惜しい点は「武田信玄」等、バブル期に作られたものと異なり、 制作費のなさか???? それでは 真田ファンの左衛門佐ともーか
まるしゃんさんのご質問ですが。 大河ドラマはやはり「好き」です。というか、民放ではやらないで しょ、お正月くらいしか。で、一時、大河が現代劇になってしまっ た時はすごく悲しかった。 ミスキャストはたしかにありますが、わたしはそれより「脚本」の 出来不出来であると思います。「炎立つ」などは原作者の原稿が あがらずに、脚本家が独自にドラマを展開し、ついでに自分の 情婦まで出演させて問題になったんですから。 脚本の出来不出来というのは、たとえば司馬遼太郎の作品があ まり視聴率、よくないんですよ。「竜馬」は大河史上最低だし。 まあ、最近は悟ってしまった、というのか、大河ドラマをホームド ラマとして見ている感じがします。 中村橋之助がミスキャストというよりも、少年時代と性格があまり にも違うのが不自然。これも脚本と演出の整合性がとれていない んじゃないだろうか。(当初はおとなのふりかけのCMがダブって 笑いがとまらなかった) 毛利元就。特に「好き」ではありませんが、わたしは基本的に歴史 上の人物って、好き嫌いないんですよ。歴史ネタというだけでよだ れが出ちゃう(笑)。「生の」人間としてみていないからかな。 たとえば現代の政治家なら嫌いなやつはいっぱいいますよ。それ どころか、日常のわたしはけっこう好き嫌い激しいほうだと思いま す(笑)。 毛利元就が好きかどうか、というまるしゃんさんのお尋ねなので、 答えにはなりませんが・・・。そうですね、毛利一族の中で特に好 きなのは吉川広家と毛利秀元ですね。
まるしゃんさんのように、こちらのメッセージに対して何にも反応 がないと、寂しいですよね。わたし、パソ通もやっているので、こ ちらは歴史とはいえ幅広いので、的をはずすこともしばしばです。 ただ、返事がなからと怒らずに、みんなの話の流れに乗るか、 別のレスを数多くアップしたりします。知らない話題の時は初心 者的な質問をすると、中心にいる人が喜びますから(笑) まあ、朝晩チェックしてくれてる方もいるようだから、のぞいた時 に新しいメッセージが入っているのはうれしいです。
>今日、百万一心の帽子をかぶって学校にきたら、 >「どこの国の言葉?なんて読むの?」と聞かれた・・・。 そんなのあるんですかあ(笑)。 やっぱり便乗グッズでしょうか・・・。
>でも確か「三本の矢」って元就がじいさんになってからの話だと思ったんですけど。 皆さんご存知と思いますが、三本の矢の話はフィクションです。 この話のもととなるのは、元春、隆景が養子に行き、元就が隠居して、隆元が当主となっている時の話です。 当主隆元の事を毛利の両川が軽んじていたのを見た元就が、 両川に注意するために手紙を送ったそうです。 その手紙の内容に以下の文章があります。 一 元春隆景之事、他名之家を被続事候、雖然是者誠のとうさ(当座)の物にてこそ候へ、 毛利之二字、あたおろかにも思食、御忘却候ては、一円無曲事候、中ーー申もおろかにて候ーー、 (矢古女さんページの一部(毛利家文書405号)拝借しました。) この文章が、後々の三矢の訓に話が変化していくわけです。 今日、百万一心の帽子をかぶって学校にきたら、 「どこの国の言葉?なんて読むの?」と聞かれた・・・。
すいません。適宣改行をしていたはずが、いつの間にか長くなってしまいました。 読みにくくなって申し訳ありません。
