「波」

 「光」

  DJが変わり、それまでのArtcoreがHardStepとなり、フロアはいきなりの
熱狂につつまれた。その瞬間、みんなの心に日頃溜まった、澱がいっきにはが
れ落ちたかのようだ。疲れきり、だらしなくソファーにもたれかかっていた者
さえ起き上がり激しくステップを踏み、何度も身体を宙に弾ませた。人の体の
何処にこんなエネルギーが眠っているのだろう。音がなければすぐにへたり込
んでしまっただろう。身体はエネルギーを出し惜しみして、すぐにそんな無茶
をすることをやめるように通告してきただろう。しかし音が誘う。ドラムとベ
ースがあおりたてる。何処までも。限界などはない。邪魔をする余計な壁がな
いのなら、人間は何処までも進んでゆける。壁の向うで誘う音につられ壁を乗
り越え、打ち壊し、果てしなく走ってゆける。ドラムとベースにのって、全て
を燃やし尽くし、その奥の無限に手を伸ばす。

  20人も入ればいっぱいの小箱が、きらめくフラッシュライトの中熱狂に包ま
れ、すべての人が絶叫している瞬間、少女は角の暗闇、コンクリートの床に直
に座り孤独を、決して自分をを傷つけないように慎重に距離をとったそれと、
向かいあっていた。フロアを一気に彼方へとつれていった流れに乗り遅れ、そ
のまま座り込んでしまった彼女は、よせば良いのに余計な事にばかり気が散っ
てしまう。会社でのゴシップとか、恋人の言った冷たい言葉ばかりとか、つぎ
から次へとつまらない事ばかり思い出してしまう。天井からはエアコンが処理
しきれない湿気が水滴となってポタポタと落ちはじめてきた。彼女の頬に水滴
が落ち、はっと我に帰るが、まだ立ち上がる元気はなかった。「つまんない」
と彼女は呟いたが、フロアの轟音にかき消され、その言葉は誰の耳にも届かな
かった。打ちっぱなしのコンクリ−トの壁は高音を反射しすぎて、角で座って
いたりするとだんだんと耳障りになってくる。踊ってるときにはあんなに気持
ち良かったのに、今は頭が痛くなるだけ。4つあるフラッシュライトの一つが
壊れていて、いつもなら対称に4つできる影が一つだけ欠けている。何かが欠
けている、自分の生活に、そう思いここに来て、しかし結局欠けているものが
何なのかさえも分からない。つまらない日常以上のものがここにあると思って
ここにやってきて、見つけたのは失われた影だけなのか。

 DJのもとに店員が来てなにか耳打ちをし、その後すぐに音が小さくなった
。それが変じゃないように、かけるレコ−ドもAMBIENT風のものに変わっては
いたが、明らかに付近からの苦情で音を小さくしたようだ。まだ夜の3時にな
ったばかりだけど、今日のパ−ティのピ−クはこの辺で過ぎてしまったようだ
。それを敏感に察知した客たちは、一人また一人とフロアを離れ、ソファ−や
床に座り始めた。後は始発までだらだらした雰囲気がここを支配するのだろう
。まあしかし、それも悪くはないのかもしれない。休むことなく踊りつづけ、
身体中の余計なエネルギ−を燃やしつくした各々は、虚飾を取り去ったじぶん
といやおうなく向き合うこととなる。

