WIRED 4.10 Dekerckhove Interview



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マクルーハンだったら、どういうだろう。

ケビン・ケリー

デリック・ド・ケルクホフ(Derrick de Kerckhove)は、マスメディアに関する哲学者の椅子を占めているが、現在、ウェブがどのようにして新たに部族化(tribatized)された社会を創造するかちおう問題について考えを巡らしている。マーシャル・マクルーハンがかつて占めていた椅子に座っていた小さな煉瓦のコッテージの回転椅子に座っている男、それがデリック・ド・ケルクホフ(Derrick de Kerckhove)である。カナダの人文科学学者は、トロント大学聖マイケル校(the University of Toronto's St. Michael's College)の文化と技術に関するマクルーハン・プログラムを運営している。

このカソリック系の学校においてマクルーハンは教鞭を取り、実質上、メディア分析を発明したのである。マクルーハンのように、はっきりと文学的、哲学的な味わいがケルクホフ(Kerckhove)の作品の多くにはある。彼は、フランス語で講義し、アルファベットの影響に関して著作した。また、自動的に知識を分類しようとしている小グループの研究者を監督する。ド・ケルクホフ(De Kerckhove)のビートは、現われつつあるメディア(emerging media)の哲学である。メディア学者が、マクルーハンならどのようにWorld Wide Webが社会にもたらすものを解読するかを知りたくなったとき、彼らはド・ケルクホフ(De Kerckhove)を呼ぶのだ。

Wired:ウェブは我々を統制するもう一つの媒体になるのでしょうか。それとも、我々がウェブを統制するのだろうか。

De Kerckhove:アルファベットやテレビのようなものはかつての不可視なものであった。そして、我々の世界観に対するその影響も不可視だった。テレビを指摘したのはたった一人。マクルーハンのみであった。他の誰も、全くそれを「見なかった」。メディアは見えなかったので、非常に強力だった。しかし、これらのメディアのどれも今は不可視でないことを誰でも知っている。そのため、技術にとっては、社会的身体(social body)からの抵抗を受けずに、その法則を押し付けることは、不可能である。

W:ウェブは、より大きい意味でわれわれにとって何を意味するか?

DK:ウェブは、言語の新規の装いである。部族的世界(tribal world)で、その宇宙(the cosmos)には、プレゼンスがある。それは、生きている。その部族は、この巨大な有機的な現実にあやかる。人々がアルファベットによって言語を統制しはじめた瞬間に、人々は統制を内在化させた。そして、宇宙(cosmos)をその神聖な存在としての在り方から切り離して、空虚なものとした。(emptied)宇宙(cosmos)は、無言の環境となった。人にとって、書き留めることによって、観察したり、言い換えたりすることだけが可能となった。その後、ラジオ、電報、電話とテレビが登場した。これらは、すべてを再部族社会化(retribalized)したのである。すべてを外在化させ、再度、宇宙(cosmos)を満たすことによってである。この考え方は、マクルーハンによて実に明確になった。ラジオは、ドイツ、イタリア、イングランド、フランスでアイデンティティの大きい再編成を創造した。ラジオの世界では、統制のアジェンダ、言語のアジェンダは一人の人物のアジェンダである。すなわち、大人物、独裁者、ヒトラー、ムッソリーニ、ホメイニだけのアジェンダなのである。ところが、ウェブのアジェンダは、部族の首長のそれである:言語は、共有されるのであって強制されるのではない。

W:するとあなたは、ウェブ上では独裁者は決して現われないという仮説をもっているのか?

DK:その通り。独裁はありえない。理由は、ウェブが集団的(collective)であると同時に個人的でもある(individual)からだ。ウェブは、言語が口頭で(orally)表現されるのと同時に書かれるという我々が知っている唯一のメディアである。ウェブは口述的(oral)である。なぜなら、即時性(just-in-time)のコミュニティにおいて常に文脈に組み込まれ(contextualize)、ニーズ、機能、環境に応じて自らを再組織化(reorganizeing themselves)するからである。これこそ、口述性(orality)の特徴だ。それでも、ウェブ上、ネット上で、言ったり、書いたりすることは、ポストされ、アーカイブ化される。

W:しかし、そう、ウェブの多くは、純粋にビジュアルでもある。

DK:テキストベースのMUDは、基本的にリアルタイムの本の集合だ。(collective books)ユーザは、そのイメージを提供しなければならない。しかし、Worlds Inc.のようなVRコミュニティのなかでは、イメージは、そこに同時にいる全ての人々提供される。そのスクリーンは、集合的に共有されたイメージ(collective shared image)である。そのスクリーンの内容は、何億ものシナプスの接続の協同によるものである。これこそが私にとってのウェブである。心というものにきわめて近いのだ。

W:ウェブが再部族化している間、何が放送メディアに起こるか?放送は、単に・・・ええっと・・・消え去るのみか?

