過去ログ101番目から150番目までの記事です。
>向井佐平次さま、私の質問に答えて頂き、 >どーも、ありがとうございました。(^-^) とんでもないです。ハイ 信綱・昌輝兄弟の画像は恵林寺にあるらしい 寺は甲府のどこかにあるのでは…
向井佐平次さま、私の質問に答えて頂き、 どーも、ありがとうございました。(^-^) ところで、メールアドレス入れると、投稿されないのは 何故なんでしょう??「メールアドレスが違います」って 言われ(?)てしまう.....。
うーむ、世間はひろいですなあ。 儂などはまだまだ若輩者のようでござる。 学校で「戦国おたくだー」などと言われ、投稿者名にも「武将おたくの〜」などとつけてしもうたが、 儂などは、まだまだ勉学に励まねばいけないようでござる。 さあ、勉強勉強。 (老将モード)
「宮本武蔵」はあるんですねえ。 でも、すごいのは、「新書太閤記」。しかしなぜ、吉川英治ばかり・・? あと、遠藤周作や、辻邦生なんか、あるみたいです。
調べ癖は職業病なもので(笑)。 幕府が公式に編纂した『寛政重修諸家譜』の真田氏の項には、 「幸村」とあり、「初め信繁」と注がしてありました。 もう一つの官撰史料『寛永諸家系図伝』は確認していないので すが、もし同様に「幸村」の表記があれば、実際に名乗った可 能性が強いと思います。
>あっ、そう言えば、今日はひさびさに神田「まつや」でそばを食べ >てきましたあ。 いいな〜 6月2日土曜出勤した時の振り替えをとって上田に行こうと思っています。 でも果たして本当に休み取れるのかそっちの方が心配… もし行ったら報告します。
本人自筆の古文書や正式な記録にはないようです。池波さんも 「人口に膾炙しているから」とことわりをいれて「幸村」で統一して ますね。 一説によれば、幸村は大坂入城後に名乗ったもの、という話もあ りますが、これとて確たる証拠はありません。 あっ、そう言えば、今日はひさびさに神田「まつや」でそばを食べ てきましたあ。
最近真田のネタが多いですね。 ついでだから質問してみよう。 真田信繁が”幸村”と名乗っていたという記録は有るんですか? しかし、真田氏は小さいながら、かなり恐れられていましたよね。 とくに昌幸なんかは、家康からかなり恐れられてたみたいですからね。
>どーも、こんにちわ。はじめまして。 >ここは、質問をしてもいいんでしょーか?? どうぞ、どうぞ。戦国に関連することならば、なんでも結構です。
奥村弥五兵衛の役者がスラスラ出てくるとは、常人とは思えない。 電脳・くノ一か、おのれは!? 山中内匠は戸浦六宏さんでしたね。関ヶ原で家康を庇い、壷谷又 五郎と相討ちになって死ぬ人。
纐纈城主さんです。 ただ、この「小田原評定」は「戦国群像」とはホストが違っていて メリケンにあるので、つながるにくい原因はそこらへんにあるの かも。わたしも日曜日の夜につなげてみましょう。 纐纈城主が在国中の時は、わたしが対応いたします
>真田信綱&昌輝兄弟はどんな人だったんでしょう? > >私は真田ファン歴、1年半くらい、と未熟者ですので、 >ふたりについては、真田幸隆の息子で、長篠の戦いで亡くなった >ことくらいしか知りません。 及ばずながら 源太左衛門信綱は幸隆の長男、兵部昌輝は次男として生まれた。 信綱は幸隆の死去にともない家督を相続。 武田24将にも数えられる。 この中には昌輝も、武藤喜兵衛(三男・昌幸)の名前もある。 長篠合戦図屏風には鉄砲に被弾して倒れる兄弟の姿を見ることができます。 旗指物の六連戦の描き方が縦横逆になってると言う落ちもありますが… 信州真田町には信綱寺があり、墓とともに信綱の首を包んだと言われる 陣羽織が保存されており実際に見ることができました。 他にも昌幸や信之が寺に当てた書状なども見ることができます。 朝なのでこれくらいで勘弁して 夜再び登場?