三楽堂さん、私の書いた物に反応してくれて有り難う御座います〜。(感涙) 実は、私もこのごろ色々なホームページの、このような書き込み欄に書き込んでいるのですが、 全然反応がないんですよ〜。(悲涙)だから、かなりうれしいんですよ〜。(微笑) ところで、昌輝の子孫が結城秀康に仕えてたって本当ですか?いやー、知りませんでした。 ところで、(あっ、文頭が上と同じだ。)この下で、三楽堂さんは「毛利元就」のことについてかいておられますが、 三楽堂さんは、大河ドラマが好きですか?嫌いですか?・・・といっても、シリーズによって違うと思うので、 「毛利元就」が好きですか?嫌いですか?に、質問を改めます。 僕は個人的には、「嫌い」です。別に、「大河ドラマ」自体を嫌っているのではありません。(いや、むしろ見たいくらい。) ただ、NHKは、必ずと言っていいほど、史実と違うことをやる、というか、ミスキャストをするから、見る気がしなくなってしまうのです。 今年の、「毛利元就」にしても、元就役は中村橋之助さんですが、ちょっと違う気がします。なんていうか、元就は、もっとこう、毛むくじゃらで、 男臭いイメージがあります。また、平成四年放送の「信長」にしても、信長役は緒形直人さんでしたが、あれもミスキャストだったと思います。 さらに、去年放送の「秀吉」では、徳川家康役を西村雅彦さんがやっていましたが、これは、ミスキャストと言うより、NHKが世間の、いわゆる 「古畑ブーム」に乗った、と言った方がいいのではないでしょうか。俳優さん達は、それぞれ皆「特徴」を持っています。その中から、役の人物の「特徴」 に、最も近い「特徴」を持った俳優さんを、その役に当てるのが、「配役」ということだと思うのですが・・・どうでしょう? ※:ちょっと暴走気味になってしまいました。これはあくまで、私個人の意見なので、「こんな考え方する人もいるんだー」位の気持ちでお読みください。
やらないと、地元とか熱烈なファンとかが許さないのかも。しかも はじめての本格的な元就ドラマだから、はじめてにして「お約束」 をはずす勇気をNHKは持ちあわせていないでしょう。 しかし、たしかに時間があっという間に経過しますよね。(笑) 元春、隆景は年子だからいいとしても。 隆元は山口へ赴く前ですから10代なかばのはずですよ(笑)。 妄想年代記が存続してたら話題になったのでしょうが・・・
なんか真田の話題で盛りあがっているようですね、皆さん。 でも僕はまた大河ドラマの話ってこればっか。 今回はゆき殿の壮絶な最期という話でしたが、ちょっぴり感動してしまいました(泣)。 お、結構面白くなって来たなと思ったのも束の間、来週のタイトルは「三本の矢」とのこと。 なぬ?急に話の展開が無限ホンダのようにはやくなったんでないかい。いつのまにか五もじが 出てくるし、三人の息子もずいぶん大きくなっている。 でも確か「三本の矢」って元就がじいさんになってからの話だと思ったんですけど。 三楽堂殿、この時間はここにスムーズに来れますな。日曜の夜はやはり混んでいるようですな。
三楽堂殿、真田特集をされる場合、それがしに関西地方(真田丸、真田庵、 安居神社・・・幸村戦死の地)をまとめましょうぞ。 ふっふっふ。既にそれらの画像はJPGに落としてあります。 ちなみに、「幸村、家康を追っかけ回す」明治時代の版画もJPGに落としてあります。 (著作権違反じゃあ! でも、そんなのあるんかいな??) 別に、欲しい方は言って下され、送りますぞ。 それでは 真田ファンの左衛門佐ともーか
わたしもよくわからん(纐纈城主が不在なもので)のですが、KUROさんのメッセージにはアドレスが入ってませんよね。 半角で入力されてますか? それと、「投稿者/メールアドレス をブラウザに記憶させる」のチェックを一度消してトライしてみ ては?