DK:そのとおりだ。だんだんとね。その重要性は、消滅する。我々がテレビ・リモートコントロール・ユニットを持って以来ずっと、我々はそのスクリーンある程度統制した。そして、我々がその内容の生産のに参加する意欲を有することを示してきた。ネットワーク化された社会の中で、現実のパワー・シフトは生産者から消費者へという方向である。そして、統制と権力の再配分がおこる。ウェブの上で、カール・マルクスの夢は、実現されてきている。道具と生産手段を労働者が獲得するのである。

W:あなたを驚かせるかもしれないが。しかし私は、ウェブの世界でも放送がなくなってしまうことはないと思う。

DK:そのとおり。放送が消滅することはない。マクルーハンは「ここにおいて本は終りだ」と言ったとして批判されたが、一方で、本はこれまで以上に増加するとも発言したのだ。実際、かつてより本はたくさんある。その現在の在りか(where-it's-at)は本の世界ではもはやない。今後の在りか(where-it'll-be-at)は、大規模、中央集権、垂直統合の企業ではないだろう。放送事業者は、存在し続けるだろう。そのような強力な基盤を破壊することはできない。

W:何が、ウェブの世界における放送の役割となるのか?

DK:我々は、公的なレファレンスを必要とする。我々は、我々全てが多かれ少なかれ一致する集合的なアイコンを必要とする。ビル・モイヤーズ(Bill Moyers)は、これを公的な心(public mind)と呼んだ。カミール・パギラ(Camille Paglia)は言う。我々が我々の心をテレビ再放送によって壁紙を張る(wallpaper)と。なぜなら、我々がいくらかの共通のレファレンス、集合的な記憶を必要とするからだと。我々はテレビの再放送を捨て去るのではなく、を受け入れなければならないのだ。彼女は、絶対に正しい。我々はまだその集合的な心を保つことができる、しかし、また、我々はこの大衆文化アプローチから、高速文化へと、また、ウェブの深みのある文化へと動いているのだ。私にとって、ウェブは非常に深いものだ。

W:本がこれまで養ってきた読者の内省的な世界という自我の深みを失っているという議論が、本のスノッブである(book snob)ベン・バーケット(Sven Birkerts)のような議論には与しないのだ。

DK:それは、立派な議論だ。しかし、間違っている。ウェブで身体を消滅させるにつれて、物理的な場において身体を回復するのだ。身体を有する時もあれば、そうでない時もある。身体を有さなければ、そこにいないのと同じだ。あなたが身体を持つならば、あなたはそこに存在する。そして、世界とあなたの関係は私が固有受容的(proprioceptive)なものなのだ。それは、触角的だ。これはルネッサンスの時には視覚的だったが、今はそうではない。ルネッサンスの頃、あなたのアイデンティティは、何であったか?それは、皮膚におおわれた境界であり(outer limit of skin)、ひとつの頭脳が処理した情報であり、スペクタクルとして提示されるもの言わぬ世界(a dumb universe)であった。

[注:一人の人間の身体、頭脳と無言で拡がる世界との対置という構図。ルネッサンスの頃はそんな感じでしたっていうことですかね。哲学とか真面目に勉強しておくんだった。少年老いやすく不勉強の中年となる・・それ、今のおれ・・・って感じ]

それから、アイデンティティは、視点(point of view)となった。今や、アイデンティティは、存在の点(point of being)[注:どこに存するか・・・身体的な制約はない・・。ネット上だと確かにそうだなって感じですかね。]

我々は、様々な要素を含むアイデンティティ、集合的なアイデンティティ、その時だけのアイデンティティ(just-in-time identity)、製作された(fabricated)アイデンティティなどの可能性を加えたのだ。[注:時間と空間の制約がネット上ではない。身体という制約もない。思考するのが自分一人の頭脳だけ・・ということでもない。ということなんでしょうか。]大変な柔軟性がある。しかしながら、自我の核となる役割はそこに残る。ただたんに、電子的に拡張することによって地球全体に拡がっているということなのだ。

(970119 試訳)



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