どーも、こんにちわ。はじめまして。 ここは、質問をしてもいいんでしょーか?? 真田信綱&昌輝兄弟はどんな人だったんでしょう? 私は真田ファン歴、1年半くらい、と未熟者ですので、 ふたりについては、真田幸隆の息子で、長篠の戦いで亡くなった ことくらいしか知りません。 真田氏に詳しい方がたくさん(?)いるみたいなので、 期待してます!! それでは、また。
ところで管理人さんって誰なのでしょうか。 ネタがないのでこんな書き込みばかり。それではまた。
皆様こんちわ、左衛門佐ともーかにござりまする。 さて、かの司馬遼太郎大先生や池波正太郎大先生の戦国歴史もの著作って 英訳されてないんでしょうか? というのも、実は自分は大分前からNOVAに通っておりまして、 そこでの先生(60を過ぎた米国人のおっちゃん)が自分と同じ趣味・・・ 即ち大の戦国時代物好きで、私の個人授業になると課題の教科書を 全く無視し、「信長の革命性について」やら「豊臣秀長の果たした偉大なる 功績」やら「真田軍団の戦術」やらについてマジな顔して語り合って おります。 で、私が拙い英語でそれらを説明するよりも前述の両者の英訳本でも あればいいのですが・・・ どなたかご存知でしたらお教え下され!!! それでは 真田ファン拡大の為の伝道師ではあるが、たまに雑賀孫市や竹中半兵衛や 豊臣”大和大納言”秀長ファンにも変身する左衛門佐ともーかでした。
うー、真田太平記の話題で盛り上がっておりますなあ・・・ 真田ファン(別名:真田グッズ買いあさり同好会会長??)の拙者に とっては嬉しい限りです。 それでは 真田ファン拡大の為の伝道師ではあるが、たまに雑賀孫市や竹中半兵衛や 豊臣”大和大納言”秀長ファンにも変身する左衛門佐ともーかでした。
真田健一郎さんです。『鬼平』の、沢田同心。 山中内匠(俊房のいとこ(?))は、え〜とね、戸浦なんとか言う人 じゃなかったかなあ。亡くなったと思うけど。 それから、甲賀でお江を助けた人、この人は、井川比佐志では ありませんでしたっけ?
>突然の発言にお答えいただきありがとうございました。メールの発信など全くの初心者です。よろしくおねがいします。 あ、いえいえ。ここにいらっしゃる方々はみんな「突然」現れた方ばかりですから。(笑)今後ともよろしく。 戦国ファンならば大歓迎です。(と、纐纈城主になりかわり)
>毎週日曜日の夜はなぜかここに来れないのですが、なぜなのでしょうか。>管理人さん ・・・というAチームさんの意見じゃが、どうなのじゃ>管理人さん ちなみにわたしはフツーにつながってるような気がするが・・・。
ほかに宮塚才蔵、伏屋太兵衛、伴長信、山中内匠らがいましたね。 お国は苑文雀だったような気がする。
毎週日曜日の夜はなぜかここに来れないのですが、なぜなのでしょうか。>管理人さん
>お江に男のあれを切られちゃった甲賀忍びですよねッ。 >お江「もはや二度と、女は抱けぬわツ」 >と、冷たく言い放つお江。でも、その当時を思い出しながら涙する 真田太平記では与助がお江をしつこく追い回す理由をずいぶんと 引っ張りました。 「あの坊さんの下の世話をしたときじゃが婆さん」 「ないんじゃよ」 「なにが」 「じゃから男のものがじゃ」 「…」 「坊さんだもの修行のため切ったのじゃよ」 「…」
久しぶりに登場です。 でもメール同様毎日2回(朝・晩)チェックしてます。 v(o^_^o) 思いつくままにあげてみました。 付け足しお願いします。 お江 遥くらら 壺屋又五郎 夏八木勲 向井佐助 中村橋之助 横沢与七 花沢徳衛 奥村弥五兵衛 お国 下久我の権左 猫田与助 石橋蓮次 山中大和守俊房 佐藤慶 >石橋蓮次さんって、特異な俳優じゃあ。 渋い〜 個人的には二年程前にテレビでやっていた雲霧仁左衛門の片腕 (役名忘れた…)の役が良かった。 同様に森鴎外原作の阿部一族の細川の殿様が江戸で召し抱えてきた 家老?のバカさも石橋蓮次ならではかな〜 真っ白におしろい塗ってあそこまでやれる俳優はいない。
突然の発言にお答えいただきありがとうございました。メールの発信など全くの初心者です。よろしくおねがいします。 そう、猫田さん。石橋さんがやってらっしゃいました。目つきが切れてて素敵でした。「毛利元就」の陶晴賢も切れてましたね。 親の葬式であんなことされたら私は怒りますが。
猫田与助ーーーーーーーーーーーーー(笑) お江に男のあれを切られちゃった甲賀忍びですよねッ。 お江「もはや二度と、女は抱けぬわツ」 と、冷たく言い放つお江。でも、その当時を思い出しながら涙する 猫田も、まあ、気の毒といえば気の毒(笑・・・笑っちゃいけない、 笑っちゃいけない) 最期のあわれ。ようやく仇のお江を見つけたのに、足をすべらして 沼に沈んじゃう・・・。 石橋蓮次さんって、特異な俳優じゃあ。
樋口角兵衛はいいですよね。真田親子が食われてしまいそうな。 実際の角兵衛も目を病む小山田という朋輩に「これを」と言いつつ 、目をくりぬいてしまうような、奇矯な振る舞いがあったそうです。 樋口角兵衛のお墓って、どこにあるんだろ?