ともーかさんの力作ですから、真田ファンは保存しときましょうね。 このBBSは100件までしかとっとけませんから。 >こーも真田関連が盛り上がってしまった以上、メインのページで >真田特集でも考えられては??? これは考えておるのですが、なんせ忙しい上に本人がぐうたらな ものですから。でも真田氏はぜひやりたいと思います。
髪の色が変わってた、というのはいいですね、なんか。 こういう個性がきわだつ人って好きです。 ところで、昌輝の子は徳川家に仕えて結城秀康の家来になった ようですよ。つい最近、越前真田氏の子孫が確認されたそうです。
まいど、左衛門佐ともーかです。 こーも真田関連が盛り上がってしまった以上、メインのページで 真田特集でも考えられては??? 真田ファンの左衛門佐ともーか
まいど、真田ファンの左衛門佐ともーかです。 真田十勇士について、とある本から抜粋してしまいました。 (ホンマはアカンねんけども・・・) で、この他の情報をお持ちの方、お知らせ願います。 ☆穴山小助 三歳で母親と死別し、父親の手一つで育てられた生い立ちからは、 武田信玄の陪臣として名を馳せた穴山梅雪の甥であるという 触れ込みは信じ難い。 父の玄蕃が、巻物にした系図を懐に入れ、戦場を渡り歩いて何がしかの 報酬を得て世過ぎをするという風変りな子連れ武者だったことが幸いし、 やがて、幸村の児小姓の一人に加えられて真田家の家臣となるのである。 父親の後から槍を構えて戦場に臨む小助の姿は、痛ましいというよりは、 むしろほほえましいものを味方の兵士たちに覚えさせ、 ふしぎに勝運にも恵まれて「小助はわが軍勢の守り神じや」という噂を生み、 それが幸村に見出される奇縁となって郎党の一人に加えられる。 大坂夏の陣では、幸村の影武者となって家康の本陣に斬り込み、 壮烈な戦死を遂げたとされている。 ☆海野六郎 信州真田一族の祖が、清和源氏の流れを受けた滋野一党(海野・禰津・望月) であることは、真田家の史書として享保年間に編纂された『真武内伝』 によって明らかである。 海野氏は、その滋野一党の宗家であり、幸村の祖父幸隆が、 海野の嫡流を継いだまま真田姓を名乗ることとなった以前からの 同族という名門である。 従って、海野六郎は、幸村の父昌幸の侍大将だった海野喜兵衛の子息という 血縁で、幸村の幼少時代から、逸早く児小姓として仕えていたようである。 幸村にとっては、その郎党の第一号であり、気位も高く頭脳も明晰で あったこともあって、十勇士の中では、つねに参謀格という位置に 自らを置いていた。 ☆筧十蔵 他の十勇士とはいささか異なり、豊臣譜代の蜂須賀家の家臣だったが、 秀吉に招かれて大坂城内の蜂須賀屋敷に身を寄せることとなった幸村に 心を惹かれ、自ら願い出て真田の臣として仕えるようになる。 豊後の国二万石の城主の嫡子であると自称しているが、 真偽のほどは不明である。 秀吉への人質として蜂須賀家に預けられたという、 幸村とそっくりな身の上の類似に心を動かされたというのが 真相なのかもしれない。 当時としては珍しい種子島銃を所持しており、 その腕前もかなりなものであったらしい。 ☆霧隠才蔵 霧隠鹿右衛門という忍者が、幸村の命を受けて家康の動静を探ったのは 大坂冬の陣の折のことである。『真田三代記』の中のこの記述を、 『立川文庫』の制作者たちは、巧みに伊賀忍法の名人に仕立て上げ、 鹿右衛門というもっともらしい名は切り捨て、霧隠という姓は抜け目なく 取り込んで霧隠才蔵なる人物を誕生させたわけである。 才蔵は、諸国漫遊中の猿飛佐助と忍術くらべをして技を競い合ったのち、 佐助に誘われて十勇士の一人に加わったということになっている。 『立川文庫』では、才蔵は、伊賀名張の百地三太夫を師として忍法を修め、 名だたる大盗賊石川五右衛門とも同門だったとされている。 ☆猿飛佐助 真田軍団の立役者というよりは、むしろ『立川文庫』の大隆盛に頁献した 最大の功労者というべきであろう。 もちろん、架空の人物であり、真田家の史実にも、『真田三代記』にも、 その名は見当らない。 『立川文庫』では、佐助は、信州鳥居峠のふもとに任む郷士 鷲塚佐太夫の 息子ということになっており、甲賀忍者の戸沢白雲斎の教えをうけて 免許皆伝の域に連したとされている。 たまたま、烏居峠に猪狩りに訪れた幸村とめぐり合い、 その技を披露して郎党に加えられたのが、そもそもの真田との 因縁だったという。 