この日の公演にゲストで登場して下さった、るうさんのピアノと歌とその歌のメッセージは、時空を震撼させ、稲妻のように光を帯びて、kaztouの暗く青い空間を突き抜けたようながした。
笹山君のギターと歌は気合いが入っていて、低音が胸に迫り、そして、鮮やかなビートがグルーブを醸し出すのだ。夏の思い出のギターの盛り上がりはライブならではなのであって、さまざまな人に「きなさい。感じなさい。」と伝えたくなるのだ。
ぼくは、この日もぐわんぐわんと海の底のイメージを体現せんとしていた。
ぼくは、歌いながらイメージを見ているのであるが、それが、念となって、気となって、来てくださった方たちの潜在意識にも働きかけ、そこから何らかのインタラクションが始まるのではないかと思う。ライブでやることの意味はそこにあるのであろうし、そして、だからこそ、ライブでやらずにはいられないのだろうと思う。
ぼくがやっている時に・・。来てくださっている方たちの内側で起こっていることをすべて感じ、共有することができたら、どんなに素敵なのだろうと思う。
会食。るうさんとも話せたのは良かった。東京に住みたいのだそうだ。京都と高円寺に通じるところがあるという。こういう本格的な歌の人が東京に住むようになると、ぼくが東京を好きな理由が、ぼくが東京を離れたくない理由が、また、ひとつ増えることになるのだろう。
耳よりな話があった。るうさんと笹山君が井の頭公園でストリート・ミュージシャンをやっていた時に、はっぴいえんどをやったら若者の集団が「あ、はっぴいえんどをやってる。」とかいって囲んでくれて、なごやかに合唱してくれたのだそうである。それで投げ銭があったかどうかは知らないのだけれど、報われる日も来そうである。「カラオケでは歌えない日本語のロックの名曲」シリーズもおいおい復活しようかとも思う。