遠く感じるんだけど、高速で15分ですかあ。近いですね。 雑賀孫一ですが、PHP文庫から書き下ろしが出ましたね。 読みました? それと、この間、国友鉄砲資料館へ行ってきました。雑賀孫一に ついては資料がなかったけど、鉄砲伝来のルートなどが説明さ れておったり、山抜砲というバズーカ砲みたいな大筒も見てきま した。
こんちわ、左衛門佐ともーかにござりまする。 今日は車で和歌山城に行ってきました。 行きは国道26号を走って約1時間程かかりました。 何しろトラックが多く、しかものろい・・・ 帰りは高速を使って和歌山から阪南まで約15分・・・ え、何故徳川嫌いの自分が和歌山城へ行ったって?? 目的は和歌山城に秀長関連、その隣の和歌山県立博物館に雑賀孫市関連 の物が何かないかいなあと探しに行きましたが、うー・・・ 雑賀衆については若干の解説が和歌山県立博物館にてなされておりましたが その中に鈴木重秀、もしくは雑賀孫市の名前はありませんでした。 でも、根来寺での津田藍物については若干の解説がありました。 解説によれば鉄砲伝来の折、杉之坊の依頼を受けた津田藍物は種子島へ その製造を学びに行ったとあります。 しかし、司馬遼太郎の「尻啖らえ孫市」では、たまたまその時種子島にいた 根来寺の僧が鉄砲を持ち帰り、根来寺でコピー生産を始めた。 という風に書かれていたと思ったのですが。 しかし津田藍物についての記述がありながら、紀州の英雄(??) 雑賀孫市についての記述がないのは許せん(笑) 一応、雑賀衆をまとめ、信長と互角に渡り合った大名なのですから 雑賀崎に雑賀孫市の銅像でも欲しい所です。 当然銅像のモデルはNHK大河ドラマ「国盗り物語」の時の林隆三で(笑) それでは 真田ファン拡大の為の伝道師ではあるが、たまに雑賀孫市や竹中半兵衛や 豊臣”大和大納言”秀長ファンにも変身する左衛門佐ともーかでした。
NHKドラマの真田太平記の話題があってなつかしいです。 角兵衛が好きでした。あと猫の付く名前の忍者が非常に好きだった記憶があります。
法名として残っているし、位牌もあるのじゃろう。 それに何よりも、元就自身が自筆の書状の中で「妙玖」と明記 しておる。幸運な女性じゃ、妙玖は。 大河ドラマでは「美伊」となっておるが、ある史家は法名が生前 の名前の一部を用いることがあるため、「おそらくは妙、とか久 とかいう名前だったのではあるまいか」と推測している。
>武田信繁についての情報下さい。 これでは、質問の意図がわからぬし、答える方々も困るぞよ。 まず、あなたが武田信繁について何を知っていて、何がわから ないのか、そこが明らかになれば、答えるすべもあろう、という もの。(とはいいつも武田関連くわしくないでのう・・・涙)
「美濃から来た」ので、濃姫、ということになっておるが、帰蝶が名 であるらしい。しかし、「濃姫」もしくは「帰蝶」って、どの記録に載 っておるのじゃ?