以後の佐助は、まさに神出鬼没の大活躍で、真田軍団にとっては なくてはならぬ立役者となり、その後の忍術ブームを盛り上けて行く ☆根津甚八 根津の姓は、先にも述べた滋野三家の根津に他ならない。 生まれはやはり信州らしいが、大和絵師だったという父と共に旅に出、 父母と死別したのちは、海賊の群に身を投じてそ首領にまで のし上がったという。 流浪の途次に、丹波の豪族の屋敷に居候をしていたことがあり、 かつては、後述の由利鎌之助の喧嘩友違だったという経歴も 持ち合わせていたらしい。 真田昌幸からの上杉景勝への人質でありながら、豊臣秀吉にも 眼をかけられて豊臣信繁という名や左術門左の官位まで与えられた 幸村が、九鬼水軍の情勢を探ることを命じられて熊野灘に赴いた折、 初めて幸村にめぐり合う機会を得て十勇士に名を連ねること となるのである。 ☆三好為三 出羽国亀田城を本拠とした三好三人衆の後裔で、三好一族の支城矢島城に 立て籠って、東国の雄将佐竹右京と一戦を交える。 向う見ずな無鉄砲さは兄の清海入道以上で、佐竹ごとき何するものぞと 意気がるが、あにはからんや戦さに敗れ、後に述べる由利鎌之助と 山に潜んで山賊となり、真田の郎党として諸国漫遊の旅に出た兄の 三好清海と再会するまで山賊稼業をやめようとしない。 幸村の郎党となるのは、もちろん清海入道の口利きによるものである。 「落ち行かば地獄の釜を…」という辞世は、まことに為三入道に ふさわしいものだという気がする。 ☆三好清海入道 猿飛佐助とはなかなかの名コンビで、漫遊記には欠かせぬ存在として 『立川文庫』を盛り上げて未た。 猿飛佐助の孫悟空役に対して、三好清海入道は、さしずめ猪八戒役にも 匹敵しようか? なにしろ、十八貫もの鉄棒をプルンプルンとふりまわす怪力が売りもので、 白ら五十人力と称する向う見ずな大入道である。 居城の亀田城を奪われた後、老臣の勧めに従って縁故ある真田家を 頼るべく旅に出る。 道々、さまざまな奇行を重ねて豪傑ぶりを発揮しながら、 上杉家への人質として春日山城に身を奇せていた幸村の許に辿りつき、 その郎党に加わることを許されるのである。 ☆望月六郎 十勇士の中では、最も正体の把みにくい存在である。 望月の姓は、滋野三家の一つであるから、その素性は確かであり、 早くから幸村の側近くに侍っていたに違いないのだが、 なぜか『真出三代記』でも、わずかに幸村の影武者の一人として 名が挙げられているだけである。 九度山蟄居中の幸村は、天下の情勢を深索するため、再二再四、 十勇士を手分けさせて旅に出すが、望月六郎は、いつも真出屋敷の 留守居役をさせられていたらしい。 だが、最後の花道とも思える大坂夏の陣では、 この望月六郎も、幸村の影武者として、穴山小助・根津甚八とともに、 呵修羅の如き形相で家康の本陣に斬りかかって行くのである。 ☆由利鎌之助 天下無敵の鎖鎌の使い手というのが、由利鎌之助のふれ込みである。 丹波の豪族の総領で、織田信長に攻め滅ぼされた朝倉家の残党と称し、 鈴鹿峠にほど近い山中に龍って山賊気どりのゲリラ稼業を続けていた。 三好兄弟の清海とも為三とも、それぞれにカくらべをした上で 意気投合するが、清海とは別行動をとって山中に残り、 為三を仲間に引きずり込んで助っ人をさせる。 幸村の郎党となったのも、為三入道と手を携えてというわけで、 とりわけ深い理由があったとは思えない。 また、前述の根津甚八と喧嘩友違だったというのも、 何かの因縁だったに過ぎない。 それでは 真田ファンの左衛門佐ともーか
幸隆の次男、つまり、幸村(信繁)から見ると叔父に当たる昌輝は、父幸隆とは 違う髪の色をしていたそうです。・・・・と、いうことは、茶髪ですかい? (くだらない内容ですいません。なにせネタがないもので・・・話のネタ募集中!)
真田といえば忍者。で、真田十勇士ですが、大昔の学研マンガ日本史では根津甚八は穴掘り名人になってました。 この人たちの設定の根拠はどこにあるんでしょうね。 (子供の頃忍者になりたかった時期があったなあ)
>しかし、真田氏は小さいながら、かなり恐れられていましたよね。 >とくに昌幸なんかは、家康からかなり恐れられてたみたいですからね。 大坂冬の陣の時幸村が大坂城に入城したとき家康は 震えながら”入城したのは親か子か”と聞いたそうな 昌幸が死んでいるのはとっくに知っている筈なのにね