 少女はがらがらになったフロアを見て、アマノジャクな感情が沸き起こって
、立ち上がり踊り始めた。どうやらDJの本意ではないような柔らかめの音が
、今の彼女にはちょうどよかった。ゆっくりとしたJAZZSTEPに変わった音にあ
わせゆっくりとステップを踏んだ。誰も踊ってないフロアで、でも今度は不思
議に孤独は感じなかった。この空間を満たす波の中に彼女はいた。その流れに
包まれ、全ての人と感情を共有してるような気分になってきた。ある者は幸せ
そうに微笑んでいた。ある者は疲れ切った顔をしていた。ある者は怒っている
ようだったか、その怒りが自分にしか帰らないことにいらいらしてるようだっ
た。彼女は、悟りきれないいろんな感情のうごめく世界の中にいま自分がいる
ことがとても嬉しいことのように感じられた。高速で移り変わってゆくDRUM &
 BASSのサンプリング・フレ−ズの一つ一つが、うずまく感情の一つ一つを運
んできた。幾多の音が、感情が入り交じったその音は、この世界そのもの、の
ように今は感じられた。サックスの音にロ−ルするドラムが絡み、曲の途中の
なんのこともないその瞬間、なぜか全てが分かったような気分になる。世の中
には全てがあり、全てが許されるような気がしてきた。自分はこの爆流の中を
踊りながら進んでいる。時の流れに乗りながら、大地を踏みしめている。そし
て他に何を望む? 一瞬で自分を次々に追い越してゆく、イメ−ジ。過去から
未来へと飛んでゆく、思いでの断片断片、光。彼女には自分の目の前に一人の
女が立っている姿がうっすらと見えていた。自分を追い越していった光でつく
られた影。それは自分の過去の姿のようでもあり未来の姿のようでもあり、ま
たまったくの他人のようにも見えた。女は笑いながら手を延ばしてきた、それ
に答えようと手を延ばした瞬間....照明がミラ−ボ−ルに変わり、「影」は消
え去った。そうきっと影だったんだろう。彼女は額の汗を拭うと、ちょうどよ
く空いていたソファ−にそのまま倒れこんだ。

 そろそろ始発も走り始める時間になると、店内にもだいぶ人が少なくなって
ゆく。朝方になって妙に元気になってフロアで飛び跳ねてる数人はいたが、あ
とはソファ−で数人が休んでいるんだか、寝てるんだか、身動きもしない。少
女は、自分の住む郊外への電車が走りだすにはまだ少し間があったが、もう踊
るような気分になれないので、今日使うのを忘れていたドリンクチケットをバ
−に持ってゆき、そこの背の高い椅子に腰掛け飲みはじめた。すると、
「ねえ、この後帰っちゃうの?」ナンパ野郎の登場だった。少女は無視するが
「もっといいとこ知ってるよ。朝から始まるんだけど」しつこく話しかけてく
る。「ここにはよく来るの」
 不機嫌そうに少女は、
「jungleの日だけ」と答え、後ろを向く。
 少年は少女の前のほうに回り込んできて、
「jungleって何」と。彼は音を求めてここにきたのではないかもしれない。
「どらむんべ−す」
「何怒ってんの」
「すみません私もうそろそろ帰らなきゃ」
「グラスの中身まだ残ってるじゃん。もったいないよ」
 少女はほとんど残っていたグラスの中身を一気に飲み干した。
 少年はちょっと驚いたような顔で少女を見た。
 少女はわざと荒っぽく音を出してグラスをカウンタ−に置くと少年を精一杯
威嚇しようと睨めた。
 少女の視線はとても威嚇するに足るものじゃなかったけど、目の前にいるの
が自分の獲物ではないと気付いた少年は、明らかにこの場から逃げたそうだっ
た。けれど睨めあった視線が彼を釘付けにする。
「じゃこれで」と少女が先に膠着状態を破った。
「いやまって」少年は去ろうとするものに対して反射的に、本当はそんな気は
もうあまりなくなっていたのだけど、彼女の肩をおさえた。
 少女は振り返り、そして?
 次の瞬間、最初は二人とも何が起きたのかわからなかった。
 嘔吐にまみれた少年の顔。
 あっけにとられ少年は言葉を失い、
 またもやみつめあう瞳と沈黙。
 少女は突然泣きだした。
 泣くなんて何年ぶりだったのだろう、
 ゲロまみれのままおろおろする少年を無視して、
 少女はそのまま泣きつづけた、
 涙が枯れるまで、
 ....もやもやがすべて流れ去るまで。
著作:佐藤憲雄

佐藤憲雄さんにメールを出す

ラディカル・マーケット(急進市場)のページへ

サイバー梁山泊のwhat's newへ

サイバー梁山泊のホームページへ