武田信繁についての情報下さい。
よく考えると濃姫って名前は有名ですけど、 謎の多い人物ですよね。 たくさんの信長が関係する小説やドラマに必ず登場するけど、 描かれ方が、作者によってかなり違いますよね。 しかしこれだけ謎の多い姫なのに、 なぜ名前はしっかりと残っているのだろうか? 毛利元就の正室妙玖も正確な名前は残っていませんからね。 #妙玖は法名らしい。 みなさんどうおもいます?
その霊界通信、わたしも持ってます(笑)。 件の出版社って、こーゆーことやるから、イマイチ資料としては 信用してないの(笑)。 ところで、濃姫って没年がはっきりしないんですよねえ?。 総見寺で発見された墓碑も慶長十二年となっているのですが、 この新説はまだ史学界では定説とはなっていないみたいです。 桶狭間の前で死んだ、とするのは、斎藤道三が敗死した前後に からんでのことだと思います。母の実家明智城へ戻って、そこで 義龍に攻められ落城とともに死んだ、のではないか? あるいは、本能寺で信長とともに死んだ。これは「おのう」という名 が事件の被害者の中にいたからですが、どうも別人らしい。 そして、注目すべきは、堺に信長の室の領地があって、今井宗久 がこれを管理していた、という古文書があり、これが濃姫のことで あるとすれば、信長が堺を直轄化した1568年(桶狭間の8年後) までは生きていたことになりますね。 また、濃姫との縁談の話はあったのだけれども、実際には嫁がな かった、という説もあります。
この間、うちの親父が古本屋で買ってきた、「別冊歴史読本・1989年5月号」 (新人物往来社刊、定価1250円)の中に、「織田信長との霊界通信」というの があって、「正室濃姫の最期」というのがありました。内容があまりにも衝撃的( 笑撃的)だったので、その一部始終を皆様にお伝えしたいと思います。 ―史料によりますと、濃姫の最期が不明とされていますが? 「わしが、首を斬った」 ―いつですか?その場所は? 「二十二」(濃姫が二十二歳の時=弘治二年七月三日)「清洲」 ―なぜ斬ったのですか? 「わかる」(おいおいに、という意味) ―墓はどこにあるのですか? 「ない」「わからぬように消した」 ―どんな妻でしたか? 「良き妻である反面、口やかましく、出すぎることもあって、可愛くよそおってい て、内心は夫を叩くような反対な面もあった」 ―妊娠したことはありますか? 「二年後(輿入れして)落馬で流産」(濃姫は、信長の馬乗りによくついていった。) ※濃姫の死の背景には、尾張国内で織田一族の対立抗争が激しく、信長にとって 最大のピンチであった。父道三亡きあと、美濃との関係も微妙な時期の出来事だった。 ということなんですが…濃姫が桶狭間前(弘治二年=1556年)に死んでいたな んて…ププッ(笑)、そんな事あるわけないですよねえ?
去年の秋、吉田町を訪れた際に、見ました。地元の物産や銘酒 「元就」、元就キーホルダー、元就テレカなどを売ってました。 場所は吉田町歴史資料館の前です。テントだかプレハブだか、 一棟の建物の中におみやげコーナーが出来上がり、「祝・大河 ドラマ決定」の幟がヘンポンとひるがえっておりました。
確か新南陽市が周防若山城を出してくれとNHKに申請したら 却下されたという話は聞いたが、他ははどうなんだろう? ドラマを見ている限りでは防府、山口あたりはでてたな。 そのうち萩あたりも出るんじゃないかな? 山口県内はこんなところでしょう。
こんにちは。 正確には毛利氏の地元ではないのですが・・・(山口県なので) 広島県吉田町では、「元就村」なるもの(名前はどうだか忘れた)を この時期のみ作成し、(ロケ地かな?)観光客を呼ぼうとしたらしいですが、 村内に車がある等客からブーイングがきたという記事を見たことがありますが。 元就関係の名所としては、 光市浅江の清鏡寺に清水宗治主従の墓があります。 熊毛郡熊毛町に元就の6男の墓と熊谷氏の墓があります。 新南陽市に周防若山城跡があります。(陶氏の居城跡) 他にもいくつかありますが、名前忘れたのでまた今度ということにしときます。
むかし、真田幸村本で霊能者(と称する人)の幸村へのインタビュ ーがあったな。十勇士の説明をしてから「こういった方々はほんと にいたのですか?」との問いかけに対し、「使いっぱの者どもであ ろう云々」といった意味のようなことをほざいておった。 幸村の言うことには、三好だか穴山だかは「おった」と言っていた が、「いたかどうだか忘れた」と記憶にあいまいな部分も(笑)。 真田十勇士についての論考は故・桑田忠親博士のものがよく引 用されておるな。
このふたつは団体旅行の楽しみを左右しますなあ。 男はバスガイドに、女は添乗員に・・・(笑) しかし、見栄晴そっくりの添乗員は楽しそうじゃ。 ちなみにバスガイドはあんまり美人すぎず(笑)、ちょっと三枚目 っぽいのがいいなあ。 いや、別に三枚目の美人ガイドでもいkっこうにかまわぬが(ホンネ)。
Masaさん初めまして。 僕は何年か前にJTBの団体ツアーで初めて山口県へ行きました。 その行程は、 福岡空港→秋芳洞→萩(泊)→津和野→山口(泊)→宮島→広島空港 だったと思います。 細かい内容は省略して、いちばん記憶に残ったのは、地元(山口県)のバスガイドさんでした。 だって顔がtrfのYukiにそっくりだったものですから。そのおかげ(?)で充実した旅を楽し めました。それとおまけとして、JTBの添乗員が見栄晴そっくりだったことも明記しておきます。 今度ぜひ、山口県の観光名所を教えて下さい。
ふくばらのじい×しじ、じゃなかったっけ? うつくしいのも好きなの?
毛利の地元というようなことをおっしゃってましたが、そちらでの評 判はどうなのでしょうか? 吉田町はまるでお祭り騒ぎでしたが、意外にさめている、ともうかがっております。しかし、「大河」に地元を取り上げて欲しい、と願 う自治体は多いらしく、先日も藤堂高虎の会が結成されたそうで す(笑)。かくいうわたしの地元神奈川でも「三浦一族を大河ドラ マに」という動きがあります。わたしはオリンピック誘致よりも難し いと踏んでおりますが。
通常のトレンディドラマや朝の連続テレビ小説のノリで見ておるが。 だから、昔ほど「この人物の扱いは間違っておる〜」とか「この事件がなんで出てこないんだ〜」と嘆くこともなくなった。 年取ったせいだろうか(笑)。それはともかく。 なるほど、組織立った長柄隊というのは戦国も後期になっての 登場であって、元就の頃にはなかったかもしれませんね。 すると映画「天と地と」も同様ですね。(もっとあからさまだ ったような気がする) ただ、小規模かもしれませんが長柄隊の集団戦法は信長以前に もあった、とわたしは思っています。たしかに信長は先例にと らわれないきわめて独創的な発想の持ち主と思いますが。(た だ昨今の信長ブームはちと行き過ぎの感も) むしろ、長柄隊=信長の発案、というのは「歴史的事実」とい うよりも信長を描く際の「お約束」と化していますから。 だから信長が生まれるずっと以前に「長柄隊」が存在すると「 これはインチキだ」と思えてしまうのでしょう。 しかも「兵法一家言」には長柄槍の効用、手槍は個人の好みで あったので長さはさまざまであった、などという記述もありま す。さらに、長柄キラーともいうべき戦法も編み出されており ますが、これらはほとんどが江戸時代に書かれたものです。そ して「信長公記」もしかりです。 そう考えるとNHKの長柄隊の1シーンは、さほどのエラーで はないと考えております。先日も申しましたが、歴史ドラマ・ 時代劇にそこまでの考証は求めておりませんから。 特に戦闘シーンはお金がかかるらしいし、馬の数も前よりはず っと増えたので、見ごたえはあると思います。 むしろ、美伊が杉の方と話しているときに、侍女のひさが杉の 方と並んで座っているのが気になった。(カメラアングルの都 合であろうか) まあ、戦術、風俗云々よりも、むしろ、主人公の画一性を何と かしてほしいと思います。『秀吉』に登場した光秀の母もまっ たく一貫していないキャタクターでしたし。 何よりも「汚点」を見事に「隠した」というより「捨て去った」 のにはあきれました。どうせこの時期に秀吉やるのなら、朝鮮 からクレームがつくような内容にしてほしかった。 あまりに「約束事」に縛られると、ドラマ自体の魅力も半減し そうな気がしますが・・・。 しかしMasaさんのリアリズムを求める熱意は素晴らしいと思い ます。きっとドラマもだんだんサマになっていくと思いますよ。 わたしなどは出演者の銀歯が見えた、といっては大喜びする不 届者ですから(笑)
死角であったゾ。たしかに灯篭はねえ・・・。 九州にも真田の墓、と称するものがあると聞いたことも。
関西方面の真田氏ゆかりの案内ありがとうございます。 いつか必ず行きます。>左衛門佐ともーか殿 上田から真田郷付近についてはみなさんごぞんじのようなので 松代について少し… 長野自動車道長野IC(車でしか行ったことないもんで m(__)m )を降りて 左に行けばすぐに松代市内です。 ちなみに右に曲がると善光寺のある長野市内へ行けます。 あと、長野IC手前の松代PAの売店で 松代のマップをもらうとGood! 真田家関係はもちろん、佐久間象山・川中島古戦場跡の印が 記されていて便利です。 見所はなんと言っても真田宝物館。 長国寺は真田氏の菩提寺です。信之の霊廟もあります。 恩田木工民親の(真田騒動参照)墓もここにひっそりとあります。 宝物館と同じ敷地内の真田邸には銅像までたってます。 宝物館と長国寺のちょうど間には矢沢家の屋敷門があります。 そして市内のはずれ千曲川沿いに大鋒寺があります。 ここは信之の隠居所(真田太平記の後半の舞台、 錯乱・獅子っていうものありました)になったところで信之の墓があり、 その横には鈴木右近忠重の墓がひっそりと寄り添うようにあります。 これを見た池波正太郎氏は何を思ったのでしょうか。 また、大鋒寺は信之の画像を所有しており、住職さんに 見せてくれるように頼みましたが断られてしまいました… (;_;) 松代についてはこんな所でしょうか。 東京上野にも信之関連のものがあるのをご存じですか? 上野東照宮の参詣道の鳥居をくぐって左側の2つor3つ目の灯籠に 滋野朝臣真田伊豆守信之 の文字があります。 他にも著名な大名の文字が見つけられ身震いしたのを覚えています。 正面には砂かけてきた… 嘘です m(__)m
MASAさんこんちわ、左衛門佐ともーかにござりまする。 MASAさんの「史実に近いドラマ」の実現を望んでいるのは自分も同感です。 が、それが難しい・・・ というのも、作家作家によって「歴史に対する認識」や「強調して表現する ポイント」が全く異なるからでしょう。 例えば「豊臣秀長」について。 彼は今まで秀吉を描いたドラマは数限りなくありますが、秀長を歴史の 隅から掘り起こし大々的に描いたのは、堺屋太一が初めてでしょう。 その他に秀長をこれほどまでに大きく取り上げた「秀吉」ドラマが 果たしてあったでしょうか?? あと、よく見受けられるのが信長の「桶狭間の戦い」の場面で 梁田雅綱(字合ってたっけ??)が出てこなかったり、毛利新助や 服部小平太が出てこなかったり、(NHK大河ドラマ「信長」の時が そうだったような) まあ、配役の問題でそうなるんでしょう。多分。 しかしながら、前回の大河ドラマ「秀吉」はそれなりに評価しております。 それはやはり、秀長や竹中半兵衛をクローズアップしてくれたからでしょう。 でも、「武田信玄」等のバブル期に作られたドラマのように予算が ふんだんにあるという訳ではなく、結構戦闘シーンなどを省略して 予算削減の意図あらわで可哀相でしたが・・・ うーむ、今思っても渡哲也の信長は恐かった・・・ 顔は似てないものの、「恐い」信長の雰囲気を見事にとらえており、 私は結構好きだったのですが。 それでは 真田ファン拡大の為の伝道師ではあるが、たまに雑賀孫市や竹中半兵衛や 豊臣”大和大納言”秀長ファンにも変身する左衛門佐ともーかでした。
早速の意見ありがとうございます。 三楽堂さんの意見ですが、確かに信長が考案する前に ある程度の長い槍は存在しましたが、 足軽が整列して、槍を前に突き出して前進するといった戦術は あのころにはまだなかったと思うのですが・・・。
光一! 風間トオルと堂本光一かあ・・・・・・美しすぎるぞ。 でも、ホンジャマカ恵はけっこう私は好きなんだわ。(笑) (わざわざオン書きする内容だこれかい?) あっ、つい言葉づかいが「妄想年代記」そのままで、失礼いたしました。(笑)